魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
気がつけば見知らぬ世界が広がっていた。
そこは遥か昔に駆け回った風景とよく似ていた。緑豊かな大地、彼方に霞んで見える山々……。
何より千数百年ぶりに目にする蒼穹の空が懐かしかった。あれからずっと地の底に封じられた塔の中にいたのだから。
かつては多くの英雄達を乗せて駆け抜けてきた戦場、いつの間にか迷い込んだ魔界などとは違う清々しい空気だった。
肉が焼け焦げる匂いも、咽返りそうな血の匂いもしない。幼き日はこのようなのどかな場所を人間達の世話を受けながら育てられた。
だが、今の己にとってはこのような平和など退屈でしかたがない。
一度味わってしまった血みどろの戦場での空気、熾烈極まる過酷な戦いの日々。
そして、新たな故郷となった魔界の瘴気。それがここにはない。
己が求めるのは、修羅の一刻。戦いの場、力ある強者のみである。
だからこそ、己の力とこの足で探し求めるのだ。
――ヒヒィーンッ!!
精悍な巨体と前足を持ち上げ、一頭の巨馬は力強く嘶いた。
頭上に広がる蒼穹の空よりも蒼ざめた炎を身に纏い、己の巨体に匹敵する馬車を引き、誇り高き勇猛な『妖蒼馬』は駆け出した。
己をも超えん、強者を求めて。
◆
魔法学院において、その日の正午はいつになく盛り上がっていた。
正門前から本塔まで続く広場には多くの生徒達が集まっており、これから始まる余興に皆、期待を高まらせている。
生徒達が見守る中、二人の男女は互いに10メイルほど距離を取ったまま向かい合っていた。
その一人、ギーシュ・ド・グラモンは造花の杖から落とした花びらをいつのものように剣に変え、握り締めた。
相対するタバサは愛用の節くれだった杖を手にして静かに棒立ちで佇んでいる。
一年前、この学院に入学した際にも彼女はとある事情により決闘を挑まれたことがあったが、その時は決闘相手だった生徒をほとんど無視するような態度で軽くあしらってやった。
だが、今は違う。相変わらずの無表情ではあるが、その時とは違いしっかりとギーシュを視界に捉えて見つめている。
ギーシュはスパーダに鍛えられたおかげで、相当に剣の腕を上げている。自分と二人がかりだったとはいえ、彼はワルドにある程度善戦したのだ。
タバサとしては自身の力を更に高めるにあたってはギーシュは練習相手として不足はないだろうと判断していた。だからこそ、彼との手合わせを了承したのである。
本来、貴族同士の決闘は禁止されているのだがこれは別に本気の決闘ではない。あくまでもお互いの力試しのようなものだ。
教師達に咎められた際、ギーシュがそのように告げることでこうして手合わせが実現したのである。
二人はちらりと、本塔の入り口の方を見やった。
観戦する生徒達に混じってルイズやキュルケの他、スパーダも腕を組みながらじっと二人を見つめている。
「では、始めようか。タバサ」
ギーシュが剣を斜に構えると、こくりと頷いたタバサも己の杖を構えて臨戦態勢を取る。
「またあの時の顔になってるわね」
キュルケが面白そうにギーシュの顔を見てにやにやと笑みを浮かべていた。
今もまた、ワルドとの戦いの時に見せた戦士としての表情へと変化しているのである。さっきまでスパーダに立会いを頼んでいた時が嘘みたいだ。
「でもモンモランシー、あまり嬉しそうじゃなさそうね」
ルイズはちらっと離れた所にいるモンモラシーを見やるが、彼女はギーシュに見惚れるどころか口を手で覆い、顔は真っ青になっていた。
どうやらショックを受けている様子のモンモランシーだが、何故あのようにまで愕然としているのか。
「さぁて、どっちが勝つのかしら? 見ものだわ」
キュルケは無二の親友のタバサが勝つと信じていた。スパーダに剣術を叩き込まれたとはいえタバサだってトライアングルクラスの風メイジであり、しかもシュヴァリエの称号を授かっているほどの実力の持ち主なのだ。そう簡単に負けるはずもない。
「ねぇ、スパーダ。どっちが勝つと思う?」
「やれば分かる」
ルイズの問いに対し、冷徹な態度で返答するスパーダ。
勝負は時の運でもある。戦いの中の状況次第で戦局はどちらにも傾くものだ。故に総合的な実力は劣るであろうギーシュがタバサに勝つことも不可能とはいえない。
どんなに実力のある戦士でも、時に些細な出来事で力なき者に敗れることはあるのだ。
「イヤアっ!」
最初に仕掛けたのはギーシュだった。
タバサに向かって駆け出し一直線に突進するギーシュは腰だめに構えた己の剣を鋭く突き出す。
当然、タバサはあっさりとその初手をひらりとかわし、ギーシュの横に回りこむ。
「せやっ!」
ギーシュは体を反転させつつ剣を大きく薙ぎ払う。エア・ハンマーの呪文を唱えようとしたタバサはそれを中断し、杖で剣を受け止めた。
ガキン、と剣戟の音が響き渡る。
「……っ」
昨晩、スパーダとの手合わせで受けた閻魔刀の一撃に比べれば全然軽いのだが、小柄なタバサにとってはその一撃は意外に重く思わず小さく呻いていた。
悪魔と人間の力は歴然としている。故にスパーダから受けた一撃の重さはあの閻魔刀であっても杖が弾かれそうになったほどだが、人間であるはずのギーシュの一撃も中々に重く手が痺れる。
ギーシュとしては以前よりスパーダから「腕だけで振るな。体の全てで剣を振れ」と言われていたため、その教えに従ったまでである。
「フライ」
剣が受け止められてもギーシュは休まずさらに体を捻って剣を振るってきたため、タバサは一度後ろへ跳んで離脱する。
「まだまだっ!」
「エア・ハンマー」
追い討ちで剣を斜に構えて突進してきたギーシュに対し、瞬時に呪文を完成させていたタバサは真空の槌を放つ。
「ぶっ」
真正面からまともに受けたギーシュの体は呆気なく吹き飛ばされる。
10メイル以上は吹き飛ばされたギーシュであったが、地面に落ちる寸前で受身を取って着地していた。
「おっとっと……」
が、バランスを崩して尻餅をついてしまう。ちょっと決まらなかったな、と内心悔しがる。
「ウィンディ・アイシクル」
「うわわっ!」
そこへタバサが杖を頭上に振りかざし、無数の氷の矢を放ってきた。
襲い掛かる氷の矢を、ギーシュは慌てて体を横へ転がしてかわし、急いで立ち上がる。
「どうした、ギーシュ!」
「ミスタ・スパーダの弟子ならもっと良い所を見せろー!」
ギャラリー達から歓声と共に野次が飛ぶが、今のギーシュはそんな声を聞いている余裕などない。
タバサは容赦なくウインディ・アイシクルによる追撃を続け、タバサの周囲を逃げ回るギーシュを追い詰めていく。
一見すれば追い詰められているギーシュが不利なように見える。
だが、タバサは徐々にギーシュが距離を詰めていることに気がついた。
「離脱」
追撃を一時中断し、フライで飛び上がると周囲を旋回しながら近づいてきていたギーシュの外側へと着地した。
「これはどうかな!」
ギーシュは思い切り剣を横に振りかぶると、薙ぎ払うようにして己の剣を手放した。
勢いよく回転しながら飛来してきた剣をタバサは己の杖で弾き返す。だが、これで終わりではないことは既に知っている。
投げると同時に造花の杖を手にしていたギーシュはそれを、指揮者が演奏するかのように流れるような動きで振るう。
すると、明後日の方向へ弾き返された自分の剣の軌道が反転し、タバサ目掛けて戻ってきたのだ。
タバサはそれを今度はエア・カッターを放って迎撃する。
「……っ!」
その途端、自分の足を掴むような感触が伝わった。
見ると、タバサの両足は土くれの手ががしりと掴み取っていたのだ。ドットスペルのアースハンドだ。
身軽さが最大の武器であるタバサにとって、この状態は実にまずい。
「たあああぁっ!」
弾かれていた剣を念力によって引き戻したギーシュは動きを封じられているタバサへ向けて一気に駆け出した。
「タバサ! がんばってー!」
キュルケから声援が飛ぶ。
「エア・ハンマー」
ひとまずギーシュを吹き飛ばそうと杖を突き出し魔法を放ったのだが、それを見越していたらしいギーシュは呪文を完成させた瞬間に素早く横へと跳び退る。
しっかりと受身を取って着地し、止まることなくタバサとの距離を詰めたギーシュは一気に勝負を決めようとした。
「ストーム」
タバサは頭上に杖を構えると、自分を中心に30メイルにも上る大きさの竜巻を発生させた。
「うっ、うわあぁ!」
勢いあまってその竜巻に吸い込まれてしまったギーシュは一瞬にしてタバサの頭上で高く巻き上げられた。
激しく渦巻く旋風の中で為す術も無く振り回されたギーシュは剣と杖を手放してしまい、放物線を描きながら自由落下をし始めた。
この高さから地面に激突すれば大怪我では済まされない。
が、墜落寸前にタバサがレビテーションの魔法をかけてくれたため、ギーシュはゆっくりと地面に降ろされていた。
そして、目の前まで静かに近づいてきたタバサが杖の先を尻餅をつくギーシュの顔に突きつけてくる。
「決まり」
突きつけられる杖を見ながらギーシュは引き攣った顔を浮かべるが、タバサは静かに告げる。
「タバサの勝ちだわ!」
キュルケが歓声を上げると、他の生徒達も同様に沸き返っていた。中には「何で負けてるんだよ!」などと野次が飛んだりもしている。
溜め息を吐き、苦笑したギーシュは頭を掻いていた。
「やれやれ、まいったよ。やっぱりまだ君には届かないみたいだな。また機会があったら相手をしてもらえるかい?」
タバサはギーシュからの要望に一瞬、考え込んでから小さく頷いた。
ギーシュも正直、シュヴァリエであるタバサとあそこまで渡り合えたのは自分でも驚いていたのだ。
ドットとはいえメイジである以上、今回は魔法も併用してみたのだが予想以上に効果的だったことが分かった。
何にせよ、今回の組み手は良い経験となったことであろう。ギーシュはいつになく意気揚々として、自分の剣を拾いに行った。
「タバサ! やるじゃないの!」
タバサは全てが終わったと言わんばかりに広場を後にしようとすると、キュルケが親友の勝利に嬉しそうに抱きついていた。
◆
「どうだったかな、スパーダ君。負けてしまったけれど、それなりに戦えたと思うんだ」
「まあ、褒めてやる」
真っ先に師匠のスパーダの元へと駆け寄ったギーシュは彼の意見を聞いていた。
スパーダもギーシュの成長ぶりには素直に感心する。まだまだ荒削りではあるが、ギーシュは自分の教え通りに剣を振るえたのだ。
しかも魔法を併用することで戦闘を補助するということまでしてのけた。別に自分が教えたわけでもない。ギーシュ本人が考えて行ったことなのだ。
「モンモランシー! 僕の勇姿はどうだったか……あれ?」
ギーシュは愛する女性からも意見を聞こうと呼びかけるが、どこを見回してもモンモランシーの姿はない。
「モンモランシーなら帰っちゃったわよ」
「ええ! どうしてだい!?」
ルイズがそう告げると、ギーシュは狼狽した。
モンモランシーはギーシュが竜巻で打ち上げられた後、剣を振り下ろして落下してきた辺りから逃げるようにして去ってしまっていた。
彼女はずっとショックを受けた表情のままギーシュの戦いを見続けていたのだが。
「さあ、本人に聞いてみたら?」
「おおーい! モンモランシー! 僕の話を聞いておくれよぉ!」
ギーシュは慌ててモンモランシーに呼びかけながら探し始めていた。
余興は終わったことで、生徒達は各自解散していく。
中にはタバサとギーシュのどちらが勝つかで賭けをしていた者もいたようで、金を巻き上げている生徒の姿もあった。
昼休みはもうすぐ終わり、午後の授業が始まる。ルイズは午前の授業に出られなかったので、午後の授業に出席しなければならない。
スパーダは学院の図書館へと向かっていた。そこで調べるべきことがあったからだ。
このハルケギニアに魔界の悪魔達が現れるのであれば、必ずどこかに魔界とハルケギニアを繋ぐ役目を果たしている何かがあるはずだ。
それこそフォルトゥナに存在していた地獄門のようなものが。
おまけにこの世界は単純に悪魔達が餌を求めて現れるのではなく、明確に最上級悪魔の勢力によって侵略されようとしているのだ。
かつて魔帝が人間界へ侵攻した時に人間達を利用したように、今回も何者かがハルケギニアの人間達を利用している。それで生まれたのがあのレコン・キスタなのだ。
レコン・キスタを操る悪魔の勢力を相手とする前に調査が必要だ。悪魔達に関する資料がこの学院の図書館にあれば良いのだが、そういった類の本はまだ見つけていない。
「何だ……?」
図書館へ足を踏み入れた途端、異様な気配をスパーダは感じ取っていた。
やや遠くからではあるものの、はっきりと感じられる強い闘気。そこらの下級悪魔達はもちろん、中級悪魔でさえ比較にならない魔力である。
その気配を持つ何者かが、この学院へ近づいてきているのが分かる。
踵を返したスパーダは未だ感じ続けている気配を逃さないようにしつつ、足早に図書館を後にした。
◆
午後の授業には出席せず、タバサは学院の正門前に来ていた。
使い魔のシルフィードを呼び寄せ、これからトリスタニアの町へと向かう。町で必要な本を買うためだ。
本当は昼休みの間に行こうと思ったのだが、先ほどのギーシュとの組み手によってその時間を後に回されたのである。
だがあの組み手はそれなりに良い経験となったことに満足していた。単純に剣だけでなく魔法による補助まで使いこなすようになったギーシュは意外に手強かった。
ギーシュの欠点は突っ込み過ぎる所にあることが分かっていたため、そこを突いたのは正解だっただろう。
だが、やはりもっと強い相手と戦って自分の力をさらに上げてみたい。
その相手に最も相応しいのが、悪魔なのである。
スパーダのような伝説の悪魔はさすがに力の差がありすぎるので、もう少し下級の悪魔程度であれば相手としてはちょうど良いのだが。
「きゅいっ! きゅいっ! お姉さま、お姉さま」
「どうしたの? 喋っちゃだめ」
シルフィードに跨った途端に声を上げだしたため、タバサは怪訝そうな顔をしながら注意する。
「何か近づいてくるのね。精霊達が、怖がって悲鳴を上げているのね……」
周りには他に人がいないためか風韻竜は遠慮なく人語を口にしている。
タバサはシルフィードの言葉を聞くと、地面へ飛び降り杖を構えていた。
その表情はいつになく険しく、何者かの接近に対して気を抜かぬよう神経を研ぎ澄ませていた。
シルフィードの耳には次々と精霊達の声が聞こえていた。……「コワイヨ、コワイヨ」という恐怖に怯える声が。
「来た」
タバサの耳に微かに聞こえてくるのは、重々しい馬の蹄と馬車が走る音。
徐々にその音は大きくなってくるのだが、肝心の馬と思わしきものの姿が見えない。
「きゅいーっ!」
シルフィードが慌てて飛び上がると、突如タバサの正面の空間が歪みだした。
危険を察したタバサはフライで飛び上がると、空間から巨大な蒼い影が飛び出し、自分の真下を通り過ぎていった。
――ヒヒィーンッ!!
力強く嘶きながら学院の敷地内へと侵入してきたのは一頭の馬だった。
ただの馬ではない。普通の馬よりも二回りは大きい、3メイル以上にも達しようかという巨馬であった。
後ろに引く馬車もその精悍な巨体に見合うほどの大きさであり、おまけに車輪の中心から鋭いスパイクが外に向かって伸びている。いわゆるチャリオット――戦車というものだ。
着地したタバサは巨大な馬車を振り回しながら反転し、振り向いてきた巨馬と相対する。
「蒼い、馬……」
この馬の最も特徴的であったのはその体の色だった。蒼い――天に広がる青空よりもさらに蒼ざめた体をしているのである。
しかも鬣や蹄までも青白い光を宿し、さらには同色の炎まで纏っていた。不思議と熱気は感じられず、むしろ氷のような冷気が発せられている。
その姿はどことなく気高く、誇りに満ちているのをタバサは全身で感じ取っていた。
「……悪魔」
同時にこの馬からとてつもない威圧感と闘気を感じ、察していた。
杖を握る手に力が入る。白昼堂々、この学院に悪魔が現れるだなんて思いもしないことだった。
しかも以前より相手をしている下級悪魔達などとはまるで雰囲気や風格が異なる。
スパーダまでとはいかずとも、相当な力を持つ悪魔であることをこうして向かい合っただけで理解していた。
巨馬の青白く光る鋭い目がタバサを捉えていた。蹄を強く鳴らし、荒々しく呼吸を続けている。
――ヒヒィーンッ!!
巨体と前足を高く持ち上げると、巨馬はタバサ目掛けて突進していた。
◆
「何々!? 今のは?」
授業が始まる寸前、教室の生徒達は外から聞こえてきた馬の声にざわめきだしていた。
次々と窓に向かって張り付き、正門の広場を窺いだす。
他の生徒達が一斉に動き出す中、ルイズにキュルケ、そしてギーシュとモンモランシーの四人だけは座席についたままであった。
ルイズは先ほど、午前の授業だけでなく数日間留守にして休んでいたことを他の生徒達に尋ねられたのだが密命を秘密にするべく誤魔化したら「ゼロのルイズはどうせ大したことはしていない」「ミスタ・スパーダが全部片付けてしまった」などと嫌味を言われてしまったため、少し落ち込んでいたのである。
確かに自分はほとんど何もできなかったことは事実なのだ。そのことがどうにも悔しかった。
パートナーだけが活躍し、自分は役立たずのゼロ……せっかく、スパーダに失敗を活かせるようにしてもらったというのに何もできなかっただなんて。
そんなルイズとは対照的にキュルケは退屈そうに自分の爪に化粧をし、ギーシュは何故か不機嫌なままのモンモランシーを振り向かせるべく必死に言い寄っていた。
この四人は他の生徒達と違って一々、そんなことだけで動じることはなかったのである。
「おい、あれはタバサじゃないか」
「何なのあの馬! 幻獣? ユニコーン!?」
「あんな幻獣、見たことないぞ!」
授業に参加しなかったタバサの名前が挙がった時、ルイズとキュルケもようやく席から立ち上がり、急いで窓に張り付いていた。
ギーシュとモンモランシーは相変わらずであったが。
「タバサ!」
「あれは……」
ルイズとキュルケは広場で起きている出来事に吃驚していた。
正門前の広場には激しく駆け回る巨大な蒼い馬の姿があった。
巨大な馬車を引き、全身に蒼い炎を纏いながら走るその馬はタバサを追い回しているのである。
しかし、あの馬は何なのだ? 幻獣のような神秘的な姿をしているが、あんな幻獣はハルケギニアでは見たことも聞いたこともない。
(あれはもしかして、悪魔?)
ルイズはあの蒼い馬からスパーダまでといかずとも異様な殺気と威圧が発せられているのを感じ、思わず身震いした。
だが、何故悪魔がこの学院に? 何の目的で?
どちらにしろ、スパーダを呼んで何とかしてもらわなければ。
「あっ、危ない!」
蒼い馬は駆け回るタバサを外壁へと追い詰め、そのまま一直線に突進を仕掛けている。
だが間一髪、横に飛び退ったために馬はそのまま外壁に激突する――
「き、消えた!?」
蒼い馬は壁に激突する瞬間、突然空間の中へ飛び込むようにして姿を消してしまったのである。
タバサは注意深く周囲を見回していたが、やがて別の離れた場所の空間から現れた馬が再びタバサ目掛けて向かってきた。
「行ってみようぜ!」
「何なのかしら、あの馬!」
好奇心に負けた生徒達は次々と教室から抜け出し、広場に向かっていった。当然、ルイズとキュルケもである。
他の教室でも目撃されたのか、次々と教室の外へと溢れ返るように出てきていた。
「こら、君達! 早く席に――うわっ」
入ってきた教師が諌めるも、これだけの数が相手では圧倒されるしかなかった。
「お願いだよ、モンモランシー! 僕の話を聞いておくれよ!」
そんな中、この二人だけは未だ教室に残って片や言い寄り、片や無視を続けていた。
スパーダが広場へ到着した時、感じ取っていた悪魔の気配の主の姿がそこにあった。
青白い炎を纏いながらしつこくタバサを追い回している巨大な馬。
「あいつは……」
見覚えのある蒼ざめた巨体にスパーダは珍しく面食らっていた。
かつてテメンニグルを封じる際に一戦を交えたことのある上級悪魔……。人間界では死を象徴する不吉な存在として恐れられるという。
その悪魔の名は『妖蒼馬』ゲリュオン。
元々は遥か古の時代に人間界から魔界に迷い込んできた戦馬であり、魔界を彷徨っている内に強大な悪魔へと変貌したものだ。
人語こそ口にはできないものの、長い年月を経て魔力を得た分、その知能は上級悪魔に相応しく人間を凌駕するほどとなっている。
魔界の戦場に不意に現れては敵味方関係なく次々と悪魔を薙ぎ倒していくほどに荒々しく、他の悪魔達からも恐れられていた存在だ。
かつてテメンニグルを封じる際にスパーダはゲリュオンと戦ったことがあり、中々に手強い相手だったのを覚えている。
ゲリュオン本人としては人間はおろか悪魔に対して明確な殺意などを抱いているわけではない。
単純に戦場を駆け回るか強い相手と戦いたい闘争心を満たしたいだけなのだろうが、それで人間達に被害を出されては堪らないためにテメンニグルと共に封じたのである。
……そう。あの塔の中に封じたはずなのだが、何故このハルケギニアに奴がいるのか。
(やはり、どこかに出入り口があるのだな)
かつて封じたはずの悪魔さえもこのハルケギニアに姿を現した以上、その考えは当たっているはずだ。
「さて、どう相手をするか……」
かつての敵が姿を現したにも関わらずスパーダは落ち着いて腕を組んだまま塔の壁に凭れ掛かっていた。
今、ゲリュオンが戦っているのはタバサだ。彼女は悪魔達との戦いで自分の力を高めようとしていることをスパーダは知っている。
ならば、その敵を相手に一体どう戦うのか。じっくりと見せてもらうことに決めた。
タバサが力を示し、ゲリュオンを負かせばそれで良し。そうでなければ自分が出るまでである。
雪風のタバサと、妖蒼馬ゲリュオン。
互いに蒼を象徴とする強者達は己の力をぶつけ合っていた。
◆
昼休みが終わった後、学院長のオスマンはいつものように自分の執務室である学院長室でくつろいでいた。
呑気に鼻毛を抜いたり、机の引き出しから取り出した水キセルを美味そうに吸っていたのだが、そのキセルがふわりと宙に浮きだした。
「年寄りの楽しみを取り上げて楽しいかね? ミス・ロングビル」
部屋の隅の秘書机で淡々と仕事をしながら杖を振るったロングビルの元に水キセルは静かに移動していく。
「一応、あなたの健康管理もわたくしの仕事ですからね。オールド・オスマン」
「うぅむ」
事務的に素っ気なさそうに答えた彼女に対し、オスマンはつまらなそうに呻いた。
『土くれのフーケ』としての裏の生活を捨て、正式に秘書としてこの学院に就職が決まってからというものの、どうもロングビルはオスマンに対してつれない態度を取るようになってしまった。
ちょっとした悪戯心でセクハラをしてやっても、前みたいに滑稽な反応はあまりしてくれず、本性を露にして「『ブレッド』をおみまいしてあげようかしら」などと怖いことまで言うようになってしまったのだ。
もちろん、仕事自体は今まで以上にてきぱきとこなしてくれているし、何より秘書がいるということ自体は非常に助かる。
……だが、何か物足りないのだ。
「ところで、君はこの後トリスタニアへ身内に会いに行くそうじゃな?」
「ええ、そうですわ」
これからロングビルは毎日の仕事を一通り終えたら、トリスタニアの修道院に預けているティファニアの元へ行くことにしていた。
そうすればあの子もきっと安心してくれることだろう。
「ほっほっ、アルビオンに帰省していたのは大切な人を連れ出すためか。何、今のアルビオンは危険すぎるからの。それが一番良いじゃろうて」
オスマンにはティファニアについて詳しいことは話してはいない。だが、この狡猾な老人は自分が盗賊であったことを見抜いた油断のならない人間だ。
もしかしたらティファニアのことまで全て知り尽くしているのでは、とロングビルも内心オスマンを警戒していた。
「ワシらに出来ることがあったら何でも相談してくれて良いからの?」
「お心遣い、感謝しますわ」
ロングビルはあくまで事務的に、素っ気無い返答をしてくる。
「何じゃ、つまらんの。……して、どうじゃったモート・ソグニルよ」
肩の上に乗ってきた一匹の白いハツカネズミ。オスマンの使い魔が主に報告を行う。……いつもの悪戯の結果は。
「うぅむ……確認はできなかったか。残念じゃな――あたっ!」
突如、一冊の分厚い本が投げつけられてきて、オスマンの顔面に背表紙が直撃した。
ロングビルは淡々と仕事を続けながら手にしていた杖を下ろす。
(まったく、これだから男ってやつは……スパーダを見習いなさいよね……)
もっとも、スパーダは人間ではなく悪魔なのだが。
しかし、ロングビルにとっては彼が人間だろうが悪魔だろうが、そんなことは全く気にしてはいない。
「オ、オ、オ、オールド・オスマン! 大変ですぞ!」
突然、ノックもせずに飛び込んできたのは数人の教師達であった。全員が血相を変え、息を切らしている。
おまけに相当慌てていたのだろう。勢いあまってそのまま前のめりに倒れ、折り重なってしまった。一番下の教師が重さのあまりぐえ、と呻いている。
いきなりの出来事に本をぶつけられて顔を押さえていたオスマンも仕事を続けていたロングビルも呆気に取られてしまう。
「何じゃい? そんなに血相を変えずともワシは逃げはせん。また生徒達が何かしでかそうというのかの」
つい先ほど、ギーシュ・ド・グラモンとタバサの二人が組み手をしようとしたという報告を受けていたが、スパーダが監督を務めているという話も聞いていたので彼を信じて放置していた。
だが、いくら何でも短時間で生徒達が何度も厄介ごとを起こされてはオスマンとしてはたまったものではない。
「そ、そうではないんです!」
「が、学院の敷地内に見たこともない幻獣が侵入してきたのです!」
「……幻獣、とな?」
それまで飄々としていた老人の表情が一瞬にして、スパーダから送られた二つ名『賢者』に相応しいメイジの顔へと変わっていた。
ロングビルも仕事を続けていた手がピタリと止まる。
「今、生徒達がその幻獣を取り押さえようとしているのですが、あまりに凶暴で……」
「我ら教師もこれから総出で幻獣を押さえようと考えているのですが、どうかオールド・オスマンのお力を……」
ふむ、と頷いたオスマンは手を机の上で組んだ。
「……して、スパーダ君はどうしておる?」
スパーダの名がオスマンの口から出てきた途端、教師達の表情は嫌悪と不満で染まりだした。
(本当に狭量な奴らじゃのう……)
教師達のほとんどがスパーダを異国の没落貴族として侮り、見下し、敵視していることにオスマンは呆れた。
そうやって偏屈な態度を取ってよくも貴族を名乗れるものである。
そんなにスパーダが疎ましいなら、陰口を叩くより堂々と面と向かって言うほどの度胸を見せてやれば良い物を。
もっとも、逆にスパーダに言い負かされるのがオチだろうが。
「……まあよい。では、ワシもすぐに向かおう。他の教師達は集まっているのかね?」
「いえ、まだ授業に向かった教師達が……」
◆
――ヒヒィーン!
蒼ざめた巨馬、ゲリュオンが力強く嘶き、前足を高く振り上げ、大地を踏み鳴らした。
ドゴン、と鈍く大地が揺るがすほどの音と共に足に纏っていた青白い炎が巨大な波となって周囲に広がり、草地を焼き焦がしていく。
ゲリュオンの纏う炎は現世の炎とはまるで性質が違うが、それは紛れもなく全てを焼き尽くす地獄の業火である。
だが、その炎から発せられるのは熱ではなく、生ける者達を凍えさせる極寒の冷気だった。故に焼かれる者は異質な苦痛を味わいながら焼かれるのだ。
「フライ」
襲い掛かってきた炎を宙へ飛んでかわすタバサ。
庭の中を荒れ狂う獣のように無差別に走り回る青白い炎はやがてゲリュオンの元へと戻り、再び全身に纏っていた。
――ブルッ……!
着地したのを見計らってか、ゲリュオンが馬車を引きタバサ目掛けて突進してくる。
タバサは迫ってくるゲリュオンに自ら向かっていき、すれ違い様にゲリュオンの体にエア・スピアーで風を纏わせた杖で斬りつけてやった。
「浅い……」
だが、上級悪魔として強靭な肉体を持つゲリュオンの体にはかすり傷程度しか付けられない。
敷地内を荒々しく駆け回るゲリュオン。その間、後ろに引いている馬車から次々と無数の巨大な矢が絶え間なく射出されていた。
放物線を描きながら飛んでくる鉄の矢を同じく立ち止まらずに走ってかわしていくタバサ。矢は地面に着弾した途端に炸裂し、爆ぜる。
連続で射出され続ける矢をかわし続けるのは骨が折れる。一瞬たりとも気は抜けない。
おまけに、先ほどのギーシュとの組み手で精神力を消耗していたため、大技を使用することもできないのが痛手だった。
何とかチャンスを見つけ、一撃で決めなければならない。
ちらりと、タバサは本塔の壁にいつの間にか寄りかかっていたスパーダの方を見やった。
彼は先ほどから腕を組んだままじっと自分達の戦いを冷徹な表情のまま眺めており、参戦しようとする様子を見せない。
(わたしを試している?)
時折、銃を取り出しては手の中で弄んでいるのだが、その視線はタバサから外さなかった。
「で、でかい!」
広場に到着した生徒達は広場を駆け回るゲリュオンの巨体に度肝を抜かれていた。
大きさでいえばタバサの使い魔であるシルフィードに近い印象だが、その巨体から発せられる威圧感はあまりにもレベルが違いすぎる。
「あ、あんなのをどうするっていうんだよ……」
生徒達はゲリュオンの迫力に次々と気力を萎えさせていき、へたり込んでしまう。いかに魔法を使えるメイジとはいっても、所詮は実戦経験も何もない学生に過ぎない。
竜のように獰猛で、ユニコーンのように気高そうな、恐ろしい未知の幻獣を相手になどできるわけがなかった。
(スパーダ……! 何で、タバサを助けないの?)
ルイズは本塔の壁に寄りかかり静観しているスパーダを見つけ、訝しんだ。
まるで先ほどのギーシュとタバサの組み手を傍観していた時のように、タバサとあの悪魔との戦いを呑気に観戦している。
スパーダならばあんな悪魔など一捻りに違いないはずなのに、何故加勢しないのだろう。
「今、助けるわよ!」
無二の親友が窮地に陥っている姿を目にすればすぐにでも手を差し伸べるのがキュルケの性分である。
相手が幻獣だろうが何だろうが、杖を振るわずにはいられないのであった。
したり顔を浮かべるキュルケは杖の先に魔力を集中させて巨大な火球を作り出し、火球をさらに膨れ上がらせていく。
「フレイム・ボール!」
キュルケの杖から放たれた巨大な火球はタバサを追い回しながら馬車から爆矢を放ち続けるゲリュオンの移動先に向けて正確に飛んでいった。
――ブルッ! ブフッ……!
「あら、ずいぶんと頑丈みたいねぇ……」
胴体に直撃し、怯みはしたものの、ゲリュオンが纏う極寒の炎の影響のためかあまり効き目がないようだった。
それどころか逆にゲリュオンを刺激してしまい、標的がタバサから攻撃してきたキュルケへと変わっていた。
急停止によって地を滑りながら巨体を器用に回転させ、キュルケ達の方を振り向きだす。
「お、おい! こっちに来るぞ!」
「うわあ、来るなああぁ!」
「きゃあああっ!」
生徒達は矛先を向けてきたゲリュオンに対し、蜘蛛の子を散らすように次々と広場中を逃げ惑った。
あんな巨体に体当たりされればもちろんのこと、後ろに引いている馬車に轢かれればただではすまない。しかもあの馬車には武器まで積載されているのだ。
「ちょっと、キュルケ! こっちに気を引いてどうするのよ!」
下手に刺激してしまったキュルケをルイズが責める。
蹄を踏み鳴らし、首を左右に振りながら荒々しく呼吸を続けるゲリュオンの鋭い瞳は横槍を入れてきたキュルケへと向けられていた。
怒りに満ちた瞳を青白く光らせ、ゲリュオンは走りだす――。
「「タバサっ!」」
その隙をタバサは当然、見逃さなかった。
すかさずゲリュオンの傍まで駆け寄り、その背に飛び乗ったのである。
広場中に散らばった生徒達はその様子を不安な様子で見守っていた。
タバサとしては一対一の戦いに横槍を入れられたのは少々、不満ではあったものの今の自分の状態ではまともに戦っては勝ち目がないのも分かっている。
――ブルッ……! ヒヒィーンッ!!
当然、ゲリュオンはタバサを振り落とそうと暴れだした。体を振るい、巨体を持ち上げて叩きつける度にタバサは危うく振り落とされそうになる。
だが、タバサはそうはさせじとゲリュオンにしがみ付く。
「くっ……」
ゲリュオンが纏う極寒の炎は直接触れなくとも、これだけ間近にいるだけで炎から発せられる冷気はタバサを蝕んでいた。
まるで猛吹雪の中にいるかと思うくらいの寒さであり、タバサの手は既に悴み赤く腫れ上がっていた。このままでは確実に凍傷してしまう。
炎に焼かれて火傷をするのと、零下にさらされて凍傷するというのは肉体が損傷するという点では全く同じだ。
ただ熱いか冷たいかというだけの違い。どんな炎も結果的に相手を傷つけるのである。
「がんばって、タバサ!」
必死に戦う親友の姿にキュルケは声援を送っていた。
「スパーダ! 何をやってるの! どうしてあなたも戦わないのよ!」
ルイズはゲリュオンが庭を駆け回っていないうちに観戦しているスパーダの元へ行き、ものすごい剣幕で詰め寄っていた。
人間を悪魔の手から守るために剣を振るうはずである伝説の魔剣士が戦わない姿を見て、そのパートナーとなったルイズは大いに不満であった。
「まあ待て。最初に奴と戦いだしたのは彼女だ。まずは彼女の勝敗が決まってからだ」
「勝敗って……これは決闘じゃないわ! 相手は悪魔なのよ!」
冷徹に、悠然とした態度のスパーダにルイズはさらに食って掛かる。
スパーダはタバサとあの悪魔の戦いを決闘として見ているのか? 一体、何を考えているのだ。
「私がここで手を出しては彼女のためにもならん。彼女も承知している。それに奴も決して極悪というわけではない。奴には手を出すな」
「何なのよ……もう!」
聞く耳を持たない様子のスパーダに、ルイズは癇癪を上げるとそっぽを向く。
(まだ全力を出していないな……)
かつてゲリュオンと戦ったことのあるスパーダは、その時に繰り出されたゲリュオンの最大の得意技を思い返していた。
全盛期のスパーダでさえ、ゲリュオンのあの力には手を焼かれたことを今でも覚えている。
タバサはその力の布石を先ほど、見ていたはずだ。果たしてそれを見切れるか。
◆
ようやく体勢を整えたタバサが振り上げた杖の先に魔力の刃を纏わせると、ゲリュオンの胴体へ一気に突き立てる。
深々と杖が突き立てられた胴体から血が一気に噴き出した。
――ヒヒィーンッ!!
これまで以上に高い嘶きと共にゲリュオンの体はぐらりと揺れ、横倒しに伏していた。その巨体に見合った重々しい音と衝撃が同時に響く。
「み、見ろ! ミス・タバサがあの幻獣を!」
「か、勝ったの? あの子が?」
あの巨馬が倒れ伏した姿に、生徒達から次々と歓声が湧き上がった。
力なく横たわるゲリュオン。腹が微かに上下していることからまだ息があるらしい。
杖を引き抜き、飛び降りたタバサはゲリュオンの頭へゆっくり近づくと杖を振り上げ、ジャベリンの呪文を唱える。
その手はゲリュオンの極寒の炎にさらされたおかげで凍傷寸前だったが、それでも杖だけは決して手放さなかった。
本来ならばこんな勝ち方は望んだものではなく、互いに万全な状態で一対一で勝負をつけたかった。
だが、自分が力を付ける前に生き残らなければ何もならない。これほどまでに強い敵を相手にできたというのに、全力を出せなかったのが心残りである。
首を持ち上げるゲリュオン自身の目には未だ闘志が宿っている。まだタバサとの戦いは諦めていないらしい。
「……っ!?」
とどめにジャベリンを放とうと杖を構えた瞬間、ゲリュオンの目が赤く閃光を発した。
途端に倒れ伏すゲリュオンの全身から黒い魔力の奔流が周囲へ広がっていく。
タバサと作り出された氷の槍はもろとも包み込まれてしまう。
「っ……!」
気づいた時には、目の前に倒れていたはずのゲリュオンの姿が消えていた。外れた氷の槍は異様な遅さで地面に突き刺さる。
どこへ行った? と考える前に、体が思うように動かない。まるで水の中にいるおかげで水圧が体に重く圧し掛かるような感じで、動きが遅くなっている。
それに自分の周囲が異質な空間で満たされており、タバサは当惑した。
先ほど空間の中へと掻き消えたように、ゲリュオンは空間に干渉することができる能力を持っている。
それによって亜空間へ逃げ込んで攻撃を回避したり相手を惑わすことはもちろんのこと、今のように自分以外の空間の流れを遅くするなどという荒業も可能であった。
全力を持ってすれば、完全に時を止めるなどということも可能であるがかなりの力を消耗してしまうため、ゲリュオンにとっては切り札ともいえる技なのである。
「タァ~バァ~サァ~ッ~、あ~ぶ~な~い~っ~!」
キュルケの声がスローで聞こえてきて、タバサは周囲を見回そうとしたが、やはり体の動きが遅くなっているために振り向くことさえできない。
次の瞬間、空間がいつもと同じ様子に戻ると同時にタバサの動きは元に戻っていた。
背後から間近に迫る蹄と馬車の音に気がついた時、同時に何者かの気配を感じていた。
――ヒヒィーンッ!
空間転移によってタバサの背後へと移動していたスパーダは目の前に迫ってきたゲリュオンを移動する合間に装備した篭手のデルフで正拳を繰り出していた。
己の走る勢いを利用されて繰り出されたその強烈な一撃で、ゲリュオンの巨体は後ろへよろけながら大きく滑っていた。
「うおっ! こりゃあでっけえ大物が相手だな!」
昨晩、タバサと手合わせをしていた時には何かに怯えていて黙り込んでいたデルフがようやく喋りだしていた。
デルフを無視するスパーダは唖然としているタバサを肩越しに振り向く。
「中々上出来だ。……が、まだ甘いな」
突然現れたスパーダの言葉に、タバサはしゅんと俯き落ちこんでいた。
あの時、確かに動けなかったはずのゲリュオンを確実に倒せると思い込んでいた。その僅かな心の緩みが油断を生むことになってしまった。
やはり、自分はまだ力不足だ。単純に力だけでなく、こんな初歩的なミスを犯すだなんて。
しかも相手は悪魔なのだ。何をしてくるか分かったものではないと、知っていたはずである。
「後は私がやる。下がれ」
身構えるスパーダの言葉にタバサはおとなしく引き下がる。
「タバサ、大丈夫? ……こんなに霜焼けになって」
キュルケは赤く腫れてしまったタバサの手を見るなり、優しく包み込むようにして掴む。
氷のように冷たくなった小さな手を、微熱の手で温め、溶かしてあげようとしていた。
「見ろよ。ミスタ・スパーダが出るぞ」
「でも、いつもの剣を持っていないな。大丈夫か……?」
「あの篭手、マジックアイテムか何かじゃないのかい?」
スパーダを師事する生徒達は自分達の師が、悪魔のような幻獣に挑もうとする姿に次々とざわめく。
剣を教えてもらっている彼らとしては、その師の持ち味であるはずの剣を持たないことに不安を抱いていた。
「お、おい! 相棒! 俺はな、できれば悪魔を相手にするのはこりごりなんだ。今回ばかりは相棒の愛剣で……」
「必要ない」
二つの愛剣は体内で収めているままだが、篭手のデルフでも充分に戦える。
ゲリュオン自身も既にスパーダを標的に定めている。ここで逃げるわけにはいかない。
ゲリュオンも蹄を踏み鳴らしつつ、首を左右に振りながら荒々しく息を吐いていた。その目にはタバサと戦っていた時以上の闘志が宿っている。
かつて戦った魔剣士との戦いは、今でも覚えていた。あの時のスパーダは剣を振るって自分と死闘を繰り広げたはずだ。
あの時は自分の力の全力を持ってしててでもスパーダを倒すには至らず、悔しくも敗北を喫することとなったのである。
テメンニグルに封印されてから、いずれまた再戦することを強く望んでいたゲリュオンとしてはここでスパーダに出会えたことはまさに喜ばしいことだった。
いつもと装備は違うが、そんなことは大したことではない。
伝説の魔剣士と再び力をぶつけ合えることに、ゲリュオンの悪魔としての闘志がさらに燃え立った。
――ヒヒィーンッ!
「できればお前とはゆっくりやり合いたい所だが、そうもいかん」
そんなゲリュオンの思いとは裏腹にスパーダはあくまで冷徹であった。
前足を高く上げ、大地を踏み鳴らし極寒の炎を撒き散らすがスパーダは高く跳躍してゲリュオンの馬車に飛び乗る。
以前、ゲリュオンは馬車に乗られることで死角から攻撃されてしまい、敗北してしまったが今度はそうはいかない。
目を赤く光らせると、己の空間を干渉する魔力を外へ開放し、スパーダを包み込む。
案の定、スパーダの動きは遅くなる。いかに伝説の魔剣士といえどこの力には抗えない。あの時もそうだった。
ゲリュオンはさらに亜空間へ逃げ込むと同時に、馬車に積んでいた巨大な槍を地面に着地しようとするスパーダの八方へと射出・設置する。
まだスパーダの動きは遅いままだ。このままでは串刺しになる。
「危ない!」
一方、ゲリュオンの魔力による拘束の外側にいるルイズ達はスパーダの動きがタバサと同様にスローになってしまったために慌てていた。
設置された槍は空間が元に戻ると同時に射出され、一斉にスパーダへと襲い掛かる。
だが、着地した瞬間、篭手のデルフが地面に叩きつけられ、スパーダ自身の魔力を爆発させていた。
赤い爆発と衝撃波は槍を吹き飛ばし、粉々にする。
そこへ離れた場所から姿を現したゲリュオンがスパーダ目掛けて突進していく。
「おいおいおい! 相棒、来たぞ、来たぞ! ……って、何をするつもりだ! おい!」
デルフが慌てて叫ぶが、スパーダは自らゲリュオン目掛けて駆け出していったのだ。
「な、何をする気!」
「いくら何でも自殺行為だよ!」
戦いを見守る生徒達もスパーダが自らゲリュオンに向かっていく姿に驚きが隠せなかった。
篭手のデルフを構えてはいるものの、先ほどみたいに待ち構えてのカウンター攻撃ではない。自ら突っ込んで攻撃しても同士討ちになるかもしれないのだ。
ゲリュオンとしても、スパーダが拳を繰り出してきたら多次元を移動し、背後から襲い掛かるつもりであった。
既にスパーダとの距離は目前。今にも拳を繰り出そうと力を溜めているのが分かる。
その拳が繰り出された時、スパーダは敗北を喫するのだ。
――ヒヒィーンッ!
気がついた時、ゲリュオンの頭に何度も強烈な衝撃が襲っていた。
拳を繰り出すかと思っていたスパーダは突然姿を掻き消し、ゲリュオンの頭上に空間転移するとそのまま体を車輪のように前転させながらゲリュオンの頭に何度も踵落しを繰り出したのである。
思いもしなかった攻撃を受け、勢いがついていたゲリュオンの体は滑りながらスパーダの回転蹴りを頭に受け続けていた。
スパーダの靴の踵がゲリュオンの頭部を打ち付ける度に赤い閃光が瞬く。
ぐらりとよろめき停止したゲリュオンに対し、スパーダは軽やかに着地する。
その左腕は未だ、構えを解いてはいない。
「……フンッ!」
力を溜めに溜めた左腕でふらつくゲリュオンの胸を下から一気に突き上げた。
渾身の力を込めて繰り出されたその強靭な一撃はゲリュオンの巨体を高く打ち上げ、大地へと叩きつける。
ドスン、と辺りを揺るがすほどの地響きが響き渡り、後には沈黙だけが残っていた。
そして、あの恐ろしい巨馬を制した一人の男は拳を振り上げたままその場で静かに立ち尽くしている。
◆
「か、勝ったの?」
「……す、すごい!」
横たわるゲリュオンの傍で左肩を回すスパーダの姿に、再び生徒達から歓声が上がった。特に彼を師事する生徒達からの歓声は凄まじかった。
もちろん、魔法を至上のものとし、彼を師事していない生徒達はつまらなさそうに顔を歪め、悔しがっていたが。
その戦いを見届けていたルイズ、キュルケ、タバサの三人も強靭な力を持つ悪魔を目の前で容易く倒してしまったスパーダに唖然とする。
(これが、スパーダの力……)
あれだけ強大な力を持っていた悪魔が、力なく横たわっている。しかも先ほどのタバサの時とは違い、さらに弱々しい。
もはや戦う力が残されていないのは明白だ。
たとえ剣を持たずとも、どんな力を持った強大な悪魔であろうと、伝説の悪魔であるスパーダの前では赤子も同然なのだということを改めて思い知らされる。
「きゃっ!」
「また立ち上がったぞ!」
すると、横たわっていたはずのゲリュオンがよろめきながら体を起こし、立ち上がっていた。
だが、その目にはもはや先ほどまでの獰猛な闘志は宿っていない。
あるのは自らを再び打ち破った強者に対する敬意であった。
疲弊している乱れた息を吐き続ける蒼ざめた巨馬の視線は、己を打ち倒したスパーダへと向けられている。
スパーダは黙り込んだまま、冷徹な表情と視線をゲリュオンへと返していた。
互いに睨みあう、二体の悪魔の姿。その張り詰めた空気にルイズ、キュルケ、タバサの三人は食い入るようにじっと見つめ、緊張していた。
これから何をしようというのか、生徒達は誰も予測できない。
――ヒヒィーンッ!!
突然、ゲリュオンは高く嘶きながら全身を光の粒へと溶かしていった。
あれだけ暴れまわっていたはずだった恐ろしい巨馬の姿はもうどこにもなく、スパーダの目の前には蒼ざめた光が静かに浮かんでいるだけであった。
その光をスパーダはゆっくりと左手で掴む。すると、自らの中に強大な魔力が流れ込んでくるのをはっきりと感じていた。
「いいだろう。お前を使ってやる」
強い力と魂を持つ上級悪魔は、時にその姿を変えることがある。
己に匹敵、もしくはそれ以上の力を示すことでその戦った相手を認めることで魂を捧げ、その者に力を貸し与えるのだ。
たとえそれが人間であろうと、力さえ悪魔に示せばそういった事態もあり得るわけである。
そして、その魂が姿を変えると多くは魔具となる。だが、中には魔具とはならず己の力と魂そのものを認めた相手に授けることがあるのだ。
今のゲリュオンや、以前から宿しているドッペルゲンガーなどがそれに当たる。
ドッペルゲンガーは元々、人間界で活動をしていた時に戦い、打ち破ることで勝手にスパーダに魂を捧げてきたのだ。
その魂を解放して元の姿に戻してやることで、使役することもできる。
『土くれのフーケ』の件ではそれを利用したというわけだ。
もっとも、悪魔としてのプライドが高すぎるような奴はたとえ己以上の力を示そうとも、決して魂を捧げることはしない者もいる。
その場合は自分を負かした相手を殺すために一度退いて力を蓄えリベンジを果たしてくるか、相討ち覚悟で特攻までしてくるのである。
それでも雪辱を果たせずにに屈してしまうと、悪魔の奥底にある魂そのものが敗北を認めてしまい、己の意思とは無関係に魔具と化してしまうのだが。
スパーダとしてはゲリュオンを殺すつもりはなかったので、潔く自らの意思で魂を捧げてくれたのは都合が良かった。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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主人公の描写・設定
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悪魔の描写
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脚色したオリジナル描写・設定