魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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獣の首外伝・PART1(平賀才人編)
Another Mission <獣の首-Saito's Sword> 序編


天高く浮かぶアルビオン大陸の外れ――港町ロサイスから目と鼻の先の丘の上に彼は立っていた。

「はあ……はあ……はあ……」

膝をつく黒髪の少年は己の剣を地に突き立て、荒く息をつく。

日没から数十分、彼は立て続けに百人以上もの兵隊を相手にしており、既に疲労困憊だった。

「何で俺、あんなのに突っ込まなくちゃなんねえんだろ……」

溜め息交じりに呟くと剣を杖にしたまま顔を上げてみた。

視界の中に映りこむ無数の灯り。数百……数千……数万……草原の彼方から進軍する軍隊が今にも迫らんとしている。

「そりゃあ、好きな女のためだろうが?」

手にする剣は鍔の金具を鳴らしながら少年の呟きに応え、軽口を叩く。

少年の脳裏に思い浮かんだのは桃色の髪の少女。ほんの数刻前に密かに別れを告げた大切な人。

頭から離れない彼女のことを考えるだけで彼の胸は不思議な高鳴りを感じるのである。

「俺、死ぬのかな」

「……たぶんな」

神妙な口調で愛剣にそう言われて少年は沈黙する。

「ま、どうせ死ぬんならカッコつけな。心残りのねえようにな」

「……それもそうだな」

それでもすぐに吐かれた軽口に少年は小さく笑みを零して立ち上がった。

「なあデルフ」

「あん?」

「ガンダールヴって千人の軍隊を相手にしたんだろ?」

「ああ。そういう話になってるわな」

「七万でもいけるかな」

これからたった一人だけでぶつからなければならない大軍を彼はじっと眺めてみた。

武装した兵隊はもちろん、魔法を操るメイジに幻獣や竜に跨る騎士、さらには狂暴な亜人の姿まで見える。

「ん~……伝説っつうのは所詮伝説だしな。ま、少なくとも千人もいなかったかな……」

「なんだよ、それ」

歯切れの悪い愛剣の言葉に思わず苦笑が漏れる。

「相棒。来るぜ」

「ああ」

意を決して愛剣を引き抜くと左手の甲が――刻まれたルーンがまばゆい輝きを放つ。

 

「――よし、行くか」

ハルケギニアに住まうあらゆる人々とは異なる変わった身なりの少年は七万もの敵目掛けて駆け出した。

 

 

夕刻――トリステイン魔法学院本塔の最上階、学院長オスマンの執務室から出てきた二人の男女は並んで螺旋階段を下りていた。

「本当に大丈夫なのかしら……」

学院長秘書のロングビルは苦い顔で溜め息を漏らす。

「奴はあれでも節操を弁えてはいる。君が一番よく知っているだろう」

「テファに手を出したりしたら、絶対にぶっ殺してやるわ……あのジジイ」

渋面を浮かべたままロングビルはさらに憮然と呻いた。

これまで散々にもオスマンから数々のセクハラを受けていた身である。スパーダが言うように度の過ぎた行為まではされたことが無いとはいえ、それでも執務室での一件だけは受け入れ切れないのである。

「そうならんようにせいぜい、見張ってやることだ」

涼しい顔のスパーダに対し、ロングビルは眉間に皺を寄せながら目尻を吊り上げた。

 

スパーダが学院に戻ってきたのはつい先ほど、シエスタをタルブに送り届けてきた後のことだ。

王都トリスタニアでアンリエッタ達の任務に付き合った後、事後処理も含めて王宮に招かれたスパーダはそこで三日ほど滞在したのである。

ティファニアを魔法学院へ入学させるためにもアンリエッタの後ろ盾や色々な手続きが必要になるのだ。そのため彼女もシエスタを世話役にさせて同行させていた。

そもそもティファニアは不法に入国した身である上、いくらアルビオン王家所縁の者とはいえ既に没落しており立場上は性すら無い平民と変わらないのだ。

魔法学院では身分を隠すためにタバサのように偽名を名乗ることは可能なのだが、表向きはともかく書類上は貴族としての性がなければどうにもならない。

彼女をアルビオンからの留学生とするためにも正式な入国許可を申請するのを始め、諸々の手続きを終えるとアンリエッタはオスマン宛にティファニアの一件に関する手紙をしたため、それをスパーダが持ち帰ったのである。

ティファニア自身は魔法学院へ入学することになるのを戸惑っていたが、身内であるロングビルことマチルダが働いている場所だと聞かされて喜び受け入れていた。

 

「そういえばあの修道院にロマリアの査察が入ったって聞いたんだけど……」

「らしいな」

スパーダも王宮にいる際にティファニアやシエスタよりロマリアからやってきたジュリオとかいう神官について聞かされていた。

ナヴァール連隊と争っていた張本人であったがスパーダは気にすることもなく無視していたが、ティファニアを匿う場所に調査が入った以上はずっとあそこに置いておく訳にもいかなくなった。

ロングビルもティファニアに会いに訪れていたのだがその時はガリアへ旅行中であったために叶わなかったものの、同じく視察があったことを告げられ、僅かながら肝を冷やしたのである。もしもティファニアの素性がロマリアなどに知られていればタダではすまないのだから。

魔法学院へ入学させる話に最初は納得できなかったのだが、あの場所も決して絶対安全であるとは言い切れない事実から渋々ながら認めざるを得なくなったのである。

少なくともここなら信頼できる味方が周りにいるのが心強いと言えるだろう。

無論、ハーフエルフである秘密を守るための対策も必要で、スパーダが用意したマジックアイテムもその一つなのだ。

 

「ああ、そうそう。こいつはあなたに返すわ」

階段の途中で立ち止まったロングビルの足元からどす黒い煙が湧き出ると、スパーダの方へと移っていく。

ドッペルゲンガーは元の主の影に憑りつき、そのまま地の底へと沁み込むように沈んでいった。

「アルビオンへ行ってみた感想はどうだ?」

「最悪だったわ。まさか、あそこまで酷くなってるなんて」

さらに渋面を浮かべてロングビルは呻いた。

アルビオン大陸へ乗り込むための下準備としてこの一か月間、ロングビルは土くれのフーケとして現地に潜入し様々な情報収集を行っていた。

以前、ティファニアを人質に取られてレコン・キスタに無理矢理に協力を強いられていた時と比べて、今のアルビオンはすっかり変わり果てていたのである。

彼女の故郷であるサウスゴータではトロル鬼といった亜人達が街中を闊歩するばかりか、醜悪な下級悪魔達と熾烈な争いを繰り広げていたのだ。

そのせいで街は無残に破壊されては荒廃していき、市民達も巻き添えを受けては堪らないと、まともに外に出歩くことすらできない。

「アビゲイルの後ろ盾が無くなったからな。クロムウェルだけでは統制がしきれんのだろう」

「こっそり難民を乗せた密航船まで出てるほどよ。まったく……あいつら自分で飼い慣らしてた猛獣をすっかり持て余して自分の庭を荒らしてるんだから。本当、馬鹿ばっかね」

ふんっ、と鼻を鳴らすロングビルの表情は嫌悪と憐れみに満ちていた。

かつて自分達を踏み躙り、貶めたアルビオン王家は滅び、それに取って代わった反乱軍レコン・キスタは大切なものを奪っていった憎むべき仇。勝手に自滅しようが知ったことではないし、むしろ無様な姿を見ているだけで溜飲が下がるというものだ。

だが、それでも故郷であるアルビオンの惨状とそこに住む人々が苦しむ姿に良い気ではいられなかった。特に、かつてティファニアと共に匿っていた孤児達と同じく新たに不幸な子供達が増えていく現実にはさすがに胸が痛んだほど。

事実、ロングビルは現地でこっそりと亜人や悪魔に襲われかけた家族に手を差し伸べたのだ。

 

「まともなのはシェフィールドっていう女だけね」

「ほう」

目的地である首都ロンディニウムにも潜入した彼女はレコン・キスタの腐敗と衰退を垣間見た。

新たな盟主となったはずのクロムウェルは今やハヴィランド宮殿に閉じ籠り、他の貴族達も国内の混乱を収束させるための方策も立てられず、議会もまともに機能しているとは言えない状況だった。

今ではクロムウェルの秘書であり執政官とされるシェフィールドという女性が代わりに政務を仕切っており、辛うじてクロムウェルへの求心力や組織の秩序が最低限保たれている状態である。

「あれじゃあ、どっちが皇帝なのか分かったものじゃないわ」

実情を目の当たりにした彼女が思わず苦笑するほどにレコン・キスタは著しく弱体化しているというのが現状だ。

所詮、彼らは羅王アビゲイルという強大な悪魔の存在を拠り所にしていた烏合の衆でしかないのだ。その後ろ盾が無くなれば瓦解するのは当然である。

それこそ指導者であるクロムウェルがいなくなれば瞬く間に組織は崩壊するだろう。

 

「で、どうするの? とっくにスヴェルは過ぎてるけど」

「何もスヴェルの時期にこだわることもあるまい。今のうちにティファニアがここで過ごせやすいように準備をしておくのが良い」

魔法学院の夏期休業期間は残す所、およそ三週間といった所だ。

早めに敵を仕留めるのに越したことはないものの、スパーダはアルビオンへ乗り込むことを急がなかった。

「ウェールズが船とアルビオンへの侵入路を確保している。君の時と同じように忍び込むことになるだろうな」

「もしかして、彼に会ってきた?」

ロングビルはスパーダから敵地偵察を頼まれた後日、彼が紹介してくれた協力者とやらに会ってみて仰天したものだ。

それこそが以前、アンリエッタのパレードを見物した日に出会った傭兵メイジ――皇太子ウェールズだったのだから。

あの時から正体自体は見抜いていたものの、スパーダ自身も知っていることまで聞かされていなかったのでロングビルとしては複雑な気分だった。

 

「アンリエッタやマザリーニらにティファニアのことを話すのに世話になった。だから今回の件も上手く纏まった」

当然だがウェールズの生存は公にはできず、再び流れ者の傭兵メイジとして身を隠すことになった。

それでも今回のアンリエッタの任務に助力をしてくれたために褒美を与える……という名目で彼も内密に王宮に招かれてマザリーニやマリアンヌとも面会を果たしている。

無論、宮廷内でこの事実を知るのは彼と直接対面したスパーダ達だけで他の貴族達には知られていない最重要の極秘事項だ。

マザリーニ達にもティファニアの秘密は知れているが、ウェールズの口添えもあったおかげで穏便に話を進めることができたのである。

当然だが、さすがにスパーダの正体が悪魔である事実だけは伏せているが。

「でも、ウェールズが生きてるのは明らかになった訳だし……レコン・キスタをとっちめたら王家の再建でもするのかしらね」

「さてな」

アルビオンの王族が生き残っていた事実にマザリーニやマリアンヌは安堵していたのだが、少なくともウェールズ自身はアルビオンで王権を復活させる気がない様子だった。

理由は簡単――既にアルビオンの民衆にとって『王』などという絶対の指導者は必要がないからである。

元々、レコン・キスタの反乱が起きる以前からアルビオン王家の信頼は地に落ちており、それが今回の戦争で事実上滅亡したことから決定的なものとなった。

そして新たな指導者となったレコン・キスタもまた、今回の一件で同じく大きく信用を失うことになるだろう。

これではたとえレコン・キスタを倒して新たに王制を復活させたとしても、それでは前の指導者の立場を奪って成り代わったに過ぎない。

根本的な何かを変えねば民衆は新たな指導者や制度を受け入れられず、結局は新たな反乱が起きることだろう。そうなっては元の木阿弥である。

 

 

「だが忘れるな。レコン・キスタの脅威が無くなった所で全てが終わる訳ではない」

「悪魔達はまだこのハルケギニアを狙ってる……か」

溜め息をつくロングビルは途端に険しい顔になって目を細めだす。

アルビオン――すなわち、裏で暗躍していた羅王アビゲイルの勢力の残党を片付けたとしても、魔界の脅威は依然続いている。

魔帝ムンドゥスに覇王アルゴサクス――この二つの勢力もまたハルケギニアの侵攻を企てていることをスパーダはアンリエッタに伝えていた。

特にムンドゥスは三十年前にエスターシュ大公の反乱の陰で暗躍しており、ヴァリエール公爵夫妻が当時の生き証人であることも話してやるとすんなり受け入れてくれた。

だが目下はアルビオンのことだけ考えていれば良いとも伝え、焦る必要がないことも説いてやった。

ウェールズの力を借りてレコン・キスタの本拠地へ乗り込む計画はアンリエッタ達も知ることになり、彼女は協力を申し出てきたがスパーダはそれを拒否した。

そもそもスパーダがアルビオンへ行く表向きの理由はあくまで水の精霊の宝であるアンドバリの指輪を取り戻しにいくという個人的なものに過ぎない。

その過程で既に世界の脅威でしかなくなっているレコン・キスタとクロムウェルを討伐する結果になる訳で、アンリエッタ達とは利害や目的が一致していてもトリステインもゲルマニアも関係ないのだ。

公然と一個人に過ぎないスパーダに協力などすればそれこそ大きな政治問題になってしまうだろう。

たかが忍び込んできた賊一匹にクロムウェルが殺され、それによって自然と組織が壊滅したところで大した問題にもならない。

スパーダがアンリエッタに望むのはただ一つ。レコン・キスタの新たな謀略を未然に防ぐこと。それだけだった。

 

「……ん」

本塔の入口までやってきた所でスパーダは感嘆と唸った。

徐にロングビルが懐から取り出していたものに目がいったのである。

「ああ、これ? アルビオン王家に伝わるっていう秘宝の一つらしいんだけど……ついでだからくすねてきたわ」

彼女の手の中にあったのは小さな黒い彫像だった。ライオンの首だけが切り取られたようなそれには細い鎖が繋がれペンダントのようになっている。

ロングビルこと土くれのフーケはハヴィランド宮殿に侵入した際に手薄だった宝物庫に忍び込み、仕返しとして一つだけ宝を盗んできたのだ。

「面白いものを見つけたな」

「あら、これを知ってるのかしら」

彼女個人としても見事だと感じられるほどに精巧な造りであるライオンの彫像をスパーダは珍しく興味深そうに見ていた。

「それは獣の首と呼ばれている」

「獣の首? まさか、悪魔の品って言うんじゃないでしょうね」

「珍しい代物だがな」

彼女が手にするライオンの彫像――名は体を表すそれは紛れもなく、魔界の技術で作られた道具……すなわち魔具であった。

しかもこれはそこらの品とは異なり、魔帝ムンドゥスが自ら造りだしたという特別な物である。

「そいつを持っていて何か変わったことはあったか?」

「え、ええ。そういえば……ちょっとね」

ロングビルが言うにはこのペンダントを強く握り締めていると、彼女の脳裏にはあるイメージが浮かび上がってくるのだ。

かつて土くれのフーケとして貴族相手に盗賊の稼業に勤しんでいた頃の自分、アルビオンで匿っていたティファニアや孤児達に仕送りをするべく会いに行っていた自分……。

特に後者は思い出すとほくそ笑むと共に心が痛む。もうティファニア以外の子供達はこの世にいないのだから。

しかし、中には非常に不愉快に思えるものも存在した。牢屋に入れられて燻ぶっている自分などまだ良いが、あの忌々しい男――悪魔に魂を売り渡した果てに亡き者になったワルドと二人だけでひっそりと暮らしているという、思い出すだけで腸が煮えくり返り、激しい嫌悪と寒気を感じるものまで見えたのである。

全く身に覚えがない光景まで見えたことにロングビルは戸惑いを覚えていた。

 

「それがその魔具の能力だ。君は自らの異なる可能性とやらを見た訳だ」

「可能性?」

獣の首が宿す力、それは所有者の運命を映し出すというものだ。

過去、現在、未来……三つの運命を司るこの魔具は所有者のあらゆる運命を見通すことができるのである。

時間や歴史という存在を一本の長い道に例えるなら、今まで通ってきた道が過去――目の前に果てしなく続く道が未来――そして、今立っている場所が現在である。

だがその道を進む途中で人間だったら一日の行動として朝食にはパンを食べるか、肉を食べるかと、様々な行動を選ぶことができるだろう。

この時、最終的にはパンを食べていたとしても肉を食べていた可能性もあった訳で、選ばれたパンの結果と選ばれなかった肉の可能性が二つの道として分岐し、それぞれが別の未来として続いていくことになり、異なる『現在』として相まみえることなく並行していくのだ。

その別れた道と無限に広がる可能性を獣の首は教えてくれるのである。

 

「それじゃあ、これが見せてくれたのが……」

全く違う別の自分が生きている別世界など俄かには信じ難いものの、魔界という異世界の出身であるスパーダが語る以上は納得せざるを得ない。

「君の異なる可能性と運命の一つということだ。別の世界での君は盗賊稼業に失敗して囚われたのだろうな」

ヴェストリ広場にやってきた二人はベンチに腰掛け、獣の首について語り合う。

「じゃ、じゃあ……ワルドの奴と一緒に暮らしてたっていうのはどういうこと?」

「さてな。レコン・キスタに誘われてそのまま共感していたのかもしれん」

「冗談じゃないわよ。何であんな奴らなんかと……」

不快に顔を歪めてロングビルは獣の首の鎖を掴んで持ち上げ、ぶら下げていた。

宙で揺れるライオンの顔は無機質ながらも何か獲物を狙っているかのように静かにじっと睨んでいるようだ。

 

「だが、その運命を見せる対価として、こいつは所有者の存在そのものを喰らいだす。最終的にはこいつに同化しその一部となるだろう」

「っ……!」

さらに続けて語るスパーダのその言葉に慄いたロングビルは反射的に獣の首を放り出してしまう。

即座にスパーダは横から手を伸ばしてあっさりと掴み取っていた。

「心配いらん。これはただの失敗作だ。そこまでの力はない」

獣の首の本来の使い道は人間を喰らい、エネルギーに変換することで悪魔に必要な魔力を溜め込み、それを悪魔達が取り込むための補充装置なのだ。

ムンドゥスは試行錯誤を重ねた上で獣の首を完成させたが、その過程でいくつもの失敗作も生み出していた。

大抵は貯蔵できる魔力の量が少なかったり、見通せる運命が曖昧だったり、取り込んだ人間を上手く魔力に変換できないといった欠陥があり、今スパーダが手にしている物もその一つである。

そもそも本物はケルベロスのような三つ首の犬の造形で人間を誘惑するための自我を有している生きた魔具なのだが、これにはそれがない。

本物はかつてムンドゥスが人間界を侵攻した際の戦いの渦中で行方知れずになっており、他の失敗作も以前から散り散りになっていたままだった。

この獣の首もその一つでハルケギニアに流れ着いていたのをアルビオン王家が見つけ、秘宝として保管していたということだろう。

「脅かさないでよ……」

安堵の溜め息をつくロングビルは怪訝そうに獣の首を見つめていた。

「だがこいつのもたらす力はそれだけではない。その異なる運命へと我々が直接辿り着くこともできる」

「どういうこと?」

「こういうことだ」

言うが早いかスパーダは獣の首を目の前にかざすと、それまで何の変哲も無い彫像に過ぎなかったものが突如として低い唸り声を上げだしたのだ。

それは紛れもなく猛獣であるライオンそのもので、徐々に荒々しさが増していく。心なしか、ライオンの表情も変わっていくように見えていた。

 

――ガオオオオンッ……!

 

彫像とは思えないほど滑らかな動きで獣の首は大きく口を開け、牙を剥き出しにしながら猛々しい咆哮を轟かせていた。

まるで本物の生きたライオンのように生命力に溢れている。

「え……?」

ロングビルは自分の身に起きだした異変に困惑する。

足元にはいつの間にか巨大な闇が水溜まりのように広がりだし、上へ伸び上がると隣にいるスパーダもろとも包み込んだのである。

闇は萎むように崩れ去ると、ベンチに座っていたはずの二人は跡形も無く消え失せていた。

誰もいなくなったヴェストリ広場にはただ風が虚しく通り過ぎるだけであった。

 

 

闇の中は何も見えず、何の音も聞こえない沈黙の時間だけが過ぎていく。

異様な閉塞感にロングビルは戸惑っていたがやがて闇は徐々に晴れていき、薄っすらと外界の光が差し込んできていた。

僅か一分ほどでの出来事ではあったが土くれのフーケと呼ばれた彼女すら薄らと恐怖を感じたほどだった。

「ここは……?」

闇から解放されてから目の前に広がる光景にロングビルは目を疑った。

今まで夕暮れ時の魔法学院にいたはずなのに、周りは既に日が落ちて夜の闇が広がっている上に全く違う別の場所……どこかの街中に立っているのである。

頭上を見上げれば二つの月がすぐ間近にあるかのように普段より大きな姿で浮かび上がっていた。

「寒っ……」

変化が起きたのは景色だけではない。真夏であったはずの温かく湿った空気が真冬とばかりに一気に冷たくなっており、思わず身震いするほどだった。

「ここが君が見たという別の君が生きる世界だ。……そのはずだがな」

隣ではスパーダが顔色一つ変えずにゆっくりと周りを見渡していた。

自分達がいるのはどこかの港町らしく目と鼻の先にはハルケギニア特有の空を飛ぶ船が係留するための桟橋が見える他、赤レンガの施設が街の中心に建っていた。

落ち着いてそれらを確認していったロングビルは自分達がいる場所が何処かをはっきりと認識する。

「……ロサイスじゃないの、ここ」

そう。ここはトリステイン王国があるハルケギニア大陸ではない。遥か数千メイル上空に浮かぶアルビオン大陸なのである。

自分達はその南端に位置する港町の一つ、ロサイスにいるのだ。

アルビオン出身の元貴族であるマチルダ・オブ・サウスゴータにしてみれば何もかもが見慣れた風景だったのですぐに理解することができた。

 

「一体、どういうこと?」

「言っただろう。私達は別の君がいる平行世界へとやってきた。こいつの力を使ってな」

スパーダは手にしたままの獣の首を未だ狼狽する彼女の眼前に突き出していた。

過去や未来、そして別の現在を持ち主に教えるのは獣の首の能力の一片に過ぎない。その本領は時空と次元を超越し、対象をその異なる平行世界へと飛ばしてしまうことだ。

つまりここはハルケギニアではあるが、スパーダ達がよく知るハルケギニアではないのである。

「ちゃんと戻れるんでしょうね?」

「ああ。心配はいらん」

相槌を打ちながらスパーダは獣の首を懐にしまい込む。

その気になればこれを今すぐ握り潰して破壊するだけでも元の世界へ帰ることは可能である。

だがせっかく訪れた平行世界なのだ。すぐに戻ってしまっては面白くもない。少し見て回るのも一興だろう。

(向こう側とは繋がっていないか)

今まではデルフリンガーのアミュレットを通じてルイズ達の様子が脳裏に届いていたのだが、現在はそれが完全に途切れていた。

使い魔とメイジの感覚を共有し合う能力は一度魔界に戻った時には通じ合っていたのだが、さすがに異なる世界線までは通じないらしい。

こちらに渡ってくる直前のルイズ達はカトレアのリハビリで城の外を散歩している最中だった。

デルフリンガーそのものには事情が伝わっているはずなので、説明してもらうことにしよう。

 

「それにしても変ね。誰もいないなんて」

怪訝そうに周りを見渡すロングビルの言うようにロサイスの街は無人だった。

……いや、正確には街外れの方には倒れて気を失っている兵隊が見えるのだがどこにも動く人影おろか気配すらまるで感じられず、風だけが通り過ぎるだけである。

「どうやら全員逃げたらしい。あれを見ろ」

スパーダが空を見上げるとそこには無数の影が浮かんでいるのが見えた。

何隻もの船が月明りの中を飛んで見る見るうちにアルビオン大陸から離れ去っていくのがよく分かる。

桟橋にはもう一隻しか船は残っておらず、今にも出航しようとしていた。

「でも、なんで……?」

「その原因はあれのようだな」

さらにスパーダは反対を振り返ると今度は街の外の方へ視線をやった。

見れば街の外れの彼方、森を挟んだ平原の向こう側に無数の明かりが蠢いている。

何十……何百……いや、何千何万もの不気味な光は明らかにこちらへと近づいてきていた。

 

「もしかして、あれって……」

「乗れ」

目を丸くして灯りの大群を凝視していたロングビルを他所にスパーダはゲリュオンを召喚していた。

二人は馬車に乗り込むとゲリュオンはほどほどの速さで走り出し、街外れまで来た所で亜空間の中へと入り込み、その先の森を一気に突き切っていく。

すぐに森を抜け、小高い丘の上までやってくるとそこで亜空間を抜け出し停止させた。

「やっぱり……あれ、アルビオン軍だわ」

「五万……いや、七万はいるか」

馬車を降りた二人はより姿が鮮明になった大群を間近にして唸った。

目と鼻の先に広がる平原を覆い尽くさんばかりの軍隊を構成しているのは人間だけではなかった。

武装した兵隊はもちろんのこと、メイジの騎士隊や竜騎士隊、さらにはオーク鬼にトロル鬼と狂暴な亜人達の姿まで見えるのは圧巻だ。

 

 

「うおおおおおおおおおっ!!」

進軍してくる大軍を眺めていると一つの雄叫びが草原の中で響き渡る。

それはスパーダ達のすぐ目の前――丘の下から聞こえてきていた。

見れば丘を駆け下り、大軍目掛けて突進する一つの影――少年らしき者の姿がそこにはあったのだ。

「何やってんの、あいつ……」

ロングビルはたった一人で七万もの大軍に突っ込んでいく少年に呆然とした。

見れば彼はスパーダの物に匹敵する大剣を手にしている様子だが、一人だけであれだけの大軍に挑もうとするなんて無謀でしかない。

格好は変だが見た所、軍人でもない平民……何故さっさと船に乗らず自殺行為同然の特攻を仕掛けようというのかさっぱり理解できなかった。

「え……」

呆れて思わず溜め息を漏らした時、目の前で起きた光景にロングビルは目を疑った。

七万対一――真正面からまともにぶつかり合えば数が少ない方が一瞬で叩きのめされるのは必然である。

だが、目の前の戦いはその真理を覆していた。

 

彼は兵隊達が射る矢を、メイジ達が放つ魔法を、大砲から放たれる弾すらもまるで風のような速さでかわしながら駆け抜けていく。

そればかりか手にする剣を振り回し、次々と叩き落としていくのだ。

「おぅりゃああああああああっ!!」

集中砲火を掻い潜った少年が敵軍の先頭に差し掛かると剣を一気に横へ振り払う。

驚くべきことにたった一振りしただけで何十という敵は次々に紙切れのように吹き飛び、薙ぎ倒されていったのだ。

 

少年は敵陣の中で暴れに暴れ回った。

彼よりも多くの場数を踏んでいるであろう傭兵達の剣をいなしては当身を食らわせていき、自分の何倍もの巨体を誇る亜人達の攻撃さえも容易くかわしていく。

彼を取り囲むアルビオン軍はかなり混乱している様子でメイジ達は少年に雨のように魔法の集中攻撃を続けるも、彼は敵の間を軽やかに跳んでは跳ね、駆け抜けては翻弄していく。

とても人間……しかも平民とは思えない獅子奮迅ぶりだった。

 

(ほう。あいつは……)

少年の勇猛な戦いぶりを観察するスパーダが注目したのは彼の左手だった。

たった一人だけでひたすら剣を振るう中、その左手の甲は力強い光を放ち続けるのだ。その輝きは彼の戦いの激しさに比例して一際まばゆい光となっていく。

スパーダは光から発せられる魔力の波動に身に覚えがあった。

全く同じ性質を持つルーンを同じく左手に形だけとはいえ刻み、その本体は元の世界へと残しているのだから。

(死ぬ気か、あいつ)

無情なことだが少年がこのままでは数分と持たないことをスパーダは察していた。

確かに少年の戦いぶりは賞賛に値するかもしれない。だが彼が激しく戦うにつれて動きが鈍くなりつつあるのが見て取れ、徐々に矢や魔法がかすり始めていた。

少年は何百という矢や氷槍の雨を目にも止まらぬ速さで剣を振るい、捌いていくものの足や肩に腹、さらには頬にまで掠めて血を飛び散らせる。

 

「うわあああああああっ!!」

ついには巨大な火球を剣で受け止めようとしたが炸裂によって起きた爆風で吹き飛ばされ、地面を豪快に転がされた。

それでも少年は立ち上がり、いつまでも戦い続けた。既に疲労困憊であるのは遠目でもはっきり分かる。

だが剣の振りの鋭さそれ自体はまるで鈍る様子を見せない。

 

何分が経ったのだろうか。時間の感覚を忘れるほどに釘付けになった戦いぶりを見せた少年はついに崩れ落ちた。

戦場の、しかも敵陣の真ん中で仰向けに倒れる彼はもはや限界で、見るも無残に傷だらけであり身動きすら取れない。

だがたった一人だけで彼は自分の何百倍という敵を討ち倒したのである。

まさしく勇者と称えるに相応しい少年をアルビオン軍は完全に包囲し、とどめを刺す気なのかメイジ達が次々に杖を構えだしていた。

 

――やっぱ、死にたく……ねえよ。

 

はっきりとスパーダに届くそれは恐怖の感情だった。

それは今、あそこで倒れる少年の魂の声そのものだ。

 

――ルイズ……。

 

さらに届いてきた魂の呟きにスパーダは僅かに眉を顰めた。

(そういうことか)

彼の左手に刻まれるルーン、発せられる魔力の波動、そして魂に乗って届く想いと名――

あの少年が何者であるかをスパーダは今この瞬間、はっきりと理解した。

 

「相棒ぉおおおおお!」

倒れながらも決して手離そうとはしない少年の剣から聞き覚えのある叫びがはっきりとスパーダの耳に届いた。

左手のルーンの力の大半を預け、元の世界に残す少女を守る者と全く同じ声だったのである。

「ルイズゥウウウウウウウウウッ!!」

少年の叫びと共に、今にもとどめの放火が発せられようというその時だった。

 

――グオオオオオオオオオッ!!

 

突如、見上げんばかりの巨大な影がアルビオン軍に襲い掛からんとしている。

30メイルはあろうかという巨大な土のゴーレムが彼らの後方――すなわちスパーダ達の前方で何の前触れも無く土が大きく盛り上がり姿を現したのだ。

アルビオン軍は少年に気を取られていたことから完全に不意を突かれる形となり、新手のゴーレムの登場に慌てふためく。

ゴーレムは巨腕を振り回して次々と兵隊を薙ぎ倒し、亜人達ですら蟻のように蹴散らされていく。

 

完全に統制が保てなくなり大混乱に陥るアルビオン軍を眺めていたスパーダはちらりと隣のロングビルを見やった。

「ごめんなさいね。あいつら見てたら何だかムカついたものだから」

彼女はいつの間にか杖を手にしており、苦笑を浮かべながら肩を竦めていた。

あのゴーレムは彼女の魔法により作られたもの。土くれのフーケと呼ばれたメイジご自慢の強力な兵だ。

たとえ世界は異なっても彼女にとっては因縁のあるアルビオン軍であることに変わりはない。だからちょっかいをかけてみたようである。

 

だがこれでアルビオン軍はスパーダ達の存在に気付いたようだ。

大砲から次々と砲弾が放たれ、ゴーレムを攻撃するばかりかスパーダ達がいる場所まで狙ってきている。

 

――ヒヒィーーーーンッ!!

 

攻撃に反応したゲリュオンが前足を高く持ち上げ、力強い嘶きを夜の草原に轟かせた。

真っ直ぐに迫ってきた砲弾をかわし、丘を猛然と駆け下りてアルビオン軍目掛けて突進していく。

ゴーレムに続いて青白い炎を纏う異様な姿の巨大な馬まで現れたことでアルビオン軍の兵達は完全に戦意を喪失していた。

突撃してくるゲリュオンから慌てて逃れようと次々と左右に倒れ込むように逃れ、一本の道を作っていく。

その先には敵陣の中心――彼らが取り囲んでいた少年が倒れる姿があった。

「フンッ!」

中心に差し掛かる時、スパーダはすかさず具現化し手にしたケルベロスを振るった。

輪に繋がれた三つの鎖が伸び、少年の体を絡めとる。

まるで朽ちた人形のようになすがままとなる少年の体を一気に引き寄せ、座席の後ろの荷台の上へと叩きつける。

大砲の集中砲火でゴーレムが崩れ落ちた時、アルビオン軍の前に突如現れた幻獣は虚空に飛び込むと大きな波紋を残し、忽然と消え去っていた。

 

 

地面に横たえられた少年の胸に耳を当てていたロングビルは深い溜め息をつく。

「駄目だわ……完全に心臓が止まってる」

亜空間を通ってアルビオン軍から遠ざかるように駆け抜けたゲリュオンは街道を外れた森の中で停まり、小さな広場で降りていた。

スパーダ達はそこで回収した少年を介抱してやろうとしたのだが……。

「あなたのマジックアイテムでどうにかならない?」

「……いや、手遅れだな」

スパーダはにべもなくそう答えた。

バイタルスターは生きる命そのものに影響を与えて傷を癒す代物である。だが失われた命に対しては何の効果も発揮しない。

目の前の少年は既に事切れており、閉じた目が開く気配はなかった。

「それにしても……こいつ、どこの国から来たのかしら。変わった格好ね」

七万もの大軍をたった一人で相手にした勇者……歳の頃はギーシュと同じくらいといった所の少年はどこにでもいる平凡な子供だった。

彼女の言うように簡素ながらスパーダですら見たことがない異国情緒の身なりをしており、ハルケギニアでは珍しい黒い髪が特徴的だ。

こんな子供があれだけの獅子奮迅の戦いぶりを見せたとは思えなかったが、その体にははっきりと証が刻まれているのだ。

アルビオン軍の攻撃を散々に受けたせいで服の所々は裂け、腕も脚も顔にさえ痛々しい傷を作り血を流しているのだから。

炎の魔法を食らったせいだろう。片腕は半ば炭化し、腹からも夥しい血が溢れ出て服に滲んでいる。

これだけ惨たらしい致命傷を受けていながらも、自らが振るった大剣――デルフリンガーだけは固く握り締めたままだった。

 

(死人に用はないという訳か)

微かに淡い光が灯る少年の左手を眺めていると、そこに刻まれているはずの文字が徐々に薄れていくのをスパーダは目にしていた。

ともかくせっかく戦場から運び出してやったものの、既に事切れてしまったのではスパーダでもどうしようもない。

せめて地に還して葬ってやろうかと考えていると……。

 

「あ! マチルダ姉ちゃんだ!」

「テファ姉ちゃん! マチルダお姉ちゃんがいるー!」

突如、響き渡った子供らしき声にロングビルが驚き振り返った。

見れば林の奥から次々と幼い子供達が顔を出しては二人の元へ集まってくるのだ。

そして最後に姿を見せたのは一番年長らしい金髪を靡かせる美しい少女……スパーダ達にも見覚えのある尖った耳が特徴的なハーフエルフだった。

「マチルダ姉さん!」

「テファ……? それに……あんた達……」

ロングビル……いや、マチルダは目の前に現れた幾人もの子供達を目にして唖然とする。

元の世界に残しているはずのティファニアは自分にたった一人残された大切な子。それ以外の孤児達はみんなレコン・キスタの非道な人体実験の材料にされた挙句に命を奪われた。

もう二度と戻れない幸せに満ち、心の支えでもあった過去が……自分が守ろうとしていた愛する子供達が全員揃い、健全な姿を見せているのだ。

……夢でも幻でもない。

「どうしたの!? マチルダ姉さん!」

体の力が抜けてその場にへたり込んだマチルダにティファニアと子供達が駆け寄り集まってくる。

「なんで泣いてんのー?」

何も知らない子供達はマチルダの瞳から溢れ出て頬を伝う雫に目を丸くしていた。

「ううん……何でもない……何でもないよ……」

感極まり、眼鏡を外して涙を指で拭くマチルダは久々に安堵と歓喜に満ちた笑みを浮かべる。

たとえ生きる世界は違えども、一度失われたものが再び目の前にあるこの現実を素直に喜んだ。

 

「……あ! 大変だわ! また倒れているのね!」

ティファニアが少年に気付くと同時にスパーダは黙って離れて木の幹に背を預けていた。

躊躇することなく彼を介抱しようと慌てて少年へ詰め寄りだすティファニアは自らの指に填められている指輪を見つめだした。

「母さん……お願い……」

そう小さく呟くと指輪を彼の胸元の上へとかざした。

填められた宝玉が淡い光を放ちだし、小さな雫となってポタリと少年の体へと滴り落ちていく。

かつてスパーダが目にした奇跡が今再び目の前で起ころうとしていた。

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  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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