魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Mission 61 <真実の歌劇場> 前編

サン・レミの寺院が昼の11時を告げる鐘を打つ。

チクトンネ街の中央広場を訪れていたティファニアとシエスタは噴水のすぐ傍でぼんやりと立ち尽くしている。

「やっぱりスパーダが気になる?」

この日は魅惑の妖精亭が休業日であるのもあってジェシカも二人に付き添っており、噴水の淵に腰掛けていた。

ジェシカの言葉に二人の少女は落ち着かない様子で同じ方角へと視線を向け合う。

この広場から目と鼻の先の場所に建つ豪華な石造りの建物――タニアリージュ・ロワイヤル座の劇場が遠目に一望できる。

「大丈夫だって。悪い貴族なんてスパーダの敵にもならないじゃん」

「ええ。それは分かってるわ」

あっけらかんとするジェシカにシエスタは即座に頷く。

 

今から一時間前、スパーダは『すぐに戻るから待っていろ』それだけを言い置き女王アンリエッタと共に魅惑の妖精亭を後にしていた。

アンリエッタは平民に混じって給仕として働く、という普通に考えれば無茶な願いを受け入れてくれたジェシカやスカロンらに深く感謝し、後ほど恩賞を与えることを約束した。

特に今日のアンリエッタはここ数日は疲れがはっきり顔にも出ていたのだが起床してからはそれらがすっかり嘘のように消え失せ、生気に溢れておりとても上機嫌だったのである。

無論、その理由はジェシカ達には分かっているがあえて考えるのは止めにしていた。

 

とはいえ、実際にアンリエッタ達がこれから何をしようとするのかについて詳しいことは少女達三人は何も知らされていない。

分かっているのは今朝、魅惑の妖精亭にアンリエッタ宛で一枚の手紙――銃士隊隊長のアニエスから――が届いたことだけだ。

だがジェシカとシエスタの二人はどこで、どのような仕事をしようとしているか、おおよその推測は立てられたのだった。

 

悪徳貴族を捕らえようとしているのはジェシカの直感に加え、魅惑の妖精亭で間諜を自ら果たしていたアンリエッタの仕事ぶりはもちろん、スパーダが同行していったことからもただ事でないことが予想できた。

そして、その場所がタニアリージュ・ロワイヤル座であることをシエスタが――悪魔であり主であるスパーダの気配を自らの悪魔の本能で――察したのだ。

見れば劇場の周りには幻獣のマンティコアに跨る近衛隊の一つ、魔法衛士隊が姿を見せているのが窺える。

どうやらこれから本格的に悪徳貴族の逮捕を始めるらしい。

 

(女王陛下……ウェールズさん……)

じっと劇場を見つめるティファニアはそっと自らの耳に手を触れた。

今はスパーダが授けてくれたチョーカーの力で隠されているハーフエルフの証である耳。

ティファニアはその秘密を先刻、魅惑の妖精亭の中で打ち明けた。

 

いや、正確にはスパーダがティファニアにそうすることを勧めてきたのである。

休日とはいえ部外者に知られないためにも窓も扉も全て閉じ、密室の中でティファニアはチョーカーを外しハーフエルフとしての本来の姿を曝け出したのだ。

正体を知るスパーダとシエスタはともかく、アンリエッタやジェシカ、スカロンにはさすがに少し驚かれてしまったのだがもう一人……ウェールズだけは全く動じることはなかった。

 

――プリンセス・オブ・モード。君をこのような境遇に追いやってしまい、深く詫びを申し上げる……。

 

テューダー王家がティファニアの一家へ行った仕打ちを跪いてまで謝罪をしてくるウェールズにティファニアの方が逆に焦ったほどである。

だがそのウェールズの取り成しもあって、アンリエッタ達はティファニアの素性を知っても恐れることなく受け入れてくれた。

 

――この程度で拒絶をするなら所詮、アンリエッタもそこまでだ。

 

スパーダ曰くこれから先、ティファニアが生きていくにはアンリエッタの後ろ盾がどうしても必要になる。

彼女からの助力を得るためにもここでティファニアの全てを明かすことにしたという。

その意図が分かったとはいえ、自分の秘密を進んで他者に明かすというのは本人にとってはかなり不安なことだった。

 

――だが杞憂だったようだな。

 

むしろスパーダはアンリエッタの人柄を信用している様子だった。だからこそ遠慮なくティファニアの秘密をあっさり彼女に明かせたのだろう。

父と繋がりのある従兄姉たちはティファニアという異種族の血を引く存在を受け入れてくれた。

その事実がティファニアの心に安堵をもたらしていた。家族を失っても、自分は決して一人ではないのだと。

 

(女王陛下は、スパーダさんのことを知っているのかしら?)

ふとティファニアは考え込む。スパーダ自身も、ティファニアと同じ……いや、それ以上の秘密を隠している。

自分がハーフエルフであることを知っても、アンリエッタは恐怖を抱くことはなかった。

ではスパーダの秘密を……この世に仇なす悪魔であると知った時、一体どうなるのだろうか。

 

かつてウェールズと初めて顔を合わせたあの時――スパーダは自分達を救うために悪魔の力を曝け出し、本来の姿を僅かながら示した。

傍から見れば恐ろしい本性を前にしても、同じ光景を目にしたウェールズはおろかティファニア自身も不思議と彼を拒絶しようという気は起こせなかったことは確かだった。

 

 

タニアリージュ・ロワイヤル座の劇場内は今まさに盛況の真っ只中にある。

上演されている演劇は女向けで内容はともかく、若い女性のみの観客は煌びやかに着飾る役者達の芝居に夢中になって見入る者や黄色い歓声を上げていた。

そんな満員御礼な女だらけの中にたった一人、男の客が床に突き立てる杖に顎を乗せたまま顰め面を顔全体に張り付けている。

法衣を纏った初老の貴族は上流貴族専用である二階のボックス席ではなく、一般の観客席で混じっているので暗がりとはいえ完全に周囲の観客達から浮いていた。

(まったく……約束の刻限はとうに過ぎているのだぞ? 何をやっておるのだ……アルビオン人め)

ちらりと隣の空いた席を横目で睨むのは高等法院長リッシュモンその人である。

昨晩から凄まじく不機嫌なままの彼は今この瞬間ですら不機嫌なままで、その苛立ちは踵を貧乏揺すりで動かすことで表れていた。

何も今行われている演劇の芝居が気に入らないとか周りの声が耳障りだとかそういうことではないし、そもそも劇自体最初から眼中に無いのである。

 

何しろ今、このトリステインでは表沙汰にこそされていないが一国に関わる事件が起きているのだ。

アンリエッタ女王が練兵場視察からの帰還途中で失踪したという報せがリッシュモンの耳に入ったのは昨晩のことである。

リッシュモンはこの急報を聞いた時、激しい焦りが内心で渦巻き混乱したほどだ。

(しかし、一体アンリエッタはどこに消えた? このワシを通さずに何か新しい策を始めたのか……?)

一ヵ月も前、アルビオンのレコン・キスタは女王を誘拐するためにリッシュモンに連絡を送ってきた。

それにより誘拐の実行犯達が王宮に簡単に侵入できるように準備を整えてやったというのに、結局は失敗に終わったという。

故に今回のこの失踪事件もアルビオンの作戦の一つなのではないかと最初、リッシュモンは考えたのだが納得はできなかった。

国境を越えた貴族の連合であるレコン・キスタの一員である以上、このトリステインで何かしら活動が行われる際には必ず自分を通すことになっている。

にもかかわらず今回ばかりは自分には何も知らされずに新たな策が実行されたとしたら、何故そうしたのかアルビオンの真意を問いたださなければならない。

 

(もしや、このワシ以外に別の第三勢力でもいるというのか? くそっ……)

焦りと苛立ちの中で疑念を膨れ上がらせていると、隣の席に腰を下ろす者が姿を現す。

「遅かったですな……」

「いやはや……突然の連絡故に中々時間も作れず……面目ない」

横目で睨みながら声をかけた商人の風貌をした男はリッシュモンが待ち兼ねていたアルビオンからの密使だった。

かれこれ約束の時間から三十分以上も遅れてしまっているのに、向こうはリッシュモンの気を知ってか知らずが苦笑を浮かべるだけだ。

「手紙は読ませてもらいましたぞ。アンリエッタ女王がお姿を消しになった件についてですが……」

密使は小声で単刀直入にリッシュモンの用件を切り出し始める。

「では、これもクロムウェル閣下のご意思なのですかな?」

「ええ。アンリエッタ女王は我らが保護しております。ご心配なく……」

「……クロムウェル閣下もお人が悪いですな。いつものように私めを通して策を成してくだされば良いものを……」

「何分、急を要している故。閣下には事後承諾をしてもらう他ありませんでした。お許しくだされ」

平謝りをする密使にリッシュモンは憮然と溜め息をもらす。

リッシュモンにしてみればレコン・キスタや皇帝クロムウェルの理念などどうでも良かった。

自分がもたらすトリステインの機密情報がアルビオンの利益となり、その対価として富が得られるのであれば協力者が何者だろうが、小娘一人がどうなろうとも知ったことではない。

この数十年もの間、国内外のありとあらゆる貴族や有力者達と結びついては利害の一致から自分達の邪魔者を悉く排除してきたのだから、女王もその一人に加わったに過ぎないのだ。

 

いや、むしろアンリエッタの存在はリッシュモンにとっては既に目障り以外の何者でもない。

これ以上、余計なことをされて自分達の障害になるというのであれば早々に消えてくれた方が都合が良いというものだ。

既に亡き彼女の父と同じように、あの娘も奴らの力を借りて……。

「しかし、女王がいないとなれば、トリステインの貴族達は大騒ぎになるでしょうな。艦隊の建設も未だ整わないとすれば、攻めるのはやはり今ですかな?」

「そうですな。ですがその暁には私のアルビオンへの亡命も……」

「ええ、もちろんですとも。皇帝陛下は卿のもたらす情報にいたく満足されております故……」

二人の男は不敵な笑みを浮かべ合いながら密かに談義を続けていく。

疑念が晴れたリッシュモンとしては先刻までの不機嫌はどこへやらすっかり安堵に満ち溢れていた。

 

「ところで……アンリエッタ女王が今どこにいるか、お知りになりたいとは思いませんかな?」

「ほう。あの小娘はまだこの国内にいると?」

意外そうにリッシュモンは唸った。

今更自分達の手に落ちた女王の行方などもはやどうでも良いことだったが、まだアルビオンに連れ去っていないことには驚いてしまう。

「ええ。実は――閣下のすぐお隣に……」

平然と続けられた密使の言葉にリッシュモンははっきりと顔を歪める。

 

「――話は全て聞かせてもらいましたわ。リッシュモン殿」

同時に密使とは反対側、右隣の席にいた深くフードをかぶった客が凛とした声を上げた。

 

 

フードを外し顔を露わにしたアンリエッタの姿にリッシュモンがはっきりと目を見開いた。

ここにいるはずのない、自分達が捕らえているはずの女王が今ここに存在している光景には目を疑うしかないだろう。

「アンリエッタ……女王陛下? これは、どういうことか?」

「あなたがお会いしたがっていたアルビオンの密使なら既に捕らえてあります。今頃、チェルノボーグの監獄の中ですわ」

真っ直ぐに険しい顔と視線を向けてくるアンリエッタにリッシュモンは思わず密使の方を振り返った。

彼は何の感情も覗えない平然とした態度と表情のまま二人の様子を眺めている。

 

アンリエッタは一言、小さな呪文を口ずさむと密使の姿が瞬く間に形を変え縮んでいき、終いには椅子の上に小さな人形だけとなって転がっていた。

リッシュモンはこの光景に思わず立ち上がり、密使が姿を変えた人形――スキルニルを掴み取り間近で見つめだす。

「劇場での密会とは考えたものですわね。確かにここなら誰にも怪しまれずに密使と接触できるでしょう」

「……なるほど。全てはこの私をいぶりだすための作戦だった、というわけですか。これはまた大胆なことなさる」

ここに至り、ようやくリッシュモンは全ての状況を理解した。じろりとアンリエッタの方を振り返り睨みつける。

女王は自ら姿を隠してアルビオンの内通者をおびき出し、現行犯として捕らえるために罠を張り巡らしたのだ。

「ええ。わたくしが突然消えれば、あなた方アルビオンの回し者はきっと慌てると思いましたから。どんな注意深い狐でも必ず尻尾を見せてしまうものですわ」

溜め息をついてアンリエッタは首を小さく横に振る。

「ですが残念ですわ……。まさか重鎮であるはずのあなたが裏切り者であったとは……本当に、残念に思います」

高等法院長リッシュモンはアンリエッタにとっては公私に渡って信頼を寄せている人物のはずだった。

幼い頃から自分を可愛がり、先王である父を亡くしてからも目をかけてくれた優しい貴族。

だが信頼していたはずのトリステイン随一の重鎮はアンリエッタの全てを裏切ったのだ。彼は己が欲望のために主君を敵に平気で売り渡そうとした悪党だったのである。

信じていた人間に裏切られることがこれほどまでに辛く、心に傷がつくものだとはアンリエッタには予想もできなかった。

 

「リッシュモン高等法院長。女王の名においてあなたを国家反逆罪の現行犯で逮捕します。既に外は魔法衛士隊が包囲していますわ。逃げ道はありません」

毅然と言い放つアンリエッタだが、リッシュモンはそれまでの狼狽から一転、悪意に満ちた笑みをこぼしだす。

「小娘が……粋がりおって。誰を逮捕するというのだ? ここが一体どこだと思っている?」

「何ですって?」

「このワシを罠を仕掛けるなど、百年早いわ」

落ち着いた口調のままリッシュモンはその場で一つ、大きな手拍子を打つ。

いつの間にか静まり返っている劇場内に響き渡る乾いた音――十秒の時が過ぎ去っても何も変化はない。

 

「ん? 何をしているのだ! 貴様ら……!」

リッシュモンが大声を張り上げ、舞台の方へ振り向くと目の前に映る光景に愕然とする。

それまで芝居を演じていたはずの数名の女の役者達は全員がその手に拳銃を持って銃口を自分に向けているのだ。

彼女達だけではない。気が付けば観客達全員がそれぞれ銃ばかりか剣まで手にしてリッシュモンを取り囲んでいるのである。

「あいにくですわね。あなたのお友達でしたら、みんなこちらで拘束していますの。既にこの劇場は銃士隊の制圧下にありますわ」

淡々と告げるアンリエッタにリッシュモンは固まったまま立ち尽くしている。

リッシュモンがこの劇場へやってくるほんの三十分も前、先に劇場内に密かに踏み込んでいた銃士隊の手によって従業員と役者の全てが取り押さえられていた。

ここがリッシュモンのアジトの一つである以上、他に協力者が潜んでいるであろうと予想ができた。故に作戦決行の前に障害となるものを取り除いたのだ。

無論、中にはアルビオンとは無関係の者もいたのでそれらは一時的に劇場から避難させているが。

 

「ちっ……あの役立たず供めが……」

苦々しくリッシュモンは毒づいた。

役者は本来、アルビオンの刺客として潜り込み暗躍するメイジ達であったはずなのだがそれらすら銃士隊にすり替わっている。

元々芝居など初めから見向きもしなかったがために気が付ける訳がなかったのだ。

「さあ、神妙にお縄につきなさいリッシュモン。あなたにまだ貴族としての誇りがあるというなら潔く杖を捨てなさい」

アンリエッタに促されるも、リッシュモンは溜め息をつき肩を落とすだけで従わない。

「やれやれ……これは一本とられましたな。私ごとき内通者一人を捕まえるのにここまで本気になられるとは……」

百人を超す苛烈な女のみで構成される銃士隊に取り囲まれながらもリッシュモンは落ち着き払った様子で慇懃な態度をとっていた。

少しでも妙な真似をすれば銃士隊の剣と銃が一斉に牙を剥くにも関わらずである。

「ですが、やはりまだまだあなたはお若い。陛下、あなたの臣下だった者として、一つ私から最後の助言を与えましょうか」

「おっしゃいな」

冷たく答えるアンリエッタにリッシュモンははっきりと嘲笑を浮かべだした。

 

「あなたは昔からそうだったのですが……実に、詰めが甘い、とな――」

言い終わらない間に足元を手にする杖で叩く。――ドンッ、と劇場内に虚しい音が一つだけ響き渡る。

「……む? ……このっ、このっ!」

今度は明らかに焦った様子でリッシュモンは足元を何度も杖で小突くも、回数に比例して乱暴に大きくなった音が虚しく鳴るだけだった。

「残念だが、もうその仕掛けは動きはしないよ。閣下」

苛立ちながらついには自分の足で床を叩きだすリッシュモンに若い男の声がかかった。

リッシュモンは後ろの列を振り返ると、アンリエッタの真後ろの席に座っていた若者が立ち上がるのを目にする。

傭兵のような身なりをする金髪の男の顔を睨んでいたリッシュモンは何かに気付いたように目を見張った。

「貴様は……ウェールズ皇太子……!? 本当に生きていたのか……!」

「さあね。アンリエッタ女王に雇われた、ただの傭兵さ」

自らの杖をリッシュモンに突きつけ、ウェールズは不敵な笑みを浮かべる。

レコン・キスタが壊滅させたアルビオンの王族の中で唯一、生死が不明となっていた相手が目の前にいることにリッシュモンは今度こそ驚愕する。

 

「check mate.(終わりだ)」

すぐ後ろの席から氷のように冷たい声が響き、リッシュモンはまたも振り返る。

「ぐ……フォルトゥナ……!」

忌々しそうに歯を食いしばるリッシュモンは席に着いたまま自分に銃口を向ける銀髪の貴族の姿を目の当たりにする。

多くのトリステイン貴族達がその存在を嫌う、遥か東方より流れてきた余所者――スパーダがそこにいたのだ。

 

アンリエッタがリッシュモンより先に席について待ち構えていたのに対し、ウェールズとスパーダはリッシュモンがやってきた後に自分達も席に着いていた。

最初、アンリエッタ達が立てたリッシュモンの捕縛計画は劇場の外を魔法衛士隊で包囲し、さらに観客を全員銃士隊にすることで逃げ道を塞いで追い詰める、というものだ。

しかし、二人の男はその作戦に対してそれぞれ意見を口にしたのである。

劇場がアジトである以上はそこの人間も全員、銃士隊が制圧するだけでなく、さらに劇場内に何か罠が仕掛けられていないかも調べ上げる必要があった。

そこでウェールズが密かにホールをディテクト・マジックで探査し、リッシュモンの特等席に隠し通路があることを突き止めたのである。

この仕掛けにも細工を施すことで逃げ道を完全に塞ぐことができたのだ。

 

外堀を完全に埋めてより確実に目的を達成するにはウェールズとスパーダの助言は必要不可欠だった。アンリエッタ達だけではリッシュモンを取り逃がしていたことだろう。

保険だけは残しているが……それでも使わないに越したことはない。

(ありがとうございます……ウェールズ様……スパーダ殿)

真に信頼できる二人の男達にアンリエッタは心からの感謝を抱いていた。

 

「さあ、幕は下りましたわ! 観念なさい! リッシュモン!!」

勝利を確信してアンリエッタは威厳のある声を上げた。

スパーダの言葉通り、完全なる王手――チェックメイトに相応しかった。

 

 

リッシュモンが呆然と立ち尽くし静寂が支配する中、ポンポンと拍手が響き始めたのはその時である。

 

 

 

 

「――ブラボー! ブラボー!! お前ら、サイコーにイイネー!! オレ様、感動しちまったよ!」

緊迫した空気を吹き飛ばす、この場にはまるで似つかわしくない陽気な声が一つの拍手と共に劇場内に響いていた。

唐突な声援に銃士隊はもちろん、アンリエッタとウェールズまで狼狽し、辺りを見回す。

「だ・け・ど……カーテンコールにはチョットばかし早いンだよナぁ。お姫サマ?」

リッシュモンに銃を向けたまま立ち上がるスパーダが既に無人となったはずの舞台上を睨むのと同時に、アンリエッタ達の視線もそちらへ向けられた。

 

そこには黒い衣に身を包む人影がたった一人、大仰な身振りで頭上で拍手をしていたのだ。

 

――な、何よ! あのピエロ!?

 

スパーダを通して遠くラ・ヴァリエールの地から見物していたルイズ達ヴァリエールの一家はテラスで昼餐の真っ最中だった。

リッシュモンをいざ捕縛しようというクライマックスで盛り上がっていたルイズだったが、突然の事態にアンリエッタ達と同じように呆気に取られてしまう。

「何者だ!」

「アルビオンの手先か!」

舞台上に突如現れた相手に銃士隊は一斉に銃口を向ける。

アンリエッタとウェールズはちらりとリッシュモンを見やるが、彼自身も怪訝そうに舞台上を見つめながら呆然としていた。

「ノンノンノンノン……この喜劇の脚本家はサ、お姫サマ達だけじゃないんだゼ? 真のクライマックスはこれからなのサ!」

指先を左右に振る人影は銃士隊の殺意などまるで意に介していない様子だ。

 

――あのピエロ……人間じゃない?

 

エレオノールの言うように、現れたそれは道化師とでも呼ぶべき姿だった。

足先から長身痩躯の体全身を包み込むような闇色の衣装は一見地味に思えても襟や裾、大きく広がった袖口は鋭い羽毛で覆われ微妙に派手に見えるし、顔以外を包むように頭を覆う頭巾は左右に大きく分かれた柔らかな突起が揺れ動き、先端には骸骨の飾りがついていた。

 

「あなたは一体……」

肌は人間ではありえない程に青白く、口は頬まで大きく裂け、鼻は文字通りに鷲のクチバシのように大きく、そして長い。両手の指先の血に染まったように赤い爪は針のように鋭く細長く伸びている。

何より、そのピエロの瞳は赤と青――左右で異なる色を光らせる月眼で、目自身も闇のように黒く染まっているのだ。

明らかに、それは人間ではない――悪魔に相応しい姿だった。

「見りゃ分かんだろ? 人間にとっちゃ、とっても恐~い……悪魔だよ?」

息を呑むアンリエッタにピエロの悪魔はおどけつつも答えると、またも大仰な仕草で両手を横に広げて一礼しだす。

よく見ればその頭巾らしき部分はピエロ自身の頭そのものから生えているようで、悪魔の角か触角のようである。

「My name is Jester. What you know, Mi Majesty.(オレはジェスター。どうぞ、お見知りおきを。お姫サマ)」

ジェスターと名乗った悪魔が顔を上げ、月眼を妖しく煌めかせる。

 

――あいつもムンドゥスの手先なのですか? 母様。

 

――いえ……あんな悪魔は見たことがないわ……。

 

カリーヌはもちろん、スパーダですらこのような悪魔の存在は全く覚えがないものだった。

ムンドゥスの配下にこんな悪魔は当然存在しないが、考えられるのはスパーダが知らない間に魔界で新たに力をつけ始めた新興の悪魔かもしれないことだ。

過去には脆弱な力しか持たない無名の悪魔も、長い年月と共に実力をつけて高名な存在となるのはよくあることである。

だが何よりスパーダが気になるのはこの悪魔が、果たして単独で活動しているのか、それとも……ムンドゥス以外の別の勢力に属しているのかということである。

 

「さてさて! 追い詰められた大悪党にして裏切り者のリッシュモン高等法院長! ソイツのことなら、オレ様はナ~ンデモ知ってるんだ!」

スポットライトに照らされる舞台の上をゆっくり歩きながらジェスターは陽気に語り始める。

「今日朝食った飯から、昨日の最後の晩餐……ついでにこれまで王様にも秘密でせっせとため込んできた賄賂の合計までサ! 知りたい? でも、教えナ~イ!!」

 

――うるせえ野郎だなぁ。とんだお喋りな悪魔だぜ。

 

耳障りなほどにあざける声と仕草はまさしく道化そのものだ。

デルフでさえもジェスターのやかましさにはうんざりしている。

「一体何なのです! あなたもアルビオンの手先なのですか!?」

「まあまあまあまあ……落ち着いて、落ち着いて……お姫サマ……オレ様がどこの悪魔かなんて、この際ド~だって良いジャン?」

アンリエッタでさえ苛立ちを隠せない様子だが、ジェスターはどこ吹く風とばかりに両手で手招きをしてからかってくる。

「それより、そいつがこれまで裏でどんな悪事に耽ってたか、逮捕する前にお姫サマだって知っておきたいでしょ? 絶対聞いておいた方がイイって!」

ジェスターが礼を失するほどにはっきりと両手で指差すリッシュモンへアンリエッタは思わず振り返る。

リッシュモン本人も何が起きているのか分からない、とばかりに固まったままだ。

「クサイ飯しか食えなくなる牢屋に入れられる前に、豪快にネタばらしさせてもらうゼ? オーケイ?」

「道化め! 貴様の戯言などに付き合ってる暇はない!」

「撃て!」

銃士隊は一斉に引き金を引き、何十という数の銃声が雷鳴のように劇場内に轟く。

「なっ……」

反響する銃声が収まり立ち込める黒煙が晴れると……舞台の上にいたはずの道化師の姿は跡形もなく消えていた。

 

「さ~て……この間の誘拐騒ぎについてはお姫サマも知ってるもんナ。だったら……あれが一番ネタとしちゃ傑作だろうネ~」

スパーダ以外が狼狽する中、再び響き渡るおどけた声はアンリエッタ達のすぐ近くから聞こえていた。

ジェスターはいつの間にか舞台上から観客席を分ける通路に立ち、悠然と歩いているのだ。

アンリエッタ達はジェスターの発揮した瞬間移動劇に唖然としてしまう。

 

――いつの間に……!

 

(こいつ……できるな)

ジェスターの瞬間移動はスパーダですら全く感知できないほどに完璧なものだった。

スパーダですら空間転移の際は残像を残すというのに、この道化師は一切の痕跡を残さぬままに掻き消え、何の前触れもないままに姿を現したのだ。

相当な実力を有する上級悪魔であることは疑いがない。

「題して! リッシュモン高等法院長、先代トリステイン王暗殺劇の巻~!!」

アンリエッタ達のすぐ近くまで歩み寄ってきたジェスターは両手を大きく広げて宣言する。

「なん、ですって……」

 

――先王陛下を、リッシュモンが……!?

 

アンリエッタやウェールズだけでなく、ヴァリエール公爵やカリーヌまでもが目を見開いていた。

「先代トリステイン王ヘンリー陛下……つまりお姫サマのパパ。アンタが小っちゃい頃に病気で死んじまった、それはそれは有能な王様だったんだけどナ~。……おっと! ウェールズのボウヤにとっては立派な叔父様の一人なんだよナ~。何しろ、アルビオンから婿入りしてきた王族の次男だもんネ」

先代トリステイン王にして父ヘンリー――ジェスターの言う通り、アンリエッタが幼い頃に病に倒れて若くして亡くなったのだ。

病の原因は分からず、政務に精励し過ぎたために過労で命を縮めたのではないかというのが通説とされている。

その父が実は暗殺された……しかも重鎮であったはずのリッシュモンに……。

アンリエッタは信じられない、だが事実なのか? とばかりにジェスターとリッシュモンを見比べていた。

 

「だ・が! 誰も知らない真実を、オレ様は知ってるのサ。何でかって?」

ジェスターの掲げる両手の中にポンッ、と煙が弾けると共に何かが収まりだす。

それはどうやら手鏡のようであった。

「ジャジャジャーンッ!! ゆうべの水晶~!」

 

――ゆうべの水晶って確か……。あれを通して見た相手の昨晩の様子を映すマジックアイテムだったかしら。

 

「町の奥様方に大人気のマジックアイテム! こいつがあれば、昨晩旦那が浮気したことだって一発で丸分かり! 恐ろしいネ~。……でも効力は一回こっきりの使い捨て品ってのが玉に瑕だけどナ」

抱える手鏡を左右に振るだけでなく体まで揺らしながらジェスターは一喜一憂におどけだす。

「だ・が! こいつは巷じゃあ手に入らない特別製……昨日だけじゃなく、ず~っと昔まで遡って覗くことができるんだゼ! その気になりゃあ、赤ん坊としてこの世に生まれた日だってサ!」

 

――そんな物まであるの!? 聞いたことないわよ。

 

エレオノールはジェスターが持っているマジックアイテムが一般に知られるものではないことに驚いていた。

悪魔である以上は元からあるマジックアイテムを利用して独自の効果に改良することも可能だろう。

「それじゃあ、覗いてみようか……大悪党、最大の罪の全貌ってヤツをサ……」

顔の前に構えた手鏡をリッシュモンに向け、その姿を写し込む。

十数秒ほどの沈黙が続き、鏡から発せられた薄い光がホールの中央で浮かび上がっていた。

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  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
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