8/5:後半の展開を改訂しました。
――――平行世界のロゥリィからの詰問に対し伊丹の返答は、狭間へと連絡をつける事だった。
連絡を受けた狭間は深い深い溜息を吐き出すと、回答の場に立ち会うのは『
平行世界の自身こと『あちら側』の司令官と幕僚幹部らには秘匿した情報をどうしてこの2人には伝えるのかといえば、やはり1番の理由はロゥリィを敵に回したくなかったからである。
万が一彼女が敵に回ったらどれほどの被害が出る事やら、不死身の亜神のその恐ろしさは『
仮に銀座へ通じる『門』が健在だった時分ならば、狭間達は安易に機密事項を外部の人間に漏らす事は憚られるともっと必死になってロゥリィを説得にかかっていただろう。
特地で
――――
今繋がった『門』の先にあるのは
2つの世界を繋ぐ『門』が閉じてしまえば、意図して再接続を試みぬ限り再びの邂逅はまずありえない。
同時に互いの世界にとっての秘密はその価値を完全に失ってしまうのである。
発覚したのが、『あちら側』の伊丹達が
彼らは分断状態に置かれているのも同然の状況なので、口止めせねばならぬ人数も少なくて済む。避けるべきは平行世界のロゥリィとの敵対を回避する事、そして現在の『門』が開通している間に化学兵器使用の情報が平行世界の自衛隊上層部にも知られてしまう事である。
せめて互いが求める情報や物資の交換と共有が最低限完了するまでは良い関係を保ちたい……
一方で化学兵器の実戦使用は戦時国際法で制定された条約に於いて禁止が定められているので完全に黒である。
だからこそ
第3次世界大戦とそれにまつわる騒乱を身を以て体験し、世界と周囲を護る為に艱難辛苦と屍山血河を幾度も乗り越えてきた
毒には毒を。火には火を。非常手段には非常手段を。
同じ経験をしていない
の幹部も到底思えなかったのである。
狭間は記録映像やNBC偵察車等により採取された分析記録など、特地で炸裂した化学兵器に関わるあらゆるデータを抹消させていた。
バルコフらロシア軍脱走兵部隊が持ち込んだ化学兵器であるノヴァ6が、水と反応して急速分解される特性を有していたのは事態に関与したあらゆる者にとって最大の幸運だったと言えよう。炸裂直後に悪天候が招いた豪雨によって、アルヌスの土壌は大規模汚染を免れたのだから。
自衛隊の戦闘記録に於いてアルヌス近郊で生じたゾルザル派帝国軍の犠牲者は、『門』崩壊時に発生した地震による二次災害に因るものとのみ記録されている。
犠牲者の亡骸は集められ、念入りに焼却し、それでも尚毒性の残滓が検出されないかの確認を経てから自衛隊が重機を駆使して深く掘った穴へと葬られた。
当時アルヌス攻略の本隊として接近中だった帝国軍は万単位だった事もあり、何が起きたかを全て
特地での化学兵器の炸裂が生み出した惨劇は、その影響の大きさにもかかわらず念入りな処理も相まって残された痕跡は限りなく少ない。
――――それでも、恐怖だけは残った。
帝国軍の生存者から他の特地住民へ。
このような警句が瞬く間に伝播する程に、恐怖という明確な実態を持たぬ概念だけは人々の心と記憶へ永延と刻み込まれたのだ。
――――全てを教えられた伊丹とロゥリィは無言で司令室を後にした。
何が遭ったのか、何を聞かされたのか訊ねてきたテュカやレレイ達に、『あちら側』の伊丹は「知らない方が良い」とだけ告げると、『しばらく1人にして欲しい』とも告げて彼女達の下からから足早に離れたのだった。
世界は違えど、同じアルヌスに同じ自衛隊が特地派遣部隊の拠点として建てた基地とあってか、微妙な差異はあれど基本的な施設の配置は伊丹の知るアルヌス駐屯地とほぼ同一だった。
独りになった伊丹は男子トイレに入るなり、洗面台に両手を置くと34歳の生涯で最大級の溜息を吐き出した。
それはそれは長く、そして内心で様々な感情が渦巻いているのが伝わってくる、極めて盛大なものであった。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~…………」
腹に溜まったもの全てを吐き出さんばかりに伊丹は最後の一息まで絞り出すと、今度は乱暴に洗面台の蛇口を全開にするや勢い良く噴き出した水流に頭を突っ込んだ。
頭から冷水を浴び続ける事しばし、腹と一緒に煮えていた脳と思考が冷却されたところでようやく水を止め、顔を上げる。
洗面台の鏡に頭から大量の水滴を滴らせる自分の顔が映っていた。冴えない顔つきと自覚している己の顔は今や酷い顔にランクアップしていて、その余りの酷さに思わず自嘲するしかなかった。
戦争の英雄どころではなかった。
平行世界の
「皆の所に戻らないとなぁ」
ハンカチで顔を拭き、最低限雫が滴らない程度に髪の毛の湿気を拭い取り、ぼんやりと独り言ちながら男子トイレを出る。
だが伊丹の足は彼の意思に反し、休憩用のベンチの前まで達するや勝手に下半身から力が抜け落ち、伊丹は腰を下ろしてしまった。精魂尽き果てたように背もたれへだらしなく背中を預け、天を見上げる。
生憎にも、仰いだ先には無機質な廊下の天版しか広がっていなかった。もう1度、伊丹は息を吐いた。
傍から見ても虚脱状態であった伊丹は、それ故近付いてくる存在の気配も足音にも気付くのが遅れてしまったのである。
「隣いいかな」
「ああどうぞ……んあ?」
反射的に答えてしまってから遅れて認識を果たした伊丹は、ポカンとした顔で隣に腰を下ろした人物へ顔を向ける。
――――化学兵器で1万人以上を殺したもう1人の自分がそこに居た。
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