Mercenary Imperial Japan  〜幕府〜   作:丸亀導師

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家光の治世2

 

1640年代の家光の治世は“激動の時代”と呼ぶのが相応しいだろう。

 

1640年 家光はオランダ商館を出島《①》、に移設しこれによって防疫体勢にの確立に向かっていく。

基本的に防疫に最も適しているものは、孤立し外界から遮断された孤島が好ましく、埋め立て地であった出島はそれに合致した。

 

翌年には、伊豆諸島の利子島、蝦夷最北端の利尻島、対馬にも開設され、日本の防疫最前線と言われる強固な防疫システムを確立する。なお、蝦夷利尻島は最北端なため、非常に名誉な事にそこに派遣される者たちは特別に冠位を制定され、他の者よりも優遇された。

 

この防疫拠点は、長らく日本という国を疫病から守り更には、病の研究拠点として活躍し、蒸気船の発達に伴う貿易速度の発展とともに幕を降ろすのだが、時折発生する海外の疫病にもっとも強く生物兵器の試用地とされ現在も運用されている。

 

 

 

1641年 オランダへの第一次遠征軍《➁》の帰還とそれに伴う凱旋祭りが全国で催された。オランダに渡った者達の総勢は2000、地球半周という長距離の航海は、彼等に航海の厳しさと戦訓を持ち帰ってきた。

勿論、オランダの地で死した者達も降り2割が未帰還となる。

 

しかしながら、不思議なことにこの当時船旅につきものであった壊血病、その症例があまりに記録されておらず当時としてはあまりにもおかしなものである。

同時期の西洋ではこの壊血病によって数多くの船乗りが死しており、オランダ商館にもこの異例さを日記に残している。

 

一説によると航海時もっとも頑丈かつ、塩の影響を受け辛い船内で漢方薬である“もやし《③》”の栽培が行われていた。という、仮説がある。どうしてもやしの栽培を行おうとしたのかは、未だに謎であるが、辛い旅を乗り越える為に新鮮な野菜を振る舞う為にやったのではないか?という、一種の嗜好品として入れられた可能性がある。

 

ともかく世界を半周する大航海の末に、戻ってきた彼等は非常に持て囃された。

 

 

同年東アジア情勢は複雑怪奇なものとなる。明と後金(後の清)との戦闘の激化とともに、明の大敗が伝わってくると家光は危機感を覚えることになる。所謂、明清交替《④》

もしも、明が完全に敗北した場合、清が海を渡ってこちらを攻めてくる危険性を孕んでいたからだ。

 

よってこれにより明朝への支援が始まるが、このときはまだ深入りしておらず、清へと服属する朝鮮への倭寇を行うことが決定された。

 

 

1642年 40年の頃から発生していた飢饉、それに対する救荒作物《⑤》として蕎麦並びに小麦が奨励され、この年は年貢の取り立てを例年よりも少なくするだけでなく、商人からも税をとるようになる。いわゆる所得税、その始まりでもある。もっともこの場合の商人は米問屋等の大問屋のみにかせられ、農民の負担は減った。

 

また、朝鮮内部における南部の貴族達の掌握が大凡1割ほど進捗する。李氏朝鮮の内部の腐敗に対する抵抗として、密かに日本と通じる組織が結成された。 

 

 

1643年 北海道で甜菜《⑥》の栽培が始まる。通常の大根よりも甘く、煮つめ汁を集めそれを固めたものが砂糖になると、誰かよくわからないものが発見した為に、当時の石狩藩《⑦》が中心となって栽培を開始する。

 

この年の飢饉は前年よりも改善されて来てはいるものの、収穫量からくる年貢料の減衰により、年貢米による財政の悪化が懸念される。ここから財源の米本位制から金本位制へのシフトが始まっていく。鉱山開発がより盛んになっていった。

 

また、火薬の製造に関してより効率化するために専門の部門が設立される。硝石の確保を最重要とし、古土法を改め培養法と硝石丘法との両方が、各地で行なわれる。

 

 

1644年 国内の造船業に対して、西洋の技術を取り入れ当時の日本としては画期的な造船システムを開始し、1600年初頭のものよりもより生産性が上がった。

オランダから西洋船造船のノウハウとその技士を輸入し、規範とした。もっとも、その艦船は外見はガレオンのようであるが、帆の形状はジャンク船であり、下部に隔壁構造が存在する所謂折衷船である。

 

なお、内航船と外航船のニ種類の型の船舶の建造はその構造故に全くの別物であり、内航船の船大工と外航船の造船技士棲み分けが行われていく。

 

 

時を同じくして明王朝では李自成による反乱と、彼によって建国された順によって、皇帝である崇禎帝が北京に押し込まれ、南京への逃亡まがいの遷都を拒否。それとともに全てを悟ったか自害を行い、ここに正式な明朝が滅亡する。しかしながら、皇帝の娘である長平公主《⑧》が生き延びる。

 

これには当時、明朝に入り込んだ日本の素破が関与しているとされ、後1653年に長平公主は日本へと亡命し遅まきながら天皇の側室として、迎え入れられる。

生き残った明の優秀な官僚たちを抱き込もうと、南朝へと落ち延びるよう説得し回ったようでもある。

 

 

1645年 第12回遣欧使節団《⑨》、オランダ以外の国との外交目的に秘密裏に派遣される。欧州方面へと派遣されていたが、途中英国艦船と交戦、同年オスマントルコへと漂着する。

 

朝鮮に対して外交的圧力を強め、倭寇の取り締まりをするからと港の割譲要求を提案する。そのかわり清への帰順をやめ、日本へと帰順せよとする。天皇の印及び将軍の印のある書状を李氏朝鮮へと送付。

結果 清国日本へと警告の使節を派遣する。

 

明国の長平公主の供回りとなる戦力大凡200を現在の上海で合流させる。

これによって後の世に起こり得る、清への対抗手段としての正当な明朝を作り出そうという画策が始まる。

 

同じ頃、朝鮮半島南部の掌握率が6割を超える。

 

 

 

1646年 朝鮮を巡る交渉の決裂という題目の元、清国との戦争が始まる。同時に書面上の明国との同盟が確立され、名実共に

 

日・明対清・朝鮮

 

の大規模な戦争が勃発する。

 

開戦劈頭、釜山へと上陸する日本軍を釜山の兵達はたいそう歓迎した。歓迎とは正しく、快く受け入れたという意味だ。彼等は野蛮な清朝に対する不満を持っており、それを払拭するためならばどんな手でも使った。これは日本を利用しようという画策であり、逆に利用されたとも言える。

 

これと時を同じくして、南朝鮮では李氏に対する反乱が発生する。これも、長きに間行われてきた調略の賜であった。

この戦争を日本側から見た40年戦争《⑩》という。

 

 

1647年 日本軍漢城まで到達するも、そこから攻勢を停止する。

河川等の自然物を使用し、永久要塞による要塞線を構築し始める。

河川近辺に点在的に駐屯地を設立し、必要最低限の軍を配置しつつ、現地民の懐柔を開始する。

 

日本、明に対して兵の派遣を提案するもこれを拒否されるも、朝鮮との2つの戦線を継続して清を疲弊させるよう提案される。これを日本側了承する。

 

日本国内、蝦夷地その中でかつて征討されたと言われていた蝦夷、その残党と思われる集団がクニ《⑪》と呼ばれる集団を形成していた。日本に帰順することを約束する。

 

この年北海道全土の略図が完成する。

 

 

1648年 オランダ商館から、80年戦争終結が正式に日本国へと通達される。これにより、日本国はオランダとの貿易により力を入れる。

 

オスマントルコから、遣欧使節団が帰国すると共に国交の樹立を行うために再度遣土使節団を行う。多角的な外交を展開していく。

 

 

1649年 朝鮮、臨津河の戦いで大敗する。

日本軍、臨津河以北への破壊工作。山賊等を懐柔し、村落の襲撃を行い、朝鮮北部の兵站線の破壊を開始する。

 

清軍の本隊10万が臨津河へと進軍するも、兵站線のあまりの脆弱性により進軍進まず、平壌で進軍をとめる。

 

日本国、千島列島への移住を開始編入を開始する。

 

大学寮、土壌と作物の関連性を元に、菜作の理《⑫》という本を発表する。

 




1.出島
所謂長崎で有名な出島であるが、この世界では防疫拠点であっても貿易拠点ではない。即ち、国内の港へと入港する際必ず入らなければならい。もし、入らない場合は接収される。

2.第一次遠征軍
オランダへと送った傭兵、としての正規軍。半同盟のような状態であるが、現地の将軍の命令に従いつつも独自の裁量権を認められた部隊。皆教育が行き届いており、基本的な読み書き算術が出来る。

3.もやし
言わずとしれた野菜。日本には平安時代の書物「本草和名」に「モヤシ」として記載される。
また、南北朝時代には楠木正成によって籠城戦の際に使用されたようである。

4.明清交替
歴史上に起こった事実であり、この世界でも予定通りに起こった。

5.救荒作物
代表的な例として薩摩芋がよくあげられる。蕎麦や薩摩芋は、栄養価が低い土壌でも育つので、荒れ地や田が出来ない場所では良く栽培された。なお、薩摩芋はこの時代日本にはまだ広く普及していない。また、薩摩芋は寒さに弱い為に北海道の作付には適さない。やはり、蕎麦または小麦が望ましい。

6.甜菜
現在の国産の砂糖は基本こいつから取られている。ビーツなどと呼ばれることが多いが、シュガービートから採られている日本名は砂糖大根。

7.石狩藩
これは歴史上存在しない藩です。北海道を統治する場合、藩の数は東北と同等の量が必要なほど広いため偽造しました。

8.長平公主
実在した明の最後の直系の血をひく人物。彼女の生涯はあまり知られておらず、その姿はたいへん美しかったようである。

9.第12回遣欧使節団
信長から数えて、12回目の使節団である。もっとも、こんなの現実には存在しません。

10.40年戦争
この世界での日明vs清朝鮮の戦争のことを表す。大規模な戦闘が散発的に行われるが、双方共に自然災害等で休憩しながら戦争を行った結果グダグダと長続きした。結局決着は付かなかった。

11.クニ
小規模な村社会の上位種のようなもの。ある程度のコミュニティであるものの、その人数は決して多いわけではない。代表もフワッとしたものであり、村等が分裂したりして簡単に崩壊することがある。初期の国家体系とでも言える。日本で言うところの弥生時代である。
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