魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Mission 60 <宵闇の再会> 後編

過労によって気分を悪くしたために今日は早退けする、という名目でアンリエッタは二階の宿部屋で休むことになった。

シエスタはその代わりとして魅惑の妖精亭を手伝うのを引き受け、臨時の店員として給仕を務めている。

「本当にウェールズさんだったんですね。無事で良かったです……」

「君こそ元気で何よりだ。ティファニア」

「わたしは、そんな……」

嬉しそうに笑みを浮かべるティファニアの頭をウェールズは優しく撫でる。

一行が集まったのはウェールズが寝泊りをする部屋で、ベッドに腰を下ろすアンリエッタは未だ呆然としたまま二人の姿を見つめている。

バンダナや眼帯を外し、髪を整えた青年は紛れもなくアンリエッタが愛する男の姿だった。だが袖捲りをして露わになる腕の所々に傷跡が刻まれているのが彼女の記憶とは異なるものだったのである。

特に、眼帯で隠れていた右目の端には小さいながらも縦一文字の傷跡がはっきり見えている。

その痛々しい姿を目にするアンリエッタは思わず自分の心が張り裂けそうな気分だったのだが、声をかけることすら躊躇ってしまう。

 

「ティファニアもお前の従姉妹だ。テューダー王家に連なるアルビオンの王族の一員だな」

アンリエッタが黙り込むままの中、唐突に声が上がった。

壁に寄り掛かったまま腕を組むスパーダは俯いたまま瞑目しており、彼女の方を見ようともしない。

「モード大公の名前くらいは聞いたことがあるだろう」

いずれアンリエッタの後ろ盾が必要となる以上、今ここで彼女の素性を話しておくのは都合が良かった。

 

ティファニアの父がアルビオン王・ジェームズ一世の弟であり、忘れ形見であること――

 

そのモード大公は兄王との対立で処刑され、母もまた亡くなったこと――

 

天涯孤独の身となったティファニアはモード大公ゆかりの人々の援助によって、アルビオンの片隅でひっそり隠れ住んでいたこと――

 

レコン・キスタが彼女の存在を嗅ぎつけ、援助者への人質としてその身柄を押さえていたこと――

 

ルイズがアルビオンへ潜入した密命の際、スパーダは別件で囚われていたティファニアを救出したこと――

 

そして亡命後、このトリスタニアの修道院に身を隠していることもスパーダは洗いざらい告げていた。

さすがにハーフエルフであることまでは話す気にはならなかったが。

「そうだったのですか……あなたが……」

「あ、あの……えっと……アンリエッタ女王陛下、驚かしてしまってごめんなさい」

話が終わると今まで放心して無表情だったアンリエッタはようやく意外に感じたような笑みを浮かべ、ティファニアを見やっていた。

「スパーダ殿……あなたには本当に言葉もございません……」

まさか存在すら知らなかった従妹の命を救っていたなどとはアンリエッタには思いもしなかったことなので当然だ。

一体、自分の知らない所でどれだけの恩義が彼にはあるのだろうか。

「私も彼女に助けられているのでな。礼なら彼女に言うべきかもしれん」

スパーダの言葉の意味が分からないアンリエッタは僅かに小首を傾げるだけだった。

何しろティファニアはアンリエッタの大切な友人の命を救っているのだが、それすら本人の預かりしらないことである。

 

――あらあら。どうしたの、ルイズ? 何か知っているのかしら?

 

――ええ。そりゃあもう……何しろあのティファニアは娘っ子の命の恩人なんだぜ?

 

――それは誠かね? ルイズよ。

 

――いやあ、俺も冷や汗ものだったね。なにしろ、スパーダを無視して無茶し過ぎたら悪魔に半殺しされちまったもんなあ。いや、ありゃあ一回死んでるか。

 

――デ、デルフ……!

 

――何ですって? どういうことなの、ちびルイズ!

 

「ティファニアのことはひとまずそれで良い。問題はその隣にいる方だな」

脳裏のざわめきを聞き流しつつスパーダはようやく顔を上げ、ウェールズを一瞥する。

だがアンリエッタの顔から即座に笑みが消え、逆にウェールズから顔を背けてしまっていた。

「女王陛下?」

ティファニアが心配そうにするも、アンリエッタの表情には悲壮と苦悩の色が浮かんでいる。

「まだそいつが本物だと信じられないか」

「わたしは……」

「まあ無理もない。お前にとっては悪夢でもあるからな。その恐怖のせいでろくに休めてもいないのだろう」

スパーダの指摘にアンリエッタは目を見開き、彼の方を振り向いた。

「どうして……」

「お前を見ていれば分かる。また夢の中に紛い物のウェールズが出てくるかもしれないから、夜眠ることすら恐れている。……それでは身も心も休まるわけがない」

自らの心の内に抱く想いを見抜かれ、アンリエッタは愕然とする。

それは紛れもない事実だった。

一ヵ月前の悪夢の夜が過ぎ去っても、アンリエッタの悪夢そのものは終わらなかったのだ。

 

アンリエッタが見ていた夢の本質は希望と願望だった。

本物のウェールズが今もどこかで生きてくれている……いつか本物のウェールズと今度こそ会いたい……。

その強い想いがアンリエッタにウェールズとラグドリアン湖で初めて会った頃の思い出を蘇らせていたのだ。

ところが、その夢こそがアンリエッタを苦しめてしまうのである。

優しい言葉で愛を囁いてくるウェールズ……それはアルビオンの謀略によって差し向けられた偽りのウェールズそのものでもあった。

 

忌まわしい記憶は一瞬にしてアンリエッタを恐怖のどん底に陥れ、夢の中のウェールズを拒み逃がれようとした。

だがウェールズはアンリエッタを逃がすまいと腕を強く掴み、なおも変わらぬ作られた笑顔で偽りの愛を呟き、生命を失った王党派の亡霊達の元へ連れ去ろうとするのだ。

恐怖が頂点に達した時、アンリエッタは絶叫と共に悪夢から目覚めるのである。

 

結果、アンリエッタはこの一か月間、まともに安眠できたためしがなく、さらに悪夢の恐怖からここ半月近くはろくな睡眠時間さえ取れていない。

心労と疲労は溜まり、精神はすり減る一方だった。

 

「スパーダさん!?」

「そこまで信じられないなら、こいつも消し飛ばしてみるか。悪夢はもう見たくないのだろう」

おもむろに懐からルーチェの銃を抜いたスパーダはその銃口をウェールズへと向けだす。

ウェールズ自身も一瞬、狼狽する中、ルーチェには赤いオーラが宿りだし、銃口には徐々に雷光が集まっていく。

「やめてっ!」

魔力が収束する中、悲鳴と共にアンリエッタはスパーダの腕へと縋りついてきた。

 

――スパーダったら、何を考えてんのよ!

 

――あんなの冗談に決まってんだろ。……冗談に見えねえけどよ。

 

――冗談にも程があるでしょう!?

 

ルイズが家族から怒られ、デルフが宥める中で起きた展開にヴァリエール一家も度肝を抜かれるほどだ。

カリーヌはずっと無言のままだったがきつい表情は変わらない。

 

銃を下げないスパーダの腕にしがみ付いたままアンリエッタは崩れ落ちてしまう。その苦悩に満ちた表情は今にも悲痛に移り変わりそうな雰囲気だ。

「わたくしには分からないのです……一体何が、本当のウェールズ様の証であるのかが……」

スパーダが平然と会話をする以上、紛い物でないことは確かなのかもしれない。

だがスパーダには承知されていてもアンリエッタにとっては何一つウェールズが本物であるという確証が得られる要素が無いのである。

たとえ今いるウェールズが愛を囁いた所でそれは悪夢で散々遭遇した偽りのウェールズと同じであるため、そんなものはもはや上辺だけの空虚な言葉にしかならない。

「口先ではなく、行動で示せ――か。……当然だな」

銃を収めたスパーダはウェールズを見ると彼もまた困惑した表情でアンリエッタを見つめていた。

自分が本物であるという証拠をどうやって示すべきか考えている様子だ。

「スキルニルの紛い物はトライアングルのメイジであるウェールズの血で作られた。だが、奴らにできるのはそこまでだ。もはや今のウェールズを真似ることはできん」

「え?」

アンリエッタが戸惑う中、スパーダが頷くとウェールズは合点がいったようにハッとする。

「下がっていてくれ」

「は、はい……」

杖を抜いたウェールズからティファニアは離れ、スパーダの隣まで寄ってくる。

二人の従妹が見守る中、ウェールズの口からルーンの呪文が紡ぎだされていく。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

「あ……!」

目の前で起きた光景にティファニアが思わず声を漏らす。

ウェールズの体の周りの風景がぼんやり歪んだかと思えばするりと横へと動きだし、瞬く間に一人の人間の姿へと変わっていたのだ。

現れたのはまごうことなき、ウェールズと全く同じ姿をした分身――風の偏在だった。

「トライアングルのメイジにはスクウェア・スペルは使えん。それは紛い物でも同じことだ」

「まだ覚え立てだからね。一人を出すだけで精一杯だよ」

 

――皇太子殿下……いつの間にスクウェアに……!?

 

――まあ、あのアルビオンからトリステインまで命辛々逃げてきたんだからな。修羅場は潜り抜けてるだろうさ。

 

亡命の逃避行の最中、恐らくレコン・キスタの追手と幾度も杖を交えたことだろう。その戦いの中で彼はメイジの最高位であるスクウェアへと成長していたのだ。

体に残った傷痕こそが、いくつもの死戦を生き残ってきた証でもあった。

 

「これでもまだ信じられないか?」

スパーダの促しにアンリエッタは呆然と、よろけつつもそっと立ち上がる。

「アンリエッタ……」

偏在の分身を消したウェールズははっきりとアンリエッタに優しい笑みを向けてくる。

「本当に、ウェールズ、様……なのね?」

震える声で確かめるアンリエッタは一歩ずつ、恋人の元へと歩み寄っていった。

「風吹く夜に」

ラグドリアンの湖畔での出会いより始まった二人だけの合言葉。

それは偽りのウェールズも口にした、本来なら今のアンリエッタには何の意味もないはずの証。

だがこの瞬間だけは、父のように信頼する男がはっきりと本物であることを認めており、さらにはその証も示してくれていた。

アンリエッタは不思議と恐怖を感じることなく、彼の言葉を受け入れることができた。

 

 

胸の中に飛び込んできたアンリエッタをウェールズは優しく抱き留めていた。

望み続けていた偽りではない本物の愛する男との再会にアンリエッタは咽び泣いている。

「お前以外にも手駒はいるのだろう。他はあとどれくらいがいる?」

「そんな大層なものではないさ。僕も含めて30人足らず……前に君がイーグル号に乗り込んできた時に顔を見合わせた者達だけだよ。みんな、こんな僕のために道連れになって付いてきてくれた……彼らがいなければトリステインに落ち延びることもできなかったよ」

アンリエッタの頭を撫でながらウェールズは答える。

かつてルイズの密命でアルビオンへ赴いた際、ウェールズは空賊に扮して任務を遂行していたのだ。

「スパーダ殿は……いつから知っておられたのですか? 本物のウェールズ様が生きてくれていた事実を……」

「お前が木偶人形に誑かされたあの時、私達の近くにいたからな。あの時のお前ではたとえ会えたとしても意味はない」

 

――な……! 何でもっと早く教えてくれないのよ!

 

――そりゃ空気くらい読むだろうよ。あんな時に本物が出てきてみ? 姫嬢ちゃん、狂っちまうぜ。

 

あまりにもあっさりと告白するスパーダを介するルイズが癇癪を起こし、アンリエッタも唖然としていた。

「少なくとも、お前のことを見守ってはくれていたわけだ」

「まさか僕の偽物を使ってアンリエッタを誑かそうとしたとは……スパーダ殿やミス・ヴァリエールにはどれだけ感謝を申し上げても足りない……」

苦い顔を浮かべるウェールズはアンリエッタと共にベッドへと腰を下ろす。

「君の言に従わなければ、僕は今頃アンドバリの指輪の力で亡霊となってアンリエッタを脅かしていた……それを考えると寒気がする」

アルビオンでの別れ際、スパーダは消極的ながらもウェールズに生きて逃げる選択を勧めていた。ウェールズは最終的に討ち死にを選ばず、このトリステインまで落ち延びてくれたのだ。

それは結果的にアンリエッタにも、ウェールズにとってもベターながら最良の未来をもたらしたのである。

「魔剣士スパーダ……二度もこの命を救ってくれたことに、心から感謝を申し上げる」

「だが今はその紛い物さえもアンリエッタには必要かもしれん」

そう告げながらスパーダはティファニアを連れて部屋を後にするべく動き出す。

これからの時間、この部屋には二人以外の存在は邪魔にしかならない。

「今夜はお前が付いていてやれ。たとえ紛い物だろうと、今の彼女には拠り所が無ければならん。それこそ本物が相手なら文句はあるまい」

「あ……スパーダ殿……」

「ティファニアについてあとでまだ話すことがある。だが、今は休め」

アンリエッタの声を背に受けつつスパーダはそれだけを言い残し、部屋を後にしていく。

振り返ったままのティファニアは扉が閉じられる瞬間まで残された二人をじっと見つめ続けていた。

 

「本当に嬉しいです……ウェールズさんが生きていてくれて……」

それが率直なティファニアの気持ちだった。

アルビオンで初めて出会った自分の親戚はすぐにこの世界から失われようとしていた。しかし、彼は傷つきながらも生き続けてくれたのだ。

肉親は既に失われても従兄姉という存在は、ティファニアに決して一人ではないという事実を実感させられていた。

 

「ふふふ……これからこの部屋は二人だけの愛の巣になるわね……」

「え、ええ?」

唐突に耳元で妖艶な声が囁かれてティファニアは戸惑った。

「駄目よ……大声を出すものじゃないわ……野暮ってものでしょう?」

ティファニアの肩を後ろから抱いていたのは、赤い髪を揺らす女――毒々しい肌の裸体に闇色のショールだけを纏う魔女・ネヴァンである。

 

――あの淫乱女……! いつの間に……!

 

――まあ、あのハープに宿っていた悪魔なのね。

 

ルイズ達はネヴァンの唐突な出現に対し、カトレア以外は明らかな嫌悪と怒りの視線を向けていた。

何しろこの悪魔によってルイズは一度、殺されたというのだから。

デルフからの説得でスパーダが懲らしめ手懐けていることは分かっていても、自分達の家族を傷つけた相手であることを聞かされて許せるはずがないのだ。

ネヴァンは一行がこの部屋へ入る直前にスパーダから抜け出し、この入口の横でこっそり盗み聞きをしていたのである。

 

「こっそり覗いてみるのも悪くないわ……きっとすごいものが見れるわよ……」

 

――ふざけんじゃないわよ! ひ、ひ、姫様と皇太子様の……~~~~~っ……このおっ!

 

ルイズが力いっぱいにスプーンを投げつけて憤慨している。

 

「あなたはこういうのは経験したことが無いんでしょうね……ふふふ……分かるわ……」

「う……あ、あの……」

「野獣やあの野蛮な小娘たちとは大違い……初々しいわね。ハーフエルフ……とっても可愛らしくて、美味しそう……」

 

――な……だ、誰が……野蛮ですってぇ!? 

 

――好き放題言いやがるな。っていうか、同じ女にも平気で手を出すのかよ。

 

自分に纏わりついてくるネヴァンにティファニアはまるで抵抗ができなかった。

男はおろか同じ女さえも魅了するネヴァンのその妖艶な仕草や甘い吐息はティファニアに不思議な感覚を与えてしまう。

肩から腕へ、腕から身体へと撫でるように手を動かしてまさぐってくるネヴァンになすがままとなるティファニアは目がトロンと虚ろになり、そのまま彼女を受け入れそうになってしまうが……。

「……ハッ!」

唐突に我に返ったティファニアが振り向けば、スパーダがネヴァンの髪を脳天から鷲掴みにして持ち上げている姿が目に入った。

「いつまで遊んでいる。お前に用はない」

冷淡に呟くスパーダにネヴァンは不敵な笑みをこぼして――「ちょっと悪戯をしてやっただけなのに」と言わんばかりに――僅かに唸るだけだった。

瞬く間にネヴァンの姿は闇に包まれ、掻き消えていってしまった。

「あ……ど、どこへ行くんですか?」

ネヴァンが消滅するとスパーダはすぐに踵を返して立ち去ろうとしている。

「外の様子を見てくる。戻るまで店の外には出るな」

それだけを言い残し、スパーダは下へと降りて行ってしまう。

取り残されたティファニアは魔女の虜になりかけたことも相まって、呆然と立ち尽くすのみだった。

 

 

城下町トリスタニアの繁華街であるチクトンネ街の奥深く、狭苦しい路地の中に小さな安宿がある。

巡邏の衛兵達が闊歩する中、アニエス率いる近衛隊の一つである銃士隊の一団は路地の入口で待機していた。

少し時間が経つと、宿の中から年若い少年が姿を見せる。

それは貴族に仕える小姓であり、アニエス達が先ほどより貴族達の高級住宅街から後をつけている相手だった。

小姓は物々しい街の雰囲気に不安な様子だったが、乗ってきた馬に乗って来た道を戻っていく。

彼は主からの手紙を相手に渡すだけの存在。もう用はない。

「行くぞ」

二人の部下を連れてアニエスは路地へ、そして宿へと足を踏み入れる。

一階の酒場で賑わう人混みを掻き分け二階への階段を上がっていった一行を出迎えたのは、先行させていたもう一人の隊員だった。

「一番奥の部屋です」

小声で呟き指差す隊員にアニエスは頷く。

このトリステインに巣食うアルビオンに通じる内通者――高等法院長リッシュモンを追い詰めるため、アルビオンから忍び込んだネズミを捕らえなければならない。

そのために女王は自ら体を張って姿を隠し、リッシュモンの動揺を誘い罠を張った。

まさにその策が功を奏した。彼はアルビオンの密使に確認を取るため、接触を図るべく連絡を送ったのだ。

その居所を探るべくリッシュモンの屋敷に張り付き、ようやくこの場所を突き止めた。

 

チャンスは一度、失敗は許されない。

 

目的の部屋の前までやってきたアニエスは愛用の対悪魔用のランチャーに砲弾を装填し、扉に向けて構える。

引き金を引き、放たれた砲弾は木製の扉を破り部屋の中へと飛び込んでいった。

「ぶわ!? ゴホッ! ゴホッ!」

小さな軽い破裂音と共に中から激しく咳き込む声が響いてきた。

それを合図にアニエスはたった一つの命令を叫ぶ。

「突入しろ!」

剣を抜いた隊員達は扉を蹴破り、立ち込める煙幕の中で蠢く人影へと殺到する。

部屋の中にいたのは商人風の中年男で、煙に怯みながらも杖を取り出そうとしている。

相手はメイジだ。だが激しく咳き込み、咽るだけでドット・スペルの呪文すら詠唱できない。

瞬く間に銃士隊の隊員達によって杖を叩き落とされ、剣の柄で腹を打ち据えられ、最後には床に倒され押さえ込まれてしまう。

先手必勝、速攻の奇襲は五秒と経たずに決着がついた。

 

「隊長。これをご覧ください」

密使を縄で縛りあげる中、部屋内を物色していた隊員の一人が机の上に広げられていた一枚の紙を見つける。

アニエスもやってきて確認すると、どうやらどこかの建物の見取り図であることが分かった。

さらにその横には小姓が届けたらしい手紙と一枚のチケットが置かれている。

手紙を改めると、そこには『明日正午、例の場所で』という一文が記されていた。

「なるほど……これがこいつらの密会場所、というわけか」

チケットはトリスタニアの芝居小屋、劇場であるタニアリージュ・ロワイヤル座のものだった。

外からやってきた子ネズミと内部から穀倉を食い荒らす親ネズミが出会う場所にしてはずいぶん変わった所を選んだものだとアニエスは鼻を鳴らす。

「よし、撤収するぞ。そいつの顔も隠しておけ」

証拠品を押収し、最後に麻袋を密使の頭に被せてアニエス達は現場を後にしていく。

さすがに騒ぎが大きかったので一階に降りると客達の注目が集中するが「手配中の犯人を捕縛しただけだ」と周りを威圧し、銃士隊は店から去っていった。

 

「外から忍び込んだネズミは捕らえたか。大したものだ」

路地から外の通りまで出てくると、聞き覚えのある声に一行は立ち止まる。

「スパーダ……」

振り向けば、そこにはアニエスの戦友であり銃士隊が世話になる異国の剣豪たる貴族が腕を組んでいたのである。

「お前達は先に戻っていろ。そいつをチェルノボーグへぶち込む準備をしておけ」

「はっ!」

後始末を部下に任せてアニエスは現れたスパーダと並んでチクトンネ街の通りを進んでいく。

「アンリエッタから話は聞いた。これから裏切り者の白アリを一匹燻りだすそうだな」

「女王陛下と会ったのか……」

「たまたまな。別に周りにバレてはいないから心配はいらん」

スパーダが自分の主君と遭遇していることにアニエスは驚いたが、彼は余計なことは口にしない男であることは理解しているので。それ以上の詮索はしなかった。

むしろ自分達の作戦が彼にも知れた方が何かと都合が良いかもしれない。

「だが先に奴を捕らえて良いのか? リッシュモンを現行犯で捕らえられんぞ」

「大丈夫だ。スキルニルを使って囮にするからな」

アニエス達の計画では今回の作戦でも使っている魔法人形・スキルニルを全面的に利用してリッシュモンを追い詰めるつもりでいた。

昼間はアンリエッタに化けて失踪したと思わせ、さらに今度は捕まえた密使に化けさせてリッシュモンを誘きだし、密会する劇場で秘密を洗いざらい喋らせてその犯行現場を押さえて逮捕するのである。

 

「奴は必ず捕らえる。……いや、それだけでは済まさん」

「リッシュモンとやらがそんなに憎いのか。……激しい怒りと憎しみを感じる」

厳しい目つきで眉間に皺を寄せるアニエスを見て、スパーダはあっさりと彼女が心に抱く黒い感情を言い当てる。

「奴はこの30年で数えきれない悪事を犯したと聞いている。その途上に築かれた犠牲者の数は計り知れんだろうな。当然、相応に恨みは買うものだ」

スパーダの指摘にアニエスは一瞬、動揺しかけた。「お前もその犠牲者の一人か?」と彼は言っているのだ。

この男の前ではどんな隠し事も通用しないだろう。誰にも話す気などなかったはずの自分の秘密も、この男が相手なら何故か不思議と打ち明けてみたい気分になってしまう。

別に話した所でスパーダはどうこうする訳でもない。ただ、黙って聞いて話す相手の心を全部受け止める、それだけのことだ。

 

「リッシュモンは……私の故郷を滅ぼした男だ」

 

 

アニエスの生まれ故郷はダングルテール――トリステインの北西部沿岸に位置する一地方であり、何百年も昔にアルビオンからの移住者が開拓したという村々があった。

純粋なトリステイン人とは異なるアルビオン人独特な独立独歩な気風が目立つこの地方の人々は何かと王政府に反発するわ、ロマリアの宗教改革である『実践教義運動』を取り入れたがために住民は全員新教徒であったりと、歴代のトリステイン王にとっては悩みの種だったそうだ。

それでも要領よく立ち回っていたダングルテールの人々は決して弾圧されるといったこともなく、ついに20年前には自治政府を認めさせて新教徒の寺院までも設置したほどだという。

だがちょうど、その時期にダングルテールの村は住民もろともこの世から消えた。

新教徒を弾圧していた当時のロマリア宗教庁から目を付けられ、圧力を受けたトリステインはついにダングルテールを異教徒と判断し、厳しい異教徒狩りが行われたのだ。

「ロマリアか……確か、今の教皇は相当若い奴だと聞いているが」

「新教徒狩りを行ったのは前教皇だ。今は新教徒への弾圧も治まっているが……」

苦い顔でアニエスは俯いている。

「リッシュモンはロマリアから莫大な賄賂を受け取り、反乱をでっち上げてダングルテールにメイジの部隊を送り込んできたのだ。そして、私の村は奴らによって容赦なく焼き払われた……」

 

――どうしたのですか、姉様? 何か心当たりでも?

 

――え、ええ。ちょっと前に仕事でダングルテールに行ったことがあるから。あそこは今では悪魔達の巣になっているわ。

 

「二週間前、私は王軍の資料庫に入る機会を得た。そしてつい先日にやっとその下手人の部隊の詳細を見つけることができたのだ」

 

その隊の名は王立魔法研究所実験小隊――

アニエスは村を滅ぼす作戦を立案したリッシュモンと、実際に村を滅ぼす所業に手を染めた者達に対して激しい怒りと憎しみを抱いていたのだ。

 

――アカデミー実験小隊……。姉様……。

 

――聞いたことがあるわね。確か、下級貴族で構成された魔法の研究を行う非公式の小部隊だとか……。

 

そのアカデミーに勤めているエレオノールも耳にしたことがあるという実験小隊とやらは、言うなれば汚れ仕事を専門に引き受けるトリステインの暗部であったという。

野盗や怪物退治、反乱鎮圧といった荒事にかこつけて人道・非人道を問わない魔法効果を実験・研究するというえげつない活動をしていたそうだ。

ダングルテールで行われた弾圧も恐らく、その一環なのだろう。

 

「だが……」

「どうした?」

「一番罪深い男……隊長の名前の所だけが破かれていたのだ!」

歯を食いしばり、拳を握り締めるアニエスは悔しそうに声を荒げた。

話によれば資料にはそれまで行ってきた作戦の概要や隊員の名簿が事細かく記されていた。

ダングルテールで行われた弾圧は表向きには『疫病が発生したので村ごと焼いて滅菌せよ』ということだったそうだが、それよりもアニエスが知りたかったのは部隊を率いる隊長の詳細だった。

だが何故か、その名簿に記されているはずの隊長の名前のみが破れており、名を知ることはできなかった。

分かったのは何者かが意図的に名簿を破って証拠を消したということだけだ。

せっかく掴みかかった手掛かりが、潰えてしまったことにアニエスの悔しさと怒りは膨れ上がるばかりである。

 

「では他の生き残りを探しだして吐かせれば良い。副官なり、他の隊員はちゃんと名前があるのだろう?」

「駄目なんだ。第一、その実験小隊そのものはダングルテールの虐殺の時に壊滅している」

「リッシュモンに口封じでもされたか」

ダングルテールの一件は真相が明らかになれば関係者を全て破滅させるものだ。

証拠を隠滅するためにも上役であるリッシュモンにとって下手人である実験小隊はこの虐殺の生き証人である以上、存在そのものが既に邪魔にしかならない。

いくらお抱えの部隊とはいえ、所詮は非公式の秘密部隊。必要が無くなればあっさり切り捨てられるのも当然である。

だがアニエスの返答はスパーダの予想とは異なるものだった。

「違う。……奴らはダングルテールで悪魔と遭遇したんだ。それも大物の奴とな」

アニエスが見た記録によれば、実験小隊は任務を遂行している最中に思わぬ障害に出くわすことになった。

それこそが見たこともない何処から現れたかも分からない巨大な悪魔であり、その力は小隊だけでは手に余る強大な力を発揮し、隊員を返り討ちにすると共に焼き払われた村を駄目押しと言わんばかりに焼き滅ぼしたという。

「あれは恐ろしい……地獄の業火そのものだった……」

「君はその悪魔を見たのだな」

アニエスが虐殺の渦中にあった生き証人である以上、当然その悪魔とやらを見届けているはずだろう。

事実、全身を震わせている彼女の脳裏にはあの忌まわしい記憶と恐怖が焼きついていた。

 

20年前……当時はまだ3歳だった幼いアニエスを含む子供達は村が焼かれる直前、大人達によって寺院の奥深くへと隠されていた。

だが家族が心配になったアニエスは外へ飛び出し、燃え盛る地獄の中へと自ら飛び込んでしまったのだ。

アニエスは突然炎に包まれてしまった村の中を意味も分からず必死に逃げ回っていた。

住んでいた家を、父も母も、懇意にしていたロマリアからの弾圧より逃れてきた貴族の女性――名はヴィット―リアといったのを覚えている――までも焼かれてしまったアニエスは泣きながらただひたすらに逃げ惑うことしかできなかった。

 

そんなアニエスの前に、それは竜のように恐ろしい咆哮と共に姿を現した。

村を焼くよりも凄まじい爆炎が寺院が建っていた場所で膨れ上がり、全てを跡形もなく焼き尽くしたのである。

 

幼いアニエスが見上げるほどの巨体――その体を包む激しい炎――その手に握られた、巨大な炎の剣……。

 

まさに地獄の業火の化身とも言うべき悪魔が、猛火を従えながら闊歩していたのである。

 

その巨大な炎の悪魔は恐怖に竦むアニエスを道端に転がる石ころか、地を這う虫けらと言わんばかりにまるで意に介さず踏み潰そうとしていた。

だが悪魔はアニエスの命を奪うことはできなかった。

 

容赦なく村を焼き払う虐殺に加担していたはずの大罪人――実験小隊のメイジが悪魔に戦いを挑んだのだ。

無謀にも悪魔に立ち向かおうとしたその男は小隊を率いる隊長だった。彼は撤退を促す部下の進言に耳を貸さず、アニエスを踏み潰そうとした悪魔に自分の炎の魔法を叩きこんだ。

その一撃が悪魔の敵意を刺激し、矛先を自らに敵対した人間達に向けてきたのだ。

実験小隊は次々と炎の悪魔に蹴散らされ焼き殺されていく中、たった一人だけで悪魔と死闘を繰り広げ――何とその悪魔を辛くも退けたのである。

幼いアニエスを救い、村外れの海岸に逃がしてくれたその隊長が体に負った火傷の痕を本人はしっかり覚えていた。

 

――それじゃあ、あの地獄門が……。

 

――地獄門? それは何だ。エレオノールよ。

 

――はい。ダングルテールの近郊に悪魔達がこの世界に現れるための装置……地獄門と呼ばれるものが設置されていましたわ。強力な悪魔がこちら側に通ってきた痕跡もあります。たぶん、あの銃士隊長が見たという悪魔がそれではないかと……。

 

――その地獄門はどうしたんだ? まさかほったらかしたままってわけでもねえだろう?

 

――モデウスが破壊したわよ。動力だったセイレーンの慟哭とかいうはマジックアイテムはアカデミーに保管しているわ。

 

それにしても皮肉と言うべきか。動力源の魔具は村全体を焼き払う程度の炎なども瞬く間に鎮める強力な水の力を秘めた代物なのに、地獄門を通ってきたのはその力でも抑えきれないであろう炎の力を操る上級悪魔とは。

たとえダングルテールの虐殺が実行されなかったとしても、遅かれ早かれその炎の悪魔によって焼き滅ぼされていたのだ。

むしろ、実験小隊が訪れていたからこそ、アニエスは命辛々生き残ることができたのである。

 

「記録によれば生き残ったのは隊長一人だけらしい……だがその隊長も帰還後に行方を晦まし、実験小隊は解体されたのだ。……くそっ!」

足元を踵で踏み鳴らし、アニエスは悔しがった。

「私はあの虐殺に関わった者達は決して許さない。リッシュモンも、生き残った隊長も……必ずこの手で殺してやる」

「その隊長は君の恩人でもある。それでも殺すのか」

黙って話を聞いていたスパーダはその実験小隊の隊長とやらのことを考える。

任務にかこつけて殺戮を楽しむような愉快犯か、自らの力を過信する命知らずか、ただ与えられた任務のみを実行する血も涙もない冷血漢か、ただ周りに流されるだけの凡人か……。

真意は定かでないが、少なくともその隊長はアニエスという小さな命を救うために行動を起こしたのだ。

「奴は私の故郷を滅ぼし、罪もない人々を焼き殺した! たとえ如何に善行を築いていようが、その事実に変わりはない!」

激しい怒りに燃える瞳をスパーダに向けてアニエスは叫んだ。

通行人や衛兵達がその声に驚き、視線が集中する。

「あの炎の悪魔に殺されなかったのは幸いというものだ。仇をこの手で殺す機会を私は得たのだからな」

アニエスの中では炎の悪魔のこと自体は正直、どうでも良かった。あいつは偶然、村に現れた自然災害のようなものに過ぎない。

それが故に、村を最初に焼き、その命令を下した悪意ある者達こそがアニエスの真の仇と言うべきものなのだ。

 

憎き仇を討てるのであれば、それこそ自分が――

 

「ならば好きにするが良い。……せいぜい、復讐の炎に自分自身を焼かれぬようにするのだな」

「何?」

「炎を燃やしてばかりでは、その激しさに阻まれて見えるはずのものも見えなくなる。時には一度、僅かな間だけその炎を鎮めてみるのも必要かもしれん」

嘆息するスパーダの言葉にアニエスは顔を顰める。

「君が討とうとしているのは何であるか……。人間か――狂人か――悪魔か――はたまた、ただの使われるだけの凶器に過ぎないか……少し考えてみるのも一興だろう」

「面倒な言い回しはよせ。私は詩的な感性など持ち合わせてはいない」

「そうか、失礼した。……とにかく、今は目の前の任務に集中するのだな。凶器は操る人間がいるからこそ、罪なき者を傷つける。まずはそいつから潰せ」

「ああ。分かっている……」

アニエスの中で燃え盛る復讐の炎は、決して鎮まることはない。

たとえ仇が命の恩人だろうと、この同じ世界で生き続ける限り、地の果てまで追い詰めてこの復讐の炎で逆に焼き尽くしてやる。

そのためにこの20年、アニエスは女であることを捨ててひたすらに力を身に着けていた。

 

メイジ殺しと呼ばれるようになった剣技――

 

恐るべき悪魔や怪物に対抗するための銃器――

 

そして、スパーダより託された稲妻の魔剣・アラストルを――

 

 

魅惑の妖精亭の宿部屋――小さなテーブルに置かれたランプの淡い光だけが残されたアンリエッタとウェールズを照らしていた。

ベッドに座り寄りそう二人――愛する男に身を預けるアンリエッタ、その彼女に手を回して肩を抱くウェールズは共に何も語らないまま、静かに時を過ごしている。

アンリエッタにしてみれば、この何の変哲もない時間を愛する男と共に過ごせるだけでも心が安らいでいたが……。

「スパーダ殿が仰っていました……わたくしは、ウェールズ様を本気で愛してはいないと……」

最初に語りだしたアンリエッタの言葉は、後悔と羞恥だった。

一ヵ月前、アルビオンの謀略で偽りのウェールズにさらわれたアンリエッタは、彼女を惑わす甘い言葉によって一度はこの国を捨てて偽りと分かっていながらウェールズに身を任せてしまいかけた。

だが、その正体はウェールズの姿を真似ただけの人形に過ぎなかった……最初からアンリエッタの前に愛するウェールズなどどこにもいなかったのだ。

「わたくしはずっと、想い出の中のウェールズ様だけを求めていたのです……本当のウェールズ様自身のことなど何も考えずに……」

スパーダは言っていた。アンリエッタの愛は本物だが、同時にウェールズを愛していないと。

アンリエッタが愛していたのは記憶の中にある、自分に愛を囁いてくれるウェールズだけ。都合の良い言葉だけしか口にしない幻想だった。

それと同じ姿であれば、自分はたとえ中身が醜い化け物であろうが身を捧げようとしてしまう愚か者だったのである。

そして、その愚行のために多くの者達を犠牲にしてしまったのだ。

「きっとあなたはこんなわたくしを幻滅なさるでしょう。……でも、それでも良いのです。こうして嘘偽りのないありのままのウェールズ様が生きて傍にいてくれた、このひと時の現実があったと分かればそれでわたくしは満たされますから……」

本来なら、本物のウェールズに合わせる顔がない。嫌われても仕方がないとアンリエッタは覚悟していた。

だからこそ正真正銘、本物の愛する男が自分の傍らにいてくれる貴重な時間を少しでも味わい、大事にしたいのだ。

 

「僕も同じだよ……アンリエッタ」

顔を上げるアンリエッタはウェールズが先ほどまで見せなかった自分と同じ想いに満ちた苦悩の表情を浮かべていることに気付く。

「君はミス・ヴァリエールを介して、僕に亡命を勧めてくれたね。それが君自身のありのままの心だったのに……僕はそれを踏み躙った。スパーダ殿の言う通り、僕も自分にとって都合の良いアンリエッタのことしか愛していなかったんだ。愛しているからこそ、愛する人を不幸にしないためにも身を引かなければならないと言い訳をしてね。残される者のことなど何も考えずに……」

ウェールズもアンリエッタの悪夢の夜の現場にいた以上、物陰からスパーダ達の会話を聞いていたのだ。

故に、アンリエッタの抱く気持ちが痛いほど理解できた。

「本当に愚かだったよ。その選択をしていれば、君はより大きな悪夢に苦しめられていたんだ」

アンドバリの指輪の力によって偽りの命を与えられ、あの偽りのウェールズと同じことをしていたに違いない。

しかも肉体そのものは本物であるため、アンリエッタが受けるショックは計り知れなかっただろう。

そして、ルイズの魔法で偽りの命を与える魔法が掻き消されれば、アンリエッタとウェールズの永遠の別れは避けられない運命だったはずだ。

 

「きっと、その悪夢は君自身をも変えていたかもしれない。愛する者を弄び、奪った者達への復讐に狂って……僕は、そんなアンリエッタのことを見たくない……」

思わずアンリエッタの全身は震えてしまう。

もし、本当に自分がウェールズの仇を討とうと復讐の炎を燃やしていたら、どうなっていたのだろうか。

国民も、臣下も、果ては親友の命さえも犠牲にして、憎きアルビオンへ、死地へと無謀にも攻め込ませ、「敵を全て殺すまで討ち倒せ」「敵の首を自分の前に持ってこい」と命じていたのかもしれない。

復讐というどす黒い炎を燃やして狂った果てには……考えるだけで恐ろしい。

「死ねば死者は現世から永遠に解放される。苦しみも悲しみもなく……でも、残されたアンリエッタは生きている限り、永遠に苦しみ悲しみ続ける……。そのことを考えたら、不思議と君のことが心配になってたまらなくなったんだ……」

ウェールズは両腕でアンリエッタの体を強く抱き締め、自分からも体を預け寄り添いだしていた。

アンリエッタはウェールズの手にそっと自分の手を重ねる。

 

「父や多くの家臣達を裏切ることになってしまったけど……それでも良い。テューダー王家が滅び、ただのウェールズとなって生き恥を晒してでも、僕は夢の中ではない、本当のアンリエッタのことを見守ってやりたい……」

「ウェールズ様……」

「僕は君を愛するのも、愛される資格すらないかもしれない。それでも、こうして恥を忍んでここまで来たんだ……たとえ僕達の想いが許されないものであっても、この同じ世界で共に生きていられることに変わりはないのだから」

二人が抱く愛情と想い出は過去であり、夢と幻想の中の産物。だからこそ、自分にとって都合の良いと思えるものしか愛せなかった。

ウェールズは夢と過去を振り切り、現在を生きるたった一人の人間のために生きようとしているのである。

「だから……僕は死なない。自分の心にも、君の心にももう嘘はつかない」

愛する者のために今を精一杯生きる。それだけが、今のウェールズがアンリエッタに示せる愛情そのものだった。

もう自分達の想い出の中にある過去ではなく、今この瞬間で同じ世界に生きるありのままの者を愛する。

その強い想いと覚悟がアンリエッタにはっきり伝わっていた。

(そうよ……わたしだって……)

自分が本当に愛したいのは、彼と同じく夢でも想い出でもない。

アンリエッタが本当に愛したいのは――

 

 

「開けろ! ここを開けるんだ!」

突如、怒鳴り声と共に部屋の扉を激しく叩く音が響き、二人はそちらを振り返る。

「我らは王軍の巡羅の者だ! 逃亡した犯罪者の捜索のために宿の全てを順に回っている! ここを開けろ!」

相手の言葉を聞いてアンリエッタは合点がいった。

自分が失踪したということになっている以上、巡邏の衛兵達は当然、街の巡回だけでなくこうした宿にもくまなく捜索の手を伸ばすだろう。

「わたくしを捜しているのね……もう……」

思わずアンリエッタは不満そうに顔を歪めてしまう。

これも自分達の計画で生じた事態で、向こうは職務を果たしているのは良いのだが、それでもタイミングが悪いのはいささか困りものである。

せっかくウェールズと二人だけで過ごしていたのが台無しだ。

「開けるんだ! 非常時故、無理矢理にでもこじ開けるぞ!」

沈黙を続けてやり過ごそうかとも思ったが、そうはいかない様子だった。中に入ってくるのは時間の問題だろう。

ここでアンリエッタの所在と安否がバレてしまっては、計画に支障が出るかもしれない。

 

「ちっ……仕方ないな。アンリエッタ、少し我慢を……っ」

ガチャガチャとノブが激しく動いて鳴るのを見てウェールズはフェイス・チェンジを唱えるべく杖を手にしようとしたが、その前に声は途切れ、体はベッドの上へと押し倒された。

直後、扉の鍵が破られ、衛兵達が中に飛び込んでくると――

 

「ちっ……お楽しみ中かよ」

二人組の衛兵が目の当たりにしたもの――それはまさに二人の年若い男女が逢引をする場面だった。

部屋に連れ込まれた酒場の給仕が逆に男を押し倒してのしかかり、激しく唇を吸っている――傍から見ればそのようにしか見えない。

「ほら、行こうぜ。見たくもねえや、あんなの。……ちきしょう」

溜め息をついた衛兵は不機嫌そうに、乱暴に扉を閉め、立ち去っていった。

だが目を瞑るアンリエッタは熱い吐息を漏らしながら困惑するウェールズと唇を重ねたまま夢中になっていた。

長く続いた口付けは衛兵達が店の外へ出て行ったところで、ようやくアンリエッタは唇を離していた。

 

「……アンリエッタ?」

突然の行動に驚くウェールズであったが、自分にのしかかったままのアンリエッタの目が潤んでいることに気が付く。

つけていたメイドカチューシャや髪留めが外れ、ポニーテールにしていた髪もいつもの形に戻っている。

「お願いします……ウェールズ様……今宵は、ずっとこのままでいさせてください……」

ウェールズの体に自分の体を横たえたまま、アンリエッタは懇願する。

「もうわたくしは嫌なのです……偽りのウェールズ様がずっとわたくしの心に付きまとうのが……。やっと……やっと、本当のウェールズ様とこうしてお会いできたのに……」

その目からは溢れんばかりの涙が零れだし、ウェールズの体に流れ落ちていく。

ウェールズはアンリエッタの全身がこれまで以上に、恐怖によって震えていることを察する。

「だから、どうか……今までのウェールズ様を、わたくしの知るウェールズ様を全部忘れさせてください……わたくしは今の、ありのままのウェールズ様だけを愛したいのです……」

愛する男が目の前におり、お互いの気持ちが同じであることがはっきりしているのに、アンリエッタの心の中にはあの悪夢がまだ残ったままだった。

それを捨て去るには、もうアンリエッタは愛する者への溢れんばかりの想いを抑えることなどできなかった。

「はしたない女だと思われてもいい……ありのままの、わたくしの全てをウェールズ様に……」

咽び泣くアンリエッタの頭を撫で、優しく抱きながらウェールズはただ静かに頷いた。

今、目の前で愛する人が己の中にある恐怖に怯えている――その恐怖から解放させてやらない限り、彼女はずっと苦しみ続けるのだ。

 

元々、きわどい恰好である魅惑の妖精亭のキャミソールをも脱ぎ捨てれば、そこには一糸纏わぬ美しい少女の生まれたままの体だけしかない。

アンリエッタは情熱的な吐息を漏らしながら、愛する男の唇を奪っては自分の体を捧げ、彼の体も愛でていく。

 

なすがままとなるウェールズは自分に向けられる女のありのままの想いを全て受け止めていた。

――綺麗だ――思わずそう口走ってしまうほどに、夢中で自分を愛するアンリエッタは愛おしく思えるほどだった。

 

アンリエッタはこの日、しばらくぶりに心安らかな眠りに就くことができた。

蝕んでいた恐ろしい悪夢は、熱く長い夜を過ごし、愛する男の腕の中にいる間に彼女の中から全て消え去ってしまったのだから。

 

アルビオンの皇太子と、トリステインの女王――

 

本来、結ばれることを許されない二人の男女は立場も何も関係なく――アンリエッタの気が済むまで――ウェールズが限界を迎えるまで――ありのままの姿で愛し合った。

 

深淵の魔女が称した二人だけの愛の巣はこの夜、誰一人として侵すことはできなかった。

作品の良かったところはどこですか?

  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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