魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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羅王アビゲイル侵攻編
Mission 31 <冥府の門を守る者>


今やアルビオンの王権は貴族派の反乱によって完全に潰えていた。

歴史の片隅へと追いやられた王族に代わりアルビオン大陸を支配するレコン・キスタはそれだけでは飽き足らず、更なる野望に向けて準備を進めている。

その日、神聖アルビオン共和国の新たな皇帝となったオリバー・クロムウェルは手中に収めた都市の一つ、港町ロサイスに供の者達を引き連れて足を運んでいた。

かつては王立空軍の工廠であったこの場所には製鉄所など様々な建物が並んでいる。

空軍の発令所である赤レンガの建物には誇らしげに革命によって王権を簒奪したレコン・キスタの旗が翻っているのが見えていた。

「ほほう! 何とも大きく頼もしい戦艦だ! まるで世界を自由にできるような気分が湧いてくるよ! そう思わないかね?」

クロムウェルは工廠で一際目立つ巨大な艦を見上げて喜々とした声を上げた。

全長200メイルにも及ぶその『レキシントン』号と呼ばれる戦艦は旧名を『ロイヤル・ソヴリン』号という。

かつては王党派が所有していた旗艦であったこの戦艦もレコン・キスタによって接収され、彼らが革命戦争と呼ぶ反乱の初の戦勝地の名を付けられていた。

そして今、さらに突貫の工事で改装が行なわれている最中である。

(王権の簒奪者め……)

子供のようにはしゃぐクロムウェルをつまらなそうに見つめるのはレキシントン号の艤装主任であるサー・ヘンリー・ボーウッドであった。

彼は先の革命戦争の際、レコン・キスタに属していた巡洋艦の艦長であったものの別に彼らを支持しているわけではない。

生粋の武人である彼は、〝軍人は政治には関与するべからず〟という意思を強く持っているが故に、たとえ意に反した戦であるとはいえ上官が命令をすれば従わなければならない身であった。

たとえ反乱軍の側につくことになっても体面はそうせざるをえない。

だが、心情的には滅ぼされた王国を支持する彼にとってこのクロムウェルは忌むべき存在である。

(あの化け物達……こいつが呼び出したものか)

それにこの男、話によれば悪魔に魂を売ったなどという噂があるのだ。

革命戦争の最中、ボーウッドは王党派の軍を悉く屠っていった異形の怪物達の姿を思い起こす。

勝手に戦争に参加して殺戮を楽しむオークやトロール共のような獰猛な亜人達とは違い、奴らは明確な反乱軍の指揮の下に戦闘に参加していたのである。

ハルケギニアに生息するいかなる幻獣や怪物達よりもおぞましく、そして狡猾なこの世のものとも思えぬ異形の存在。それらは全てクロムウェルと契約した悪魔なのだろうか。

四年前までただの平民の司教に過ぎなかった彼がどういった経緯で悪魔に魂を売り渡したのか、一介の軍人に過ぎないボーウッドには想像もつかなかった。

 

「見たまえ、あの大砲を! アルビオン中の土メイジ達を集めて鋳造された長砲身の大砲だ! 従来のカノン砲の1.5倍ほどの射程があるのだ。そうだったね?」

クロムウェルは傍に控えているフードをかぶった黒い長髪の女性を振り返った。

「さようでございます」

その冷たい雰囲気を漂わせる女性、シェフィールドは胸に手を当てて首肯する。

彼女はこのアルビオンで革命戦争が起きてからほどなくしてクロムウェルの秘書として務めることになった人物である。

東方出身の彼女は故郷で培った技術を提供するなどして反乱軍の数々の活動に貢献しており、今では執政官の任も預かるまでになっていた。

 

だが、別に彼女はレコン・キスタの反乱や革命とやらには興味がなかった。

彼女の目的はただ一つ。ガリアで待つ主より与えられた命を実行するまで。

四年前、ガリアより密かに派遣されていた彼女はこの空の大陸で起きているあらゆる出来事全てを主に報告を行なっていた。

主は無能などと呼ばれているが実際には違う。ハルケギニアの誰よりも智謀に長けた謀略家。

こんな空の上の辺境の地で起きている些細な戦でさえもその裏を知ろうとし、そのために自分を遣わしてくれたのだ。

信頼する主の望みに応えるためにも、シェフィールドは冷徹に、辛抱強く、与えられた大任を果たすべく力を尽くすのである。

もっとも、主が「顔が見たい」などと言ってくれればすぐにでも彼の元へと戻るのだが。

 

「しかしながら、たかが結婚式の出席に新型の大砲を積んでいくとは、下品な示威行為と取られますぞ」

「ああ。君には親善訪問の概要を説明していなかったな」

クロムウェルがボーウッドにそっと耳元で何がしかを呟く。

その親善訪問の詳細は秘書として活動するシェフィールドの耳にも及んでいる。

シェフィールドは黙って見届けていたが、突如ボーウッドの顔色が変わり青ざめていた。

「そのような破廉恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ! トリステインとは不可侵条約を結んだばかりではありませんか!」

「それ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ。君はいつから政治家になったのだね?」

激昂し、わめくボーウッドにクロムウェルは事もなげに言い放つ。

そのようなことを言われ、ボーウッドは唇を噛み締めたまま何も言えなくなっていた。

所詮、軍人は物言わぬ剣にして盾であり、国のための番犬に過ぎない。……だが。

 

ボーウッドは苦しげに言葉を吐き出す。

「……ですが、アルビオンはハルケギニア中に恥を晒し、悪名を轟かすことになりますぞ」

「ハルケギニアは我々レコン・キスタの旗の下、一つにまとまるのだ。聖地をエルフどもより取り返した暁にはそんな些細な外交上のいきさつなど誰も気に留めまい」

「些細な外交上のいきさつですと? あなたは祖国をもお裏切るつもりか!」

全く気にした風もなく答えるクロムウェルに、ボーウッドはたまらず詰め寄っていた。

「――がっ……!」

途端、ボーウッドは息ができなくなり、首が押し潰されるような感覚をその身に受けながら低く呻いた。

『Don't speak. a puppy.(黙れ。飼い犬が)』

それまでの快活で澄んだ態度と口調が突如として一変し、クロムウェルはドス黒い濁った声で呟く。

クロムウェルはボーウッドの喉を掴み、腕一本で吊るし上げていた。

かつては一介の平民の聖職者であったにも関わらずそれからあまりにかけ離れた凶暴な行動に、ボーウッドは困惑する。

『力無き飼い犬は黙って我が命に従えば良い。我らに力と兵をお与えくださった始祖をも超えし、偉大なる〝羅王〟のためにも我らは結集せねばならん。如何なる手段を使おうがな』

表情はいつもと変わらぬものであった。だが、まるで別の邪悪な存在が語りかけてきているような凶悪な言葉にボーウッドは戦慄した。

やはりこの男、悪魔に魂を売り渡したのだと確信する。そして身も心もその悪魔に支配されてしまったのだと。

「――分かったなら、素直に余に従ってくれるね?」

にっこりと笑い、元の態度に戻ったクロムウェルはボーウッドの喉から手を離す。

地に落とされ激しく咳き込むボーウッドからの答えも聞かずに踵を返して立ち去っていった。

 

(どちらが傀儡かしら)

シェフィールドはクロムウェルの後ろに付きながら密かに溜め息を零した。

この男、革命を起こす前は何度と無くガリアにアルビオンからの一介の使者として遣わされる仕事をこなしていた平凡な人間であった。

それこそ革命を起こし、他国へ侵略を仕掛けるという大胆なことなど自ら起こせないような小心者だったはずである。

だがその男も今となってはこの世ならぬ魔に魅入られ、悪魔に等しい存在へと成り果てていた。

今、あの男が付けているアンドバリの指輪。あれも彼を堕落させた者の力を借りて手に入れたという。

力を手に入れ、魔に魅入られた男はその悪魔に乗せられるがままに戦を仕掛けている。

自分がその悪魔に利用されていることにも気付いていない。

それこそまさに悪魔に飼い慣らされている犬同然の姿だ。

(あの方の睨んだ通りだわ。……愚かな男)

こうして見ているだけでも唾棄したくなるのをシェフィールドは自分に託された任務のためにも必死に堪えていた。

 

 

 

 

ルーチェ、オンブラという新たな武器を手にしたその翌日、朝早くからスパーダは学院内にある平民用宿舎を訪れていた。

今日はちょうどアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝の結婚式が行なわれる一週間前である。

この日から来週の結婚式が終わるまで学院で勤務している平民の給仕達は休暇をもらい、帰郷することでゆっくりすることができる。

もちろん、それはメイドのシエスタとて同じだ。

そして、スパーダはそのシエスタと先日交わした約束を果たすためにここにいるのである。

 

スパーダは宿舎の入り口の横で腕を組んだまま静かに佇み、シエスタが現れるまで待ち続けていた。

時間が経つにつれて宿舎からはシエスタ以外の平民の給仕達が私服姿で出てくる。

入り口にいるスパーダの存在に気付いて困惑はされるものの、給仕達は素直に挨拶をしてきていた。

異国の貴族の威厳と風格を持つスパーダは給仕達からの評判も良く、傲慢で接しにくい他の多くの貴族達と違って気楽に話しかけることができるのだ。

普段ならば平民に挨拶をされても無視するのがほとんどである他の貴族達と違い、スパーダは少々素っ気無かったものの穏やかに返事をしていたのだった。

「待っていたぞ」

しばらく待っていると、入り口から荷物を纏めたシエスタが姿を現したことでスパーダは声をかけた。

 

「あ、ごめんなさい。スパーダさん。お待たせしてしまったようで……」

シエスタの私服は茶色のスカートに木の靴、草色の木綿のシャツという平民らしく質素な身なりである。

「構わん。気にすることはない」

スパーダは頭を下げようとしたシエスタを制し、肩に手を置くとそのまま彼女を引き連れて正門へと向かっていった。

(スパーダさん、ずっと覚えていてくれたんだ)

シエスタはまさか本当にスパーダが自分との約束を覚えていただけでなくこうして待っていてくれたことに驚いていた。

自分みたいな平民からの誘いなんてもしかしたら忘れられてしまうのではと不安を抱いていたというのに、スパーダはこんな自分との約束まで守ってくれていることがとても嬉しかった。

 

スパーダが傍にいると、彼が本当に自分の主であるように思えてしまうのがとても不思議だ。

それに何故か、とても親近感が湧くのだ。自分は悪魔の血を引いているというのに……。この湧き上がる様々な思いは何なのだろう。

彼は単なる異国の貴族ではない。彼がいた異国のことなど何も知らないというのに、何故か彼に畏敬の念を抱いてしまう。

誰よりも偉大で侵すことのできない存在であると、はっきり感じることができてしまう。

自分のような何の力もない悪魔が……スパーダを力ある主として自然に認めてしまっている。

(あたし……どうしちゃったのかな)

自身でも訳が分からない思いが湧き上がってくることに、シエスタは困惑し続けていた。

「どうした」

「……い、いえ! な、何でもありません!」

ぼんやりとしていた所にスパーダから声をかけられて、シエスタは我に返った。

今日はせっかく主であるスパーダが自分のために時間を取ってくれたのだから、もっとしっかりしなければ。

 

「きゃっ!」

ゲリュオンを呼び出すために正門前へとやってきた途端、突如突風が地に吹き荒れた。

シエスタが荷物を入れたトランクを落として悲鳴を上げる。

スパーダが頭上を見上げると、そこには一頭の風竜が羽ばたき降下してくるのが窺えた。

「何の用だ」

降りてきたその風竜――シルフィードの背に主人のタバサ、そしてその親友キュルケの姿を確認して尋ねる。

「ミ、ミス・タバサにミス・ツェルスプトー!? どうなさったんですか?」

突然の二人の出現にシエスタはさらに困惑した。

「ダーリン、今日もまたどこかへ行くんでしょう? だったらあたし達もご一緒してよろしいかしら?」

シエスタに軽く手を振ったキュルケが髪を掻き揚げながら言うと、スパーダはちらりとタバサの方を見やった。

いつもの無表情なその顔には不満の色が密かに浮かび上がっている。

じろりとスパーダのことを射るように見つめてきていた。

(まだ拗ねてるのか)

先週のネヴァンとの一件から三日ほど経った後、その事件に関する報せが魔法学院にも届いていたのだ。

『トリスタニアで密かに暗躍をしていた異形の魔女が二人の剣士達によって倒された。一人は異国から渡ってきた貴族の剣豪である』

スパーダや共に戦ったアニエスの名前こそ出されてはいなかったが、〝異国の貴族の剣豪〟という触れ込みだけで学院の人間達はそれがスパーダであると即座に理解していたのである。

生徒達はスパーダが魔女を倒したという事実に驚き更なる尊敬を抱いていたのだが、タバサだけは違った。

彼女は当日、やはりガリアへ行っていたためにこの件など知る由もなかったが、自分の留守中に悪魔絡みの事件に首を突っ込んでいたことが不服だったという。

互いに連絡がすぐに取れない状況であったために仕方がなかったことは解るが、それでもタバサはせっかくの獲物を狩ることができないのが不満だったそうだ。

だからタバサはそれこそ四六時中、スパーダを監視する気でスパーダが悪魔絡みの事件に首を突っ込むのを待っていたのだ。

 

「シエスタ。構わんか」

「え? あ、はい。わたしは全然構いませんけど」

困惑する中、シエスタは二人が同伴するのを了承した。

「では、シルフィードに乗っていくとするか」

ゲリュオンを呼び出す手間が省けたと言わんばかりに、スパーダは事も無げに呟いていた。

シエスタとしてはタルブまでの約二日間、スパーダと二人きりで相乗りをしようと思っていたのに突然の展開に少し納得ができなかったのだが。

それにタバサはスパーダ以外に唯一、自分が悪魔であることを知っている人物。

彼女は秘密にしてくれると言ってくれたのだが、どうして自分達について来ようとするのかその意図がシエスタには解らなかった。

 

スパーダとシエスタがシルフィードへと乗り込もうとしたその時――

「待ちなさいっ! あんた達ぃ!」

突如、喚き上がる少女の怒号に一行は姿を現したその少女へと顔を向ける。

始祖の祈祷書を手に仁王立ちしていたのは、ルイズその人であった。

昨晩は徹夜をしてまで詔を考えとりあえずある程度マシな物が出来上がったのだが、それをスパーダに確認してもらおうかという所で力尽きてしまった。

つい先ほど目を覚まし、スパーダの姿が見えないので外に探しに出てみたら、シエスタを連れている姿を目にしたのでたまらずにそれを追いかけてきたのである。

「ミ、ミス・ヴァリエール……」

突然現れたルイズの気迫にシエスタは唖然と目を見開いて慄く。

「スパーダっ! パートナーのあたしを置いて一体どこに行こうって言うのよ!」

ずんずんと近寄ってスパーダに食ってかかるルイズ。シエスタは思わずスパーダの後ろに隠れていた。

「タルブの村だ。そこに〝聖碑〟という……遺跡のようなものがあるらしくてな。案内してもらうことになった」

先日、ロングビルにそのことをルイズに伝えてもらうよう頼んでいたのだが、まさか自分から話すことになるとは。

事も無げに答えるスパーダにルイズの眉がさらに吊り上がった。

「何ですってぇ? ……ちょっとあんた! 勝手にあたしに許可なくスパーダを連れ回そうとしないでよ! スパーダはあたしのパートナーなんだから、あたしに許可をもらうのは当然でしょう!」

「も、申し訳ありません! ミス・ヴァリエール!」

スパーダの後ろに隠れるシエスタに向かって怒鳴ると、彼女は必死に頭を下げて謝罪した。

「良いじゃないの。たかが一緒に同伴してもらうくらい許してあげなさいよ。心が狭いわねぇ」

キュルケが肩を竦めながら言う。タバサは興味がなさそうに本に目を通し、揉め事が終わるのを待ち続けていた。

「黙ってなさい! だいたい、何であんた達まで……!」

「もう良い。……私は今日一日タルブへ行ってくる。ミス・ヴァリエールは……」

「だったらあたしも行くわ! パートナーに同伴するのは当然なんだから!」

有無を言わせぬ気迫と勢いでルイズは真っ先にシルフィードに飛び乗っていった。

「ちょっと、ルイズ。あなたまだ新しい杖が届いてないんでしょう? 今のあなたはそれこそ本当に〝ゼロのルイズ〟なんだから」

キュルケが呆れたように言うが、ルイズはむすっと拗ねた顔をするときっとキュルケを睨みつけた。

その通りである。ルイズの杖がネヴァンに壊され、その代わりの杖は未だ彼女の元に届いていなかったのだった。

今の彼女は丸裸同然。敵に襲われでもすればひとたまりもない。

だが、たとえ戦えずとも、ルイズはパートナーであるスパーダと共にいたいのだ。彼が戦うのであれば、それを自分も見届ける必要がある。

「スパーダがあたしを守ってくれるもん」

「……ならば、何があろうと決して前には出るな。いいな」

ルイズの固い意志にスパーダは溜め息を吐くが、厳しく釘を刺す。

どうしても付いてくるのであれば、その身を守り通す。それがスパーダの役目だ。

だがまたしても以前のように無理をされてしまってはスパーダでもどうしようもないのである。

「きゃっ」

嘆息したスパーダがシエスタの体を抱えて荷物と共にシルフィードに乗せると、自らも乗り込んでいった。

(きゅい……また定員オーバーなのね……)

五人を乗せ、空に高く飛び上がるシルフィードの呻きがスパーダの耳に届いていた。

 

 

ラ・ロシェールを超えた先に位置するタルブ地方はゲリュオンを全速力で走らせようと一日を費やすほどの距離にある。

だが、大空を羽ばたく翼を持つ風竜のシルフィードであれば半日もかからずに辿り着くことができた。

「あ、あそこがわたしの村です」

これから日が傾き始めようという時刻の中、シエスタが地上を指差した。

降り注ぐ午後の陽光が穏やかに照らす広大なタルブの草原。その生気に溢れた大地の中、確かに小さな田舎の村が窺えるのが分かる。

道中のシエスタの話によるとこの辺り一帯を治めているのはアストン伯という名の貴族であり、村では良質のブドウが採れるのだそうだ。

それで作られるワインは有名で、トリステイン一とも言われるほどの村の名産なのだという。

実際、ルイズやキュルケも味わったことがあるそうでとても美味しかったと良いコメントをしてくれていた。

「降下」

タバサからの命令でシルフィードはその村に向かってゆっくりと滑空していった。

近隣に点在する畑はもちろん、村の中にはこの地に住まう人間達の姿を見ることができる。幾人かは降りてくるこちらに気付いて何やら慌しくなり始めているようだった。

「あっ! お姉ちゃんだ!」

「すごぉーい! ドラゴンだ! お姉ちゃんがドラゴンに乗ってきたー!」

シルフィードが広場に着陸し、一行がその背から降りるとそこに幼い子供二人が駆け寄ってくる。

恐れることなく真っ先にシエスタの傍にやってきた幼子達の頭を姉の彼女の手が優しく撫でていた。

シエスタが幼い弟や妹に帰郷を歓迎される中、広場には次々と他の村人達が集まり突然の竜の出現と貴族達の来訪に驚き、困惑していた。

「おお。シエスタではないか。一体どうしたのだね。貴族のお客様をお連れするとは……」

「あ、村長さん。こちらはわたしがお世話になっている魔法学院の方達です」

現れた初老の男性にシエスタがスパーダ達のことを紹介してくれた。

村長以下、村人達は風竜の傍にいる四人の貴族達を見やる。

その中で最も注目していたのは背中と腰に剣を携えているスパーダだった。

貴族なのにマントを身に着けてはいないし、何よりメイジの象徴であるはずの杖ではなく平民の武器である剣を手にしているのが不思議な光景であった。

「スパーダ・フォン・フォルトゥナだ。彼女達は学院の生徒でルイズ、キュルケ、タバサ。シエスタには世話になっている」

腕を組みながら前へ出てきたスパーダが名乗り、ルイズ達も紹介する。

貴族らしい威厳と風格を漂わせながらも屈託のない毅然とした態度で、平民に対して自ら挨拶をしてきたスパーダに村人達は呆気に取られる。

「おお、さようでございますか。こんな田舎へわざわざご足労いただき、光栄でございます。どうぞゆっくりご滞在してくだされ」

村長はにこやかに笑顔を浮かべ、ぺこりとスパーダに一礼をする。

「あら。ダーリンったら、あたしの付けた名前を使ってくれてるんだ」

「なっ! どういうことよ、キュルケ!」

キュルケは嬉しそうに笑ったが、ルイズは不機嫌そうに呻いて詰め寄った。

スパーダのフォルトゥナにおける貴族の名前かと思ったのに、何でキュルケが勝手に名前を? 

そしてスパーダはどうして平然とその名を名乗れるのだ? 

「ダーリンだって貴族なんだから名前があったって不思議じゃないでしょ?」

「だから、何であんたが勝手に名前を付けてるのよ!」

二人の貴族の子女が言い争うのを村人達は呆然としながら見つめていた。

ルイズから一方的に食ってかかるだけだったが、キュルケはいつもの余裕の態度で軽くあしらっていた。

 

それからスパーダ達はシエスタに招かれ、彼女の生家へと案内された。

彼女の家族は父と母、そして八人兄弟というかなりの大家族でありシエスタはその長女であるという。

幼い弟と妹達を連れて戻ってきたシエスタは父と母より久しぶりの帰郷を喜ばれた。

そして娘がスパーダ達、貴族の客を連れてきたために驚かれたが、先ほどと同じように事情を話すと歓迎された。

「お前、本当に大丈夫かい?」

「この間、モット伯とかいう貴族の所へ奉仕しに行ったって話を聞いたぞ。何もされてないな?」

心配そうに母と父はシエスタの肩や体に触れ、安否を確かめる。

どうやらあの時の話はこの実家にまで届いていたようだ。

「大丈夫よ。こちらのスパーダさんと、ミス・タバサのおかげで」

シエスタが腕を組むスパーダと本を読み続けているタバサの方を振り向き、答える。

「わぁー、おじさんかっこいいー!」

「おっきい剣だ!」

「わるい貴族からお姉ちゃんを助けてくれたんだ!」

話を聞いた幼い子供達がスパーダの足元に纏わりついてくる。スパーダはちらりと足元の子供達を一瞥していた。

「ねぇ、タバサ。どういうこと? あのメイドに何があったの? あなた達、何かしたっていうの?」

「彼女が魔法学院で働けるように彼がモット伯に話をつけた。それだけ」

ルイズがタバサの肩を揺するが、本人は手にする本から視線を外さずに淡々と答えていた。

もっとも、これはシエスタが悪魔の血を引いているということを隠すための狂言である。

表向きはスパーダがモット伯に話をつけてシエスタを解放してもらい、その後に屋敷を襲ってきた化け物に襲われて死んだということになっている。

スパーダがモット伯邸で悪魔退治をしたということは知られていない。生き残りがいたとしても、あの混乱ではまともにスパーダ達の存在を認識されていない。

 

「どうも、シエスタがお世話になったようでお詫びのしようがありません。本当にありがとうございます、貴族様」

「気にすることはない」

シエスタの父は深く頭を下げて感謝の言葉を述べるが、スパーダは僅かに一瞥して素っ気なく言葉を返していた。

「シエスタ。〝聖碑〟とやらのある場所へ案内してもらいたい」

母に抱かれていたシエスタに声をかけると、シエスタの父が怪訝そうに顔を歪めだした。

「貴族様、あそこに何のご用で……?」

「ただの観光だ」

スパーダが目的を告げるとシエスタの父は要領が悪そうに苦い顔を浮かべだす。

「失礼を承知で仰いますが、やめておいた方がよろしいかと……」

「どうして? ちょっと行って見てくるだけなのに」

シエスタは父からの忠告に訝しんだ。あそこは村のお婆ちゃんでさえ祈りを捧げにいける何の変哲のない場所なのに。

「実はな。半月くらい前からあそこに恐ろしい化け物が棲みついてしまったんだよ。今じゃあそこには誰も近づかないんだ」

「ば、化け物? どういうことなの、父さん」

予想もしなかった話が父より告げられてシエスタは愕然とした。

化け物という言葉にスパーダはもちろん、ルイズ達も敏感に反応していた。

 

話によれば、その半月前に聖碑を拝みに行ったある村人がいたという。

聖碑がある場所へ訪れた時、そこでは信じられないことが起きていた。

十数匹のオーク鬼達がいつの間にか聖碑のある場所を棲み処にしていたそうだが、さらにそれよりももっと恐ろしいものを目にしたのである。

何でも氷の力を操る巨大な幻獣が聖碑の前に居座り、オーク鬼達を全て氷漬けにして難なく蹴散らしてしまったのだそうだ。

しかもその幻獣、何と人語を解しよく喋るらしい。

その話を信じなかった幾人かの村人は聖碑のある場所へ行ったそうだが、その人語を話す幻獣に追い返されてしまったという。

どうやら自ら危害を加えようとはしなかったそうなので、仕方なくそのまま聖碑を拝みに行く人はいなくなったそうだ。

その幻獣もそこに居座るだけで自ら村まで降りてくる様子もないので領主に討伐の依頼も出されずそのまま放置されている。

「人を襲わないで追い返すだけなんて、その幻獣何なのかしら?」

「言葉を話す以上は、相当な大物」

キュルケの疑問にぽつりとタバサが答えた。心なしか、その口ぶりには力が込められているのが分かる。

どうやらその幻獣と戦って自分の力を更に引き上げたいと考えているのだろう。

 

シエスタの父も母も聖碑を見に行くのは危険だということをスパーダ達に忠言した。

シエスタ本人も困ってしまった。スパーダがここに来た目的はその聖碑だというのに、とんでもない事態になっているだなんて。

「その幻獣とやらがどのような奴なのか確かめておこう」

「面白そうね。どんな大物なのかしら」

「ね、行ってみましょうよ。スパーダ!」

スパーダもキュルケもルイズもそんな話を聞かされたくらいで恐れ戦くことなどなかった。むしろさらに意欲が湧いてくる。

タバサに至っては何かに確信を抱いたのか杖を握る手に力がこもっている。

やはり貴族は恐れ知らずなのだなと、シエスタの父母は嘆息していた。

 

 

タルブの村より少し離れた森の奥に、その聖碑と呼ばれる遺跡があるのだという。

とりあえずそこに居座っているという幻獣とやらをお目にかけるためにスパーダ達はシエスタの案内で向かうことになった。

「聖碑ってどんな物なのかしらね」

キュルケがわくわくとした様子ではりきる。

「本当に何もないですよ? ただの大きな石版ですから。村の人達は珍しいって言って拝みに来てるだけなんです」

木漏れ日が差し込む森の中を一行が進んでいる中、スパーダは腕を組みながら僅かに顔を顰めていた。

(なるほど。……どうやら当たりのようだ)

森の入り口に差し掛かった辺りから既に感じることのできる気配と魔力。

それは紛れもなく悪魔のものであり、しかもそこらの有象無象などではないことも解っていた。

奥へ進むにつれて感じられる魔力の波動が強くなってくる。相当な実力者たる上級悪魔が居座っていることは確かだろう。

「でも、そんな恐い幻獣が棲みついちゃってるだなんて……思ってもみませんでした。本当に申し訳ありません」

「謝ることはない。棲みついてしまった以上は仕方のないことだ」

シエスタからの謝罪をスパーダは軽く受け流すと、ちらりと背後のルイズを振り向いた。

「絶対に前には出るな。シエスタと共に離れていろ」

「……わ、分かってるわよ」

念を押してきたスパーダにルイズは剥れ上がる。

本当ならば自分も杖を持ってスパーダと共に戦えるはずだというのに、この屈辱は相当なものだ。

……だからといって無力な自分が戦おうとしても邪魔になるだけ。

今の自分がいるべき場所は戦いの中ですらない。それを理解しなければならない。

これ以上、スパーダの足手纏いにはなれない。我慢するしかないのだ。

「……ちょっと寒くなってきたわね」

森に入って歩き続けてからおよそ十分。キュルケが己の体を抱きながら呟く。

今の時季ではあり得ない寒気を一行はその身に感じていた。極端に寒いというわけではないのだが、突然の環境の変化にはさすがに体が反応し肌寒さを感じてしまう。

森の奥へ進むにつれて気温はさらに下がっていき、しかも地面は冷気の霧で覆われていたのだ。

それだけこの一帯の気温が低くなっていることの証である。

「やっぱり、この先の遺跡に棲み着いちゃったっていう幻獣の仕業なのかしら」

「そいつを見てみれば分かる」

ルイズの言葉に答えつつ、スパーダはちらりとタバサの方へ視線を向けた。

(ずいぶんと気合いが入っている)

一見するといつもの無表情に過ぎない。しかしその瞳に宿る闘志は強く、いつ敵が襲い掛かってこようとも即座に迎え撃たんとする気迫に満ちていた。

悪魔と戦うことを望んでいる以上、これから行なわれるであろう戦いのために己の内より湧き上がる闘志をさらに燃え上がらせているのだ。

相手次第ではタバサやキュルケに全てを任せても構うまい。ゲリュオンの時と同じく彼女らが敗れた時がスパーダの出番となるだろう。

「あ、見えました。あそこです」

シエスタが指を差した先、そこは森の木々が途切れ日が射し込み明るくなっていた。

スパーダ達の前に広がっていたのは、50メイル四方の面積を有した広場であった。

それまで薄暗かった森の中とは違い、天から降り注ぐ日の光で照らされて明々としている。

「これは……」

広場に出てきてすぐにキュルケが唖然としていた。口から吐き出される息は低い気温によって白い蒸気と化す。

あたり一面、山道以上に濃い冷気の霧で覆われていた。ただ立っているだけで足元が悴んでしまいそうなほどに冷たい。

周囲の森に隣接している木々は完全に凍結され、季節外れの真っ白な樹氷の様相を呈していた。

 

「きゃあっ!」

シエスタが突然、悲鳴を上げた。

スパーダを除きルイズ達も思わず息を呑む。

彼女達が愕然としていたのは広場の至る所に散在していた氷塊である。

その数はおよそ十四ほど。だが、それが単なる氷塊ではそこまで驚きはしない。

では何故、驚いたのか。理由は簡単である。……その氷塊は紛れもなくオーク鬼が氷像のように氷漬けにされたものであったからだ。

シエスタの父が話していた例の幻獣の餌食になったオーク鬼とやらであろう。

完全に氷結され石像のようにピクリとも動かないオーク鬼達の無残な姿にキュルケは眉を顰めた。

素手で触れただけでこちらも凍りついてしまいそうなほどの冷気が発せられており、少しだけ触ろうとしたのをやめる。

「あれが聖碑っていうやつ?」

「……はい」

ルイズ達の目の前、広場の最奥にそびえ立つのは巨大な板状の物体があった。

およそ十五メイルほどの大きさをした長方形の黒い石版のようなものであり、でんと静かに建つその光景はどっしりとした重みが感じられる。

これがタルブの村人達が崇めているという遺跡、〝聖碑〟か。

その聖碑とやらをまじまじと見つめていたルイズは、興ざめしたように溜め息を吐いた。

「何よ。ただの大きい石版ってだけじゃない」

聖碑と呼ばれているくらいなのだからきっと何か歴史的価値がある遺跡なのかと少し期待していただけにこの肩透かし感は相当なものだった。

何の変哲もない石版でしかないものを拝みにくるだなんて、タルブの村人達は相当に変わり者だとルイズは思っていた。

「申し訳ありません、スパーダさん。本当にこれだけしかなくて……」

シエスタが苦い顔でスパーダの方を振り向く。

「……スパーダさん?」

この大きな石版を見上げているスパーダは普段は滅多に見せない顰め面を浮かべていた。

「どうしたのよ、スパーダ」

その深刻そうな面持ちを浮かべているスパーダにルイズとシエスタは狼狽する。こんなただの石版に何をここまで驚いているのだろう。

 

(馬鹿な……これが、ここに?)

スパーダは聖碑と呼ばれている巨大な石版を目にし、驚愕していた。

かつてスパーダが人間界で領主として治めていた土地、フォルトゥナ。

そこを最初に訪れた理由は、悪魔達の暗躍によりその地に魔界と人間界を繋ぐ門を築こうとしていたからだ。

悪魔達はその地に文字通り巨大な門を建造し、人間界に魔界の大勢力を一気に導かんとしていた。

スパーダはその門の魔界と人間界を繋ぎとめ、道を作り出す力を魔を喰らい尽くす愛用の閻魔刀によって切り離し、封印したのである。

その魔界と人間界を繋ぐ門は未だフォルトゥナに残っているはずである。もっとも、閻魔刀の力で封印した以上、再び閻魔刀を用いねば解除はできないのだが。

かつて封じたはずのその門が、今スパーダの目の前に堂々とそびえ立っていたのだ。

もっとも、スパーダの記憶に刻まれているものよりはずいぶんと小さいのだが。

 

「ところで、幻獣っていうのはどこにいるの?」

「そういえばそうよ。幻獣なんてどこにもいないじゃない」

キュルケが広場を見渡しつつ言うと、ルイズも同調して声を上げた。

広場にあるのは無数の氷像に、目の前にそびえ立つ聖碑の石版だけ。村人が見たという幻獣の姿はどこにもない。

「ミス・タバサ?」

タバサが杖を手にしたまま身構えだしたのを見て、シエスタが困惑した。

キュルケは親友のその様子を目にした途端、全てを承知したかのように自然な動作で自らも杖を引き抜く。

「ミス・ヴァリエール、シエスタ。すぐに後ろへ下がれ。決して出てはくるな」

腕を組むスパーダが二人に向けてそう告げた。

「なっ、何よ。どうしたのよ。……シエスタ?」

突然の宣告にルイズは狼狽したが、シエスタの様子が突然おかしくなり始めたことに気付いた。

 

(何……? これ……ドキドキする……)

息を荒くするシエスタは唐突に胸が激しく高鳴りだしたことに動揺した。

ここには間違いなく何かが潜んでいる。その得体の知れない何かが殺気を発し、自分達に牙を向こうとしている。

すぐにここから逃げなければ。そう己の魂が警鐘を鳴らしている。

全く訳の分からぬ感覚をその身に感じているこの状況に、シエスタは困惑し続けていた。

「ちょっと、しっかりしなさいよ!」

崩れ落ちそうになったシエスタの体をルイズが支える。一体、何が起ころうとしているのだ。

 

(今度は奴か)

聖碑と呼ばれる石版の真下にはオーク鬼達のものとは違う大きな氷像が鎮座している。

その像は獣の姿を模したものであったが、オーク鬼達とは異なり完全に全身が分厚い氷で覆われていた。

高さにしておよそ4メイル。三つの頭を持つという異様な姿であるその氷像からスパーダははっきりと強大な魔力を感じ取っていた。

 

――バキリ、ピシリ。

 

大地を揺るがしながら獣の氷像はひび割れていき、氷が剥がれていく。

砕け散り剥がれた氷は氷塊となり地面を転がる。その氷塊を巨大な獣の前足が踏みつけていた。

見る見るうちに氷像の氷が剥がれていき、その下から黒い体の獣が姿を現した。全身を覆っていた氷の一部が未だその皮膚に薄くだが残っている。

氷漬けから解放されたその獣は巨大な犬であった。もちろん、犬といってもそんな可愛らしいものではない。

竜の固い皮膚さえも容易に引き裂いてしまいそうな鋭い爪牙、それぞれ異なる猛々しい面をした三つ首を有し、

その三つ首は巨大な首枷が装着されることによってまとめて拘束されており、繋がれている三つの太い鎖を地に垂らしている。

このハルケギニアでは存在し得ない巨大な幻獣……否、魔獣がスパーダ達の前に姿を現した。

 

 

 

 

――オオオォォォォンッッッッ!! 

 

一歩を踏み出し、三つ首の魔獣が天に向かって力強く吠える。

森の奥に猛々しい咆哮が轟き、大地に木々、大気さえも揺るがしていた。

「「きゃあっ!」」

魔獣の咆哮にルイズとシエスタが大きく腰を抜かしていた。

竜などとは比べ物にならないその凄まじい迫力と威圧感にタバサとキュルケも思わず怯んでしまう。

スパーダだけは腕を組んだまま吠える魔獣をじっと見上げていた。

咆哮を終えた三つ首の魔獣がズシン、ズシンとゆっくり前へ進み出てくる。体を動かす度に首枷に繋がれた鎖がジャラジャラと音を立てている。

スパーダ達の前で足を止めた魔獣は鋭い目付きでこちらを見下ろしてくる。顔の長い三つの犬の顔は赤、青、緑とそれぞれ異なる色の目で睨みつけていた。

「立ち去れ! 人間ども!」

荒々しいながらも知性に溢れた人語を、魔獣ははっきりと口にした。

こんな恐ろしい魔獣が明確に人間の言葉を口にしたことに平民のシエスタはもちろんのこと、ルイズとキュルケも驚いていた。

人語を話す幻獣は既に絶滅したとされる韻竜が有名であるが、それ以外にここまで知性を持つ幻獣は滅多に存在しない。

タバサだけは魔獣が人語を話すことに何も感じず、身構えたままだった。

「ここは魔の領域へと続く冥府の門! 人間ごときが立ち入る場所ではない!」

一体どの首が喋っているのかは分からない。だが、魔獣は三つ首を突き出し、スパーダ達を威嚇してきていた。

裂けた巨大な口から覗ける鋭い牙に、ルイズ達は息を呑む。

あんなのに噛み砕かれればただではすまない。一噛みされただけで人間などただの肉塊と化すことだろう。

 

「貴様こそこんな所で何をしている」

スパーダは面と向かって魔獣に語りかけていた。

唸り声を上げる魔獣が、六つの鋭い目をスパーダへと向けてきた。

こんなに威圧感溢れる目で睨まれただけでメイジはおろか獰猛な亜人でさえ萎縮してしまいそうだというのに、スパーダは涼しい顔のまま逆に睨み返している。

伝説の悪魔であるスパーダにとって、この悪魔でさえ大したことはないのだろうか。

「……貴様は! 魔剣士スパーダ……!」

魔獣はスパーダの姿を目にし、驚愕と困惑に呻いた。

 

〝冥氷牙〟ケルベロスはかつてスパーダと共に魔帝の勢力に属していた上級悪魔だった。

本来は魔界へと堕ちてきた人間の魂を喰らっていたり、魔界の領域の一つである極寒の地の入り口近辺で番人の役目を果たしている。

魔界の三大勢力による覇権争いにおいては主に拠点防衛の任を与えられ、攻め入ってくる他勢力の悪魔達を絶対零度に達する凍てつく冷気の力で迎え撃っていた。

番人の役目を果たすだけあってその実力はかなりのものであり、並の上級悪魔でさえケルベロスの鉄壁の防御を超えるのは難しかったのである。

後衛をケルベロスに任せ、スパーダ達主力の悪魔は前衛に赴いて敵の勢力を打ち倒すというのがセオリーであった。

人間界を魔帝が侵攻した際にはテメンニグルの門番の任を預かり、攻め込もうとする人間側の勢力を入り口でことごとく返り討ちにしていた。

当然、スパーダもテメンニグルを封じる際に一戦を交えたことがあった。

 

「何故、貴様がここにいる!」

「質問をしているのは私だ。ケルベロスよ。テメンニグルと共に封じた貴様こそどうしてこの世界にいる」

スパーダは腕を組んだまま冷然とケルベロスに語りかける。

ルイズ達はスパーダの言葉を聞き、この魔獣が悪魔であると把握していた。

事情の分からないシエスタだけは呆気に取られたままスパーダとケルベロスを交互に見つめる。

「我は封ぜられし禁断の地より、知らぬ間にこの異界の地へと召致された。かの地で我に与えられし任はこの地では果たせぬ。よって、我自ら我らが魔の領域へ続くこの門の番の任を果たすこととしたまでのこと」

どうやらネヴァンと同じ状況のようだ。何らかの理由によってケルベロスもいつの間にかこのハルケギニアに降臨されたようである。そして、初めに現れたのがこの場所だったのだろう。

(冥府の門の番人……か)

少々事実とは異なるが、人間界の伝承どおりの行動をしていることに嘆息する。

 

「ちょっと、スパーダ。こいつ知り合いなの?」

腰が抜けて立つことができないルイズが尋ねる。

「立ち去れと言ったはずだ。人間風情が!」

突然、ケルベロスが牙を剥き出しにルイズに向かって傲然と吠えかかってきた。

「ひっ!」

ルイズはもちろんのこと、同じように腰を抜かすシエスタもケルベロスの怒気に縮み上がっていた。

スパーダのような冷徹な悪魔、ネヴァンのような妖艶な悪魔と違ってケルベロスはとても荒々しい悪魔だ。

確かに悪魔は恐ろしい。……だが、こちらには如何なる悪魔よりも強く、頼りになる悪魔がいてくれているのだ。

その悪魔のパートナーである自分が恐れ戦くわけにはいかない。

「何よっ! 誰が逃げるもんですか!」

立ち上がったルイズはケルベロスに向かって強気に叫んだ。

「駄目です! ミス・ヴァリエール! 逆らっちゃいけません!」

力なき者がより強い悪魔に楯突いてはならない。それは人間でも同じこと。

ケルベロスの気配を感じ取っていた時から、シエスタは自然とこの恐怖に得体の知れない本能で従っていた。

だが、ルイズはシエスタの手を振り払ってさらにケルベロスに噛み付いた。

「あんたみたいな野良犬なんか、スパーダがすぐにやっつけてやるんだから!」

「……愚弄する気か! 魔剣士に庇護されし人間め!」

たかが人間風情に上級悪魔である己を侮辱されたことにケルベロスは激昂した。

悪魔は基本的に非常に高いプライドを持つ者が多い。特にケルベロスのような武人気質を持ち合わせている者は挑戦や挑発的行為には敏感なのだ。

力なき人間のくせに、力ある虎の威を借る狐のような真似をするなど尚更である。

 

(こ、怖くないんだから……。スパーダが守ってくれるんだから……)

足ががくがくと竦み、全身から冷や汗が滲み出てくる。

牙を剥くケルベロスに面と向かっていたルイズは表面上は強がってはいたものの、内心は恐怖でいっぱいだった。

スパーダやネヴァンは人間の姿をしていたが、このケルベロスはまるっきり竜よりも恐ろしい魔獣の姿なのである。

これだけ近くにいるだけで恐怖を感じないわけがないのだ。

 

怒りに燃えるケルベロスが前足を大きく振り上げ、叩きつけようとしてきた。

表皮に張り付いた氷が日の光に照らされ、まるで宝石のように光り輝いている。

「「きゃっ!」」

ケルベロスの爪が振り下ろされた途端、スパーダはルイズとシエスタの体を抱えて大きく後ろへ跳んだ。

叩きつけられた前足を基点に地面から無数の鋭く巨大な氷柱が発生し、地を這いながら一直線に突き進んでくる。

タバサは左に、キュルケは右にそれぞれ動いて氷柱の波をかわした。

大地を凍てつかせながら突き進む氷の波はオーク鬼の氷像をいくつか巻き込んでいき、広場の入り口の手前でピタリと止まり、砕け散った。

「あまり奴を刺激してくれるな」

「だって……」

冷気に覆われた地面に着地したスパーダが抱えたままのルイズを嗜める。

ルイズはムスッと拗ねた顔でむくれていた。

「まあいい。ひとまず奴から離れる」

「待ってください、スパーダさん! ミス・タバサとミス・ツェルプストーが!」

同じように抱えられているシエスタが必死に声を上げた。

 

ケルベロスの先制攻撃をかわした二人はそのまま二手に分かれて攻撃に移っている。

「食らいなさい!」

まずキュルケが杖の先からトライアングルのメイジに相応しい、太く渦巻く炎の帯を放った。

だが、ケルベロスはその巨体には似合わぬ俊敏さで攻撃をかわし、体を素早く反転させながら広場の中央へと飛び退く。

オーク鬼達の氷像と己の力によって作られた氷柱が巨体によって薙ぎ倒され、砕け散っていく。

本来、ケルベロスを拘束しているはずの鎖が解けているためにあそこまで素早いのである。ああ見えてケルベロスはかなり身のこなしが鋭いのだ。

「我に挑むか。力なき人間よ」

「あら。人間だからって、弱いとは限らないのよ!」

傲然と言い放つケルベロスに対し、キュルケは余裕の態度で答え杖を突きつけた。

「まずは氷を剥がす」

杖を構えながらぽつりと呟くタバサは既にエア・ストームの詠唱を終えていた。

得意とするウインディ・アイシクルやジャベリンなど、水のスペルを足した魔法は氷を操るケルベロスには効かないだろう。

おまけに身に纏う氷が鎧となっており、普通に攻撃しただけでは本体そのものにダメージを与えられない。

ならばその鎧からひっぺがしてやるのみ。

「後悔するぞ! 小娘が!」

ケルベロスの三つ首が一斉に二人の少女に牙を剥き出しに威嚇してくる。

二人のメイジと、三つの首を持つ魔獣。それはある意味では三対二に等しい状況であった。

 

 

 

 

「くどいようだが、絶対にここを動くな」

スパーダはケルベロスから遠ざかるように広場の隅へと非戦闘者である二人を運ぶと念押しに釘を刺す。

ケルベロスに恐怖するシエスタは震えながらもこくりと頷いた。

「分かってるわよ! もう!」

いくら何でもしつこい忠告にルイズも気を悪くし、声を荒げてしまう。

それぞれの返答に頷き返したスパーダは自らも戦場へ赴くべく踵を返す。

相手がケルベロスと分かった以上、タバサとキュルケでは力不足だ。ゲリュオンの時とは違いケルベロスの力はスパーダが一番よく分かっている。

予定を変更し、スパーダも二人に加勢をすることにした。

リベリオンに手をかけようとしたが、柄に触れる寸前で思い立ったようにピタリとその手を止める。

(……ちょうど良いな)

せっかくここで悪魔が、しかも力のある上級悪魔と対面したのだ。

先日、手に入れたばかりの新たな品を試すのにちょうど良い。

 

「持っていろ」

「ス、スパーダさん!?」

スパーダが取り始めた行為にシエスタは我が目を疑った。

彼は愛用のリベリオンを地に突きたてただけでなく、腰の閻魔刀までも外すと振り向かぬままシエスタに押し付けてきたのだ。

閻魔刀を渡されたシエスタはそれを抱えながら、どうすれば良いのか分からずにおろおろとする。

「ちょっ! ちょっと! どうして置いてっちゃうのよ!」

ルイズもまた、自ら剣を捨て去ろうとしているスパーダの行動が理解できずに食って掛かった。

剣はスパーダの命とも言うべきもの。それを自ら捨てようだなんて、一体何を考えているのだ。

篭手のデルフでも使う気なのか? だからといって剣まで捨てることなんてないのに。

「待ちなさいよ! スパーダ!」

ルイズは必死に呼び止めようとするも、スパーダは無視して手ぶらのままケルベロスと交戦している二人の元へ堂々とした振る舞いで歩き進んでいった。

「何よ、あれ?」

道中、スパーダは両の懐から何かを取り出していた。

「じゅ、銃……ですかね?」

スパーダの手に握られたのは、白と黒の大柄な二丁の拳銃。

「あんな銃……いつの間に持ってたのよ……」

ルイズの記憶では確か、スパーダの銃はゲルマニア最新式の火打ち式の銃だったはず。

もっとも、弾は彼の魔力から作られているそうなので残弾を心配することはないのだとか。

 

 

――オオオォォォォンッッッッ!! 

 

緑の目を光らせるケルベロスの首が天に向かって恐ろしい咆哮を上げる。

大気中の水分が一気に凝縮、極低温にまで氷結されることで大小様々な無数の氷塊が雨のように降り注いできた。

 

――オオオォォォォンッッッッ!! 

 

青の目を光らせるケルベロスの首が口を大きく開くと、その大きな口の奥から次々と岩のように巨大な氷塊が吐き出された。

戦艦の砲弾のごとき勢いで、しかも戦艦とは違って速いペースで次々と放たれる。

 

――オオオォォォォンッッッッ!! 

 

赤の目を光らせるケルベロスの首も同じように口を開けると大きく息を吸い込み始めた。

喉の奥から青白い光が収束し冷気までもが湧き出したかと思うと、猛烈な氷のブレスが一直線に放出された。

 

三つの首はそれぞれ異なる手段でタバサとキュルケに容赦ない攻撃を仕掛けてきた。

しかもそれぞれが独立した動作を取るために時間差はもちろんのこと、三つ同時に繰り出すというとんでもない手数で攻めてくるのである。

「くっ!」

呻くキュルケは吐き出された氷の砲弾をフレイム・ボールで迎撃しようとしたが、相手の方が勢いが強すぎて力負けしてしまう。

慌てて避けようにも頭上からは氷の雨が降り注いでくる。避けきるのは極めて難しい。

炎の魔法で迎撃しようものなら、絶えず吐き出されている氷弾を食らうことになってしまう。

「アイス・ウォール!」

氷のブレスを飛び退きかわしたタバサがそのままキュルケの傍までくると、瞬時に呪文を完成させて杖を地面に突き立てた。

二人の正面に地面から現れた分厚い氷の壁がケルベロスの氷弾を阻む。氷と氷が衝突し、強烈な衝撃音と共に氷の壁が砕け散った。

「炎よ!」

キュルケが頭上に杖を振り上げ、杖の先から紅蓮の炎が放射される。

降り注いできた氷の雨は次々と溶かされ、ただの水と化していた。二人の体にボタボタと水が降り注ぐ。

もちろん、この程度で安心などできない。敵の攻撃を凌いだだけで、こちらからはまともに反撃ができないのだ。

 

「所詮、その程度か。小娘よ」

鋭く唸りを上げながらケルベロスが傲然と呟く。

未だケルベロスの体は氷の鎧で覆われている。これを剥がさなければそもそも肉体を傷つけることは叶わない。

かといってキュルケが炎の魔法をぶつけて溶かそうとしてみてもケルベロスの魔力から生み出された氷の鎧は想像以上の頑強さであり、渾身の力で作り出した炎の魔法を叩き込まなければビクともしないのだ。

(硬すぎる……)

タバサもまた、ケルベロスの氷の鎧を剥がすのに悪戦苦闘していた。

先ほどから回避の合間にエア・カッターを何度も放っており岩のように固い氷を削り取ろうとしているのだが、こんな小技ではいくらやってもかすり傷程度にしかならない。

タバサが得意とする風の魔法は硬い皮膚を持つ幻獣や亜人に対して相性がとても悪い。それこそ岩のように硬い氷の鎧をまとうケルベロスは尚更だ。

駄目元で特大のジャベリンもぶつけてみた。本気を出せば鉄の鎧をも容易く貫く巨大な氷槍はエア・カッターより多少は大きな傷を付ける程度の効果しかなかった。

死角を見つけてそこを突こうと思案してみたが、結局は表面を覆う氷から剥がさなければ話にならない。

「我に牙を剥いた報い、その身を持って思い知れ!!」

赤、青、緑――三つ首の六つの目が鋭い眼光を放ち、ケルベロスの巨体は二人目掛けて飛び掛かってきた。

タバサはキュルケを抱えてフライで急速に宙へ飛び上がり、ケルベロスの突進をかわす。

 

「ダ、ダーリン?」

そのまま前に向かって降下するタバサに抱えられるキュルケが驚き、声を上げた。

見ればスパーダがゲルマニアの名工ペリ卿に作ってもらったという二丁の拳銃、ルーチェ、オンブラを手に歩み出てきているのだ。

これから戦う敵が何者であろうと全く動じず、悠然と歩いてくるその姿は歴戦の武人に相応しい風格を漂わせている。

彼がこうも早く出てきたということは、自分達がこれ以上戦っても意味がないということに他ならない。

「私が援護する。お前達は今まで通りに攻めろ」

口惜しそうに無念の表情を浮かべるタバサの傍で立ち止まったスパーダは一声をかけていた。

「ようやく貴様が出るか。魔剣士スパーダ」

聖碑の石版の手前でその身を反転させたケルベロスは、スパーダが出てきたことに唸りだす。

以前、テメンニグルの入り口で一戦を交えた時は軽くあしらわれるだけあしらわれて侵入を許してしまった。

あの時のスパーダは魔界とテメンニグルを封じることを最優先に行動していた。故にケルベロスに付き合う暇などなかったかもしれない。

だが、まともに戦わず相手にされないことは上級悪魔であり、純然たる武人であるケルベロスにとっては屈辱でしかなかった。

片目を潰され復讐を企てていたというベオウルフまでとはいかずとも、いずれはその雪辱を晴らさんとしていただけあってこの異世界でスパーダと遭遇したことは不幸中の幸いであった。

人間ごとき力なき者を相手にした所で何も面白くはない。やはり力ある強者同士がぶつかり合うことこそ、悪魔の戦いだ。

「かつては不覚を取ったが……今一度、決着を果たさん!」

三つ首の牙を剥き出しに威圧すると前足を高く振り上げ、大地を叩きつける。再び巨大な氷柱が波となり、スパーダ達目掛けて直進してくる。

横へ避けたタバサとキュルケに対し、スパーダは地面を蹴り付け真上へと跳躍していた。

そこへ狙いをすましていた青の目のケルベロスの首が連続で巨大な氷弾を吐き出してくる。

 

「危ないっ!」

広場の隅でルイズと共にスパーダ達を見守っていたシエスタが悲鳴を上げる。

ルイズもハラハラしながら見届けていたが、あの程度の攻撃、スパーダならば必ずどうにかすると信じていた。

(あんな犬ころなんか、スパーダの敵じゃないんだから!)

案の定、スパーダは放たれてきた氷弾の上に難なく飛び乗り、次々と飛来する氷弾に飛び移っていく。

一歩間違えば直撃してしまう危険があるのに、スパーダは恐れることなくそれを実行し、ケルベロスとの距離を詰めていく。

その間、銃を握るスパーダの両手には徐々に赤いオーラが纏わりついていくのが分かる。

 

ケルベロスの赤い目の首が収束させた氷のブレスを薙ぎ払うようにして吐き出し、さらに青い目の首は絶えず氷弾をスパーダ目掛けて撃ち出してきていた。

スパーダは氷弾を足場にしつつケルベロスの怒涛の攻撃を次々とかわしていく。

(相変わらずの手数だな)

氷弾が確実に直撃してしまいそうな状況になった時、スパーダは宙を舞ったまま素早くルーチェとオンブラを交差させて構えていた。

既に充分過ぎるほどの魔力が彼の両手へと集められている――

 

二つの銃口が交互に鋭い銃声と共に、赤い閃光を噴きだす。

次々とあり得ない速度による射撃で、〝光〟と〝影〟の名を冠する拳銃はスパーダの魔力を弾丸として放っていた。

放たれた銃弾は目の前まで迫っていた巨大な氷弾の表面を砕き、削っていく。さらに着弾の衝撃によって徐々に勢いを失っていった。

普段のケシ粒ほどの魔力を固めて放つ銃弾より三倍もの魔力が込められており、当然ながらその威力は段違いだ。射撃の反動によってスパーダの体も宙に浮かぶほどである。

以前使っていたゲルマニアの短銃では不可能であった超連射、そして集められた魔力に、ルーチェとオンブラの銃は難なく耐え切っていた。

当然、その引き金を短時間で休みなく、何十回も引き絞れるのは悪魔であるスパーダだからこそ成せる技である。

「Well done.(上出来だ)」

さすがに魔界の銃工、マキャヴェリの入魂の作品なだけはある。その出来栄えに満足し、思わず笑みをこぼしてしまった。

ルーチェ、オンブラによる超連射によってケルベロスが吐き出した氷弾は完全に勢いを失い、地上へと落ちていく。

スパーダはそれを足場にし、さらに宙へと飛び上がり、ケルベロスの頭上へと舞い上がった。

身を翻し体を逆さの体勢にさせると腕を交差させたまま真下に向かって更なる高速連射を行なう。

(ん? あれは……)

ケルベロスの氷の鎧を頭上から削っていたスパーダは高所から聖碑の石版を目にし、怪訝に眉を顰めた。

先ほどまでは凍り付いていたケルベロスが鎮座していたおかげで分からなかったが、どうやら石版の真下には祭壇のようなものがあったらしい。

その台座も完全に凍り付いてしまっていたが、その氷の中に閉じ込められていた物にスパーダは目が付いていた。

 

「我らの修羅なる一時に水を差すな! 人間風情が!」

横合いより飛んでくる巨大な火炎球がケルベロスに直撃し、激昂する。

赤と青の目の首は続けて地上に着地したスパーダに怒涛の攻撃を繰り出していたのだが、緑の目の首はというと……先ほどからタバサとキュルケの攻撃によって顔と左腕の氷がほとんど剥がされていた。

戦法を変更したタバサはキュルケの放つフレイムボールを自分の風の魔法で包み込むことで火力を増強させることにしたのだ。

火は空気があるからこそ燃焼する。そしてその空気に含まれる酸素が濃ければさらに炎の力は増す。

キュルケが単体でかつ全力でフレイムボールをぶつけることでようやく氷の鎧に明確な効果的なダメージを与えることができたのだが、そこにタバサの風魔法を混ぜることによって威力がさらに増し、氷の鎧の下の黒い表皮を露とさせたのである。

「……身の程知らずめ!」

だが、スパーダとの対決を邪魔されたケルベロスにとってはそんな二人は邪魔者に過ぎなかった。

怒りに燃えた緑の目が鋭く光る。大気中の水分が一瞬にして無数の小さな鋭い氷の刃と化し、二人に向けて飛ばされる。

「アイス・ウォール!」

己の得意とするウィンディ・アイシクルと全く同じ技だっただけにタバサの反応は速かった。

何十という氷の刃が現れた瞬間に氷の壁を作り出し、二人はそれを盾とする。

飛来する無数の氷の刃がぶつかり、パキンパキンという氷が砕ける音を弾けさせていた。

「な、何よ!」

攻撃が治まり、いざ反撃をしようとした二人であったがケルベロスは間髪入れずに左腕を叩きつけ氷の波を繰り出していた。

突き進む波が氷の壁にぶつかった途端、その流れが二手へと分かれる。そして、そのままタバサとキュルケを取り囲んでしまった。

 

「キュルケ! タバサ!」

広場の隅で見届けることしかできないルイズは何かが起きる度にそうして叫ぶことしかできなかった。

シエスタに至ってはスパーダから預けられた閻魔刀を抱えつつ恐ろしい悪魔の姿に怯え、震え上がるだけである。

「そこで控えていろ!」

鋭く唸るケルベロスが憤怒の叫びを上げると、氷の檻の真上に次々と無数の氷塊が現れ、落下させてくる。

追い討ちと言わんばかりの攻撃で檻もろともタバサとキュルケは氷塊の山に埋められてしまった。

氷の山を睨んでいたケルベロスの緑の目の首も、他の首からの攻撃を凌ぎ続けているスパーダへと向けだす。

「これで我らのみとなった……これ以上、人間どもに邪魔はさせぬ!」

スパーダはルーチェ、オンブラの銃撃で氷弾を砕きつつ氷のブレスをかわし続けていたが、そこに氷の雨という更なる攻撃が加わり、より素早く回避に専念することとなった。

更には振り上げた腕を叩きつけ、氷の波まで放ってくる始末。怒涛の連撃だった。普通の人間では全てをかわしきるのは至難の業だろう。

事実、ダメージこそ小さいものであったがスパーダはその氷の雨を何発か体に受けてしまっている。

(さすがに凄まじいな)

以前はケルベロスとまともに相手をせずにテメンニグルに侵入したスパーダであったが、いざ正面から立ち向かおうとするとその手数の多さには脱帽してしまう。

故に本気を出さねばならぬとスパーダは感じた。ルーチェ、オンブラの性能をもう少し試すためにも、スパーダも全力を出さなければならない。

ここまでケルベロスが本気を出し、全力を尽くしている以上、それに応えるのが礼儀である。

「Show down.(ケリを着けようか)」

呟いた途端、スパーダは己の内に取り込んだ悪魔の力の一つを解放させる。

頭上と正面からはケルベロスの氷が迫っていた。立ち止まっていたスパーダに衝突し吹き飛ばし、押し潰すのは時間の問題である。

だがスパーダは腕を組んだまま立ち尽くし、それを避けようともしない。手にしたままのルーチェ、オンブラを構える様子もなかった。

「スパーダ! 避け――」

どういうわけか余裕の態度で堂々と佇んでいるスパーダに思わずルイズは叫ぼうとした。

だが、途中で声が途切れてしまう。表情に愕然とした色を浮かべ、ルイズは面食らう。

何故なら、スパーダが異様な残像を残しつつあり得ない速度で動き回っていたからだ。当然、あっさりとケルベロスの攻撃を避けてしまった。

しかも、走っているのではなく……あれは歩いている。全くの余裕の動作だ。

 

「貴様! その力は!」

スパーダが解放した力、そして発せられる魔力の波動に困惑と驚愕に呻くケルベロス。

一見するとスパーダはあり得ない速さで移動しているだけにしか見えない。

だが、ケルベロスはスパーダの立つ空間だけが切り取られ、自分達の存在する空間よりも流れが速くなっていることを見抜いていた。

明らかにスパーダは空間に干渉し、その流れを自分の思うように変化させている。だが、それは彼自身の力ではない。

スパーダが制御する力と魔力、それはかつてテメンニグルに共に封じられた上級悪魔ゲリュオンのものに間違いなかった。

どうしてスパーダがその力を操っているのかと狼狽するケルベロスだったがスパーダが残像を残したまま姿を掻き消したため、即座に魔力の波動を辿る。

「ぬっ?」

突如、甲高い澄んだ音色と共に無数の赤い何かが周囲から飛来し、ケルベロスを覆う残った氷の鎧に次々と突き刺さっては砕け散る。

見ればそれらは魔力によって作られた長剣だった。赤黒いオーラに包まれたその剣からはスパーダの魔力をはっきりと感じ取ることができる。

かつてスパーダはこのような技を使っていた覚えがないケルベロスであったが、大した威力もない。これではケルベロスの皮膚に突き刺さっても針が刺す程度でしかない。

だが同時に銃弾の嵐も飛んできており、魔力の剣と共に確実に氷の鎧を削っていった。

「こしゃくなっ!」

三つ首が一斉に咆哮を上げ、ケルベロスは上体を高く持ち上げると一気に大地へと叩き付けた。

ケルベロスの巨体から充填された魔力が一気に解放され、それは極寒の冷気と化して周囲へ広がっていく。

既に周囲はかなり凍り付いていたが、この絶対零度にも達しかねない冷気の波動によってさらに容赦なく凍結されていった。

さすがのスパーダもこれでは攻撃を中断して後ろへ退くはずである。

だが、その予想は大いに外れる事になる。

「こいつぁまた、大物とやり合っているじゃねえか。大したもんだぜ」

「何?」

三つ首の真下から妙な声が響き、ケルベロスは呻いた。

 

 

スパーダは取り込んでいるゲリュオンの空間干渉能力で自分の空間を切り取り流れを速くしていた。

その間、スパーダにとってはケルベロスはもちろんその攻撃もとてもゆっくりと見えていたため、走って避けることもなかった。

ルーチェ、オンブラの射撃に幻影剣も追加し、一気に氷を剥がしていったのである。

ケルベロスはスパーダを退かせるために全力で放った冷気を拡散させたが、スパーダは退いてなどいなかった。

(さすがに全ては防げんか)

篭手のデルフを装備したスパーダはケルベロスの放った冷気の魔力を吸収しつつ、一気に懐へと飛び込んでいたのだ。

コートが少し凍りついてしまったものの、デルフに吸収された分スパーダ自身には大したダメージになってはいない。

スパーダは落ち着いて、ルーチェの銃口を氷が剥がれたケルベロスの胸元に突きつける。

今度はいつもの十倍もの魔力を注ぎ込んでみることにする。

銃全体に赤黒いオーラが炎のように纏わりつき、バチバチと雷光が激しく散りだしていた。

「貴様!」

スパーダに気付いたケルベロスが声を上げるが、スパーダは容赦なく引き金を引き絞る。

 

「グガアァ!!」

雷鳴が轟くかのような轟音と共に、至近距離から強烈な赤い閃光を伴い放たれた銃弾がケルベロスの胸に炸裂する。

あまりの強烈な衝撃に耐えられず、ケルベロスは苦悶の雄叫びを上げながら体を大きく仰け反らせながら吹き飛ぶ。

「ひええっ! こいつぁおでれーた! その玩具はよ!」

装備したままのデルフも興奮したように叫びだす。

 

スパーダは銃口から硝煙の棚引くルーチェを構えたまま踏みとどまっていた。

さすがに今度ばかりは反動が強かった。後頭部まで跳ね上がってしまったほどである。

まるで巨大な大砲を手にして撃ってみたようなものであり、さすがのスパーダも地上で踏みとどまらなければ反動に負けていたかもしれない。

だが、これだけの強力な魔力の弾を放ってもこの銃はやはりビクともしない。

スパーダは満足げに笑い、手の中でクルクルと回して弄ぶとそれを懐へ収めた。

 

聖碑の真下まで吹き飛ばされ、倒れ伏したまま呻き続けるケルベロスは堂々と腕を組み佇むスパーダを睨み続けている。

ふと、スパーダはゆっくり右手を横へと伸ばしだした。

「「きゃあっ!」」

広場の隅で観戦し続けていたルイズ達は悲鳴を上げた。

彼女達の前に突き立てられていたリベリオンがひとりでに地面から抜け出し、勢いよく回転しながらスパーダの元へと放物線を描きながら飛んでいったのだ。

主の手元へと飛来してきたリベリオンを、スパーダは振り向くことなく難なく掴み取る。

「……それが貴様の新たな剣か」

呻きつつも起き上がろうとするケルベロスはスパーダが手にしたリベリオンを目にし、感嘆の呟きを漏らした。

以前、彼が振るっていた愛剣とはずいぶん異なるが、それでも強い魔力を感じることができる。

「お前が望むのであれば、今度はこちらで相手をしよう」

リベリオンを肩に担ぎながらスパーダは静かに告げる。

「そうともよ! ついでにこのデルフリンガー様も相手になってやるぜ!」

左腕に装着されたままのデルフも威勢の良い声で意気込んでいた。

 

剣を手にしてこそスパーダは完全に本気になる。ケルベロスは剣を手にしたスパーダの力が如何に絶大であるかを知っていた。

そして、剣を手にせずともその力は凄まじいということをケルベロスは身を持って思い知らされた。

力は衰えても、〝魔剣士〟スパーダの実力そのものはまるで衰えていない。むしろ以前よりさらに磨き上げられている。

「……いや。貴様の力、我が身にしかと刻まれた。さすがは……魔剣士スパーダ」

故にケルベロスはその力を認めるしかなかった。

いくらケルベロスが力ある悪魔であり、純然たる武人とはいえ相手の力を見極められるだけの融通と柔軟はある。

力ある者に従うは世の理。今回は同じ悪魔であるスパーダの力を改めて認めたが、それが人間であっても認めたことだろう。

スパーダはリベリオンを背に収め腕を組むと、表情を一切変化させずにケルベロスを睨み続けていた。

「貴様がこの世界でどのように生きるか……我も見届けさせてもらう。我が牙の加護と共に!」

起き上がったケルベロスはスパーダに対して粛然とした態度を示していた。

かつては同志として共に戦い、戦乱を生き残った。

魔帝の人間界侵攻にケルベロス自身は侵略などはあまり積極的に意識しておらず、どちらかと言えば己に与えられた任務を果たすために行動していた。

敵意さえ示さなければ人間だろうと無闇に襲わず、人間に対して傲然とするのも力がないくせに強がって挑もうとする愚かな行為が、力ある強者として許せないからだ。それが悪魔であっても同じことである。

血に飢えた有象無象の悪魔共とは違い、ケルベロスも自分なりに義を重んじているのだ。

(変わらんな。相変わらず)

スパーダもケルベロスの性分が分かっていたからこそ、こうして素直に従ってくれたことに満足していた。

 

――オオオォォォォンッッッッ!! 

 

真正面から正当な力を示した魔剣士に己の全て捧げることを決意した氷の魔獣は天に向かって雄叫びを上げ、その巨体を光へと弾けさせていた。

スパーダの目の前に、もはやケルベロスの姿はどこにもない。

あるのは青白い光球が静かに浮かび上がっているのみである。

スパーダがその光求をゆっくりと掴み取ると、掌の中に吸い込まれるようにして消えていった。

魂を捧げた以上、魔具として展開するのも良かったかもしれないが、今はまだ魂そのものを取り込むまでに留めることにする。

「何だよ。降参しちまったのか。呆気ねえなぁ」

本格的にさらに力を発揮しようとしていただけに、デルフは肩透かしを食らってしまった。

 

(これで四体か……)

ドッペルゲンガー、ゲリュオン、ネヴァン、そしてケルベロス。上級悪魔を四体も従えることになった。

これだけの数が集まれば中々に戦力は補強されることだろう。全員が実力のある悪魔である以上は。

近いうちに起こる日食の日、どこかの勢力が攻めてくるかもしれない。そのための戦力がこうして手に入ったのはありがたかった。

(後は、我が分身か……)

スパーダは目の前にそびえ立つ聖碑の石版をじっと睨むように見上げていた。

魔界の大勢力との戦いに備え、いずれは故郷の深奥に封じてきた己の分身を再び手にすることをスパーダは決意していた。

そのためにも魔法学院で魔界と人間界の繋がりに関して調べ、魔界に繋がる道を見つけることで故郷へ舞い戻ろうとしていたのである。

今まではその成果がまるでなかった。……だが、それが今ここで覆された。

目の前にあるこの石版こそが、故郷へと通じる道であり、門だからだ。

作品の良かったところはどこですか?

  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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