魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
かつて、魔界では巨大な戦乱が勃発した。
弱肉強食の世界で生きる悪魔達にとっては力こそが全て。力ある者こそが全てを支配する資格を持つ。
己より力無き者達を跪かせ従わせる闇の王達は、乱世に満ちた闇の世界そのものすら統べようとした。
力ある悪魔達は幾多の勢力に分かれて互いに覇権を争った。より強い力を持つ勢力は他の勢力を打ち破り、己の下へと加え、さらに力を伸ばしていく。
全てを支配する野心を胸に、幾千年にも渡って続けられた熾烈な争乱。
その中心にあったのが、〝羅王〟と呼ばれし魔の支配者が率いる軍勢。
幾万をも超える圧倒的な手勢を放ち、勢力の長でありながら自ら戦線に立ち、全てを破壊し尽す修羅の王。
ある意味、最も悪魔らしい蛮勇さに満ちたその王は、力と力をぶつけ合い、容赦なく敵を討ち滅ぼさんとす。
戦いに策など不要。いかなる小細工を仕掛けようが圧倒的な力を持って策もろとも敵を捻じ伏せるのみ。
それでも〝羅王〟は惜しくも闇の世界を統べることはできなかった。
手勢を失い、敗北した修羅の王は雪辱を果たさんと長きに渡って力を蓄え続け、新たなる手勢を集め続けた。
1500年以上も昔、かつて肩を並べた〝魔帝〟の勢力が人間界を攻め入るのに失敗した後も力が完全になるまでひたすら静かに待ち続けたのだ。
無様に敗北した〝魔帝〟に代わり、人間界を我が物とするために。
そこで思わぬ事態が起きた。
生意気にも悪魔を従えていたという人間の魔術師。その魔術師の手によって〝羅王〟は強制的に人間界へと呼び出された。
力なき者に従う道理などない。〝羅王〟は己を従えようとするその魔術師を始末しようとした。
だが、ここでも〝羅王〟にとっては予想だにしない出来事があった。
かつて〝魔帝〟の勢力に属し、何を血迷ったか人間界侵攻を阻止した逆賊、〝魔剣士〟が挑んできたのだ。
互いに力はかつての戦乱の時より衰えていた。だが、〝魔剣士〟は剣の力を持って〝羅王〟の力を切り離し、魔界へと追い返した。
力を失った〝羅王〟はさらに長き時をかけて新たな力を蓄えることを強いられた。
ところが、今度は〝羅王〟にとって嬉しい誤算が起きた。
閉ざされた空間で新たに見出した異世界。人間界とよく似ていたが、その環境は人間界とは明らかに異なる。
その異世界から流れ込んでくる膨大な力の奔流。それは〝羅王〟の糧となり、失ったはずの力が僅かな時で蘇りつつあった。
まだ他の勢力が手を出していないその世界を制するため、〝羅王〟は不本意ではあったが策によって力なき人間達を利用した。
全軍を一気に侵攻させる出口を作るため、争いの火種を撒くことで魔界との境の安定を乱したのだ。
そして、全ての準備は整った。
後は、異世界の自然現象により魔界との境界が極限まで薄らぐのを待つのみ。
修羅の王が率いる幾万もの血に飢えた兵達と共に、今か今かと待ち続ける。
その時こそ、〝羅王〟自ら壁を突き破り全軍を侵攻させる。脆弱な人間共を消し去るなど容易い。
暗黒の闇が太陽を喰らう時こそ、〝羅王〟は現世へと降臨するのだ。
◆
スパーダが地獄門を通り、魔界へと向かってから、丸一日が過ぎようとしている。
魔界から流れ込んでくる瘴気から出来るだけ遠ざかるためにルイズ達は広場の入り口辺りでタバサのシルフィードと共に待機している。
その間、地獄門に開けられた次元の裂け目からは時折下級の悪魔が這い出てきたのでスパーダに留守を任されたネヴァンが容赦なく己の稲妻で仕留めていたのだ。
ルイズも自分の〝バースト(炸裂)〟の練習のため一緒になって悪魔達に爆発をぶつけ続けていたのだが、途中でキュルケによって止められてしまった。
「これから戦争が起きるかもしれないんだから、力を温存しておきなさいよ」と諌められて。
レコン・キスタ、そして魔界の侵攻がもうすぐ始まるというのに消耗してしまっては今後の戦いに支障が出てしまう。
キュルケもタバサもスパーダが戻ってくるまでは無駄に魔法を使って精神力を消耗させるわけにはいかないため、ただひたすら大人しく待ち続けるしかなかった。
ルイズとしては、「お前の力など取るに足らない」と言わんばかりに力を見せつけてくるネヴァンに身を震わせる悔しさを感じていたのだ。
そこにタバサが「挑発に乗ったら負け」と、一言を添えたためにようやくルイズも引き下がっていったのである。
以前はその挑発に乗ってしまったがために半殺しにされたことを思い出したのだ。腹立たしいが、これ以上ネヴァンの挑発に乗っても良いことは何もない。
ルイズはスパーダが戻ってくるまでは我慢して、キュルケ達と一緒にじっと待つことに決めた。ネヴァンのことも無視することにする。
地獄門を通り、魔界へと向かったスパーダのことが心配であったが、彼は伝説の魔剣士と呼ばれた屈強な悪魔だ。
並大抵の悪魔なんかより故郷を渡り歩くなど容易いものだろう。
たとえ魔界の悪魔達が襲い掛かってきても、スパーダにとっては敵ではないはずだ。
必ず自分達の元へ戻ってきてくれるとルイズは自然に信じていた。故に安心して、スパーダが魔界から帰還するのを待ち続けていたのだが……。
(まだ帰ってこないわ……何やってるのよ、もう……)
膝を抱えながら座り込み、じっと地獄門の穴を睨み続けていたルイズは未だスパーダが戻ってこないためにやきもきしていた。
魔界がどれだけの広さかは分からないが、スパーダにとっては庭みたいなもののはずだ。自分の故郷で迷うなんてことはまずあり得ない。
あの次元の裂け目を覗き込んで様子を窺ってみたいと考えていたが、魔界から流れ込んでくる瘴気をまともに浴びればただでは済まないだろうからそれはやめておいた。
そうしてルイズがスパーダのことを心配し続けていたその時。
「何かしら?」
ふと空を見上げると、遠目に無数の影がゆっくりと飛んでくるのが窺えた。
立ち上がったルイズは額に手を当て、その影が何なのかを確かめるべくじっと凝視する。
影はぐんぐん近づいてくるにつれて大きくなり形もはっきりと判別できるようになり、やがてそれらが七隻ほどの艦隊であると認識することができた。
それもただの船舶ではない。どれもトリステインの紋章を付けた、全長50メイル以上にもなる軍艦だ。
「あれって、トリステインの艦隊でしょ? メルカトール号とかいうのも見えるわね」
退屈凌ぎに化粧をしていたキュルケが差したのは、先頭を飛んでいる他のより一回りは大きい軍艦である。
その艦隊はルイズ達がいる広場の真上、およそ1000メイルの高さを静かに航行していく。
「そういえば今日は、トリステインの艦隊がアルビオンの政府からの親善艦隊を出迎えるって聞いてるけど……」
頭上を通り過ぎていく艦隊を見送りながら、ルイズは顔を顰め憮然としていた。
魔界の悪魔達が裏で手を引いているとはいえ、王殺しという恥知らずな所業を行った連中を賓客として歓迎しなければならないとは……たまったものではない。
いくら公的には不可侵条約を結んでいるとしても狡猾な悪魔達と手を組んでいる以上、汚い手段を用いて条約を破り、戦争を仕掛けてくるに違いないのだ。
「親善訪問ねぇ。まるっきり何かを仕掛けてくる気満々ね」
「ねぇ、キュルケ。あんた達の国とはとりあえず軍事同盟を結んでるんだから、レコン・キスタが宣戦布告をしてきたら当然参戦してくれるんでしょう?」
ルイズからの問いに対し、キュルケは何とも言えない微妙な表情を浮かべて唸りだす。
「うぅ~ん……まあ、するにはするでしょうけど。正直言って、ゲルマニアも悪魔との戦いなんてまともに経験したことないものね。
レコン・キスタだけならまだ遅れを取ることはなかったでしょうけど、悪魔の軍勢も相手をするとなると厳しいでしょうね。やっぱり、ダーリンの力も借りないと」
ハルケギニアにとっては未知の敵でしかない悪魔と対抗するには、その悪魔達のことを熟知している伝説の魔剣士、スパーダの力が必要なのだ。
人間達の力だけではとてもではないが、勝ち目が無いことをキュルケは察していたのだろう。
「いつになったら戻ってくるのよ……自分の故郷なんだから、パッパと行ってさっさと戻ってきても良いのに……」
地獄門の次元の裂け目を睨みながらルイズは焦燥を募らせる。
「明日の日食までにはまだ時間があるんだし、焦らずに待ちましょうよ。その間に何か起きても、あたし達でできることをやればいい訳だし。
ダーリンが戻ってきたら、彼の力になれるようにがんばらないとね」
「当然じゃない。あたしはスパーダのパートナーなんだから」
「……ふふふっ」
「な、何よ」
突然キュルケがルイズの顔を横目で眺めながら楽しげに笑い出したために戸惑った。
「まさか、先祖代々いがみ合ってたあたし達がこれから肩を並べて戦うことになるなんてね。ご先祖様が聞いたら、何て言うのかしら」
「こ、今回だけなんだからね! 全部終わったら、またあたしとあんたは敵同士なんだから!」
恥ずかしそうに顔を僅かに紅潮させながら顰めるルイズ。
本来ならばヴァリエール家先祖代々の仇敵であるツェルプストーと肩を並べて戦うなんてご先祖や実家の家族が聞いたら嘆いてしまうことだろうが、
今はハルケギニアそのものが危機に立たされている時なのだ。この世界を生きる者達の力を団結させなければ悪魔達には決して勝てない。
「はいはい。それまでの間はお互い生き残れるようにがんばりましょ。ヴァリエール」
こんな時でも本当に素直になれないルイズを、キュルケは素直に己の気持ちを露にしながら優しく肩を叩いていた。
ルイズはぶすっと剥れたまま、キュルケから顔を背けていた。未だその顔は気恥ずかしさで真っ赤に染まったままだった。
「タバサも絶対に死んだりしちゃ駄目よ?」
そんな二人の横で、黙々と本を読み続けているタバサの頭を撫でつつ真顔でキュルケは言う。
当のタバサもその言葉に、分かっていると言いたげにはっきりと頷いていた。
隣では、いつの間にかタバサの姿を写し取っていたドッペルゲンガーが全く同じ姿勢で、全く同じ動作を行っている。
自分の母親を救うという目的があるタバサにとってはこれから起きるであろうレコン・キスタと悪魔達の侵攻は大量のレッドオーブを集めるまたとない好機なのである。
それに悪魔達との戦いによって己の力をさらに磨き上げることができるため、まさに一石二鳥だ。
◆
――ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!
辺りの空気を震わせてしまうほどのその轟音は、ラ・ロシェールの方角から届いているものだった。
これから正午になろうという昼時。故郷のタルブで休暇を過ごしているシエスタは弟達と共に草原に出てきて、轟音が聞こえてきたラ・ロシェールの方角を眺めていた。
見晴らしの良いこのタルブの草原からだと、すぐ近くのラ・ロシェールの上空に浮かんでいる何隻もの軍艦を目にすることができる。
つい今しがた雲の中から静かに降下し十数隻もの軍艦を引き連れて現れた、一際大きな軍艦が礼砲を放ったのである。
「お姉ちゃん。何の音なの?」
「あれは礼砲といって、アルビオンからのお客様をああして迎えているのよ」
幼い弟や妹達が少々不安そうにしているが、シエスタは姉らしく振る舞いながら肩を抱いて宥めていた。
つい先刻には何隻ものトリステインの軍艦がこのタルブの上空を通り過ぎていったのをシエスタは目にしている。
アンリエッタ姫殿下の婚儀を祝うアルビオンからの親善訪問を歓迎するためにラ・ロシェールに停泊しているのだろうと察することができた。
アルビオンとは不可侵条約を結んだという触れはシエスタはもちろん、この村の人達もタルブの領主を通して聞き及んでいる。
故に戦争が起きることはないだろうと誰もが思っていた。
(……何だろう。この嫌な感じ……)
アルビオンの艦隊が姿を現してからというものの、シエスタは言い知れぬ不安と胸騒ぎが湧き上がっていた。
何か良くないことがこれから起ころうとしている。それが何なのかは分からない。
だが、悪魔の血と本能が目覚めていたシエスタは得体の知れない不穏な雰囲気をその身で感じ取っていたのだ。
――ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!
今度はトリステイン側の艦隊から礼砲が放たれている。
ただの空砲にすぎないとはいえ、ああして軍艦同士が大砲を鳴らしているのを眺めているとまるで本当に戦争をしているのではと思えてしまう。
のどかな農村であるタルブにとっては、そもそも軍艦が近郊を飛んでいるという光景自体が異様なのだ。
礼砲が鳴る度に幼い弟や妹達の不安も大きくなっているのが分かる。
「さあ、家へ戻りましょう」
弟妹達をこれ以上心配させまいとシエスタは己の不安を隠しつつ一行を連れて自分達の生家へと戻ろうと村の中へ入っていく。
他の村人達も礼砲が鳴り響いたことに驚いている様子で、仕事を中断し立ち止まって空を見上げていた。
「お姉ちゃん、見て!」
「お船が……」
村の広場までやってきた所で弟妹達が空を振り返って驚きだし、声を上げていた。
礼砲とは全く違う爆発音が轟いたのを耳にし、シエスタも思わず振り返る。
そこには思いもしなかった光景が視界に飛び込み、さらにシエスタの目は愕然と大きく見開かれていた。
トリステインの艦隊が出迎えていた十数隻ものアルビオンの軍艦の中の一隻が激しく炎を吹き上げながら墜落していくではないか。
沈むように落ちていった軍艦は地上に激突する前に空中で更に爆発を起こし、四散した。残骸が燃え盛る炎と共に地上へと降り注いでいく。
その光景を見届けた村人達は騒然とし始め、手をつけていた仕事をやめてみんな家の中へと逃げるように戻っていった。
「何が起きているの? お姉ちゃん」
弟妹達がシエスタにしがみついてきたが、当の本人は顔を真っ青にしたまま空を見上げ続けていた。
(来る――。……あの、悪魔達が)
あいつらは、もうすぐ近くにいる。
心臓が激しく高鳴っている。
呼吸が、いつもより速くなり、息苦しくなる。
シエスタの身に宿る悪魔の血と本能が、血に飢えた魔の住人達の気配を、殺気を感じ取っていた。
がくがくと足を、手を、肩を、唇を震わせている姉の姿に弟妹達はさらに不安になる。
「シエスタ。何をやっているんだ」
恐怖と緊張で体を硬直させ、動けないでいるシエスタとその弟妹達の元に、彼女達の父親が駆け寄ってくる。
他の村人が家の中に避難しているのに自分の子供達だけがまだ外をうろついているのを見て、連れ戻しに来たのだ。
「お前達も、外は危ないから家の中に入りなさい。シエスタ、お前も早く……」
父は幼い子供達を促しながら、長女であるシエスタにも声をかけようとしたが……。
――ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!
三度響き渡る激しい轟音。そこから一行の目に映っていたのは、恐るべき光景であった。
アルビオンの軍艦がトリステインの艦隊に向けて次々と砲撃を始めたのである。トリステインの艦隊はなすがままに砲弾を受け続け、船体から炎が吹き上がっていた。
中でも雲と見まごうばかりの一際巨大なアルビオンの軍艦から放たれる砲撃は容赦なくトリステインの軍艦を襲っていた。
ほとんど一方的な砲撃は続き、数分と経たぬ内にトリステインの軍艦が次々と撃沈されていく。
あまりにも信じられない光景を見届けていたシエスタ達は、その場から動くことができずに硬直していた。
唖然とする父は我が目を疑い、未だ地上へと落ちていくトリステインの軍艦を凝視している。
「馬鹿な。アルビオンとは不可侵条約を結んでいたはずじゃないか」
だが実際に目の前ではアルビオンの軍艦が砲撃を加え、トリステインの軍艦を撃沈していったのだ。
それにいつの間にか軍艦の周囲を飛び交っている無数の小さな影……あれはドラゴンだろうか? 遠目すぎてよく分からない。
その影がまるで鳥が集団で獲物に襲い掛かるかのように残ったトリステインの軍艦を取り囲んでいく。
「はやく……」
突然、がくんとその場で崩れ落ち蹲りだしたシエスタが己の肩を抱きながらがくがくと震えだした。
全身からどっと冷や汗を溢れ出させ、苦しそうに喘ぐような荒い息を漏らしている。
「みんなを、避難させなきゃ……」
戦慄に震えた声で、シエスタは喉の奥から声を絞り出す。
「シエスタ? どうしたんだ?」
「お姉ちゃん? 大丈夫?」
「しっかりして」
「森に……南の、森に、みんなを……」
家族達が心配する中、途切れ途切れで言葉を紡ぎだし続けるシエスタ。
その森には、先日スパーダ達を案内した〝聖碑〟の遺跡がある。
「はやく、しないと……悪魔が……」
シエスタの身に流れる悪魔の血と本能は、曽祖父にして中級悪魔であるブラッドから引き継がれたもの。
人間の血も共に宿しているシエスタにとっては、そのおぞましい感覚はあまりにも刺激が強すぎるのであった。
そうしてシエスタが恐怖と戦慄に震え、家族達が困惑する中、トリステインの艦隊を全滅させたアルビオンの艦隊はラ・ロシェールからこのタルブへと近づいてくる。
空を飛び交う、無数の異形の大群と共に。
◆
ものの数分で、アルビオン艦隊は国賓歓迎のために出向いていたトリステインの艦隊を全滅させていた。
レコン・キスタの更なる侵略の筋書きはこうだ。
本来、数日後に執り行われるはずであったトリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式の親善訪問と称し、だまし討ちを仕掛ける。
その手段は至って単純で、そしてあまりにも卑劣なものである。
親善艦隊を出迎えてきたトリステインからの礼砲と同時に、自軍艦隊の一隻であるホバート号に火を点けて放棄することで撃沈したように見せかける。
アルビオン艦隊はそれをトリステイン艦隊が砲撃を加えたと見なし、自衛のためと称して応戦を名目にした攻撃を行う。
そうすることでアルビオンはトリステインに対して合法的に宣戦布告ができ、不可侵条約を信じて戦闘の準備が整っていないトリステイン艦隊をなぶり殺しにできるというわけだ。
その奇襲作戦を指揮していたのはレキシントン号の艦長、サー・ヘンリー・ボーウッドであった。
彼としてはこんな汚い手段で他国を蹂躙するなど反吐が出るものであったが、所詮軍人でしかない自分にはその策を実行するしかない。
(あの悪魔め……)
心の中で、ボーウッドは自分にこの破廉恥な策を命じたクロムウェルに対して毒づいていた。
旗艦である『ロイヤル・ソヴリン号』――今では『レキシントン号』の上では、「アルビオン万歳!」「神聖皇帝クロムウェル万歳!」という兵士達の唱和があちこちで上がっている。
その中には神聖アルビオン共和国皇帝、オリバー・クロムウェルの信任厚いことで知られる艦隊司令長官にして貴族議会の議員、サー・ジョンストンの姿もあった。
(戦闘行動中に万歳とは……)
後甲板で、つい今しがた墜落していったトリステインの艦隊を悼むように見つめていたボーウッドは肩越しに冷たい視線を送りながら眉をひそめた。
かつて空軍が王立であった頃はあのようなことをする輩などいなかったというのに。
――ケエエエッ……!
風に乗って届いてきた不快な金切り声や羽音を耳にしたボーウッドは、忌々しそうに左舷から眺めることができる空域を睨んでいた。
一面に広がる大空の中を、拠点制圧のために飛び上がった竜騎士達のドラゴンと共に無数の影が飛び交っている。
奇襲作戦の開始から数分と経たぬうちにどこからともなく姿を現した、異形の怪物達。
赤い体に鳥のように羽ばたく奴らはトリステインの艦隊に容赦なく襲い掛かり、死肉を喰らうハゲタカのごとく群がっていったのだ。
今も奴らは先ほど爆沈させたメルカトール号から吹き飛ばされてきた艦長らしき者の体に群がり、空中でその身を啄ばんでいた。
青い体をしている巨大なハエみたいな怪物に至っては、空中に投げ出された兵達の亡骸を四肢や頭などをわざわざ引き千切ってからムシャムシャと喰らっていく。
あまりに凄惨な光景に、ボーウッドは思わず目を背けたくなる。同じような光景が空域のあちこちで見られた。
……こんな悪魔のような奴らと、これからトリステインに攻撃を仕掛けねばならぬとは。ボーウッドの心中はいつまでも複雑な気分であった。
「艦長。実に見事な指揮であったな。これで私は閣下より預かった兵を無事、トリステインに下ろすことができる」
(クロムウェルの腰ぎんちゃくめ)
近づいてきたジョンストンが心から満足した様子で話しかけてきたが、ボーウッドは心の中で名ばかりの司令官に過ぎない男を吐き捨てていた。
つい先ほどまでは兵の士気が下がる、などと抜かして軍艦を近づけさせることにさえ怯えていた男が一転して有頂天になっている。
この男は空を飛び交う異形の怪物達を何食わぬ顔で見ているだけであった。それがまるで自分達のために動いてくれるガーゴイルなのだと思い込んでいるように。
「私は与えられた命令を実行したまでだ」
冷たく答えたボーウッドはこれから制圧の拠点とするタルブの草原へと降下する命令を冷徹にかつ迅速に命じていく。
◆
礼砲のものではない爆音が轟いた時、ルイズ達はそれが異変が起きた証明であると受け取っていた。
すぐにタバサのシルフィードに乗り込み、空に舞い上がるとそこには恐ろしい光景が広がっていたのだ。
アルビオンの親善艦隊がトリステインの艦隊に砲撃を加え、次々と撃沈していったのである。それはあまりにも一方的すぎる攻撃で、トリステイン側はなす術なく全滅させられてしまった。
ルイズ達はシルフィードの上で虐殺にも等しいその光景をただ見ているだけしかなかった。
「やっぱり、案の定というわけね」
キュルケが呆れたように肩を竦める。予想はしていたとはいえ、こうも堂々とやられると脱帽してしまう。
「どうしてよ! 日食は明日だっていうのに、話が違うじゃない!」
トリステイン艦隊を全滅させたアルビオン艦隊を睨んでルイズは憤慨した。
奴らは裏で糸を引いている悪魔達と同調してトリステインに戦争を仕掛けてこようとしていたはずだった。
それなのに現実は見ての通り、レコン・キスタは全く違うタイミングで攻撃してきたのだ。おまけに見れば、悪魔達の姿もある。
スパーダの日食に攻めてくるという読みは外れた。このままではトリステインは奴らに蹂躙されてしまう。
「違う。あれは主力じゃない」
タバサは空を飛び交う悪魔達を観察して呟いた。
確かに悪魔達の姿はあれどもその数は100にも満たない。竜騎士達より数が多いとはいえ、悪魔の軍勢が攻めてくるにしてはあまりにも少なすぎる。
おまけにどれもが格も高くない下級悪魔達ばかりである。
恐らく、裏で暗躍している悪魔がレコン・キスタに貸し与えている軍勢の一部なのだろう。
「でも、ダーリンが戻ってくる前に仕掛けてくるのはさすがに予想外だったわね……」
「どうするのよ!? このままあいつらを黙って見過ごすって言うの!?」
「落ち着きなさいよ。あたし達じゃあの艦隊をまともに相手になんかできないわ」
「じゃあ、どうするって言うのよ」
困惑するルイズに、キュルケはくいっ顎でタルブの草原を指し示す。
見ればタルブの村から次々と村人達が逃げ出し、地獄門がある南の森の方へ向かおうとしているのが窺えた。
タルブの草原にアルビオンの艦隊が降下してくると、次々に地面に錨を下ろしていく。どうやらここを侵攻の拠点とするようだ。
その艦隊から次々と竜騎士や悪魔達がタルブの村目掛けて飛来していく。本隊上陸の準備としてつゆ払いをするらしい。実に手際の良いことである。
村にはまだ逃げ延びていない者達がいるのだ。このままでは戦う力のない農民でしかない彼らが奴らの餌食になってしまう。
そして、その中には学院のメイドであるシエスタの存在もある……。
「今、あたし達にできるのは彼らが無事に森まで逃げられるのを手伝うことよ」
キュルケが杖を構え、タバサはシルフィードに村の上空へと近づくように命じる。
(あたし達がやること……)
ルイズは草原を必死に逃げ惑うタルブの村人達を見て、己の胸の内を徐々に熱くさせていった。
魔法を使えることが貴族ではない。敵に後を見せず立ち向かう者こそが、真の貴族である。それがルイズの貴族としてのポリシーだ。
だが、ただ戦うだけならば平民の戦士にだってできること。では、貴族の使命とは何か?
既に、その答えはルイズには見えていた。
それは、民をこの手で守りぬくこと。それが貴族の果たすべき使命なのだ。
公爵である実家の父だって、領民の安全を守ることを何より優先していたのだから。
スパーダもフォルトゥナの領主であった時はもちろん、今だって人間達を守るために戦っていたのだ。
きっとアンリエッタ王女も、民の危機を知れば彼らを救い、守るために行動するだろう。
ならば、自分だって……。
杖を引き抜いたルイズは迫り来るレコン・キスタと悪魔達に向かって吠える。
「かかってきなさいよ! レコン・キスタ! あんた達にこれ以上、好き勝手なんかさせないんだからね!!」
その叫びと同時に、竜騎士達と共に飛来してきた血に飢えた悪魔達がシルフィードに向けて一斉に突っ込んできた。
竜に乗り、空を飛び交う三人のメイジ達は、襲い来る敵を迎え撃たんと杖を振るわんとする。
あまりにも張り切りすぎて興奮していた彼女は、指に嵌めている水のルビーが光っていることに気づいていなかった。
◆
王都トリスタニア、トリステインの王宮に国賓歓迎のための艦隊が全滅したという報せが届いたのはすぐのことである。
さらに同時にアルビオンより宣戦布告が届けられたことにより、王宮は騒然となり混乱は熾烈を極めていた。
それまでゲルマニア皇帝との結婚式の準備で忙しかったのが急変し、即座に大臣や将軍達が集められて突然のアルビオンからの宣戦布告に対する会議が開かれた。
会議室には宰相マザリーニ枢機卿、そして上座にはこれからゲルマニアへ行こうとしていた王女アンリエッタとその母である太后マリアンヌの姿もあった。
アンリエッタは本縫いが縫い終わった純白のウェディングドレスに身を包んでいるのだが、この状況でその姿を気に留めるものなど誰もいない。
「まずはアルビオンへ事の次第を問い合わせるべきだ!」
「いや、ゲルマニアより軍を派遣するよう要請すべきだ! 何のために彼らと同盟を結んだのだ!」
「そのように事を荒立ててはいかん。偶然の事故が生んだ誤解なのですぞ? 今ならまだ誤解を解くことができるかもしれん」
「ええい! 残りの艦を全てかき集めるのだ! 数でかかればアルビオンの艦隊と言えど何とかなる!」
だが、この卓上で続けられているのは会議とは思えぬ不毛な議論による怒号、それによりもたらされる紛糾のみであった。
有力貴族達の意見は一向にまとまる気配を見せない。
アンリエッタは貴族達のあまりに見苦しい姿に呆然としていた。マザリーニもマリアンヌも、卓上で繰り広げられる彼らの不毛な言い争いに頭を痛めるばかり。
とは言っても、彼女達ですら結論を出しかねている状況であった。
マザリーニはできることなら外交による解決を望んでいた。どんなに努力をしようといずれこうなると分かってはいたものの、負ける戦などしたくはないのである。
マリアンヌは心の中でこの現状を憂いていた。
彼らがこうも混乱を極めているのは、彼らを導く指導者がいないからに他ならない。
だが、自分は女王などではない。亡き夫である先王を偲んで王妃としての立場を貫き、即位することはなかった。
故に紛糾する彼らを正す資格も力もない。夫や先々の王であった父・フィリップ三世ならばすぐにでもこの混乱を収拾できたであろう。
マリアンヌは今になって後悔する。国は指導者なくしては決して機能しない。その指導者を長きに渡って失っていたがためにこのような事態に陥ったことに。
そして、何もかもが遅すぎたことに。
「やはりゲルマニアに軍の派遣を要請しましょう!」
「いや、アルビオンに特使を派遣すべきだ! こちらから手を出せばそれこそ全面戦争の口実を与えることになる!」
そうこうしている内に昼が過ぎていたが、未だ会議室では不毛な議論が怒号と共に繰り返されていた。
その間にも様々な報せが会議室へと届けられてくる。
アルビオン艦隊はタルブの草原に降下して占領行動へと移ったこと。
タルブ領主、アストン伯の軍勢が交戦を始めたこと。
……数え切れない報告が次々と舞い込んでくる。そして、その報告が届く度に貴族達の混乱はさらに激しくなっていく。
もはや、会議としての機能さえ果たしていないのではないかと思うくらいに貴族達は卓上で無意味な論争を続けていた。
(ウェールズ様……)
怒号が鳴り止まぬ中、アンリエッタは己の指に嵌められた風のルビーを握り締める。
生きているのか死んでいるのかすら分からない、愛している人が勇敢に戦い続けていたのであれば、自分もまた勇敢に生きてみよう。
ルイズからこの指輪を託された時、そう誓ったのではないのか?
今、自分に何ができるのか。アンリエッタは醜い争いを続ける貴族達を視界に捉えぬようそっと目を伏せ、考える。
「急報です! 所属不明の風竜が戦闘区域に乱入! 敵軍と交戦している模様!」
何度目かも分からぬ急報が届いた時、貴族達は議論を中断してその報せに耳を傾けていた。
だが、彼らは訳が分からないといった様子で顔を顰めだす。
「どこのどいつだ! 余計な真似をしおって!」
急使は戸惑いつつも届けられた報告を淡々と読み上げていく。
「偵察に向かった竜騎士によると風竜に乗っていたのは三人組のメイジで、先日この王宮に参られた魔法学院の生徒だとのことです」
魔法学院の生徒――その単語を聞いた途端、アンリエッタは目を見開いていた。
思わず席から立ち上がりかけるほどの衝動に駆られたが、かろうじて抑えこむ。
魔法学院の生徒……風竜……そして、この王宮へと最近訪れたことのある者達。
たったそれだけで、アンリエッタはその三人組のメイジの詳細を理解することができていた。
(あなたなの? ルイズ……)
自分があまりにも無茶な願いを命じてしまった、幼き日からの友人。
彼女は仲間達と共にアルビオンで任務を果たし、生きて戻ってきてこの風のルビーを託してくれた。
その彼女が、今度はこの国を守るために戦っている?
無二の親友が今起こしている行動に、アンリエッタは心打たれていた。
貴族として、王族として君臨する者が今すべきことは何なのか。
アンリエッタはようやく、今自分が行えることが何であるかを見出すことができた。
(ありがとう。ルイズ……)
そして、心の底より無二の親友に感謝する。それはあまりにも単純なことであり、何も難しいことではなかったのだ。
「だからどうした! そんな者達のことなど、どうでも良いことだ!」
「今はこの事態の収拾をつけることが先決なのだぞ!」
だが、貴族達はルイズ達が懸命に行っている活動に関心すら抱かずに吐き捨てていた。
貴族として、王族としての役目を軽んじ踏みにじるその発言に、ついにアンリエッタは憤慨した。
「いい加減になさい!」
大きく深呼吸して立ち上がり、アンリエッタはあらん限りの声量で威厳に満ちた声を張り上げる。
会議室に響き渡る王女の一喝に、それまで騒然としていた貴族達は面食らったようにアンリエッタへと一斉に視線を注いでいた。
それまでこのトリステイン王国の象徴的存在にして、飾りの姫としてか見えなかった愛らしい姿が一変してしまっていることに貴族達は唖然としていた。
「姫殿下?」
「アンリエッタ……」
同様に、隣に控えているマザリーニやマリアンヌさえ彼女の姿に動揺している。
「あなた方は恥ずかしくないのですか? 先ほどから聞いていれば、世迷い言も甚だしい……。国土が敵に侵されているこの状況で同盟だ、特使がなんだと騒ぐ前にやるべきことがあるでしょう?」
貴族達の一部はひそひそと声を潜めて囁き合う。これからゲルマニアに嫁ぐはずだった飾りの姫が、熱くなっていきなり何を言い出すのかと。
アンリエッタは卓上を叩き、大声で叫ぶ。
「わたくし達がこうしている間にも、民の血が流されているのです! 彼らを守ることが、我ら貴族の……王族の務めではないのですか!」
その言葉に貴族達は黙り込む。マザリーニもマリアンヌもアンリエッタの発した言葉が胸に響いていた。
アンリエッタはつい先ほど、無二の親友の行動を蔑んだ貴族の一人を睨みつけた。
王女の射抜くような視線に、彼はびくりと竦み上がる。
「あなたは言いましたね? 魔法学院の生徒達のことなどどうでも良いことだと。彼らは本来、騎士はおろか軍人でさえありません。ですがそのような者達でさえ国を、民を守るために戦ってくれているのですよ? その行動が、どうでも良いというのですか?」
「い、いえ……姫様……」
冷め切った視線と声でアンリエッタはそのまま言葉を続ける。それはかつて、ルイズの使い魔を務めている異国の貴族が自分に対して向けたものと同じであった。
「あなた達は怖いのでしょう? 敗戦後に責任を取らされることが。反撃の計画者になりたくない、このまま恭順して命を永らえたい。だから民のことなどどうでも良い。そう言うのですね? ……わたしは決して屈しません! 戦わずして、民を守れずに敵に降伏するなど、貴族の誇りを捨てるようなもの。死も同然です!」
決意に満ちた表情で、アンリエッタはかぶっていたヴェールを払い捨てた。
「そんなに怖いのであれば、いつまでもそこで論議を続けていなさい!」
「姫殿下!」
二人に一礼したアンリエッタはそのまま会議室を飛び出していく。貴族達は慌ててアンリエッタを押し留めようとする。
「お待ちを」
そこにかかる、宰相マザリーニの一声。
貴族達もアンリエッタも、その声に振り返っていた。
「姫様だけを行かせたとあっては末代までの恥。私もお供をしましょうぞ」
アンリエッタに歩み寄ったマザリーニはその前で跪く。
全ては姫の言う通りであった。既に彼が望んでいた外交的解決の努力は水の泡となっている。これ以上、論議を重ねるだけ無駄なこと。
今、やるべきことはただ一つ。それはあまりにも単純であり簡単な行動であることを失念していた。
マザリーニの言葉に、アンリエッタは強く頷く。そして、上座に控えたままの母へ笑顔と共に視線を向けた。
マリアンヌは愛する娘の姿に微笑みながら頷きを返していた。
◆
闇の眷属たる悪魔達の住まう魔界は実に様々な環境で構成された領域が存在する混沌の世界だ。
永久凍土に覆われ、その身を骨の芯まで痛めつけるほどの寒さで支配された極寒の領域。
逆に全てを焼き尽くす灼熱の業火と溶岩が広がる、魔界で最も過酷と言われる炎獄の領域。
魔界の住人でさえ参ってしまう瘴気が広がるだけでなく、彼らを飲み込み、森の一部としてしまう生きた深淵の密林が広がる領域。
どこへ行こうとも、魔界へと迷い込んだ者に待っているのはその過酷な環境に耐えられずに死に絶えるか、領域に住まう血に飢えた悪魔達の餌食となるかのどちらかだ。
昼も夜の区別もなく、時間の感覚さえ失いかねない混沌とした地獄の中を生き抜く方法はただ一つ。――己の力によって襲い来る敵を打ち倒すのみ。
スパーダはそれらの過酷な領域を含め、無限に存在する数多の混沌の世界たる故郷を、デルフリンガーと共に渡り歩いていた。
その間、彼らには『休息』『平穏』などといった二文字は決して許されない。
故に久方ぶりの故郷を懐かしみ、見物している余裕もスパーダには無かった。
「相棒っ! またあのエセ天使だぞっ!」
左手に装着されている篭手のデルフが焦ったように声を上げる。
だが、スパーダはデルフからの警告にも悠然と歩を進める足を止めはしない。
神々しい白光で満ち溢れた世界。そこには踏みしめるべき大地と呼べるようなものは存在しなかった。
広大な空間の中には、現世で見られるありとあらゆるものがそこかしこに浮かび無秩序に、上下の別もなく漂っている。
無数の岩塊、大理石の石柱や階段、城壁といった瓦礫などはもちろんのこと、中には巨大な彫像や白亜の城塞、塔さえも形を残しつつ存在していた。
それらの物体はこの光で溢れた空間そのものに照らされながら静かに留まっている。
天界と呼んでも差し支えない壮麗で神秘的な光景ではあるものの、頭上を見上げればそこに広がるのは全く別の光景がある。
禍々しい漆黒の暗雲が渦巻き、その中には巨大な朱色の瞳孔のような影が太陽や月のように、しかし不気味にぼんやりと浮かび上がっている異様なものだった。
そして、この光の領域に住まう魔の眷属達は……。
――ハアアアッ!
荘厳な、威勢のある掛け声と共に光が、空間を漂う瓦礫の上を歩くスパーダ目掛けて右方から突っ込んできた。
眩しいほどの光に包まれたそいつは、手にする長大な青光の槍を突き出す。
スパーダは冷然とその槍を篭手のデルフで掴み取ると、そのまま相手ごと無造作に背後へと持ち上げて叩きつけた。
ガシャンッ、と甲高く割れる音が響くがスパーダは振り返りもせずに無数の幻影剣を発生させると背後に向けて一斉に射出する。
――グオアアアッ!
重々しく威厳のある悪魔の断末魔が響き、気配が一つ消えたことを感じ取る。スパーダの横を背後から羽毛状の光が流れてきて、すぐに溶けるように消えていく。
悪魔の気配そのものは全て消えてはおらず、まだ何体もの悪魔達がスパーダの周りにいるのを感じ取っていた。
(しつこい奴らだ)
この領域へ足を踏み入れてから何度も相手にしている悪魔達ばかりであったが、正直いって鬱陶しいこの上ない。
スパーダの正面上方から突如、三つの眩い光が透けるようにして姿を現した。
宙を漂う光の中にいるのはその体を純白の大きな翼に包み込んだ品格と威風に満ちた灰色の男女。翼と一体化している手の片方には青白く光る長大な槍を手にしている。
肩からも翼を生やし、さらには下半身さえも翼で覆われているそれは天使と見まごうごとき美しく神々しい姿であり、とても悪魔とは思えぬものであった。
だが、この姿も所詮は現世の者達を惑わせるための見せ掛けに過ぎない。
堕天使とも呼ばれる、天使の面をかぶったこいつらはフォールンと呼ばれている中級悪魔だ。
いい加減に見飽きているフォールン達にスパーダは思わず溜め息をつきたくなりつつも、背中のリベリオンを手にして無造作に垂らしながら瓦礫の道を進んでいく。
「ったく、あのエセ天使ども……。しつこいったらありゃしねえな」
デルフも何度となく現れたフォールン達の姿に辟易している様子だ。
6000年前も始祖ブリミルはこんな奴らを相手にしていて、当時のガンダールヴと共に手を焼いていた気がする。
確か、あの時ブリミルは……。
――セイッ!
女顔のフォールンが手にする槍をスパーダ目掛けて投擲し、それをスパーダは素早く後に身を引いてかわす。
さらに後へとステップを踏んで下がった途端、瓦礫の地面に突き刺さった槍が雷鳴のような轟音と共に大きく爆ぜた。
まるで天の怒りが降り注いだかのような場面を連想する爆発の余波が、スパーダのオールバックの髪へと流れていく。
――ハアッ!
右側面へ流れるように回り込んでいた男顔のフォールンの一体が槍を力強く振り上げる。
さらにもう一体のフォールンは地面の下からすり抜けて槍を突き上げてきた。
半分実体を持たないフォールンにとって今の状態では地形など全く意味を持たない存在なのである。
だからこそこいつらはこのような奇襲戦法を得意とし、そして地形を壁にすることで相手の攻撃を通さないようにするのだ。
スパーダはまずリベリオンを片手で振るい、右側のフォールンの槍を弾き返す。そして、地面から仕掛けてきたフォールンの槍をデルフを盾にして受け止めた。
「おっとぉ! 通しゃあしねえぜ!!」
フォールンの奇襲を防いだデルフが吠える。
リベリオンの反撃で怯んだフォールンに向かって飛び掛ったスパーダはリベリオンを振るってフォールンの体を覆っている翼に斬りつけていく。
さらに背後に出現した八本の幻影剣がスパーダの攻撃に合わせて様々な角度で振り回され、怒涛の連撃が繰り出されていった。
フォールンを包んでいる翼は中々に強固な結界としての役目を果たしており、このままでは本体に傷を付けることは叶わない。
だが、その翼そのものがスパーダの攻撃で傷付けられ、ヒビが入っていく。
――フンッ!
――ハアッ!
だが、当然他の二体のフォールンもスパーダに攻撃を続けてくる。頭上で槍を振り回す、槍を突き出すという方法で突進してきた。
スパーダは空間転移でその攻撃をかわし、背後から槍を突き出してきたフォールンの頭上に現れる。
フォールンの頭を踏みつけ跳躍し、身を翻すとそのまま瓦礫へと戻っていった。
瓦礫の上へと着地するとリベリオンを背に戻し、ルーチェとオンブラを手にしてフォールン達へと銃口を向ける。
既に発現させていた幻影剣を全てフォールン達に射出し、さらに新たな幻影剣を発現させては射出させていく。
そして、左手のオンブラの引き金を何度も引き絞っては銃弾を放ち、幻影剣と共にフォールン達の翼に傷をつけていった。
銃弾と飛剣の雨にフォールン達も焦っているようだ。既に一体は体を覆っていた左腕の翼が砕け散り、その隠されていた体が露となる。
その下にあったのは――醜い顔。
比喩でも何でもなく、大きく口の裂けた顔そのものがフォールンの胸から腹にかけて存在しているのだ。それはあまりにも不気味で奇異でしかない。
これが堕天使フォールンの本性。奴らはこの醜悪な顔こそが本体であり、人間の頭のようなものはいわば角や触覚に過ぎない。
スパーダはその醜く怪異な顔面に容赦なく、魔力を蓄積させていたルーチェから放ったより強力な魔力の弾丸を叩き込む。
――グアアアッ!
強烈な銃声は広大な空間に反響し、フォールンの断末魔もまた大きく木霊する。
眩い光に包まれ、無数の羽毛状の光を魔力の残滓として残しながら、堕天使は昇天していった。
「おいおい、逃げちまうぜ。とっとと仕留めた方が良いんじゃねえか?」
「当然だ」
銃弾と幻影剣で同じように翼を砕かれていた二体のフォールンが醜い腹部の顔を晒しながらスパーダの立つ瓦礫より遠ざかっていく。
あれでフォールンは意外に臆病な存在であり、本体である己の醜悪な顔を傷付けられることを何より嫌う。
あの状態では地形をすり抜けることもできない。だからああして空間を漂う瓦礫などに身を隠そうと必死なのだ。
もっとも、悪魔としての再生力で時間が経てば翼も復活する。その前に仕留めるのである。
……魔を切り裂き、喰らい尽くす閻魔刀を用いればフォールンの結界など無視して本体を仕留めることもできたのだが。
事実、ここに来てから今まではそのようにして手っ取り早くフォールン達を仕留めていた。だが、そればかりではつまらないからこうしてリベリオンも使うことにしたのだ。
大きな瓦礫の影にフォールン達が逃げ込んでいくのを見届けていたスパーダはルーチェ、オンブラを収め僅かに腰を落とすと、背中から引き抜き斜に構えたリベリオンをさらに後へ引き絞るようにして構えた。
ルーチェ、オンブラに注がれるものよりもさらに強大な魔力がリベリオンの刀身に纏わりつき、赤いオーラを帯びていく。
オーラの色は時と共にさらに濃くなり、魔力の唸りの中にバチバチと魔力が弾ける音が混ざっていた。
いつだったか、ラ・ロシェールの町でロングビルのゴーレムを粉砕した時とほぼ同じ膨大な魔力がリベリオンに注がれている。
あの時はロングビルを配慮して三度に分けて放ったが、今度はその必要はない。
「Break Down!(砕けろ!)」
渾身の力を持って一気に振り上げたリベリオンから魔力が溢れ出し、鋭い剣風と絡み合って巨大な衝撃波を形成する。
ロングビルのゴーレムに放ったものよりさらに巨大な衝撃波がフォールンの隠れる瓦礫へと襲い掛かる。
スパーダの魔力が乗せられた衝撃波に触れた途端、瓦礫は砕け散ることもなく塵と化す。無論、それに飲み込まれたフォールンは断末魔を上げる暇もなく文字通り消滅した。
「しかし、本当にキリがねえな。相棒の忘れ物ってのは、一体どこにあるっていうんだい?」
「心配はいらん。もうすぐだ」
リベリオンを背に戻しながら疲れたように言葉を吐くデルフに答えるスパーダは改めて瓦礫の道を進んでいく。
丸一日、魔界中を突き進み、悪魔達を狩り、ようやくここまで辿り着いたのだ。
スパーダの真の力が封じられている領域はもはや目と鼻の先と言っても良い。
(我が主達と鉢合わせなかったのは幸運だな……)
魔界にはスパーダがかつて仕えていた魔帝ムンドゥスの勢力が残っているはずだった。故にその勢力に属する悪魔達と出会ってしまっても不思議ではなかったのだが、
これまでにスパーダが相見えていた悪魔達はどの勢力にも属さない純粋な魔界の住人達だけであった。
……ましてや、間違って魔帝ムンドゥスと遭遇でもしてしまえば今の自分ではとてもではないが勝ち目がない。
(余計に不気味だな……)
スパーダがこうして魔界へ舞い戻ってきた以上、魔帝ムンドゥスやその勢力が自分の存在を察知している可能性が高い。
それならば逆賊である自分に兵が差し向けられてもおかしくないのだが、何故かその兆候さえ感じられないのが不自然だった。
考えていても仕方あるまい。今は先を急ぎ、己の真の力を手にするのが先決だ。
ハルケギニアで日食が起こるまで時間がない。魔帝ムンドゥス以外の勢力が直接侵攻すれば、ハルケギニアの民達だけではそれを迎え撃つことはできない。
故にスパーダが彼らに力を貸してやらねばならないのだ。
空間を漂う瓦礫の上を歩き、時には飛び移り、先へ先へと魔界の深淵に向かっていたその時。
「む?」
瓦礫の上に飛び乗ったスパーダの視界が突如としてぼやけ始めた。
両目を交互に何度か開閉を続けていると、どうやら左目に映る視界が右目とは全く異なるものになっているようだ。別にモノクルに映像が映っているわけではない。
「どうしたんだい、相棒?」
デルフに呼びかけられつつ足を止めたスパーダは左目に朧げながら映りだした光景に意識を集中する。
すると、頭の中で何やらこの空間とは別の音声がざわめき出していた。
◆
「もう、気持ち悪いったらありゃしないわ!」
頭の中にルイズの癇癪が響く。だが、その視界に彼女の姿は映らない。
シルフィードの上にいるのだろうか。蒼穹の大空が広がる光景がそこには映っている。
そして、その光景の中を飛び交う無数の影。
おぞましい奇声を上げながら突っ込んでくる醜悪なハエに酷似したそれは紛れもなく、下級悪魔のベルゼバブであった。
「ウインド・ブレイク」
ベルゼバブ達が前に座っているタバサの放った突風で吹き飛ばされ、バランスを崩して宙を舞った。
「バーストッ!」
そこに杖を握ったルイズの手が視界に入り、ベルゼバブ達のいる空間がピンポイントで小さく爆ぜた。
粉々に砕け散ったベルゼバブは肉片と体液を撒き散らして地上へと落下していく。
(きゅいっ! 気持ち悪いのね!)
シルフィードが四散したベルゼバブの破片を慌ててかわすと、今度はベルゼバブとは別の金切り声のような奇声と共に赤い影が斜め上方から突っ込んできた。
「ファイヤー・ボール!」
視界には映らないが隣に座っているらしいキュルケが放った火球が赤い影達に殺到する。
だが、赤い影は素早く散開することでかわし、多方向から奇声を上げながら一斉に突進してきた。
液状の体で構成され、巨大なコウモリの翼で飛翔する悪魔達。
細長い腕と尾はあるが足は持たない、長いクチバシで獲物を啄ばもうとするそいつらはブラッドゴイルと呼ばれる下級悪魔だ。
本来はただの石像に過ぎなかったものが、魔力を持つ穢れた血を浴びて溶け合うことで命が宿り、血液状の肉体を持つ悪魔が誕生するのである。
「バーストっ!」
ルイズが杖を振り上げたらしく、その途端にシルフィードの周りを花火のような爆風が小刻みに幾度となく発生していた。
その中に突っ込んできたブラッドゴイルは次々と悲鳴を上げながら元の石像の姿へと戻って硬直し、ボトボトと地上へ墜落していく。
まるで巨大な網を用意して、その中にかかっていく虫か鳥のようだ。
ブラッドゴイルは熱などの急激な温度変化に弱く、先ほどのキュルケが放った炎を浴びればそれだけで液状の肉体が固まってしまうのだ。
それ以外の物理的な衝撃を与えると肉体が分裂し増殖してしまうのだが、彼女達はそれが分かっているのかブラッドゴイルが現れると必ずキュルケとルイズが迎え撃っていた。
(やるな)
関心するスパーダであったが、あまり楽観してもいられない。
視界に映る光景であるが、これはどうやらタルブの草原の上空のようだ。
その空にはアルビオンの旗を掲げている巨大な軍艦が十数隻に渡って停泊しており、飛び上がる竜騎士が悪魔達と共に次々とルイズらに襲い掛かり、タルブの村へも火をかけていく。
村人達であるが、森の方へ逃げていく姿がまばらに窺うことができた。その村人達を庇うようにしてルイズ達は戦っているらしい。
さらに軍艦の甲板から吊るされているロープを使って次々と兵達が草原に降り立ち、近隣の領主のものらしい100にも満たない軍勢が向かっていくのが見える。
(もう仕掛けてきたのか……)
レコン・キスタがトリステインへの侵攻を始めた場面であることは明白だ。
裏で糸を引く悪魔の勢力と同調して、日食の日に攻めて来ると踏んでいたのだが自分の予想は外れたのか?
だが、これはあくまでレコン・キスタ単体による侵攻に過ぎないらしい。悪魔達はブラッドゴイルとベルゼバブの姿しか見えない。
……しかし、何故こんな場面が見えるというのだ?
未だ左目にはハルケギニアでの戦闘が映り意識もそちらに集中する中、スパーダの手は腰の閻魔刀へと伸びていた。
瞬時に抜刀すると一陣の鋭い剣閃が飛び、目の前に現れたフォールンの翼の結界もろとも肉体を斜に断ち切った。
「おい、相棒。どうしたっていうんだい?」
意識をこの場に戻し、体は自然に閻魔刀を納刀する中デルフが話しかけていた。
「ルイズ達の光景が見えるな。何だこれは」
「……ああー、そりゃ使い魔の能力だなぁ。使い魔は主人の目となり耳となる、ってな。そういえばルーンがいつの間にか復活してるっぽいな」
「何?」
背後に気配を感じたので幻影剣を出現させて後方に連続で射出させる中、スパーダは篭手のデルフを外してさらに左手の手袋も外す。
途端に険しい表情となり、そこにあったものを睨みつけた。
忌々しいガンダールヴのルーンがまたしても封印から目覚めており、手の甲で淡い光を放っていたのだ。
だが不思議なのは今までのようにスパーダを服従させようと強制力を働きかけてくるのが、今回に限ってそれを行ってこないのだ。
心なしか、ルーンの気力のようなものもこれまでよりかなり低くなっている気がする。
「ずっと封印されっぱなしだったからなぁ。おまけに封印されていなくても相棒はルーンの力を受けつけるようなタマじゃねえし、自信を無くしたか諦めてるんじゃねえのか?」
ルーンがルーンとしての役目を喪失する。ルーンそのものに明確な意思があるかはよく分からないが、そうだとしたらおかしな話だ。
「ならば何故、あのようなものを私に見せる」
悪魔の気配が無くなったので幻影剣の射出を止め、手袋とデルフを付け直しながら尋ねる。
「さあなぁ。最低限、ルーンとしての役目を果たそうとしてるのかもな。ま、俺もよく分かんねえけどよ」
スパーダを使い魔として服従させられないが、使い魔と主との繋がりだけでも保とうとしている。何と律儀な。
だが、スパーダは決してルーンに服従する気などない。自分に命令を下すことができるのは自分自身、もしくはかつての主のみだからだ。
(しばらくこうしておくか)
このまま封印するのも良いが、ルイズ達ハルケギニアの民の様子を窺うことができるのでせめて現世へと戻るまではルーンの封印は後回しにして良いだろう。
「ボヤボヤしてはいられん。急ぐぞ」
気を取り直し、瓦礫の上を駆け出すスパーダ。
レコン・キスタが攻めてきた以上、早急にハルケギニアに戻らなければルイズ達だけでなく罪のないトリステインの民達も危ない。
あの軍勢ではとてもではないが、トリステイン側の力だけではレコン・キスタの侵攻に打ち勝つことはできないだろう。
ましてや、黒幕である悪魔の勢力が攻めてくれば尚更だ。
自分の代わりに勇敢に戦ってくれている者達に報いるためにも、スパーダは全力で光に満ちた混沌の世界を駆け抜けていた。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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