魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

76 / 181
Mission 58 <妖精たちの邂逅> 後編

四年前のその日、ティファニアは母を失った。

ハルケギニアの新年を祝う記念すべきはずである降臨祭の日、伯父王が差し向けてきた王軍の騎士達は隠れ家に潜む二人のエルフを抹殺しようとした。

アルビオンの王族が異種族の、しかもエルフを愛人にしていたという前代未聞の、決してあってはならない醜聞。

ティファニア達の追放を拒んだ父は投獄の果てに処刑され、母もまた娘を守るためにその命を散らした。

あの出来事をティファニアは決して忘れない。

 

必死に娘をクローゼットに隠し、その前に立ち塞がった母は攻め込んできた追手を前に毅然と言い放った。

 

――何の抵抗もしません。私達エルフは争いを望みません。

 

それが最後に聞いた母の声だった。

直後、ティファニアが耳にしたのはメイジ達の呪文――母を襲う魔法の洗礼だった。

自らが身を潜めるクローゼットにまで届いた衝撃は恐怖に震えていたティファニアをさらに脅かしたのである。

これが夢であって欲しい。悪い夢は早く覚めて欲しい。何もかも消えて欲しい。そう祈ったが、現実は非情だった。

 

やがて殺意の魔手はティファニアにまで及ぼうとしていた。

 

――まだいたか。忌まわしいエルフめ!

 

開け放たれたクローゼットの前には幾人もの騎士達が立ちはだかっていた。

彼らは嫌悪と憎しみに満ちた顔でティファニアを見下ろすなり、呪詛にも似た詠唱を始めたのだ。

 

――死ね! 悪魔の娘め!

 

騎士の一人が叫び、ティファニアの命を奪うべく魔法を放とうとした。

だが、彼らの殺意は無力なはずのティファニアを害することはできなかった。

 

クローゼットが開けられた時、ティファニアの目に飛び込んだのは母の変わり果てた姿だった。

娘に受け継がれた金色の髪は焼け焦げ、全身を切り刻まれ、氷の刃が貫き、大量の血だまりの中で無残に倒れ伏す母の骸。

悪夢の光景を目の当たりにした途端、ティファニアは脳裏に浮かんだ呪文を口ずさんでいた。

 

父が形見として渡してくれた杖を手に唱えるルーンは誰にも話したことのない、ティファニアしか知り得ない秘密だった。

子供の頃に遊んでいた、王家に伝わる秘宝より耳にした懐かしい歌と曲に交じって聞こえた無数の異なるルーン。

その1つが不思議と自然に、ティファニアの口から漏れ出したのだ。

 

悪夢はティファニアの前から消え去った。

唱えた呪文は今にも自らを害さんとした騎士達を、光の粒へと変えて跡形もなく消し去ってしまったのだ。

まるで初めからこの世に存在しなかったかのように。

 

――困っている人を見つけたら、必ず助けてあげなさい。

 

生前、母はそう言いつけていた。母は己を省みずに愛する者のために尽くす人だった。

その言付けを守るべく、ティファニアは母の言葉を胸に誓っていた。

……だが、最初にしたことは母との約束ではない。

 

――わたしは、あの人達を……この手で……。

 

ティファニアは生まれて初めて自らの手で、自分以外の命を奪うだけでなく、この世から消し去ったのだ。

あの思い出したくもないのに忘れることができないルーンの、恐ろしい魔法によって。

 

――わたしは……わたしは……わたしは……わたしは……。

 

「――大丈夫?」

不意に何者かの声が響く。

目を見開き、気が付けば激しい高鳴りと共に呼吸も激しく乱れていた。

「ずっとうなされていたけど、そんなに恐ろしい夢でも見たのかしら」

ティファニアの視界の中に横から顔を出す者の姿が映りこむ。

不思議そうに覗き込んでいるのはつり上がった切れ長の瞳に長い金髪の女性。毛皮の襟をあしらわれたマントを身に着けている。

「わたし……」

少しずつ落ち着きを取り戻してきたティファニアは周囲を見回し、自分がどこかの屋上のバルコニーにいることを認識していく。

一体、ここはどこなのか確かめようと立ち上がろうとしたが……。

「あ、れ……?」

何故か体に力が入らず、それどころか腕一本すら動かすことさえ苦痛に感じるほど。辛うじて難なく動くのは首だけだ。

「ああ。動かなくて良いわ。あなた、あの悪魔に襲われて相当体力とか吸い取られてたみたいだから」

「悪魔……」

「大丈夫よ。連中は下に夢中みたいだから、ここまでは来ないわ」

したり顔を浮かべる女は立ち上がるなり、手を宙にかざして呪文を唱え始める。

 

「風よ。我が目となり、耳となりて、彼の地を映したまえ」

二人の目の前がぼんやりと歪み、何もなかったはずの空間に別の景色が浮かび上がる。

それは街の一角を俯瞰の視点から見下ろすもののようで、大通りの中を逃げ惑う人々と共に恐ろしい悪魔の姿がそこにある。

 

――ケケケケケ……!

 

ティファニアも目にしたあの石像の悪魔……女性の姿を象った別の種類のものが狂ったように笑い声を響かせながら滑走していた。

「スパーダさん……!」

突進するその悪魔を正面から迎え撃つ一人の剣士の姿もある。

背負っていた大剣の刀身に赤いオーラを宿し、叩きつけるように降り下ろし爆光と共に石像を砕いてしまったのは数刻前に別れていた保護者のスパーダその人だった。

「あっ……」

目を輝かせるティファニアは無理矢理体を動かそうと身じろぎをした途端、バランスを崩して倒れ込んでしまう。

「あなた、あの悪魔の知り合いなの?」

女はティファニアの方へ向き直り、突っ伏した彼女の体を抱き起こす。

「ねえ。聞かせて! 一体、あのスパーダってどんな悪魔なの? 蛮人に味方をする悪魔なんて初めて見るの!」

「え……そんな、あの……」

好奇心を溢れさせた表情で詰め寄ってくる女にティファニアは困惑する。

そもそもどうして自分がここにいるのか、彼女は一体何者なのか、シエスタやオスマン達はどうなったのか、知りたいことがたくさんあり過ぎ頭の中を渦巻いてしまうので余計に混乱してしまう。

「それにハーフエルフなんて珍しいものが見れるなんて! わたし、すっごく興味があるのよ! やっぱりおじ様に付いてきて大正解だったわ!」

「ハーフ、エルフ……?」

女が口にした言葉にティファニアは目を丸くする。

どうして彼女はティファニアが人間でないことを、しかもハーフエルフであることを知っているのか。自分がエルフであるという秘密はスパーダから渡されたマジックアイテムによって隠されているはずなのに。

「あ……!」

精一杯の力を振り絞って自らの首元に手を触れてみると、そこにあったはずのチョーカーが無いことに気が付く。

それは即ち、ティファニアの耳が元に戻ってしまっていることを意味していた。

だが不思議なことに目の前の女は何故かティファニアを敵視するばかりか恐怖さえも抱いていない様子である。

「エルフ?」

女を観察していたティファニアはようやくその耳が今までに見てきた人間達とは異なることに気が付いた。

彼女の耳もまた、ティファニアと同じく尖った形をしていたのだから。

 

 

ティファニアが巡り合ったエルフは名をルクシャナといった。

彼女はティファニアが悪魔に襲われている所を屋根の上から見つけ、そこを救い出してここまで運んでくれたという。

「本当に驚いたわ。まさかエルフが蛮人の国にいて、悪魔に襲われてるかと思ったんだから」

ルクシャナとしては同胞を助けようとした至極当然の行動だったらしい。

「でもまさかハーフだったなんて、全然思いもしなかったわよ」

「は、はあ……」

生返事しかしないティファニアだが、それには理由がある。

第一に、母以外のエルフと初めて出会ったことやそもそもどうしてここにエルフがいるのかという疑問に対する困惑。

第二に、ルクシャナは何故かやけにティファニアのある場所にばかり注目していることだ。

視線を追い、それが自分の胸元であることを察し、恥ずかしくなってしまう。

「あの……何ですか?」

「あなたのこれ……本物なの?」

恐る恐る尋ねてみると、ルクシャナははっきりと見入っていた豊かな二つの果実を指差す。

「ほ、本物です……」

「本当に本物? 偽物じゃないでしょうね?」

「そ、それは……んっ……」

そう言いつつ、ルクシャナは無遠慮にティファニアの胸の一つを掴んできたのだ。

「蛮人の血が混じるだけでこんなに大きくなるのかしら。一体、何食べたらこんなに大きくなるの……実に興味深いわね……」

「や……ちょっと……」

柔らかい肉に細い指が沈み込み、ぐにぐにとこねくり回される本人の口からは嬌声が漏れてしまう。

ティファニアが見返すルクシャナの胸は自分とは対照的に緩やかな丘と言わんばかりに小さいものだった。

以前、ルイズにも同じようなことを指摘されて弄られたことがあったが、それと似たような状況だ。

ましてまともに動けない今のティファニアではなすがままにされるしかなかった。

 

やがて気が済んだらしいルクシャナは別の話題を切り出し始める。

「ところでその指輪、水の精霊の力が込められたものでしょ。エルフの一族じゃおじ様みたいに高い地位にある人じゃないと持ってないものよ」

「は……はい……母の形見なんです……」

手を裏返し、自らの指にはめられた指輪をルクシャナと共に見つめるティファニア。

「ふうん。あなたの母君の名前は? 何て言ったの? どんな方だったのかしら」

「シャジャル……と、名乗っていました」

「シャジャル……ねえ。私たちの言葉で『真珠』って意味だけど……どうして蛮人の国に来たのかしらね」

「分かりません。わたしには何も……」

ティファニアは亡き母のことを思い返し、ルクシャナに語っていく。

アルビオンの王族の愛人でありその間に自分が生まれたこと。その存在を忌み嫌った伯父王によって両親が殺されたこと。

それからは父のゆかりの人々の助けを得て、孤児達と共に世を忍んで隠れ住んでいたこと。

その孤児達は今、アルビオンを脅かしている悪魔達によって無残に殺され自分一人が人質で生かされ……スパーダによって救い出されたことも。

 

「そう。そんなにエルフって蛮人達に嫌われてるのね。まだ何にもしてなかったのにあなた達を殺そうとするなんて」

話を聞き終え、ルクシャナは小さく息を零す。

あの悪夢を思い出したくないティファニアは思わず目を瞑り、悲壮な顔を浮かべていた。

「それで、あのスパーダっていう悪魔……あいつは一体どんな悪魔なの? あなたは彼と一体どういう関係なのかしら」

「どうって言われても……スパーダさんは、今は私の保護者で……」

思えばティファニアはスパーダのことを全然知らない。何故、人間に味方をして同胞であるはずの悪魔を倒すのか。

何が目的でこの世界に留まっているのか。そもそも今回の旅自体も本当の目的は何なのか。

考えれば考えるほど、スパーダのことをもっと知りたいという欲求が湧き上がってくる。

(もっと、あの人の役に立ちたい……)

前に一度だけ、母の形見の指輪によって彼の身内であるルイズという少女を半死半生から救い出したことがあった。

その行為をスパーダは心から感謝してくれたのだ。母の言いつけ通りに困っている人を助けることで、その人は喜んでくれたことがティファニアにはとても嬉しいことだった。

目の前に浮かぶ、エルフの先住魔法によって映し出されるスパーダは恐ろしい悪魔達を次々に討ち倒していく。

石像の悪魔だけでなく、気味の悪い虫みたいな悪魔をも手にする剣で容赦なく斬り伏せ、瞬く間に全滅させてしまう。

「あのスパーダ、さっきはもっと大きな悪魔を広場で相手にしてたのよ。あんな凄い戦い、絶対に他じゃ見られないわ。悪魔同士の戦いって本当に圧巻したわ」

ルクシャナは屋上からその戦いを見届けていたのだが、その余波に巻き込まれかけたほどだ。思い出すだけで身震いするほどの戦慄を感じてしまったのである。

 

悪魔達を駆逐したスパーダは大剣を背に収めるも、その場から動こうとしない。

何故か微動だにせず沈黙しているので二人は怪訝そうに眺め続けていたが……。

(え……? こっちを見てる?)

突如、彼は上を――こちらの方へ顔を向けてきたのだ。

鋭い視線は真っ直ぐにこちらを、まるでティファニア達二人を睨むようにして送り込んできている。

「もしかして、わたし達が見えてるんですか?」

「そんなはず無いわよ。これは風の精霊の力を通して向こう側の様子をこっちに届けてるだけなんだから」

じっとこちらを睨み続けてくるスパーダにルクシャナも困惑した様子だった。

やがて数分もの間、視線を外さないままだったスパーダだったが、突如前を向き直ると腰に下げている細身の剣に手をかけ、静かに抜き放った。

もう敵はいないのに何をしようとしているのか分からない二人だったが、スパーダは優雅な動作で十字を描くように斬りつけだす。

虚空には剣閃が刻まれ、直後にそれはまるで傷口が出来上がったかのように割れ広がり、穴を作り出したのだ。

剣を収めたスパーダはその中へと歩を進め入り込むと裂け目は見る間に塞がっていき、後には何も残らず風だけが通り過ぎていくだけだった。

 

「あら、消えちゃったわ。どこに行ったのかしら……」

「スパーダさん……」

一体、彼はどこへ消えたのか。首を傾げるルクシャナの横でティファニアは不安そうにする。

だが悪魔達が暴れ回ってあれだけ騒がしかったはずが、今やすっかり静まり返っており、不気味さすら感じるほどになっていた。

それは悪魔達の駆逐が完全に終わったことを意味している。

「ここにいたか! ルクシャナ!」

突然、男の声が響き、二人が振り向くといつの間にか三人の若者達が立っていた。

彼らもまた、エルフであることは二人と同じ耳により察することができる。

「アリィー!」

立ち上がるルクシャナは顔を輝かせて一人の青年に駆け寄った。

アリィーと呼ばれた青年は不愉快そうに憮然とした顔を浮かべている。

「まったく……君という奴は……悪魔が蔓延ってるっていうのに、単独行動はやめてくれよな! 何かあったらどうするつもりだ!」

「ルクシャナさん。あんまり無茶なことをされたら困りますよ。一応こっちはあなたの護衛をビダーシャル様に頼まれてる身なんですから、本当に勘弁してください……」

神経質そうな雰囲気のアリィーの隣で真面目そうな青年が彼と同様に困惑していた。

「大丈夫よ。もう、イドリスも心配性なのね。……それよりアリィー! この子を見て! すっっっっごい、大発見なのよ!」

ルクシャナに手招かれ、三人は縁に寄り掛かったままのティファニアの元へ近づいてくる。

いきなり自分の前に現れた四人ものエルフ達に囲まれ、当のティファニアはどうして良いか分からず戸惑ったまま一行の顔を見回した。

「その娘は何だ?」

「おいおい、エルフじゃないか! どうして蛮人の国に僕達以外にエルフがいるんだ?」

「それが違うのよ、アリィー! この子、純血じゃないハーフなの。とっても珍しいでしょ!?」

「何だと? ハーフだって?」

イドリスとは別のもう一人のエルフははしゃぐルクシャナの言葉を聞くなり、その表情が一気に険しくなる。

「うぐっ……」

ティファニアは突如、自分にあからまさな敵意を……憎悪にも近い感情を向けられたことに驚いたが、彼がいきなり自分の首を掴んできたため息ができなくなってしまう。

「エルフの面汚しめが!」

「ちょっと、やめなさい! マッダーフ!!」

もう片方の手を振り上げ、雷光を宿しかけた彼をルクシャナが慌てて押し留める。

「何を言ってる! 蛮人の血を引くハーフなど我ら誇り高いエルフにとって恥以外の何物でもない! こんな醜いケダモノは即刻この世から消し去るべきだ!」

「待ちなさいって言ってるでしょ! この子はあのスパーダっていう悪魔と関係があるみたいなの。ぜひ、色々と話を聞きたいのよ! 殺しちゃダメ!」

「だったら尚更だろう! 蛮人の血を引くに飽き足らず、悪魔に身も心も売り渡すような下種など世界に仇なす罪人だ! 今ここで殺しておかなければどんな災いをもたらすか分からない! そこをどけ! ルクシャナ!」

「う……ぐ……」

二人が言い争う間にも乱暴に首を絞められるティファニアは苦鳴を漏らしていた。

息ができず、もがくことさえできない彼女は失神寸前の状態だった。

そんなティファニアの脳裏に浮かんだのは、あの悪夢だった。

母を殺し、自分を殺そうとし、そして自分がこの世から消し去ったメイジ達。

それが今、目の前で自分を殺そうとしているエルフと重なって見えたのだ。

「おいおい、マッダーフ。とにかくここは一度、ビダーシャル様の所へ戻ろう。その娘の処遇はいつでも……」

イドリスも仕方なさそうに抑えにかかったその時だった。

 

「風よ。盾となりて我らを守れ!」

即座に手を頭上に振り上げアリィーは叫ぶ。

直後、上空から四人のエルフに向けて無数の氷の矢が降り注いでいた。

 

 

四人に殺到した氷の雨は全て、その進路を明後日の方向へと逸らされていた。

誘拐犯を追い、シルフィードに乗って追ってきたタバサは屋上にティファニアがいるのを見つけ、しかも危害を加えられていると見て早速救出活動に移ったのである。

だが先制攻撃は全て呆気なく阻まれてしまい、戸惑いを隠せないでいた。まさか自分の攻撃をこうもあっさりと防がれるとは思ってもみなかったからだ。

シルフィードから飛び降り、レビテーションによって静かに着地すると対峙する敵を前に思わず息を呑む。

「……エルフ」

月明りに照らされる彼らの人間とは異なる耳は、ハルケギニアの人間にとって恐怖の象徴たる砂漠の異種族のそれであった。

恐るべき先住魔法を操るとされる彼らはタバサが相まみえることは避けたいと考える数少ない敵だ。

油断も隙もなく狡猾で、時には圧倒的な力の差を思い知らされる残虐にして強大な悪魔達とどちらがマシかは微妙な所である。

「お前、あのスパーダとかいう悪魔と一緒にいた娘だな。何の用だ」

タバサの仕掛けた攻撃を意に介さない様子のアリィーは声を上げるが、当の本人からの返答は魔法だった。

「ジャベリン!」

一瞬にして生み出された巨大な氷の槍が猛然と放たれるが、エルフに届く寸前でやはり進路をずらされ、全く別の方向へ虚しく飛んで行ってしまう。

「おいおい、いきなり何をする? 蛮人はエルフを見るなり問答無用で襲い掛かるのか。やっぱり獣と同じなんだな」

アリィーは軽蔑を隠さない口ぶりで不機嫌そうに声を上げる。

だがタバサは身構えたまま視線をアリィーから外し、その後方に見えるティファニアへと向けていた。

彼女は別のエルフに未だ首を絞められたままで、それを女のエルフが何やら諫めている様子だったものの、虐待されていること自体は明らかだ。

(ハーフエルフ……)

ティファニアの正体はタバサもシルフィードを通して全てを知っている。どうやら純血のエルフはハーフを忌み嫌うようだがそんなしがらみはどうでも良い。どうやってティファニアを救出するかが重要なのだ。あのままでは遅かれ早かれ、殺されてしまうかもしれない。

だがタバサの魔法はあっさりとエルフの先住魔法によっていなされてしまうのでは救出の隙を作ることも叶わない。

力押しが無意味であることは疑いようがないが、ではどうすべきなのか頭の中で思考を巡らせるものの、その間にもアリィーの方から動き出していた。

 

(何……?)

彼が片手を横へ流すとその腰に下がっていた円曲の刀が、ベルトに収まっていた何本もの小さな短剣と共に浮かび上がりだしたのだ。

まるで蝶のようにゆらゆらと舞う刃はアリィーを主人と言わんばかりに守護している。

「行きたまえ。君達の好きなように、あの者を鎮めよ」

その言葉と共に次々に短剣がタバサ目掛け矢よりも速く高速で飛来する。

咄嗟に横へ跳んでかわすタバサだが、一本をかわしたかと思えば別の一本がその回避先目掛けて時間差で飛ばされ、確実にタバサを狙いすましてくる。

さらに空中で静止したかと思えば即座に反転し向きを変えて死角から襲い掛かってくるのだ。

しかも一番大きい曲刀が、まるで見えない剣士が振るうかのように繊細な動きで斬りかかってくるのだから質が悪い。

「くっ……」

杖で弾きつつも回避に専念するタバサだが意外にもその不規則な攻撃には自然と反応ができていた。

実を言えば、確かに初見では対処は困難であろう同時多角攻撃であったが、タバサにとって初体験ではない。

かつてスパーダと手合わせをした際、彼の幻影剣による悪魔の洗礼を思い知ったことがあるからだ。

スパーダの円熟した同時攻撃に比べればこの先住魔法はまだ児戯とも言える程度のレベルで苦難ではなかった。

だが、このまま回避を続けていては埒が明かない。

「アイス・ウォール!」

「何っ!」

短剣が全方位から一斉に襲い掛かり同時に曲刀が頭上から斬りかかってきた所、屈んでいたタバサの全身を氷の壁が包み込んだのだ。

無数の刃は分厚い氷に突き刺さり、深く食い込む。引き抜こうとしても中々抜けずにカチカチと金属音を立てながら揺れていた。

 

「ちっ……」

アリィーが舌打ちをした直後その氷壁の一部が内側より破れ、中から小さな影が飛び出てくる。

地面すれすれにフライの魔法で低空飛行し突進するタバサはまさに疾風そのものだった。

前に出ている二人のエルフの間を掻い潜り、ルクシャナによってマッダーフの手を引き剥がされたばかりのティファニアの体を掴むとそのまま急上昇しようとするが……。

「石に潜む精霊よ! 彼の者を捕らえよ!」

一瞬、呆気に取られたが即座に振り返ったイドリスの叫びと共に地面から幾多の触手が伸び、飛び立ったタバサの足に絡みつく。

「……っ!」

突然の事態に焦るタバサだが、さらに伸び上がる触手は両足を縛りつけ、地上へと引き摺り下ろしていた。

落としたティファニアの体はルクシャナがキャッチし、叩きつけられたタバサはそのまま上半身まで触手に包み込まれて完全に身動きが取れなくなってしまう。

「よくやった。イドリス」

「ええ。しかし、蛮人のくせにアリィー殿の意思剣をいなすとは驚きましたな」

二人のエルフは嘆息し、アリィーの得物は遊弋して彼の元へ戻っていく。

 

「きゅいーっ! お姉さまを離すのねーっ!」

突如、上空から巨大な影がエルフ達に襲い掛かる。それは空で待機したままだったシルフィードだ。

牙を剥いて飛び掛かってくる巨体に向けて、イドリスは片手を突き出す。

それだけでシルフィードの体は空中に縫い付けられ、ピタリと動きが止まってしまう。

「こいつ、韻竜なのか。何で襲ってくるんだ?」

「この蛮人の使い魔とかいう奴なんだろう。奴らは蛮人の魔法で一端に幻獣を奴隷にして従えるそうだ」

「蛮人に良いように使われるなんて、哀れなものだ」

アリィーは冷たい目つきで倒れ伏すタバサを見下ろす。その視線はまるで汚いものでも見るかのような侮蔑の意がありありと込められていた。

タバサが睨み返す中、そこへマッダーフが出てきて拳を構えている。

「どけ。僕がとどめを刺してやる」

「ちょっと、やめなさいよ。相手は子供よ?」

ルクシャナが諫めるが、既に彼の手にはバチバチと小さく雷光が弾けていた。

「こいつはあの悪魔と組んでいたんだぞ? このハーフ同様、悪魔と組する奴は何者だろうが殺すのが当然だ。第一、蛮人の一匹や二匹、死んだ所でどうにもなるまいさ」

憎々し気に二人の少女を見やったマッダーフは大きく鼻を鳴らすとタバサに向けて手を突きつける。

まるで屠殺する家畜を処分するかのように平然と、人を人とも思わない見下す感情を隠さないままにエルフはタバサを始末しようとした。

 

 

成す術がないまま、悔し気にタバサは唇を噛み締めた次の瞬間。

「ぎゃあっ!?」

鋭い銃声と共にマッダーフは甲高い悲鳴を上げた。

「きゃっ! ……うっ!」

「うわっ!」

解放されかけた電撃は制御を失い、四方八方へ拡散される。

三人のエルフは慌ててそれをかわそうとしたのでバランスを崩し、尻餅をついたルクシャナは抱えていたティファニアの体に潰されてしまう。

「な……! 何だ……?」

見ればマッダーフの腕には銃跡が一つ刻まれ、血を流している。

思わぬ事態にエルフ達は呆然とするが、タバサだけは違った。地べたを這いずる彼女の目には今まさにこの瞬間に必要不可欠な同志の姿が映ったのである。

重く低い唸りと共に虚空には一閃が縦一文字に刻まれ、瞬く間にそれが左右に広がるとその中から一人の男がぬっと出てきたのだ。

「奴は……!」

エルフ達、特にルクシャナは愕然とした。

つい先ほどまで、今も展開したままでいる風の精霊の遠見で眺めていたはずの悪魔が自分達の目の前にいるのだ。

 

「あれが、スパーダ……」

閻魔刀によって時空を断ち切り、亜空間を通ってここまで駆け付けたスパーダは狼狽するエルフ達には目も暮れずにタバサの元まで歩み寄っていく。

「う……?」

呻くタバサだが、スパーダが目の前までやってきたところでその体を縛っていた触手はするすると勝手に解けていき、彼女を自由にした。

さらには空中に固定されていたシルフィードまでもがドスンと音を立てて落ちていた。

「先に行って待っていろ」

「きゅい……」

シルフィードに向けてそう命じると本人は恐れ慄きながらも素直に従い、翼を広げて飛び立った。

次にルクシャナの元へスパーダは歩み寄るが、倒れたままのアリィーは思わず叫ぶ。

「貴様! それ以上、ルクシャナに近づくんじゃない! 悪魔め!」

自らの曲刀を手にするも、スパーダはその叫びを無視していた。事も無げにほぼ気を失っているティファニアの体を静かに抱き上げる。

ルクシャナは唖然としたままスパーダを見上げていたが、本人は彼女はおろかエルフ達が眼中にない様子だった。

「帰るぞ」

タバサの方を振り向き、それだけ告げた彼はティファニアを抱えたまま歩き出す。

杖を拾ったタバサは一瞬、気を抜きつつもスパーダの後をついていく。

 

「……悪魔め! 何をぬけぬけと!」

我に返ったマッダーフが怒りに燃え、自らの剣を抜くと風の精霊の力を身に纏い、目にも止まらぬ速さで一瞬にしてスパーダの背後まで駆け寄る。

その背中を斬りつけようと振りかぶったが……。

「なっ……!」

寸前でピタリとその動きを止めていた。

スパーダは一瞬にして振り返ると片手にティファニアを抱え、ルーチェの銃口を顔面に突き付けていたからだ。

その光景を眺めていた三人のエルフ達は立ち上がりつつも息を呑むも、スパーダは一言だけ呟く。

「You'll die.(死ぬぞ)」

何の感情も覗えない冷たい言葉を視線と共に浴びせ、その凄みに負けたマッダーフは硬直したまま立ち尽くすばかりだった。

十数秒ほど突き付けていたルーチェを収め、再び振り返り歩き出すスパーダだったが、我に返ったマッダーフは気を取り直して声を上げだす。

「石に潜む精霊よ! あの悪魔を貫け!」

見る間に地面の表面が捲れ上がり、石の破片が浮かび上がるとスパーダ目掛けて殺到する。

タバサがそれを目にして目を見開いたが、スパーダは立ち止まりゆっくり振り向くだけだった。

 

「な……!?」

エルフ達はさらに愕然とした。

今にもスパーダに直撃するはずだった石の弾丸はその寸前でピタリと静止してしまったのだ。

「あいつ……精霊の力を……!?」

「ええ。あのスパーダ、精霊を従えてる……いいえ、精霊達の方があいつに忠誠を誓ってるくらいよ。すごいわ……!」

アリィーもルクシャナも、何が起きているのかを理解した。

彼らが力を借りている精霊の力は悪魔達を相手にすると恐れをなして思うように力を発揮しなくなったりするものだ。

そればかりか悪魔達は精霊の力を紙のように力尽くで破ったり、服従させて制御を奪うという無礼なことを平気でしてくる。

だがあのスパーダは違う。彼は精霊達を恐れさせずにおり、途中までマッダーフの制御下にあった精霊の意思はスパーダを前にして自ら心変わりして傷つけることを拒んでいるのだ。

それは無闇やたらと精霊達を恐怖させる並の悪魔達とはまるで異なる光景で、ルクシャナの好奇心を刺激するのに十分だった。

 

「Are you full? beast's.(気は済んだか? 野獣ども)」

呆然とするマッダーフに向けて冷然とスパーダは言い放つ。

「や、野獣だと……!? 貴様、言うに事欠いて我らエルフを野獣だと! 世界に仇なす悪魔ごときが!」

「今のお前達は血に飢える獣以外の何物でもない」

憤慨するマッダーフにスパーダは容赦なく吐き棄てた。

ダムド・クイーン達とやり合っている最中、自分達を魔法で監視している者がいることをスパーダは看破していたのだ。

その魔力の出所を逆探知すると亜空間を通って直行し、ティファニアがエルフと共にいるのを見つけたのである。

亜空間の境界でスパーダは全ての顛末を見届けていた。ティファニアがルクシャナに保護された経緯も、別のエルフに理不尽な暴力を振るわれたことも全て。

 

『Leave me. I won't tell you a third time.(失せろ。三度は言わん)』

恐ろしい声を響かせ、スパーダはエルフ達を脅す。

アリィーとルクシャナ、イドリスはスパーダの迫力に思わず緊張し声が出ない程だったが、マッダーフだけは引き下がらない。

『それとも貴様らエルフというのは、目に付くものは全て殺しにかかる、血に飢えた野獣でしかないのか。……期待外れだな』

「悪魔ごときが! 我らを侮辱するか!」

「よせ、マッダーフ! 相手が悪すぎる!」

慌てて駆け寄り押し留めるアリィーだが、マッダーフは聞く耳を持たない。

「離せ! アリィー! いくら悪魔が相手でも、我ら誇り高きエルフを侮辱するのにも限度があるぞ! これ以上、我らエルフの誇りを汚されるのは――」

そこまで言いかけて、突如マッダーフの声が途切れた。

顔を顰めるアリィーだが、蹲ったマッダーフは自分の喉と胸を押さえて呻きだす。

どうやら息ができずに苦しんでいるらしい。アリィー達には精霊の力が彼の首を締め上げているのが見て取れた。

見れば片腕でティファニアを抱えるスパーダは、もう片方の手を軽く握り締めるような仕草をしている。

 

『もっと彼女の痛みを知りたいのか。野獣よ』

スパーダにしてみればエルフ達の使う先住魔法とやらは児戯でしかなかった。

下級悪魔ならば精霊の力に難なく干渉できるし、それを利用する術は中級悪魔以上であれば容易いものだ。

上級悪魔ともなれば完全に支配し服従させるのはもちろん、普段から精霊達を刺激しないように配慮できるのも当然である。

どうやらエルフ達――この異世界の異種族達は精霊の力の依存がとても強いらしく、その力が無ければまともな抵抗などできないらしい。

だからこそ、スパーダにはエルフなど眼中にない存在でしかなかったのだ。

『己が血に飢えた獣でないと言うなら、今すぐ証明してみせるがいい。野獣め』

人間の血を宿すハーフエルフというだけで一方的にティファニアを見下し差別するばかりか、理不尽に暴力を振るうことさえ躊躇わないこのエルフ達は文字通り、殺戮と血肉を求める醜い獣であるに過ぎない。

これがエルフ全体のありのままの姿なのか、それともティファニアの母とやらが異端なのか、どちらが真実であるかはさすがに分からないが、スパーダが実際に目の当たりにしたエルフに対する第一印象は最悪の一言に尽きる。

「待って……待ってください……スパーダさん……その人達を……殺すのだけはやめて……」

息も絶え絶えに懇願するティファニアを見やるスパーダだったが、静かに嘆息し瞑目する。

握っていた手を前に押し出すようにすると白目を剥きかけていたマッダーフの体は大きく吹き飛ばされ、地面に投げ出された。

 

 

「そこまでだ。お前達」

激しく咳き込むマッダーフにアリィー達が駆け寄る中、高く澄んだ声が響き渡る。

声がした方へ一行が振り向けば、いつの間にか一人の男が立っていた。

羽のついたつば広帽を被る長身、長髪の男は一行の間に割って入る所まで進み出てくる。

「おじ様!」

タバサが静かに身構える中、ルクシャナが顔を綻ばせて駆け寄っていく。アリィー達もマッダーフを抱えて続いていた。

あの男もまたエルフであることをスパーダは一目で察していた。どうやらエルフ達の中でリーダーらしい。

「悪魔には手を出すなと言ったはずだ。聞いていなかったのか?」

「で、ですが……」

「先に彼の身内に手を出したのはお前達だ。大いなる意思はそんな無礼な行為を許しはしない」

四人を咎める男はどうやらここでの顛末をスパーダ同様に見届けていたようだ。

男はスパーダ達の方を向き直ると、被っていた帽子を外す。他の四人と同じ長い耳が露わになった。

「ネフテス国のビダーシャルだ。ハーフの娘よ、我が姪たちの無礼を詫びよう」

胸に帽子を添え、頭を下げるビダーシャルをティファニアは衰弱した表情で見つめていた。

「おじ様、別に私はその子を……」

「連帯責任だ。そもそもお前が勝手に外へ出たのが原因だろう。我らの目的を間違えるな」

ビダーシャルに叱られたルクシャナは口を尖らせ、子供のように拗ねだす。

 

そこまで見届けたスパーダはもう用は無いとばかりにティファニアを両手で抱き、振り返る。

「少しはまともに躾けをしろ。蛮人よ」

「……っ!」

「よせ」

肩越しに言い残したスパーダにアリィーが顔を顰めるが、ビダーシャルが押し留める。

人間を蛮人と呼ぶエルフ達にとって、自分達が逆に蛮人呼ばわりされるのは侮辱の極みだ。

だがビダーシャルだけはあくまで冷静なままだった。

「我らでは決して奴には勝てぬ。あの光景を見てもそれが分からぬか」

砂漠の民、エルフは敵が蛮人であれば決して負けることはない。自分達に味方をしてくれる精霊の力を借りれば退けるのは容易い。

だがその敵が精霊の力が及ばない悪魔となれば話は別。下級の弱いのならまだしも、あのスパーダは他とは比べ物にならない強力な悪魔だ。

何千ものエルフが束になってかかっても、彼ばかりか彼が相手にしてきた他の強力な悪魔にさえ太刀打ちはできない。

それは巨象に矮小な蟻が無謀に挑みかかるのと同じものだ。

 

「王宮に戻るぞ。我らの交渉はまだ終わってはいない」

帽子を被り直し、歩き出すビダーシャルに四人は続いていった。

立ち止まったルクシャナはちらりと名残惜しそうに屋根を飛び移っていくスパーダ達を見送っていた。

「高潔なる魔の眷族、スパーダか……」

道中、ビダーシャルはスパーダという悪魔について考える。

彼は今まで自分が遭遇してきた恐るべき悪魔とは全く異なる存在であることを肌で感じ取っていた。

作品の良かったところはどこですか?

  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。