渋谷で百鬼夜行が行われるジャンプの漫画に転生したんで、平安の今から準備する 作:三白めめ
契克の足を液体が伝う。最初は雫のように垂れていた水滴が、流れているといっていいほどにその量を増やしていった。
「破水……とっとと殺さなあかんか」
まもなく羽衣狐が産まれるだろうという予兆。普通の出産と違う点があるとすれば、羊水は黒く濃い畏を纏っているということだろうか。
最良で、出産後に正気を取り戻した契克と羽衣狐を討伐。最悪は、羽衣狐と組んで二対一の状況だ。
回数券を箱から取り出す。仙台コロニーで戦い始めてからずっと使っている現状、あるかもしれない後遺症を気にするほどの余裕もない。
逆鉾を持ち、狙うは膨れた子宮。産まれるのが妖怪か半妖の状態かは知らないが、身動きができないうちに確実に殺せばいいだけだ。それが可能なだけの実力を持っているゆらは、そのままであれば確実に殺害を成し遂げていた。
突如として、時間の流れが早くならなければ。星が高速で宙を流れ、木々は青々とした葉を落とした冬になる。ゆらはただ一人、自身が取り残されているのを感じた。まるで神がそう意図したかのように。
「母に死なれては困る。努力を無為にするのは心が痛むが、こちらとしても悲願なのでな」
そして、契克がその場を離れて別コロニーに行ったりする景色が過ぎ去っていき、ゆらの認識において一瞬で冬になった頃。
契克の股の間から、足と尻尾が見える。逆子と形容できるだろうそれは、しかし強大な妖の誕生としては相応しいものだった。
十本の尻尾が周囲を薙ぎ払う。まだ生れ落ちていない赤子にもかかわらず、その風圧だけで壊れかけのビルが全て崩れ落ちた。
「……大人しくしとけや!」
ゆらもまた距離を取らされる、その寸前。契克の懐へと手を伸ばす。先ほどまでは何も持っていなかったゆらの左手には、鎖──万里ノ鎖が握られていた。
「当面はこれでなんとかなりそうやけど」
水溜まりになるほどに滴り落ちた羊水に、ぺたりと小さな足が着く。産まれた赤子は猿のようだと聞くが、今しがた誕生した彼女は初めから完成された美しさを持っていた。数瞬ごとに成長していくその体は、京都で見たのと同じ姿へと戻っている。違う点と言えば、服が和装であるという点くらいだろうか。足元にある畏の羊水が羽衣狐に集まり、その服を形成した。
「蘆屋……いや、破軍の娘に烏崎か。出迎え御苦労」
再誕して、京の出産と同じような尊大さを見せる彼女に警戒を解かず、ゆらは必要なことだけを確かめる。
「一応聞いとくわ。ここで闘る気は?」
「妾は晴明に会いに行く。邪魔をせぬならこちらも手を出さぬよ」
羽衣狐はゆらと契克の両方の方へと向き直った。
「晴明からそなたらのことは聞いていた。これからもなかよくしてくれると嬉しい」
最後にそう言い、羽衣狐は彼方へと跳躍した。薬物で強化されたゆらの動体視力をして普通に動きを捉えられる事実は、即ちゆらほどの実力が無ければ一方的に敗北するということを意味している。
「まあ、それはええか。奴良くんとかがなんとかするやろ」
妖を見逃すのはどうかと思うが、少なくとも今のゆらにとって、その後のことを考える余裕はなかった。羽衣狐の出産を終えた契克だが、その残滓といえる畏がまだ残留している。二対一では勝ち目が薄かった以上、ここは見逃すことに天秤が傾いた。
「正気には……戻ってなさそうやな」
四本の尻尾はゆらの方を向いており、敵意を持っていることもまた感じ取れた。とはいえ、竜二ならともかくゆらにとって説得で正気に戻すような話術は得手でない。やるべきことは簡単だ。
「死んでも文句無しやね」
殴って元に戻す。死んでもまあそれはそれで予定通りだ。ゆらの放つ敵意に反応したのか、契克もまた言葉を返す。
「この終わりに何があるかなんてわからない。けど、私はそれを見るために耐えてきたんだ」
「分かっとる。そんで、私らにも守るべきものはあるんや。……始めよか」
死滅回游を終わらせる手段は分からないが、どうすればそのための足がかりが生まれるかについては見当がついている。だからこそ、呪術廻戦における正しい終わりを知ることができなかった契克は、この機会に期待するしかないと考えていた。
そして、ゆらはそれを許容するわけにはいかない。
最初に動いたのはゆらだった。いつぞやの戦いとは逆に、万里ノ鎖を取り付けた天逆鉾を投擲する。同時に極ノ番を起動。今までの戦闘で使用した呪力は、回数券によってすべて回復していることで万全。もちろん何のリスクもないと思ってはいないが、何も果たせず死ぬよりはマシだ。
対して契克の四本目の尻尾が動く。それとともに無数の撥体が射出され、ゆらに襲い掛かってきた。空中に飛翔して三次元的軌道を描くゆらだが、的確な射撃精度によって常に動かざるを得なくされている。
「呪力消費が……っ」
羽衣狐の尻尾が転生した数と話していたことから、契克の持つ本数から考えておそらくあと三回の変化を残していると考えると、できれば呪力消費は少なくしたい。後に控えているのが、戦国における芥見と、平安の烏崎契克と推測できることからもなおさらだ。
逆鉾で牽制を放ちつつ最速の発生速度を誇る禄存の角で迎撃し、廉貞による砲撃で的確に傷を与えていく。ゆらの反転術式は軽傷に対して任意で発動させるものと、欠損や重傷を自動で治す二種類に設定されていた。現在は軽傷のみで、呪力消費の多い後者は発動していない。
「……決定打があらへん」
しかし相手も尻尾でこちらの攻撃を逸らしている。逆鉾は発動中の術式を解除する効果を持つが、撥体のように発動した結果を打ち消すことはできない。となれば、射撃による削り合いが主となる。
毒々しい色をした人や妖の成れ果てと、金属が宙に描く軌跡がぶつかり合う。そして、現在の烏崎契克は本能で動く妖に近い戦い方をしていた。つまり、使用回数の少ない鴉羽の武装より、撥体のような使い慣れたものを扱うパターンが多い。そうなれば、手数の差でゆらに劣る契克がひざを折る方が先だった。
「……あと三本や」
四本あった尻尾の内一本が消滅する。そして、三本目の尾から放たれた畏が霧のように契克を包み、それが晴れた時にはまた別の姿へと変わっていた。
両手に火縄銃を持ち、足軽のような軽装の上にコートを羽織っている。性別が変わらないのは、器が強固に作られていたからか。
「やっぱり同一人物やんか。芥見」
契克と直接会って話したことで予想はしていたが、実際に知る者は天海や心結心結だけだった秘密をゆらも実際に認識した。
芥見という偽名を使っていたが、間違いなく彼は烏崎契克だろう。
「殺すことが選択肢にあるんだ。幸福は、他人の人生を消費してしか得られないのだから」
「それでも、全部奪わなあかんわけやない。他人を犠牲にしなくてもええ人を一人でも多くするために、私らがおるんやから」
戦国で、他人を殺さなければならなかった以上しょうがないと納得する。そして、それを自分の中で割り切らないとやっていけないという弱さも理解を示した。そのうえで、ゆらはその奪うことで成り立つ幸福を全て肯定することはできなかった。それが花開院ゆらという術師が術師であり続ける理由であり、義務教育を終えていないうちから呪詛師を殺すことを受け入れられる程度にはイカレている所以でもある。
「近づけへんのは面倒やな。さっきと同じやり方で効くかわからへんし……」
推測だが、契克は夢を見ているのに近い状態だろう。ある程度の衝撃や傷といったダメージを与えれば、見ている夢にも影響が及ぶ。目が覚めるまで殴り続ければいいというのはゆらにとっても分かりやすくてありがたかった。
だからこその、それぞれ違うやり方でないと夢を変化させることができないのではないかという懸念だ。
空を飛んでいるゆらへハリネズミのように回避しようもない弾丸が迫る。
「武曲、巨門!」
武曲の薙刀に巨門を融合させ、巨大化した武具によって弾丸を弾く。それを契克に向かって投げつけ、同時に突進。近距離での格闘に持ち込んだ。万里ノ鎖が持つ無限の射程という利点が失われるが、あれは連射される銃撃を相手取るには心許ない。
銃床を使っての振り下ろす打撃を落花の情で迎撃し、逆鉾で銃を狙う。現代でもわざわざ火縄銃を使っていることから考えると、間違いなく遷煙呪法で連射可能にしている。なら、天逆鉾による術式解除が有効に働くだろう。鎖を振り回して攻撃に使いながら、腕ごと銃を斬り落とそうとする。
「今はどうせまた生えるやろ」
足払いをその場で跳んで躱し、その隙に頭部を狙って放たれた弾丸は射線上に割り込ませた鎖で受け止める。銃や殴打の余波で比較的無事だった周囲の建造物が崩れていく中、ゆらと契克は煙を揺らめかせて攻撃の応酬を行っていた。
そして──
「これで!」
ゆらの逆鉾が両腕を斬り落とすとともに、呪力が大量に込められた銃撃が至近距離の腹部で炸裂する。吹き飛ばされ、爆発によって体の向こう側が見えるくらいに穴が開いたゆらだが、反転術式によって即座に治療を行う。
ゆらが態勢を整えたのと同じくして、契克の尻尾がまた一本消滅する。残る尾は二本。そして、それがゆらの記憶にある限り最も手ごわい状態だった。
「久しぶりやな。"烏崎契克"」
平安の術師、烏崎契克。蘆屋道満の記憶を追体験したゆらにとっては今の契克以上によく知っている時代の相手だ。姿はいつぞやの気まぐれで着ていた五条袈裟であり、少女の姿には多少アンバランスにも思える。
「ねえ、道満。正義の是非を問うなら、秤がずっと傾いていればいいと思わないかい? 心が揺れなければ、常に公正な結果を出せるのだから。独りで生きるには、私たちの世界が広くなり過ぎた」
「それでも、夢のために進んだことは否定せんよ。それは、あの場にいた誰も否定せんし、否定させん」
玉折事変、いや、その前の晴明に起きた悲劇から始まった離別は悲しいものだった。道満の記憶を鑑みるに、あの別れは三様に惜しんでいたものだった。だが、それが間違いだったとは思えない。ゆらからすれば晴明の思想は受け入れられないものだが、それでもその理想に救われた者もいるだろう。喚き散らす非術師を救う価値があるのかと悩んで、そこで同じ悩みを持つ相手に相談できるというのはいいことだと考える。ゆらは一人で結論を出せるほどに強いが、彼女自身も皆が自分程強くはないと理解していた。
契克も同じだ。一歩間違えれば呪詛師に堕ちる、呪術の探求というテーマを術師として在りながら行える受け皿を作った。それは尊敬すべきことだろう。
二人は二本ずつ回数券を取り出し、火を付けた。箱には『いざというとき以外は二度キメをやめましょう』と書かれていたが、今こそがそのいざというときだ。
ゆらの認識する世界が減速する。その中で自分と契克だけは通常の速度で動いていた。
「式神──いや、殴る方が速い!」
今までの式神六種による完全融合に、新たに術式反転によって追加した式神も加える。龍の尾と角が生え、背中からは翼のように異形の槍──憑鬼槍が突き出している様は妖の域に近いと言っても過言ではなく、しかし人のままで戦っていた。
遷煙呪法による煙がゆらを囲む前に、尻尾で辺りの空気を薙ぎ払う。煙が爆ぜたことから、捻目山の時に見た丹引という手法だろう。
契克の蹴りが天逆鉾を持つ右腕を捉え、十数メートル先へと吹き飛ばす。回収は不可能と判断したゆらは背中の槍を契克に突き出した。足を振り抜いた状態の契克はそれを戻す反動で宙返りを行い、突き出してきた槍を掌で押さえることによって軌道を変える。
もちろん高速で繰り出される刺突に触れた手はボロボロだが、その速度によって煙のようになった血がゆらの傷口に入り込もうとしてきた。体内に入れば、そこからの丹引で呪力の防御を無視した爆発が発生する。いわば必殺の一撃だ。
「知ってたけど厄介やな! 出血してもさせても有利とか!」
とはいっても、玉折事変で戦った以上その対策も確立している。自身と融合している武曲の鎧を即座に展開。義手のようにはなるが、これによって傷口を塞ぐことができる。あとは反転術式で出血だけ止めればいい。最低限の呪力消費での応急手当。それでも道満が僅かに後れを取ったのはその腕の反応速度が落ちるという点に由来するが、ゆらはそれを槍の翼と龍の尾で補う。
そして、実力が拮抗しているのなら決め手は未知のものであり──
「虚式──うずまき」
あくまで平安の頃を夢に見ているだけの烏崎契克では、最強の一撃を手に入れたゆらの初撃に対応することはできなかった。
──そして、最後の尾だけが残る。同時に、黒い霧が契克を包んだ。また姿が変わるのかと思ったが、そこにいたのはただの人型の存在だった。顔は黒く塗りつぶされており、服装もぼやけて特定の個人と認識することもできない。
「空想が現実になることなんて、誰も望んじゃいなかったんだ」「執念も消え果てたのに、未練だけが残っていた」「俺が誰なのか思い出せないのに、苦痛だけは離れない」
それは、真に前世と呼べるものの残骸。烏崎契克が捨て去った誰かの思いだった。
それは時々決まった形を取る。目を隠した長身の男性や、火山を思わせる頭部の異形など。だがそれらに強者特有の圧は感じられず、まるで影法師のような不安定さを漂わせていた。
「今のあんたが誰かは知らへんけど、それは分からんでもないよ。私らはどうしようもなく、表の世界には辿り着けへん。たまに、血の匂いのせん生活を考えることもある」
ゆらはきっと、世間一般からすれば「かわいそう」と言われる部類の人間なんだろう。呪詛師や人格を持った妖怪と戦うことを生まれた時から決められて、物心ついた時には殺しの技を叩きこまれた。それでも、ゆらは逃げようと思ったことはなく後悔もしていない。転校という形で中学に行き、契克やリクオといった仲間の他に、清継や家長カナといった守るべき人たちを明確に認識してその温かさに触れた。
「恐怖を恐怖として受け止めて、そのうえでそれを糧として生きることができる。その日常を守るために、闇は暗いままでないとあかんのや」
妖怪がいなくなれば人は平和に生きていけるのか。その問いはよく議論される。そしてその答えは否だ。妖怪は畏れられ、そして消費され忘れ去られるだろう。しかし眩い闇の下では、不条理と不可能に立ち向かう者はいなくなって、人の醜さを直視することになる。
「空想が現実になって、人は生きてける。せやから目ぇ瞑って、その痛みを暗がりの中に押し付けて生きてくしかないんやろ」
どうしようもないことは、それはそれだと割り切ってしまえばいい。できる限りのことはして、それでも無理なら無理だと諦めるのも肝心だ。それが出来なくて潰れてしまった
ゆらはただひたすらに駆ける。なんとなくあの影法師がどういうものかを認識していた。あれは畏そのものだ。
故にすべきことは単純。気を取られずに、真っ直ぐ走って、思いっきり顔面を殴る!
その勢いのままきりもみ回転し、顔のない誰かは纏う畏ごと霧散した。仮面が壊れるように、黒く塗りつぶされた顔が再び見えるようになる。
最後の尻尾もまた消え去り、結界全体を覆っていた煙もまた晴れた。残っているのは更地になった戦場と、ゆらと契克の二人だけだ。
契克はしっかりと目を開けていて、畏ももはや残っていない。烏崎契克を正気に戻すという点において、もはややることは残っていなかった。
「何をしたいかなんて、最初から存在しなかった。ここにいることに意味を見出せなければ、オレが崩れていきそうで」
捨てられた子犬みたいになっている、眼前の彼女をそのままにしておくのであればという話だが。
「……でも、あんたは晴明の手を取らへんかった」
人生に意味を持たせるなら、晴明の誘いに乗ればよかった。そうすればきっと、『世界は晴明の望む通り平和になって、多くの人が幸せに暮らしました』で終わるだろう。
「……奇跡に意味を見出したかった。長い時間をかけて、それが全て勘違いだと知った時、それが最後の縁だったから」
要は、確率の低い方に賭けたのだと。確かに契克から聞いた通り、黒閃が成功することは極めて稀らしい。ただ──
「一人だけ賭ける側気取りなんてええ度胸やんか……」
ゆらとしては気に入らなかった。道満としての記憶を持っている以上、晴明にもある程度友情は感じているが、だからこそ。
「なんで私の友人は悉く神様気取りやったり神様になったりするんや!」
神になって愚民を支配するだとか、神様気取りの傍観者として賭けを見守るだとかが本当に気に食わない。
「──なら、わからせたるわ。あんたは私の友達、烏崎契克やってなぁ!」
だから、ここまで降りてこいと、ゆらは
もしくは、過去を受け入れて勘違いに向き合う話。