魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
昼食の前に何とか後始末を終えられたルイズはスパーダと共に食堂を訪れていた。
いつ自分が片付けをしたのか全く覚えがなかったのは疑問だったが、考えれば考えるほどに頭がモヤモヤしてしまう。
(あたしって、スパーダと話をしていて……それで……)
「ギーシュ様の嘘つき……!」
ずっと物思いにふけたままだったルイズは自分の横を一人の下級生の女子が通り過ぎて走り去っていくのに気付かない。
スパーダだけは擦れ違ったその生徒の泣き顔を横目で一瞥していた。
「やっぱりあの一年生に手を出してたのね! この嘘つき! さよなら!」
さらに別の女子の怒鳴り声が響き、ルイズはようやく我に返った。
見れば金髪の男女が食堂の一角で何やら言い合っているのが見える。巻き毛の女子が必死そうに言い寄っている男子に向けて、テーブルに置かれていたグラスを掴むと中身のワインを顔面に思い切り浴びせていた。
「またギーシュとモンモランシーね……放っておきましょ」
それはルイズの同級生でありクラスも同じな者達であることを認めた。
このような痴話喧嘩はあの二人にとってはそう珍しいものではないことを知っているので深く気にする必要もない。
呆然とするギーシュは放置され、モンモランシーもまた怒りに顔を歪めたまま目元に涙を浮かべだすのをスパーダは見届けた。
二人が騒ぎの場から離れたテーブルにつこうとした直後、またも一騒ぎが起こり始めた。
「申し訳ありません……! ミスタ・グラモン!」
その叫び声に反応したのはスパーダだった。
聞き覚えのある女の声に振り返ると、一人のメイドがギーシュに頭を下げている。
黒髪のメイド……それはシエスタだった。その彼女をギーシュが責め立てている様子をはっきり目にしていた。
「ギーシュったら、八つ当たりなんかして……って、スパーダ、何をする気?」
ルイズも振り返って溜め息をついたが、スパーダがギーシュ達の元に足を運んでいくので自分もその後を追っていく。
「何を騒いでいる」
先程よりも多くなり始めた群衆の間を縫い、トラブルの場に入ってきたスパーダにギーシュが困惑したように振り向いた。
シエスタも顔を上げるなり、スパーダが介入してきたことに同じような顔を浮かべだす。
「ああ……君は、確かルイズが召喚したっていう平民出身の……いや何、ちょっとした野暮用さ。君には関係ないことだよ」
相手が平民上がりの貴族とはいえ、年長者であることもあってかギーシュは一応の礼節をもって対応しだす。
「シエスタが何かしたのか」
「ギーシュの二股がバレたのさ。そのメイドの余計なお節介のせいでね」
スパーダが問い詰めるとギャラリーの一人が茶々を入れてくる。
「二股じゃないよ! 薔薇は多くの人を楽しませるためにあるんだから、僕は彼女達と平等に付き合いを……って、何を言わせるんだね! とにかく、このメイドが不用意に僕が落とした壜を拾ったりするから彼女達を悲しませることになったんだよ!」
自分に酔って芝居がかった仕草をしつつも、慌てて取り繕いながらギーシュはシエスタへ手にする薔薇の造花を突き付けた。
「何故、拾われたくらいで彼女を責める? シエスタは自分の務めを果たしたに過ぎん」
「君は見てないから分からないけど、僕は確かにモンモランシーからもらった香水を落としたさ。でも、その時に僕は知らないフリをしたんだ。話を合わせてくれる機転があったって良いじゃないかね。これだから平民は……」
溜め息をつき小馬鹿にされるシエスタは悔しさと屈辱に満ちた顔で沈み込んでいた。
シエスタとしては別にギーシュはもちろん、彼が二股をしていた他の生徒達にも迷惑をかけるつもりなどなかった。
奉公をする身として貴族の世話をするのは当然で、今のように彼らが大事な物を落とせばそれを拾って渡すのが筋である。ましてやシエスタはギーシュがポケットから落とすのをすぐ近くで見たのだから。
だが結局は貴族の都合や気分次第でいくらでも理不尽な難癖や因縁をつけられてしまう。
それが貴族と平民の決して覆すことのできない関係なのだ。
「二人の間で何か示し合わせはあったのか」
「そんなものある訳ないじゃないか。このメイドとは初めて話すんだから」
「……そうか、よく分かった。シエスタ、もう行っていいぞ。君に責任はない」
「え?」
唐突なスパーダの言葉にギーシュはもちろん、シエスタも、周りのギャラリー達も呆気に取られてしまう。
「でも……」
「これで手打ちだ。仕事に戻るがいい」
促されたシエスタは当惑した表情で、ギーシュとスパーダの顔を見比べるがやがて躊躇いがちに頭を下げると立ち去ろうとする。
「あ! お、おい! ちょっと……!」
「Go away.(早く行け)」
ギーシュを無視しスパーダは軽く手を振ってシエスタに言いつける。
トラブルから解放されたシエスタだったが、不安そうに後ろを振り返ったまま歩き去っていった。
シエスタを見送ったスパーダもその場から離れようと歩き出したが……。
「待ちたまえ! 何なんだね、君は! 横からしゃしゃり出てくきて僕に恥をかかせるとは!」
だがギーシュは今度はスパーダに食って掛かった。
無理もないことだ。部外者にいきなり割り込まれたばかりか、勝手に場を仕切られてしまったのだから。
ギーシュとしては少しでも自分の面子を保つためにメイドを叱りつけてやろうとしたのに、邪魔をされてしまったのである。
「お前の不始末のせいだ。シエスタに責任はあるまい」
「いや、だから……!」
「シエスタとは今が初対面だと言ったろう。ならばお前の都合を彼女が知り得るのは不可能だ。彼女は自分の仕事を忠実に果たしただけに過ぎん」
冷徹にそう述べるスパーダにギーシュは黙りこくってしまう。
「以前に彼女と会っていて何かしら口裏を合わせていたのなら話は別だったろうが、そうではないのだろう。ならば責任があるのはお前だけだ」
「うぐぐ……」
確かにシエスタとギーシュの間で話を合わせる指示があったなら、今のシエスタはそれを守らなかったことになるので彼女を責める理由になる。
だがスパーダの言う通り、今のギーシュは見ず知らずの相手に言い掛かりをつけているだけであった。
「スパーダの言ってることは本当でしょ。八つ当たりをするなんて男らしくないわ」
事態を見守っていたルイズまでもが指摘し始めた。
「そうだぞギーシュ。元を糺せば、二股をしていたお前が悪い!」
「あのメイドに頭を下げて謝った方がいいぞ~」
それに同調した周りの生徒達も面白がって冷やかしだす。
(もう……! 余計なことを言わないでよ!)
野次馬達の反応にルイズは顔を顰めていた。
せっかく場を収めようとしているのに、ちょっかいを出されては話がややこしくなってしまう。
(何んだい、この男は……!? さっきから……!)
一方的に自分が非難される状況にギーシュは激しく苛立っていた。
スパーダの言っていることは反論の隙もないほどに正しい。理屈だけで言えば周りの生徒達はおろか、ギーシュ自身ですら認めざるを得ない。
だがだからこそ、ギーシュの心はその正しさを受け入れることなどできはしないのだった。
そもそもこのスパーダという男の立場を思い出すことで余計に気分を害するばかりか、怒りさえ込み上げてくるのだ。
「……ああもう! うだうだと!! これだから成り上がりの貴族は嫌いなんだよ! 元は平民のくせに!」
激しく声を荒立てたギーシュの剣幕に、周りが静まり返った。
「君がどこの馬の骨かも分からない貴族か知らないが、余所者が口を挟むとは身の程を弁えたまえ!」
この学院の教師に説教されたなら仕方なく受け入れられただろうが、スパーダは教師ではない。
完全な部外者に割り込まれたばかりか、言い包められた事実そのものがギーシュを余計に苛立たせていた。
頭に血が昇ったギーシュは年長者への礼儀も忘れてスパーダを難じるが、彼は相変わらずの冷たい視線を返すだけで平然としている。
その睨みに負けたギーシュはもう一人の介入者であるルイズの方へ視線を向けた。
「ゼロのルイズ。ここは貴族の学び舎なんだぞ。平民の成り上がりを野放しにするなんて、君は自分が召喚した使い魔も指導できないのかね!」
薔薇の造花を突き付けられるルイズはいきなり自分が責め立てられたことに呆気にとられた。
「そうだぞ、ゼロのルイズ! 自分の使い魔くらいちゃんと躾けておけよ!」
「そもそも、そいつは本当に使い魔なのか? やっぱり、どこかから別に連れて来たんじゃないのか?」
さらに野次馬達は今度はルイズに対して嘲りの矛を向けてきていた。
しかもギーシュをからかっていた時と違い、明らかな悪意が込められているのがルイズにははっきり感じられた。
そもそも周りの連中は自分達が部外者であるのを良いことに、外野からいびって快感を得るのが目的なのだ。どちらの味方という訳ではない。
「彼はあたしがちゃんと召喚したパートナーよ! 召喚のゲートだって開いたじゃない!」
ルイズは野次馬達が発した嘲りに反応し、叫んだ。
「けれど、僕達と違ってすぐに現れなかったじゃないかね。しかも最後にはいつものように爆発までした。やっぱり、本当はただの失敗だったんじゃないかい?」
「なんですって……!?」
大袈裟な動きで大きく肩をすくめてこき下ろしてくるギーシュにルイズのこめかみに青筋が浮かびだす。
「たとえ召喚できたとしても、魔法も使えない平民上がりの没落貴族を呼びだすなんて……失敗も同然だよ。ゼロのルイズは所詮、ゼロのルイズだ」
「……っっ!!」
その一言がルイズの怒りを一気に膨れ上がらせた。
結果はどうあれ、初めて成功した自分の魔法。それさえもゼロだと、失敗だと否定されることが許せなかった。
「言いたいことはそれだけか」
いきり立ったルイズが感情に身を任せて杖を取り出そうとしたが、その前にスパーダがルイズの眼前に手を出して制してくる。
ルイズが今にも怒りを爆発させようかというほどに顔を真っ赤にするのに対し、没落貴族呼ばわりされてもスパーダは顔色一つ変えずギーシュに向けて冷たく言い放っていた。
「何だって?」
「お前がシエスタやルイズに因縁をつけるのは勝手だが、結局どうしたいのだ? このままでは収まりがつくまい」
確かにこのまま言い争っていても収拾がつく様子はない。
しかも元々は騒ぎに関係なかったはずのルイズまでもが加わってしまって、余計に話がややこしくなっている始末だ。
「お前が望むケジメのつけ方でもあるなら、付き合ってやってもいい。どうする?」
スパーダの提案にギーシュは手元で薔薇の造花を弄りながら上を見上げて考え込んでいたが、やがて何か思いついたようなしたり顔を浮かべだす。
「では、食後にヴェストリ広場へ来たまえ。そこでこの話の決着をつけようじゃないか」
そう言い残してギーシュは造花を派手な動きで振るい、去っていくとスパーダ達から遠く離れたテーブルについていた。
周りのギャラリーも一騒動が一旦終わったことで解散していく。次の時間までのお預けとばかりに期待に浮かれる者も何人かいた。
「ちょっと……スパーダ! 何であんなことを言うのよ! ギーシュは絶対に決闘か何かをあなたに申し込む気よ……!」
焦った様子でルイズはスパーダに食って掛かった。
「まだそう決まった訳ではあるまい。奴も貴族と言うなら礼儀くらいは弁えているかもしれん」
「でも……!」
「そもそも君自身が奴に先に決闘を吹っかけていたのではないか?」
「う……」
あくまで冷静なままでいるスパーダの指摘にルイズは言葉を失った。
確かにルイズは怒りに身を任せてギーシュに魔法をぶつけようとしたのだ。もしそれが実行されていたら先に手を出したのはルイズ。ギーシュとは確実に決闘騒ぎに発展していたに違いない。
「大体、スパーダこそ何で首を突っ込んだのよ。あなたは関係なかったはずじゃない」
ギーシュの八つ当たりだったとはいえ、本来スパーダには全く関係の無いことだったのだ。
なのに何故、わざわざ仲裁をするような真似をしたのかルイズには疑問だった。
「ただのお節介だ。……私は先にヴェストリ広場に行っている」
それだけを答えたスパーダは静かに踵を返しだす。
「場所は分かってるの?」
「心配はいらん」
先日、学院内を散策している時に何度か教師のコルベールと出会ってもおり、敷地内をある程度紹介された時にヴェストリ広場についても聞いている。
食堂を後にするスパーダの後ろ姿をルイズは心配そうに見つめていた。
「ミスタ・スパーダ!」
入口に差し掛かった所でスパーダの前にシエスタが駆け寄ってくる。
「申し訳ございません! わたしのせいでこんなことになってしまって……」
スパーダの取り成しで自由の身になったものの、その心にはわだかまりだけが強く残っていたのだ。
元々のトラブルの原因は自分にあるのに無関係な相手を巻き込んでしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「もう気にするな。私が話をつけておく。そんなことより自分の仕事に集中していろ」
シエスタは深く頭を下げて謝るが、スパーダはそんな彼女を臆面もない様子で見下ろすだけだった。
◆
ヴェストリ広場を先に訪れたスパーダはそこに備えられたベンチに腰掛けていた。
そこはスパーダが見つけた、この学院における自分の〝寝床〟だ。
魔界はもちろん、元の人間界でも野宿など珍しいことでもないスパーダにしてみれば外で睡眠をとること自体は苦痛でもない。
特にこの広場は居心地が良く、あまり人が来ない場所なようで寛ぐのにも最適だった。
腕と脚を組んだまま目を瞑っていたスパーダだったが、しばらくすると無数の人の気配を感じ始める。
「おい、君! 何を呑気に寝てるんだね!」
その怒鳴り声に目を開くと、目の前でギーシュが造花をスパーダに突きつける姿が入り込む。
傍らに立てかけていた閻魔刀を手にして腰を上げたスパーダは広場の真ん中に出来上がった生徒達の人だかりの方へ向かうギーシュの後をついていった。
ギャラリーのほとんどは男子だったが中にはルイズの他、キュルケといった女子も少なからず姿があった。
さらに群衆の端にはメイドのシエスタが不安な面持ちで覗き込んでいるのが見える。
ギーシュはスパーダと距離を取りつつ集まったギャラリー達をちらりと見やると軽く咳ばらいをして声を上げ始める。
「まあ、逃げずにちゃんと来たのは褒めてあげようじゃないか。さて、それでは決闘を始めようか!」
薔薇を掲げるギーシュの一声に生徒達から一際大きな歓声が巻き起こる。
「決闘ですって……!?」
だがルイズだけは驚き目を見張った。
やはりギーシュは決闘をする気だったのだ。ここまでの大騒ぎに発展してしまうとは、とんでもないことになった。
「ギーシュ! 決闘は禁止されているはずよ!」
ルイズの叫びにスパーダは顎を手で触れだす。
先日、図書館においてこの学院の規則を彼女から教えられた時に「学院で決闘みたいな騒ぎを起こすのは厳禁」だと伝えられていたのをしっかり覚えていた。
その規則をこのギーシュは破ろうとしていることに細く息を吐いて嘆息する。
「ルイズ。それは違うね。禁止されているのは貴族同士の決闘だ」
「スパーダだって貴族じゃない!」
「彼は元平民じゃないかね。しかも外国人だ。外国人同士の決闘だったら問題ないはずだよ」
確かにトリステインの国法では自国内の貴族同士の決闘は原則として禁じられている。
スパーダは図書館で読んだ法律書に確かそのようなことが書いてあったことを思い出していた。
「スパーダ君と言ったね? 君のその剣が飾りでないというなら貴族同士、正々堂々と決着をつけようじゃないか。異存はあるかい?」
「好きにしろ」
「やめて、スパーダ。喧嘩を売られても決闘はしないでって言ったはずよ!」
「私は彼に付き合っているだけだ。文句ならそちらに言うがいい」
腕を組んだまま立ち尽くすスパーダは二人の言葉に興味もなさそうに答えるだけだ。
「ルイズ。彼がここに来ている時点で、決闘は受け入れたことになるんだよ。これはもう僕達だけの問題だ。下がっていてもらおうか」
「そうだぞゼロのルイズ! せっかくの余興を台無しにするのか!」
「引っ込め!」
周りの野次馬達までもが次々にルイズに非難の言葉をぶつけてくる。
(何よ……! 高みの見物で楽しみたいだけのくせに!)
唇を噛み締めて俯くルイズは悔しそうに引き下がるしかなかった。
スパーダがどれだけの実力なのかは知らないが、ギーシュはドットとはいえ魔法を使えるメイジに平民が勝てるとは到底思えない。
メイジは魔法を使えるという最大の優位性があるからこそ、平民では絶対に覆すことのできない絶対な力関係を築いているのだから。
(絶対に死なないでよ……スパーダ)
だが、どんな結果になるにせよルイズはスパーダが命に別状がないくらいの怪我を負う程度のものになることを願った。
自分のことを認めてくれたパートナーを、こんなことで失う訳にはいかないのだ。
◆
「さあ諸君! お待たせした! 僕達の決闘を始める!」
ギーシュは薔薇の造花を掲げ高らかに宣言をする。
見物人からより大きな歓声が巻き起こり、ギーシュは腕を振って歓声にこたえている。
一方、スパーダは愛刀の一つである閻魔刀を片手に構えたまま目を瞑り、静かに佇んでいた。
「申し遅れたが、僕の名はギーシュ・ド・グラモン。我がグラモン家は古くからの武門の名門だ。成り上がりとはいえ、貴族である君に覚えておいてもらおう」
「前置きはどうでもいい」
お前の無駄なアピールに興味はない、とでも言いたそうな態度にギーシュは顔を顰める。
「ふんっ、いいだろう。……では、始めようか! せいぜい、君のその剣で抵抗をしてみせたまえ!」
ギーシュが持っている薔薇を振り、花びらが一枚落ちた瞬間、それは鎧を纏った女騎士の人形へと姿を変えた。
「先ほどの授業でやっていた錬金とやらか」
目を薄く開いてスパーダは唸る。
「お褒めにいただき、光栄だ。僕の二つ名は〝青銅〟。従って、青銅のゴーレム〝ワルキューレ〟がお相手する。言っておくが、卑怯などとは思わない事だよ。僕はメイジだ、魔法でカタをつけさせてもらう」
「Come on.(来い)」
スパーダの一声と共にギーシュが杖を振るい、ワルキューレが突進してくる。
ワルキューレの拳が真っ直ぐに叩き込まれようとしている。
当のスパーダはまた目を瞑っており、その攻撃を避けるどころか見ることすらしようとはしない。
ギーシュは勝ち誇った顔でにやりと笑った。
没落貴族の無様な姿を他の者達にも見せ付けてやろう。そう考えていた時である。
「なっ!?」
突如、低く不気味な唸りが響いた途端、目の前のワルキューレが一瞬にして十字に切り裂かれていた。
スパーダは閻魔刀の刃を、ほんの僅かに指で押し上げ覗かせている。
「な……なっ……」
突然の出来事に唖然とするギーシュと、あれだけ騒いでいたはずが途端に沈黙するギャラリー達。
「何が起こったんだ……?」
「あの男、何もしてないよな?」
誰もが、スパーダの神速の斬撃を見切れてはいなかった。
まさか彼らも今の抜刀が時に空間そのものを両断しかねないものだとは夢にも思わないだろう。
バラバラに切り裂かれ、ゴトゴトと地に落ちるワルキューレの残骸に広場にいるギャラリー達が凍りつく。
スパーダはワルキューレの残骸とギーシュを交互に見比べ、そして失望したように小さく鼻を鳴らした。
それからギーシュをじっと見つめると、彼は顎をしゃくりだす。「来い」と言わんばかりに。
(ば……馬鹿にしてるのか?)
まともに体を動かすどころか剣さえも抜かずにあしらわれ、挙句にはため息までつかれる始末。
まるで真剣さが感じられないようなその姿が、ギーシュの精神を逆撫でていた。
「ち、調子に乗るなよ! ワルキューレ!」
さらに花びらを二枚落とすと、それは二体のワルキューレへと変わる。
今度は槍やメイスといったもので武装していた。
左右から挟むようにしてスパーダに襲い掛かるが、当の本人は右手でワルキューレの振り下ろしたメイスを難なく受け止めた上、閻魔刀の鞘で左から襲ってきたワルキューレを打ち付けて吹き飛ばす。
そして、メイスを振り下ろしたまま固まっているワルキューレに鋭い蹴りを叩き込んでいた。
それはまるで子供をあしらうかのような光景だった。
剣を手にしているのにそれをまともに抜きもしないのは、彼が全力どころかその十分の一さえ発揮していないことを意味する。
ギャラリー達は「何やってんだよギーシュ!」「そんな奴、さっさと叩きのめせー!」などと野次を飛ばしていた。
ギーシュは歯を食いしばりながら顔を顰めた。剣を抜きもしない没落貴族にここまで舐められるわけにはいかない。
「ふ、ふん! いくら倒しても無駄だ! 僕はワルキューレを無限に作り出せる! それも一体や二体だけではない!」
その言葉が単なる虚勢である事がスパーダには分かっていた。
ワルキューレとやらを一体作り出すだけで相当の魔力を消耗するのは、メイジ達の魔力を直接視認する事ができるスパーダにはお見通しだった。
作れてもせいぜいあと四体が限界だろう。
(やはりな)
案の定、ワルキューレを四体呼び出しただけでギーシュの魔力はもう新たなゴーレムを作れる量ではなくなっている。
「ゆけ!」
僅かに顔を引き攣らせ、冷や汗を流しながら号令をかけるギーシュ。ワルキューレが一斉に突進してきた。
しかもただ闇雲に突撃させるだけ。物量で攻めようとギーシュは考えているようだが、司令塔たるギーシュのゴーレムの操作自体がなっていない。
芸がないなと思いつつ、スパーダは向かってきたワルキューレの胴体に閻魔刀の柄頭を打ち付けて怯ませ、体をくるりと反転させつつ閻魔刀の鞘を振るい、瞬時に後ろの二体を一度に怯ませた。
もう一体が横から剣を振り下ろすが、それをスッと体を僅かに反らせてかわすと蹴りを浴びせて吹き飛ばし、本塔の壁に激突させる。
体勢を取り戻した三体のワルキューレが一斉にスパーダに武器を振り下ろしてきたが、当たる寸前に右腕を素早く顔を庇うように構えだしていた。
――ガキンッ!
金属同士が衝突する、鋭い剣戟の音が響く。だが、スパーダは剣を一切抜いてはいない。
ギャラリー達は目の前で起きている光景に言葉を失った。
彼は剣でも、鞘でもなく、腕一本だけでワルキューレの攻撃を受け止めていることに。
しかも三体まとめてだ。
確かにギーシュのゴーレムの攻撃はスパーダを捉えてはいる。だが、彼はそれに参った様子はおろか、僅かな傷を負った様子さえない。
ただ受け止めるだけならまだしも、ワルキューレ達は逆にスパーダの防御に弾かれて後方に倒されてしまっていた。
「な、何だ? 今の」
「う、嘘だろ? あれを防いだっていうのかよ?」
「いや、何か腕に仕込んでるんじゃないのか?」
武器や防具どころか、己の体そのものでゴーレムの攻撃を真正面から受け止めるというありえない光景。
ギャラリー達は困惑し、さらにざわめきだす。
(何故だ、何故だ、何故だ! なんで、彼は平気なんだ!)
ギーシュも己が目にした現実に目を疑った。
青銅とはいえ、れっきとした金属でできたワルキューレの繰り出す攻撃はまともに受ければ痛いだけでは済まない。
腕や脚は折れ、内臓は砕かれるはず。にも関わらず、スパーダはその一撃を受けてもまるで堪えていないのだ。
逆にワルキューレの方が力負けをするという始末。……こんなことがあって良いものなのか。
彼は平民。自分はメイジ。魔法を使えぬ者と使える者。
なのに何故、ここまで実力に差が出てしまうのだ?
(ま、まさか……メイジ殺し!?)
魔法の使えぬ平民でありながらメイジにも引けを取らず、多大な戦果を示し、逆にそのメイジさえも容易く打ち倒す技と力を持つ者。
平民は貴族には勝てない。……世の理を否定する力を持つ存在。
昔から馬鹿馬鹿しいと感じてはいた。そんなことがあるはずない、と。
だが、現実にギーシュはスパーダという男に追い詰められている。
(じょ、じょ、じょ、じょ、冗談じゃないぞ!? メイジ殺しだったなんて、聞いてない!)
ここに至って、初めてギーシュは後悔した。とんでもない存在を相手にしまったことに。
「……ワ、ワ、ワルキューレっ!!」
恐怖に喚きながらギーシュは杖を振るい、倒れているワルキューレ達を起き上がらせた。
スパーダは先ほどから腰の閻魔刀に手をかけたまま、じっと佇んでいる。自分から攻撃を仕掛けようとはしない。
とにかく突撃だ。突撃あるのみ。
ただ闇雲にワルキューレを特攻させるしか、恐怖に支配されたギーシュの頭には残されていない。
先ほどまで発揮していた威勢や虚勢もすっかり萎えてしまった。
――キィンッ!
ワルキューレ達が動き出した瞬間、甲高い剣戟の音と共に眩い閃光が瞬いていた。
◆
ギーシュがハッと気付けば、彼の右手にはいつのまにか抜刀したものと思われる閻魔刀が握られ、横へと薙ぎ払われていた。その白刃は陽光を浴びて、微かに閃く。
(な……! 何だ……!?)
ギーシュはもちろん、ギャラリー達でさえ絶句した。
スパーダが剣を一振りした途端、斜め十字の青白い剣閃が飛び、向かってくるワルキューレ達を容赦なく切り刻んだのだ。
真正面から鋭い剣風を食らったワルキューレ達はバラバラになって崩れさり、残骸は地面に落ちて山と化していた。
当然、それだけでは終わらない。
放たれた剣閃はそのままギーシュ目掛けて突き進んできている。
これをまともに食らえば、人間など一瞬にしてミンチ肉にされてしまうだろう。
「ひいっ!」
死の恐怖に顔を引き攣らせ、咄嗟に後ろに倒れて尻餅をつくギーシュ。
自分のすぐ真上を、剣閃は通り過ぎていった。冷たい風が体に吹き付けられる。
剣閃はそのまま学院の外堀まで飛んでいくと、内壁に当たり、弾けて消滅した。
スパーダは静かに、優雅な動作で閻魔刀の刃を鞘へと収めた。チャキン、と鍔の音が静かに鳴り響く。
(……何だ? 昨日から鬱陶しい)
閻魔刀を納刀しながら、スパーダは忌々しそうに自分の左手を見る。
手袋で覆われてはいるが、この下には使い魔契約のルーンが刻まれている。
昨日からこのルーンは自分に対して魔力を発揮し、強制力を働きかけてきていたのだ。
――主に従え。
――主を慕え。
――主から離れるな。
そんな意味が込められた強制力が秘められており、並みの獣や力の弱い下級悪魔であれば簡単にその力に屈してしまうことだろう。
しかし、力の大半を魔界に封じた己の半身に移したとはいえ上級悪魔であるスパーダにはそんな洗脳染みた魔力など受け付けはしなかった。
このルーンは自分をルイズにとって都合のいい〝使い魔〟にしようとしているようだが、洗脳などで築かれる信頼など片腹痛い。
自らの意志で彼女と共にあるからこそ、意味がある。
ルイズを気にかけたりするのは、お節介ではあるがあくまでスパーダ自身の意志によるものだ。
スパーダの悪魔としての本能と力が、ルーンの魔力を完全に抑え付けていた。
「す……すごい」
スパーダの戦いを見守っていたルイズはあまりの光景に唖然とした。
まさかここまで強いとは。
恐らくスパーダはまるで本気を出していないのだろう。あそこまで涼しく余裕の表情を浮かべているのだから。
だが、これで彼の実力がはっきりと分かった。ドットとはいえメイジであるギーシュを軽く叩きのめしたのだ。
平民上がりとはいえ自分のパートナーの力強い姿を目の当たりにし……他のみんなにも示すことができたことがルイズには嬉しかった。
「素敵……」
ルイズが喜びに震える中、隣にいたキュルケはトロンとした目で体をくねらせている。
「きゅい! あの悪魔、やっぱりとんでもなく強いのね!」
ヴェストリ広場の上空を飛ぶ一匹の風竜がはっきりと人間の言葉を口にしていた。
その背に乗る青い髪の少女、タバサは眼下で繰り広げられる戦いを観察し、驚愕していた。
(彼は……何者)
自分の使い魔である韻竜のシルフィードはルイズの召喚した使い魔、スパーダの事をかなり恐れているようで、彼のことを〝悪魔〟とまで呼んでいる事にタバサも戦慄を抱いていた。
このハルケギニアには吸血鬼やら亜人といった異種族が存在するのだが、〝悪魔〟などという存在は御伽話の中でしか見た事がない。
しかし、スパーダから発せられる異様で冷たい雰囲気は、一人の戦士であるタバサをも震え上がらせる程に研ぎ澄まされていた。
だからこそ、ずっと彼のことを警戒していたのだ。
彼の正体がシルフィードの言うように本当に悪魔なのかどうかはまだはっきりとは分からない。
ただ、一つだけ分かるのは彼がただの異国から呼び出された貴族などではない、強大な存在だということだけだ。
きっと、並大抵の実力のメイジでは相手にならないだろう。
(……無理?)
タバサ自身も自分の力が彼に通じるかどうかはまるで見当もつけられない。
◆
「あ、あ……!」
最後の一手までもが全滅させられ、腰を抜かしたままギーシュは恐怖に打ち震えていた。
完全に見誤っていた。こんな恐ろしい相手に、ドットの自分が勝てるはずがない。
平民でありながら貴族をも屠ると言われる『メイジ殺し』の力を初めて目の当たりにし、ギーシュは戦慄する。
彼の力は明らかに、並のメイジを凌駕している。軍人の家系に生まれた人間として、彼が有する圧倒的な力を本能が感じ取る。
「く、くるな……! くるな!」
納刀した閻魔刀を腰に収めて近づいてくるスパーダに、半狂乱のギーシュは薔薇の造花を振り回しながら叫んだ。
途中、ちらりと明後日の方向――本塔の上へ視線をやっていたがギーシュにはそんな僅かな変化に気付く余裕はない。
ギーシュの目の前で止まったスパーダは冷徹な表情を浮かべて見下ろしてくる。
「ひぃっ……!」
怒りも侮蔑も無い、何の感情も窺えぬ氷のような瞳に射抜かれてギーシュは蒼ざめた。
「ま、参った……! 僕の負けだ! だから命だけは……!!」
「立て。まだ決闘は始まってもいない」
スパーダの発した言葉に驚いたのはギーシュだけではない。周りのギャラリーやルイズまでもが目を丸くしてざわめきだす。
「い、いや……! 僕はもうワルキューレを出すこともできないんだ……! 君が強いのはよく分かった! だからもう……!」
「戦ったのはお前のゴーレムだろう。お前自身はまだ戦ってはいまい」
周りに転がるワルキューレ達の残骸を見渡しながらスパーダは言った。
「お前は決闘をすると言いながら結局は高みの見物をしていただけに過ぎん。お前が自ら戦わねば決闘は始まりもせんし、終わりもしない」
凄みのある言葉にギーシュはその身をぶるりと震わせた。
メイジであるギーシュとしては決闘と宣言はしたものの、実際の所やろうとしていたのはメイジによる平民への一方的な制裁のはずだった。
貴族とはいえ平民の成り上がりが相手なら、魔法の力をもってすれば容易く片付けられると思っていた。
ギーシュ自らが体を張って戦うなど想像もしていなかったのである。
「私を痛めつけようとした当てが外れたのは気の毒だが、決闘は決闘だ。メイジだろうと、魔法を使うだけしか能がない訳ではあるまい」
最初からギーシュの考えを察していたらしいスパーダはそう言うと、ワルキューレの残骸の元へ歩み寄っていく。
その中からワルキューレの武器だった長剣を手に取ると、それをギーシュ目掛けて放り投げた。
「ひっ!?」
真っ直ぐに飛んできた剣はギーシュのすぐ真横に突き刺さった。
「お前に軍家としての誇りがまだあるなら、それを取るがいい。後はお前次第だ。ギーシュ・ド・グラモン」
スパーダが横にかざした右手の中に光が生じだすと、それは瞬く間に長く大きくなり形を変えていく。
光りが晴れると、閻魔刀よりも大柄な剣がその手に握られていた。
「あ、あれってあいつが背中に持ってた剣だよな」
「ど、どこに持ってたんだ? あんなでかいもの……」
「マジックアイテムなのか?」
どこからともなく大剣を取り出したスパーダにギャラリー達もどよめきだす。
(あの剣……どこにしまってたの?)
それはルイズも同じだった。今朝に目立つからどこかにしまうように言っていた代物をスパーダはあっさりと取り出したのだから。
ごくりと息を飲みこんだギーシュはスパーダが取り出した大剣を地面に突き立てるのを見て余計に緊張した。
彼は本気だ。何故かは知らないが、ギーシュは今のスパーダの印象をそう感じ取っていた。
あんな豪快そうな剣を振り回されたら、いくら何でも素手で太刀打ちなどできるはずがない。
かといってもうろくな魔法を使うことすらできない。ドットのメイジであるギーシュでは僅かに使うことができる魔法も彼に通じるはずがないと実行する前から理解できていた。
(こ、降参したいけど……!)
彼は言った。まだ決闘は始まってすらいないと。
ギーシュの方から決闘を申し込んでおきながら、彼の言うように自分はワルキューレにだけ戦わせて高みの見物しかしていなかった。
彼にそれを指摘されたことで、何故だかそれが恥であると感じだしていたのだ。
(う、うう……! こ、怖い……! これがメイジ殺しを相手にするプレッシャーというやつなのか……)
傍らに突き立てられた剣を手にして立ち上がるギーシュの手はガチガチと震えていた。
はっきり言って怖い。それがギーシュが感じている素直な気持ちだった。
だが、決して勝てないとしてもここで彼に挑まなければ貴族として……男としての何かが廃ってしまう。そんな気がしてならない。
彼と相対することで不思議と今まで感じたことのない熱い何かが自分の中に生じだしていた。
「う……うわああああああっ!!」
スパーダのものより小さな剣を振り上げ、ほとんど自棄に近い、恐怖の入り混じった雄叫びを上げながら駆け込んでいた。
向かってくるギーシュを見据えるスパーダだったが、一瞬だけ視線を外すと先ほどと同じ学院本塔の頂上を一瞥した。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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主人公の描写・設定
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悪魔の描写
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脚色したオリジナル描写・設定