魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Mission 29 <深淵の魔女> 前編

 

ある日を境に、トリスタニアのチクトンネ街ではほとんどの酒場が不況となっていた。

本来ならば夜の繁華街として賑わうはずであるというのに、この活気の失った状況はあまりにも空しい。

平日よりも客が多くなる虚無の曜日であっても、この閑古鳥と繁盛のなさは変わらない。

東方から輸入されてきた〝お茶〟を提供するカフェという店の一群さえも今まで繁盛してきたのが嘘のようにまるで商売になっていない。

かろうじて助かったのは、純粋に宿に泊まることだけを目的とした客が足を運んでくれることだろう。

酒場と同時に宿も営んでいる店はそうした客を招くことで細々と店の経営を続けていた。

もっとも、これだけの不景気が続いては赤字になるだけであり、店がつぶれてしまうのでどうにも頭を悩ませているのである。

現に、スカロンが経営する魅惑の妖精亭も客足のほとんどが途絶えてしまっているこの有様に困り果てていた。

貴族の客は誰も来ておらず、平民の客は閉店までに十人程度という悲惨な状況である……。

 

二週間前、アンリエッタ姫殿下の婚姻が発表されて本来ならばお祭り騒ぎとなり、いつも以上に繁盛するというのに。

そのため、本来は妖精亭の家宝でありチップレースという店員で行なわれるイベントの優勝者のみに一日着る権利がある魅惑の魔法のビスチェを、

特例として娘のジェシカを含めた店員達が一日交代で着用することにもなってしまった。

そうすることでほんの僅かではあるが、客足が増えてくれたのは喜ばしいことだった。

 

どうしてこのようなことになってしまったのか。理由は一つ。

最近新しくできた〝妖艶の園〟とかいう酒場に客を独占されてしまったからだ。

何でもその酒場で雇っているある女が男達の人気を集めており、その噂が伝わったため、その女を一目見ようと貴族の客さえも奪ってしまったのである。

話によればその女はこの世のものとは思えぬ美貌を備えた娼婦であり、単に美しいだけでなく神がかり的な誘惑で男達を魅了してしまうらしい。

それだけだったらただのいかがわしい女なのだが、その女の奏でるハープの演奏が見事な腕前らしくそれを聞くのが目的の客もいるそうだ。

それがスカロンにはどうにも悔しくて仕方がなく、口惜しさに涙ぐむ彼を店で働く女の子達が慰めていた。

 

同じ頃、チクトンネ街では謎の変死を遂げた者達が見つかるという事件が多発していた。

精を根こそぎ奪われて衰弱死した男女が路地や宿の裏で見つかるというものである。

犠牲者達は揃って悦楽に堕ち、至福に満ち溢れた死に顔をさらしていたという。

今の所、被害が出ているのは平民だけであり貴族の人間は誰も犠牲者が出ていない。普段からあまり治安の良くない場所であるため、平民が役人に被害の届けを出しても怠惰な役人はいつものことだとまともに取り合おうともせずに報告を握り潰して放置され、公にはされていないのだった。

 

 

 

 

サン・レミ寺院の鐘が夕方六時を告げる音を鳴らしてから二時間が経ち日が没した頃、チクトンネ街の一角でその事件は起きていた。

「あらあら……そんな顔をして……。私が怖いのかしら?」

人気のない路地に不気味に響く妖艶な女の声。本来ならばスリや強盗などが襲ってきてもおかしくないこの場所にいるのは二人の女。

一人はどこにでもいる平民の若い女性であり、昼間はブルドンネ街の方で夫と共に店を営んでいる。

最近夜になると夫がこのチクトンネ街のある酒場に出入りするようになり、朝方になるまで帰ってこないために連れ戻すべくその店を目指していたのだが、

道中に突然現れたのが今、目の前にいるこの娼婦のような女だった。

赤毛の長髪を揺らし、その髪が露となっている形の整った胸を申し訳程度に隠している。

その身に纏うのは素材が全く分からない漆黒のショールとスカートだけで、ほとんど裸に近いあられのない格好であった。

だが、娼婦の肌はまるで死人のような生気の感じられない土気色であり、女は今まで味わったことのない恐怖をその身に感じていた。

(何て綺麗なの……)

しかし、同時に女は娼婦のこの世の物と思えぬ美貌にうっとりとしていた。

貴族の婦人などまるで歯が立たないであろうその妖艶な美貌は慎みからはかけ離れていたものの、同じ女である彼女さえも誘惑する魅力に満ち溢れている。

娼婦の姿を見ているうちに、自分がやろうとしていた目的など頭から消え失せてしまっていた。

「安心なさい。何も怖がることなんてないわ……。そのまま私に身も心も委ねなさい……」

娼婦の手がゆっくりと伸び、抱き寄せた女の頬を優しく撫でる。その赤い瞳は妖しい光を仄かに放っていた。

正気ではない恍惚とした表情を浮かべている女の顎を掴み、娼婦は女の首に自らの唇を彼女の口元に近づけていく……。

 

 

突如、響き渡った一発の銃声。

今にも女同士の唇が触れ合おうとしていた時、娼婦の眉間に一つの穴が穿たれ、鮮血が飛び散った。

その衝撃で上半身が後ろに反り返り、未だ正気を失っている女の体を離してしまう。

だがすぐに体を起こすと眉間に開けられた風穴を、まるでかすり傷を撫でるかのごとく手で触れていた。

人間ならば致命傷である傷を負っているにも関わらず、娼婦はまるで平然としている。

「食事を邪魔するだなんて、野暮ねぇ……」

脳天に風穴を開けられた娼婦がつまらなそうに呟くと、路地の入り口の方から近づいてきたのは一人の女であった。

短く切った金髪の下、澄み切った青い瞳は女とは思えぬ苛烈さで満ち、娼婦を睨みつけている。

女が背負う一振りの大剣は絶えず青白い雷光を細かく散らせていた。

「黙れ、悪魔め」

弾を装填した短銃を娼婦に突きつけ女戦士アニエスは冷徹な声で答え、容赦なく引き金を引いた。

 

 

再び銃口から放たれる一発の銃弾。

娼婦は余裕の動作で腕に纏うショールを振り上げると、あっさりと銃弾を弾く。

「お痛はだめよ」

娼婦が肩を竦め、からかうように呟く。

「はああああぁぁっ!!」

アニエスは即座に背負っていた稲妻の魔剣アラストルを手にすると、倒れている平民の女を身を翻しながら飛び越え、娼婦に斬りかかる。

滑るように退いた娼婦は振り下ろされたアラストルの一撃をショールで受け止めていた。ガキンッ、と剣戟の音が路地に響き渡る。

「あら。人間がそれを手にするだなんて初耳だわ」

意外そうに声を上げる娼婦だったが、アニエスは聞く耳を持たずにアラストルを振るい続け、怒涛の連撃を仕掛けていった。

一振り、一突きをする度にアラストルに纏わりつく紫電が散り、娼婦は紙一重にかわしつつショールでいなし続けている。

 

「悪いけれど、あなたに付き合っている暇はないの。そろそろ開演の時間だから」

「何っ!」

一方的に娼婦を攻め続けていたアニエスだったが、突如としてその姿が漆黒の影へと変わりさらに無数のコウモリの渦となって舞い上がっていった。

……逃げられてしまったようだ。アニエスは忌々しそうに舌を小さく打つと、アラストルを背に戻す。

特注で作ってもらった専用の鞘に収められたアラストルから紫電が消え失せ、大人しくなった。

だが、奴の発していたあの気配は覚えた。元々、アニエスがここに現れたのもアラストルが反応して導いてくれたからだ。

まだそう遠くには行っていない。この街のどこかに潜んでいるはずだ。必ず見つけ出して、仕留めてやる。

最近、チクトンネ街で起きている怪事件。宮廷の役人達が握り潰して正式には公にされてはいないものの、デビルハンターでもあるアニエスの耳にはしっかりと話は届いていた。

傲慢な貴族達がやる気がないならば自分が出るまで。厄介事を押し付けられるまでもない。

「逃がしはしないぞ。悪魔め……」

獲物を狙う猛禽類のごとき鋭い表情を浮かべ、アニエスはあの悪魔の打倒を誓った。

危うく犠牲者になりかけた女を抱えると、そのまま路地を後にしていく。

 

 

 

 

その一時間前、日が没してから間もない頃。

「あ……」

ルイズは愕然とした様子で顔を引き攣らせていた。

ここはトリスタニアのチクトンネ街に存在する修道院。ここには今は亡きアルビオン王弟、モード大公の忘れ形見であるティファニアが預けられている。

修道院の一室でスパーダとルイズは彼女と面会していたのだが、ルイズは紺色の修道服に身を包んでいるティファニアの姿に目を奪われている。

いや、正確には修道服の上からでもはっきりと膨れ上がっている二つの山に。

清楚で可憐な空気を纏う華奢な体には全く釣り合わない、豊かな胸。

以前、アルビオンで初めて目にした時はマントを纏っていたせいかこれが分からなかった。

「ありえない……」

「は、はい?」

何故か恨みがこめられているように低く呟くルイズにティファニアは困惑する。

普通だったら決してありえないはずの光景を間近で目にしてしまったルイズは、己が抱えているコンプレックスが一気に膨れ上がっていった。

 

これは胸か? 

 

こんなのが胸であるはずがない。あのキュルケだってここまで大きくない。

 

じゃあ、これは一体何なのだ? 

 

ルイズは思わず、自分の胸と比べてみる。……目の前の熟れた果実のような物体に比べ、そこにあるのはまっ平らな平野だけ。

 

こんなの、胸なんかじゃない。

 

胸に化けた何かだ。

 

「ありえないっ!」

「ひうっ!」

突然、吠えだしたルイズがティファニアの豊満な胸をぐわしと掴んだ。ティファニアはルイズが発する怒りのオーラに呑まれてしまい、身を竦ませる。

怒りに燃えるルイズはもはや彼女がモード大公の忘れ形見であることも忘れてしまっていた。

「一体何よ、これは!」

「む、胸……」

憎々しげな剣幕で迫るルイズにティファニアは怯えている。

「嘘……」

「嘘じゃないわ。ほんとに胸……」

「嘘おっしゃい! こんな胸が一体、この世のどこにあるっていうの!? あんた、調子に乗ってるんじゃないの!? 肩とか足とか手とか腰とかそんなに細いのにどうしてここだけがこんなになってるのよ! こんなの胸じゃないわ! 胸っぽい何かよ! あたしは認めない! 認めないわ!」

大声でまくし立てながら獣のように吠え続けるルイズは乱暴にティファニアの胸を揉みしだいていた。

「そ、そんなこと言われても……」

「このあたしへの当て付け!? 恨みでもあるの!? 謝って! あたしに謝りなさいよ!」

「そこまでにしろ」

そこへ横に控えていたスパーダの手ががしりとルイズの腕を掴み、ティファニアから手を離させる。

「離して! 離してったら!」

「こんなことをするためにここへ来たのではないだろう」

まるで父親が娘の行動を諌めているような光景だった。

 

 

先日、スパーダがロングビルと交わした約束。

ティファニアがスパーダと会いたがっているらしいために近々、訪問することになったのだがそのロングビルが何故かスパーダと顔を合わせようとすると逃げ出す上、彼女の仕事が終わるとスパーダを誘わずに一人でトリスタニアへ行ってしまうために中々約束を果たせなかったのだ。

なのでスパーダが直接、この修道院を訪ねてティファニアと面会することになったのである。

ちなみにロングビルは二、三日に一回の割合でティファニアに会いに来ており、昨日がそうであったために今日は学院に残ったままだ。

ルイズが付いてきているのは、モード大公の忘れ形見であるティファニアがどういった人物なのかを会って確かめようとしていたわけなのだが……。

彼女のコンプレックスを刺激してしまったようだ。

「うう……分かったわよ……」

ようやく落ち着いたのか、ルイズは部屋に備えられたテーブルの椅子に腰掛ける。

だが、未だその恨めしい視線はティファニアの胸へと向けられ続けていた。

二人も同じように椅子に腰掛け、向かい合う。

「彼女はルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという。前にも見知っているだろうが、魔法学院の生徒だ」

フルネームは長すぎるために一部省略してティファニアにルイズを紹介する。

「あ……はい。よろしくお願いします」

先ほどの剣幕がかなり堪えたのか、少しおどおどしながらルイズにぺこりと頭を下げるティファニア。

当のルイズは「ん~……」などと唸って相槌を打ちながら、未だ恨めしそうにティファニアの胸を睨んでいる。

「その後はどうだ。こちらの生活には慣れたか」

「あ、はい。修道院の人はみんな良い人達ばかりですし、誰もわたしを怖がりませんから」

スパーダと話すティファニアはそれまでの怯えから一転し、心から安心しきった笑顔を浮かべていた。

妖精のように愛らしく清純な顔がより一層、美しさを増した。

今はその頭にベールを被っているためにエルフとしての耳は露になっていない。

「マチルダ姉さんもちゃんと会いに来てくれますし」

(ミス・ロングビルにあんな過去があっただなんて……驚きだったわ)

マチルダ・オブ・サウスゴータ。それが今は学院の秘書として働くロングビルの本当の名前。

アルビオンから戻ってきてから数日後、ルイズはスパーダからロングビルの素性などを聞きだしており、その過程で四年前にアルビオンで起きたという事件も聞くことになった。

さすがに他人のプライバシーに関わるので、ルイズにはティファニアがハーフエルフであることは伏せられているが。

 

「それにしてもトリステインって賑やかなんですね。この間マチルダ姉さんと一緒に少し街を回ってみたんですけど、ウェストウッドの村とは大違いです」

「だが、一人では決して出歩かないようにしておけ」

彼女がハーフエルフであることがバレてしまえばとんでもない大事になることだろう。この修道院の人間は院長を含めてそうしたしがらみなどは全く気にしていないようだが、その外となれば話は別だ。

「分かっています。ここにいる人達や、スパーダさんのような人だけがいるわけじゃないでしょうから……」

ティファニアの表情が少し曇りだす。外の世界にでてきたとはいえ、まだ本当の自由を手にしたわけではない。

「私は〝人間〟ではないがな」

自嘲を込めてスパーダは苦笑した。

その言葉に反応したのはティファニアではなく、ルイズだった。

「またそんなこと言って。あなたは〝人間〟だって言っているじゃない。涙が流せないからどうだって言うのよ」

体を起こし、スパーダに食って掛かる。

ちらりとルイズを一瞥するスパーダは再びティファニアの方を見やった。

「ティファニア。君は泣いたことがあるか?」

「……はい」

四年前のあの日、母を、父を失った時、ティファニアは心を震わせ、涙を流した。その時のことは未だ彼女の心に刻まれ続けている。

「悪魔は決して涙は流さん。涙は心ある人間のかけがえのない宝物だ」

「この分からずや……」

相変わらず頑なに認めようとしないスパーダにルイズは拗ねてしまう。

「マチルダ姉さんが言っていました。スパーダさんは、下手な人間なんかよりよっぽど信頼できるって。たとえ悪魔でも、誰かの役に立って信頼を得られるのは素晴らしいことのはずです」

スパーダがどこか憂いを窺わせているのをティファニアは察し、思わずそう答える。

「わたしなんて、涙は流せるけど誰の役にも立たないし誰にも信頼されることなんてないんですから。悪魔なのに人に信頼されるなんて、羨ましいですよ」

ティファニアはハーフエルフ。人間には忌むべき存在とされるエルフの血と、エルフもまた敵対している人間の血を宿す中途半端なできそこないなのだ。

純粋な悪魔であるスパーダは全く違う種族である人間のために役立っているのに、中途半端な自分が誰かの役に立つことなんてあるのだろうか? 

「私のことなど、どうでも良いことだったな。これからスカロンの店にでも行こうと思うがどうする? 今日は私が付いていてやろう」

「あ、はい! スパーダさんと一緒だったら、わたしも安心です」

ティファニアは顔を輝かせたが、ルイズは腑に落ちない顔をしている。

「スカロンって誰よ?」

「ここの修道院もその男の娘から紹介してもらった」

 

 

 

 

それからすぐにスパーダ達はティファニアを連れ、夜のチクトンネ街を歩き回っていた。

ティファニアはスパーダとこうして並んで歩いていると安心ができて、気分が良くなる。

スパーダは悪魔であるが、それを全く感じさせない大人としての貫禄があり、まるで頼もしい父親が傍にいてくれるみたいに思えていた。

「ここは夜になるとお店が開くんですね。マチルダ姉さんは、あまり安全じゃないって言ってましたけどそうは見えません」

以前、マチルダと共にブルドンネ街を回ったことのあるティファニアは初めて目にするチクトンネ街の夜の姿に感嘆としていた。

魔法の明かりを灯した街灯が彩りを添え、幻想的な、思わず楽しくなってしまいそうな雰囲気であった。

「裏道などはうろつかない方がいいがな」

「それにしても何だかいつもより寂れてるわね」

ルイズは開店している様々な酒場があまり繁盛していない様子に怪訝であった。いつもなら夜の繁華街として賑わうというのに、これはどうしたことだろう。

以前、ここを訪れたことのあるスパーダもあまりに変わり果ててしまっているチクトンネ街の姿に顔を顰めている。

だが、気にしていても仕方がないのでスパーダは目当ての店を目指して歩き続けていた。

やがて、一行はスカロンが経営する酒場、魅惑の妖精亭へと辿り着いた。

「げ……」

羽扉を開け、中に入った途端、ルイズは唖然としていた。

「いらっしゃいませぇ~~!」

目の前に現れたのは背が高く逞しい体格をした中年の男だったのだが、何とも気持ち悪い格好をしており、ルイズには一目でオカマだと分かった。

強い香水の匂いが鼻を突き、ルイズは思わずむせ返りそうになる。おまけに体をクネクネと揺らすので吐き気がこみ上げる。

「あらぁ! スパーダ君じゃないの! それに妖精のお姫様まで! 今日は本当に素晴らしい日だわ!」

スカロンは客として訪れてくれたスパーダを歓迎してくれた。ルイズにも視線が向けられ、びくりと竦みあがった。

「こちらはお初ね? しかも貴族のお嬢さん! 何てトレビアンなのかしら! お店の子が霞んじゃうわ! わたしは店長のスカロン。今日はぜひとも楽しんでってくださいませ!」

体をさらにクネらせ一礼する。ルイズからして見れば気持ち悪いことこの上ない。

一行は適当に空いているテーブルに着くとスカロンの娘のジェシカがメニューを手に近づいてきた。

「ストロベリーサンデーを頼む」

「またそれ? シエスタが作ってあげたって聞いてるんだけど、飽きないのね。そちらの二人はどうするの?」

呆れながらもジェシカはルイズとティファニアにもオーダーを促す。

「えっと……」

困惑するティファニアはちらりとスパーダを見る。彼は腕を組んだまま沈黙している。

「あの……それじゃあスパーダさんと同じものを」

「このお店のお勧めをお願いするわ」

二人の少女はそれぞれ違うものを注文し、確認を終えたジェシカは厨房の奥へと消えていく。

「ねぇ、あの給仕の娘、シエスタとどういう関係よ。だいたい、何でこの店の子達、あんな格好してるのよ!」

「彼女はシエスタの従姉妹だ。この店はそういうサービスをしているだけだ」

小声で喋るルイズの問いに答えるスパーダは、店の中を見回していた。

……自分達以外に客はたったの二人。閑古鳥とはまさにこういうことである。他のチクトンネ街の酒場と同じだ。

ただでさえこの店は男達に人気があるというのに、これはどうしたことだろう。

 

「やけに景気が悪いな」

スパーダがスカロンに声をかけると、体をくねらせながら近づいてきたスカロンは悔しそうな表情を浮かべていた。

「そうなのよぉ。最近新しくできたお店にお客様をみんな取られちゃったの! もうっ! 口惜しいったらありゃしないわ!」

「それにしては、他の店も同じみたいだな」

「その新しいお店の看板の女が人気なんですって! あたし達も他のお店もこれじゃあ破産しちゃうわよ。だから今日はスパーダ君が来てくれて良かったわぁ。貴族のお客様だって一人も来ないんだもの! きぃーっ! 悔しいわ!」

「泣かないで! ミ・マドモワゼル!」

給仕の女の子達が一斉にスカロンの元へ駆け寄り、慰める。

「そうね! 〝妖艶の園〟の娼婦なんかに負けちゃあ、魅惑の妖精亭の名が泣いちゃうわ!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 

「大変なんですね。このお店の人達」

ティファニアがぽつりと呟く。

「どこも同じようなものだがな」

「でも、チクトンネ街の酒場ってたくさんあるのよ。客をほとんど独占しちゃうなんて、その娼婦ってどんな女なのよ……」

以前、キュルケが学院中の男子達を独占して女子達の反感を買ったという一件をルイズは思い出していた。

「さてな。よほどの魅力があるのか、魔法で惑わしているかのどちらかだ」

スパーダは思わず腐れ縁だった女悪魔、ネヴァンのことを思い出す。あの女だったら百人や二百人の男など軽く誘惑してしまうことだろう。

それにあの女は同姓さえも魅了することだってできる。よほど意志が強くなければ抗うことなどできない。

 

「おまちどお様!」

しばらくするとジェシカが盆に乗せたストロベリーサンデーを二つ持ってきて、スパーダとティファニアの前に置いた。

さらに他の給仕の女の子がルイズの頼んでいた料理を運んでくる。

「不況らしいから3枚ずつやる」

スパーダは懐から取り出したエキュー金貨を給仕達の数に合わせて盆の上に置いた。

あまりに太っ腹なスパーダに給仕の女の子達からわあっと歓声が上がった。ジェシカも思わずびっくりしてしまう。

「あらぁ! 良かったわね、妖精ちゃん達! ごめんなさいねぇ、スパーダ君。こんな不況じゃなかったら手間をかけさせなかったのに」

「気にするな」

軽く相槌を打ってスパーダはスプーンを手にし、ストロベリーサンデーを口にする。

ルイズは店のお勧め料理に満足した様子で、貴族の子女らしい仕草で食器を動かしていた。

ティファニアは初めて目にする不思議なデザート、ストロベリーサンデーに目を丸くしながらじっと見つめていた。

「いらんなら私がもらうぞ」

「あっ……いえ! い、いただきます!」

慌ててティファニアはスプーンを掴み、ストロベリーサンデーを口にした。

途端、今まで味わったことのない甘みが口いっぱいに広がっていく。

「……甘い」

ウェストウッドの村では決して味わえなかったであろう甘さに、不思議と手が動いて食べ進んでしまう。

「私も気に入っているからな」

喋りながらもスパーダは手と口を動かしてサンデーを食していく。

「スパーダが甘党だなんて意外ね」

悪魔が喜び勇んで好物を食す姿なんて、見ていると微笑ましい。

 

 

その時、入り口の羽扉が開けられ、新たな客が姿を現した。

「いらっしゃいま――」

スカロンが出迎えようとしたが、入ってきた客の姿に唖然とする。

(ん……?)

スパーダのストロベリーサンデーを食していた手がぴたりと止まる。

この覚えのある悪魔の気配は……。

「すまない。部屋を一つ貸してくれ」

そして、聞き覚えのある女の声。

肩越しに後ろを振り返ると、そこには見覚えのある一人の女がぐったりとしている平民の女を抱えて立っていたのだ。

何より、女が背負っている一振りの剣の柄が目に付いていた。

「何よ、あの女」

「どうしたんでしょうか」

ルイズとティファニアの手も止まり、いきなり現れた女戦士へと視線が注がれていた。

その時、女戦士の視線がスパーダ達のテーブルへと向けられる。

スパーダの姿を目にした途端、目を見開いて驚いていた。

 

「お前は……!」

「しばらくだな。アニエス」

盟友の化身を預けられた女剣士と魔剣士は今、再び邂逅していた。

 

 

 

 

アニエスが抱えてきた女性は何の怪我もなく、意識を失っているだけだった。

魅惑の妖精亭へ立ち寄ったのは単なる偶然であり彼女を宿に預け次第、すぐにあの悪魔の行方を追うはずであったのだが、ここで思わぬ男と再会することになったのである。

女を部屋に寝かせて下りてきたアニエスはアラストルをテーブルに立て掛け、スパーダ達のテーブルに自分もつくことになった。一応、酒場なので酒でも注文しておく。

「スパーダ、誰なのよこの女は」

スパーダと共に席についている桃色の髪の貴族の子女……恐らくは魔法学院の生徒なのだろう。その少女はアニエスを訝しそうに見つめて声を上げる。

同じく席に付いている金髪の髪を覗かせている修道女は、きょとんとアニエスを見つめて呆けていた。

「仕事仲間だ。共に仕事をしたのはまだ一度だけだがな」

「仕事って何よ。あなた、あたしに隠れて何かやってるっていうの?」

スパーダが自分の知らないうちにこんな平民の女と知り合っていたのがどうにも納得ができず、食って掛かった。

「たまたま、共に悪魔退治をしただけだ」

ほとんど食べ尽くしたサンデーを食しつつスパーダは答える。

「アニエスと申すものだ。よろしく頼む」

軽く一礼したアニエスだったが、ルイズは相手が完全に平民だということで侮り自分からは名乗ろうとしなかった。

「あ、あの……ティファニアと言います」

それに対し、ティファニアはアニエスが微かに発する気迫に少し怖じ気づきながらも挨拶を返していた。

「あの、アニエスさん? さっきの方はどうしたのですか? あんなにぐったりして……」

「そうだな。何かあったのか」

ティファニアとスパーダが尋ねると、アニエスは事のいきさつを話し始めた。

 

最近チクトンネ街で密かに発生しているという怪事件。それは人間によるものではなく悪魔によって引き起こされており、既に多数の犠牲者が出ているという。

宮廷の役人に届けは出されているものの、役人はまともに相手をしようとせずに揉み潰し、上への報告もされず公にもされていないそうだ。

アニエスは何日か前からこの事件のことは耳にしており、独自に調査をしているという。

そして、つい先ほどここに運んできた市民を襲おうとした悪魔を見つけたのだが、取り逃がしてしまったのだ。

「どういうことよ! 仕事を怠けて姫様にも伝えないなんて! 貴族の風上にも置けないわ!」

バンッ、とテーブルを叩いて立ち上がったルイズは腹立たしく大声を上げていた。

「一々、飼い慣らす家畜のことを気にかける暇はないのだろうな」

冷淡に鼻を鳴らし、スパーダは空になったストロベリーサンデーのグラスにスプーンを置く。

力を手にする者の多くは己より力を持たない、もしくは同じ力を持たない者を蔑む傾向にある。

ましてやこの魔法至上主義の世界では魔法とそれを操るメイジこそが絶対の存在だと認識されており、平民は飼い慣らす家畜も同然なのだろう。

以前、チュレンヌとかいう宮廷の醜い豚を叩きのめしたことがあったが、奴は良い例だ。

これがもしも貴族の人間の被害者が出たのであればすぐにでも上に報告し、調査が行なわれるのだろう。それまでに平民はどれだけの被害が出るかなど、想像もつかない。

クズに任せるくらいならば自分達で解決する。アニエスはそう考えた訳だ。

「スパーダ! あたし達でその悪魔を見つけてやっつけてやりましょうよ!」

「ル、ルイズさん!?」

唐突に意気込みだすルイズにティファニアは驚き、戸惑う。

「貴族は絶対に敵に後ろを見せちゃいけないのよ! たとえ相手が悪魔だろうとね! そんな自分の仕事も果たさないなんて貴族でも何でもないわ。あたし達でその事件を解決してこそ、本当の貴族の役目なのよ!」

取り出した杖を構えて、ルイズはさらに発奮している。

スパーダの指導の下、新しい魔法として特訓を続けている〝バースト〟のちょうど良い練習相手にもなるのだ。

どんな悪魔が相手だろうと、この魔法で吹き飛ばしてやるのである。

 

そうして一人張り切るルイズを見て、アニエスが渋面を浮かべる。

「ルイズ殿と言ったな。相手は悪魔だぞ。あなたもメイジだろうが、生半可な実力で挑める相手ではない」

「うるさいわね。平民が生意気な口を聞くんじゃないの。第一、あんたその悪魔を逃がしたんでしょう? だったらここからはあたし達に任せなさいよ」

アニエスに対してルイズは尊大に言い返した。

そんなルイズの姿と態度にスパーダは細く溜め息を吐く。

ルイズもまた、力を手に入れようとしているためか調子に乗って己より力なき者を蔑む人間になりかけている。

この数日、スパーダはルイズの魔法の特訓に付き合ってその腕を磨き上げたり、様々な応用法を編み出させたりしていたのだが、その都度ルイズは舞い上がっていたのだ。

本来、彼女は〝ゼロのルイズ〟と呼ばれて蔑まれ、まともな魔法が使えないコンプレックスを抱いていた。

力を求めていた彼女はその思いの分、自分だけの力を手に入れられたことに有頂天になってしまったのだろう。

「ミス・ヴァリエール。アニエスは確かに平民だが、腕は確かだ。それに悪魔との実戦経験は君より上だ」

「はいはい。とにかく、あたしはその悪魔を倒してみせるわ。スパーダももちろん手伝うのよ」

スパーダとしては当然、アニエスに協力をするつもりであったのだがルイズのこの態度には眉を顰めていた。

「あ、あの……」

話に全く付いていけずにおどおどしていたティファニアが恐る恐る声を出す。

「ああ、あんたは良いのよ。大人しく修道院に戻っていて」

「そうですよね。……わたしじゃ足手まといになりますよね」

切なそうに俯くティファニアは膝の上で重ねた手を、嵌めてある指輪をぎゅっと握り締める。

亡くなった母は〝困っている人を見つけたら、必ず助けてあげなさい〟と言って、この指輪を託してくれた。

だからその遺言に従い、目の前に困っている人間が現れれば、どんな相手だろうと助けてあげようと誓ったのだ。

だが、今の自分は何の役にも立てない。ましてや、悪魔と戦うことなんてできやしない。中途半端な自分は誰の力にもなれない。その無力さに歯がゆさを感じていた。

「そういうことで、そうと決まったらすぐにその悪魔を捜しましょう!」

ルイズのあまりの危機感のなさにスパーダはもちろん、アニエスですら密かに溜め息を吐いていた。

こういう無駄に張り切る人間が一番、危なっかしく足手まといになるのだ。

 

 

「それじゃあ皆さん、どうか気をつけてください」

修道院へと送り届けたティファニアが三人……特にスパーダのことを心底心配した様子で無事を祈った。

「大丈夫よ。あんたも外に出ないで中で大人しくしてるのよ?」

張り切っているルイズは増長しているのが明らかだった。これではその悪魔の格好の餌食になりかねない。

ティファニアを送り届けた一行はチクトンネ街を歩き回り、アニエスが取り逃がしたという悪魔を捜すことになった。

彼女によるとその悪魔は女悪魔だそうで、対峙した時に口にした言葉からどこかの酒場に潜伏しているかもしれないという。

その悪魔は人間に化けているのだろうがスパーダは当然のこと、アニエスが持つアラストルは悪魔の気配を察知できるので酒場を適当に渡り歩いていれば見つけることができるだろう。

「ふぅん、悪魔にも女がいるんだ」

「油断はするな」

むしろ女悪魔の方がより狡猾な連中が多いのだ。ルイズはまともに悪魔と相対したことがないから、その恐ろしさが分からないのだろう。

……スパーダは悪魔とはいえ、ルイズからしてみればその姿はもちろん行動ですら人間としてしか意識していないのだ。

「アニエスとか言ったわよね。あなた、魔法は使えないでしょうけど武器はちゃんと持っているんでしょうね」

ルイズのその言葉にアニエスは無言で一瞥していた。

平民である以上、魔法は使えないがそれに代わる力は手に入れ、磨き上げているのだ。

実力のあるメイジだったらまだしも、まともに実戦経験のないルイズから軽んじられて、さすがの彼女も溜め息を吐いていた。

「そういえばどうだ。アラストルの調子は」

スパーダはアニエスが背負う盟友の化身を指しながら尋ねる。

「ああ。大事に使わせてもらっているさ。こいつはとても相性が良いみたいでな。悪魔共との戦いでは役に立っている」

アニエスは鞘に収められているアラストルの柄に軽く触れながら満足げに答えていた。

アラストルを手に入れてからのアニエスはこれまで以上の奮闘で悪魔達を相手に戦っており、過去には手こずっていた悪魔もかなり楽に倒せるようになったのだ。

それは単純にアラストルの力だけでなく、アニエス自身の能力にもある。

魔法が使えない平民である以上、それに代わる力として剣術を磨き上げてきたために今では腕の立つメイジを相手にしても引けをとらない実力を有するようになったのだ。

鍛錬によって積み重ねてきた力がアラストルを己の一部として使いこなす源となり、その力を認めたアラストルはアニエスを主として認め、力を与えてくれているのである。

 

盟友の化身が強者の手で有意義に使われていることに、スパーダ自身も満足してほくそ笑んだ。

だが、同時に懸念も抱いていた。

「しかし、それを使って取り逃がすとはな」

「ああ。不覚だった。奴は今まで私が相手をしてきたような雑魚とは違ったみたいでな。いつものようにすぐに片付けられなかった」

「ま、今回はあたし達に任せなさいよ。その悪魔もあたし達で倒してあげるから」

悔しそうに返すアニエスであったが、そこにルイズが溜め息混じりに馬鹿にした態度を取っていた。

直接アニエスの実力を目にしていないので仕方ないことであるが、本来ルイズは純粋な平民は貴族には絶対に勝てないという固定概念を抱いているのだ。

スパーダを認めているのは彼自身の力を飽きるほどに見せ付けられ、しかも人間ではなく悪魔という強大な存在であることを認識しているからである。

故に純粋な平民であるアニエスをこうも侮ってしまうのはある意味、普通の貴族としては当然と言えるだろう。

その傲慢な考えが、彼女を窮地に追いやることになりかねないのに。

 

 

 

 

約三十分、スパーダ達はチクトンネ街の様々な酒場の前を通りがかっていたがどこの酒場も悪魔の気配は感じられず、閑古鳥な様子を覗き見るだけであった。

「もうっ、まだ見つからないの? 本当にこの街に潜んでいるんでしょうね?」

ずっと歩き回っているのに未だ見つからないことにルイズは苛立ちを感じ、アニエスに食って掛かった。

「焦るな。まだ全てを回ったわけではない」

スパーダは短銃を一つ取り出しクルクルと手の中で回しながら代わりに答えるが、唐突に足を止めた。

「……何かしら?」

見ると、何人もの男達が次々と路地の中へと入っていく姿が窺えた。それも一人や二人ではない上、貴族までもいる。

その後を追ってスパーダ達も路地へ入って進んでみると、その奥の袋小路には一軒の店があった。

どうやら酒場のようだ。他の酒場は閑古鳥だというのに、あそこだけ何故か客足が凄まじい。

 

看板には〝妖艶の園〟という店名が記されている。

 

……スカロンが言っていた新しくできた酒場というのは、どうやらここらしい。

店は地下へと続く階段の奥にあるようで、中は相当繁盛しているのか賑やかな声がここまで届いてくる。

(ここだな)

そして、スパーダはこの店の中からはっきりと強い悪魔の気配を感じ取っていた。それも雑魚の下級悪魔ではない。

「どうやら、ここにいるようだな」

「うむ」

アニエスは背負っているアラストルが柄からパリパリと微かに紫電を散らしていることで、薄い笑みを浮かべた。

悪魔の気配を察知すると、こうしてアニエスにその存在を教えてくれるのだ。今度こそ逃がしはしない。

「それじゃあ早速突っ込んで――」

「待て。ここは一応、店だ。一般人もいる」

杖を取り出し、張り切って階段を下りようとしたルイズをスパーダが制した。

「ヴァリエール殿。下手に暴れれば無関係の人達も傷つけてしまいますぞ」

さらにアニエスも右肩に吊るしていたゲルマニアの職人・ペリ卿に作ってもらったランチャーに弾を装填しながら言う。

「そ、そんなの分かってるわよ」

平民に注意されてしまったことにいささか不愉快であったが、ルイズは拗ねるように澄ました態度をとっていた。

 

 

さて、これから突入をする訳だがスパーダはちらりと後ろを振り返ってみたりするものの、路地の入り口からは誰もやってこない。

(今日はやはり来てないな)

どうやら今日はタバサは後を付けてきていないようだ。もしいるのであれば魔力を感知して存在わがわかるのだが。

悪魔絡みの仕事があれば一緒に連れて行って欲しいとは言っていたものの、珍しく今回は付けてきていない。

またガリア王国に呼び出しでも食らっているのだろうか。

「スパーダ。何してるのよ。とりあえず中に入るわよ」

ルイズが促してきたため、スパーダは二人と一緒に階段を下りていく。

およそ10メイルほど地下へと下りた先には扉があり、人間界の文字で〝Welcome to Garden of Bewitchery(ようこそ、妖艶の園へ)〟などと書かれている。

その扉の向こうからは、美しい旋律のハープの音色が聞こえてきていた。

同時に、強い悪魔の気配もだ。……しかも、この気配は以前に飽きるほど感じたことがある。

「何をしているのよ。早く中に入ってよ」

ノブを握って動きを止めていたスパーダをルイズが急かしていた。

 

「これはすごいわね……」

「酒場というより、一種の劇場だな」

店の中へ足を踏み入れた途端、ルイズとアニエスは中の様子を目の当たりにして嘆息を漏らした。

そこは面積にして広さはおよそ40メイル四方、天井までは8メイルほどの高さという酒場としては広大な空間であった。

壁や天井は全て岩から削りだされて磨き上げられており、ラ・ロシェールまでとはいかないがかなり壮麗な造りとなっている。

岩の所々には小さな穴が開いており、その中には無数の蝋燭が立てられ、この地下の空間に淡い光をもたらしていた。

この薄暗い空間の中、ざっと百人は超える男の客達が備えられたテーブルについて酒を振舞われている。

中には空いている席がないのか、壁に寄りかかっている者もいた。

 

酒を運んでいるのは無数の小さなコウモリのようなもの。人間の従業員は一人もいない。

「何かしら。ガーゴイル?」

俗に魔法人形と呼ばれるガーゴイルなのかとルイズは踏んでいたが、スパーダはこのコウモリを目にした瞬間、相手の正体が分かってしまった。

(あいつまで来ているのか)

煩わしそうに顔を顰め、大きな溜め息を吐くと腰の閻魔刀に手をかける。

今回はティファニアと会うため修道院にのみ寄る予定だったので、リベリオンを持ってきてはいない。

酒場の最奥、備えられている魔法の明かりによってかなり明るくなっている舞台上に視線をやると、そこには一人の女の姿があった。

いつもと違う色白の肌であったが、その赤毛の髪と妖しい美貌に満ちた顔はスパーダの記憶にはっきりと刻まれている。

 

(なっ……何なのよ。あの女! 腹立つわ!)

ルイズは舞台の上で異様な形をした大きなハープを演奏している女の姿を見て、プルプルと震えながら今にも癇癪を上げてしまいそうに顔を顰めていた。

何せその女は貴婦人のような優雅な雰囲気を醸し出してはいるものの裸婦のような格好で、まるで慎みのかけらもない姿を晒しているのだ。

髪の色がキュルケと同じである上、雰囲気も非常にそっくりであったために見ているだけで苛々する。

しかもキュルケでさえ下着を身に着けているというのにあの娼婦は両腕にショールをかけ、下半身にはドレスと漆黒の衣を纏っており、上半身には何も身に着けていない。

形の整っている豊かな胸はキュルケまでとはいかない大きさだが髪が垂らされ、申し訳程度に隠されている。

それが余計にルイズの癪に障る。

 

むかつく……。

 

むかつく。

 

むかつく! 

 

客の男達は明らかにあの娼婦のあられもない姿に見惚れてだらしない顔を浮かべている。おまけに下級の官吏らしき貴族の客まで……。

(どいつもこいつも、胸が大きければ良いってもんじゃないわ!)

今にも杖を振るって男共もまとめて吹き飛ばしてやりたい衝動を、ルイズは必死に抑えこんでいた。

そうしてルイズが負の感情を渦巻かせているのをよそに、スパーダとアニエスは舞台上にいる娼婦を睨んでいた。

「……奴がそうだ」

アラストルの柄に手をかけたアニエスが呟く。人間の姿に化けているとはいっても変わっているのは肌の違いだけだ。

先刻、アニエスが対峙した時とほとんど変わらない。

「……ああ。私も奴とは少し因縁があってな」

「何?」

閻魔刀を指で押し上げ、鞘から刃を僅かに覗かせるスパーダの言葉にアニエスが怪訝そうな顔を浮かべた。

 

忘れられるはずもない。かつては共に同じ魔帝の勢力に属していた同胞でもあった、切っても切れない関係だったのだから。

スパーダは舞台上の娼婦をじっと細い目付きで睨み続けながら、奏でられているハープの演奏を聴いていた。

あのハープは、奴の魂の一部を取り出して魔具として変えているものだ。本来、あれは大鎌としての役割を果たしているのだが。

 

昔のことを色々と熟考していたが、その時スパーダは眉を僅かに顰めた。

演奏を続けている娼婦の視線が、ちらりとこちらを向いたのだ。

スパーダへ向けて、真っ直ぐと。

妖しい雰囲気と共に獣のように鋭い視線がスパーダを射抜いている。

「こちらに気付いているな。……やって良いぞ」

「ふっ、いいだろう」

不敵に笑み、ランチャーを構えたアニエスは何の迷いも容赦もなく引き金を引いた。

銃口から放たれた砲弾が一直線に娼婦のいる舞台目掛けて飛んでいき、演奏に聞き惚れていた客達は突然の飛来物にざわめいた瞬間――

 

 

砲弾は娼婦に直撃し、舞台の上で爆発を巻き起こした。

「な、何だぁ!?」

突然の事態に客達はパニックを引き起こした。煙を噴き上げて炎上している舞台で優雅に演奏していたはずの娼婦が炎に包まれてしまったのだ。

 

 

何が起きたのか分からずに混乱する客達だったが、そこにアニエスが短銃を頭上に向けて発砲した。

閉鎖された空間である店内に鋭い銃声が響き渡る。

「静まれ!」

威圧する声を上げるアニエスであったが、振り向いた客達は今起きた惨状の原因が彼女であると即座に判断して青ざめる。

「な、何てことしやがる……」

「人を殺しやがった……」

「しかもあんなバラバラに……」

何の前触れもなく娼婦を殺害してしまったと思い込んでいる客達であったが、その中から貴族の客が数人歩み出てくると杖を引き抜きながら食って掛かってきた。

「女! 貴様、これはどういう真似だ!」

「我らの楽しみを邪魔するとはどういうわけだ!」

杖を突きつけ、威圧してくる貴族の男達であったがアニエスは臆することなく逆に彼らを睨み返していた。

「すぐにここを出てもらおう。今日はもう閉店だ。永久にな」

「な、何だと! 平民が!」

アニエスの態度に激昂した貴族が杖を振り上げた途端、突如彼らを無数の小さな爆風が包み込み、吹き飛ばしていた。

「これ以上、怪我をしたくなかったらさっさとここから出なさい! あたし達は忙しいの!」

杖を構えていたルイズが大きく声を荒げていた。

小娘とはいえ、同じ貴族までもが姿を現したことに平民の客ともども動揺する。

 

「本当に野暮なものね……。二度も邪魔をするだなんて」

その時、炎上が続いている舞台から妖しい響きのかかった女の気だるそうな声が上がった。

突然の事態に混乱し、戦慄していた客達はその声に反応し、舞台の方を振り向く。

スパーダはずっと舞台上を睨んだままであったが、後の二人は客達と同様に即座にそちらを見やった。

舞台上で燃え上がり、立ち昇る炎の中からゆっくりと人影が姿を現す。

客達に酒を運んでいたガーゴイルだと思っていたコウモリ達が次々と集まっていくと、人影の周囲に纏わりついていった。

 

作品の良かったところはどこですか?

  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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