これマジ? 文字数に比べて話が進んでなさすぎるだろ。
本話を書くにあたり、鈴木祐氏の一部書籍を参考にさせて頂きました。(とはいえちゃんと書けてる自信は)ないです。
「へぇ~、それでチームに入る事になったんだ。アオちゃんは」
中央トレセン学園は大食堂。かしましく昼食を摂るウマ娘たちの中、アオギリホウオウは来るハードトレーニングに備えてお昼ご飯を食べていた。
アオギリのいるテーブルには二人のウマ娘がいた。白面と鹿毛。アオギリホウオウと相席する鹿毛のウマ娘は関心半分のニュアンスで云う。対し、アオギリホウオウはサラダをばくばくスープをごくごくやりつつ、機嫌よく返事をした。
「うん、やっぱトレーナーに指導してもろて練習するんは自主トレとは全然違うんやなぁって思った。あと、先輩方もみんなええ人やから良かったわ」
言って、アオギリホウオウは眼前の特盛チャーハンに食らいついた。咀嚼中ももごもご話したがるアオギリホウオウをたしなめつつ、相席ウマ娘は水の入ったコップをつんつん突いた。
「チームかぁ。あたしもチーム入りの方狙った方がいいのかなぁ……勧誘された事ないけど」
言葉の最後はごく小さかった。その耳は垂れ、尻尾はしおれていた。ウマ娘は素直に感情が出るのである。
「ん? カブは専属トレーナーと契約したいって言うてたやん?」
頬袋の中身を嚥下したアオギリホウオウ。対して、カブと呼ばれたウマ娘は鹿毛の耳をいっそう垂れさせた。
「理想は……うん、優しくてイケメンで将来有望なトレーナーと二人三脚が良かったんだけど、現実を知ったというか。あたし、レースの成績ほんとダメダメで……ダート専門のチームはいつでも募集してるみたいだし、そっち狙った方がいいのかなぁって」
あたしもデビューしたいし、と続けた栗毛の耳が立った。
彼女の名は、カブ。
アオギリホウオウにとって、このウマ娘は此処トレセン学園で初めてできた無二の友人であり、寮のルームメイトである。
入学当初、アオギリホウオウに最初に話しかけてくれたのがカブであった。以降、二人は無二の友人になった。トレセンにおけるアオギリの交友関係の多くはこのカブを経由して作られたといっても過言ではない。今、こうして普通に学校生活を送れているのはカブのおかげだと、アオギリホウオウは思っている。
「アオちゃんもデビューするんだよね? 遠くないうちに」
「ん、そのつもり。でも、そのへんはタぁ……師匠にお任せしとるで、実際いつになるかはまだ分からんけど」
無意識に「ターフスレイヤー」と言いかけたアオギリホウオウだったが、すんでのところで言い直した。みだりに言ってはいけないのだ。
カブにはアオギリホウオウとトレーナーとの出会いについて、その辺はぼかして話したが、かの強豪チームに入った事は思いっきり自慢してしまっていた。無神経というか何というか、アオギリのそういうところは信頼の証である事をカブはちゃんと理解していた。
チーム・アルデバラン。
入学時点のアオギリホウオウでさえ、名前だけなら知っていた程の有名なチームだ。
アルデバランと言えば、国内外の重賞レースを荒らしまわる猛者が在籍する少数精鋭のチームである。最近、長期の海外遠征から帰ってきたばかりなのだという。
だが、そのトレーナーはというと世間ではあまり知られていない。曰く、トレーナーは大のメディア嫌いで露出を極力控えているのだともっぱらの噂である。
ほんのたまに雑誌にトレーナーの記事が載ったりしていた時も、例の頭巾にお面スタイルで決して顔を晒さないというのだから筋金入りだ。
とはいえ、お面の中を知っているアオギリホウオウからすれば、納得のいく話であった。
「デビューかぁ……」
ため息と共に出た呟き。
嫌なモノを吐き出して、気分を変えるようにカブは冷たい水で口内を潤した。ぺしっと尻尾が揺れて、カロリーを燃やし元気を出す。腐っていては走れない。
「でも今年はけっこうライバル多いっぽいよ。クラシックは」
「そうなん?」
「そうなんって、それくらいは調べとこうよ」
飽きれるように苦笑しつつも、その口ぶりに嫌味はなかった。何だかんだ、一年間部屋を一緒にしているのである。
「例えば。ほら、あそこにいるウマ娘とか……」
カブは声を潜めつつ、視線でとあるウマ娘を差し示した。
見てみると、そこには優雅にティータイムを楽しんでいる二人のウマ娘がいた。
栗毛と黒鹿毛の組み合わせだ。栗毛の方は見覚えはあったが、黒鹿毛の方は全く見覚えがない。
「どっち? 栗毛の?」
「どっちも。話した事はないけど……」
言って、カブはミーハー心と警戒心をごっちゃにした声音で続けた。
「栗毛のウマ娘はインペラトリーチェさん。イタリアから来たウマ娘だよ。お父さんが有名なレーサーらしくて、インペラトリーチェさんはそっち方面でも有名なんだって」
言われて思い出した。何度か負けているウマ娘だ。模擬レースでいつも上位入着している凄いウマ娘。
アオギリホウオウは苦い記憶を思い出しつつ、続く親友の言葉に耳を傾けた。
「で、その隣にいる黒鹿毛のウマ娘がスペードテンさん。詳しくないけど、けっこう大きな会社の一人娘なんだって。あの二人、最初から仲良さそうだけど前から知り合いだったのかな?」
耳を澄ますと、確かに二人は日本語とは違う言語で親しげに話していた。アオギリホウオウにはさっぱりだし、カブにもさっぱりだ。
スペードテンは日本生まれの様だが、流暢に外国語を話していた。茶を飲む際の所作といい、気品といい、教養の高さを感じずにはいられない。。
「それでね、あそこにいるのが……」
そして、カブはおずおずと食堂の隅を示した。今度はミーハー心ゼロの声音で。
示された方には、美しい白毛を流す小柄なウマ娘がいた。彼女は日替わり定食をお行儀よく三角食べしていた。
その透き通るような白毛を見た瞬間、アオギリは直感した。あのウマ娘は普通そうに見えて、何か違う。オグリキャップやアグネスタキオンに近い存在感があるように思えるのだ。
ちんまりとした背だ。ぽつねんと座る姿に覇気はない。けれど、得体の知れない静謐なオーラが件の白毛のウマ娘を覆っているように感じるのである。
我知らず、アオギリは耳を絞っていた。
「トライアンフさん。今年入ってきたばかりだけど、この前のチーム・リギルの選抜で勝ったウマ娘だよ」
多分一番強い。そう呟いたカブの心情が表すように、またも鹿毛の耳がふにゃんと垂れた。カブ視点、強豪のリギルウマ娘には劣等感しか感じないのである。
「リギル……」
チーム・リギルは言わずと知れた強豪チームである。アオギリホウオウもそこの選抜レースを受けた事があるが、惨敗だった。
あれはまさに選ばれし者のみが集う魔窟だった。経験豊富で優秀なトレーナーが指揮を執るのも相まって、リギルに入れば将来の成功は間違いがないと言える。
「ホントに凄いウマ娘ばかりだね……」
カブの呟き。内心アオギリも同感だった。
しかし、故にこそ、あえて笑った。
「上等や!」
「ひぃ!?」
ウマ娘は急な物音に敏感だ。カブはそれに輪をかけて敏感だ。ビクつくカブを横目に、アオギリホウオウは自信満々に犬歯を剥いた。
「ウチは勝つで!」
「す、すごい自信……」
「おうよ!」
実際のところ、アオギリホウオウに自信はない。だが、アオギリホウオウが所属するチームには絶対の自信がある。
トレセン最強はリギルじゃない。アルデバランだ、そう考える人は少なくないし、今現在のアオギリホウオウもそのように思っている。
魔窟が何や。女傑が何や。こちとら最強ウマ娘がトレーナーやっとんのやぞ。アオギリホウオウはそんなチームから直々に選ばれた事に強い自己肯定感を持っていた。
「す、すごいね、アオちゃんは……」
「ウチはすごない」
アオギリホウオウは空になった皿にレンゲを置くと、腕組みしつつ自慢げに言い放った
「師匠と先輩、皆が凄いんや!」
ーーーーーーーーーー
「オヌシの近くには良い教材がいる。近くで見て、学ぶといい。きっと糧になる」
アオギリホウオウの練習風景は、常にチームメイトの誰かと一緒だった。
とはいえ、アオギリはデビュー前のウマ娘だ。トゥインクル・シリーズで脚を鳴らしてきた先輩との差はというと、肌で距離で目で耳でこれでもかというくらいひしひし感じる程だった。
当然、初めからついていける訳ではない。しかし、アオギリは負けじと食らいついていった。練習中、どれだけ離されても、絶対に屈する事はなかったのである。
「押忍! ブルボン先輩、よろしくお願いします!」
「はい、これより協同で共同ミッションを教導します」
ある日はミホノブルボンと並んで坂路コースを往復した。
並走できていたのは最初の方だけで、しばらくすると後ろからついていくのがやっとになり、練習終了と同時に大の字でぶっ倒れてしまうアオギリだった。
体力には自信があったが、壁みたいな坂道は体力だけではどうしようもない。この先輩はやばい。アオギリは確信した。
「押忍! ライス先輩、よろしくお願いします!」
「うん、けど準備運動はしっかりね」
ある日はライスシャワーと並んでプール練習をした。
水泳自体苦手ではなかったアオギリホウオウだが、ライスシャワーと並んで泳いでみると自身の泳ぎが如何に不規則で力任せだったかがよく分かった。なによりライスシャワーの体捌きは絶妙で、真似してみると長く泳げたのだから凄いものである。
競泳水着のライスシャワーの胸は平坦であった。アオギリホウオウの胸は豊満であった。
「押忍! タキオン先輩、よろしくお願いします!」
「ふぅン、まぁたまには私も運動しないと頭の回りが滞りそうだからねェ」
ある日はアグネスタキオンと共にダンスレッスンをした。
トゥインクル・シリーズを走るウマ娘にとって、ウイニングライブとは切っても切れない関係だ。アオギリとて現役時代のターフスレイヤーのライブは全部各記録媒体に保存して何度も視聴しては真似をしていたものである。
しかしGⅠウマ娘であるアグネスタキオンと並ぶとそのダンスクオリティは月とすっぽんであった。白衣を脱いだアグネスタキオンの肢体から繰り出される“URAに反省を促すダンス”はそれはもうキレッキレであった。
「あっ、オグリ先輩! こっちの味も美味しいですよ! ひとつお譲りしますよ!」
「む、いいのか? なら遠慮なくもらおう」
ある日はオグリキャップと食事をした。
元来健啖ウマ娘であるアオギリホウオウだったが、生まれてこの方自分より大食いのウマ娘を視るのは初めてだった。あるだけ食べるオグリと、食べられる時に食べるアオギリがタッグを組むと圧巻だった。
食後、二人の腹はこんもり太ましくなっていた。
そして、幾日もの夜が明けた。
ーーーーーーーーーー
「強いウマ娘には共通して突出した能力がある。それは何だと思う?」
アオギリホウオウがチームに入ってしばらく経った日の事。
青い空、弱い風。次の練習場所に向かうべく歩いていたアオギリホウオウに対し、頭巾とお面を外したニンジャトレーナーが訊いた。金色の髪が風に揺れると、美貌ウマ娘の薫りが鼻を擽った。
問われたアオギリホウオウは暫し考えてから答えた。
「なんだかんだ、やっぱ脚の速さやないでしょうか。距離関係なしに遅いウマ娘は勝てやんと思います。やもんでウチもスピード練習は続けとる訳ですし」
「間違いではない。だが、共通している訳ではないな。脚の遅い重賞ウマ娘は意外といるものだぞ」
アオギリホウオウは首を傾げると、再び考え始めた。
アオギリにとって、強いウマ娘とはすなわちターフスレイヤーであり、ターフスレイヤーといえば有無を言わせぬ神速ウマ娘である。そうでなくとも、今現在活躍しているウマ娘は大体俊足だ。ならば、脚が速い事が一番大事なのでは? バクシンすべきなのでは?
考え込むアオギリを見つつ、ニンジャトレーナーは微笑んだ。
そして、その答えを示すように、自身の胸に親指を向け、自信満々に言い放った。
「ハートだ」
ハートっすか。
というアオギリホウオウの呟きは、風にかき消される程小さかった。
ハート、心臓……心? つまり、そういう事だろうか。
「根性……という事でしょうか?」
戦々恐々と、アオギリホウオウはトレーナーの目を伺い見た。
根性トレーニングと聞くと、どうにも理不尽で暴力的なトレーニングを想像してしまう。アオギリの脳内には、汗だくになって倒れるウマ娘にバレーボールをぶつけ続ける眉毛の濃い男性トレーナーの映像が再生された。コワイ!
「違う。むしろ根性論や精神論は私が最も嫌うところだ。だが、その全てが無意味で価値がないかというと、それも違うな」
不安げな視線を、トレーナーはバッサリぶった切った。
「詳しく話そう」
ターフスレイヤーが宣言する。ゴクリと、アオギリの喉が鳴った。これから長い話がはじまる。こちらも聴かねば、不作法というもの。
「心技体。古来より武道やスポーツの鍛錬において、これら三つが重要視されてきた。意味は分かるか?」
「はい。メンタルとテクニックとフィジカルですよね」
授業でやった訳ではないが、これは道場に行った時に習った事だ。
「うむ」
頷くトレーナーは満足げだ。このウマ娘は、自分の話が理解されているのを実感すると喜ぶ様なのだ。ターフスレイヤー、ちょっとオタク気質であった。
「心、技、体。この中で、私は特に“心”を重要視すべきだと思っている」
慌てて「個ウマの感想だぞ」と付け足して、ターフスレイヤーはアオギリの目を見た。
「技術や体力ではなく、ですか?」
「ああ、むしろ技など最もどうでもいい……いや、どうにでもなる分野だ。故に優先度は低くなる。本当に優先すべきは、心だ」
アオギリはトレーナーの語りに耳を傾けていた。しかし、どうにも腑に落ちない点があった。
なので、その事を言ってみる事にした。
「正直、ピンと来ません。試験で計られる事もできそうにありませんし、なんだか今風とは言い難い気が……」
アオギリの言葉を聞くと、得たりとトレーナーは頷いて見せた。
「トレセン学園では評価されない項目だからな。が、歴史ある家ほど精神面を重視しているのは知っておくべきだろう。メジロ家など、その筆頭だ」
メジロ家といえば、その辺に疎いアオギリホウオウでも知っているような名門中の名門である。実力を伴う名家ともなれば、そこには名門たる明確な理由があるものだ。
「対し、昨今多くのトレーナーが重視しているのは、体だ。走破タイム。牽引重量。運動持久力。どれも日進月歩で進む科学の分野だ。健全なる精神は健全なる肉体に宿る……と言うだろう。故か、メンタルトレーニングの優先度は低くなる傾向にある。まぁ健全な精神云々は誤謬の方だが、あながち間違ってもいない」
言われてみればその通りである。もっぱら授業で行うのは基礎的な技術の教授と基礎的なトレーニングであり、トレーナーはより担当ウマ娘に向いた肉体鍛錬を教える傾向にあり、その補助として技術を教えているケースが殆どだ。そうなると、残るメンタルは誰が教えるのか。
「実際そういったデータ主義は大きな成果を上げている。科学的アプローチを図らない分野は停滞するものだ。先ほど言ったメジロ家も最新のスポーツ科学やトレーニング理論を積極的に取り入れているしな」
やっぱりメジロ家ってすごい、というターフスレイヤーの尊敬がありあり感じられる口ぶりだった。
「師匠はそういう数字で管理するんは嫌いなんですか?」
要するにデータ嫌いなのかなと思うアオギリだった。チーム部屋も道場な訳だし。
「いや、好き嫌いではないな。むしろ積極的に活用するぞ。オヌシも着けてるだろう、計測器。便利だからな。だが、絶対視はしない。データや理論はあくまで参考だ。真に重んじるべきはやはり、個々ウマの精神だよ」
言いつつ、ターフスレイヤーは愛用のタブレット端末をこつこつ突いた。その裏には欠けた人参マークが誇らしげに印字されていた。曰く、最新機種らしい。
統計と感性。理論と応用。ターフスレイヤーの言うトレーニング論は“心”に重きを置きこそすれ、行き過ぎた偏りがなく中立的でバランス重視の様である。
「話は逸れるが、私は一度やらかした事があるのだ」
遠くを見るような視線。ターフスレイヤーは過去を思い出しながら云った。
「あれは、オグリキャップ=サンのメイクデビューを目指して必死こいてた頃だ」
オグリキャップは、地方トレセンから中央トレセンに転校してきたウマ娘だ。その担当トレーナーこそ、目の前のニンジャトレーナーである。
「トレーナーとして、私が初めて担当したのはオグリキャップ=サンだった。まだ実績のない私と、鳴り物入りで地方から来たオグリ=サン。先輩の助けこそあったが、それはもう目立っていたよ」
怪しげな新人トレーナーと、地方から来た鳴り物入りのウマ娘。
当時の二人への注目には複雑なものが混じっていたのはアオギリにも理解できた。
「そんな中、私は学んだ理論とビッグデータから、彼女の適正体重や練習メニューを徹底的に管理した。常識的に、理論的に、何も間違ってはいないやり方でな。だが、結果的には間違っていたのだ」
深い後悔。ターフスレイヤーは慙愧に耐えないと片手で顔を覆った。
「一体なにを」
そして、たった一言。
「食事制限だよ」
「あー」
オグリキャップに食事制限。そりゃ悪手でしょ。納得しかなかった。
大食いじゃないオグリキャップなど、「オグリキャップ」から「グリキャップ」を抜くようなものである。
ターフスレイヤーはかぶりを振ると、気を取り直して口を開いた。
「ビッグデータ至上主義の育成論とは、例によって統計に基づいた暫定的な解に過ぎない。それを咀嚼し、個々ウマ娘に最適化させて運用できる者こそ優秀なトレーナーなのだ。数字だけしか信用できないと言う者は、なるほどトレーナーには向いていないのだと痛感したよ」
アオギリはアルデバランの先輩達を思い浮かべた。どのウマ娘も一癖二癖あるウマ娘だ。確かに、あの先輩達を御するには統計や常識に囚われていては難しいだろう。
オグリの腹など、その筆頭である。どうなってるんだアレ。
「遅きに失したが、なんとか間違いに気づいて制限を撤回したから良かったものの。危うく彼女のキャリアに傷をつけるところだった。そういう事もあって、私はデータを絶対視しないよう心掛けている」
最強のウマ娘は最高のトレーナーという訳ではない。ちょっと妄信していたアオギリにとって、ターフスレイヤーは比類なき超絶有能トレーナーだと思っていて、これまでミスなどした事がないとばかり思っていたのである。
実際のところ、その道程は後悔と葛藤の連続で、それらを乗り越えてこそ今があると言えるのだろう。
「閑話休題」
と言うターフスレイヤーの声色は常の雰囲気を取り戻していた。咳払いひとつ、ターフスレイヤーは語り出した。
「心技体。先に心があるように、心は全ての土台になる。頑健な塔は頑強な土台あってのものだろう。故にこそ精神を鍛え、肉体を作り上げ、技術で以て制御する。それらの結実として目標が達成されるのだ。精神鍛錬はすぐに成果の出るものではないが、確実にオヌシの力になる」
アオギリは頷く。要するに、鍛錬の順序の事を言っている訳だ。まずはメンタル、そしてフィジカルとテクニックを並行して鍛えるという事か。
「とはいえ、心を鍛えると言うとあまりに抽象的すぎる。倒れそうなウマ娘を鞭で引っぱたくなど、時代錯誤も甚だしい上、非科学的で非ウマ道的だ。心身ともに、トレーニングはあくまで科学的見地に則って行われるべきだな」
畢竟、科学的な精神鍛錬とは何を意味するか。ターフスレイヤーはアオギリに流し目を送り、キメ顔で言った。
「集中力の向上だ」
「はあ、集中力……ですか」
意外、それは集中力! という程、驚くべき答えではなかった。それに、、アオギリにはいまいちピンと来なかった。
しかし、そうなるのは分かっていたとばかりに、ターフスレイヤーは気にせず続けた。
「うむ、レースにおいての“心”はな。練習でも本番でも、とても重要な項目だ。そう、何にせよボーッとやるより効率が良くなる」
そう言われると、アオギリにも納得できるところはあった。ボーッと別の事を考えながら筋トレするより、動作ひとつひとつを意識して筋トレするべきであると、それこそメジロ家の先輩が言っていたのだ。盗み聞きだが。
「そして、集中力というものは体力と同じく消耗し、体力と同じく些細な事で激減する。そして、レースでは集中を乱したウマ娘から負けるのだ」
続く言葉にも、アオギリは納得がいった。確かにレース中にボーッと走っていては勝てるものも勝てない、というのは分かる。
だが、ぶっちゃけそれって普通の事なんじゃないのかなと思うアオギリだった。
「なんだそんな事か、と思ったな?」
「い、いえ! そういう訳では!」
というアオギリの考えは読めていたらしい。ターフスレイヤーは苦笑した。
「無理はない。あまりにも基本すぎて、時に軽視されるものだ。そも、普通に走っていれば自然に身につくものであるし、ウマ娘はもともと走る事に没頭できる種族だからな。走りに没頭し過ぎて倒れる子ウマ娘も少なくない」
ダメな例を挙げよう、と万民が思う天才は云った。
「想像してみろ、アオギリホウオウ=サン。オヌシは今、最終直線で先頭を走っているとする」
言われた通り、アオギリは脳裏にレースの光景を思い浮かべた。
芝の感触と、後方から響く蹄鉄の音。風を切る間隔に、近くて遠いゴール板。焦る気持ちが湧いてきて、弱気の虫が鳴き始める。
嫌なレースだ。
「あと300でゴール。頑張って走れば勝てる状況だ。序盤、中盤でスタミナはほぼ使い切っている」
想像上のアオギリは、息も絶え絶えに先頭を走る。フォームは崩れかけ、意識がぼんやりし始めた。あとどれくらい走ればいいのか、分からなくなったくらいか。
「体力は限界だ。脚が重くてこれ以上加速できない。その時、後ろから凄い勢いで追いかけて来る気配がする。余裕はない。後ろに振り向けない。追いつかれたくない。走って走って走って、それでも後ろからの圧が迫ってくる」
それは何度か味わった事のある感覚だった。ここトレセン学園には、瞬発力自慢のウマ娘など吐いて捨てる程にいるのである。鈍間なアオギリの末脚など、一息に抜き去られてしまうのだ。
「そういった時、こうは思った事はないか? “負けたら成績が落ちる”とか。“もう二着でいいんじゃないか”とか。レース終盤、疲れている時というのは誰しもネガティブになってしまうもので、負の感情は無駄な思考を生み、容易に集中を乱すのだ。そうなれば集中が乱れ、息が乱れ、脚が乱れて勝利が遠くなる。あと数秒、速度を維持できれば勝てたはずなのにだ」
それも、よくある事だった。
入学当初はそんな事はなかった。例え負けそうになっても、チクショウ負けるかと奮い立って粘ったものだ。しかし、つい先月までのアオギリはその気持ちがなかったように思う。
惜敗し、敗走し、惨敗するにつれ、アオギリの性根には負け癖と言えるようなものがこびりついていた。そうなると、まず勝つ気が稀薄になり、一番への拘りを失っていくのである。
最初の頃は勝つ事しか考えていなかったのに。
そう思った時、アオギリはターフスレイヤーの言わんとしている事が理解できた気がした。
目が合う。ターフスレイヤーは頷いてみせた。
「無駄な思考、これがいけない。これを失くせばレースに勝ちやすくなる。故、無駄な思考をしない為の集中力が必要で、大成したウマ娘は例外なく高い集中力を持っているのだ。生まれつきこういった思考をしない者もいるにはいるが、如何せん少数だ。少なくともオヌシはそうではなかろう」
その通りである。アオギリは素直に頷いた。
「前に伝えたように、実際オヌシには“追いかけられていると加速できない”という弱点がある。併走時、オグリ=サンやライス=サンに追いかけられている間はやり難いだろう」
「はい。前に行きたくても行けへん感じありました」
「それを何とかする為にも精神鍛錬が必要な事なのさ」
それを聞いて真っ先に思い出すのは、黒い刺客の鋭い眼差しである。彼女と走っている間はじっと背中を狙われている様で、走りに集中できないのである。
ここにきてアオギリはまたも納得した。要するに追いかけられている事を意識しないようにすれば弱点のひとつが潰れる事になるのか。そして、それには意識しない事ができるだけの集中力がいると。
「さて、特異な精神性や思考回路、あるいはレース向きの天賦と違い、集中力は筋肉と同じくある程度短期間で鍛える事ができる。その最たる成果は今もアルデバランで走っている」
一番わかりやすいのが……と言って、ターフスレイヤーは一人のウマ娘のデータを見せて来た。
それは件の黒い刺客・ライスシャワーであった。
「知っての通り、ライスシャワーは生粋のステイヤーだ。高いスタミナと身体能力。普通に優秀だな。あまつさえアレで無根拠に自信家なところも良い。しかし、彼女はとてもセンシティブだった。外界からの刺激を受けやすく、傷つきやすい性格だったのだ。当然、メンタルは弱かった。レース前の情緒は不安定で、レース終盤では他人を気にして実力を発揮できなかった事もある」
ライスシャワー。アオギリ視点、小っちゃくて優しい先輩である。彼女にもアオギリの知らない葛藤があったのだろう。
いや、優しさ故に惑うのか。アオギリは善人ほど悩み、悪人ほど悩まないのを知っていたので、すぐ納得できた。
「だが、地道なメンタルトレーニングと認知の切り替えの結果、レース本番には余計な思考を取っ払う事ができるようになったのだ。事実、ただ勝利だけを目指して走る彼女の集中力は彼のメジロの令嬢を打倒するに至った。それもこれも、ライス=サンの弛まぬ精神鍛錬あっての事だ」
アオギリホウオウというウマ娘は、そのレース知識に偏りがある。授業で習うようなレースこそ知ってはいるが、ちゃんと頭に入っているのはターフスレイヤーの出ているレースくらいだ。
そんなアオギリでも、同じチームの先輩が走ったレースは閲覧済みである。
春の天皇賞。名優メジロマックイーンと、同じくメジロ家の逃げウマ娘メジロパーマー。クラシック同期のマチカネタンホイザ等が鎬を削る長距離レース。マックイーン三連覇を賭けた、日本中が注目していたレースだ。
結果、ライスシャワーは強豪ライバル達より先にゴール板を駆け抜けたのである。画面越しに見たライスシャワーは、ウマ娘ではない別の何かに見えた程、規格外の圧を放っているように感じたものである。
いざ会ってみるとちんまくて可愛い先輩なのだが、レースの時は鬼の様な脚捌きをするのだから驚きだ。
「他にも色んな例を知っているがな、それもこれも彼女等の精神性に由来している」
鍛錬の順序。精神の重要性。ここまで聞くと、ターフスレイヤーの最初の言葉にも納得がいく。アオギリはすっかり話に聞き入っていた。
「折れぬ心、曲がらぬ意思。それらがあるから善く走るのだ。質の高い集中力を発揮し、維持できる事は、競走にとって素晴らしいアドバンテージになる」
「なるほど」
さて、と。ターフスレイヤーはタブレットを閉じ、話題を変えた。
「さっき言ったように、集中力というのは鍛えられる類の力だ。何をすればいいと思う?」
その問いには、ある程度検討がついている。それこそ授業で習った事だ。アオギリホウオウ、実は授業はしっかり受けるタイプである。眠くなるが、それを耐え忍ぶタイプの真面目さがあるのだ。
「瞑想でしょうか」
「ああ、あれを習慣づける」
それを聞いて、アオギリはちょっとげんなりした。
授業でやった瞑想とは、つまり胡坐をかいてじっとする類の奴だったからだ。修行僧とか武道家がやるタイプの。金剛八重垣流での道場でもやったが、かなりキツかったのを覚えている。
じっとする瞑想。アオギリはあれが苦手だ。
「……ウチあれ苦手です」
「ウマ娘はだいたいそうだ。動きたくなるのだろう」
したり顔で頷くターフスレイヤー。悲しい哉、ぶっちゃけ見当外れだが、アオギリは頷いておいた。
「1日5分だ。5分間、座って目を瞑って、余計な事を考えないように呼吸に集中する。無駄な思考をしたら、それを振り払う。吸って吐いてを意識する。これを繰り返す」
ターフスレイヤーは片手をパーにしてみせた。
言葉にすると簡単だが、その簡単な事がアオギリには苦手なのである。
しかし、5分でOKとなればなんだかいける気がする。要は5分間の苦行に耐えれば良いのだから。
「それだけですか?」
「うむ、5分でいい。そもそもレースに必要なのは短期集中だ。5分もできれば充分だ」
「それならウチでもできそうです」
5分なら耐えられる、と思う。アオギリホウオウは頭のスケジュール表の隙間に新たなルーティンを追加した。
「そしてフィジカルトレーニングの最中も同じく短期集中力の向上に努める。瞑想と同じように、ひとつの動作にのみ意識を向けられるよう訓練するのだ。地面を踏む感触や、踏み出す脚の関節の動き、それら何気ない動作ひとつひとつを意識する」
これも筋トレと同じだ。単に力任せにダンベルを持ち上げるより、それにより負荷がかかる筋肉を意識してトレーニングすると良いのだ。と、メジロのウマ娘が言っていた。これも盗み聞きだが。
「集中と弛緩だ。これを繰り返す事により、オヌシの頭を深い集中状態に入りやすくなるよう変革していく」
一意専心。深い集中へ、より早く、長く至れるように。ターフスレイヤーはまとめるように、云った。
「習慣と鍛錬と休憩。この三つで心技体を鍛える。これがオヌシの育成方針となる。わかったか?」
「はい!」
こうして説明するのも、アオギリの理解を促す為のものだろう。
理解しないままやるより、ちゃんとわかった上でやった方がそれこそ効率が違うからだ。
アオギリホウオウは元気よく返事をした。モチベーションは絶好調だ。
そんなアオギリを見ながら、ターフスレイヤーは再確認するように問うた。
「して、オヌシの目標は何だったか」
「はい。クラシック三冠です」
「宜しい。ならば、その目標に何が必要か分かるか」
「はい。習慣を続けられる意思力。反復練習をこなし続ける忍耐力。目標を目指し続ける精神力です。即ち“心”です!」
「素晴らしい!」
両手を広げ、ターフスレイヤーは賞賛した。どこぞの記者めいてオーバーであるが、ちょっとおどけるくらいがちょうどいい。アオギリは褒められて照れくさい気持ちになった。
三冠は母の夢であり、アオギリの目指すべき目標だ。
そして、アオギリはその為に必要な事を、先の説明をちゃんと理解して答えたのだ。まさに、100点満点の回答である。
そうして暫し歩き、二人はダートコースに辿りついた。今日はここでトレーニングをする予定なのである。ダートは芝よりも脚や関節にかかる負荷が低く、かつ芝よりもパワーを鍛えるのに向いているのだ。
そこに来て、ターフスレイヤーはお面&頭巾を装着し、ニンジャトレーナースタイルになった。
そして、仮面の奥の瞳が輝くのを、アオギリは何となく察知した。してしまった。
「で、だ。それを踏まえてオヌシにはやってほしいトレーニングメニューがあってだな……」
「メンター、持ってきました」
「うむ、有難う」
タイミングよく、ミホノブルボンがダンボールを持ってきた。ニンジャトレーナーは受け取ると、テープ部分を手刀で切開し、その中身をアオギリに見せた。
「これはシューズですよね?」
それは真新しいウマ娘用レースシューズであった。ロゴのないシンプルなデザイン。足底部の蹄鉄には「アオギリホウオウ 負荷・低」と書いてある。
「うむ、オヌシの身体情報は揃ってるからな、超特急で作らせた。オヌシ専用だ、履いてみろ」
つまりこれは、アオギリホウオウ専用のシューズという事だ。
世界で唯一のアオギリの為に作られたシューズ。これまたアオギリは嬉しくなった。
「ありがとうございます!」
言って、渡されたシューズを手に取ってみると……。
「重ッ……!?」
予想以上に重かった。まるで蹄鉄に重力魔法でもかかっているかの様である。
内心、重い重いと言いながら履き替えてみると、常識外な重さとは裏腹に履き心地はしっくりくるものであった。
「これはな、平安貴族ウマ娘が愛用したとされる伝統的な鍛錬用蹄鉄入りシューズだ。格式高いぞ、なにせメジロ家だって使っているのだ」
「あ、歩きづらい……」
したり顔の腕組み仁王立ちでうんうん頷くトレーナー。なるほどメジロ家が強い理由は分かった。
「お師匠様、持ってきたよ」
「うむ、有難う」
またまたタイミングよく、ライスシャワーがダンボールを持ってきた。ニンジャトレーナーは受け取ると、テープ部分を手刀で切開し、その中身をアオギリに手渡した。
「重ッ……!?」
手に取ってみると、これまた激重だった。どうやらこれはウェイトベストの様で、促されるまま着用してみると、何か自分の体重が何倍にもなったような気がしてくる。
「これはな、江戸時代の飛脚ウマ娘が愛用していたとされる伝統的な鍛錬用鎖帷子風ウェイトベストだ。格式高いぞ、なにせシンボリ家だって使っているのだ」
「ぐぉおおお……!」
したり顔の腕組み仁王立ちでうんうん頷くトレーナー。なるほどシンボリ家が強い理由は分かった。
「持ってきたぞ、トレーナー」
「うむ、有難う」
またまたまたタイミングよく、今度はオグリキャップが二段重ねのクソデカタイヤを牽引して来た。ニンジャトレーナーは引き縄を受け取ると、それをアオギリの身体に巻き付けていった。
「えぇ……? あの、これは……」
困惑するアオギリをよそに、ニンジャトレーナーはてきぱきと縄を結んでいく。見れば、ミホノブルボンも同様にタイヤを装備していた。
「これはな、鎌倉時代の薩摩ウマ娘が愛用したとされる……」
「いやこれに格式はないでしょ」
「……引き運動用の重石を模して造られた。ただのデカいタイヤだ」
「ちなみにトレセンにはもっと大きなタイヤがあるよ」
と、いつの間にか現れたアグネスタキオンは補足した。
「これら三種のウェイトを用いて、このコースを一周してもらう。さっきも言ったが、自分の動きを意識して勧め。負荷のかかる部位。稼働する間接。呼吸のリズム。全てが鍛錬だ」
根性トレーニングな? アオギリは訝しんだ。
「大丈夫だ。同じ装備でブルボン=サンに同行してもらうし、オヌシ等の体調は私が近くで見ている。怪我や負傷は絶対にない。安心しろ」
「ちなみに飲み物は強制で飲ませるから、そこも安心してくれたまえ」
ビシィ! トレーナーとタキオンは、何故かタブレット片手に決めポーズを取った。そう、UPadならね。最新機種の欠け人参がきらりと光る。データとは? 科学とは? そいえば欠け人参の創業者も肉体派ウマ娘だった。
「さぁ行け、ガッツを見せろ! ゴー! ゴー! ゴー!」
「お、押忍!」
とはいえ、やれと言われればやるしかない。アオギリホウオウは全身に力を込め、一歩踏み出した。
少しずつでも、ほんの少しだけ前へ。
踏みしめる砂と。刻んだ蹄跡の数が成長の度合いを教えてくれるのだ。
こうして、アオギリホウオウの練習風景は過ぎていくのであった。
「それとな、アオギリホウオウ=サン」
「は、はい!」
「メイクデビュー、6月な」
「……えっ!?」
つまり、「心じゃよッ!」という事。