それと、本話にもちょっとやらかしてる設定が出てきます。お話が進むともっと出てきます。ご容赦願います。独自設定タグな。
あと今さらですが、本作では有馬記念とかの「馬」はそのまま使っています。(気づいてない訳では)ないです。
なんやかんやありつつ、ともかく練習となって一同は各々運動服に着替える事となった。
そして、件の練習コースにやってきたのである。
「ほえー」
アオギリは広々としたコースに感嘆した。
トレセン学園はトゥインクル・シリーズに出走するウマ娘を育成する日本一のウマ娘養成機関である。当然、その敷地は広大で、その資産は膨大だ。ここは北海道かと思ってしまうレベルの贅沢な土地の使い方である。
金あるったって、いくらなんでも広すぎでは? とアオギリホウオウは入学以来難度も思った事を再度思った。なにせ、今アオギリホウオウ達がいる第3コースはレース用のコースそのままであったからだ。歪なバウムクーヘンめいたコースの中には坂やダートの場所もあるのだから実際スゴイ。
「すごい! ここ、ほんとに走っていいんですか!?」
「もちろんだとも。こういうコースは初めてかな?」
「あ、いいえ! 授業で使った時はもっと大人数でしたし、こんなんチームで独占してええんかなって」
アオギリホウオウに応じたのはアグネスタキオンだ。先ほどの狂人ぶりはどこへやら、彼女はいつの間にやら体操服の上に白衣を羽織っていた。
見れば、チームメンバーは各々準備運動をこなしていた。リーダーは「ほっほっひー」と独特な呼吸で小ジャンプをしているし、ライスシャワーは脚を交互に挙げている。ミホノブルボンは規則的に正拳突きを繰り返していた。なぜ正拳? アオギリホウオウは訝しんだ。
とはいえ訝しんでいる暇はない。これからトレーニングなのだ。それに加えて憧れのウマ娘が監督してくれるのだから、おのずと気合が入るというもの。アオギリホウオウは授業で習った通り肩をグルグル、膝をクイクイやったりして全身の感覚を確かめた。
そうして身体全体を温めていると、コースの入り口から例のニンジャトレーナーがひょっこり現れた。その手には「ウマ娘の半分は水」「熱中症注意な」と書かれたウォータージャグがあった。かなり重そうだが、その体幹には一切のブレがなかった。
「さて、ウォーミングアップは……タキオン=サン」
「問題ないように見えたけどね」
「なら良い」
言葉少なに意思疎通したトレーナーは、ド迫力のウォータージャグを置くと姿勢を正して注目を集めた。
「はい注目。今しがたアオギリホウオウ=サンのチーム入りが認可された故、これからまた例によってトレーニングを始めるぞ。まずアオギリホウオウ=サンだが、本格的なトレーニングの前に能力検査をする。その後、何度か模擬レースを行う故、各員はそれまでここに書かれたメニューをこなす事。とはいえ帰国してそれほど間がない。何か不調があった場合はすぐ報告するように」
言って、ニンジャトレーナーは懐から用紙を取り出し、葦毛と栗毛と黒鹿毛のウマ娘に手渡した。
アオギリホウオウには渡されなかったので、ちょっと不安になった。それに能力検査と聞くと緊張してしまう。
「タ……トレーナーさん、検査って何ですか?」
「うむ、オヌシの適正を見るのだ」
アオギリホウオウは首をかしげた。それはもう申告しているはずだ。
ニンジャトレーナーはタブレット端末を操作しつつ、アオギリホウオウに目を向けた。
「一応、オヌシは芝向きのステイヤーという事になっているが、これは画一的なテストによって導き出された解に過ぎん。ちゃんと合っているかどうかは、実際計ってみんと分からんな。故、今からより綿密にデータを取り、より詳細な適性を計る訳だ。後日には病院で精密検査もするので、すまないがオヌシの休日を潰してしまう事になる。付き合ってもらうぞ」
検査と聞いて心臓バクバクのアオギリだったが、説明を受けるとちょっと安心した。
理屈が分かると納得できる。納得できるとモチベが湧くというものだ。
「あ、ありがとうございますっ」
「こっちの都合だ、礼には及ばん」
言いつつ、ニンジャトレーナーはタブレットを脇に挟むと、懐を漁った。
「ところで、このリングを見てくれ。こいつをどう思う?」
手渡されたそれは手錠サイズの二つの輪っかだった。表面には模様や文字はなく、オシャレアイテムといった雰囲気はない。
アオギリホウオウは正直に答えた。
「いかにも測定器って感じですね」
「いかにも、測定器だ」
ニンジャトレーナーは満足げにうなずくと、それぞれ手首と太ももに装着するよう促してきた。少し恥ずかしい気持ちになりつつ、アオギリはそれに従って輪っかをはめた。すると、測定器はがっちゃんことフィットした。見た目の割にハイテクである。
「安心しろ、さっきも言った通りただの測定器だ。色々な場面の体温、脈拍、血圧などを測れる。預けるから、練習中はこれを着けてくれ。着けた感じ、何か違和感があれば言え」
「はい、わかりました!」
元気に返事をしつつ、アオギリは着けてみた感覚を確認した。腕を動かしたり脚を動かしたりしてみる。特に動きを阻害する訳ではなさそうだ。
問題ないことを伝えると、ニンジャトレーナーは再びタブレットを手に取り、説明を続けた。
「これはバイタルデータ以外にも手足の動きも計測してくれる。これを使ってオヌシの基礎的な身体能力を診させてもらう。疲労時のデータも取る故、実際きついが頑張ってくれ」
「はい!」
やる気は十分。アオギリは威勢よく応え、そうして能力検査が始まった。
能力検査は特に難しいものではなかった。
指定された場所から全力疾走して、トレーナーを通り過ぎたタイミングでストップウォッチを止める。それだけの作業だが、違う距離違う場所で何度も行うとこれがどうにも疲労する。
ある程度走った後は時折休憩である。その都度アオギリはトレーナー手ずから関節の隅々をぺたぺた触られて、筋肉や骨の具合を精査される事となった。ひんやりした手がくすぐったかった。
その間、ニンジャトレーナーは「ふむ」とか「ナルホド」とか呟いていた。トレーナーには何か分かるものがあるらしい。
「はぁ……! はぁ……!」
走り、止まり、少し走って全力疾走……。
何度目かの検査の後、ニンジャトレーナーは大きな声を上げた。
「アオギリホウオウ=サン! 次はライス=サンと併走だ! やり切ってみせろ!」
「お、押忍!」
言われて、アオギリホウオウはライスシャワーと走る事になった。
「よろしくね、アオギリちゃん」
「よろしくお願いします!」
いざ一緒に走ってみると、聞いていた通りライスシャワーというウマ娘は生粋のステイヤーである事を身を以て思い知った。。
無駄のない走りに、どこまでもついてくるような粘っこさ。何よりその位置取りが絶妙だ。時に風よけにされ、時に視界の隅に陣取られ、油断すると今にも追い抜かれる予感がして、走っている間はずっと気が気ではなかった。
「よし、次はブルボン=サンと併走だ! 追い抜く気概で行け!」
「押忍!」
次いでミホノブルボンとの併走。
「よろしくお願いします。アオギリホウオウ=サン」
「よろしくお願いします!」
いざ一緒に走ってみると、ミホノブルボンというウマ娘は恐ろしく精妙な脚捌きをする逃げウマ娘だった。
決まった歩幅と呼吸。乱れの無い走行は追いかける側としては実にやりやすい相手だった。けれど、地力があまりにも違う。上手く走れたが、それでも全く追いつけなかった。正面から壁にぶつかり続けたような気分である。
「おやおや?」
「ふむ、ナルホド……」
そうして併走を終えると、いつの間にか現れたアグネスタキオンも混じってアオギリの検査風景を眺め見ていた。
流石にきつくなってきてぜぇぜぇ呼吸するアオギリを見て、一度逡巡した後にトレーナーは声を上げた。
「アオギリホウオウ=サン! 最後にもう一本! 坂の前100からここまで! ダッシュだ!」
「ンォ押忍ッ……!」
体力には自信があったが、さすがにギリギリだ。けれど、言われたなららそのようにする。アオギリホウオウは感覚のない脚を叱咤し、再度走り出した。
アオギリは無心になって走った。既に体力の限界だ。だが、今はそれを計っている。ならば走らねばならない。
そして、アオギリホウオウは朦朧とする意識のままゴールした。
「ナイスファイト。アオギリホウオウ=サン、休憩だ」
言われて気づく。倒れるようにして休憩用チェアに座り込むと、アオギリホウオウは手渡されたドリンクをちびちび飲み始めた。声を出すのも億劫だった。
しばらくして体力も回復してきた頃、データを眺め見るトレーナーにアオギリは訊いた。
「どうでしたか?」
「うむ、だいたい分かった」
全力以上を出して走り切ったという感覚がある。アオギリはちょっぴり誇らしい気持ちになっていた。結構いい感じなんじゃないだろうか。
対し、トレーナーはタブレットに目をやったまま……。
「オヌシはアレだな」
数度タップした後、視線が合った。
「極端にズブいな」
「ズ……!?」
聞いて、アオギリはガビーンとなった。
ズブいとは最高速に至るまでが遅いという意味で、レース中にエンジンがかかり難いウマ娘に対して使われる言葉だ。
ウマ娘的にはズブくないに越した事は無いので、言われて嬉しい言葉ではない。
あと語感が嫌だ。
「それと走りが下手だな。恐らくフォームが合っていない」
またもアオギリはガビーンとなった。
レースを走ると決めた後、変ちくりんだった走行フォームの矯正にどれだけ心血を注いできた事か。それを否定されては、結構心にくる。
「あと純粋に脚が遅い」
ワンツーからのストレート。アオギリはガビーンし過ぎてボロボロの灰になった。
なまじフィジカルそのものには自信をもっていただけに、こうまで言われるとは思っていなかった。速さ云々は分かっていた事だが、それでもこうして突きつけられると辛い。
ふにゃんと、アオギリの耳が垂れた。
「私が言うのもなんだが、君はもう少し言い方というものを学ぶべきだと思うね。彼女、ショック受けてるじゃないか」
「む……すまぬ」
呆れるようなアグネスタキオンに対し、ニンジャトレーナーは呻いた。どうやら言葉選びに失敗した事に気づいたらしい。トレーナーはタブレットから目を離し、今度はアオギリの目をしっかり見て云った。
「まぁ弱点のないウマ娘など存在しない。個性としてみるべきだな。それに、オヌシには明確な美点がある。見てみろ」
ニンジャトレーナーはアオギリにタブレットを見せた。そこには、これまでの検査結果が表示されていた。
しかし、
「……よく分かりません」
アオギリにはそれが何を意味しているのかがまるで分からなかった。
というのも、画面にはあれやこれやの英数字がビッシリ書いてあって、たまに見かけるグラフやひし形のパラメータみたいなのは一切なかったからである。
「おもしれぇデータって事だ」
トレーナーは再度タブレットを引っ込めると、言葉を探すように考え込み、やがて口を開いた。
「オヌシは脚こそ遅いが、心身共に持久力に秀でている。心身共に、だ」
「心身、ですか」
「うむ」
ここが肝腎なのだ、と続ける。単に体力があるウマ娘というだけではないという事だ。
スタミナは凄い。それは入学当初から言われていた事であり、アオギリが早熟なだけのウマ娘と揶揄されるようになるきっかけでもあった。自覚もあるし、武器だと思っている。けれど、それだけで勝てたのは入学当初の短い間だけだった。
「肺活量が多い。血流量が多い。全身の筋持久力が高い。ざっとこんなところだが、やはり特筆すべきは疲労時の底力だ」
「底力ですか?」
末脚の事だろうかと、アオギリは思った。けれど、自分には差しウマ娘的なロケットめいた末脚はない。これも自覚がある。
アオギリの思っている事は承知しているようで、ニンジャトレーナーは「少し違う」と答えた。
「人には向き不向きがあるように、ウマ娘の脚質にも色んなタイプがある。脚は速いが体力のない奴。タイムは良いが本番だと弱い奴。加速も最高速も並みだがやたらコーナーの上手い奴……色々な奴がいる」
例えば、エイシンフラッシュというウマ娘。彼女は凄まじい末脚を発揮できる代わりに、それはほんの少しの時間しか保たないであるとか。
例えば、ゴールドシップというウマ娘。凄まじいパワーとスタミナのある彼女なら超が付くほどのロングスパートをかける事ができるだとか。
基本、他のウマ娘に興味の薄いアオギリでも知っているようなスターの名を挙げつつ、ニンジャトレーナーは説明を続けた。
「オヌシの場合、前述のどれにも当てはまらない。そしてとても希少なタイプだ」
希少と聞くと、アオギリホウオウはあまり良い気持ちにはなれない。脚質でも希少と言われて、ちょっと微妙な気持ちになった。
「基本、ウマ娘が全力疾走できる時間というのは約40秒弱と言われている。それは生物としての、ウマ娘という種としての限界でもある訳だな。故、末脚勝負のウマ娘は如何にしてこの40秒弱の全力を活かすかを考える」
もちろん、例外もあるがな。そう続けるニンジャトレーナーの話を、アオギリは耳をおっ立てて聞いていた。
「で、いくら武器を鍛えたところで勝てなければどうしようもない。そうして練り上げた末脚をレースで十全に発揮するには、どうすればいいと思う?」
その問いかけはアオギリに理解を促すものだった。
習った事だ。これには簡単に答えられる。しかし、実際複数の答えがあるこれは、アオギリ自身が一番納得できる回答である必要があるのだろう。
アオギリは一度うむむと考えてから、自分が一番納得できる回答をした。
「スパートに備えてスタミナを残しておく……だと思います」
「そうだな。疲れていては走れない。一応、他にもあるが、いまいち納得できぬのだろう?」
それはそうだろうと、アオギリホウオウは思う。それでは勝てないから差しウマ娘は控えて機を伺う訳で、みんながみんなツインターボ化しては、現代的なレースとは言えまい。
位置取りとか、展開予想とか、そういうのよりアオギリ自身が納得いく答えがコレであった。
「疲れていてはレースはできぬ、道理だな。しかし、どうやらオヌシはその道理が通じんようだ」
その声色には、うっすらと笑みが含まれていた。嘲りや侮りではない、道端で小銭を拾った時のようなラッキーを喜ぶ笑みだ。
ニンジャトレーナーはタブレットを何度か操作して、アオギリ視点でも分かりやすくしてから画面を見せて来た。
画面には計測時間と回数とタイムが時系列順に並んだ数値が書いてあった。タイムの欄には、誤差こそあれ似たような数字が並んでいる。
「見ての通り、オヌシが最初に計った時と、何度目かに計った時では、その疲労度の程は全然違う。あまつさえラストは坂越え直後のダッシュだ。にも関わらず、同距離の検査であまりタイムが変わっていない。オヌシ、疲れてても全力出せるだろう?」
言われてみれば、とアオギリの脳裏に思い起こされた記憶があった。
以前、授業でやったマラソン大会でアオギリホウオウが一位になった事がある。最後らへんになってくると同じくスタミナ自慢のウマ娘との一騎打ちになったのだが、お互いヘロヘロになりながらも先にゴールしたのはアオギリだった。
ラスト300、既に体力の限界を迎えていたアオギリだったが、こなくそ負けるかと末脚を使って勝ったのである。競っていた方は走り切るのがやっとな感じだった。アオギリ視点、スパート勝負で勝てるとは思ってなかったのだが、そういう問題ではない事を当のアオギリは理解できていない。
「つまりだ」
ギラリと、キツネ面の奥で油断なきトレーナーの目が輝いた。
「オヌシはどれだけ疲れていても自身の最高速を発揮する事ができ、かつ全力疾走を長く維持できる特質があるんだよ」
アオギリは首を傾げた。それは単にスタミナがあるというだけの話ではないのか? いまいち違いが分からないアオギリに、ニンジャトレーナーは端的に云った。
「天稟だ。中央レベルでも十分通用する程のな」
「そう、なんですか?」
それは、これまで否定され続けてきたアオギリホウオウという競技者を賞賛する言葉だった。
スタミナがあるのは、早熟だから。脚が遅いのは、どうしようもない。走り方が変で、レース運びが下手で、それでもそんな自分を肯定してくれる言葉だった。
どうにもこうにも、とても嬉しい言葉だった。
「そして、オヌシは脚が遅いと言ったがな、あれは半分嘘だ。見てみろ」
呆然とするアオギリホウオウを尻目に、ニンジャトレーナーは再度端末を操作して次なるデータを映し出した。
画面右にはライスシャワーの顔アイコンと距離とタイム。画面左にはミホノブルボンの顔アイコンと距離とタイム。それはさっきの併走のデータだった。
「ライス=サンと走った時と、ブルボン=サンと走った時のデータだ。それぞれ、前者では平均以下の加速度だが、後者では実力以上の加速力を発揮しているのが分かる」
畳みかける様に、ニンジャトレーナーは言い放った。
「オヌシ、自分より強いウマ娘を追っかけている間は凄まじい力を発揮してるんだよ。前述の特性も相まって、優秀な逃げウマ娘にとっては天敵だな」
「あ、え、それって……」
つまり、展開次第では自分にもレースで勝てる能力があるという事ではないか?
アオギリホウオウは希望を抱いた。自覚のなかった素質だ。自覚をさせてくれた特質だ。もしかしたら、行けるのかもしれない。
アオギリホウオウは、トレセンの教員よりも自分に詳しいトレーナーに強い尊敬の念を抱いた。
「まぁ追いかけられると弱いんだが……」
という、ニンジャトレーナーの声は聞こえていなかった。
とはいえ、アオギリに自信をつける事はできたようである。ニンジャトレーナーは咳払いをひとつして、話をまとめた。弱点と対策は後日伝えればいいだろう。
「結論。オヌシは速いウマ娘ではないが、強いウマ娘だ。スタミナがあるから練習も捗る。これからどんどん伸びていくぞ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
そのように言われては、否応にもやる気が上がるというもの。
自分ではない誰か、もとい目標にしてきたウマ娘からの指導は何よりも心に染みた。
「さて、才能を自覚したところで、次はレースでの適性を見ようか。休憩した後に模擬レースを行うぞ。やり方は各々に任せるが、これはあくまでアオギリホウオウ=サンの適正を見る為のレース故、何度か行う事を念頭に走ってくれ。コースは……」
ニンジャトレーナーが他のメンバーにも説明している最中、アオギリホウオウは教えられた自分の素質を咀嚼していた。
自分に、本当に言われた通りの特質があるならば、あとはそれを扱う自分の問題だ。
なら、やってやろうという気になった。
模擬レース。相手は伝説級の先輩方。勝てるはずがない。並び立つ事さえおこがましい。けれど、そんな相手に勝とうとしないウマ娘はスタートラインにさえ立てていない。気概だけでも勝つ気で行かねば。これはテストのレースなのだ。
「よし……!」
指示に従い、位置に着いた。レースと聞くと、やはり緊張してしまう。けれど、心は入学当初の頃より猛っていた。
脚の具合を確かめる。疲れはない。回復が早いのは共感からも言われた事だ。十全に自分というウマ娘を稼働させられるという確信があった。
スターターのタキオンを横目に、レースに集中した。
「いちについてー。よーい……」
パァン! 控えめな空砲が鳴り響いた。
次の瞬間である!
「イヤーッ!」
スタートとほぼ同時、ミホノブルボンが先手必勝とハナに立った。アオギリホウオウ自身、好スタートを切ったつもりだったが、彼女の正確さは文字通り他の追随を許していない。
(((今走っとんのはウチ含めて4人、本番のレースに比べりゃかなり少ないけど、それでも位置取りには注意やな)))
アオギリホウオウは走りながら、周囲との間隔に注意を向けた。レースはスピードだけではない、こういった駆け引きも大事なのだ……とトレセンの教師が言っていた。正直よくわかっていないが、とにかく実践だ。
先頭を走っているのはミホノブルボン、その後ろぴったりと張り付いているのはライスシャワーだ。左右を伺ってみると、ちょうどアオギリホウオウの斜め後ろに葦毛の影があった。
アオギリホウオウはアオギリホウオウなりに考えて、自分のスタミナを信じて今の位置をキープする事にした。できるだけ良い位置から貯めた末脚を解き放つのだ。
さっき言われた才能というのを、自分の意思で発揮してみたい。レース中、アオギリの思考にはカッコよく走るという欲があった。
駆け引きもなく、位置取り争いもなく、レースは緩やかに進んでいく。
レースは終盤が見えてきて、坂を上るタイミングになった。走行中の緩やかな販路はまるでウマ娘を拒むかの様である。けれども問題ない。坂を登るパワーは残っている。駆け上がる脚を繰り出すべく踏み込んだ、瞬間の事であった。
アオギリホウオウの右。埒のすぐそば、最内の隙間に、一陣の風が吹いた。葦毛の影が頬をかすめ、穴を縫うようにほんの僅か前を往くウマ娘あり。オグリキャップだ。
彼女はスタート以降から今に至るまで、ゆったり油断なく機を伺い、アオギリの気の隙間を突いて加速してのけたのである。
(((マズい! いま前行かれたら無駄に逸れやなあかんくなる! アカンアカンアカン! とにかく前には!)))
アオギリホウオウは動揺による反射で、販路を登る脚に必要以上に力を込めた。
(((行かせん!)))
最善の位置は譲らない。アオギリホウオウはパワー任せに現状の維持に成功した。今まさに抜き出んとした影と並びかける。その時、目が合い、悟った。
ほんの僅か、揺らぐべくもない凪の瞳。水面に石を投げ込むように。それは侮りではなく、最善の一手でさえない。遥か高みから、子の成長を見守るような温かな眼差し。
アオギリホウオウは、上級者の“かわいがり”に綺麗に引っかかってしまったのである。
最終コーナーに差しかかった頃には、既にオグリキャップはアオギリホウオウの後ろで長い末脚を構えていた。一方、動揺して気の逸れたアオギリホウオウは脚が空回りしてこれ以上速く走れそうにない。スタミナがどうのとかではなく、意識がブレて機を逸したのである。
見れば、先頭集団は既にスパート姿勢に入っている。対し、自分はギアが上がらない。如何な体力が残っていたとて、追いつけるビジョンがまるで見えない。
(((これは、負けパターンに入ってもうたかな……)))
我知らず、アオギリホウオウは埒の向こう側を見ていた。そこに憧れの象徴が立っているからだ。アオギリは、いつも彼女に勇気をもらっていた。
純白の流星が目に入る。真紅の右眼がアオギリホウオウを射抜いていた。その瞳には、強固な意思と矜持が満ちていた。アオギリホウオウはその視線の意味するところは分からなかったが、その瞳に映る自身の姿だけは不思議とハッキリ認識できた。
歴代最強と謳われ、常勝無敗の大記録を成し遂げた伝説のウマ娘。その瞳に映るもの。それはあまりにも未熟で、レース終盤で勝利を諦めかけている情けないウマ娘の姿だった。それはどうにも不似合いで、何より恰好が悪かった。
アオギリホウオウ自身、子供っぽい理由かもしれないと思うところがない訳でもないが、それはそれとして……。
(((練習でも、本番でも、途中で諦めちゃあ恰好悪すぎやろ……!)))
ああいうウマ娘になりたくて走っている。そういうウマ娘になりたいと思った事は、一度もない。
最終直線。前に2人。残り直線約500。さっき言われた武器を活かせるポイントだ。才能を自覚した今、ゴールするまで諦められない。諦めきれないから、アオギリは直感に従った。
本能的に、アオギリはフォームを崩した。そして、空転する脚を振り上げ、杭打つように思い切り大地を踏みつけた。回帰する、退化する。かつて、非合理で変ちくりんと言われ矯正を余儀なくされた走行フォームへと。
掌を畳む、その手はネコ科動物が爪を立てるが如く。姿勢を下げる、その背は猛禽が獲物を狩るが如く。そして脚を、大きく大きく前に出した。それはまさに、超が付く程の大跳び走り。今にも転びそうで、しかし一度も転んだ事のない。アオギリホウオウ、幼少の日の再現。
鎖の一つが今、音を立てて砕かれた。
「――ォオォォォアアアッ!」
全身全霊。アオギリホウオウの最後の末脚が解き放たれる。風を漕ぐように腕を振る。木の根を跨ぐように脚を出す。段階的に、断続的に、それは見えざる手に押されているように加速する。景色がブレる。自分よりも強く栄光に満ちた背が二つ、グングングングン迫ってくる。
「……!?」
「今!?」
先頭2人組、捉えた! 栗毛の脚は最高のペースを維持し、黒毛の脚が時を待つ。そんな2人の駆け引きを、後ろから追っかけまわしてグダグダにしてやる! アオギリホウオウは歯を食いしばり、血液に宿るウマ娘的本能に活を入れた!
ブルボンの脚が、僅か揺らいだ。ライスの心が、僅か逸らされた。その様子を、観察者二人は見逃さなかった。アオギリホウオウ、おもしれーウマ娘。常識外れの異能の片鱗が、今まさに開花していた。
けれども、実力差は如何ともしがたい。
直線残り200。葦毛の怪物が目を覚ます。あくまで身は低く、あくまで脚は深く、膝と足首と足指の連鎖が、尋常ならざる爆発力を生んだ。アオギリホウオウ視点、ほんの一瞬の出来事であった。
そして、思い知る。アルデバランはスターの集まりだ。ニュービーの全力に負けるほど、弱くはない。ミホノブルボンが、ライスシャワーが、オグリキャップが、最後の最後に理性を超えた本能をむき出しにした。
やがてゴール版を抜き去ったのは……。
「ふぅー。ま、こんな感じか」
葦毛の怪物。氷の瞳がターフの先をぼんやり眺めていた。
「はあ……ちょっと、力んじゃったかな。有馬記念みたいに走っちゃった」
「肯定。最終直線、ペースが乱れてしまいました。ニューロンにエラーを検知」
当然として、勝ったのはレジェンドウマ娘だった。先着オグリキャップ。続くライスシャワーとミホノブルボン。アオギリホウオウは何バ身も遅れての敗北だった。
レースの後、アルデバランの面々は余裕綽々といった風体であった。
「はぁ……はぁ……!」
アオギリホウオウはというと、力尽きて膝に手を当て肩で息をしていた。文字通り、全身全霊で以てこの模擬レースに挑んだのだ。自慢の体力も底を突いている。
「うむ。各々調子を崩している者はいないな」
見れば、手に手に4つのストップウォッチを握ったトレーナーがチームのメンバーに一言コメントをしていた。
やがてそれが終わると、トレーナーはアオギリホウオウを見た。一瞬、アオギリホウオウはどきりとした。不安、焦燥、後悔といった負の感情が胸中に湧いて出た。変な走り方をして、結果を出せなかった。
我ながら、情けない走りをしてしまった。醜態を晒した。下手すぎる、凡走以下だ。
「まさか体力0まで出し切るとはな。だが、見事に走り切った。アオギリホウオウ=サン、スゴイぞ」
頭ひとつ上から、優しい声がかけられた。
それは上位者からのお褒めの言葉ではあったが、アオギリにとっては冷たさを感じる言葉だった。
「と言っても、嬉しく思う性質ではないか」
「はい……」
会って間もない二人だったが、ニンジャトレーナーはアオギリというウマ娘の本質の一部を感得していたようである。
褒められて嬉しく思うウマ娘がいて、責められて奮起するウマ娘がいる。トレーナーとは、それぞれに合った対応をすべきなのだ。
「まぁしかし、デビュー前のオヌシがオグリ達相手に本気を出せたのだ。それは間違いなく、最高の成果だ。これは覚えておくべきだな」
頭ではわかっている。アオギリホウオウはデビューはおろか選抜でも模擬でもレースに負けてきたウマ娘だ。そんなウマ娘が、日本や世界のGⅠで走っているウマ娘と競って、練習とはいえまともなレースになる訳がないのである。
分かってはいるが、憧れのウマ娘に良いトコ見せようとしたかったのは、それはそれなのだ。あまつさえ矯正前の変な走りをしてしまった。これはどうにもレースに向かない。必死になっていたとはいえ、抜けていないのである。
事実、勝てていた時期は矯正以後のフォームなのである。勝つ為の走りでなく、キレてやった走りだった。自分を御せないウマ娘が、どうして中央で勝てようか。
なおも気落ちするアオギリを見かねてか、ニンジャトレーナーは腕組み姿勢になって、しばし考えた。共感か、激励か、何がアオギリにベストなのか。
しばし考え、やがて声色低くおごそかに云った。
「ところで、アオギリホウオウ=サン。オヌシは何故走る?」
「何故、ですか……?」
唐突な問いかけ。
それは、意志を問う言葉だった。
伝えたい事があるのではなく、アオギリの中の答えを促す問いだった。
アオギリホウオウの目標は、既に伝えている。
クラシック路線。願わくば三冠。
けれど、その夢の重さは入学してすぐ痛感した。そも、英傑揃いのアルデバラン・メンバーでさえ、三冠ウマ娘はいないのだ。
目の前にいる、ニンジャトレーナーを除いて。
赤と青の瞳。目が合う。最強のウマ娘の視線は、どこまでも慈しみに満ちているように感じた。
モニター越しの瞳とは、まるで違う。
今、訊かれているのは動機だ。
目標でなく、目標に至る為の意志。意思の源。それを問われている。
それなら簡単だ。しっかりと答える事ができる。
アオギリホウオウは、胸を張って答えた。
「オカンの夢です!」
ニンジャトレーナーは静かに聞いていた。
「オカンは未勝利ウマ娘やって言うてました。やからウチが、オカンが走れやんかったクラシックを走るんです!」
アオギリホウオウの母は、地方トレセンに所属していたウマ娘だった。
ギリギリ地方トレセンに入学できた程度で、ギリギリ出走ができた程度の、十把ひとからげのウマ娘。それが母なのだと、母が言っていた。
母は脚が遅く、体力がなく、パワーに欠けていた。それでも走る事は大好きで、レースも好きだった。好きこそものの上手なれとは言うが、下手の横好きで勝てる程、地方レースは甘くない。
そんな母が、アオギリに語った事がある、過去の夢。
中央トゥインクル・シリーズのGⅠレース。クラシックという輝かしい大舞台。歓声と熱狂。夢の集う場所。一度だけでも、走ってみたかった最高のレース。
夢を語る母を見て、アオギリはクラシックを目指す事にしたのである。
その意志に一切の嘘はない。
「そうか」
ニンジャトレーナーは神妙に頷くと、しばし思案するように沈黙した。
そうして、腕組みを解いてから、言い聞かせるように口を開いた。
「目標はモチベーションと直結する。夢があるのとないのとでは、その道程たるトレーニング効率には雲泥の差が出るものだ。その目標、努々忘れるなよ」
「はい!」
怪人スーツニンジャのトレーナーらしい言葉に、アオギリホウオウは素直に応答した。
意識の向け先が変わったからか、アオギリの目は次を見据えはじめていた。その目を確認すると、ニンジャトレーナーは小さく頷いた。
「よし、休憩の後は各々の練習メニューを行う。ブルボン=サン、脚を見せてくれ」
「かしこまりました。メンター」
そう言って、トレーナーはチームメンバーの脚の様子を確認し始めた。
ミホノブルボンの白くしなやかな脚が晒され、トレーナーはそれをぺたぺた触って筋肉や骨の具合を確かめていた。
アレはちょっと恥ずかしい。そう思うアオギリだったが、ブルボンは慣れているようで表情ひとつ変えていない。いや、何となく嬉しそうだ。
アオギリはその様を眺めながら、言われた通り水を飲んで休憩していた。
トレーナーがあれこれ話しているのを聞いていると、そこでちょっと気になるワードが飛び込んできた。
「ライス=サンは給水だ。1分休め」
「はい、お師匠様」
ニンジャトレーナーとライスシャワーによる、何気ない指示と応答。
ただ、そのライスシャワーの返事にこそ、アオギリの耳がビコッと反応した。
師匠? トレーナーじゃなく? というか、他の先輩もちょっと変わった呼び方をしてたような……モルモット?
「トレーナー、師匠……」
師匠。学や技を教える人のこと。
師匠と聞いて、真っ先にイメージするもの。それは金剛八重垣流の師範の姿だった。厳しく、優しく、真っすぐに、アオギリホウオウに指導してくれた人だ。
とても良い人だった。
「師匠、かぁ……」
なんか、すごいしっくりきた。
語感といい。何といい。とても口当たりのいい呼び方だ。
「ん?」
そんなアオギリの呟きを聞いてか、各々のコンディションを確認し終えたニンジャトレーナーがアオギリの方を見た。
「師匠!」
「お、おう」
突然の閃き。突然の大声。ニンジャトレーナーの困惑をよそに、アオギリは脳から直接言葉を放った。
「師匠! ウチも師匠の事、師匠って呼んでいいですか!」
「もう呼んでるではないか」
苦笑しつつ、それは了承された。
ターフスレイヤーもとい、ニンジャトレーナもとい、アオギリホウオウの師匠。
トレーナーより、しっくりくる。
それから、練習中アオギリホウオウは師匠師匠と連呼するのであった。
こうしてアオギリホウオウの初めてのチームトレーニングが終了した。
初のチームトレーニングでみっちり絞られたアオギリホウオウは、びっくりするほどおいしく夕食を食べた。
布団に入ると、これ以上ないほど熟睡できた。
一瞬たりとも、悪夢を見る事なく。
安心しきって、ぐっすりと眠った。
つまり、アオギリホウオウは桜木花道みたいな性能をしているという事。