魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
戦いが始まり、大勢の生徒達は悲鳴と共に逃げ惑う。
激しい乱戦はホール一帯で繰り広げられている。その争いから避けるように、壁際の方へ離れていった。
しかし、先刻降り注いだ雨のせいで床が濡れており、焦れば焦るほど滑って転んでしまう。
「スティックス様! 何故逃げるんですか!?」
「じょ、冗談言うなよ! こっちが殺される!」
三年生の男子達は常日頃から魔法の腕前に自信を抱き、卒業したら王軍に仕官して国に奉公するのだと夢や理想を友人・恋人に語っていた。
だが、今やそんな大言壮語も忘れて、完全に腰が引けてしまっていた。
目の前で恐ろしい敵を前にして果敢に立ち向かうのは自分達よりも年下の下級生。
最初は同様に臆していたはずの少年達は、手にする光の刃を振るう姿も相まって一層輝かしく見える。
「何をボーッと呆けとるんじゃ! 早う、
腰を抜かしたまま床を這い蹲っていた教師達はオスマンの一喝にハッとしだす。
「動ける者は、とっととお逃げなさい!」
「うわああああっ!!」
エレオノールまでもが檄を飛ばすと、生徒達は突き動かされるように駆け出していた。
一斉に食堂に続く二つの階段へと我先になだれ込むが、当然何十人も一度に通れるはずがないので入口で閊えていた。
「邪魔だ! どけ!」
他の生徒達はもちろん、階段の入口から様子を窺っていた平民の給仕達をも押し退けていく。
「シエスタ! どこ!?」
マルト―や他のメイド達は群衆の波に押されそのまま食堂まで降りていたが、シエスタの姿だけがない。
「いたた……」
生徒の一人に突き飛ばされて手摺の横で倒れ込んでいた彼女はよろよろと立ち上がる。
「ティファニアさん……!」
だが視界に映ったものに目を見開いていた。
ホールの中央では、まだカトレアとティファニアが床に蹲ったままでいるのだ。
しかも、目の前にいるメイジは纏わりつく動物達を引き剥がしながら杖を向けようとしている。
(駄目……!)
その光景を目にした途端、反射的に床に落ちていたフライパンを拾い上げていた。
◆
オスマンを筆頭に教師達が生徒達の避難誘導を行う間も戦いは続いている。
「ええい! このガキどもが!」
偏在のワルド達は数人がかりで挑んでくる男子達のブレイドの光刃を、華麗な動きでいなしていった。
杖で捌きながら一瞬の隙を突いて反撃に転じ、猛風の一撃や風の刃、稲妻を放つ。どれもまともに食らえばただでは済まない。
「マリコルヌ!」
「うわあっ!」
「やらせるかってんだ!」
三人が重ねて前にかざした光刃は、電撃を受け止めていた。
ワルドの魔法はいずれも挑んでくる男子達を蹴散らすことは叶わない。
彼らは相手の反撃に即座に反応し、横や後ろに退いて辛うじてやり過ごしていた。
「魔法を使わせるな!」
「おっしゃっ!」
魔法を撃とうとしているのを見ると、小技の魔法で妨害まで行う。
「こんのおっ!」
マリコルヌは相手の横からタックルを仕掛ける。
「っ……!」
他の生徒達よりも巨体であるのもあってか、大人であるワルドを僅かながらよろめかせた。
「今だ!」
魔法を撃つタイミングがずれ、その隙にレイナールとギムリが斬りかかっていった。
「ドットごときが、生意気に……!」
腐っても魔法衛士隊の隊長だったワルドの戦闘技術は実に洗練されている。
杖や魔法だけでなく体術も駆使していくのだが、男子達もまた彼に及ばずとも学生とは思えないほどに戦い慣れた動きで接戦を繰り広げていた。
中でもギーシュの戦いぶりは群を抜いていた。
他の男子達が数人がかりでやっとワルドに抵抗できる中、彼だけが一対一で渡り合っている。
「おっと! させないよ!」
ワルドが魔法の矢を放つと、ギーシュの脇で浮遊する青銅の丸い盾が風のような速さで正面に移動してきて受け止めた。
盾はすぐ横に退くと今度はギーシュが剣を振りかぶり、敵に踏み込んでいく。
「ドットの分際でスクウェアに歯向かうなど、相変わらずグラモン家は浅はかな命知らずだな」
ギーシュの剣を杖で受け止めながらワルドは鼻で笑いだす。
「お褒め言葉、感謝するよ……! ええいっ!」
口元を綻ばせることで返したギーシュは剣を押し出し弾くと共に、足を蹴り上げた。
杖を持つ手を狙ったのだが、残念ながらもう片方の手で弾かれてしまう。
だがギーシュは即座に剣を大きく後ろへ引き――
「イヤアアッ!!」
一気に突き出してワルドに突進した。
身体を横に捻ってかわされるも、刃はワルドの胸を掠めていた。
「甘いわっ!」
横に回り込んだワルドは杖に纏わせたブレイドの光刃を、ギーシュの頭目掛けて振り下ろそうとする。
「ぐっ!?」
だが浮遊していた青銅の盾がまたも割り込み、ワルドの杖を受け止めてくる。
「残念っ!」
振り向き、したり顔を浮かべながらギーシュはワルドから距離を取る。
「僕がアルビオンの時のままだと思わないことだね! これまでの修行の成果、とくとお見せしよう!」
「ほざくな。たかが剣ごときで何ができる?」
「その剣に……スパーダ君に君は負けたんじゃないのかね?」
浮遊する青銅の盾を侍らせながら、ギーシュはふふんと笑ってみせた。
「……悪魔の教えを受けるとは、この恥知らずめが!」
「君の方がよっぽど悪魔じゃないか!」
放たれた電撃は三度、青銅の盾によって阻まれる。
ギーシュは剣を投げ放ち、杖を振るって操りワルドの四方八方から鋭く回転する刃を襲わせていた。
一方、いまだ何人かの生徒は腰を抜かして動けないままでおり、乱戦が繰り広げられるホールの戦場の中に取り残されていた。
彼らは果敢に戦いを挑む学友達を呆然と眺め続ける。
最初は自分達と同じように恐怖に慄いて動けなかったはずなのに、ギーシュの勇気が伝番したように見違えるほどだった。
「ギーシュ……」
特にモンモランシーは、そのギーシュの戦いぶりに呆然と目を奪われていた。
いつもはブラッディパレスの特訓をすぐ見飽きるのに今度ばかりは目が離せない。
「あれ、本当にギーシュか?」
「つ、強えぇ……」
彼女だけではない。普段はキザったらしい仕草ばかり見せて格好をつけているギーシュのことしか知らない者達もまた同様だった。
ギーシュはドット。相手はスクウェアのメイジ。本来なら勝負にすらならない。
にもかかわらず、彼の剣技は互角に渡り合っているのだ。
しかもその姿は、別人のように力強く勇ましい。
(ミスタ・グラモンがここまで強いなんて……)
アンリエッタもまた彼らの戦いを愕然と眺めていた。
目の前で繰り広げられる戦いは、近衛の魔法衛士隊や新設の銃士隊……他にも色々な騎士達にも匹敵する。
しかもチームを組んだその動きは決してバラバラではなく統制されており、実に巧妙な連携を発揮していた。
(スパーダ殿の教えが、ここまで彼らを強くしたのね……)
学生であることを疑ってしまうほどの勇猛果敢さだが、アンリエッタには納得できる所があった。
元々、彼らは魔剣士スパーダから剣技を教わっていたという。
しかも、ヴェストリ広場にあった彫像――ブラッディパレスという修練場で毎日特訓に明け暮れていたのだ。
ブラッディパレスを作ったのもスパーダであると耳にした時、あの修練場での戦いが決して児戯などではないことをアンリエッタは認めていた。
悪魔の秘儀により作られたものが、ただのコケ脅しで済まされるはずがない。幻であろうとあれは本物の戦いなのだ。
猛獣から亜人、幻獣……果てはメイジの騎士達と、既に彼らは数多の敵を相手にしていた。
事実、実戦を積み重ねた彼らは魔法衛士隊の一員だったワルドとあそこまで渡り合うことができている。
(やはり、彼の力が必要なんだわ)
スパーダは一介の学生達を、本物の戦士へと生まれ変わらせた。
彼らは全員がドット。それが、スクウェアを相手にあそこまで戦い抜いている。
自分達にはできないことを、あの男はあっさりとやってのけたのだ。
メイジの……人間の強さは、魔法やメイジのクラス・優劣だけが絶対ではない。
目の前で起こる現実がそれを証明していた。
「受けよ! 我が師、魔剣士スパーダ直伝の奥義を!」
叫びながら剣を構えて突貫するギーシュ。
両手でしっかりと握られ、体ごと振るわれた力強い振りをワルドはあっさりとかわしてみせる。
「やはり馬鹿の一つ覚えだな。剣など相手ではない!」
何度も振るわれる剣撃をワルドは杖でいなしつつ魔法を叩き込もうとすると、またしても青銅の盾が割り込んできた。
しかし、何度もワルドの攻撃を阻んできたせいでついに耐え切れずに砕かれてしまう。
その間に、ギーシュは後ろへ大きく跳んで下がっていた。
同時に剣を――刀身をブレイドのように光を纏わせながら、背中に達するまで大きく振りかぶりだす。
「でやあああっ!!」
一気に振り下ろされ剣先が床に叩きつけられた瞬間、それは起きた。
「あれは……!?」
アンリエッタもその光景に目を見張った。
ギーシュの剣から光の波が放たれ、ワルド目掛けて床を突き進んでいくのだ。
「っ!?」
これにはワルドもはっきりと驚き慌てて横へ大きく飛び退く。
マントを掠めた衝撃波は転がっていた他の刺客の骸を弾き飛ばし、すぐに勢いを失って沈むように消え去った。
「……ぬっ!?」
着地したワルドだったが、濡れた床に足を滑らせ体勢を崩してしまう。
「やあああああっ!!」
「ぐはっ……!」
咆哮を上げて一気に突進したギーシュの剣が、受け身を取ろうとよろめくワルドの体を貫いた。
懐に飛び込まれ腹のど真ん中に突き込まれたワルドはがくりと力を失い、うなだれる。
直後その体は小さな風を辺りに撒き散らしながら消え去っていた。
刃には不思議なことに血が一滴もついていない。
「か、勝った……」
ギーシュは唖然としたまま己の手を見つめていた。
手が、いや、足はおろか体全体がプルプルと震えている。
だがそれは恐怖からきているのではない。
「やった……やったぞ! 僕が、あいつに勝ったんだ……!」
歓喜の声を上げてギーシュは打ち震えていた。
夏期休業の間、実家に帰省していたギーシュはより強くなるためにも特訓に明け暮れていた。
元魔法衛士隊の父に組み手を頼み込んだら、快く引き受けてくれた。
老いて現役を退いたとはいえ、父の騎士としての実力は未だ健在だった。
魔法衛士隊の頃の制服に着替えた父との組み手は過酷だったが、色々な戦いの工夫などを徹底的に教えてくれたのである。
特に先程の青銅の盾は、ゴーレムを生成し操る魔法の応用で伝授されたもの。
何もゴーレムは人の形にする決まりはないというのが父の教えだった。
見栄えは少し悪くなるかもしれないが、と付け加えてではあるが。
(できればスパーダ君の奥義で倒したかったな)
ギーシュはこの夏期休業の間でどうしても成し遂げたいことがあった。
魔剣士スパーダが用いる剣風の衝撃波――あれを自分も使ってみたかったのである。
以前、どうやって使うのかをスパーダ本人から聞いてみたことがあったが、その答えは実に単純なもの。
――剣に魔力を乗せればいい。後はそれをどう解放するかだけだ。
だが実際にやってみるのは難しかった。
ブレイドの魔法を応用することを考えたギーシュは何度も何度も練習した。
最初は当然、飛ばし方も分からずに苦労した。だが、次第にコツを掴んでブレイドの魔力を投げつけるようにしたら上手くいったのだ。
その様を見た父も驚くと共に〝あんなブレイドの使い方は始めてだ〟と褒めてくれた。
とはいえスパーダが使うのとは天と地の差。
彼のように全てを破壊するような威力はないし、せいぜい10メイル以内ですぐ勢いを失って消えてしまう。
それでも、この新たな技をギーシュはブラッディパレスで何度も使ってみせた。
最初は目新しさから多くの生徒達に驚かれ注目の的だったが、一日で飽きられてしまったが。
――私が教えた訳ではない。お前が自分で身に着けたのだろう。
スパーダからのコメントはそんなものだったが、ギーシュが自力で技を得たことに感心した様子だった。
「やったぞ父上……! スパーダ君……!」
とにかくギーシュは勝った。分身とはいえ、スクウェアメイジ……魔法衛士隊の隊長だった男に勝ったのだ。
ブラッディパレスに一人で挑戦していた時にも現れたが、いつも惜しい所で打ち負かされてしまっていた、乗り越えるべき敵。
キュルケはおろかタバサもいない中、何度も不覚を取ったはずの相手に打ち勝てたことは自らの成長を実感させる。
……実の所、彼が宿す悪魔の力を使われでもしたらどうしよう、と内心冷や冷やしたのだが。
「モンモランシー……!」
愛する女性の方を振り返ると、彼女もまたギーシュと同じように安堵した顔を浮かべていた。
「ギーシュッ!?」
「……っ!?」
轟くモンモランシーの悲鳴。同時に突然背中から衝撃を感じると共に、体に鋭い激痛が走った。
いつも開けているシャツの胸元の中心から、細長い光が赤い液体を噴かせながら突き出ていたのだ。
「がっ……!」
「図に乗るな……!」
背後から聞こえるのは、ワルドの声。
自らに抵抗する生徒達をようやく蹴散らした一人が、ギーシュの背後に忍び寄っていたのだ。
背中から突き込まれた杖はギーシュの体を心臓もろとも貫いたのである。
◆
ホールのほぼ中央でいまだカトレアはティファニアの体を抱いたまま蹲っていた。
目の前では動物達がワルドの体に張り付き、動きを止めている。
特に虎や熊ら猛獣達は杖を持つ腕や足に鋭い牙を突き立て噛みついていた。
このまま引き千切ってしまいそうな勢いだが、ワルドも激しくもがいて抵抗している。
「さっさとカトレアから離れなさい! この痴れ者め!」
エレオノールが杖を手に駆け寄ってきた。
魔法をワルドに叩き込もうとする彼女を目にしたカトレアは思わず叫ぶ。
「待って! エレオノール姉様! 魔法を使わないで! その子達まで傷つけてしまうわ!」
「こんな時に何を言ってるの……!」
カトレアの制止にエレオノールは戸惑った。
ワルド達はホールに何人もいるが、目の前のワルドは血を流している。
偏在の分身は血を流すことはないので、これが本体であるのは明らかだ。
術者を仕留めれば他の分身も消えるので、こいつを倒しさえすれば全てが片付く。
その千載一遇のチャンスだというのに、カトレアは自分が連れてきた動物達のことをこんな時まで気にかけているのだ。
「うっ……!?」
「エレオノール先生……!」
突風が吹き荒れ、エレオノールの体を床の上に吹き飛ばした。
さらに動物達も次々と周りに跳ね飛ばされていく。ワルドが風の魔法を一気に解放したのだ。
「まったく……ルイズもお前達も、ヴァリエールの三姉妹は、どいつもこいつも面倒な女だな……」
溜め息交じりに低い声で呟きながら、ワルドは顔を上げた。
体の至る所に手酷い傷を負い、血を流しながらも彼は参ることなくしっかりと立っている。
「……いいだろう。まとめて始末してやる。ああ、安心していい。ミス・カトレア。あなただけは特別だ。あんな鋼鉄のような女など、人質にもならんからな」
ちらりとエレオノールを忌々しそうに一瞥すると、今度はカトレアとティファニアに冷酷な視線をぶつけてくる。
「あ……」
杖には突風が纏わりだす中、横から大きな影が飛びかかりだしていた。
風魔法で蹴散らされつつも起き上がっていた虎が再び襲い掛かったのだ。
「ダメっ!」
それを目にしたカトレアはまたも悲鳴混じりに叫びだす。
激しい唸り声と共に牙を剥き出しにして食らいつこうとする虎をワルドは振り向きもせず杖を振り上げた。
疾風の刃を纏った杖が虎の胸を深く穿ち、呻きと共に鮮血を飛び散らせる。
巨体は瞬く間に勢いと力を失い、ドスンと床に落ちて横たわった。
「ああっ……!」
悲痛な呻きを漏らすカトレアに同調してティファニアも同じような顔を浮かべる。
あれだけ力強そうだったはずの虎は弱々しい呻きを掠れさせて苦しそうにしていた。
「ふん……」
つまらなそうに鼻を鳴らすワルドはティファニアを見下ろしながら杖を構えだす。
光の刃が纏わりだし、ティファニア目掛けて突き下ろそうと振り上げたその時だった。
「ぐおっ!?」
ワルドの顔面に何かが飛んできて、鈍い音を響かせながら直撃したのだ。
甲高い音を立てて床に落ちて転がったのは……フライパンだった。
突然のことにカトレアもティファニアも呆然としてしまう。
「シエスタさん……」
後ろを振り向くと、小走りで駆け寄るメイドのシエスタの姿がそこにあった。
今のフライパンを投げたのは、彼女であることは明らかだ。
シエスタは自分が投げたフライパンを再び拾い上げると、顔を押さえて激しくよろめくワルドへ駆け寄りだす。
「ええええいっ!!」
一気に肩まで振りかぶったフライパンを横に薙ぎ払い、再びワルドの顔面に叩きつけられた。
強烈な打撃音を響かせて、ワルドの体は横合いに大きく吹き飛ぶ。
実に5メイルは吹っ飛び、床の上を豪快に転がされた。
「はぁ……はぁ……」
肩を上下させながら息を乱すシエスタを後ろの二人は呆気に取られたまま見つめている。
余程強烈な一撃だったのだろう。フライパンは大きくへこんでいる。しかも自分より体格も優れる大人のワルドをあっさりとあんなにも吹き飛ばした。
年若い娘には似合わない物凄い力と威力にさすがに驚いてしまう。
「この平民が……貴様なんぞに用はない……!」
ゆっくり体を起こしたワルドは極めて不快そうに顔を顰めていた。
鼻が折れ、鼻血を流しながらもシエスタを睨みつけて威圧してくる。
あれだけ手痛い傷を負い続け、しかも致命傷になっていてもおかしくない今の一撃を受けても、相変わらず参る様子がない。
普通の人間ならとっくに耐えられず昏倒するか、あるいは命を落としていてもおかしくないはずなのに、まるで痛みを感じていないのかと思わせるほどにワルドの姿は異様だった。
「ただのメイド風情が……でしゃばりおって……! そこをどけい!」
「させるもんですか……!」
ワルドの威嚇にも怯まずシエスタはフライパンを構えて二人を庇うように立ちはだかる。
「シ、シエスタさん?」
ティファニアはおろかカトレアも困惑気味に目を丸くした。
シエスタはただのメイドであって魔法が使えるメイジではない。
だが、彼女の全身からは薄らとした光の靄が湧き出し始めているのがはっきりと分かる。
「貴様……もしや……?」
ワルドもまたシエスタの異変に気付いて眉を顰めだす。
ハルケギニアでは珍しい黒い髪と同じ色をしていたはずの瞳は、徐々に赤みを帯びていく。
それにつれて彼女の呼吸も興奮しているのか荒くなっていき、心なしか顔つきも先程までとは打って変わって険しくなっていた。
(もしかして……)
カトレアはハッと気が付いた。
彼女は平民だが、普通の人間ではないことをティファニア共々知っている。
傷ついた者を癒す特別な力――それはシエスタの身に流れる悪魔の血が成せる技。
普段は一切気配さえ感じさせない魔力が、彼女の全身を駆け巡っているのがディテクト・マジックを使わなくてもはっきり分かる。
女の細腕では考えられないあの馬鹿力もまた、悪魔の血がもたらしたものなのだ。
「……死ねっ! 悪魔め!!」
「うああああああああああっ!!」
振り降ろされたブレイドの光刃を、絶叫と共にフルスイングされた鉄のフライパンが豪快な音を立てて弾き返していた。
◆
アルヴィーズの食堂から避難した生徒達はそのまま本塔から外の中庭に飛び出てきていた。
これでもう危険は去ったのだと安心したのも束の間――
「ま、また怪物だ……!」
「あんなにたくさん……!」
玄関から外に出た途端、彼らの目に飛び込んできたのは別の恐ろしい光景だった。
翼を生やした亜人――先刻、ダンスホールで目にしたレコン・キスタの一人が姿を変えたのとはまた別の異形の姿がそこにはあった。
しかもその数は一人や二人ではない。
「コルベール先生!」
宙を舞う十体近くもの亜人達に取り囲まれているのは、教師の一人であるコルベール。そして、エレオノールの従者であるモデウス。
「来てはいかん! 離れていなさい!」
コルベールの叫びと共に亜人――アンジェロ・ワルドは一斉に襲い掛かってきた。
手にする槍を突き出し半数が竜巻を放ち、また半数が翼を広げて躍りかかってくる。
「――フンッ!」
モデウスが体を反転させマーシレスを勢いよく薙ぎ払うと、鋭い突風が巻き起こる。
「うわっ!?」
「きゃっ!」
玄関口まで届くほどの強風はワルドの魔法を阻み、突貫さえも押し留めてしまう。
その怯んだ一体に向けてコルベールの放った火球が飛び、容赦なく包み込む。
だが炎に包まれたワルドは即座に煙のように消え、炎も瞬く間に縮んで燃え尽きる。
今のは風の偏在の分身だったようだ。
『馬鹿な! 何故、貴様ごとき平民に!?』
『たとえ貴様がメイジ殺しだろうと、私の力が劣るはずがない!』
ワルド達は困惑した様子でモデウスに見入っていた。
静かにマーシレスを片手で正面に構え直すモデウスは冷たい瞳でワルドを見返している。
その視線は周りの分身など目も暮れず、本体から外されないままに見据えられていた。
『Die! coward!(死ねぃ! 弱者め!)』
一斉に大きく翼を広げるワルド。舞い散った無数の銀の羽は次々と鋭い刃へと変化し、切っ先が二人へと向けられる。
「先生!」
何十という数の刃が四方八方から襲い掛かり、生徒達の悲鳴が上がった。
避けようのない攻撃を前にしてコルベールは落ち着き払ったまま杖で足元を小突きだす。
『ぬっ!?』
突如、轟音と共に二人の周りの地面から無数の青白い炎が猛烈な勢いで激しく噴き上がり、壁を成してその姿を覆い隠していた。
飛来する刃は全て分厚い炎の壁に難なく阻まれ、弾かれてしまう。
『き、貴様……! ぬぅっ!?』
ワルドが呻く間もなく、炎の中から飛び出た無数の漆黒の影が一直線に本体に向けて殺到する。
影はワルドの体を掠め、容赦なくその身を切り刻み抉り取る。
翼の片方は先端が切り裂かれるほどだった。
「やりますね」
炎が収まると、振り上げていた剣を左右に強く振りつけるモデウスの姿があった。
コルベールはモデウスの嘆息には応えず沈黙のままに宙に浮かぶ敵を見据え続けていた。
『……あり得ん! あり得てたまるかあ!!』
『たかが教師の分際で!!』
『スクウェアだろうが、所詮は炎! 風の系統こそが最強であることを思い知らせてやる!』
激高したワルドの分身達は次々に槍を構えようとするが、その姿が次々に漆黒の影に包まれ消滅していく。
一振りで薙ぎ払ったモデウスのマーシレスの刃から無数の剣風の影が放たれ、ワルドの分身達を切り裂いたのだ。
無論、本体も影の刃をまともに食らいはしたものの、参った様子もなく地上へと降り立つのみだった。
『無駄だ……! クロムウェル閣下より授かった新たな命は、決して失われはしない!』
本人が豪語するように、見る間に深手を負ったはずのワルドの肉体が再生していき、傷が跡形もなく塞がっていく。
その様を目にするモデウスは小さく吐息を漏らす。
(ただ斬るだけではやはり無理か……)
初めて目にするアンドバリの指輪の力の再生力はやはり本物のようだ。
上級悪魔の生命力に匹敵することは明白で、単純な剣技だけでは倒しきれそうもない。
仕留めるならば再生が追い付かないほど跡形も残さずに粉砕するしかないだろう。
この程度の相手ならモデウスが本気になればそれぐらい朝飯前だが、正直な所そんな気にはなれなかった。
「堕ちて力を得たにしては、その程度か……」
こんな小物相手に本気など出したくはない。それが率直なモデウスの本心だった。
全力を出すならそれこそ魔剣士スパーダ――そこまではいかずとも、もっと実力のある強者でありたいのである。
それこそ彼と互角に渡り合い、人間ながらに自分を一蹴してみせたあの女傑、絶風カリンのような――
「モデウス君。十秒でいい。彼を足止めしてくれ。生徒達に危害が及んではいけない」
コルベールの呟きにモデウスはちらりと横目で本塔の方を見やった。
玄関では生徒達が不安な面持ちのままに二人を見守り続けている。
ワルドはあちらには眼中にないようだが、いつ向こうに飛び火するか知れたものではない。
確実にトドメを刺すなら、コルベールの力が最適だ。
何しろ最初に見えない敵をいぶりだす時に用いた火と風の複合魔法、〝
「This's the end.(もう終わりにしよう)」
頷いたモデウスは両手でマーシレスを顔の横で構えると、ワルドに向けて駆け出していく。
徐々に走りを強めてくるモデウスに、迎え撃たんとするワルドは翼を広げて浮かび上がろうとしたが……。
『何っ!?』
ワルドが驚く暇もなく、モデウスの姿が二つに分かれたのだ。
一瞬、薄い影に覆われたかと思えば飛び出てきたもう一人のモデウスがワルドへと躍りかかり、剣を振り上げたのである。
『ぐおっ……き、貴様……!?』
槍で剣を受け止めた途端、最初に駆け込んできたモデウスがワルドの懐に飛び込み腹を剣で深く突き込んでくる。
直後にその姿は煙のように掻き消えてしまい、背後に着地していたモデウスが振り向き様に剣を振るい、漆黒の剣風を放ってくる。
だがその姿も影に覆われると共に、また別のモデウスが衝撃波に追従して一気に踏み込んできていた。
直後には剣風を放ったモデウスの姿は風のように消え去っていく。
『ぬぅ……!』
片翼を削り取られたワルドが振り向いた途端、モデウスの剣がまたもワルドの腹に突き込まれていた。
『ま、まさか……き、貴様も……!?』
「離れるんだ! モデウス君!」
冷たい表情のモデウスを睨むワルドが激しく狼狽した途端、コルベールの怒号が飛んだ。
即座に剣を引き抜いたモデウスが一気に後ろへ大きく跳んだ直後、よろめいたワルドの足元から巨大な炎が噴き上がった。
それは激しい勢いで渦巻く竜巻。大蛇のように太い炎の帯が幾重にも重なった火炎の柱が立ち昇ったのだ。
凄まじい熱気は突風に乗って四方八方に振り撒かれ、遠く離れた生徒達の方にまで達するほどだった。
『ギャアアアアアアアアアアアアアッ……!!!』
猛火の中からワルドの絶叫が轟き、中庭に響き渡っていた。
触れるどころか近づくものさえ容赦なく焼き尽くすかのような炎を、コルベールはじっと見つめ続けている。
やがて炎の旋風は勢いを失い、火の粉を散らしながら消え去っていた。
草はおろか土をも黒く焼き焦がした竜巻の中心にいたはずだったワルドの姿はどこにもない。
僅かな灰の破片が疎らに転がっているだけだった。
一部始終を見守っていた生徒達は唖然としたまま立ち尽くしている。
いつもは温厚だがどこか変わり者な教師だったはずのコルベールには全く見えない。
怒らせると怖いのは知っているが、それすらまだ温厚の範疇だったと思えるほどの容赦のない炎の技は恐怖を通り越して戦慄さえ覚えるほどだった。
「君達、怪我はないかい?」
それまで教師らしからぬ物々しい雰囲気だったコルベールは生徒達を向き直ると、いつもの調子に戻っていた。
「先生~~~~~~っ!」
上級生達が依然として放心する中、下級生達は次々に安堵の思いを胸に恩師の元へと駆け寄っていった。
ふがいない他の教師達の醜態を目にしていた分、その思いはより強かった。
◆
「ふんっ! えいっ!」
メイジの軍杖と、メイドのフライパンの激しい応酬はまだ続いていた。
「このメイドがっ……!」
ワルドがいくら突いても払っても、無我夢中で振るわれるシエスタのフライパンはそれら全てを受け流す。
やはり体中に傷を負っているのが響いているのか、他の分身達より動きにキレはなくやや単調になっている。
「ウインド・ブレイク!」
「っ……!」
隙を突いて放たれた魔法にシエスタは反射的にフライパンを前に両手で構えて盾代わりにしていた。
全身から発せられるオーラが両手からその先にまで行き渡り、ワルドの魔法を辛うじて受け止め弾く。
(させるもんですか……! させるもんですか!)
極限状態によって解放された悪魔の力と本能はシエスタの体を無意識だろうと的確に動かし、存分に発揮していた。
「およしなさい! ワルド!」
演壇の方からはアンリエッタが杖を構え、無数の氷の矢を浮かべだす。
「……いい加減になさい! この下衆め!」
隣ではアンリエッタの治療魔法で回復していたエレオノールも同様に魔法の矢を次々に作り出し、妹達を傷つけようとするワルド目掛けて放っていた。
背中から肩、腕、腰、足と至る所に突き刺さり、僅かに動きを鈍らせる。
「ええええええええいっ!!」
頭上に大きく振りかぶったフライパンを、シエスタは渾身の力を込めて振り下ろした。
ゴォン、と鐘を突いたような豪快な音を響かせて脳天に叩きつけられ、その衝撃でワルドは顔面から床へもろに激突し突っ伏してしまう。
「はあ……はあ……はあ……」
荒い息を漏らしながら立ち尽くすシエスタだったが、ワルドはすぐにむくりと体を起こして立ち上がりだす。
「……効かんな」
夥しい量の血が顔を伝い滴らせながら、不敵な笑みを浮かべていた。
シエスタはあまりの緊張からごくりと息を飲み込むが、後ろの二人を庇ったまま身構えだす。
「何なのです……!? 一体……!」
愕然とアンリエッタは見るも無残な姿になっているワルドを凝視する。
「……きっと、悪魔の力ですわ」
エレオノールが苦い顔を浮かべながら言った。
ワルドは外法によって悪魔の力をその身に宿している。
アンドバリの指輪の力を失い傷は再生しなくなったものの、悪魔の強靭な生命力自体は消えず僅かに残った命を繋ぎ止めているのかもしれない。
でなければ、とっくに力尽きているはずなのだ。
「この悪魔の娘め……。貴様もそいつもろとも始末してやる……!」
片足を引き摺り、血の跡を残しながらジリジリと迫るワルドを前にシエスタは後退る。
すぐ後ろではティファニアを抱いたまま立ち上がっていたカトレアが杖を手に構えていた。
(怖い……)
カトレアの腕の中でティファニアは恐怖に震えていた。
それは目の前の相手や周りの状況などではなく、自分自身のことだ。
今もまた、頭の中では得体の知れない呪文が響いてきていた。
かつてティファニアは、王家の秘宝のオルゴールからもう一つだけ別の呪文を聞いていた。
使ったが最後、人間をこの世から文字通りに消し去ってしまう魔法のものとは違うそれは、未だ使った試しがない。
(一体どうして……? わたしに何をしろって言うの?)
だが、どんな呪文だろうとティファニアは使う気にはなれない。
使ったらどんなことが起きるのか全く分からない。もう一つの魔法のようにまた誰かを傷つけてしまうのではないか……大きな不安と恐怖が心を占めていく。
――誰かを救うためにはまた別の誰かを傷つけることもある。
ふと、脳裏に浮かんできたのはかつてスパーダから聞かされた言葉だった。
――シャジャルの言葉を忘れるな。自分自身を信じろ。
(わたしは……)
生前、母はティファニアに言い聞かせた。困っている人を見つけたら、助けてあげるようにと。
母が亡くなったあの時、もし言いつけを守らずに隠れている場所から飛び出ていたら?
騎士達に殺されかけた母を魔法で救えていたかもしれない。
他者の命を奪うことになってしまっても、一番助けたい大切な人を救えていた。
(お母さん……?)
ふと、ティファニアは自分を守るようにずっと抱き締めたままのカトレアを見上げた。
あの時の母と同じように、自分を守ろうとするその姿が重なって見える。
彼女の腕の中にいる間、不思議な安心感に包まれていた時間はまるで生前の母と一緒に過ごしていた時のようだった。
(もう、あんなことになるのは嫌……!)
不意に浮かんだ記憶と光景に、ティファニアは恐怖に駆られた。
我が子を守るために命を散らした母の姿……それが、カトレアにすり替わったのだ。
(今は……今だけは……!)
何かに突き動かされるように、ティファニアは自らの杖を取り出すと呪文を口ずさみ始める。
得体の知れない魔法を発動するためのルーンを。
「ティファニアさん……?」
腕の中で呪文を詠唱するティファニアをカトレアは怪訝そうに見つめていた。
今のティファニアの耳と意識には何も届かない。自らが唱える呪文だけだった。
(わたしは……みんなを……カトレアさんを助けたい……!)
ガリアで魔法を使った時は、結局恐怖に屈してしまった。
恐れていたはずの魔法への恐怖を押し殺し、自らの願いだけを胸に呪文のルーンを一つ一つ紡いでいく。
たとえどんなに恐ろしい力を持とうと、それは自分自身の一部なのだとスパーダは言った。
この力がティファニアそのものであれば、それをどう正しく使えるかは自分次第――
心が傷つくのを恐れていては、結局何にもならない。
――困っている人を見つけたら、必ず助けてあげなさい。
母が遺した願いこそが、今ティファニア自身が本当に成すべきこと。
大切な人達を助けられず犠牲になれば、自分は絶対に後悔してしまうのだから。
「貴様……!」
ワルドがティファニアの詠唱に気付き、杖を一気に頭上へ振り上げた。
シエスタが打ち返そうと振りかぶった途端、パン! と音を立てて杖が砕け散った。
彼女のすぐ後ろではカトレアがティファニアの体をぎゅっと抱き締めたまま、杖を突きつけていた。
錬金によって粉々にされた渇いた土くれが、空しくワルドの体に降りかかっていく。
「なっ……!」
「ええええええいっっ!!」
杖の破裂に狼狽するワルドに、シエスタは手にする鉄の塊を渾身の力を込めて下から一気に振り上げた。
フライパンの側面が顎を突き上げ、解放された悪魔の力の相乗効果もあってか、ワルドの体は大きく真上に浮き上がった。
吹き飛んだ体が空中で勢いよく一転し、そのまま床に脳天を激突させてしまう。
「悪魔の娘どもが!」
「その力は使わせんぞ!」
倒れ伏したワルドだったが、偏在の分身達が浮かび上がって三人の元へ躍りかかってきた。
彼らは体の所々に傷を負いつつも、血は一滴も流れていない。
「カトレア!」
「カァーーーーーーーーーッ!!」
エレオノールがアンリエッタと共に魔法を放とうとしたその時、咆哮のような怒鳴り声が轟いた。
カトレア達に襲い掛かろうとした二人のワルドが突如突風と共に背中から突き飛ばされ、三人の頭上を掠めていった。
「おぉ、当たりじゃわい」
避難誘導を指揮するオスマンは目を丸くした。
片手間で振るわれた杖から渾身の力を込めて打ち出された突風の拳は、見事に敵を壁まで吹き飛ばした。
内心で今日は運が良いかもしれない、とほくそ笑む。
「おのれ……! 貴様ら……!」
顎を砕かれ血に塗れながらもしぶとくも起き上がるワルドだが時既に遅し。
予備の杖を懐から取り出すと同時に、長い詠唱を終えたティファニアは自分目掛けて真っ直ぐに杖を振り下ろしていた。
◆
「あ、あれ?」
「消えた……」
まだ半分も避難を終えていない中、突然ホール全体が静まり返っていた。
剣を手に立ち向かう男子達と争っていた無数のワルド達は、忽然と姿を消していたのである。
戦いを見届けていた者達は、動きが突如止まると共に煙のように掻き消えていく光景を目の当たりにしていた。
「どうしたんだ、あいつ?」
だがまだ一人だけ、ワルドの姿はホールの中央に残っているままだった。
しかし、立ち尽くしたままでいる彼はまるで彫像のように固まっておりピクリとも動かない。
「ど、どうなったんですか?」
落ち着きを取り戻したシエスタの体からは今まで湧き上がっていたオーラが消えていた。
呆然としながらも杖を振り上げたまま硬直しているワルドに恐る恐る近づいていく。
表情はまるで魂が抜けたかのように口を開けてボーっとしており、顔の前で手を振ってみても目は微動だにしない。
(や、やったの……?)
カトレアに抱かれたままのティファニアは肩を上下させ、その身を震わせていた。
ワルドの全身を包んでいた光はすぐに弾け、雪を思わせるような粒が舞い散った。
しかし、今までと違うのは魔法を受けたワルドの姿は健在のままだったことだ。
それが一体、どんな力をもたらしたのかティファニアにはまるで分からない。
「みなさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫? カトレア?」
アンリエッタとエレオノールが三人の元に駆け寄ってくる。
「わたしは大丈夫よ、姉様。……あぁ」
ティファニアを解放したカトレアだったが、ハッとしながら悲しげに眉を顰めた。
視線の先には友達の一頭である虎が力なく横たわる姿が飛び込んでくる。
思わず小走りに駆け寄ると、他の動物達も次々に集まりだしていた。
フライパンを足元に放ったシエスタも後を追い、虎に寄り添うカトレアの隣に座り込む。
「……っ」
取り残されたティファニアは喘ぐように呼吸を震わせたまま、その場で立ち尽くしていた。
「ワルドは、一体どうしたというのです……?」
アンリエッタは不安そうに物言わぬ人形のようになってしまったワルドを見つめている。
いつまた動き出さないとも知れないため、杖は構えたままだった。
エレオノールも同じようにしながら周りを回りつつじっくりと観察していたが、やがて杖を振ってディテクト・マジックを使いだす。
「……なるほど。こいつ、スキルニルね……」
小さく嘆息すると杖の先でちょんとこめかみを小突いてみせる。
ぐらりと体が傾いていき、体勢が一切変わらないままバタリと横に倒れ込んだワルドの片腕が外れて床を転がった。
凄惨な光景になるはずだったが、千切れた腕は瞬く間に縮み、指のないミトンのように形を変えていた。
エレオノールが倒れたワルドに向けて杖を向けながら呪文を唱えると、同じく姿を顔のない実に簡素なぬいぐるみのように変化させる。
アンリエッタは溜め息を吐いてその人形を見下ろしていた。
(そうだったのね……またこれを……)
血を吸った相手に化けることができる古代の魔法人形・スキルニル。
アンリエッタも使ったことがある……というより、今も王宮に影武者として置いている便利なマジックアイテム。
前回は自分が策に用いてリッシュモンをまんまと罠に嵌めたが、今度は敵側が使ってきたのだ。しかもこれで二度目である。
だったら、最初からアンドバリの指輪など関係ない。あのワルドは蘇ったのではなく、最初からワルドという人間の血を使って作られた操り人形に過ぎない。
ガーゴイルの一種である以上、そもそも人間であれば致命傷となるような傷など痛くも痒くもなかったのだ。
こちらがアンドバリの指輪の対策をしていることを想定していたのだろうか。万が一の保険だったのかもしれない。
「それでは、本物のワルドは?」
「ご安心なされ。女王陛下。うちのミスタ・コルベールが表で片付けた所でございますじゃ」
ハッとしだしたアンリエッタの元にオスマンが歩み寄りながらそう伝えてきた。
「モデウスは?」
「なあに。心配せんでええわい。コルベール君と一緒に、あのたわけ者を叩きのめしおったわ。のう? モートソグニルよ」
エレオノールの問いかけに答えたオスマンは肩の上に登ってきた一匹のハツカネズミに頷きかけていた。
その言葉を聞いてエレオノールは短く嘆息するが……。
「ギーシュ……! ギーシュ!!」
響き渡る悲鳴が安堵に包まれていた一行を我に返らせる。
そう。あのワルドの集団を相手に戦っていた男子達は、全員傷だらけだった。
軽い怪我だけで済んでいる者もいれば、叩きのめされて床に倒れ込む者と、負わされた傷の具合は大小様々。
「ミスタ・グラモン……!」
アンリエッタ達が駆け寄った場所では最も深い重傷を負う生徒の姿があった。
貫通した胸から夥しい量の血を溢れさせ、シャツを真っ赤に染め上げている。
周りに集まる生徒達はその惨たらしい光景を前に、顔を背けんばかりに激しい衝撃を受けていた。
「しっかりしてよ、ギーシュ!」
力無く横たわるギーシュの隣でへたり込むモンモランシーは、満身創痍の彼の体に寄り添っていた。
「やあ……モンモランシー……怪我はない……ね……っ」
咳き込みながら血を吐くギーシュだったが、弱々しいながらも微笑みを浮かべだす。
「良いから喋んないでよ……!」
涙目で叫ぶモンモランシーは癒しの呪文を唱えて傷を塞ごうとする。
アンリエッタも加わって治療魔法を唱えるものの、穿たれた胸からはドクドクととめどなく血が流れ続けていた。
(駄目……この杖じゃ……)
トライアングルの水の使い手であるアンリエッタでも、この深手を癒しきることはできない。せいぜい、血が流れだすのを僅かに抑えるだけだ。
重傷を治すほどの治癒は水の秘薬がなければ無理である。アンリエッタが愛用する王家の杖には水の魔力が蓄えられた水晶が取り付けられているが、それは学院長室に置いてある。
かと言って、今から取りに行っても到底間に合わない。
「ああ……良かった……あいつらに傷つけられる所なんて見たくなかったからね……本当に良かった……」
口元から血を滴らせるギーシュは、自分が死にかけているというのに満足そうに笑った。
「スパーダ君から授かった奥義が、君を守ることができた……僕にとってはこの上ない誇りだよ……この傷は、その勲章かな……?」
「分かったから……! 分かったから、もう喋らないで!」
嗚咽を混ぜながら叫び倒すモンモランシー。
アンリエッタと共に必死に治癒の呪文を唱え続けるが、必死の尽力は実らない。
「僕のためにそこまで涙を流してくれるなんて……本当に、僕は幸せ者だなぁ……。でも……モンモランシーには涙なんて似合わないよ……」
微かに震える手を伸ばしてモンモランシーの頬に触れる。指先を、一滴の雫が伝っていた。
「最期に、僕が作った詩を……聞いてもらえるかい……? 即興……だけどさ……」
「何言ってんのよ! そんなの聞きたくもないわ!」
喚くように叫ぶが、だんだんと瞼が閉じられるギーシュの目からは徐々に光が失われつつあるのがはっきりと分かる。
それを目の当たりにするモンモランシーは、認めたくないとばかりに首を振っていた。
「愛に殉じた男……ギーシュ・ド・グラモン……愛する人達を守って……ここに」
消え入りそうな言葉はそこで途切れていた。
「ギーシュ?」
その先の言葉をモンモランシーは待っていた。
だが、いつまで経ってもギーシュの口からは何も漏れてこない。
頬に添えられていた手が力を失い、パタリと床に落ちる。
「……ギーシュ! 冗談なんてやめて……! 何か言ってよ……! いつもみたいに臭い口説き文句でも良いから……!」
縋りつき、激しく泣き叫ぶモンモランシー。
物言わぬ姿となったギーシュは、それでも心底嬉しそうな笑顔を浮かべ続けていた。
周りに集まった者達は誰もが悲痛な顔で二人を眺めている。
オスマンは眉間に皺を寄せて悔しそうに、アンリエッタはおろかエレオノールですらさらに唇を噛み締めていた。
トライアングルクラス以上のメイジが何人も揃っているというのに、一人の生徒の命を救うことすらできない。
これほどまでに口惜しく、無力を感じたことはなかった。
「……モンモランシーさん。下がっていてくれますか?」
そこへ突然かけられた優しげな声。
それまで立ち尽くしていたティファニアが集まる群衆を掻き分けて二人の男女の前に立つ。
顔を上げたモンモランシーは目元を真っ赤に腫らし、大量の涙を零していた。
「……何する気?」
その問いには答えず、ティファニアはモンモランシーの反対側に座り込んでいた。
「お母さん……お願い……」
手に嵌められた指輪を撫でながら、ティファニアはポツリと呟きだす。
呆然と見つめるモンモランシーと周りの人間達に見守られながら、ティファニアは手をギーシュの体の上にかざした。
指輪から淡い光が溢れだし、光の水滴がポタリとギーシュの血に塗れた胸に落ちていく。
生徒達が怪訝そうに見つめる中、オスマンにアンリエッタ、エレオノールは緊張した面持ちで成り行きを見守っていた。
「あ、あれ……?」
直後、奇跡は起こった。
誰もが目を疑う光景が、目の前で繰り広げられている。
モンモランシーは言葉を失い、ゆっくり体を起こしだすギーシュに見入っていた。
「ぼ、僕は……? 愛に殉じて、果てたはずじゃ……? もしかして夢?」
寝ぼけたような言葉をはっきりと口にするギーシュは、キョロキョロと周りを見渡すと自分の体に視線を落とす。
服やマントは血に汚れている。だが、不思議なことに身体を貫いたはずの胸の穴は跡形もなく消えていた。
「……ギーシュぅ!!」
「え!? モ、モンモンランシー?」
堰を切ったようにギーシュに抱き着くモンモランシー。
事情を呑み込めていないギーシュは戸惑うばかりで、成すがままになっていた。
「やれやれ……ヒヤヒヤしたわい」
オスマンは大きな溜め息を吐き、肩の上に乗る使い魔にご褒美のナッツを与える。
生徒達だけでなくエレオノールまでも同じように安堵の嘆息を漏らしていた。
「ティファニア……ありがとう……」
アンリエッタもまた、ティファニアに寄り添うと優しく肩を抱く。
奇跡を起こした当人であるティファニアは、周りの笑顔に囲まれながら釣られるように微笑んでいた。
「良かったです……」
「ええ……本当にね……」
遠目から眺めていたカトレアとシエスタは自分のことのように嬉しそうな笑顔で胸を撫で下ろす。
カトレアの魔法と、シエスタの治癒能力で息を吹き返した虎はリスや小鳥達を体や頭に乗せてのんびりと寝そべっていた。
◆
遥か上空に浮かぶアルビオン大陸が纏う雲の下から、一頭の風竜が姿を現す。
夕日に照らされながら赤く染まりつつある空の中を滑空するシルフィードの背の上乗る四人の男女の中、一人だけが苛立ったように唸り続けていた。
「タバサ。もっと飛ばせないの?」
「急かすんじゃないわよ。まだ出てきたばかりでしょう?」
「うぅ~~~~~~~」
キュルケに諫められてルイズはより深く渋い顔を浮かべだす。
「どんなに飛ばしても日暮れにはなるな」
「そうねぇ。ちょうど夕食時になるかしら」
「っ……」
一番後ろで横向きに腰を下ろして腕と足を組むスパーダの冷徹な言葉にルイズはさらに呻く。
先頭のタバサは一切表情を変えないまま正面だけを見据えていた。
「……もし、学院で本当に何かあったら……」
気に病み続けるルイズにキュルケも彼女と同じように苦い顔で嘆息しだす。
アルビオンを牛耳っていたレコン・キスタの盟主クロムウェルは死んだ。
これにより一行の目的は果たされ、後はトリステインへ帰るだけ。
首都ロンディニウムから引き揚げてウェールズの待つ秘密の港まで戻ってきたのはつい先程のことだった。
そこでスパーダはウェールズに、トリステインでレコン・キスタの新たな暗躍による異変が入れ違いで起きているかもしれない旨を告げていた。
一刻も早く戻らなければならないことにウェールズも納得し、彼の一団と別れたスパーダ達は全速力でトリステインに向けて出発したのだ。
ただ地上に降りるだけなら船を使うよりシルフィードの方が遥かに早い。
ウェールズ達とは後ほど魔法学院で合流することになる。
ちなみに、戦利品だったアグニとルドラについては――口やかましいのも含めて――今は邪魔なのでウェールズの元に預けることにしていた。
「大丈夫よ。何のためにスパーダが色々手を打ったと思ってるのよ」
「そうだけど……」
学院には今回の裏の事情を知る者達に留守を任せている。
スパーダの弟子のモデウスにギーシュ、学院長オスマンに姉のエレオノール……。
未熟なギーシュはともかく、それだけの布陣が揃っていればどんな刺客が送り込まれていたとしても難なく片付けてくれるだろう。
だが、それでも心配なものは心配なのだ。
些細な騒動が起こっても、それに巻き込まれるのには違いなく、誰かが傷ついているかもしれない。
それがもう一人の姉であるカトレアだったとしたら……。
「……タバサ! もっと飛ばして! もっともっともっと速く急いでよ!」
最悪な状況が頭に思い浮かんだ途端、ルイズは癇癪を起こしたように叫びだす。
その剣幕にはさすがのキュルケも目を丸くしていた。
「これが精一杯」
だがタバサの返答は何とも素っ気ないものだった。
彼女にしてみれば事実を言ったに過ぎない。
今はスヴェルの時期を少し過ぎている。アルビオン大陸はハルケギニアから遠ざかっている最中だ。
どの道、陸地はまだずっと先だし、その間の空域で警戒をしているはずの艦隊さえも見えないのである。
「スパーダ! あなたのその刀で道を作れないの?」
それでなおルイズは諦めきれず、今度はスパーダに食い下がる。
「遠すぎるな。長距離まで移動できる儀式や魔術は無くもないが、どの道ここではそれもできん」
だがスパーダからの返答は彼女の期待を裏切るもので、呻きながら大きく溜め息を吐く。
如何に悪魔であろうと、その場その場で出来ることには限界というものがある。それは認めざるを得ない。
彼は全知全能の神という訳ではないのだから。
「あぁ~~~~、もうっ!!」
「なあ娘っ子よ。だったら、こういう時にこそお前さんの伝説が役に立つかもしれないぜ?」
激しくいきり立つルイズだが、黙っていたままだったデルフが喋りだす。
その指摘にルイズは一瞬、呆然としたがすぐにハッとするとマントの中をまさぐって肌身離さず持っていた始祖の祈祷書を取り出す。
「都合よく使えるものがあれば良いのだがな。何もしないよりはマシかもしれん」
「なーに、ブリミルはあれでも色んな所をあちこち駆け回ってたからなぁ。大急ぎの時はよくゲートを開いてたもんさ。第一、サモン・サーヴァントだって似たようなもんだしな」
皮肉交じりに呟くスパーダとデルフの声を聞き流しながらルイズは祈祷書を開いてページをめくっていく。
「きゃっ……! もうちょっとゆっくり飛んでよ、タバサ!」
突然吹き付けた強風に怯んでしまい、文句を言いだした。
「あんた、無茶言うんじゃないわよ」
無言のままでいるタバサに代わってキュルケが逆に言い返していた。
たった今まで速く飛べと言ったのに、舌の値も乾かぬ内に真逆のことで文句を言われても困る。
だが、タバサはそれでも要求通りにシルフィードのスピードを落としてくれていた。
「エア・シールド」
さらに杖を軽く振り、分厚い大気の壁を自分達の周りに張り巡らす。
外側に向けて吹くようにしたおかげで、外からの突風を遮ることができていた。
「あ……」
一心不乱に白紙のページが続く祈祷書を睨みながらめくり続けていたルイズはようやく、新たな一文を見つけていた。
他の三人には見えないが、ルイズには古代語のルーンが記されたその文字が見える。
「テレ……ポート?」
「Bingo.(当たりか)」
嘆息するルイズの呟きにスパーダも思わずほくそ笑んでいた。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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主人公の描写・設定
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悪魔の描写
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脚色したオリジナル描写・設定