魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
二つの月が交差する月に一度のスヴェルの日、海上より数千メイル上空を浮遊するアルビオン大陸が最もハルケギニアに接近する。
先日、この大陸より出港した十数隻の艦隊は表向きにはトリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式への賓客として招かれていたはずだった。
ちょうど一ヶ月前、アルビオンの革命軍が王党派に勝利し、新政府樹立と共にトリステイン・ゲルマニア両国に対して不可侵条約を締結したがため、親善訪問を行うのは当然である。
しかし、そんなものは神聖アルビオン共和国――レコン・キスタにとっては更なる侵略のための足がかりに過ぎない。
事実、自作自演の『事故』を口実にしてまずトリステインに宣戦布告を仕掛け、完全に油断し戦争の準備も間々ならない小国を一気に攻め落とそうとしていたのだから。
おまけに神聖アルビオン軍には強大な支援者がいる。革命を起こした時からずっとレコン・キスタを支えてきた異形の兵達――
神聖アルビオン共和国議長にして初代アルビオン皇帝オリバー・クロムウェルが崇拝していた、偉大なる〝羅王〟より貸し与えられていた圧倒的な力。
その力さえ揃えばもはやハルケギニアに敵なしと言わんばかりの怒涛の勢いで、各国へと侵略を仕掛けていたことだろう。
「お……おおお……。こ、こんな……こんなことが……」
アルビオンの首都ロンディニウムの南部に建つハヴィランド宮殿の一室。
かつてはアルビオンの王達が公務をこなし、家臣達と謁見していたのであろうこの執務室で、クロムウェルは驚愕に顔を蒼ざめさせていた。
執務机の前に置かれた大きな鏡に映し出されていた物を目にし、彼はつい数十分前までは狂喜乱舞であった。
その遠見の鏡にはレコン・キスタの新たなる一歩となる戦火が繰り広げられる光景が映されていた。
不可侵条約を信じてまんまと罠に嵌まったトリステイン艦隊を一方的に全滅させ、タルブの地を占領し、撃って出てきたトリステイン軍も一気に叩き潰さんとする場面。
それはもう観ているだけで心が躍り、昂るような充実であったのだ。
そして、彼が崇拝していた〝羅王〟が降臨した時など、もはや狂気とも言うべき興奮状態で見入っていた。
竜など比較にならぬ恐ろしくも勇ましい姿。その修羅の王が率いる幾万もの屈強な兵達。
だが、それから先に映し出された光景がクロムウェルを現実へと引き戻していたのである。
「偉大なる羅王よ……! 何故、何故敗北なされたのです! 私はあなた様のご命令通りに争いの火種を撒いたと言うのに!」
それまでの熱が冷めたかのようにうろたえ、喚きだすクロムウェルは立ち上がり、頭を抱えて机に体を横たえる。
小刻みに体を震わせ、恐怖に怯えるその姿は仮にも神聖アルビオン共和国の支配者とは思えぬ情けない姿であった。
「あなた様は偉大なる始祖をも超えるお方であったはず……! なのに、何故……何故……!!」
(無様な飼い犬……お前など所詮は悪魔に飼われし小物)
支配者の威厳など微塵も感じられない、小動物のように怯える醜態に傍で控える女が冷ややかな視線で見下ろしている。
が、すぐに視線を無様な子犬から目の前の鏡へと移しだす。
クロムウェルの秘書にして執政官を務めているシェフィールドは遠見の鏡に映し出されていた光景に対して深刻そうに顔を険しくしていた。
日食によりもたらされていた闇はすっかり払われ、光で照らされるタルブの地が見下ろせる。
敗北間近だったはずのトリステイン軍からは次々と歓声が上がり、戦勝の真っ只中だ。
「それにあの光は何なのだ……! 羅王様の兵を全て蹴散らしたあの光は……!!」
(戦艦を無力化し、悪魔の軍勢をも全滅させたあの光……)
クロムウェルが隣で喚き続ける中、シェフィールドは静かに熟考する。
遠見の鏡を通してでも伝わってきた強大な魔力を発するあの巨大な光を放ってみせたメイジの少女。
恐らく学生らしい、あんな年端も行かぬ少女があれだけの大群を一掃してしまったのだ。
さすがに頭であった悪魔、羅王こそ倒せはしなかったが、それは並のメイジが成せる技ではない。
(あれはまさしく水のルビー、それに始祖の祈祷書……)
それに少女が指に嵌めていた指輪と抱えていた一冊の書は、少女が古代のルーンを唱えている間、共鳴するように強い神秘的な光を放ち続けていたのだ。
第一、そのルーンを耳にしたシェフィールドは不覚にも心が安らぐような感覚が湧き上がってしまった。
(間違いなく、あの娘は虚無の担い手……我が主と同じ……)
鏡を通してシェフィールドが目にした場面は、彼女に大きな確信を与えていた。
そうして冷徹に深く熟考し、反芻し続けるシェフィールドであったが隣で恐慌状態に陥っていたクロムウェルが彼女に泣きついてきた。
「おお……ミス・シェフィールド……! 私は、私はどうすれば良いのだ……!
艦隊が無くなれば、絶対なる力を持つ羅王がいなくなれば、トリステイン・ゲルマニア連合軍は報復と称してこの国を攻めてくる!
私の首をアルビオンの無能な王達と同じように吊るそうと攻めてくる……!」
(甘えるな。下衆め)
自分から仕掛けておいて何を言っているのだ。悪魔に扇動されたとはいえ、今更になって戦を仕掛けるのが怖くなったなどと。
結局は飼い主がいなくなれば――飼い主の後ろ盾が無ければ何もできない家畜同然なのだ。この男は。
こんな男を擁護する点などこれっぽちもありはしないが……。
「気を静めなさい、閣下。閣下にはまだ、偉大なる羅王より与えられたものが残っているわ」
心中、この男を唾棄していたシェフィールドは毅然とした、それでいて柔らかな物腰で宥めかける。
「羅王より与えられた力、知識、兵、そして――」
シェフィールドの視線がクロムウェルの嵌めている指輪へと注がれる。
恐る恐るその視線を追うように、クロムウェルも己が身に着けているアンドバリの指輪を見つめていた。
「たとえ羅王がおられずとも、閣下がアルビオンの新たなる指導者であることに揺るぎはない」
それでもクロムウェルは不安な表情のまま、アンドバリの指輪とシェフィールドの顔を見比べる。
仕方が無いので、シェフィールドはこの新たな飼い犬に釘を刺してやることにした。
「それに、ここまで来たのであればもはや引き返すことなどできない。ここで臆すれば、それまであなたを仰いできた者達にさえ見捨てられるでしょう。そうなればもはや救いなどない。……ならばあなたはどんな手段を使ってでもこの神聖アルビオン、レコン・キスタの指導者として前に進み続けるしかない」
「う……ううう……」
たとえその先に待っている結末が破滅であろうと、もう後戻りなどできない。
指導者としての威厳も消え失せ、ただただ恐怖に怯えるだけの三十男は涙目のまま椅子の上から崩れ落ち床に蹲りだした。
「及ばずながら、私も力を貸しましょう。ならば閣下も王らしく振舞いなさい」
シェフィールドはガタガタと怯える子犬をあやすような口調でそう告げると、恐怖に支配され震え上がる男を残し、執務室を後にした。
(アンドバリの指輪は……まだあの男に持たせておくとしましょう)
だがこのアルビオンでの任務を終える時にでも回収させてもらうことにする。それまではせいぜい、その指輪を手に傀儡の王を演じ続けるが良い。
腕を組み顎を摩りながらシェフィールドはハヴィランド宮殿内の廊下を険しい顔をしながら歩いていた。
彼女が気にかけているのは、あの鏡に映し出されていたもう一つのもの――
(あの悪魔を屠ってみせた剣士……)
クロムウェルが崇拝していた強大な悪魔の前に突如現れたのは、一人の剣士だったのだ。
貴族のような身なりをしていたその男は何とも不思議な存在だった。
杖ではなく三振りの剣を振るっただけでなく、さらには見たことのない造形の拳銃まで巧みに操っていた。
それにその行動や所作は決して普通の人間ではあり得ないものばかりだった。……奴は本当に人間なのかと初めは思ったくらいだ。
剣士と悪魔の戦いを見届けたその果てに、シェフィールドの疑念は確信へと変わった。
(奴も悪魔……)
何よりシェフィールドが驚愕したのは、その貴族の剣士もまた異形の悪魔であったことだ。
鏡を通していたとはいえ、あの悪魔の威圧感は半端なものではなかった。
そしてその力もあの強大な悪魔をも退けた以上は相当な高位の存在に違いない。
(悪魔が同じ悪魔を打ち倒す……これは一体どういうこと?)
だがその悪魔の行動はあまりにも不可解なものであった。
同族であるはずの悪魔を退けるその行為……仲間割れともかなり違うようにも見えた。
あの悪魔の真意と目的がよく分からない。
(あの悪魔の調査が必要……ならばこの国にはもうしばしの間、役立ってもらわねば……)
新たなる謀略のために、シェフィールドは己の頭脳を働かせて次なる策を思案していた。
◆
その混沌の領域は神々しい光で満ち溢れていた。
魔界の最深部に位置するそこは外から差し込む光で照らされる大神殿であり、何者も侵し難い威厳と荘厳さが場を支配している。
天井までは実に50メイルにも達するほどの高さで、神殿の両隅には巨大な柱が立ち並び、一面に広がる大理石の床は鏡のように磨き上げられていた。
しかし、この神々しい空間を漂う禍々しい空気は紛れもなく魔界そのものである。
広大な階段を昇った先の踊り場の奥――そこに王のごとき堂々と深く腰を下ろしているのは、20メイル以上にもなる威厳に満ちた聖人を象った大理石の像だった。
その石像の前には四人の人影が見え、内三人は中天の虚空をじっと見上げていた。
つい先ほどまでそこには聖人の額から発せられた光によって映像が映し出されていたが、今消え失せたばかりだ。
「さすがは、魔剣士スパーダといった所か。羅王をたった一人で退けるとは」
感嘆の呻きを漏らすのは、大柄で強靭な体格に四人の中では群を抜く猛々しい気迫を放つ中年の男。
口元と顎に髭を蓄えた強面の彼は何故か嬉しそうに、その歴戦の猛者に相応しい荒々しい顔を綻ばせた。
「偉大なる我らが主の右腕であった男……なるほど、確かに想像を遥かに超えている……」
漆黒のコートに身を包む不吉な姿をした壮年の男は凛と落ち着きのある声で唸った。
「いや、彼奴はあれでもその身に秘めし力を完全に解放してはいないだろう」
背中から翼人のような二対の翼を生やし口元をマスクで覆った、黒ずくめと似たような印象を持つ男はその鋭利な目付きをさらに細める。
全員身なりこそ貴族のように壮麗であったものの、彼らから発せられる威圧感が高貴さを殺してしまっている。
「何と! それはまことか?」
翼人の男の言葉に黒ずくめは意外そうに声を上げた。
「うむ。技の切れに関しては彼奴が反旗を翻した頃よりさらに上がっていると見て良いな。あのままでもかつての頃とほとんど大差はない」
「ハッハッハ! ではいずれ矛を交える時が来れば奴の力を存分に楽しめそうだ! ワシの相手に不足はない!」
深刻そうに顔を歪める翼人に対し、強面は豪快に笑い声を上げる。
「しかし、羅王も呆気の無いものだ。仮にも我らが主と同等の力を持つというのに」
「口を慎め。魔帝の御前ぞ」
翼人が強面を諌め、ちらりと背後を肩越しに振り返る。
深く座する巨像は沈黙を守ったままだった。
「ともあれ羅王が異世界への直接侵攻を仕掛けてくれたおかげで、魔界と異世界との隔たりにも大きな亀裂が生じた」
「これで我らも自由に異世界を出入りすることも可能となったわけだな。魔帝の御手を煩わせることも、異世界の自然現象などを待つこともなく」
「そういうことだ。さすがに全ての兵を一気に送り込むにはまだ早いが、三十年前と同じくワシらが異世界で暗躍するには充分というわけだ」
「そして最終的には……偉大なる我らが主、魔帝ムンドゥス様自ら……」
三人の魔の者達は自分達の目の前で鎮座し沈黙する巨像を見上げた。
三人と、絶えず沈黙を守り続け佇んでいたもう一人の男は厳かに巨像の前に跪く。
『邪魔な羅王の始末を古き我が右腕が為すとは実に大義なことだ。……皮肉ではあるがな』
巨像から発せられる威厳と威圧に満ちた声が神殿に響き渡る。
「しかし、ならば尚更のこと懸念でございます。魔剣士スパーダに力をお与えになっても宜しかったのでございますか? 彼奴が恥知らずにもこの魔界に舞い戻った時、我らが全兵力を持って裏切り者を粛清することもできたはず……」
翼人は袂を分かった主のかつての右腕たる魔剣士が魔界に戻ってきたのを感知した時、すぐに兵を出すべきだと他の二人と同じ意見を出したが、主からの言葉はこうだった。
――捨て置け。
『構わぬ。奴は図らずも愚かなる羅王を討ち破ったのだ。我らと羅王の勢力が再びぶつかり合い、羅王を退ける手間が省けたというもの。その褒美として今は奴にくれてやる』
〝今〟は……それはつまり、いずれその力を制するということに他ならない。
『奴の始末は、いずれ我が新たなる右腕に任せるとしよう』
三人の腹心達はちらりと、沈黙を保ち続ける四人目の腹心――主の新たなる右腕を見やった。
濃い紫のコートを纏い、一本の剣を携えるその男は死人のように青白い表情を氷のように冷たく固めたままだった。
魔帝が自らの力を持って無より生み出し、かつての右腕に似せて創り出した黒き魔剣士。
確かに、その力は魔帝が新たな右腕とする以上、かつての古き右腕と寸分違わない働きを見せてくれることだろう。
腹心達としては、かつては同胞だった者と瓜二つの姿を持つその悪魔がどこか複雑に思えていた。
「しかし、もう一つ気掛かりとなるのは羅王の手勢を消滅させたあの光でございますが……」
翼人の懸念に黒ずくめと強面も顔を顰める。
『所詮は人間風情の子供騙し――1発かぎりの砲台に過ぎぬ。我が力には遠く及ばぬ』
主の絶対的な自信に満ちた言葉に対して腹心達は納得したように頷く。
現にあの光は下級の兵達は滅ぼせても、羅王を滅ぼすことはできなかった。絶大なる全知全能の力を持つ魔帝にはかすり傷にすらならないことだろう。
故にたかが脆弱な人間など捨て置いても構わない。そう言っているのだ。
「砂漠に住まう人間共についてですが……あ奴らめは如何いたしましょう? 幾千年も開き続ける異世界とこの魔界とを繋ぐ穴を封じているようですが……」
『所詮は自らを選ばれし者と驕り、砂漠という名の檻に閉じ篭る、血に飢えた野獣だ。刺激を与え続ければそのうち、自ら動いてくれる。ちょうど良い手駒もいる』
砂漠の民は実に愚かで矮小な存在だ。それは腹心達も理解している。
西の地に住まう人間達よりも優れた技術を持つが、その力は自分達悪魔にとっては子供騙しも良い所。
そして、自ら手を下すことも出来ない腰抜けばかりが揃った愚民。いざ魔の眷属との戦いになれば、成す術もなく勝負は着くだろう。
『これより貴様達は異世界で暗躍しつつ、引き続き覇王共の動向を窺え。愚鈍な羅王などより奴の方が脅威だ』
「「「御意」」」
腹心達は主からの新たなる主命に頭を垂らした。
魔界の三大勢力の一角の長たる覇王は謀略に長けた悪魔。羅王のように愚鈍に攻めようとすれば呆気なく策に嵌められてしまうことだろう。
◆
不吉に輝くオーロラが異様な禍々しい色をした不気味な空一面に浮かび上がり、虚空を歪ませている。
充満する魔界の瘴気は他の領域とは比べ物にならないほどに毒々しく、人間ならば即その身を蝕まれてしまいそうなものだった。
荒れ果て穢れきった大地が果てしなく広がり、続いていく荒野の一角に煌めく一点の光。
それは燃え盛る炎のような輝きを放ち、人の形を成して宙に浮かんでいた。
『……愚かな』
炎のように揺らめく人影を男とも女とも区別のつかない神々しい中性的な声を響かせる。
細身の女性の肉体を有し、端正な顔立ちをした輪郭をシルエットとして浮かび上がらせるその頭には二本の湾曲した角を生やしている。
『何とも愚かしい奴よ。羅王め……魔王のかつての右腕に仕留められるとは……。遊んでいないでさっさと本気を出して仕留めれば良かったものを……』
虚空が歪み、そこにこれまで映し出されてきたあらゆる場面を目にし、嘲笑している。
『貴様達も実に愚かしいとは思わぬか?』
背後を振り返れば、そこにはこの領域の支配者たる覇王が従えし腹心の悪魔達が控えている。
「所詮は正面からの力押ししかできぬ愚蒙なる王」
「左様。如何に幾万もの兵を従え、それを統べし力を備えようと愚直に攻めることしか知らぬ」
「故に、如奴が敗北するのはすべてが必然」
唯一、覇王と同じく宙に浮かぶのは巨大な顔面そのものだった。
聞き取り辛いしわがれた声で三つの異なる声を響かせる。
「魔剣士スパーダ……よもや異世界に降臨していようとは……」
傍らに二匹の白い狼を侍らせるのは全身を屈強な骸骨の骸とし、漆黒のオーラを湧き上がらせる騎士。
虚空に映し出された映像を目にし、巨大な刃を有する槍を握り締めている。
『しかし、惜しいものよ……あのまま魔剣士スパーダが羅王を滅してくれていれば、すぐにでも彼奴の残った魂の破片を我が力の糧としていたものを……』
「ならば今すぐにでも我らが辺境に赴き、羅王を仕留めて参りましょう」
「うむ。如何に羅王と言えど、手負いであれば我らだけでも充分。偉大なる覇王の糧となれば、この魔界を統べる力となりましょうぞ」
覇王のため息に対して名乗りを上げたのは二体の屈強な悪魔。
猛々しい獅子の顔と鬣を有する巨大な猿獣――燃え滾る炎に全身を包み、巨大な鉄槌を手にする牛魔。
『まあ良い。……そう慌てることもない。奴などその気になればいつでも葬れる。貴様達が死に損ない一匹を始末するには役不足というものだ。どの道、奴は何も出来はせぬ。放っておけば良い。……異世界と魔界との境界を薄めてくれたせめてもの感謝としてな』
冷酷な笑みを深めていくシルエットを顔に浮かべる覇王の言葉に、腹心達は納得したように唸っている。
「ところで覇王様……魔剣士までもが異世界にいるとなれば、我らも安易には動けませぬぞ。如何なさるおつもりで?」
蛸のように無数の太く巨大な触手を下半身に生やし、その上半身を無数の襟を有する蛇と女性の肉体が融合したような醜悪な悪魔は澄んだ女性そのものの声で問う。
『案ずることはない。魔剣士スパーダ……奴の敵は何も我らだけではないのだ』
「魔王のかつての右腕……魔剣士スパーダ――」
「我らにとっては永遠の仇敵であり――」
「この魔界の逆賊なり――」
覇王の返答に続き、三面を持つ闇の賢者達が言葉を引き継ぐ。
『我らが奴を葬るのも良し。果ては、魔王に裏切りの罰を与えられるのも良し。……我らの優位に変わりはない。むしろ魔王の腹心共も屠ってくれれば、一石二鳥となるのだがな』
覇王の腹心達は主のその言葉の意味を察する。
魔王と同等の絶大なる力を持つ覇を統べし魔界の王。
力ある悪魔の強き魂を我が物とし、無限に力を高めていく絶対なる覇者。
『貴様達は引き続き、魔王の手勢達の動きを探るが良い。余裕があれば討ち取っても構わん。……ただし、魂だけは我が前に献上せよ』
「御意に」
骸の騎士が代表として首肯し、他の者達も覇王に平伏する。
満足気に腹心達を見回した覇王は、再び虚空に映し出した光景を見やった。
羅王の侵略が食い止められ、光を取り戻した異世界の空を飛び交う一頭の竜。その背に乗せられた者達。
覇王が最も興味深そうに見つめていたのは、その竜の主である青髪の少女。
『……人形だ。まさしく人形だ……』
冷笑を浮かべる覇王の背から、二対の翼が伸び始める。
『だがその凍りついた顔が絶望に歪む時、貴様はどのようにのたうち回ってくれるのだ?』
愛おしそうに虚空の映像に手を触れ、残酷な笑みのシルエットを顔に浮かべていた。
その背に広がる翼は輪を作り、まるで太陽の絵画を髣髴とさせる神々しさに満ちている。
『貴様の極限なる絶望……是非とも我が力の糧にしてやりたいものだ……雪風よ……』
◆
日食によってそれまで満ちていた魔力は、その終結と共に魔界を繋ぐ出入り口が消滅することで完全に消え失せた。
ハルケギニアと魔界――二つの世界を隔てる境界線が正常に戻ることで、混沌は終息したのである。
タルブの空域を漂っていた多くの瓦礫や残骸などの浮遊物も、魔界から流れ込んできていた膨大な魔力が消失したことによってそれまで解放されていた風石の力も共に急激に衰えていき、ゆっくりと静かに地上へ向かって落下していく。
数時間前までトリステイン軍を苦しめ、タルブの空を蹂躙していたはずのアルビオン艦隊の無残な亡骸のほとんどはスパーダとアビゲイルの戦いで破壊され、代わりに魔界から流れこんできた無数の岩が落ちてくる。
唯一、原形を残していた旗艦レキシントン号もがくりと艦首を落として墜落していく。
大きさだけは他の浮遊物より遥かに巨大であったが故その質量も相当なものであり、地響きを立てて大地へと滑り落ちていった。
他の浮遊物も後に続いて次から次へとタルブの地に降り注いでいく。
生き残っていた戦艦の搭乗員達は抵抗の意思を失い、次々と降伏していくようだ。
「本当に……本当に、これで終わったのよね」
「うむ。ひとまずはな」
シルフィードの上で腰を下ろすスパーダにルイズはぐったりと寄りかかっていた。
二日ぶりに直接再会したパートナーに癇癪をぶつけると同時に安堵と嬉しさが一気に湧き上がることでそれまで麻痺していた疲労感が突然ぶり返してきたのである。
だがルイズにとっては本当に心地良い疲れだった。
この父親みたいな背中をしている男に寄り添っているだけで、その疲れも徐々に収まっていきそうだ。
「……ハルケギニアの民達よ。よく生き残ってくれた」
スパーダは三人の少女達の顔を見回し、相変わらずの冷徹な表情でありながら労いをかけていた。
「もう、あんな悪夢みたいな戦いなんてこりごりってものだわ……」
キュルケも憔悴しきったようにため息をついて答えていた。
いつもは感情を表にほとんど出さないタバサも珍しく疲れを感じさせるような表情をしている。
「スパーダが帰って来てくれなかったら……あたし達、今頃消し炭になってたのよね……。
本当、遅すぎるわよ……。もっとずっと早く帰って来てくれれば、あんな恐ろしい思いなんてしなかったはずなのに――」
ルイズは未だぶつぶつとパートナーの帰還が遅れていたことに対して文句を言っていた。
「でも、ダーリンがちゃんと帰ってきてくれたから、本当に助かったわ。とても格好良かったわよ。あんなに凄いダーリン、初めて見ちゃった」
ルイズもキュルケも、先ほどまで自分達が目にした光景を思い返す。
自分達では全く歯が立たない魔界のトップに君臨していたという強大な悪魔など物ともせずに立ち向かい、挙句の果てには魔界へと追い返してしまったのだ。
あの時に感じたスパーダの迫力は、いつもの彼はもちろんのこと、以前時空神像で目の当たりにした過去の映像の時よりも遥かに上であり、二人を骨の髄まで痺れさせるほどの興奮を与えていた。
まさしく伝説の魔剣士と呼ぶに相応しい壮絶な激闘を直に、スパーダは少女達に見せてくれたのである。
「お前達もアビゲイルの手勢を相手によくやってくれた。感謝する」
本来ならばアビゲイルの率いる幾万もの兵達も同時に相手にしなければならないはずだったのだが、それをルイズが片付けてくれたのだ。
おまけにアビゲイルに多少なりともダメージを与えていたがため、スパーダも完全に一対一に持ち込んで己の力を全てアビゲイルに集中させることができたのである。
ルイズのおかげで、スパーダも効率よくアビゲイルに挑むことができたのだ。彼女の発揮した成果は、スパーダに対する貢献は決してゼロなどではない。
「そういえばルイズ。あなたも、本当にご苦労様」
キュルケから労いをかけられたルイズはぐったりとしたまま怪訝そうな顔をする。
「あんなにすごい魔法を使うだなんて……びっくりしたわよ」
タバサもちらりとルイズの方を振り向く。その視線は彼女が肌身離さず抱えている始祖の祈祷書へと注がれていた。
スパーダの激闘も凄まじいものであったが、あの時ルイズが悪魔の大群を消し去り戦艦をも焼き尽くした光には驚嘆するしかない。
普段使っていた〝バースト〟と名付けている爆発魔法など比べ物にならない。
スクウェアのメイジがどれだけ集まろうが再現できるような魔法ではなかった。
(伝説の魔剣士に、伝説の虚無……何であたしの周りにこう伝説がいきなり現れたりするのかしら……)
ルイズとしては、荒唐無稽を感じるような思いでいっぱいだ。
この十六年間、魔法もろくに使えずに無能の〝ゼロのルイズ〟と呼ばれ嘲笑されていた自分。
その自分がパートナーとして召喚した相手は異世界より訪れた偉大なる悪魔、伝説の魔剣士スパーダ。
魔剣士スパーダと共に過ごし、彼の導きによって拒絶していた己の力を信じるようになり、新たな一歩を踏み出すようになった。
(あたしが虚無の担い手……馬鹿馬鹿しいにも程があるわよ……)
そんな自分が歴史の彼方に失われたはずの伝説の系統を受け継いだ者であるなんて、いきなりそんなことを言われても困惑してしまう。
……もう自分の人生は混沌としたものばかりであった。
きっとこれからも不条理で、滑稽で、理不尽な、非日常的な出来事が起こり続けるのだろう。
その場には自分の大切な、心強いパートナーも一緒に……。
「話はそれまでだ。しばらく休ませてやれ。……タバサ、地獄門までシルフィードを飛ばしてくれ」
キュルケからの話題をスパーダは即座に打ち切らせ、タバサに命じだす。
昼時の陽光を天から受けつつ、シルフィードは颯爽と翼を広げてタルブ草原より南の森に向かって滑空していく。
眼下では全滅したアルビオン軍からの露払いと、悪魔の猛攻によって焼き払われ破壊された、無残なタルブの村を見下ろすことができる。
シルフィードが森にへと向かっていく中、スパーダは顔を顰めたまま見つめている。
「村人達は森に避難させた。大丈夫」
「そうか。ならば良い」
タバサからの言葉にスパーダも安心したようだ。相変わらず表情は毅然としたままであったが。
しかし、あれだけ村を破壊されているとなれば復興は容易ではないだろう。
最低でも全てが元に戻るまで一ヶ月近くはかかるはずだ。
その間、村人達の暮らしも過酷なものとなるに違いない。
「ひいいいぃぃっ!!」
「ば、化け物! 化け物だ!」
「助けて! 助けてくれぇ!!」
地獄門が建つ森の広場の真上までやってきて降下していく中、その悲鳴は四人の耳に届いていた。
「あらら、こんな所まで逃げてきたのね」
キュルケは真下で起きている光景を見下ろして目を丸くした。
『立ち去れ! これより先は禁断の地へと続く冥府の門! 人間ごときが立ち入れる場所ではない!!』
――ヒヒィーーーンッ!!
荒々しい威圧の声と共に力強い馬の嘶きが響く。
広場の中央に陣取ったケルベロスが三つ首の牙を剥いて避難してきたらしい村人達を威嚇している。
その隣で巨体を持ち上げるゲリュオンも同じだ。
村人達は恐怖に慄き、腰を抜かしてしまっている。子供達は恐るべき巨大な悪魔を間近で目にして怯え、中には泣き出す者までいる始末。
「何をやっているのだ。奴らは……」
呆れたようにため息を吐くスパーダは腰を上げると、そのままシルフィードから身を投げ出していた。
一気に20メイルほど降下していくと、己が従える二体の魔獣の前に着地する。
「き、貴族様!?」
村人達は、突如空から舞い降りてきた者の姿を目にして目を見開いた。
一週間ほど前にシエスタが奉仕している魔法学院の教師らしき貴族の男が自分達の前に姿を現したのだ。
「お、お願いでございます! お助けくださいませ……!」
恐ろしい怪物を前にして無力な村人達が頼れるのはその貴族だけであり、次々にスパーダに助けを求めてくる。
「スパーダさん……」
唯一、悪魔達の出現に他の村人達よりは落ち着いていたシエスタがスパーダの近くまで歩み出てくる。
「戦いは終わった。もうここで隠れている必要はない」
肩越しに振り返りながらスパーダはシエスタを見つめてくる。
「すぐにここを離れるといい」
「は、はい……! みんな! 村に早く戻りましょう! 戦争は終わったのよ!」
恭しく主に一礼したシエスタは恐怖に怯え続ける村人達に呼びかけていた。
シエスタの言葉に促されて恐る恐る起き、立ち上がりだした村人達は次々と広場を後にしていく。
「さあ、シエスタ! お前も来るんだ!」
父親に手を引かれシエスタも他の家族達と共に広場を離れていった。
シエスタが名残惜しそうに振り返ると、遠ざかっていくスパーダの背中が見えた。
引き上げていった村人達を見届けたスパーダは二体の魔獣達に歩み寄り、間近から見上げていた。
『ようやく戻ってきたか』
ケルベロスが低く唸り、ゲリュオンも鬣を振るわせながら蹄を足元で打ち鳴らし、荒々しく息を吐いている。
『羅王など相手にもならなかったな。久々の闘争、我も中々に楽しめたぞ』
「そんなことはどうでもいい。ここにはもう用はない。すぐに撤収する」
腕を組むスパーダはそう冷淡に告げると、二体の魔獣達の間を潜って地獄門に向かって進んでいく。
見れば石版の表面に開けられている次元の裂け目にはネヴァンの言っていた通りに結界が施され、悪魔達が必死に突き破ろうと張り付いていた。
……実に見苦しい光景だ。
「あら、お帰りなさい。今結界を消そうと思っていた所なんだけれども」
地獄門の石版の真下の台座にはネヴァンが腰掛けていた。さらにその隣には彼女の姿を写し取ったドッペルゲンガーまでいる。
「その必要はない。どけ」
ネヴァンを制したスパーダは彼女を台座からどかし、その上に浮かぶ光球――アルテミスを回収して自分の中へと戻した。
すると、石版に開けられた次元の裂け目が絵の具で塗りつぶすかのように塞がっていく。
――スパーダ。
――スパーダ。
――スパーダ。
小さくなっていく裂け目には結界が張られたままであり、下級悪魔達は呪詛の呟きを漏らしながら悪あがきを続けていた。
が、地獄門が稼動するための動力が無くなったことで、裂け目は容赦なく閉じていく。
アビゲイルを次元の裂け目の向こう側へと追い返していた時のように。
程なくして地獄門は完全に機能を停止し、石版に開けられていた次元の裂け目は完全に消滅した。
タルブの村人達から〝聖碑〟と呼ばれていたただの巨大な石版へと戻ったのだ。
地獄門の停止を確認したスパーダは用が済んだと言わんばかりに踵を返し、門から離れていく。
その傍らにはドッペルゲンガーを引き連れながらネヴァンが肩に寄り添っていた。
シルフィードは広場にいるケルベロスとゲリュオンを怖がって降りようとしないため、その頭上で羽ばたいていた。
「あら、門を壊すんじゃなかったのかしら?」
キュルケはいつの間にか疲れて眠ってしまっているルイズに寄りかかられながら目を丸くする。
スパーダはこの戦いが終わったら門を破壊すると言っていたのに、それを無視しているのだ。
決してそのことを忘れているわけではないはずだ。あれは魔界へと続く出入り口であり、扉そのもの。
誰かに悪用されることなど望んでいないはずなのだから。
タバサもじっとスパーダの動向を窺っていたが、ふと彼の手に注目した。
ネヴァンが寄り添う右方の手を静かに腰に携える閻魔刀へと伸ばし、その柄を握りだしている。
そして突如、ネヴァンを振り回しつつ後ろを振り返りながら閻魔刀を抜刀した。
空を切る甲高い音が響き、斬り払われた鋭い刃から一陣の剣閃が飛び、地獄門に直撃する。
石版の中心から袈裟がけに一直線の亀裂が走り、直後分断された上辺がゆっくりと前に崩れ落ち、ズズンと地響きを立てながら台座を押し潰す。
スパーダは閻魔刀を手の中で優雅に一転させると静かに鞘へと収める。
それからはもはや振り返りもせずに同胞達の元へと歩んでいった。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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主人公の描写・設定
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悪魔の描写
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脚色したオリジナル描写・設定