魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
賭博場から外に出た先には廊下が続いており、喧騒に満ちていたのとは裏腹な静けさに包まれている。
そこにはいくつもの豪華な造りの扉が並んでおり、給仕に案内されていたスパーダはその一つの前までやってきていた。
「それでは準備ができましたら、またお呼びくださいませ。シャルロットお嬢様……」
中から声が聞こえた直後、その扉が開け放たれると別の給仕が目の前に立ち塞がっていた。
突然現れたスパーダに対して彼は即座に横へ移動すると塞いでいた道を明け渡す。入ってきたスパーダに軽く一礼をして自分も退室していった。
「ハアイ、スパーダ」
スパーダを出迎えたのは、大きなソファで寛いでいたキュルケだった。隣ではタバサが本を読んでおり、シエスタとティファニアの姿もある。
「へえ。あなたもずいぶんと稼いだみたいね。やるじゃないの」
給仕がテーブルに置いていったスパーダのチップを見てキュルケは声を上げた。
見ればタバサが稼いだものらしきチップが両替えをしていないらしく山となって積まれている。
「あの、スパーダさん。これを……」
シエスタとティファニアが取り出したのは自分のチップであり、タバサの大勝に便乗して稼いだものだった。
最小の賭けしかしなかったため、最初にスパーダからもらった二倍の50エキュー分のチップを一枚のチップに両替えしている。
「それはもう二人のものだ。取っておけ」
「でも……」
「良いじゃない。あなた達だって立派に勝ったのは事実なんだから。取っときなさいって」
戸惑うティファニア達にキュルケが頷き、給仕のトマが用意してくれていたワインを一口啜った。
顔を見合わせる二人は再びスパーダの方を見るが本人はもう見向きもせずに空いているソファに腰を下ろしていた。
「ところでオスマン学院長はどうだった? あたし達もちょっと覗いてみたら大負けしてるみたいだったけど」
「放っておけ」
シエスタ達からの話でオスマンもいることを知ったキュルケはオスマンが年甲斐もなく一喜一憂している姿を遠目から見届けていたのだ。
事実、スパーダもここへ来る途中にルーレットのテーブルを通り過ぎていたが、ゲームに負けて肩を落としている様子が窺えた。
「シルフィードはどうした」
豪華なベッドが置かれ、彫刻や絵画なども飾られているこの部屋を見回したスパーダは一人足りないことを指摘する。
「シルフィードって、ミス・タバサの使い魔ですよね?」
「あの青い竜のことですか?」
シエスタとティファニアが目を丸くするが、タバサとキュルケは僅かに目を見張ってスパーダを凝視していた。
「あれは恐らく韻竜。このハルケギニアでは絶滅したと思われる古代の幻種だな。さっきまでお前達といた女は先住魔法によって姿を変えているものだ」
「ええ!? あの人が!?」
「あの竜があの女の人に……」
トリステイン魔法学院の図書館でその存在を既に知っていたスパーダはあのメイドの正体も看破していた。
韻竜という種は一般的な竜族達とは異なり、極めて高い知能を有しており人語さえも口にできるほどだという。今のシルフィードが人語を話さないのはタバサに止められているからだろう。
「あらあ……やっぱりスパーダには全部お見通しだったって訳ね。あたしもタバサに秘密にしてって言われてたのに」
キュルケは参ったと言わんばかりに苦笑していた。
「このことは絶対に内緒」
タバサは一同の顔を見渡してはっきりと呟く。
「正体が明かされればハルケギニア中のメイジや研究者達が研究材料にしようと狙ってくる。そんな所か」
それこそそれまで絶滅したと思われていた稀少な種族である以上、大騒ぎになるだろう。
悪魔であるスパーダやハーフエルフであるティファニアの正体が知れた時とどちらが規模が大きくなるかは分からないが。
「は、はい! 分かりました! 絶対に誰にも喋りません!」
シエスタははっきりと声を上げ、ティファニアも納得して頷いた。
「それでシルフィードはどこにいる」
「さあ? さっき部屋を出て行っちゃったわ」
「イカサマを見つけるとか何とか言ってましたけど……」
あっけらかんとキュルケは両手を横に広げ、シエスタも困った顔を浮かべる。
休憩のために用意されたこの別室にタバサ達が全員で入ってきた時には共にあったのだが、シルフィードは大勝したタバサが引き下がらず支配人のギルモアとのゲームを受けることに文句をつけていた。
イカサマをしていることは間違いないが、タバサにはまだその手掛かりさえ掴めていない。
そこでシルフィードは自分がイカサマを見つけてみせると大見得を切っていたが、キュルケはおろかタバサにさえ「あなたでは無理」と断言されたのである。
何しろいくら韻竜とはいえ、あれでもシルフィードは精神的にはまだ子供である。今回は頭脳戦である以上、シルフィードでは力不足なのだ。
そこまで言われたシルフィードは気分を害して出て行ってしまったのである。
「ミス・ツェルスプストー。本当にこのお店はインチキをしてるんですか? あのお客もあんなに騒いでましたし……」
「どうかしらね。イカサマっていうのはどんなに怪しい勝ち方をしていても、バレさえしなければそれはイカサマとは言えないものね」
キュルケがシエスタの問いに答える中、スパーダは持参していたワインを取り出し自分のグラスへと注いでいく。
「でも、トーマスのあの口ぶりじゃ何か仕掛けをしているってのは確かだわ」
「何の話だ」
「さっき出て行った給仕さんが教えてくれたんです。タバサさんのお知り合いとかで……」
スパーダの問いかけにティファニアが答えた。
一行の話によれば先ほどすれ違った給仕トマ――本名はトーマスと言い、タバサも当初は憶えていなかったがトーマスの態度や仕草などが気にかかっており思い出せたそうだ。
かつてタバサの実家、オルレアンの屋敷に勤めていたコック長の息子だったそうで、幼いタバサの遊び相手にもなってくれたらしい。
諸般の事情でオルレアン家が没落して屋敷の使用人達も散り散りになった後、父を亡くして路頭に迷っていたトーマスはゴロツキ同然の暮らしをしていた中でこのカジノの支配人たるギルモアに拾われたそうだ。
「それで、ここの支配人から読み書きを教えてもらったり、ああやって給仕のお仕事ももらっていたんですって」
「そうか」
シエスタの言葉にスパーダは微かに唸る。
ちなみにシエスタとティファニアはタバサの身の上に関しては本人とキュルケがあまり詳しく話さないようトーマスに告げていたために知り得ていない。
「で、タバサと顔馴染みのよしみでそれを渡してくれたんだけどね。タバサはこれから勝てないからそれを持ってここを逃げるようにって」
キュルケの視線がテーブルの上に置かれた一枚の小さな紙へ向けられる。それはカジノのチップを精算した換金の手形だ。
「何故、そう断言できる」
それではこの店は「イカサマをしている」と白状しているようなものである。
「詳しいことは教えてくれなかったんだけど、このカジノは喜捨院なんですって。あの支配人があたしらから巻き上げた分を裏で貧しい人達に配っているとか……」
片手を振ってキュルケはあっけらかんと吐息をつく。どうやらその話を真に受けてはいないらしい。
「それで、お前は受けたのか」
タバサの方を振り向くと、彼女は僅かに首を横に振った。
「タバサは別にお金を稼ぎに来たわけじゃないものね。ご厚意だけは受け取ることにしたわ」
それでトーマスは部屋を出る時に肩を落としていたという訳なのだろう。
「でも、ここの支配人さんは本当に施しをしているんでしょうか? もしそうなら立派なことですけど……」
「どうかしら。慈善家なんて風には全然見えないし、第一それをやってるって確証もないんだから。ちょっと調べればボロは出てくるわよ」
ティファニアの呟きにキュルケは肩を竦めた。
「スパーダはどう思うかしら?」
「奴は義賊の器でもない。奴の言う『貧しき者』とやらは、己自身も含まれているだろうな」
スパーダは初対面の段階でギルモアの内面を看破していた。
あの男は己の私腹を肥やす悪徳の貴族と同程度の悪事を働くような強欲で卑しい人間だ。恐らくはこの違法カジノの他にも数々の悪行に手を染めては己の欲望を満たしていたであろうことは明らかだ。しかも平民である彼が貴族をいたぶる行為そのものにも充足感を得ている。
その醜い心は悪魔をも誘きよせかねないほどだ。まして慈悲の心をもって陰ながら善行を行っているなどあり得ない。
トーマスはギルモアの本性に気が付いているのか否かは定かでないものの、少なくとも彼の悪事に付き合わされていることは確かだろう。
「だが奴の手を暴くのはお前の役目だ。タバサ」
スパーダは未だ読んでいる本から視線を外さないタバサの方を見る。
(トーマス……)
タバサとしてはもしトーマスが本当に悪事に加担させられているというのなら、できれば救いの手を差し伸べてやりたいと考えていた。
奇しくもこのような場所で自分と所縁があり、しかも数少ない心を許すことができる相手と再会できたのだ。このまま黙って見過ごしたくはない。
自分は忘れていたのにトーマスの方は憶えていてくれて、先刻も暴れだした貴族から守るために身を挺してくれたのだ。
彼を救うためにも、あのギルモアのイカサマの手口を暴かなければならない。
今回は得意とする魔法が全く使えない頭脳戦だ。どのようなイカサマを使ってこようとするのかタバサには見当もつかない。
「あら? 休憩はおしまいで良いのかしら?」
「もう行く」
本を閉じたタバサが立ち上がるとキュルケもワインを一気に飲み干してその後を付いていく。
「シルフィードさんは良いんですか? 帰ってくるまで待った方が……」
「その内戻ってくるでしょ? 大丈夫よ」
心配するシエスタにキュルケは苦笑しつつもそう答えた。
この分ではいつ戻ってくるのか分からないのでそれを待っていたら時間の浪費でしかない。勝負の最中にでも顔を出すことだろう。
「行くぞ」
スパーダも自分のチップを手にするとタバサ達に続いていき、シエスタ達も慌てて付いてくる。
――タス、ケテ……。
「……?」
「どうしたんですか?」
キュルケが給仕の一人に自分達のチップを運ぶよう頼み込んでいる中、シエスタは妙にそわそわとしているティファニアを振り向いていた。
「今の声、聞こえませんでしたか?」
「声?」
シエスタは何のことか分からず困惑してしまうが、この廊下には自分達以外には別に変わったものは何も見当たらない。
「スパーダさん、今の声……」
「気にするな。行くぞ」
軽く受け流したスパーダはタバサ達の後を続いて歩きだし、ティファニア達もその後ろに付き添う。
――タス、ケテ……。
(やっぱり気のせいじゃないみたいだけど……)
部屋を出た時からティファニアはどこか遠くからその小さな囁きが耳に届いていた。
正体は何なのか分からないが、どことなく幼い子供に似た感じのものであることが分かる。
(スパーダさんにも聞こえてるんだわ)
スパーダはティファニアを否定した訳ではないことがその口ぶりから察することができていた。
悪魔である彼もティファニア同様にその囁きを認識していることは確かなようだったが、必要以上に気にかけるような要素ではないとも告げていたのである。
◆
ギルモアと直接勝負を行うことになったタバサはすぐ席には着こうとせず、ゲームの場所を賭博場とは別の場所に指定していた。
イカサマを疑う以上、あの部屋自体にも何か仕掛けが施されているのではないかと考えてのことであり、勝負を出来る限り自分に有利な状況にするための戦略である。
ところがギルモアは何の異論もなく平然とその要求を受け入れ、タバサが選んだ厨房にテーブルや椅子が運び込まれていった。
「それでは当カジノで最人気のゲーム・サンクでお相手をさせてもらいますが、ルールはご存じでございますか?」
「知らんな」
席に着いたタバサに尋ねるギルモアに答えたのは本人ではなかった。
彼女のすぐ横にはキュルケが控え、さらに後ろにはシエスタとティファニアを傍に置くスパーダが立っている。
「おやおや。これは珍しいものでございますな。今時、このゲームを知らない貴族様がいらっしゃるとは」
「……っ」
若干、小馬鹿にしたような態度のギルモアにシエスタが嫌悪に顔を顰めるがスパーダは意に介さない。
「サンクっていうのはね、五枚のカードを使って勝負をするゲームなのよ。カードの組み合わせで決められた役を作って、それで優劣を決めたりするの」
キュルケがテーブルに置かれたカードの束を使って説明を行う。
ハルケギニアで使われるカードのスートは基本的にメイジ達の四大系統魔法を模しており、火、風、水、土の順で位が高くなっているようだ。
つまり人間界で言うブラグ、プリミエラといった同じくカードを使って役を作るゲームと同系列なものなのだろう。
「役についてこちらをご覧になってください」
ギルモアの傍に控えていたトーマスがテーブルの脇に置かれた小さなボードを指し示す。
そこには14種類の役名とその条件が記されており、順位の低い方から以下のようになっている。
・何も条件を満たさない = 役無し(ブタ)
・同じ数字のカードが1組 = ライン
・同じ数字のカードが2組 = クロス
・スートに関係なく、4枚のカードの数字が連続 = フォー・パレード
・数字に関係なく同じスートのカードが4枚 = フォー・(ファイヤ・ウインド・ウォータ・アース)
・同じ数字のカードが3枚 = トライアングル
・スートに関係なく、5枚のカードの数字が連続 = パレード
・5枚全てが同じスート = ピュア・(ファイヤ・ウインド・ウォータ・アース)
・トライアングル+ライン = フルシップ
・4枚のカードのスートが同じで数字が連続 = フォー・パレード・(ファイヤ・ウインド・ウォータ・アース)
・同じ数字のカードが4枚 = スクウェア
・パレード+ピュア = (フラム・ラファル・トレント・ソル)・アヴェニュー
「さらに当カジノでは特別に祝儀のルールが設けられております」
「祝儀ですって?」
スパーダが役を12種目まで確認していた所でギルモアがタバサ達に付け加えていた。
「はい。お客様がフルシップ以上の大役でお勝ちになられた時には特別のボーナスをご用意しましょう。賭けたチップの合計に対して役に決められた分だけさらにチップが増えるのです。まさに夢のような話でございましょう?」
例えば最低ボーナスのフルシップで勝てば賭け金の半分が更なる獲得チップとして上乗せされることになる。さらに上の役は1倍分、2倍分…と増えていく。
(何が夢よ……馬鹿馬鹿しいわね)
実に白々しい言葉であるとキュルケは思わず溜め息をつきたくなる。
その祝儀ルールもギルモアの策略であることは明白だ。
客を勝たせないのが目的なのだから、そうして夢を追わせてゲームから降りられなくし、より確実に大金を巻き上げようとしているのである。
どうせ掴むことなど叶わない夢のまた夢を客に見させて嘲笑っているのだ。
「それではマルグリットお嬢様。公平さを期すため、カードをシャッフルする役はお客様にお任せしております。どうぞお好きなようにカードをお配りくださいませ」
タバサは今回の任務のために架空の貴族ド・サリヴァン伯爵家の次女、マルグリットという偽名を使っている。
ギルモアに促されてカードの束を手にするとゆっくりとシャッフルを行いつつもその視線はカード以外の別の場所へ向けられていた。
正面でにこやかにしているギルモアからその隣に控えるトーマス、勝負の場となるテーブル……ありとあらゆる場所を観察して怪しいものが無いかを見極めようとする。
タバサの横でもキュルケが同じようにギルモア達に気付かれないように探っているものの、双方ともに怪しい存在を見つけることはできなかった。
「……」
一方、背後でゲームを見物しているスパーダが小さな溜め息を漏らしているのが耳に入る。
もしかしたら彼は既に相手のトリックを看破しているのかもしれない。何しろ彼自身も前のゲームでディーラーのトリックを見破ってチップを荒稼ぎしており、タバサの後にギルモアとの勝負を控えているのだから。
(彼なら見抜いて当然……)
人間ごときの小賢しい策など伝説の悪魔であるスパーダに通じるはずもない。間違いなく、彼とギルモアのゲームは勝負にすらならないだろう。
だがスパーダが策を見破った所でそれをタバサに教えてくれる訳でもない。何しろ彼自身はあくまで暇潰しをしているに過ぎない。
このゲームの主役はあくまでタバサなのである。
「あの、スパーダさん……」
「今は良い。そのまま静かに見ていろ」
何かを察した様子のティファニアだがスパーダは静かに押し留めていた。
――そしてゲーム開始から早30分……。
タバサもキュルケも、更には後ろでゲームを見守るシエスタとティファニアさえも緊張に顔を強張らせていた。
このゲームを始めるにあたってタバサの手元にはこれまでに稼いだ1万8000エキュー分のチップがあった。
ところがそれだけの大勝のチップを見る間にタバサは溶かし、失っていった。
「惜しいですな。お嬢様の強運も私の強運にはギリギリ届かないようです」
たった今もタバサが作ったフルシップの手役に対し、ギルモアも同じ役。だが、タバサは10のカード3枚に対してギルモアは12のカードが3枚。僅差でギルモアが勝利となった。
ベットされていた2000エキュー分のチップがトーマスによって回収されていく。
(一体、どこまでこんなに……)
タバサはチャンス手が来ると少額の張りから一気に大張を行うというパターンを続けていたが、その全ての大勝負で大敗を喫していた。
どんなに賭け金が吊り上がってもギルモアは絶対に降りず、どれだけタバサが大きな手役で勝負してもあと一歩の所でどうしてもギルモアの役に届かず返り討ちにされてしまう。
やはり何かしらのイカサマを使っているとしか思えないほどの大敗であるが、タバサはもちろんキュルケですら勝負の中で何も手掛かりを得ることができずにいた。
チップはもはや残り1000エキューを切っている。このまま負け続けていてはもう後が無い。何とかして一度でも勝たなければゲームを続けられなくなり、任務そのものも果たせなくなる。
「……」
黙って傍観を続けているスパーダがはっきりと溜め息を漏らしている。
『この程度のトリックも見抜けないのか』
そう言っているようにも聞こえるような呆れと失望の吐息のようにタバサは感じられた。
焦燥と悔しさに苦い顔を浮かべるタバサは全神経を研ぎ澄ませてあらゆるものを観察する。ギルモアもトーマスも、厨房も、いつの間にか外から集まってきたギャラリー達も……。
だが、最初と変わらず何一つ怪しいものは見つけられなかった。
タバサは己の無力さを歯噛みした。得意の魔法の勝負だったらこんな醜態を晒す前に敵の隙を見つけて仕留めているはずなのに。
勝負の場が変わることでここまで無能になってしまうものなのか。
そして、またしてもタバサの手にはチャンスが到来した。手元には風の13、12、11、9のカードが揃う。
さらにそれら以外のもう1枚をチェンジし、入ってきたのは風の10。
ロワイヤル・ラファル・アヴェニュー……高貴なる風の道。
限りなく最強に近い役をタバサは完成させていた。
しかも祝儀ルールによって勝てばボーナスとして賭け金の5倍が獲得できる。
この千載一遇のチャンスが残り少ないチップでまた訪れるかどうか分からない以上、ここは勝負をするしかない。
「オールイン」
タバサは躊躇うことなく残されたチップを全て賭けた。
「ほほう。勝負に出ましたか。……よろしい、お受けしましょう」
だがギルモアは相変わらず余裕の態度を崩さずあっさりと受けて立つ。周りのギャラリー達も好奇と緊張にざわめいていた。
「ちょっと待って」
いざタバサがカードをオープンしようとしたその時、キュルケが唐突に声を上げだす。
「あたしにオープンをさせてもらえるかしら?」
ちらりと横目でウインクをしてきた彼女の意図をタバサは察した。
これまでの勝負ではタバサの方からカードをオープンし、その後にギルモアがオープンして勝利を掴んでいる。
相手の手役を見てから何かしらのトリックで自分の手を操作している、と推察していたキュルケはそれをさせないために、そしてギルモア自身にカードを触れさせないためにゲームに参加していない第三者である彼女がオープンしようというのだ。
そうすればギルモア自身の手ですり替えることは不可能となり、戦術は破綻するはず……。
「ええ。構いませんとも」
だが、そんなキュルケの策謀など意に介さないと言わんばかりにギルモアはやはりあっさり申し出を受けてしまう。
タバサも静かに頷きキュルケを促した。
頷きを返したキュルケがギルモアの伏せた5枚のカードに手を伸ばし、1枚ずつゆっくりとめくっていく。
炎の9……炎の10……。
キュルケとタバサの額に冷や汗が流れ出す。まさかそんな都合の良いことなど――
炎の11……炎の12……。
思わず息を呑み緊張する二人に加え、周りのギャラリー達のざわめきが広がっていく。
「どうされましたかな? 最後の一枚をどうぞおめくりください」
唖然として手を止めてしまったキュルケにギルモアが勝ち誇った笑みを顔面に張り付けて促してきた。
苦し気にキュルケは恐る恐る、最後の一枚に手を伸ばす。
めくられた最後の一枚は、炎の13……。
「な……!」
「これはこれは……! 今日の私は何と幸運に恵まれていることでしょうか!」
目を見開くタバサ達の目の前には炎の9から13までのカードが揃えられていた。
ロワイヤル・フラム・アヴェニュー……高貴なる炎の道。
タバサの作った手と同ランクで、しかもスートの最上位となる最強に等しい手だった。
「さあ、マルグリットお嬢様もお開きくださいませ」
唇を噛み締めながらタバサは自らの手を晒した。タバサが苦心の末に完成させたロワイヤル・ラファル・アヴェニューは僅かにギルモアに及ばない。
「いやはや……お互いに奇跡というものでございますな。これはまさに始祖の思し召しと言うべきでございましょう」
「こんな……こんなのインチキです! こんなに都合よくそんな手が出てくるなんて!」
「おやおや、これは心外ですな。カードを切り、配り、更には開いたのもそちらでございますよ? 私が手を出す暇など無いではありませんか」
「う……」
シエスタが怒るのは無理もない。偶然や幸運と言うにはあまりにあからさま過ぎる勝負の結果に文句を付けたくなるのは当然だ。
しかも後出しならともかく先出しでこうもピンポイントでタバサよりも強い手を完成させるなんて、イカサマでもしなければ不可能である。
だがギルモアの言葉通り、そのイカサマの証拠は何一つ存在しないのだ。これではいくら文句を付けてもただの逆恨みに過ぎない。
先刻暴れたあの貴族と同じになってしまう。
結局、オールインによって全てのチップを溶かし尽くしてしまったタバサであるが、それでも席を立とうとしなかった。
頭の中では「一体、どんな手を使ってイカサマをしたのか?」その疑念だけが激しく渦巻いていた。
「さて、これ以上お続けになるのであれば新たにチップをお買いにならねばなりませんが……」
「く……」
軍資金は今回の任務のために用意された100エキューしか無い。文字通り、タバサは一文無しになってしまっていた。
「それではこれにてお引き取りということになりますな。それとも、ご実家の名前を使って賭け金をお借りになりますか?」
それだけはできない。何しろ今のタバサが使っている仮名は偽名に過ぎないのだから。
だが相手のイカサマを暴けていない以上、タバサはまだここを離れる訳にはいかなかった。
「……ではこういうのはどうですかな? お金の代わりにその服をお賭けになっては」
「なんですって……!?」
周りのギャラリー達を見回したギルモアが底意地の悪い笑みを浮かべて告げた提案にキュルケが目を見開くと、テーブルを力いっぱいに叩きつけた。
「ふざけるんじゃないわよ! タバサを辱めるなんて絶対に認めないわよ! ちょっと待ってなさい! すぐに用意してくるわよ!」
駆けだそうとしたキュルケのマントをタバサの手が掴んで引き止めていた。
「……続ける」
「タバサ!」
「お嬢様! おやめください! そんなムキになっても良いことなど何もありません! どうかご自愛をなさってください!」
キュルケどころかトーマスまでもが悲愴な表情でタバサに駆け寄り必死に首を横に振っていた。
だがタバサはそんな二人の制止を拒んだ。
たとえどれだけ自分が傷つこうと、辱められようと、何が何でも相手のトリックを暴かなければならない。もはやほとんど意地にも等しい固い信念だけが彼女を突き動かしていた。
「……続ける」
「その必要は無い」
突然、冷たい声と共にタバサの首根っこが掴まれて体が宙に持ち上げられる。
無理矢理立たせてタバサを椅子からどかしたスパーダがそのまま席に着いていた。
「お待たせ致しましたな、フォルトゥナ様。ルールは存分にご覧になられたでございましょうからご説明は十分ですな?」
一文無しに用はないと言わんばかりにギルモアはチップを取り出してテーブルに置くスパーダに笑みを向けてくる。
「五分ほどインターバルを入れる。構わんな」
「ええ。もちろんですとも。それでは私も少しばかり小休止を……」
腕を組んで目を伏せるスパーダに応えたギルモアは腰を上げ、テーブルから離れていく。
ギャラリー達も一度解散し、厨房にはスパーダ達とトーマスだけが取り残される。
タバサは悔しげに、そして不満そうにスパーダのことを見つめていた。
「仕方ないわよ。あたしだってあいつのトリックが全然分からなかったんだもの」
キュルケがそっと肩に手を置いてくる。恐らく、あれ以上続けていても結果は変わらなかったことだろう。スパーダは強引ながらも無謀な勝負に出ようとしたタバサを止めてくれたのだ。
それでも結局、タバサは完敗を喫してギルモアのイカサマの手掛かりを何一つ掴むことはできなかった。
未だに頭の中ではどうやってあそこまで自在にカードを操作することができたのか、という思いばかりが埋め尽くされている。
まだそれを暴くチャンス自体はあったのに、あっさりとスパーダはタバサの信念を否定してしまったので本人としては納得できなかった。
「忘れるな。策を使う相手に正攻法ではまず勝ち目は無い」
姿勢を変えないままスパーダは呟きだす。
「お前は自分の目的しか見ていない。目的を果たすならそれに至る手段が必要だ。だが、今のお前にそれはない」
タバサはその言葉にハッと我に返ったようにスパーダを見返していた。
「それでは本懐も遂げられん。少し頭を冷やせ」
そこまで言われたタバサは冷静に先ほどまでの自分を思い返す。
(私は……何を考えていたのだろう……)
目的はこのカジノのイカサマを暴くこと。……すなわち敵は恐ろしい策略をもってタバサの相手をしてくるのだ。
タバサはイカサマを暴くという一点だけに固執して、真正面からぶつかり合って敵の手を見破ろうとしたが、それは単なる力技でスパーダの言う通り、何一つ論理性の欠片も無い無策に過ぎない。
だがタバサは「絶対に敵の手口を見破ってみせる」とムキになってしまい、結果として敵の術中に嵌ってしまった。キュルケが自分からオープンするという戦法ですら自分の考えでは思いつけなかったのだ。
敵はイカサマを使っている以上、普通は負けなどあり得ないのだからこちらがどんなに強い手を作れたとしても絶対にそれを上回ってくるし、賭け金を釣り上げても降りはしない……当たり前のことだ。一度目の大勝負で大敗したその時からそれを理解していなければならないはずだったのである。
こんな単純な考えさえ抱けないなんて、やはり自分はまだまだ力足らずだとタバサは思い知り、深く俯いてしまった。
「スパーダさんはインチキを見破ったんですか?」
「さてな」
シエスタの問いに平然とそう返してくる。
口ではそう言いつつも、スパーダが既に何か手掛かりを掴んでいるのをタバサとキュルケは察していた。
だがスパーダは決して周りに明かそうとはしないのだ。それは自分の役目ではないと言わんばかりに。
ふとスパーダはテーブルに放置されたカードの束の一番上をめくる。晒されたそのカードは『0』。
このサンクでは53枚のカードの内、1枚だけ採用されているカードであるが『唯一の例外』を除いて、どの役の条件も満たすことができない『外れ札』とされている無用の長物だった。
◆
――ア、悪魔……。
声にもならない脅えの囁きを聞き流しているスパーダはギルモアとのゲームに興じている最中だ。
スパーダの稼いだチップは2万半ほどであったが勝負開始から30分経った現在、2万エキューを切ろうとしていた。
「フォルトゥナ様はとても慎重でございますな。そんなに弱気のままではせっかくのゲームをお楽しみになれないのではありませんか?」
溜め息をつくのはギルモアばかりではない。周りのギャラリー達もいささか退屈した空気を醸し出しており、既にこの場を離れる者も出始めていた。
ここまで連戦連敗のスパーダではあるものの、はっきり言ってまるで勝負が盛り上がらないのである。
何しろどれだけチャンスの手が出来上がっていたとしてもスパーダは決して上乗せなどしないのだ。
それでも最低のベットは100エキューとなっているため、ちまちま続けていてもどんなに大金であろうがいずれは尽きてしまうが、消極的に過ぎるゲームにギャラリー達も白けてきている。
「マルグリットお嬢様のようにいつでも勝負に出て来られても構わないのですよ?」
ギルモアとしても全然スパーダから搾り取ることができずにいることから少々苛々が募っているのが見て取れる。
(むしろここで挑発に乗るのは愚策ね)
だがギャラリー達とは反対にキュルケとタバサはスパーダの試合運びに感心していた。
先も本人が言っていたように敵がイカサマをしている以上、どんなに手が強くても十中八九勝利は望めない。故に自分の手に釣られて勝負に出ようとするのは下策でしかない。
(さあ、あなたはどうするのかしら?)
だがそうなると、一体どうやってスパーダがこの狡猾な黒ダヌキを打ち負かそうと考えているのか二人は大いに興味を抱いていた。
悪魔であるスパーダの計略とやらを是非とも拝見させてもらいたい。そのためにもタバサはじっと勝負を見守っている。
「持っていろ」
「は、はい」
互いにチェンジが済んだ所でスパーダは使われていないカードの束と捨て札をティファニアに預けだす。
「ベット300」
直後、ここで初めてミニマム以上のチップを賭けてきた。
退屈な勝負が続いていた中でようやく起きたリアクションにギャラリー達はそれまでと打って変わって盛り上がりだす。
「ほほう。自信がおありのようですな。これでこそ勝負も盛り上がるものというもの。では、私もレイズ500で」
同様にそれまでうんざりしていた様子だったギルモアが途端に満面の笑みを浮かべだす。自分の挑発が効いたのだと思ったようだ。
「レイズ900」
「では、レイズ1000!」
「レイズ1500」
「ならばレイズ2000!」
今までになかったレイズの応酬劇にギャラリー達の熱狂は「やはり勝負はこうでなければ!」といった感じに増していく。
反面、タバサら四人の少女達は心配そうに勝負を見守っていた。
「コールだ」
十回を超えるレイズの後、あと一息で10000に届こうかという所でようやくスパーダが受けて立った。
「いやいや、驚くほど大きな勝負となりましたな! それでは互いにオープン致しましょう!」
右手で頬杖を突いているスパーダは伏せてある自分のカードに視線を落とす。
ところがいつになっても微動だにせず時間だけが過ぎていく。周りのギャラリー達も「早くオープンしろ」と言いたげな顔でスパーダを注視していた。
だが、周囲のプレッシャーに対しても全く意に介さず沈黙を守り続けている。
「どうなさいましたかな? フォルトゥナ様、早くオープンを……」
――ドゴンッ!!
突如、強烈な轟音が厨房に響き渡った。
驚き沈黙するギャラリー達の瞳には宙に舞う無数の影が映りこむ。
飲み物の注がれたグラス、スパーダのチップ、オッズのボード、そして――
「あっ!」
同様に呆然としていたギルモアはさらに愕然と目を見開いた。
自分の手札であるカードまでもが勢いよく浮き上がり、そのままテーブルに舞い落ちてきたのだ。
何が起きたかと言えば、スパーダは何の前触れもなく頬杖を突いていた拳でテーブルを叩きつけたのである。
だがたったそれだけのことでテーブルを揺るがすばかりか破壊しかねないほどの凄まじい衝撃は周りの人間達を驚かすだけでなく上に置かれていた全てのものを跳ね上がらせ、宙に浮かせたのだ。
それによって乱雑にテーブルに落ちてきたギルモアのカードは全てひっくり返され、白日の下に晒されていた。
炎の9と8、水の3と土の12、さらには外れ札である『0』……。
何の役の条件も満たしていない……つまり、ブタであることを意味する。
「な……な……」
予想もしていなかった事態にギルモアはもちろん、トーマスでさえ混乱し呆然としてしまう。
対するスパーダのカードは置かれていた左腕で押さえつけられていたので全て裏のままである。
「すまんな。いくら上乗せをしてもお前が全く降りないのでつい苛立った」
素っ気なく口ではそう嘯きながらもそのような気持ちは皆無であることは平然な態度を見て明らかだ。
「だがお互いにコールをした以上、これからオープンされる手の内が晒された所で今更結果は変わるまい。だがマナーを破ったことは詫びるとしよう」
そんな気は微塵も感じさせない口ぶりで言いながらスパーダは自分のカードを静かにめくっていった。
炎の10……風の1……土の7……炎の6……水の13……。
ギルモア同様にブタ――だが、スパーダの水の13を上回るカードは存在しない。
「……勝った!」
「初めてギルモアの奴に勝ったぞ!」
予期せぬ出来事に惚けていたギャラリー達はゲームの結果に次々と歓声を漏らした。
最低役同士の勝負とはいえ、大勝負で一度として負けたことがないあのギルモアをスパーダは打ち負かしたのだ。
「やった……」
「すごいです!」
それまでの負け分を取り返すどころかさらにチップを増やすことに成功したスパーダにシエスタとティファニアも満面の笑顔で拍手をしていた。
「ぐぬ……」
沸き立つ野次馬に対してギルモアは珍しく渋面を顔に浮かべていた。まさか、このようなことで自分が負けるとは夢にも思わないことだからだ。
だがスパーダの言うようにルール上は何も問題が無い以上、文句をつけられない。
「フォルトゥナ様。ゲームの最中にあまりお暴れになられてはこちらとしても困ります……」
「そうだな。以後は自重するとしよう。続きだ」
毅然とした態度を装うギルモアに答えるスパーダはカードを回収して再びシャッフルを開始する。
(そっかぁ。そういう手があったのね)
キュルケもタバサもスパーダの意図を理解した。
相手がカードをすり替えてイカサマをしているのなら、すり替わる前に周りに見させてやれば良いのである。
先刻のキュルケの作戦もその一環ではあったものの、提案を持ち掛けた瞬間から既に相手にカードをすり替えるチャンスを与えてしまったのだ。
タバサ達がイカサマを疑い、それを潰そうとしていると察したギルモアはもうあの段階でカードをすり替えていたのだろう。
スパーダはその時間はおろか余裕さえ与えないためにわざと賭け金を釣り上げたりブラフを行ったのが失敗したように見せかけた奇襲を仕掛けて見事に勝利を捥ぎ取ったのである。
だがこのやり方は自分の手役がよほど良いものであるか、相手の手役が何であるかが分からなければリスクが高すぎる行為だ。
ましてやスパーダの手はブタ。そして相手もブタであったことは偶然とは思えない。
もしかしたらスパーダは最初から相手の手役を何かしらの方法で知り得ていたのではないだろうか?
◆
「フォルトゥナ様、何をなさるおつもりで?」
ギルモアだけでなく野次馬達も目を丸くしてスパーダに注目しだす。
相手のカードを配ったスパーダは自分の手札を2枚だけ伏せ、残る3枚は表のまま並べたのだ。
晒されているのは水の6、土の5、水の2……。
「私はマナーを破ったからな。これぐらいのペナルティはあって良いだろう。私はこれから、この2枚のみを伏せてゲームを行う」
それは普通に考えれば自殺行為でしかない愚行だった。
通常、サンクのゲームは自分の手札は相手に見せないもの。対戦相手の表情や仕草、態度などから手役を予想して駆け引きを行うのである。
最初から自分の手の内を曝け出していては勝負になどなる訳がない。
「ちょっと、何を考えてるのよ? 本気なの?」
「いくら何でもこれは……」
キュルケにタバサ、シエスタも眉をひそめてしまう。
運に恵まれていたタバサが幾度も大役の手を作っていたのに対し、スパーダの場合は総合的に見ると9割以上がクロス前後の小役ばかりだったのだから余計に不利である。
「……ほほう。それは面白いですな。よろしい、お受けしましょうとも!」
だが逆にギルモアや周りのギャラリー達はスパーダの愚行を驚きつつも楽しそうに見つめていた。
特に勝負の相手をするギルモアにとってはこれほどのチャンスは無い、と言わんばかりの勝利に満ちた笑みを浮かべている。
「馬鹿か、こいつは?」とでも嘲笑が聞こえてきそうなほどだ。
事実、そこからのスパーダはまさに連戦連敗だった。
最初から手札が見えている以上、ギルモアはそれを参考にスパーダの手の内を予測するので有利にゲームを進めている。
ベット自体は最小賭けしかしないものの、先ほどの逆転勝ちが嘘のような圧倒的な負けっぷりであり、みるみる内にチップがすり減っていく。
「何を考えてるのかしらね?」
小声で呟くキュルケにタバサは首を横に振る。
これもまたスパーダの策略であることは間違いないだろうが、一体どうやって勝つつもりなのかまるで想像がつけられない。
「ギルモア様……落ち着いてくださいませ。周りの客から疑われております」
「分かっておるわ」
耳打ちをしてくるトーマスに我に返るギルモア。
ハンデ同然のスパーダに対して勝利を続けるギルモアの手があまりにも不自然すぎることにギャラリー達が不審の目を向けてきているのだ。
いくら手の内を見せているからと言って、この勝ち方はおかしい。やっぱりあいつは何かイカサマをしてるんじゃないか? という空気が広がりつつある。
証拠は無いとはいえこれ以上、安易にスパーダに勝ち過ぎると客達の間にカジノそのものに対して疑惑を持たれかねなくなる。
そうなっては最終的に誰もここに寄り付かなくなり、イカサマを暴かれていないのにカジノ自体が経営できず将来的に潰されてしまうのだ。
だがスパーダは未だ20000以上ものチップを残している。このまま勝ち逃げさせる訳にはいかないのも事実だった。
「ベット1000」
そんな中、またしてもスパーダは大量のチップを賭けてきた。
露わになっているカードは2枚が『1』で、もう1枚は外れ札の『0』
普通に考えれば外れ札を手元に残さないものだが、これまでの勝負からスパーダは低い手でもブラフをする傾向があったため、またそのパターンなのかとギルモアは踏んでいる。
(ちっ……仕方あるまい)
せめてここで出来るだけ不自然ではない形では勝つか、引き分けに持ち込んで客の不信感を可能な限り薄めてやらなければならない。
かくして再びレイズの応酬劇が始まり、その合計は20000にも達した所でスパーダはコールする。
これまでで最大にもなる大勝負にギャラリー達はもちろん、キュルケらも緊張に息を呑んでいた。
(これは、勝ちかしらね)
だが青と赤の髪の少女二人は不思議にもこの勝負でスパーダが勝つと確信することができた。
「それではショウダウンといきましょう」
やや気の抜けた態度で促すギルモアにスパーダは伏せられた2枚のカードをめくっていく。
水の『1』……既にある2枚の『1』は風と土のスートであるため、最低でもトライアングルの役が成立する。
だが同じカードが3枚揃った光景にギャラリー達がざわめきだす。
まさか残されたもう1枚は……いや、いくら何でもそんな都合の良いことがあるはずはない……。
スパーダが静かにめくった最後の1枚は、炎の『1』
土の1、水の1、風の1、炎の1、そして『0』のカード……!
「な、何だとお!? ば、馬鹿なあっ!?」
並べられた5枚のカードにギルモアは思わず席を立ち飛び上がるほどの勢いで愕然とした。トーマスも同様に唖然としている。
「ペ、ペンタゴンだ!」
それは周りの客も同様だった。誰しもが驚愕を通り越した表情で5枚のカードに目を奪われてしまう。
スパーダが作った役はペンタゴン……サンクの14種存在する役の中で最上位に位置するものだ。
同じ数字のカードを4枚揃えるスクウェアの役に加え、通常は外れ札となるたった1枚の無用な『0』のカードをも手にした場合にのみ成立し、超低確率の最強に近い奇跡の役であるロワイヤル・アヴェニューをも上回る、まさに絶対的な勝利が約束された究極の役である。
いくらギルモアが手役を操作したとしても、さすがにこればかりは超えることはできない。
もはや勝負するまでもなかった。
「えっと、合計が20000だったから……に、20万!? はぅ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
シエスタが目を回してよろけてしまうのでティファニアに体を支えられてしまう。
ペンタゴンの祝儀ボーナスはロワイヤル・アヴェニューをも超える10倍。ベットされていた獲得金とスパーダの残り手持ちをも加えて、実に23万エキューもの莫大な大金となる。
それは平民であるシエスタの給金など論外で、並の貴族の資産など足元にも及ばないものだった。
「は……が……が……はが……」
目の前の現実に、魂が抜けてしまったように茫然自失とするギルモアは口と目を大きく開けたまま立ち尽くしていた。
20万はおろか、10万でさえこんな裏カジノなど破産は確実な破滅の数字だった。
客からより金を搾り取るために設けた餌であるルールであったはずなのに、逆に自分達が破滅するなど……こんな馬鹿げた結末など信じられなかった。
「帰る。チップを精算してくれ」
圧倒すら超越する完全勝利にも関わらずスパーダは冷然な態度を一切変えなかった。
トーマスですら思いも寄らぬ結果に呆然としており、受け答えを忘れてしまうほどだ。
そんな周りのことなど全く意に介さず席を立っていたスパーダはタバサに100エキューのチップを1枚握らせる。
「それだけあれば充分だろう。ヒントは与えたはずだ。行くぞ」
「は、はい……」
手形をトーマスから受け取り、シエスタとティファニアを連れてスパーダは歩き出す。
タバサは勝利を収めた男の大きな背中を眺めていたが、やがて我に返って再び席に着く。
歓声を上げる者は誰一人いない決闘場を、冷徹な悪魔はもはや振り返りもせず立ち去って行った。
◆
「おお、やっと出てきおったか」
「オールド・オスマン」
カジノを後にしたスパーダ達は外に出てきた所でオスマンと鉢合わせした。
既に夜となった今、二つの月が浮かんでいる他、魔法の街灯があちこちで灯りだしている。
「やれやれ、本当に情け容赦のない勝ち方をしたもんじゃのう。これでここのカジノは永久に閉店じゃな。楽しみが減ってしもうたわい」
「あれ? 学院長先生もあそこに? でもどこにも姿が……?」
ティファニアもシエスタも首を傾げる。オスマンはあの場にはいなかったはずなのにスパーダの勝負の結末を把握しているようだ。
「なあに、ワシの使い魔・モートソグニルが教えてくれたのじゃよ。スパーダ君が悪魔染みたやり方で大勝負をして店を潰しにかかっているとな」
オスマンの肩にちょこんと小さなネズミが姿を現す。
使い魔は主の目となり耳となる。その能力を使って密かにスパーダ達のことを覗き見ていたらしい。
実に食えないことをする老人だとスパーダは僅かに口元を綻ばせた。
「じゃが、うちの生徒を辱めようとした馬鹿者に鉄槌を下してくれて感謝するぞ。しかし、20万か……とんだ大金を手にしたもんじゃのう。トリステインだったら小さな領地すら買えるほどじゃぞい」
「ただのあぶく銭に過ぎん」
あのカジノで受け取った手形はリュティス都内のシレ銀行で換金することができるという。
もっともあのカジノが潰れるのは確実でギルモア達も夜逃げをして何処かへ身をくらませるであろうから、スパーダ達の手形は明日には不渡りになるだろう。
後日に請求しようにもそれが不可能な銀行にとっては大損するだけであるが、元を正せばあのようなルールを作ったギルモアが悪い。
「では、急いで手形を換金しに行くとするかのう。着いてきなさい」
シエスタ達も自分達の僅かな稼ぎである手形を握ってオスマンの後に続いていった。
「スパーダさん。結局、あのお店のイカサマってどんなものだったんですか?」
あの圧倒的な大勝はスパーダの戦術だけではなく彼がギルモアのイカサマを看破していたからこそのものであるとシエスタは確信していた。
「シルフィードと一緒にイタチがいたな?」
「はい。あの小さい動物ですよね」
厨房を出た直後、スパーダ達はようやく戻ってきたシルフィードとすれ違っていたのだが、悪魔であるスパーダのことを恐れて立ち竦んでしまっていた。
シルフィードは小さな篭を手にしており、その中からは小さなイタチのような動物が飛び出て一目散に逃げだしていったのである。
そのイタチをシルフィードは大慌てで追いかけていったのだった。
「あれは古代の幻獣、エコー。シルフィードと同じく先住魔法で姿を変える力を持っている」
「ほほう。ミス・タバサの風韻竜と同じとな……」
シルフィードの正体はモートソグニルを通してオスマンも知り及んでいる。
そう。ギルモアのイカサマのカラクリはこの幻獣達の存在にあった。
あのゲームで使われていたカードは全てそのエコー達が化けていたものであり、ギルモアが手を触れずとも手札を自在に操作できたのも指示通りに動いていたからだ。
メイジがイカサマを疑ってディテクト・マジックを使った所で先住魔法の根源たる精霊の力は感知することができない。平民はもちろんのこと、メイジですら騙し通せると思ったからこそギルモアは絶対の自信を抱いていたのだ。
だが、そのイカサマが通じるのはいわば同じ人間だけ。シルフィードのように同じ先住の種族やスパーダのように魔力を的確に区別することができる悪魔に対しては全く意味がない。
逆にどんな種類のカードに化けているのか自ら目印を示しているに過ぎなかった。故にスパーダは最初から最後までカード内容を全て判別しており、たとえ途中で人知れず変化してすり替えられても無駄だったのだ。
それを逆に利用してスパーダもまたシャッフルする際に自分の手札を操作していたのである。
「それじゃあ、あの声がそのエコーだったんですね?」
「そうだ」
ティファニアが廊下で聞いていた助けを求める声も、厨房でも聞こえた恐怖に脅える声もエコーのものだったのだ。
「今頃、シルフィードが乗り込んでイカサマを暴いているだろう」
あそこで鉢合わせしたのもイカサマの証拠を見つけたからそれを示しに行こうとしていたのだ。
とは言え、スパーダがヒントを与えてやったことでタバサが直接カラクリを暴いたかもしれない。
イカサマが白日の下に晒されたギルモアは恐らく憤慨した客達に袋叩きにされているか、トーマスによって守られて逃げ出しているに違いない。
そしてタバサ達はそれを追跡している、そんな所か。
「でもどうして分かってるなら、イカサマだってすぐに言わなかったんですか?」
「それはタバサの役目だ。あの程度のカラクリなら彼女でも簡単に暴ける」
例えば使用するカードを向こうが用意したものではなく全く別のカードを使わせてイカサマを封じたり、お互いが捨てた札や使わなかった札をキュルケに預けておいて全て監視させておけばすり替えによってカードが変化する様子を見るか、あるはずのない同じ種類のカードが2枚に増えるのを確認できたりと、手段は色々とある。
それにあのイカサマ自体も穴がある。タバサもペンタゴンの役を作るか、炎のロワイヤル・アヴェニューを作る上で『0』のカードをチェンジしていればイカサマでペンタゴンを作ってきたギルモアを自滅させることができる。
どの道、ちょっと頭を使えば看破できる類のイカサマなのだが、タバサはどうも「自分一人の力で直接暴きたい」ということに固執していたためにそこまで考えが至らなかったようだ。
「運に頼っていれば己の身を滅ぼさずに済んだものを……」
スパーダはギャンブル運が壊滅的に弱い。あのようなイカサマを用いずに普通のカードで勝負してきていれば十中八九、スパーダに完勝できたことだろう。
だがギルモアは自らの策を過信して己の首を絞め、墓穴を掘った。策士策に溺れる、それだけの話である。
「ホッホッホッ、スパーダ君にかかればあのような小細工も児戯に過ぎぬという訳じゃな」
オスマンが感心したように朗らかな笑い声を漏らした。
やがて一行はシレ銀行に辿り着き、手形を金貨に換金する。
スパーダは膨大過ぎる大金をトリステイン魔法学院の宝物庫へと送るように手続きを行っていた。
「すっかり宝物庫はお主の金庫になっとるなあ。いっそ、トリステインに貸金庫でも作ったらどうじゃな?」
「……考えておこう」
少なくとも今は魔法学院に保管してあるのを合わせた25万エキューにも昇る大金を使う予定はスパーダには無かった。
◆
ベルクート街の狭い裏通りで四人二組の男女が対峙している。
ギルモアとトーマスは自分達を追ってきたタバサとキュルケを前にたじろいでいた。
「お嬢様、ツェルプストー様……」
「何でこの道が分かったのかって顔ね。タバサなら朝飯前よ」
トーマスに向けてキュルケがしたり顔を浮かべる。
スパーダ達が去った後、再びゲームを再開したタバサであったが勝負をするまでもなかった。
放心したままでゲームを行える状態でなかったギルモアだったが、戻ってきたシルフィードが現れるなり彼を弾劾したのだ。
その手の中にはエコーという幻獣の子供が抱えられ、それを見たギルモアが我に返って驚いた途端にタバサ達が使っていたカードは全て一回り大きな同じ獣へと姿を変えたのだ。
イカサマを暴かれたギルモアに真実を知った客達が一斉に飛び掛かろうとしたがそれをトーマスが阻止し、煙幕を張ると姿を忽然と消してしまったのである。
だが、風のメイジであるタバサはカジノ内に隠された通路を見つけ、そこから逃げていった二人を追ったのだ。
「シレ銀行の鍵を」
「大人しく渡すならこのまま見逃してあげるわ」
短く言いながらタバサは手を突き出し、キュルケも杖を小さく掲げちらつかせる。
今頃スパーダ達が手形を換金しているだろうが、それによってどの道ギルモアの破産はおろか莫大な負債は決定している。
遠くに逃げられる前に客達に分配して返さなければならないのだ。
「お、お、お、お許しくださいませ! 私どもは義賊でございます! 貴族様方からほんの少し頂いたお金を、貧しい方々にお配りを……!」
「ふぅん。証拠はあるのかしら? それ次第なら許してあげるわよ。ね? タバサ」
必死に地べたに額を擦りつけて土下座をするギルモアをキュルケは冷たい視線で見下ろしていた。
二人は端からそんな話など信用してはいない。スパーダですらギルモアがただの強欲な人間であると断言した以上、そのような奉仕をしているなどあり得ないと察していた。
「そんなの嘘っぱちなのね! エコー達が言ってたのね! そいつは施しなんかしないで全部自分の懐に入れてたのね! この間だって、闇市場で奴隷を買ってたりもしたのね!」
客達に吹き飛ばされていたシルフィードが遅れて駆け付けるなり叫んだ。足元に纏わりつき、肩や頭にも乗っているエコー達も頷くような仕草をはっきりとしている。
「この役立たずの裏切り者どもが!」
立ち上がったギルモアが忌々しそうに叫びながら小型の拳銃を懐から取り出すと、シルフィードの足元にいるエコー達に発砲してくる。
「きゅい! 何するのね!」
命中精度も悪くあっさり外れつつも慌てて飛び上がるエコー達はシルフィードの後ろへ隠れだす。
「何が慈善家だ! 誰がそんな真似をすると思っている! あの金はワシのものだ! 誰にも渡さぬわ!」
もはや醜悪な本性を隠す気もなくギルモアはさらにもう一丁の拳銃を取り出してくる。
キュルケは呆れたように肩を竦めて苦笑した。
「……ですって。聞いたでしょ、トーマス?」
トーマスが信じていた慈善家など初めから存在などしない。いるのはただ己の私腹を肥やす欲深い豚のみ。
その醜い心はまるでどす黒いオーラとなってはっきりと目に見えるようだ。
「何をしているトーマス! こいつらをやってしまえ!」
「トーマス」
タバサも翻意を促すように呼び掛ける。
だが切なそうな顔を浮かべる彼はギルモアを守るように前へ進み出る。
「ギルモア様が慈善家ではないことは、薄々分かっておりました。ですが、それでも……この方は、行く場所のなかった私を拾ってくれた恩人なのです」
「あなた、本気? そいつはあなたのことを良いように利用してるだけよ。それも平気で使い捨ての道具にしようと……」
「それでも、私はギルモア様を裏切れません。たとえどれほどの悪事に手を汚すことになろうとも……」
袖の中からナイフを取り出すとそれを手にタバサの方を睨んだ。
「私の方こそ分かりません。何故、シャルロット様はお父上を殺めた王政府に従うというのです?」
「あなたこそ、タバサの気持ちが分からないの? ガリアなんて関係ない。タバサはね、昔馴染みのあなたのことを心配してそいつの悪事から助けてあげようとしてるのよ」
半分は当たりで半分は外れだ。だが、タバサがトーマスに救いの手を差し伸べてあげたい気持ちを抱いているのは確かである。
「トーマス、あなたにはそんな奴の所にいるよりもっと相応しい場所があるはずでしょ?」
自分達の元へ、かつての主でもあるタバサの元へ来いとキュルケも手を差し伸べる。
その言葉にトーマスの表情はさらに苦しげで、だがそれでもといった迷いのある顔で首を振り――
「きゅいっ!?」
シルフィードとエコー達が一斉に固まった。
タバサとキュルケも目の前で起きた出来事に呆然とする。
突如、トーマスの胸の中心を鋭い何かが突き破り、鮮血をまき散らしたのだ。
「ギ、ギルモア……様……?」
「こノ……役……立たズ、メ……サッサと、そイツらを……殺シテ……」
トーマスが唖然としながら後ろを振り返ると、気付けばギルモアだったはずのそれは全く違うものへと変わっていた。
欲深くはありつつも人間らしかった顔は醜悪に崩れ、鋭くなった凶悪な目がギラギラと煌めいている。
そのギルモアの右手がトーマスの背中から心臓もろとも貫いていたのだ。
「アノ金ハ、ワシノモノダアァ……ッ! 誰ニモ渡サヌウウウウゥゥゥゥッ!!」
ドス黒く濁りきった声で叫ぶギルモアの肥えた姿がメキメキと膨らみ、服が破け弾けていく。さらにギルモアの拳銃と共に真鍮の鍵が甲高い音を鳴らして落ちていた。
「な、何なの!?」
「きゅいーっ!」
「悪魔……!」
見る間に醜悪な姿に変貌したギルモアにタバサは杖を前に身構えた。
以前、スパーダの講義で耳にしたことがある。悪魔は人間の醜い負の心に惹かれて集まり、特に醜すぎる心を持つ人間となると知らぬ内に憑依され心身ともに魔に支配されて悪魔そのものになり果ててしまうと。
きっとギルモアの強欲に満ちた卑しすぎる心に惹かれた悪魔が彼に憑りつき、その体と心を乗っ取ったのだ。
「邪魔ダァ!! ドケエエエェェェィ!!」
「トーマスッ!」
トーマスの体が建物の壁を砕きめり込ませるほどに叩きつけられる。タバサは思わず悲鳴を上げた。
「ワシノ金ヲ奪オウトスル者ハ、ミナ殺シダアアアアァァァァッ!!」
「ジャベリン!!」
「ファイヤー・ボール!!」
飛び掛かってくるギルモア――悪魔にタバサは怒りに身を任せて巨大な氷の槍を放つ。
腹を豪快に貫かれて怯んだ悪魔はさらにキュルケの炎でその身を焼かれていた。
「グアアアアアアアッ!!」
苦悶の呻きを上げる悪魔にタバサは一気に駆け寄ると、ブレイドの魔法をかけた杖でその首を叩き落とした。
ドスン、と音を立てて首を失った悪魔の体が崩れ落ちていた。先に転がっていた醜い顔と共にピクピクと痙攣している。
タバサは壁に叩きつけられたまま地べたに力なく崩れ落ちていたトーマスに駆け寄る。
「シャルロット……お嬢様……」
「トーマス……」
その身をタバサに抱き起されたトーマスの胸には穴が空けられ、大量の血が溢れだしている。
「ご無事……なのですね……良かった……」
もはや虫の息でありながらもトーマスはタバサの身を案じている様子だった。
「駄目……この傷じゃ……」
「きゅい……」
ここまでの致命傷を負わされては今のタバサ達ではどうにもならない。
「私は……とんだ大馬鹿者でございます……あのような男に……従って……いたなんて……グフッ」
「喋らないで」
もはや助からないと分かりつつもタバサは口から血を吐くトーマスを気遣った。
「身から出た錆……ということ……ですね……私には……似合いの……最期です……ですが……お嬢様を……傷つけずに済んで……良かった……」
「もう喋らないで!」
悲鳴にも似た叫びをタバサは響かせた。
キュルケとシルフィードは普段は決して見ない無二の親友――主人の姿を悲しげに見つめていた。
「お嬢様は……本当に……お優し……こん……私に……手を……差し伸……なん……」
弱々しくも嬉しそうに笑みを浮かべるトーマスの言葉はもはや途切れ途切れになって聞き取れなくなっていく。
「シャルロット、お嬢様……どう、か……ご無事……」
そこから先の言葉は紡がれることはなかった。トーマスは既に事切れ、瞳の中の微かな光が失せていく。
「タバサ……」
トーマスの死を見届けたタバサの表情は他の者には滅多に見せないであろう悲痛の色を浮かべていた。
(トーマス……)
タバサの脳裏に懐かしい記憶が浮かんでくる。
幼い自分の遊び相手になってくれた平民の友達。執事のペルスランからあまり平民と交わってはいけないと叱られながらもこっそり目を盗んでは一緒に遊んでくれた兄のような友達。当時から好きだった読書と同じように大好きだった手品でタバサを喜ばせてくれた。
その大切な友人は、愛していた父同様にもうこの世のどこにもいない。
(ごめんなさい……トーマス……)
物言わぬかつての友の目を閉じさせたタバサ――シャルロットはその魂に安息が訪れることを祈った。
◆
『そうか。豪閃獣が来ているか』
暗黒の闇の中で輝ける炎が揺らめく。
「彼奴の狙いは魔剣士スパーダただ一人のみ」
「かつて片目を潰された彼奴の憤怒は決っして消えぬ」
「しかし、彼奴の力ではその恨みは晴らせぬ定め」
肩越しに振り返る覇王と対するのは巨大な顔面が一つのみ。
『嵐猿魔に伝えよ。貴様に豪閃獣を討つ大義を与える。その魂を我に献上せよ、とな』
「「「御意に」」」
しわがれた声を響かせ、三面の顔はその姿を掻き消す。
『哀れなものだな。雪風よ』
正面の虚空に浮かぶ映像へと覇王は向き直った。
『そやつが無様に死に果てたのも全ては定められたこと。貴様の血族に関わりし者達には全て災いが訪れる』
神々しくも残忍な声を響かせ、映像の中に浮かぶ少女を眺めていた。
『全ては貴様が抱えし業。貴様らのいずれかが父に選ばれていようとも定めは変わらぬ』
人の形を成す炎は姿を変え、それまでの禍々しい魔から青年の若々しさを残した人間のものと化す。
『だが貴様が味わう絶望はこんなものではない。いずれ貴様の手で、自ら極限の絶望を味わうことになるであろうよ……』
再びその姿は禍々しい魔のものへと戻っていった。
『それまではせいぜい楽しませてもらおうか、雪風よ……』
作品の良かったところはどこですか?
-
登場人物
-
世界観
-
読みやすさ
-
話の展開
-
戦闘シーン
-
主人公の描写・設定
-
悪魔の描写
-
脚色したオリジナル描写・設定