魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Mission 77 <心荒みし姫-Cat fight> 前編

 

薄ら寒い秋の朝。ベッドから身を起こしたタバサはちらりと脇に視線を落とす。

すぐ隣では一緒に寝ていたキュルケがネグリジェ姿で寝息を立てて横たわっている。

ここは魔法学院ではない。女子寮の見慣れている整頓された風景よりもさらに殺風景な子供部屋。

今は亡きオルレアン公の屋敷。すなわちタバサの生家だった。

キュルケを起こさないようにベッドから降りたタバサは立てかけてある杖を手にすると、寝間着のまま自室の外へ出る。

「おはようございます。お嬢様」

この屋敷でただ一人の老僕である執事のペルスランは恭しくタバサに一礼する。

「母様は?」

「まだお目覚めではございません」

「……そう」

「ですが、フォルトゥナ様がお見えになっておられます」

スパーダは確か一昨日からラグドリアン湖の近辺で結界を作る作業を行っているはずだった。

事実、タバサも昨晩この屋敷にキュルケと一緒に来た際に鉢合わせをしている。

話によれば日が出る頃には結界は作り終えるそうだったので、もう済ませたのかもしれない。

 

タバサはペルスランと共に屋敷の奥――母が眠る部屋の前までやってきた。

そこではスパーダが壁に寄りかかったまま腕を組んで佇んでいる。

ペルスランは彼にも深く一礼をすると踵を返して立ち去っていった。

「まだ彼女は目覚めんようだな」

こくりとタバサは頷くと扉を開け、スパーダと共に中に足を踏み入れていく。

朝の光が差し込む窓は、もうこの季節だと開け放したままでいるのは寒いので閉め切られている。

タバサはぽつんと備えられたベッドの方へ静かに歩み寄った。

その上ではオルレアン公夫人クラリスが静かに寝息を立てたまま仰向けに横たわっている。

(母様……)

歯痒そうにタバサは唇を噛んで母の安らかな寝顔を見つめていた。

スパーダは枕元に立つと、そっとクラリスの手首に手を触れだす。

「ちゃんと毒の魔力は消え去っているな」

呟くスパーダの言葉に思わず安堵の溜め息を漏らした。

 

母の心を蝕む先住魔法の毒は、メイジの力ではどうにもならないはずだった。

しかし、スパーダが示してくれた悪魔の秘薬・ホーリースターならばそれを浄化することができる。

タバサは悪魔達との戦いの都度、少しずつ回収して溜めてきたレッドオーブを定期的に時空神像に持っていっては、ホーリスターを作ってくれる量を確認していた。

その既定の量に達したのが昨日であり、タバサはようやく自分だけのホーリースターを手に入れることができたのである。

放課後にキュルケと共に生家に戻ってきたタバサは、母が寝静まるのを待ってホーリースターを使ったのだ。

 

スパーダは母に用いたホーリースターが効いていることを証明してくれたのだ。

何しろ本当に毒が消えたかどうかはタバサには分からないのだから、彼に保証してもらえたのならば安心できる。

(どんな夢を見てるんだろう)

毒が消えたためか、母クラリスの寝顔は心なしかとても穏やかだ。

今までは寝静まった時に見に来ても、悪夢に苦しめられているかのようにうなされて蹲っていたのだから。

やつれたままとはいえ母のこんな顔を目にするのは本当に久しぶりだった。

早く目を覚まして欲しくて実にもどかしいが、今はこれを見ているだけでもタバサの心は満ち足りていた。

「これからどうする気だ。彼女達を亡命でもさせるのか」

「できればそうする」

とはいえ、どこに亡命させようかなどタバサには当てもない。

当分は静養も兼ねてこの屋敷に置いたままにするしかないだろう。

もちろん、母の心が戻ったことをジョゼフ達に知られる訳にはいかないが。

「彼女には正直にジョゼフを殺すことを告げる気か?」

「分からない……」

そもそもタバサは、自分が仇を討つ前に母の心を取り戻せるなど考えてもいなかった。

仇を討った後、その首を持って母と再会しようと思っていたほどである。

 

――シャルロット。仇討ちなど考えてはいけませんよ。

 

かつて母はそう娘に言い聞かせた末に心を失ってしまった。

結局、その言い付けは守れなかったが、このことを話せば怒られるだろうか。

そもそも心を取り戻した母と何を話そうか。まだ心の整理がついていない。

「どの道、全ては彼女が目を覚まさねば話にならんな」

もちろんそうだ。母はもう数時間もすれば目を覚ますのである。全てはそこから始まる。

少なくとも、一日だけは怒りも憎しみも、何もかも忘れて母に甘えたい。

三年ぶりの母との団欒をせめて誰にも邪魔されずに過ごしたかった。

 

タバサはベッドの横で膝をついて母の寝顔を間近で眺めようとした。

扉が開いてペルスランが入ってきたのは、その時である。

「お嬢様。リュティスより出頭の命令が届いております……」

ピクリと反応してタバサはゆっくり振り返った。

その険しい顔はいつもの無表情さからは考えられないほど不機嫌で嫌悪の感情に満ちている。

ペルスランは申し訳なさそうに深々と頭を下げるしかなかった。

無論、タバサは彼に対してこの不快な感情を向けているのではない。

「いつでも会える」

慰められるようにスパーダから言われ、タバサは渋々と立ち上がった。

 

 

ガリア首都のヴェルサルテイル宮殿は王城たるグラン・トロワが敷地の中心に位置している。

その一角の離れに建つ小さな宮殿は、プチ・トロワと呼ばれていた。

北花壇騎士のタバサはここで自分に与えられる任務を授かるため、出頭するのである。

「ここで待ってて」

前庭の真ん中に着陸したシルフィードから降り立ったタバサはそう言い残して小宮殿へ向かっていく。

キュルケとスパーダも降りると、その小さな背中を見送った。

「まったく……早く終わるような仕事なら良いんだけど……」

髪をかきあげながらキュルケは憮然としている。

ようやくタバサが悲願の一つだった心を失ったはずの母と再会できる日が訪れたというのに、それに水を差されるなど虫唾が走るだろう。

親友の気持ちがよく分かるからこそ、キュルケも同じ気分になるのだった。

「きゅい……またあいつに意地悪されないかシルフィは心配なのね……」

入口には衛兵が控えているのだが、距離があるのでシルフィードはぼそりと呟きだす。

キュルケは眉を顰めて振り返った。

「意地悪? それどういう意味?」

「お姉さまは、あの従姉妹姫に呼び出されて好き放題されるのね。シルフィは、窓からいつも虐められてるお姉さまを見ていて、本当に可哀相に思うのね……」

しょんぼりとシルフィードは物憂げな表情で喉を低く鳴らしだす。

「従姉妹ってことは、ジョゼフの娘……」

「見に行ってみるか? ガリアの王女とやらをな」

ガリア王ジョゼフの娘――すなわちガリア王女とやらがどのような人物なのかスパーダとしても少しだけ関心はあった。

 

スパーダは周りに目を配り、目の前の衛兵以外に誰もいないことを確かめるとキュルケと共にシルフィードの巨体の陰へと回り込む。

閻魔刀を抜き放ち軽く抜刀すると、小さな時空の裂け目を作り出しその中へと入り込んでいった。

亜空間を通って宮殿の壁をすり抜け奥に進むと、そこはどうやら謁見の間のようである。

幾人もの侍女たちが並んで控えているのだが、みんな一様に困惑と不安に満ちた表情を浮かべてそわそわしていた。

「何? あいつ……」

キュルケは奥に見える小さな玉座に釘付けになった。

 

歳の頃は17くらいだろうか。タバサと同じ青い髪を長く伸ばした切れ長の細い目の少女が、だらしない恰好で玉座の肘掛けに気だるそうにもたれかかっている。

豪奢な青いドレスを纏い、宝石がちりばめられた王冠を被るその姿は明らかに貴族とは違う。

「確かガリアの現王女はイザベラという名だったか」

スパーダとキュルケは整列する侍女たちの一番端に立っている。

もちろん、周りの誰も亜空間の中にいる二人の姿は見えないし、声も聞こえない。

「あれが、ガリアの王女ですって?」

片眉を吊り上げてキュルケは王女とやらを見つめた。

身なりはまさしく王族と呼ぶに相応しいだろう。容姿もまあ辛うじて高貴な顔立ちと言えなくもない。

だがその品位に欠けた仕草や態度はとても王族とは思えないほど下品だ。

たったそれだけで、仮にも王族としての威厳や美貌といった美点の全てを台無しにしてしまう。

 

――姫様とは大違い……。

 

――あんなのがお姫様なんて、何かの間違いじゃねえのか?

 

スパーダを介して遠くトリステイン魔法学院から見守っている者達すらガリア王女の王族とはかけ離れた姿に呆然としていた。

 

「シャルロット様がお見えになりました」

入口に控えていた騎士のその声にイザベラの表情はいきなり険しくなった。

「何度言ったら分かるんだい。あいつを名前で呼ぶんじゃないって言ってるじゃないの! 〝人形〟で充分だよ!」

「失礼……。人形七号様、お見えになりました」

イザベラはふん、と鼻を鳴らして不機嫌な顔のまま玉座にふんぞり返る。

扉が開くと姿を現したのはタバサだ。

オルレアンの屋敷からここへ降りてきた先程までは苦々しい表情だったのが、今はいつも通りの無表情に戻っている。

玉座から腰を上げたイザベラはタバサに歩み寄り、自分より背の低い少女を見下ろしだす。

 

「タバサへの憎しみを感じるな」

「何よ? タバサが何をしたって言うの?」

「さあな。本人にしか分からん」

タバサを見るイザベラの冷たい目には様々な負の感情が渦巻いているのがスパーダには見て取れた。

怒りや憎しみだけではない。軽蔑、嫌悪、嫉妬、劣等感、傲慢……ありとあらゆる暗く陰気な感情を宿している。

ついには苛立たしげに歯噛みすると、取り繕うように意地の悪そうな笑みを浮かべだす。

 

「お前達! わたしのドレスをもう一着持ってきて! さっさとしな!」

怒鳴られるように命じられた侍女達は慌てつつ逃げるように謁見の間を飛び出していった。

イザベラはタバサに嫌味たらしい嘲笑を向けながら自分が被っている王冠を外して指先でくるくると回し始める。

「ねえ人形娘。これを一度被ってみたいと思わない? もしかしたら、あなたの物になるかもしれなかった王家に代々伝わるミスリル銀の王冠よ」

これ見よがしにイザベラは弄ぶ王冠を見せつけるが、タバサは全く無反応。

「正直に欲しいって言ってごらんなさいな。本当は欲しいんでしょう? 隠さなくても分かるわよ」

「あんた、何のつもりよ……」

二人のすぐ横までやってきてキュルケはイザベラを睨みつけていた。

本当だったら、今すぐこの場で引っ叩いてやりたいくらいなのだが、触れることもできないのだ。

しばらくイザベラは挑発を続けていたが、やがてつまらなそうに鼻を鳴らす。

「ま、一日だけなら貸してあげても良いわよ。それが今回のお前の任務だからね」

と、イザベラは王冠を直立不動のタバサの頭にポンと被せた。

侍女達が戻ってきたのはその直後である。

 

「ほら! この人形娘の着替えを手伝ってあげな!」

命じられた侍女達は恐る恐るタバサに取りつきだすと、マントと制服を脱がせていく。次いで運ばれてきた青いドレスが着せられていった。

されるがままのタバサは瞬く間に魔法学院の学生服から、イザベラと同じ王女の姿へと変わっていた。

 

――まあ可愛い。お人形さんみたい。

 

錬金術の実験をしているルイズやエレオノールらと一緒にいるカトレアも小さく手を叩いている。

イザベラの悪意とは正反対で、タバサの華麗で高貴な姿を称賛していた。

「馬子にも衣裳とはこういう事ね」

「ふぅん……よく似合ってるわよ。タバサ」

心底見下すかのような悪意に満ちた笑みを浮かべるイザベラに対し、キュルケは真正面からタバサの王女の姿を見て息を飲んでしまう。

見れば侍女達からもキュルケと同様に感嘆の溜め息が漏れ出るほどだ。

傍から見れば冷静沈着で威厳のある王女そのもの。王族どころか女としての気品や貫禄が微塵も無かったイザベラとは雲泥の差である。

「It's Cool.(似合ってるな)」

スパーダも思わず小さく笑みを零して王女タバサをまじまじと周りを歩きながら覗き込んでいた。

当の本人は自分が何をされても顔色一つ変えることはなかったが。

 

「お前達はしばらく外に出てな。これから大事な話をするんだからね」

タバサに見惚れていた侍女達はハッと我に返るとそそくさと部屋を後にしていった。

「カステルモール!」

呼び出しと共に扉が開き、現れたのは一人の青年騎士だ。

20歳をいくらか過ぎたばかりな若く凛々しい騎士は、トリステインの魔法衛士隊のように羽飾りのついた帽子を被っている。

「あら。良い男ね」

「東花壇騎士団か」

キュルケが見惚れるその騎士のマントには薔薇を象った金糸の刺繡が刻まれている。

ガリア王国の近衛である花壇騎士団は、ヴェルサルテイル宮殿に存在する大規模な花壇とそこに咲き乱れている花が由来となっているらしい。

宮殿を中心に東・西・南側とそれぞれ三方にのみ花壇は存在するので、北が由来の騎士団は本来は存在しない。

だが実際は、非公式の組織として様々な汚れ仕事を請け負う騎士団が実際は裏で存在している。

それがタバサが所属する北花壇騎士団なのである。

 

「この人形娘にフェイスチェンジをかけてあげて」

「御意」

イザベラからの命令に、頷いたカステルモールは腰に提げていたレイピアの杖を引き抜いた。

杖をタバサの眼前にかざして呪文を唱えると、無表情のままなタバサの顔面がぼんやりと陽炎のように歪む。

そこに現れたのはイザベラと全く同じ顔だった。

両者の違いは眼鏡をかけていることと髪の長さ、そして身長である。

そして何より、その無表情さが本人よりも凛々しい印象を与えていた。

「あっはっはっはっ! そっくりだね! さすがはカステルモール」

爆笑するイザベラにカステルモールは黙々と頭を下げる。

 

「……似合わないわよ。こんなの」

キュルケは不快そうにイザベラを睨みつける。

顔が変わってもイザベラの顔をしたタバサの表情は一切変化しない。

せめて今のタバサのように無表情であれば、この憎たらしい王女も少しはまともになるかもしれないとも感じてしまう。

そんなキュルケの憤りなど露知らず、イザベラは楽しげに喋り続けていた。

「わたしね。どうやら今、命を狙われてるようなの」

イザベラはタバサに任務の内容を説明していった。

何でもここ最近、自分の周りで不審な出来事が起きているという。

この宮殿に滞在している時はもちろん、ちょっとした小旅行中の旅先でも所かまわず襲撃されるというのだ。

その都度、護衛の騎士達が迎え撃ってきたらしいが、襲撃者はいつも同じ相手であるから単なる偶然ではなく、自分の命を狙う黒幕がいると考えたとのことである。

 

「で、今日一日はあんたにわたしの代わりに王女の仕事をしてもらうわ。影武者ってわけ」

仮にも命を狙われる身であるはずなのに、イザベラは何の緊張感もなく愉快そうに笑っている。

「襲撃者はわたしを狙っている。だから、わたしの姿のあんたを襲ってきたそいつを捕まえるのが今回の任務よ」

扇子でイザベラは自分と同じ顔の少女の顎を持ち上げて間近で見つめだす。

「分かる? 王女になると、こんな苦労だってするものさ。外の連中だけじゃない。家臣や召使いの連中みたいな身内にすら、いつ誰かに寝首を掻かれるかもしれない恐怖……。あんたがどれだけ恵まれたものなのか、せいぜい思い知るが良いわ」

まるで不安を煽るようにイザベラは目を細めながら語り続けるものの、タバサは全くの無反応。

「でも感謝してよね。あんたはもう王族でも何でもないけど、一日だけとはいえ王女としての時間を過ごさせてあげるんだから」

「どの口が言うのよ……」

嫌味をぶつけるイザベラの背後でキュルケは強く唇を噛み締めていた。

一体誰がタバサをこんな境遇に追い込んだのか知らないはずもないくせに、ここまで平然と陰険な意地悪ができるだなんて。

普通だったら、タバサから恨みを買われても不思議ではないはずだ。

 

「でも、このまんまじゃ変装にはちょっと足りないわねぇ。カステルモール、ちょっと来て」

そう言い残してイザベラはカステルモールを従えて部屋を後にしていく。

残されたタバサはその場に突っ立ったまま直立不動を維持していた。

「本当にムカつく女だわ……」

扉の方を睨みつけてキュルケは歯を食いしばった。

タバサの仇敵であるジョゼフが良くも悪くも姪を意識していなかったのに対して、その娘は明らかな敵意と憎悪を従妹に向けているのがよく分かった。

スパーダが言っていた、タバサに対して悪意を向けるジョゼフ一派の筆頭と言えるだろう。

「あいつはこのままではいずれ死ぬな」

「どうして?」

「セブンヘルズに目を付けられている。今まで狩られなかったのが不思議なくらいだ」

王女イザベラを観察していたスパーダは悪魔の獲物として標的とされている目印が付けられているのを認めたのだ。

 

〝嫉妬〟、〝傲慢〟、〝怠惰〟、〝憤怒〟

 

セブンヘルズ達が狙う人間の悪意をイザベラはいくつも宿している。

ここまで多くの目印を一度に付けられている人間というのはとても珍しい。

大抵は目印が一つ付けられた時点で襲われ、命を狩られているものである。

悪魔に狙われ始めてからかなりの時間が経っているのは明らかで、その間に更なる目印を付けられているのだ。

「あいつが言ってた、最近襲われてるのって……」

「セブンヘルズの可能性は高いな」

今まで無事であったのも周りの騎士達が奮戦したからに違いない。

それを考えれば、彼女は己の力でしか身を守れないタバサよりも余程恵まれていると言える。

とはいえ、ここまで罪を重ねればいずれヘル=バンガードが何体も一度に襲ってくるだろう。

そうなっては護衛の騎士達ですら手に負えなくなるに違いない。

 

やがてイザベラはカステルモールと共に戻ってきた。

だが彼女の姿は先ほどまでの王女の正装ではなく、黒い質素なドレスを身に纏っている。

髪型も後ろ髪を結い、それまで持ち上げていた前髪も垂らして大きく露わになっていた額を隠すように変えられていた。

「ま、これで良いでしょ」

控えているカステルモールが携えていたのは青髪のかつらだった。

イザベラの長髪と同じ長さで、タバサから王冠を外すとそれを被せだす。

タバサの前に出てきたイザベラは自分と同じ顔、髪となった影武者を見て満足げに笑う。

「見事な変装でしょ? きっと、誰もわたしを王女だなんて思わないに決まってるわよ」

ここに先程まで控えていた侍女達よりもさらに地味な修道女と言えなくもない。

イザベラは腕を広げて見せつけてくるが、タバサは見向きもしなかった。

「あんたなんて王女でも何でもないわよ……」

真横でキュルケが悪態をついていることに彼女は当然気付きはしなかった。

「ま、せいぜいわたしの身代わりでやられないよう、幸運を祈ってるわ」

全く本心には聞こえない嫌味をイザベラはタバサに平然とぶつけていた。

 

 

イザベラの王女としての仕事だが、はっきり言って無位無冠とも言うべきものだった。

北花壇騎士の団長という役職を与えられてはいるものの、国の汚れ仕事を受け持つ暗部である以上、仕事が持ち込まれない限りやることがない。

故にタバサは玉座の間やイザベラの自室で無為の時を過ごし続けるしかない。

幸い、持参していた本を読んで暇潰しをするくらいである。

女官に変装したイザベラはグラン・トロワの方へ赴いており、このプチ・トロワにはいない。

(ジョゼフ……)

そして憎き仇敵であり、顔も見たくないジョゼフもどうやらリュティスにはいないようだった。

暇潰しがてらに遠見の魔法でグラン・トロワを覗いてみたが、どこにも姿は見えない。

 

「お食事の用意ができました。イザベラ様」

夜になり、自室で待機していたタバサの元に料理が運ばれてくる。

世話をしてくれる侍女達は変装しているタバサが影武者であることに気付いていないように見えた。

だが彼女らの態度はイザベラがいた時とはまるで違い、みんなどこか安心しきっている。

いつも彼女達が横暴なイザベラに怯えて精神をすり減らしていることをタバサは知っていた。

 

もしかしたら影武者であることに本当は気付いているのかもしれない。

何しろ姿形は同じでも纏っている雰囲気や態度がまるで違うのだから。

彼女らにしてみれば自分達にとって恐怖の存在であるイザベラがいないことを喜んでいるのかもしれない。

 

――傲慢で横暴な王女なんかより、物静かな影武者の方が遥かにマシだ。

 

働く侍女達の活き活きとした顔色からはそんな思いがはっきり感じられてくる。

「それではイザベラ様。またお申し付けを……」

恭しい一礼までして侍女達は退室していった。

 

「タバサ……」

食事に手を付けようとしたタバサの耳にキュルケの声が届く。しかし、その姿はどこにもない。

スパーダの力で二人が亜空間から見守ってくれていることはシルフィードを通してタバサも認識していた。

空間に微かな隙間が開けられているので、姿は見えずとも話すことはできるのだ。

 

スパーダはずっと腕を組んだまま佇んでいるが、キュルケはベッドの上に腰を下ろしていた。

イザベラは勝手に部屋の物を使うんじゃないと言っていたが、キュルケには関係のないことである。

「あなた、今までずっとあいつに虐められてたの? シルフィードに聞いたわ」

キュルケはシルフィードからタバサが今までイザベラからどんな仕打ちを受けてきたのかを昼間に聞いていた。

謁見でわざと服を汚されたりするのは序の口で、時にはイザベラの気紛れで任務と称した私用に付き合わされたこともあったという。

私用と言っても、危険な火竜山脈で珍味として知られる極楽鳥の卵を取って来させるという過酷なものであったが。

話を聞かされたキュルケは余計にタバサのことを哀れみ、イザベラに対して怒りを滾らせていた。

 

「別にいい。気にしてない」

テーブルに並んだ豪華な食事を静かな手つきで食器を動かして口にしていくタバサ。

「どうして? あなたはこんなに散々、辱められているのに。あいつもジョゼフと同じで憎くないの?」

「昔から彼女はああだったから」

イザベラがタバサに敵意を向けてくるのは今に始まったことではない。

幼い頃から二人きりになると彼女はタバサによく意地悪をしてきたものだ。

それが王女という立場になってからというものの、露骨なまでに嫌がらせというには過激すぎる虐待を平然と行ってくるのである。

その代表的なものが、北花壇騎士としての任務なのである。

 

「あんなのがガリアの王族だなんて……信じられない」

一体どうやったらあんな人間が王族となるのか、キュルケには理解できなかった。

「彼女がああなったのは、わたしにも責任がある」

「責任? タバサが何したって言うの?」

キュルケは怪訝そうに目を丸くした。

「彼女は魔法の腕前が低いのをとても気にしてる。わたしはそれを全然気にしなかった」

同じ王族であるタバサより年長でありながらイザベラのメイジとしてのクラスは未だドットだった。

幼少の頃より魔法の才能が乏しく念力でペンのような小さな物を動かすのが精一杯だったのに対し、同じドットであったはずの従妹は巧みに人形を操ってみせる芸を披露できるほどの才能に満ち溢れていた。

幼いタバサは家族に――当時は優しかった伯父にも――見せて喜んでもらうことが何より嬉しかった。

無邪気で幼いが故に、従姉がどんなにコンプレックスを強くして悔しい思いをしていたのかなどまるで考えずに。

全く魔法の才能が無く〝無能王〟と蔑まされるジョゼフよりはマシと言えるが、イザベラも父と同じく才能あふれる従妹のタバサへの嫉妬を膨れ上がらせていたのだ。

だからこそ、完全に立場が上になった今の彼女が自分を虐げようとする気持ちや荒れた心がよく分かるのである。

「何よ。ルイズだって普通の魔法の才能は無くたって、誰にも八つ当たりしなかったわ。あの女はあの娘と違って何の努力もしようとしてない。大違いよ」

考えてみれば両者はよく似ていると言える。

だがルイズと違ってイザベラは己の負の感情を向上心へと昇華させず、ただ他者を害するために燻ぶらせているだけだ。

高貴な心や誇りなど何一つありはしない。

 

――っ……!

 

――まあ。

 

イザベラの魔法の才能はある意味ではトリステイン魔法学院に大勢いる生徒達と似たようなものだ。

エリートの才能を羨むのはある意味当然だが、それを自らを高める糧にすらしないのでは、メイジとしての器などたかが知れているだろう。

「だが哀れな女ではあるな」

「え?」

「あの女は自分の立場がよく分かってはいるようだ。だからあそこまで自虐的にもなる」

「なんですって?」

キュルケだけでなく、タバサまでもが手を止めて話に聞き入った。

「無意識に自覚はしているのだろう。自分が周りの人間から誰一人として人望がないことをな」

昼間、変装したばかりのイザベラはこう言った。

 

――誰もわたしを王女だなんて思わないに決まってる。

 

「本心では自分が王女に相応しい人間ではないことを分かっているから、あんなことを口にしている。その現実から逃避するために、タバサを虐めようとするのだろう」

片や死しても国中の誰からも愛されたオルレアン公の娘で、魔法の腕も立ち王族としての高貴さも備えたタバサ。

片や王権の簒奪者として蔑まされる無能王ジョゼフの娘で、魔法の才能にも恵まれず気品の欠片もないイザベラ。

どちらが家臣達や国民から慕われるのかは考えるまでもない。

イザベラはメイジとしても王族としても自分より遥かに優れた……自分には無い美徳を全て備えたタバサの存在そのものが許せないのだ。

それ故、自分とは真逆なタバサを虐めることで溜飲を下げているに違いない。

「何よ。そんなの逆恨みじゃないの。ジョゼフの娘っていうのがよく分かるわ。本当にそっくりよ」

父親が嫉妬の果てに弟を手にかけようとしたのと同じで、その娘もまた嫉妬によって従妹に危害を加えようとする。

あの親にしてこの子ありとはまさにこのことだ。

「ルイズの方が全然誇らしくしているわ。あの娘の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいよ」

 

――ふふふ。良かったわね、ルイズ。キュルケさんは知らない所であなたのことをちゃんとお友達って思ってくれているのよ。

 

――そ、そ、そ、そ、そんなことないもん! キュ、キュルケは……友達でも何でもないんだから!

 

――ああ。親友じゃあるめえよ。悪友で、戦友さ。友達にゃ変わりねえがな。

 

「ねえスパーダ。あいつの背後にアルゴサクスがいるってことは考えられない?」

ガリア国内のどこか、何者かの背後で覇王アルゴサクスは暗躍している。

イザベラのような醜悪な心を持つ人間こそ悪魔に魂を売り渡してもおかしくないとキュルケには感じられていた。

「あってもおかしくなかったかもしれんが……今日見た限りだとあり得んな」

「何で?」

意外そうにキュルケは目を丸くした。

タバサもじっと話を真剣に聞き入っている。

「悪魔に魂を売るようなら、セブンヘルズに目は付けられん」

悪魔と明確に契約を交わした人間は、その悪魔に背いたり何らかの事情で契約を破棄でもしない限り、魔界側から命や安全などが保障されるようになる。

故にセブンヘルズらが獲物として認めても、その背後にいる悪魔の影響で介入できなくなり、餌として認識されなくなるのだ。

今のイザベラは少なくとも、悪魔達に魂までは売り渡す程に人間としては堕ちていないことになる。

 

「ふぅん……」

「だが、己を改める気は今の所は毛頭ないようだ。このままではいずれ破滅するのは目に見えている」

イザベラが自分の過ちを認めて校正をしない限り、悪魔達から狙われ続けるのは変わらない。

いや、下手をすればあの醜い心に惹かれた悪魔に憑りつかれて悪魔そのものになりかねないのである。

というより、今までそうならなかったのが不思議なくらいだ。

辛うじて彼女を人間に留めているのは、心の奥底で僅かに残っている本心のおかげかもしれない。

 

タバサが思い詰めたように考え込んでいたその時、部屋の扉が小さくノックされた。

「誰?」

「カステルモールでございます」

扉が開き現れたのは、タバサにフェイスチェンジをかけた騎士だった。

花壇騎士の所属を表すマントの刺繍は花の種類と色で区別されており東花壇騎士は金色、西花壇騎士は銀色、そして南花壇騎士は赤色となっている。

北花壇騎士は非公式の存在なので、そんなものは存在しない。

「失礼を……」

部屋に入ってきたカステルモールは杖を抜くと、部屋中にディテクト・マジックをかけ始めていた。

壁やテーブル、ベッドとあらゆる場所を念入りに調べている。

どうやら部屋が監視されていないことを確かめているらしい。

ベッドにいるキュルケは目の前にやってきたカステルモールを見上げるが、当然スパーダ達の存在には気付かない。

スパーダが僅かに開いた亜空間の隙間は座っているタバサの耳元あたりの空中にあるため、そこまでは調べられなかったが。

 

異常がないことを確かめたカステルモールは杖を収めるとタバサ――イザベラの姿をした影武者の前に跪きだす。

「我ら東薔薇花壇騎士団がこのプチ・トロワの警護を仕ります。何とぞ我らに殿下をお守りする許可を頂きたく存じます」

「わたしはただの影武者。気にしなくて良い」

あまり警備が厳重過ぎると肝心の襲撃者が現れない可能性がある。それでは意味がない。

何よりあまり窮屈過ぎるのも正直言って鬱陶しい。

「いえ。ぜひシャルロット様をお守りさせてくださいませ。あの簒奪者の娘はシャルロット様を身代わりに、怪物共の生贄にする気に違いありません」

キュルケは嘆息してカステルモールを見つめた。

この騎士は、どうやらタバサの素性を知っているらしい。

「……やっぱり彼女は悪魔に襲われたの?」

「は……」

どうやら昼間にイザベラが語った話に嘘偽りはないようだ。

そしてカステルモールは、実際に彼女の警護をしていて悪魔達と一戦を交えたに違いない。

悪魔の恐ろしさを直接目の当たりにした以上、こんなにも気を張り詰めさせているのだ。

何より懇意にするタバサの身に危険が及ぼうとしていることを危惧している。

 

「我ら東薔薇花壇騎士団一同、真の王位継承者の一族に変わらぬ忠誠を捧げております。表立ってのご助力はできませぬが、お見知りおきを……」

どうやらこの騎士は亡きオルレアン公の一派らしい。

ガリア国内のオルレアン公派の貴族やその関係者たちはジョゼフ一派によって徹底的な弾圧を加えられている。

表向きは望まぬ忠誠を誓わされているが、このカステルモールのように面従腹背な人間は確実にいるのだ。

そして、彼らの真の忠誠心はオルレアン公の娘であるタバサへと向けられている。

だからこそ、身の危険が及ぼうとしているタバサを陰ながら守ろうとしているのだ。

「シャルロット様。あなた様さえその気であれば、我らは決起のお手伝いをさせてもらいます。いつでもお声がけを……」

そう言ってタバサの手を取り、カステルモールは接吻をする。

タバサは何の感慨もなさそうに、退室していく彼の背中を眺めていた。

 

「ちゃんとタバサのことを味方してくれる人もいるのね。安心したわ」

一連の流れを見届けていたキュルケはまるで自分のことのように嬉々としていた。

反面、スパーダの顔は冷たくもやや険しい。

「だが少し危うい気もするな」

「どうして? 騎士団が味方をしてくれるなんて、とっても心強いじゃない」

「あの忠誠が過剰にならなければ良いが」

今の所、カステルモールの忠誠心は誠実なものであることは疑いようがない。

カステルモールが最初に忠誠を誓ったのはタバサの父であり、その一族にすら誠心誠意をもって捧げようとしている。

それ自体は悪いことではない。しかし忠誠と盲目は紙一重だ。

あそこまでの熱意を宿した忠誠心は、時に暴走しないとも限らないのである。

ましてやその忠誠とは真逆の反骨神をぶつけるべき相手がおり、反乱まで使嗾してきたのだから。

 

「食べる?」

タバサはテーブルの上に残る料理を見て呟きだす。

「頂こうかしら」

昼食の時と同じく空間に穴が開き、キュルケの手が皿へと伸びる。

ひょいと肉の一切れを摘まむと穴の中へ引っ込んでいった。

 

 

時刻は日付が変わり深夜を過ぎ始めた頃。

定期的にソファーで短い仮眠をとっていたタバサが起きたのは、これで6回目となった。

スパーダやキュルケ達も姿は見えないがこの部屋におり、眠っている間に見張りをしてくれている。

キュルケはさすがにタバサと一緒に仮眠をしていたので、スパーダが寝ずの番となっていた。

 

――いつまで起きてるの! 早く寝なさい!

 

――だって、スパーダ達が気になって……。

 

――向こうは放っておけばいいの!

 

トリステインでは当直のエレオノールがルイズの部屋にやってきているようだが、スパーダは集中するために意識の片隅へと追いやった。

 

襲撃者はいまだ現れる気配がない。外で警護をしているであろうカステルモール達も静かだ。

もしセブンヘルズ達がイザベラを狙って襲撃してくるなら、タバサは対象外なのでグラン・トロワに現れるはずだ。

と、なれば何かしら外で騒ぎが起こるはずである。

「何の用だ」

「殿下にお飲み物を……」

部屋のすぐ外では話し声が聞こえてくる。

タバサはそっと立ち上がると扉の方へ歩み寄っていく。

愛用の杖は、影武者だとばれないように手元には置いていない。

代わりにイザベラが使うのに近い、スペアの小さな杖を忍ばせていた。

 

「……よし、入れ」

扉が開き、現れたのはイザベラに仕える侍女の一人だった。

ポットとカップを乗せたトレーを手に静かに入り込んでくる。

(こいつは……)

「なぁに?」

キュルケが寝ぼけ眼でベッドから起き出す中、スパーダは目を細めて後ろ手に扉を閉める侍女を見据えた。

極平凡な若い召使いの娘。傍から見ればそのようにしか見えない。

ましてやメイジとは思えないだろう。……少なくとも人間の目には。

「どうぞ。姫殿下。眠気覚ましのお茶でございます」

テーブルの上にトレーを置く侍女の表情は何ら変わった所もなく、態度と共に事務的なものだ。

「いらない」

「まあそう言わずに。――影武者様」

と、極自然な動作でパチン、と指を鳴らしだした。

タバサは思わず目を見開いた。自分の耳が突然、何の音も聞こえなくなったのだから。

部屋中の空気の流れが変わり、石のように硬質となったのがはっきり分かる。

これは風の魔法・サイレントが使われた時と同じもの。

咄嗟に杖を抜こうとしたが侍女はすっと片手をタバサへかざしだす。

音が全く聞こえないものの、彼女の口の動きはすぐ理解できた。

 

――エア・ハンマー。

 

突風の塊は音も無く、タバサの体を難なく壁まで吹き飛ばした。

 

作品の良かったところはどこですか?

  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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