【完結】ニンジャと白面   作:いらえ丸

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 感想評価など、ありがとうございます。



 ピースの中身は最終話で分かります。


シューティングスター

 遥か遠く、想起する光景がある。

 

 

 

 夕暮れが世界を染め、

 蝉の声が絶える事なく鳴り響き、

 そよぐ風が、金の稲穂を揺らしている。

 

 赤く色づいた畑に、長い影を伸ばした案山子が立っている。

 騒ぐ子供たちの話し声を、音の割れたサイレンがかき消した。

 

 道の端には蛆の沸いたタヌキの死骸が横たわっている。

 ドブの中、捨てられた犬の糞にハエがたかっていた。

 

 清澄のふるさと。

 汚濁の吹き溜まり。

 

 アオギリホウオウの生まれ故郷である。

 

 

 

 そんな世界の中、幼少の日のアオギリホウオウは独り佇んでいた。

 

 これはアオギリホウオウの原風景だ。

 アオギリ以外、みんな仲の良い田舎。

 誰も、アオギリを救わない。家族以外は、すべて敵であった。

 

「白面だ! おい石持ってこい石! またアレやろうぜ!」

「うわぁ、眼ェこわっ! やっぱ何か病気だって、感染るかもしれないよ?」

「ばあちゃん言ってたぜ、ああいうの昔は生まれた時に潰してたんだってさ!」

 

 甲高い子供の声。

 無邪気で、悪意のない、純粋な嘲弄。

 

 白面片魚目のウマ娘を、不吉の子だと大人は言う。子供はそれを聞いて、悪者がいるのだと、考えるでもなくそう思う。

 大人の言う事を、純朴な子供は聞くものだ。

 負の継承もまた、当然に。

 

「見てくれがねぇ、気味悪いからねぇ……」

「かわいそうに。何であんな風に産んじまったんだか」

「あの子、挨拶ひとつできないんでしょ? 親はどんな躾してるのかしらね」

 

 泥まみれになったアオギリホウオウを見て、村の大人たちは遠巻きにひそひそ話をする。

 憤りがあった。怒りがあった。だが、それをぶつける事は、例え子供のウマ娘であっても許されない。

 ウマ娘と人間では、子供の喧嘩では済まないからだ。

 

 決して、反抗してはいけない。

 我慢するしかないのだ。

 

「ただいま……」

 

 建付けの悪い賭を開け、幼いウマ娘が狭い家に帰った。

 

 返事がない。

 

 おかしいな、と思った。小さな家には小さな声でもよく響く。にも関わらず、いつもの明るい関西弁が返ってこない。

 

 ぞわり、と。冷えた背筋と心臓が、不吉の予兆を知らせる。

 これから嫌な事が起こる。

 

 これは過去だと。大きくなったアオギリホウオウは知っている。

 しかし、この家を思い出すといつも心が硬直する。 

 

 忘れろ、と思う。

 忘れるな、とも思う。

 

 

 

 赤く染まった居間。

 開け放しの窓。五月蠅い蝉の鳴き声。

 影と夕陽の境目に、毎日見ていた人間が倒れていた。

 

 疲れているのだ、眠っているのかもしれない。起こさない方がいいのかもしれない。

 それでも、得体の知れない感覚に押され、幼い日のアオギリホウオウはおずおずと大きな身体を揺すった。

 

「お父さん……?」

 

 もう動かなくなっている父の背を。

 

 

 

 そうして、思うのだ。

 父が動かなくなったのは、誰のせいなのか。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 ――走る、走る、走る。

 

 

 

 風を切り、地を蹴り、今より一歩前へ。

 胸が痛い、脚が重い、脳が止まれと言っている。

 けれど、走り続ける。

 ただ、心が燃え盛っていた。

 

「違う……こんなんちゃう。もっと、もっとこう……グイッて感じや」

 

 脚を止める。小休止の間に、今度は頭を回して思い起こす。

 

 イメージするのは、葦毛の怪物・オグリキャップ。

 間近で見る彼女の走りは、とても純粋に感じた。相手を威圧するでもなく、全てを置き去りにするでもなく、走る為に生まれて来た幸運を体現するかのように純粋で、真っすぐだった。

 

「よし、行こう」

 

 地を這うほど、極端な前傾姿勢。爆弾を仕掛けたかのような蹴り足。

 当然、真似できるものではない。

 

 けれど、何となく――こういう事かと感得できた。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 次にイメージするのは、坂路の申し子・ミホノブルボン。

 間近で見る彼女の走りは、常に感謝に満ちているように感じた。常識を疑い続ける意志。理想を現実にする意思。そして、自分を支えてくれる人たちへの想い。機械的に見えて、その実とても暖かい。

 

「よし、やるか」

 

 秒針を刻むような走法と、スイッチを切り替えたようなスパート。

 当然、真似できるものではない。

 

 だが、しかし――何かちょっと分かった気がする。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 次にイメージするのは、執念の鬼・ライスシャワー。

 間近で見る彼女の走りは、実に献身的に感じた。自分でなく、他者の為に。個人の幸福ではなく、より多くの祝福の為に。そして何より、自分という身体を通して見る想いの為、彼女の心は勝利への執念に燃えているのだ。

 

「よし、走ろう」

 

 勝利を目指し、狙いを定め、脚より先に心が駆ける。

 当然、真似できるものではない。

 

 でも、なんだか――なるほどな、と思った。

 

「よし、次や」

 

 そして、また走り出した。

 

 場所は昨日と変わらず旅館近くの自然公園。その一角。

 アオギリホウオウは一人、同じ場所を往復ダッシュしていた。

 今朝、基礎的なトレーニングをこなした後、アオギリはトレーナーに直訴したのである。

 

 思うところがあるので、しばらく一人で走らせてほしい、と。

 

 これまで従順に従ってきたアオギリの申し出に、トレーナーはちょっとショックな気持ちもあったが、何だかんだ主体的にモノを言ったのは初めてだったので、これを了承する事にした。

 

 承認を得、アオギリはひとり走り続けた。

 周囲には誰もいない。

 走って、止まって、考えて。

 それからまた、心と向き合って走った。

 

 時が過ぎ、トレーナーに呼ばれて昼食を食べた。しばし休み、また一人で走り続けた。

 しかし、その走る様は往復走のそれではなかった。

 併走か、あるいは模擬レース。もしくは本番さながらのレースめいたトレーニングだった。

 孤独に走るアオギリの姿は、まるで誰かと競う――否、“何か”を追いかけているかの様であった。

 

「なんや、何かちゃう。なんか、合わん……!}

 

 アオギリは走った。

 

「こうやない。こんなんじゃあ、何にもなりゃせん……!」

 

 アオギリは走り続けた。

 

「いや、正解不正解やない。もっとこう……感覚的なもんな気がする……」

 

 無心で、夢中で、ただひたすらに、我武者羅になって走った。

 

 どこかに在る、“運命的な何か”を見つける為に。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 アオギリホウオウは自分が嫌いだ。

 

 

 

 新たにアオギリホウオウを迎えた家は、とても暖かいところだった。

 曰く、遠い親戚にあたるらしい義父は、ふさぎ込むアオギリを気にかけてくれていた。

 ウマ娘の義母は、アオギリの為に温かい料理を作ってくれた。

 

 アオギリ視点、義理の両親は異様なほどに優しかった。

 夕焼けに怯えるアオギリの手を引いてくれた。忙しいにも関わらず、自分の為に色んな所に連れて行ってくれた。まともに話せないアオギリに、根気よく話しかけてくれた。

 何故そこまでしてくれるのか、幼いアオギリホウオウには全く理解ができなかった。

 血がつながっている訳でもないのに。アオギリに借りがある訳でもないのに。

 自分を好きでいてくれるのは、実の父だけであるはずなのに。

 

 優しかったのは、義理の両親だけではなかった。

 白面魚目の自分をあげつらう事なく、普通に接してくるクラスメイトもまた、狭い世界で生きて来たアオギリには理解できなかった。

 要領の悪いアオギリに、分かりやすく教えてくれる教師や、休み時間に遊びに誘ってくれたウマ娘の先輩。通り過ぎると気さくに挨拶をしてくるご近所さん。

 周囲の人たちがあまりにも優しいので、アオギリホウオウは混乱しきりだった。

 

 アオギリにとって、辛くない時間というのは不可解に思えた。

 かつては、家にいる時と、一人で走っている時だけが平穏だった。それ以外は全て、空気を吸う度に胸が苦しかったから。

 だから、アオギリホウオウは優しくされると申し訳ない気持ちになるのである。

 

 こんな自分の為に時間を使わせた。

 こんな自分の為にご飯を作らせてしまった。

 こんな自分の為に居場所を分けさせてしまった。

 

 皆で石を投げ、笑う為の。皆で視線をやり、嗤う為の。

 無価値で、不気味で、不必要な存在。

 父以外には、アオギリホウオウとはそういう存在のはずだった。

 

 そんな穏やかな環境は、徐々にアオギリの心を癒していった。

 絆されるのも、自然ではあった。アオギリは、敏い子ではあったのだ。

 いつしか、アオギリホウオウは、新しい両親の事を好きになっていた。

 

 だが、心の淀みはなくせても、元の歪みは変えられない。

 

 アオギリは血の繋がりのない両親に感謝している。

 感謝があるから、これ以上迷惑はかけられないと思った。

 

 父のように死なせたくないと思った。

 父とは違い幸せに生きてほしいと思った。

 

 だから、アオギリホウオウは一度、自殺を試みた事がある。

 夕方の帰り道、ふと死のうと思って、あてどなく彷徨い、上手く死ねそうな高台を見つけ、柵を超えて……。

 

 それは母の手によって遮られた。

 曰く、近所の人の協力で見つける事ができたのだという。

 

 見た事のない顔をする義母を見ながら、アオギリホウオウの心は冷めきっていた。

 何故、こんなのを生かそうとするのか、理解できなかった。

 むしろ、今の両親に感謝の気持ちがあるから、邪魔者を消そうとしているのにも関わらず。

 

 アオギリホウオウには、死ぬ理由はあっても生きる理由はなかった。

 自分が生きる事で、近くにいる人の重荷になりたくなかった。

 自分がいると、自分の好きな人が死んでしまうと思っていた。

 

 夕暮れに染まる家を覚えている。

 どれだけ疲れていても笑顔を絶やさなかった、アオギリの父であったモノの横たわる居間を覚えている。

 

 アオギリホウオウは自分が嫌いだ。

 幽霊みたいだと言われ、死に装束みたいで不吉だと言われた白い前髪が嫌いだ。

 人魂のように青白く、中心には黒々とした点がある死んだ魚の目みたいな右眼が嫌いだ。

 あまつさえ、ただでさえひと目でそれと分かる目立つ尾花栗毛も嫌いだ。

 

 なにより、父を死なせてしまった奴が嫌いだ。

 弱くて、暗くて、唯一の肉親に迷惑しかかけてこなかったアオギリ自身が大嫌いだった。

 

 そんな、何もかも嫌いな自分を。

 そんな、親愛を示す為に死を選ぶような自分を。

 好きになれる理由がなかった。

 

 

 

 そしてアオギリホウオウは、運命に出会った。

 

 

 

 ある日、アオギリは養父に連れられて東京レース場にやってきた。

 それは日本ダービーというレースだった。

 アオギリホウオウはレースに興味がない。誰が勝っても、誰が負けても何も思わない。

 けれど、周りはそうでもないらしい。

 

 優駿たちが走り、唯一人が勝利する。

 勝者の勇姿に熱狂する人々。手を叩き、讃え、祝福と歓喜を示す割れんばかりの声援。

 父も、母も、勝ったウマ娘を見て笑顔になっていた。

 

 理解はできないが、自分を好きだと言ってくれる人を、両親をそんな風にできる彼女に。

 好きな人を笑顔に出来るターフスレイヤーに、アオギリホウオウは憧れたのだ。

 

 自分も、ああなりたい。

 養父と、養母と、虹の向こうに行ってしまった両親。

 自分を好きでいてくれる、自分が好きな人を笑顔にできる自分に。

 ターフスレイヤーの様に、走りたいと思ったのだ。

 

 

 

 アオギリホウオウの後ろに、“夢”など無い。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 ――走る、走る、走る。

 

 

 

 夕暮れも近くなってきた頃、そろそろトレセンに帰ろうという時間。

 アオギリホウオウは、なおも走り続けていた。

 

 いくら体力自慢のアオギリとて、こうも走り続けていては疲労して当然である。

 疲労の度合い相応に、アオギリの走りからは常の力強さが失せていた。

 跛行し、倒れそうになり、それでもと先に脚を前にやって動き続ける。

 

 無心で走っていたアオギリは、いつしか自身の心の深層に潜っていた。

 思えば、アオギリホウオウは何故自分が此処――レースの世界――にいるのかを正確に把握してはいなかった。

 

 入学の動機は、母の夢を叶える為。

 走り出した動機は、ターフスレイヤーの勇姿に憧れたから。

 なら、今なお自分が走り続ける動機は――何だ?

 

 中央トレセン学園。鬼才秀才、天才たちの魔窟。

 トレセン学園では、色んなウマ娘と出会った。

 尊敬できる先輩や、自分に良くしてくれる友達。同じレースを走ったウマ娘たち。

 動機や信念、実力や才能もばらばらだが、彼女等にはひとつの共通点があった。

 

 ――勝ちたい。

 

 シンプルで、飾り気のない。ウマ娘という種族としてはありふれた、どこまでも純粋な想い。

 

 自分は、どうだろうか。

 勝つ事。目標達成の為には必要があったし、負けるのは嫌だった。勝てば褒められるし、認められた気持ちになるから、悪い気はしなかった。

 けれど、自分はそんなに勝ちたい気はあっただろうか?

 クラシックで競い合ったスペードテンの様に。

 何処までも不屈なインペラトリーチェの様に。

 勝ってなお前を往くトライアンフの様に。

 

 ――次はもっと楽しくなると思うから。それまでがんばってね。

 

 菊花賞、トライアンフの言葉が蘇る。

 その意味を考えたが、分からなかった。

 敗北の味が、自分の走る意味を削り取るかの様であった。

 

 ――勝ちたい。

 

 レースに? 違う。

 トライアンフに? 違う。

 自分の為に? 違う。

 

 勝ちたくない訳でもない。どうでもいいと思っている訳でもない。

 けれど、負けたくないという意思だけでは無い気がする。

 ならば、それは何だというのか。

 

 アオギリホウオウというウマ娘に無いもの。

 決定的に、欠けているもの。

 走る理由。勝利への渇望。

 明確に、言語化できるものがあった。

 しかしそれは、アオギリホウオウという存在の“何処”から生じたものなのだろうか。

 

 疾走の最中、アオギリホウオウはレースの前にそうするように、無意識に自分の中の奥底へと潜っていった。

 

 

 

 心を巡る。

 

 記憶を探る。

 

 夕暮れの先。

 田んぼ道の奥。

 小さな一軒家と、大きな一軒家。

 

 もっと、深く還る。

 

 

 

 いつも笑顔だった父。剽軽な関西弁で喋り、誰に対しても穏やかな人だった。誕生日に、オムライスを作ってくれた。

 写真の中にしかいない、母の笑顔。赤ん坊だった自分を抱き、父に寄り添って笑っていた。大好きな人が、大好きだった人。

 

 真面目で、寡黙で、それでも穏やかな性格の義父。言葉は少なかったが、いつもアオギリを見守ってくれていた。

 お喋りで、明るくて、だからこそアオギリの心を癒してくれた義母。死のうとしたアオギリを、叱るでもなく抱きしめてくれた。

 

 トレセンに来て、同部屋になった親友のカブ。一緒に出掛けた。一緒にご飯を食べた。レースに勝った時も、負けた時も、いつも同じ距離で接してくれた。

 チーム・アルデバランの先輩達。悩むアオギリを導いてくれた。尻込みするアオギリの手を引いてくれた。光り輝く優駿たち。

 共に走ったウマ娘たち。太陽の如く煌めく女帝。真っすぐに道を往く黒騎士、憧れに最も近い白の英雄。理由は分からないが、もう一度共に走りたい強敵。

 

 

 

 憧れの原体験。

 

 ターフスレイヤー。夢幻の蹂躙者。唯我独尊。傲慢な笑み。強者の背中。

 ニンジャトレーナー。献身的な指導者。丹念に、親切に、アオギリホウオウの心身を気遣ってくれた。暖かな手。

 血赤の右眼と、氷青の左眼。

 尊いものを見る、寂しそうな双眸。

 

 栄光の裏側を知った。

 虚飾のない本心を知った。

 告解の如く、過去を知った。

 

 頑迷な語り手の、心の奥の真実。

 言葉の外に、直感した事があったのだ。

 

 云えないのではない。

 云わないのでもない。

 

 

 

 ――彼女は、分かっていないのだ。

 

 

 

「あ……」

 

 と、声が漏れた。

 

 アオギリに欠けているモノ。

 ホウオウに無かったモノ。

 夢も渇望も意志もない、欠陥ウマ娘を形作る最後のピース。

 

 それは、あまりにも呆気なく見つかった。

 誰あろう、自分自身の奥底で。

 

 

 

 ――何を?

 

 簡単だ。

 

 ――誰に?

 

 簡単だった。

 

 ――何の為に?

 

 あまりにも、簡単な答えだった。

 最初から、答えは自分の中にあった。

 

 運命的な何か。

 それは、いつもアオギリの背を押してくれていた。

 

 

 

 新緑の宮殿、その最奥。

 王の霊鳥が目を覚ます。

 光り輝く陽を受けて、双の翼が開かれた。

 

 梧桐鳳凰。

 

 瑞兆の羽ばたきよ――。

 

 

 

 瞬間、アオギリホウオウの身体に電流が走った。

 

 これは悪いものではないと直感できる。脳の閃きとも違う。痛みもない。まるで、クイズの正当に納得がいった時の様な快い感覚。

 それと同時に、何か上手くハマり込んだ感じがあった。99%が100%になった確信。歯車が噛み合い、違和感がなくなり、自分自身のあらゆる機能に合点がいった。

 

 つまりこうだと脚が云う。

 ならばこうだと心が応じる。

 

 そう、これだ。これが、自分にはなかった。

 オグリキャップにもミホノブルボンにもライスシャワーにもアグネスタキオンにも、トライアンフにもスペードテンにもインペラトリーチェにも、カブにもクラスメイトにもターフスレイヤーにもあったこの感じ。

 自分にはなくて、みんなにあったもの。

 

 アオギリホウオウは、皆のいる方へ走り出した。

 芝コースを超えて、ダートコースを超えて、遊歩道を超えた。

 間食を食べているオグリキャップを通り越し、 ランニングをするミホノブルボンを通り越し、 鯉を眺めていたライスシャワーを通り越した。

 

「ほォう……!?」

 

 そして興味深げにこっちを見ているアグネスタキオンを通り越し――。

 

 ターフスレイヤーの前まで来て、急停止した。

 

「師匠ッ!」

 

 目を丸くするトレーナー。それは、単にアオギリが凄い勢いで現れて驚いたからという訳ではない。

 

「あ、アオギリ……!」

 

 見えていた。

 ターフスレイヤーの並ならぬ眼力には、アオギリホウオウの状態が本人よりもよく見えていた。

 

 その胸中に去来したもの、それは“絶望”だった。

 

「ウチ! わかったんです!」

 

 アオギリホウオウは、両手を広げた。

 まるで解放された囚人の様に。

 自由を叫ぶように。

 自分の存在を謳いあげた。

 

「やりたい事が! 新しい目標ができたんです!」

 

 なので、と続けた。

 

「見ててください! ウチの事! 支えてください! 鍛えてください!」

 

 爛々と、その瞳の奥には灼熱の炎が宿っていた。

 

「ウチ、世界一のウマ娘になってくるんで!」

 

 インペラトリーチェが見出した勇気。

 スペードテンが見出した歪み。

 トライアンフが見出した駿才。

 そして、アオギリホウオウが見出した望み。

 

 世界一の称号。

 

 幼稚な夢だ。

 どこまでも、原始的な夢だ。

 だが、その夢に共感できないウマ娘は、いない。

 アオギリホウオウは、はじめて自分の夢を宣言した。

 

「そんな、まさか……!?」

 

 対し、ターフスレイヤーは絶望していた。

 自分の無能に。トレセン学園のトレーナーたちの観察眼の無さに。

 

 何がプロだ。何がエリートだ。賢いだけで、実績があるだけで、家柄が、教養が、何があったとしても、眼前のこれを見逃していては、それはもう偽物でしかないではないか。

 アオギリホウオウを見て来た、全てのトレーナーは無能の烙印を押されざるを得ない。

 

「アオギリホウオウ……!」

 

 心技体。散々、その重要さを説いてきた。

 心を鍛え、体を鍛え、技で以て制御する。基礎中の基礎。

 心は教えた。瞑想と呼吸、集中力の向上。平行し、技と身体も鍛え上げた。地味な反復練習。実践的な技の応用。

 

 身体は出来上がっていた。トレーナーなら、誰でも分かる。入学当初から、アオギリの身体はかなりの完成度を誇っていた。そして思うのだ、考えてしまうのだ。“技”がないのだと。分かりやすい才能がないのだと。

 それは違った。ターフスレイヤーは一歩前を見ているつもりだった。それさえ、違ったのだ。

 

 心と体は表裏一体。片方が欠けていては、真の力は発揮できない。

 心だけでは立ち上がれない。体だけでは成し遂げられない。

 

 体は出来上がっていた。

 心は仕上がっていなかった。

 アオギリホウオウに欠けていたモノ。その一端。きっかけひとつ。

 

 果てしなき夢の階。

 頂きに至る飛翔。

 たった一段、その足掛かり。

 

 

 

「オヌシ、今さっき本格化したのか……!」

 

 

 

 白面、片魚目、尾花栗毛。

 その日、彼女は祝福された。

 運命の三女神によって。




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