魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Another Mission <獣の首-Saito's Sword> 後編

――ぷぎぃ! ブギィイイイイイイッ!!

 

耳障りな豚の咆哮が昼過ぎの森の奥で響き渡る。

開けた空き地の真ん中で数匹のオーク鬼達が一人の人間を取り囲んでいた。

大振りの剣を手に構える子供を前にオーク鬼の一匹は分厚い棍棒を手に突進する。

迫り来る太った巨体を前に才人はデルフリンガーを握り締めたまま身構えていた。敵の威嚇やプレッシャーに対してもその表情は落ち着いたままで、一切の緊張や不安も恐怖すら窺えない。

「――よっと!」

棍棒が振り上げられると同時に横へ跳ぶ。当たれば人間などひとたまりもないであろう一撃は空しく地面に叩きつけられるのみだった。

「でやあっ!」

側面へ回り込んだ才人はデルフリンガーを薙ぎ払い、その首を一刀の元に断ち切った。

頭を失ったオーク鬼はどう、と力無く崩れ落ちて倒れ伏す。

 

――グルルルルルゥ……。

 

周りでは他のオーク鬼達が焦りと苛立った様子で唸り声を上げていた。何しろ人間の戦士、しかも子供を相手にここまで手こずっているのだから当然である。

業を煮やしたか、今度は二匹が前に出てきて才人を挟み撃ちにしていた。

「なあデルフ。まだあれを撃てるか?」

「ほどほどに軽く振ってみな。それで前の奴から怯ませてやれ。同時に相手しようなんて考えんなよ」

不利な状況にあっても才人はデルフと会話を交わせるほどの余裕を見せていた。

剣を斜に構えた才人はじりじりと前から迫ってくるオーク鬼を見据えだす。

同時にデルフリンガーの刀身には淡い光が薄っすらと纏わりつき始めていた。

「……そおらっ!」

剣先を地面に掠らせるように袈裟に振うと、高く空を切る音と共に一陣の突風が巻き起こる。

 

――ブギィ!?

 

剣風の一部は地を抉り真っ直ぐに這い進みながらオーク鬼に衝突し、その巨体を難なく吹き飛ばしていた。

「うおおおおおおおっ!!」

即座に振り返った才人は仲間を倒されたことに動揺しているもう一匹へ一気に駆け込み、今度は渾身の力を込めてデルフリンガーを薙ぎ払った。

横一閃に振るわれた刃は分厚い皮と脂肪の塊であるオーク鬼の胴体を文字通りに分断する。

 

――ブギィイイイイイイッ!!

 

――ブギィッ! ブギィイイイイイイッ!!

 

剣風の衝撃波を受けて倒されていたオーク鬼が起き上がり、怒り狂ったように鳴き声を上げると残った三匹までもがそれに同調していた。

こうなったら全員でまとめてかかって袋叩きにする気だろう。一斉に武器を振り上げて才人目掛けて突進してくる。

だがそれでも才人の落ち着きは変わらない。

何しろ彼らと戦うのはもちろん、このような戦況など何十回と経験していることなのだ。

「行くぜ、デルフ!」

「おう! 思いっきりやりな!」

威勢の良い声と共に再び斜に構えられたデルフリンガーの刀身が眩い光に包まれた。

オーク鬼は凶暴な雄叫びと共に才人目掛けて棍棒を叩き下ろす――

 

「うおりゃあああああっ!!」

その寸前、一気に薙ぎ払われたデルフリンガーの一閃と共に爆風が巻き起こる。

至近距離からまともにその衝撃を受けるオーク鬼達の体は瞬く間にミンチ肉のように砕け散っていった。

肉片のみとなり死体すら残らない中、ただ一匹だけが吹き飛ばされるだけに留まっていた。とはいえ両腕は失われ体中の至る所を削り取られて血を流し、既に虫の息である。

「もう一発!」

才人は振り切った剣をそのまま頭上に構え、さらに正面へ振り下ろした。

叩きつけられた切っ先から衝撃波が地を走り、最後の一匹の体を今度こそ跡形も無く粉々に吹き飛ばした。

 

「中々サマになってきたじゃねえか相棒。特訓の成果が実を結んだなあ」

「そうかな?」

肩で息をしながら才人は相槌を打ち、軽く笑みを浮かべた。

この二週間、才人はウェストウッドの村で修行に明け暮れていた。

朝昼晩と暇さえあればブラッディパレスで戦いを続け、寝る少し前にドッペルゲンガーによる自分の分身と手合わせをする――この毎日をひたすら繰り返していた。

ガンダールヴとして戦っていた頃はルーンの力による自身の能力の強化で、相手に反撃もさせないままに叩きのめす――ほとんど勢いに任せた戦いだった。

だが才人はこの修練を通じて戦いの駆け引きを学ぶことができた。

自分と敵の攻撃の間合いの取り方や攻撃を仕掛けるチャンスとタイミング、さらには集団戦のやり方などありとあらゆる戦いの心得をデルフのアドバイスもあって身に着けていた。

ブラッディパレスはどのくらい深い階層まで行けたのかは正直、才人自身でもよく分からない。999から先はもう現れる敵や戦況が尋常じゃないほどに厳しすぎて、そんなものを意識する余裕がなかった。

当然、今のようなオーク鬼達との戦いも幻とはいえ何度も経験しており、むしろブラッディパレスではこの倍以上の数と一度に戦ったことすらある。

とはいえ本物と戦うのはこれが久しぶりで、ウェストウッドで目覚めた時からは初めての実戦であったが。

 

「デルフだってすげえよ。こんな力を出せるなんて、本当にすげえ」

「ちょっと複雑だけどな……」

興奮して声を弾ませる才人に対してデルフは微妙な態度で呻いていた。

6000年の時を生きるインテリジェンスソードであるデルフリンガーには特別な能力が与えられている。

人語を話すのは当然だが、特に当人の自慢であるのがメイジ達の魔法を吸収してしまう退魔の力だ。

だが今のデルフにはこれまでにない新たな力が備わっている。

それが今の戦いで発揮された剣風による衝撃波で、当人が言うには「吸収していた魔力を解放した」らしい。

ガンダールヴの力もない才人の腕力ではあんなオーク鬼達の分厚い肉を一刀両断にするなど不可能なのだが、剣の圧力を魔力によって高めるという芸当もしてくれていたおかげで一撃で断ち割ることができたのである。

 

(あの人、本当に一体何なんだろ? こんなすげえこともできるなんて……)

元々デルフにそのような能力は無かったが、それを与えたのはあの銀髪のイタリア人だという。

イタリア人を自称する彼はこのハルケギニアの住人ではない。にもかかわらずこの世界にはない不思議な儀式と錬金術でデルフリンガーに能力を与えたらしい。

デルフ曰く、その儀式は相当に堪えたそうで自分を改造したあのイタリア人のことを「悪魔」「鬼」「ひとでなし」などと呼んでぶつぶつと愚痴っていた。

(俺の世界にも、本物の魔法とかがあんのかなあ……)

才人が元いた地球には魔法だの錬金術なんていったものは存在せず、それこそファンタジーなフィクションの中だけの存在のはずだった。

だが彼は明らかに自分と同じ世界の住人で現実にその摩訶不思議な技術を用いている。ならば彼が言ったように自分の知らないものが元の世界のどこかにも存在していたのだろうか……。

(まあ、魔法でも何でもいいか。本当に恩に着るよ)

とはいえ、与えられたこの力はまさに伝説の剣と呼ぶに相応しいもので、今の才人には有難いものだ。

事実、このデルフの新たな力がなければブラッディパレスはもちろん、今のオーク鬼達すら戦い抜くことなど到底不可能だったろう。

ガンダールヴだった頃には遠く及ばないものの、素人同然でしかなかった才人はこの二週間でまともな剣士として成長しているのは確かだった。

 

「でも、後どれくらい奴らを倒せば良いんだ?」

「まあ少なくともオークの連中はこれで最後だろうな」

ここはティファニア達が住まうウェストウッド村からさらに奥へ踏み込んだ森の奥地だ。才人はイタリア人の彼と共に亜人退治に訪れている。

今朝、これまでにないという珍客がウェストウッド村に姿を現した。それがあのオーク鬼だった。

その時はマチルダが魔法で一蹴したものの直後には二匹目、三匹目と姿を現して才人達も武器を手に戦い、撃退した。

どうやらこのウェストウッドの森一帯にオーク鬼達が巣を張り始めたようで、放置していてはこの地に根付かれてしまうためにその討伐のために才人達は出向いたのである。

マチルダだけはティファニア達を守るためにオーク鬼達を迎え撃つべく村に残っていた。

 

「ってことは、後は他の奴らか……トロール鬼とオグル鬼だったっけ?」

才人は気疲れしたように溜め息を漏らす。

ウェストウッドに根付き始めたのはオーク鬼達だけではない。アルビオン大陸北部の高地に生息するはずのトロール鬼やオグル鬼までもが蔓延っていたのである。

どうしてこんな辺境の森に物騒な亜人が巣を張り始めたのか、イタリア人の彼はこう推察し、それにデルフも同意した。

 

――アルビオン軍が飼い慣らしていたのが落ち延びてきたのだろう。

 

確かにアルビオン軍が戦力として使っていたのは才人も知っているし、実際に戦ったことがある。

きっと敗走するトリステイン軍を追撃してきたあの後、ガリア軍に壊滅させられたことで統制がなくなり野放しになったのだ。

それがこのウェストウッドに流れ着き根付き始めたのだろう。そういえば、先日にも村を訪れた行商人が各地でも同じようなことが起きていて、駐留しているトリステイン・ゲルマニア軍が後処理で掃討を行っていることを話してくれた。

「ったく……負けた後も散々周りに迷惑かけやがって……」

「まったくだね」

才人が毒づきデルフも頷いたその時だった。

 

 

――ドドドドドドドドッ!!

 

鋭い銃声が轟音となって立て続けに鳴り響きだしたのだ。

マシンガンのような速さでこんなにも連射ができるのは、あのイタリア人が持っていた二丁拳銃しかあり得ない。

彼はオーク鬼の掃討を才人に任せ、大物であるトロール鬼達の始末を自分で引き受け別れていた。

「あっちもすげえことになってそうだな……」

「ほら、俺らも行くぜ! 野郎に負けてたまるかってんだ!」

「おう!」

デルフに促されて駆け出した才人は銃声を頼りにさらに森の奥へと踏み込んでいく。

 

――グオオオオオオオオオッ!

 

野太い咆哮が響くと共に、大きな岩場に面した場所へと辿り着いた才人が目の当たりにしたのは壮烈な光景だった。

オーク鬼の倍はある5メイルもの巨体を有するトロール鬼が7体ばかり。その手にはオーク鬼達の得物よりもさらに強力であろう鉄の塊――鉄球が取り付けられたメイスが握られている。

以前、シティオブサウスゴータでも相手をしたことがある巨人達はガンダールヴの力があったとしても持て余していたほど。

ブラッディパレスでもこれと同じ数を同時に相手にしたことがあるものの、30分もかけ全員倒したほどに苦労をした相手だ。

そんな屈強な怪物達が取り囲んでいるのは、あの銀髪のイタリア人だった。

 

(おいおい……マジかよ……!)

目を見開き才人は愕然とした。

トロール鬼が振り下ろしたメイスは彼が無造作に振り上げ払った一閃によってあっさりと弾かれていた。

彼の右手には骸骨の意匠が施されたデルフリンガーよりも大きいであろう重厚そうな大剣が握られ、まるで棒切れのように軽々と振り回している。

 

――ガッ……!

 

横から時間差で攻撃を仕掛けようとしたトロール鬼は突如呻きと共に石のように固まった。

直後、トロール鬼の肉体は頭の中心から下半身まで縦一文字に真っ二つにされてしまったのである。

気が付けば彼の左手に握られるあの日本刀が天高く振り上げられていた。

 

「野郎……容赦がねえな……」

戦場の有り様にデルフが思わず低く呟きだす。

よく見ると周囲には既に何体ものトロール鬼達の骸が転がっているのだ。

岩場に叩きつけられたままピクリとも動かないものから首を失ったもの、全身に無数の風穴を開けられたもの、胴体を肩から袈裟に斬り裂かれて泣き別れになったもの……。

無慈悲としか思えないほどにトロール鬼達はあの悪魔によって抹殺されていた。

それを象徴するかのように彼の表情は氷のように冷然とした様子を崩さない。

 

「つ、強えぇ……」

思わず嘆息してしまうほどに才人は目の前で繰り広げられる闘争に息を飲んでいた。

激高するトロール鬼達の攻撃を彼は大剣であっさり弾き返すのはもちろんのこと、まるで羽でも生えているかのように軽やかに跳躍してかわしてしまう。

空中で身を翻しながらトロール鬼の眼前で日本刀を――たった一度にしか見えなかったが――振るうと、直後には相手の頭が様々な×字状に切り刻まれ、肉片と化す。

巨人達の包囲の輪から外へ脱して着地すると振り向いたトロール鬼目掛けて大剣を投げ放つ。空を切りながら一直線に飛んでいき、その胸に深々と突き刺さり心臓を貫いた。

 

――ギャアアアッ!

 

「フンッ!!」

絶叫を上げて悶えるトロール鬼に彼は飛び込むが、何と突き刺さったままの大剣を巨体もろとも持ち上げて豪快に振り回したのである。

思いもよらぬ攻撃に怯むトロール鬼達に容赦なく巨大な肉塊のハンマーが叩きつけられ、薙ぎ倒されていく。

(すげえ……! アニエスより強いんじゃねえか……!?)

その人間離れした動きと怪力、剣技はまさしく超人と呼ぶに相応しいものだった。

今の才人はもちろん、ガンダールヴとして戦っていた頃でもあんな動きができたとは思えない。

僅か一分とかからずに6体のトロール鬼達はたった一人の剣士によって文字通りに殲滅されてしまう。

初めて目にした彼の剣技は壮観であり、才人の目と記憶にはっきりと焼き付けられていた。

 

「残るはオグル鬼の連中だ。行くぞ」

トロール鬼の屍から引き抜いたリベリオンを収めたスパーダは才人の元へ歩み寄るなり顎をしゃくってそう告げた。

「……あ、ああ」

呆気に取られていた才人だがすぐに踵を返した彼の後を追って歩き始める。

共に大剣を背負う二人の男――だが才人とは対照的にスパーダの方は剣豪と呼ぶに相応しい迫力や貫禄……あらゆる威厳に溢れたオーラを身に纏っている。

そんな彼の大きな背中を才人は食い入るように見つめ続けていた。

 

 

結局、ウェストウッド村に帰り着いた頃には夕刻を過ぎ、空には大きな月が浮かんでいた。スヴェルの時期なのもあってか二つの月は重なり合おうとしている。

「お帰り。派手に暴れたみたいじゃないさ」

ティファニアの家の庭先で才人達はマチルダの出迎えを受けていた。

才人は体力的にもちょうど限界で足もややおぼつかない様子だったが、一番多く戦ったスパーダは平然としたままである。

 

「こっちも相当だったんだな……」

才人が庭を見渡すとその隅にオーク鬼の死体が転がり、積み重ねられているのを見つけていた。

どうやらマチルダの手でまたも始末されたようだ。

「こいつのおかげさ。中々使い心地が良いわ」

彼女は右手に魔銃アルテミスを装着したままだったが、それを外すとスパーダに渡していた。

「ま、とにかく入ってよ。あんたにちょっと話があるからさ」

「俺に?」

家の中へ入り、居間に招かれた才人達はひとまず夕食から済ませることにする。

他の子供達は既に終えて各々の家に帰っており、残っている分を才人達も頂いていた。

 

(こんなもん、ここにあったっけ?)

才人の目に入ったのはテーブルの上に置かれているものだった。

ライオンの被り物をした砂時計を重そうに掲げて跪く小さな彫像は出発前にはなかったものである。

いつの間にこんなものがあったのか、不思議そうに才人は食事を続けながらも眺めていた。

「これどうする? 勝手にここにあったんだけど」

「放っておけ。害はない」

マチルダが彫像を指して切り出すがスパーダは軽く流していた。

二人の会話から才人はこれも何らかのマジックアイテムなのかと踏んでいたが、彼の素っ気ない反応から大したものでもなさそうだなと受け止め深く考えるのはやめにする。

 

夕食を済ませて少し落ち着いた後、改めて才人は居間でテーブルを挟んでマチルダ達と面していた。

「実はね、サイト達がいない間にお客さんが来てたの。その……サイトを探しにきたって」

「お、俺を探しにきてた?」

最初に切り出し始めたティファニアに才人は面食らう。それはあまりに唐突で思いもよらない話題だった。

「そうさ。トリステイン軍の騎士で、アニエスとか言ってたね。確か、銃士隊とかいう新しくできた近衛隊だろ?」

マチルダはさらに事情を語り、話を続けていく。

 

才人達が留守にしている間にもこの村には新たなオーク鬼達が姿を見せていた。

マチルダがアルテミスの魔銃で迎撃をしている時に加勢してくれた者がいたのである。それが銃士隊隊長のアニエスだった。

彼女は女王アンリエッタの命を受けて行方不明になった才人の捜索をしている最中だったという。

「姫様が……」

「良い身分じゃねえか。姫嬢ちゃんが直々に相棒一人を見つけるために手を尽くしてくれるたぁな。やっぱり、あの7万を相手に奮戦したのが讃えられたのかねえ」

事の次第を知った才人は呆気にとられたように目を丸くしていた。暖炉に立てかけているデルフも思わず声を上げだす。

たった一人で殿を引き受けた才人の活躍は当然、味方の誰一人として見た者はいない。きっと敗北したアルビオン軍から話を聞かされたのだろう。

「それでね……ごめんなさい。あなたが生きてるってことはその人に話しちゃったの。オーク鬼退治に出かけてるって伝えたらすぐ帰っていったけど」

「まあ仕方がないね。別に口止めをされてた訳じゃないんだしね」

申し訳なさそうにするティファニアだがマチルダは苦笑して肩を竦める。

確かにこの件に関しては才人は何も言っていない。ましてや近衛隊のアニエスがこんな辺境の森の奥にまでやってくるなど予想外だったのだから。

 

「で、その隊長から伝言があってね。『ロサイスの駐屯地にいるから三日以内に顔を出すように。来ないなら死んだとみなす』って言ってたね。ま、あの様子じゃあ、ここへまた様子を見に来るかもね」

マチルダとしてはもう才人が充分に療養ができていることは明白であったため、そろそろこの村からお引き取り願いたい所であった。

トリステインから迎えが来ているのは良い機会だし、帰るきっかけもできたのだからこれ以上ここに滞在し続ける理由もないはずである。

「……いいよ。アニエスの所には行かない」

「ええ?」

「俺……明日にでもここを出て行くよ。アニエスが来たら俺が奴らに負けて死んだって伝えてもらえればいいから」

「どうして? どうして、トリステインに帰ろうとしないの?」

マチルダが怪訝そうに眉を顰めティファニアも心配そうにするが、当の才人は浮かない顔で俯いていた。

ティファニアは数日前にも故郷に手紙を送って家族に無事を知らせることを勧めたのだが、才人はそれを拒否したのである。

その理由を『トリステインに家族はいない。手紙の届かない遠い場所にいる』と返していた。

「あなたのご主人様……ルイズさん、だったかしら? その人も心配してるはずだわ」

なおもティファニアは翻意を促すが、才人は首を横に振った。

この二週間の交流でマチルダとの話も通じ、ティファニアは才人の素性をある程度知ることになったのである。

 

「……無理なんだよ。俺はもう、ルイズの使い魔じゃないんだ。ガンダールヴでもない、役立たずな俺はルイズに必要じゃない……」

「でも、あなたはあんなに剣の特訓をしていたじゃない。オーク鬼だってやっつけられたのに……」

ブラッディパレスで修行している最中の才人の様子はティファニア達も見届けていた。

儀式に使ったグラスから空中に中の状況が映し出されており、それをマチルダや他の子供達と見物していたのである。

「ガンダールヴと今の俺じゃ全然比べられないよ。それじゃあルイズを守れない。俺がいるとむしろ足手纏いなんだ」

頑なな態度で才人はトリステインへ帰るのを拒否し続けていた。

そんな彼の姿にマチルダは目を細め、小さな溜め息を漏らしている。

 

 

「何故ガンダールヴであることにこだわる?」

今まで沈黙を守り続けていたスパーダが口を開いた。

暖炉の横の壁にもたれ掛かりながら腕を組んでいる彼の方へ才人はちらりと視線を移す。

「今も言っただろ。ガンダールヴだったから、俺はルイズを守れていたんだ。だから俺にはもう守る資格は……」

「ガンダールヴが彼女を守る資格だとどうして言い切れる?」

スパーダの言葉に才人は声を詰まらせてしまう。

「前に言ったな。自分はもう誰にも必要とされていないと。誰がそれを決めたのだ?」

「それは……」

「少なくともトリステインの女王はお前を必要としている。だからこそアニエスに捜索を任せたのではないのか?」

確かにそれはまごうことなき事実だった。だが才人はルイズどころか自分がこれまで関わってきたトリステインでの全てを自分から捨て去ろうとしているのだ。

その理由を才人自身は薄々と分かっていた。だが、それを認めることすら怖い。

「はっきり言ってやろう。お前はルイズに直接拒絶されることを恐れている。その失意を味わいたくないために最初から逃げようとしているだけだ」

まるで心を見透かしたかのようなその言葉に才人は目を見開き愕然とする。

「お前にとってルイズとは何だ? お前はルイズとどうありたいと思っている?」

「俺は……」

「お前はガンダールヴの力にこそ溺れてはいない。だが使い魔としての存在意義と役割そのものに縋っている。お前自身も気づかぬうちにな」

ルイズの使い魔として過ごしている間、ただの人間である才人はガンダールヴのルーンの影響を受けていたはずだ。

主人に都合のいい存在に作り変えられる使い魔のルーン……そのために才人はルイズの使い魔としての感情や忠誠を刷り込まれていたに違いない。

ルーンが消滅したとしても無意識下では僅かに残り続けているがために、『ガンダールヴでなければルイズの使い魔ではいられない』という思いが意味も無く湧き上がっているのだろうとスパーダは踏んでいた。

 

「それに何もトリステインにいるのはルイズだけでもあるまい。友なり仲間なり、お前の周りには他に心を通わせた人間はいないのか」

「そりゃいるけど……でも……」

「ルイズも他の者も、お前に何を求めていたのだ? ガンダールヴとしての力だけなのか?」

甚振るように詰め寄り続けてくるスパーダに才人は口籠ってしまう。

彼の言葉はどれも、今まで才人が意識することを無自覚ながら恐れているものばかりだった。

「自分を卑下するのはお前の勝手だ。だが、結果を見ないうちから未来を決めつけるのは早すぎるかもしれん」

「もういいっ……! もういいから、それ以上言わないでくれ!!」

悪魔のように心を抉るような言葉に才人はもう聞きたくないとばかりに思わず声を上げてしまう。

ティファニアはその剣幕に思わずびくつき引いてしまっていた。

 

「なあ相棒。こいつの言う通りかもしれないぜ。一度くらい、魔法学院に顔を出してもバチはあたらねえよ」

「デルフ……」

スパーダの隣の壁に立てかかっていたデルフまでもがそう言いだし始め、才人の表情はさらに困惑に歪んでいた。

「それにな相棒。娘っ子はちゃんとお前さんのことを捜そうとしてたのは確かだぜ?」

「……それ、どういうことだよ」

そのデルフの発した言葉に才人だけでなく、ティファニアとマチルダまでもが目を丸くしていた。

 

「この姉ちゃんにボコボコにされて気を失ったことがあるだろ? 覚えてるよな?」

「あ、ああ……」

ちらりと才人はマチルダの方へ視線をやり、すぐに逸らした。

「あの後、起きだすほんのちょっと前に相棒の隣に使い魔を召喚するゲートが開いてたんだ。ちゃんと向こう側からは娘っ子や他の連中の声も聞こえてたぜ」

「え?」

「メイジと使い魔の契約は本来一生もんだ。自分の使い魔が存在する限り、別のものを召喚することはできねえ。娘っ子はきっとお前さんが生きてることを信じてサモン・サーヴァントを行ったんだろうな。失敗することを祈ってよ」

あまりに唐突すぎるデルフの発言に才人は気の抜けた顔で固まっていた。

「だがサモン・サーヴァントのゲート自体は作られちまった。それで相棒が死んじまったって思ったんだろうよ。何しろ相棒は完全に熟睡中だったからなあ。ああ、ちなみにこいつもそのゲートができてるのを見てたんだぜ」

デルフの言葉に才人はスパーダの方へ視線を向けた。彼は相変わらず腕を組んだままじっと才人の方を見返していた。

 

「何で……何で言ってくれなかったんだよ!?」

そこまで話を聞かされた才人はふらりと立ち上がり叫んだ。

自分が知らなかった事実をこの二人がずっと隠し続けていた……そのことが初めて才人にこの目の前にいる男に対する苛立ちを生じさせていた。

「聞かれなかったからな」

だがスパーダは才人の感情を意に介さず冷徹にそう返すだけだった。

「まあそうだわな。俺はてっきりこいつがその内話すかなって思ってたんだけどよ。相棒は何も聞かなかったしな」

「……っ! でも、あの時にあんたは……!!」

「お前はあの時、『あそこ』に誰かがいたのかを聞いただけだ。確かに、あの場にいたのは私達だけだからな。嘘は言っていない」

「だ、だけど……!」

納得できないとばかりに憮然とした表情で才人はスパーダへ詰め寄った。

「一々起こったことを話しても意味はあるまい。それを証明する手立てもないからな」

「……~~~~っ!!」

「落ち着きなって、相棒。内緒にしてたのは謝るからさ」

才人は恨めしそうにスパーダとデルフを睨んだ。

 

「それに話したからどうだと言うのだ? お前はルイズと会うのを拒んでいるはずだ。あの時話せばお前はすぐトリステインへ帰っていたのか?」

「それは……!」

そもそもあの時点での才人はまだ自分からガンダールヴの力が失われていることを自覚していなかった。

どの道、とっくに過ぎ去ったことを議論しても後の祭りでしかない。

「ほらほら、落ち着きなよ。殴り合いなら外でやるんだね」

「おめーもいい加減にしろよな。ったく、本当に悪魔だぜ……」

見かねたマチルダとデルフに宥められ、才人は拳を握り締めたまま全身を震わせていた。

 

 

「それで結局お前はどうする気だ? ルイズの元に帰るのか?」

改めてスパーダは才人の本心について問いかける。

アンリエッタだけでなくルイズまでもが才人を捜していた事実が知れた以上、もう気兼ねなくトリステインに帰ることができるはずである。

「でも……ルイズは召喚のゲートを閉じたんだろ。だったら、きっと今頃別の使い魔を召喚してるはずだよ。もう俺なんかが今さら帰ったって……」

だが才人の決意は変わらない。スパーダにはもちろん、マチルダ達にもほとんど意気地になっているようにしか見えないほどに頑なだった。

「では今の彼女の様子を見てみるか?」

「え?」

小さく溜め息をついたスパーダは壁から離れるとテーブルの上に乗る黄金像を手に取りだす。

「それは……」

「これはこの世界で起きたあらゆる出来事を記憶するマジックアイテムだ」

黄金像――時空神像を軽く掲げながらスパーダは告げた。

この世界線のハルケギニアにはスパーダ達を除いて悪魔達は存在しない。だが時空の神自体はこの異世界をしっかりと傍観していたのだ。

魔界からの干渉こそ受けてはいないものの、もしかしたら才人の元居た人間界とどこかで繋がり合っているのかもしれない。

いずれにせよ時空神像とこんな場所でお目にかかれるとは実に奇遇である。

 

「当然、お前が起きたあの日から今日までの出来事も全てが詰まっている。それを少し抜き出してやろう」

言いながらスパーダは拳大のレッドオーブを二つほど取り出し神像にかざした。

いつものように砂時計の中に吸い込まれ、ライオンの目が光を灯しだす。

「過去を映すマジックアイテム……そんなもんがあんのかよ」

才人はもちろん、ティファニアも初めて目にする光景に見入っていた。

ティファニアにしてみれば知らぬ間に部屋の中にポツンと置かれていた得体の知れない存在でしかなく不安ではあったが。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの昨日の出来事を映せ」

テーブルの上に置かれた神像から光が放たれ、居間の虚空に全く別の風景を映し出していく。

 

最初はぼんやりと歪んでいたものが徐々にはっきりとしてくる。そこはこの居間と同じように薄暗い空間のように見える。

「あ……これは……」

才人は光の中に映りこんだものを目にして目を見張った。

12畳ほどの広い一室に備えられた天蓋付きの大きなベッド、高価なアンティークのような数々の家具は貴族達が使いそうなものばかり。

「ルイズ……?」

そしてそのベッドの上には寝巻姿のまま一人寝そべる者の姿がある。

才人にもスパーダにも見覚えがある桃色の髪の少女……まさしくルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールそのものだった。

(暗いな)

魔法学院の学生寮にあるルイズの自室のはずだが、カーテンは閉め切られており昼なのか夜なのかすら分からない。

そしてその薄暗さが象徴するように部屋の空気は重く息苦しそうな雰囲気が充満している。

 

「どうしたんだよ……? ルイズ……」

目の前に映る光景に才人は戸惑った。

紛れもなくそこにいたのは自分の主人であるルイズその人。だが才人の記憶にある最後に別れた時とはあまりにもかけ離れていた。

軍の上層部から捨て石にされかけて、それを理解しつつも覚悟を決めて貴族としての使命を果たそうとしたルイズ……。

二人だけで別れの結婚式を挙げようと乾杯する中、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めていたルイズ……。

シエスタからもらった魔法の眠り薬を混ぜたワインを飲んで眠りに就き、仲間に託したルイズ……。

 

才人が知っているはずのルイズとは思えないほどに弱々しく、いつも見せていた貴族としての誇りや覇気が微塵も感じられなかった。

そして彼女の周りには新たに召喚されたであろう使い魔の姿はどこにも見えない。

『サイト……』

寝言なのか抱えた枕に顔を埋めたまま彼女は呟きだす。

名を呼ばれた才人は反応して僅かにたじろいだ。

『サイト……サイト……サイト……』

何度も何度も彼女は一人の少年の名を涙声で口にしていた。

『戦争に出たのは間違いだったわ……わたしなんかの……ちっぽけな名誉のために死んじゃうなんて……』

ルイズが発する言葉に才人はさらに困惑の表情で唖然とする。

『あたしを好きって言ってくれたのに……あたし……まだあんたに言ってないのに……』

「なんで……なんでだよ……」

絶対に言うはずのないルイズが口にする言葉には悲痛と絶望の感情がはっきりと表れていた。

この光景が本当に起こった出来事なのか……才人には信じきることができない。

 

(これが現実か)

スパーダは黙ったまま時空神像の記憶を眺め、嘆息した。

初めて目にするこの世界線のルイズはスパーダが元の世界に残してきたルイズとはあまりにも異なる。

才人の予想はとんだ見当外れであり、彼女はあの日からずっとただ一人の人間の死を嘆き悲しみ続けているのだ。

しかもこの様子では恐らく部屋から一歩も出ていないことだろう。

『いい加減にしなさい! 泣き虫ルイズ!』

突如、部屋の中に女の怒鳴り声が響き渡る。

当然、ルイズのものではないそれは才人とスパーダには聞き覚えのある、高慢さがはっきりと分かるある人物の声だった。

ずかずかと入ってきた女は一直線に窓の方へ向かうとカーテンを一気に開け放つ。部屋の中には昼の陽光が差し込み陰鬱だった雰囲気を掻き消さんとしていた。

 

『オスマン学院長から聞いたわよ! あなた、アルビオンから戻ってきてからずっと授業を休んでるんですって!?』

振り向き未だベッドから起き上がろうとしないルイズを厳しく叱りつける金髪の女、それはラ・ヴァリエール家の長女エレオノールだった。

どうやらルイズの現状を手紙か何かで知らされたか、戦争が終わって学院に戻ってきたのを知ったことで実家から様子を見に来たらしい。

『いつまでも終わったことを引きずるものじゃないわ! それでも貴族なの!?』

腰に両手を当てていた彼女は杖を取り出し軽く手元で振るった。

すると横たわっていたルイズの体が少し浮き上がり、さらに空中で体勢を変えられてベッドの上に座らせられた。

ようやく露わになった彼女の顔はすっかり変わり果てている。ずっと泣き続けていたのか目元は真っ赤に腫らしており、それどころか今ですら涙は収まる様子を見せず、嗚咽を漏らし続けている。

「ルイズ……」

そんなルイズの姿を見て才人は余計に戸惑っていた。ルイズが泣く姿は時折目にするくらい馴染みの光景だが、さすがにここまで陰惨な姿は見たことがない。

 

『お父様の言いつけを守らないで戦争なんかにいくから、使い魔を死なせる破目になるんです』

エレオノールが叱りつけるものの、目付きも表情も虚ろなルイズの耳どころか意識にすら届いているのかすら疑わしい。

だがエレオノールはそんな妹のことを知ってか知らずか叱責を続けていた。まさに名門ラ・ヴァリエール家の貴族らしい威厳が溢れている。

『毅然となさい! あんな使い魔の一匹や二匹が死んだくらいでメソメソして!』

(やめておけばいいものを)

その言葉を口にした途端、それまで生気がなく無表情だったルイズに変化が起こった。

だがエレオノールの方はそれに気づかずベッドの前を通り過ぎて背を向けだす。

『早く仕度をしなさい! どうせ魔法学院にこれ以上いたって何にもならないでしょう? 戦争も終わったことだし、もう家に戻って大人しくした方が良いわ』

肩越しに振り向きながら無情に喋り続けるエレオノールにはルイズが身を震わせていることに気付いていない。

ましてや、ベッドから降りて枕元に置いてあったものを掴みだしたことなど。

『使い魔が死んだなら別の使い魔を召喚すれば良いんです。今度はあんな平民なんかじゃなくて、ちゃんとヴァリエール家に相応しいものを呼び出して……』

 

――ドオンッ!!

 

エレオノールの言葉は途切れ、鋭い轟音によって掻き消された。

部屋の中で閃光と共に巻き起こった爆発は扉ごとエレオノールの体を外に吹き飛ばしたのだ。

廊下の壁に叩きつけられたエレオノールはずるずると床に崩れ落ちてしまう。

もうもうと煙が溢れ出る部屋の中からゆらりと姿を現したルイズの左手には杖が握られている。

ルイズの虚無の魔法・エクスプロージョンがその力を発揮したのは明らかだ。

 

『ルイズ! あなたって子――』

 

――バチンッ!

 

軽く黒こげになりながらもエレオノールは顔を上げて怒鳴ろうとしたが、それはまたも鋭い鞭を打つ音によって遮られた。

彼女の眼鏡が吹き飛び、壁にぶつかり床に転がる。フレームはその拍子に割れ、右目のガラスも砕けてしまう。

 

――バチンッ!

 

さらにまたも強烈な鞭打つ音が響き渡った。

ルイズが右手に握り締める乗馬用の鞭で力一杯に今度は彼女の頬をしばいたからだ。

『あんな使い魔とは何よ! 何があんな平民よおっ! わたしにとっては特別だったのよ!! サイトは大切な人だったのよおっ!!』

けたたましい絶叫と共にルイズは何度も鞭を振っては返し、エレオノールの顔に叩きつけていた。

今まで虚ろだった表情は打って変わって激しい怒りの色に染まり、さらに大量の涙が目から溢れ出ている。

その剣幕はティファニアとマチルダも血の気が引くほどに峻烈で殺気立っており、妹にしばかれるエレオノールは腕で顔を覆うも、ルイズは構わずに怒りをぶつけ続けていた。

鞭を打つ音は回数を重ねる度にその強さを増していき、振り上げた時には赤い雫が飛び散りだしていた。

 

『エレオノール姉様なんかに! 何が分かるのよぉ! あたし達がアルビオンでどんな思いをしたのか! 知りもしないくせにぃ!!』

大の大人が10歳も離れた子供に圧倒されるその光景はまさに圧倒的だった。

エレオノールの苛烈さは才人もよく知るものだったが、今のルイズはそれを遥かに上回る迫力である。

何の抵抗もできない姉に妹は自らの爆発した感情を文字通りに叩きつけ続けていた。

『やめなさい! ルイズ!』

『お、落ち着きたまえよ!』

そこへ学院の生徒――金髪の巻き毛を揺らすモンモランシーが飛び込んできて振り上げたルイズの腕に両手で掴みかかる。

さらにもう一人、ギーシュがルイズの背後から抱え込んで動きを封じ込めていた。

『離して! 離してよ! こいつはサイトを侮辱したのよ! あたしのために……みんなのために戦ったサイトを、こいつはあっ!』

実の姉に向かって『こいつ』呼ばわりするとは。

怒りが静まらない、もはや憎悪すら感じられるほどに暴れるルイズの力は二人がかりでも手を焼くようでギーシュ達は振り回されていた。

 

「おーおー、ありゃあひでえな」

ようやく暴行から解放されたエレオノールの姿を見てデルフが唸った。

何度も鞭で打たれたその顔は無残なもので、額や頬にこめかみとあらゆる場所の皮膚が裂けて血が流れ出ていた。

目の前で暴れる妹の姿を目にするその顔は先ほどまでの威厳など何も感じられないくらいに狼狽している。

「サイト……」

ティファニアはちらりと才人の方を見やった。

光の中に映る場面に見入る才人は口を開けたまま呆然自失となっていた。

 

 

ラ・ヴァリエールの領地で家族と共に過ごしながら夏期休業を過ごすルイズの日課は主に3パターンに分けられる。

病から解放された姉カトレアのリハビリのために屋敷の庭を散歩したり、長姉エレオノールが自室で行う異邦の錬金術の実験を見学したり、時空神像を使って母カリーヌの過去……すなわち魔法衛士隊にいた頃の活躍を覗いてみたりしていた。

時空神像はある程度具体的にいつの出来事なのかを述べないと望んでいるものを見せてくれないため、その都度ルイズは母の元を訪れては尋ねていた。

とはいえ、カリーヌも若い頃の出来事をあまり知られたくないのか「人の過去を無闇に見るものじゃありません」と返されてしまうことも多かったが……。

 

そして時折、アミュレットのデルフを通して自分のパートナーであるスパーダの身に起きている出来事を見物したりもしており、実はこれが一番の楽しみでもあった。

特にここ数日間、ルイズ達が目にするのは今までで最も驚くと同時に興味を引く出来事だったのだ。

(これが別の世界のわたし……)

夕刻のエレオノールの自室でルイズら三姉妹はテーブルに置かれたアミュレットから真上の空間に映し出される幻影に食い入っていた。

そこには寝間着姿をしたルイズがエレオノールの魔法で無理矢理起こされる姿がある。

 

四日前、デルフは驚くべきことをルイズ達に告げていた。それはスパーダとの感覚の共有が途絶えて何も伝わってこなくなったのだ。

デルフが話すところによれば魔法学院の長、オスマンの秘書であるロングビルと共に獣の首と呼ばれる魔界の道具を使ってどこかへ消えてしまったという。

獣の首の力については意思相通が続く中でスパーダが話してくれていたのもあってルイズ達も知ることができたが、いささか信じがたいものでもあった。

今自分達がいるハルケギニアとは全く別のハルケギニアが存在するなんて、ルイズ達には想像もできないものである。

だがそれでも、スパーダ達はその別の異世界のハルケギニアへと次元を越えて行ってしまったらしい。

 

翌日にはようやくスパーダの様子が見え始めたのだが、やはり次元が違うためか上手く繋がらないようでこちらに届けられる視界も音もノイズばかりだった。

それでも辛うじてスパーダ達の近況だけは何とかルイズ達にも理解ができたのは幸いだ。

だがやはり長時間は見ていられず少しするとまた繋がらなくなってしまい、さらに翌日の不定期にしかもごく短い時間だけまた別のスパーダの様子が映っていた。

こちらでは数日しか経っていないがどうやら向こうでは何週間もの時間が過ぎているらしい。

 

(あいつ……)

ルイズが今見ているのは別の平行世界にいる自分の姿だ。

驚くべきことに使い魔はスパーダとはまったく別の存在だということが信じられなかった。

あのサイトとかいう平民があちらの世界における自分の使い魔で、しかも伝説のガンダールヴだったなどと。

『離して! 離してよ! こいつはサイトを侮辱したのよ! あたしのために……みんなのために戦ったサイトを、こいつはあっ!』

そして今、さらに驚くべき光景が目の前で繰り広げられているのだ。

サイトの……使い魔の死に嘆き悲しむルイズを姉のエレオノールが叱りつけたことで逆上され、反撃を受けているのだから。

こちらのルイズでさえ経験のない出来事に思わず肝を潰してしまう。そして……。

 

「な、何よ……! 二人ともその顔は!」

別の世界の自分が妹の手で傷だらけにされてしまったことに唖然としていたエレオノールは不意に威圧感を覚えると二人の妹を見やった。

ルイズとカトレアはじっとエレオノールを白い目で見つめてきているのだ。

その異様な圧迫感にエレオノールは気まずささえ覚えてしまう。

「最低ですわ。姉様」

「お前さん、いくら何でもあんな言い草はねえだろうよ」

カトレアとデルフが非難の言葉を浴びせかけてくる。

「な……! あ、あれは私じゃないでしょう! いえ……私なんだけど……とにかく! あの私とここにいる私は別人なの!」

慌ててエレオノールは弁解した。確かにこれは間違いではないのだから。

だが二人の冷ややかな視線は変わらないままだった。

 

「じゃあお前さんはあの娘っ子になんて言ってやったね?」

「そ、それは……」

口籠るエレオノールは気まずそうに二人から――特にルイズから顔を背けてしまう。

一体、あの場とあの状況で何を言ってやれば正解なのだろうか? いや、確かにあのエレオノールが口にしたことは間違っていないはずだ。

だがその結果、あちらのルイズを怒らせる破目になったのである。

「あっちの世界があり得たかもしれない別の可能性ってことは、お前さんはあんなことを平気で言う奴ってことなんだぜ」

「う……」

「人間ってのは感情の生き物なんだ。ましてや自分の思い通りになるガーゴイルでもねえ。無神経な理屈や正論なんかを堂々と言ったって誰も喜ばねえさ。ましてや心に深い傷を負った相手にはな。そんなんだから男に逃げられちまうんだぜ」

「な、何ですってぇ!?」

デルフの説教の最後の言葉はエレオノールにとっては聞き捨てならない禁句だった。

思わず杖を取り出し激高したものの……。

 

「その者の言う通りですよ。エレオノール」

威厳のあるその声にエレオノールの手が止まる。

三姉妹は部屋の入口の方を振り向き目を丸くした。

「か、母様……」

三人の母である公爵夫人カリーヌがいつの間にかそこに立っていたのだ。

エレオノールの部屋の近くを通りがかった際、ルイズの絶叫が聞こえてきたので何事かと思い立ち、先ほどから覗き込んでいたのである。

部屋に入ってきたカリーヌはデルフから映し出される幻影と娘達を見比べると戸惑うエレオノールの方へ視線を向けた。

「あなたは何故、婚約者たちが自分の元から去っていったのか考えたことはありますか?」

そう問われたエレオノールは何も答えることができずに顔を顰めた。

今まで交際を続けては別れてきた男達はみんな最後に口々にこう言い残すのだ――「もう限界だ」と。

そんな男達をエレオノールはいつも「軟弱者」と吐き棄ててきた。大貴族であるラ・ヴァリエール家の令嬢である自分についてこれないから勝手に逃げ出すのだ。そう受け止めていた。

 

「それはあなたが他人の心を理解しようとしないからです。……あのエレオノールのように、自分の考えだけを押し付けようとするから相手の心を傷つけたりするのですよ」

カリーヌは幻影が映し出す向こう側のエレオノールを見やった。あちら側の彼女はいまだに床に倒れ込んだままだった。

そして次に彼女の目の前で暴れ続けるルイズを見つめた。

(あの時と同じ……)

思い浮かんだのは一ヵ月も前に自分に怒りを向けてきたルイズの姿。

内心で燻ぶらせていた憎しみを全て吐き出してきたあの時と全く同じ……いや、それ以上の激情を向こう側のルイズは肉親に叩きつけたのだ。

恐らくあちら側のルイズもこちら側と同じ境遇だったであろうことは火を見るより明らかだ。

 

「私の教育が間違っていたのかもしれないわ……人間として一番大切なものを失った大人になってしまうなんて……」

「か、母様……」

切なそうに俯き溜め息をこぼす母の姿に娘達は困惑した。

この場にいる誰もが、あちら側のルイズに何と言ってあげれば良いのか分からない。

むしろこちら側のルイズですら同じだった。あそこまで自分が激しく取り乱してしまうこと自体が信じられないのだから。

「お前さんには思いやりって奴が足りねえのさ。飴と鞭って言葉があるけどな、お前さんは男にも娘っ子にも鞭ばっかり振るって飴を与えようとしてねえんだよ。一緒にいても全然楽しくないから男どもはお前さんから離れていってるんだ」

さらにデルフの吐いた痛烈な言葉にエレオノールは何も言い返すことができず項垂れてしまう。

 

貴族としてはあのエレオノールの言葉は何も間違っていない。カリーヌですら似たような状況なら同じことを言っていたかもしれない。

だが相手にしているのは貴族である以前に心を持った一人の人間なのだ。

あちら側のエレオノールはルイズの気持ちを何も考えていないばかりか、あのサイトという少年すら一人の命ある人間として扱ってすらいないのだろう。

それは貴族としては当然の認識ではあった。使い魔という肩書きがなくとも平民の存在はしばしば軽視されるものなのだから。

だがあちら側のルイズは貴族と平民という関係を越えた人として強い絆を築いているであろうことは間違いない。

それをあのエレオノールは蔑ろにし、踏み躙ったのだ。

 

もしも自分達があのルイズと同じ立場になったらどうなるのか?

恐らく、あのエレオノールの主張は頭では分かっても心が受け入れはしないだろう。

ハルケギニアの貴族としては当然の価値観がここまで非情で醜いものに見えるなど、カリーヌはこれまで信じてきたものが自分の中で崩れていくのを感じていた。

「エレオノールも、もう一度やり直す必要があるわね……」

カリーヌの口からぽつりと漏れたその呟きは娘達の耳には届かなかった。

そうしている間にも向こう側のルイズの怒りと暴走は一向に収まる様子を見せない。

 

『うわああああああああああああああああああっ!!』

完全に我を失って錯乱しており、悲鳴のような絶叫を轟かせていた。

向こう側のルイズはいまだギーシュとモンモランシーに押さえ込まれたままジタバタともがき暴れ続けている。

だが突然、その顔を白い雲が覆い尽くしだす。すると猛獣のように暴れていたルイズの悲鳴は収まり、ばたりとその場に壊れた人形のように崩れ落ちる。

どうやらスリープ・クラウドの魔法のようだ。床に倒れ伏したルイズはピクピクと体を痙攣させつつもあれだけ暴れていたのが嘘のように深い眠りに落ちていた。

『タ、タバサ……』

見れば廊下の先にまた新たな二人の生徒の姿があった。

「キュルケ……!?」

大きな杖を掲げるタバサを伴いながらキュルケは一行の元へと歩み寄っていく。

『ほら、これでしばらく落ち着くわ。今のうちに休ませてあげなさいな』

落ち着いた態度でそう命じるとギーシュとモンモランシーはルイズの体を抱えて部屋の中へと運んでいく。

何とかベッドに寝かせて外に出た時には傷だらけのエレオノールがようやく起き上がりだそうとしている所だった。

 

『ルイズの姉君でございますね。お初にお目にかかりますわ。わたくしルイズの学友のキュルケ・フォン・ツェルプストーと申します』

ハンカチで顔の血を拭うエレオノールにキュルケが声をかけると当人の顔つきが険しいものに変わっていく。

『ツェルプストーですって……!?』

『ええ。ゲルマニアのツェルプストー……わたくしどもの実家は領地がお隣同士になりますわね』

気さくな態度で話すキュルケにエレオノールの表情はますます憮然としたものになっていった。

『ツェルプストー家の者がルイズの友人ですって!? 何を気安く……!』

 

――バシンッ!!

 

激しく叩く音が響き渡り、エレオノールの言葉を遮る。

その光景を見ていたこちら側のルイズ達は目を疑っていた。

キュルケがエレオノールに突然平手打ちを浴びせたのだから。

頬を打たれたエレオノールは手で押さえつつも厳しい瞳で彼女を睨みつけている。

『お前――何を……!』

『黙りなさいな。ヴァリエール』

打って変わって冷たい声を発するキュルケにエレオノールは黙り込む。

タバサを除いた学友二人も呆気にとられたまま成り行きを見守っていた。

『ルイズの使い魔……サイトは平民であっても、私たちにとって掛け替えのない仲間でしたわ。たとえルイズの家族だろうと、この学院にいる以上は大切な友人ですの。その仲間達への無礼は決して許しませんわ』

真顔のキュルケの表情は先ほどのルイズとは異なるものの強い怒りに満ちていた。

あれは本気で怒っている。今にも杖を振るって彼女の十八番の炎魔法をぶつけだしそうなほどの気迫に溢れており、エレオノールを圧倒して黙らせている。

 

『今度ルイズ達を侮辱してみなさい。二度と人前に出られないくらいにその傲慢な顔をもっと醜く焼いてあげるわ』

杖をエレオノールの眼前に突き出すと、赤々と燃え盛る炎をちらつかせだす。

『私はラ・ヴァリエールが嫌いですわ。……特に、肉親を傷つけようとするラ・ヴァリエールのことはもっと嫌いよ。とっととここから消えなさい』

「キュルケ……」

啖呵を切る彼女の姿を目にするこちら側のルイズは呆然としていた。

こちら側のルイズはツェルプストーのことが嫌いだった。何しろ先祖代々から続く仇敵なのだから。

だがスパーダがやってきてからのこれまでの交流で、不思議とそんな思いは薄れていた。ツェルプストーが嫌いなのは変わらないが、キュルケ自身が憎い訳ではない。

向こう側ではどんなことがあったのかは知らないが、あちら側のキュルケとルイズもこちら側と大して変わらない関係なのだろうと実感していた。

 

 

場面が移り変わり、スパーダ達の前には新たな光景が映し出されていた。

どうやら夜になったようで暗くなり、月明りに照らされる塔の屋上らしき場所が映っている。

そこは魔法学院の一角にある火の塔のようだ。

スパーダは眉一つ変えず、才人もまた上の空な表情のまま映像を見続ける。

「あ……」

ティファニアが何かに気付いて声を漏らした。

人気もなく静まり返っている屋上に人影が姿を現したのだ。

おぼつかない足取りで円形の屋上を囲む石堀のバルコニーの前に立ったのはルイズだった。

昼間の時と同じでその表情には生気が微塵も感じられない、いやそれ以上の虚無感が表れている。

『サイト……どこにいるの? サイト……』

視線も定まっていない、というかまともな意識すらあるのか分からないほどにその心が病んでいるのは明らかだ。

『会いたいよ……サイト……もうわたし……耐えられない……』

「ルイズ……? 何を……!?」

うわ言のように繰り返すルイズが起こした行動に才人は目を見張った。

何と彼女はバルコニーの堀の上へとよじ登り始めたのだ。

 

――ちょっと、何をする気!?

 

――やべえ! あの娘っ子とうとう血迷いだしたか!

 

「おいおいおいおいおい、ありゃあやべえんじゃねえのか?」

スパーダを介して元の世界から覗き見ているルイズ達も、この場にいるデルフリンガーもはっきりと狼狽していた。

ティファニアも口を両手で塞いで顔から血の気が引いている。

堀の上に立ったルイズの体を夜風が吹きつけ、髪が激しく靡きだしていた。

一歩でも前に踏み出せば、その先は奈落の底だ。20メイル以上はあるあの高さから真っ逆さまに落ちれば命はない。

「やめろ……やめろよ、ルイズ……!」

才人が震える声を絞り出して呼びかけ、身を乗り出しかけたその時だった。

『ミス・ヴァリエール! だめえっ!』

突如、別の声が響くと共に屋上に新たな人影が姿を現したのだ。

「シエスタ……!」

それは魔法学院で勤めているメイドであり、才人もスパーダもよく知る相手だった。

寝間着姿のシエスタは慌ててルイズの近くまで駆け寄るが、当人は振り向きもしないまま正面を見据えたままだ。

 

(ほう……あのシエスタは……)

確かにあそこにいるのはシエスタには違いない。だがその姿はスパーダの記憶とは微妙に異なるものだった。

元の世界のシエスタは中級悪魔の血を引いた人と魔の混血である。そのためかその容貌には年若いながらも人を惹き付けるような艶がある美女という印象だった。

だがあちら側のシエスタはハルケギニアでは珍しい黒髪こそ同じだが、素朴で愛嬌のある顔立ちでそれこそどこにでもいるような平民の少女そのものとも言うべきものだ。

見た所、悪魔の血を引いていない純粋な人間のようだった。

 

『やめてください! ミス・ヴァリエール! そんなことをしてもサイトさんは帰ってきません!』

『サイト……今、そっちに行くから……待っててね……』

必死にシエスタが呼びかけるも、既に正気を失っている様子のルイズは反応しない。

ついにはその体が徐々に正面に向かってゆっくり傾き始める……。

「……っ!!」

『だめえぇっ!!』

才人が息を飲みこんだ途端、シエスタが悲鳴のように叫ぶと共にルイズに向けて手を伸ばしていた。

『きゃっ……!』

何とか右腕を掴み取るも勢いあまった挙句にかなり傾いていたルイズに彼女もろとも引っ張られ、宙に投げ出されてしまう。

 

「見るんじゃないよ……!」

マチルダは慄くティファニアを抱えて時空神像から目を逸らさせる。

これから起きるであろう凄惨な場面を彼女に見せる訳にはいかなかった。

『んっ……んんんんんっ……!!』

ルイズとシエスタはまだ落ちてはいない。だが状況は余計に悪くなっていた。

シエスタが咄嗟に堀の淵へ左手を伸ばして掴んだために辛うじて宙吊りになっているのだ。

だがもう片手でルイズを掴んだままぶら下げており、二人分の人間を支えている彼女の手はプルプルと震えていた。

 

「……っ」

才人は目の前に映るとんでもない光景に顔を青ざめさせたまま絶句している。

声を出したくても出せない、叫びたくても何故か喉の途中でつっかえてしまうのだ。

『シエスタ……』

目の焦点が合い、僅かながら正気の心が戻ってきたらしいルイズはようやく自分の身に起きている状況を認識しだしたようだ。

だが相変わらずその表情には生きようという気力が感じられない。

『離してよ……あんたまで落っこちるじゃない……』

『は、離しません……! こんなことしたって……サイトさんは喜びません……!』

息も絶え絶えにシエスタは答える。

『放っておいて……サモン・サーヴァントのゲートが開いたのよ……もうサイトはどこにもいない……あいつに会うにはこうするしかないのよ……』

『サモン・サーヴァントが、魔法が何だっていうんですか……!』

弱々しい声を発するルイズに対してシエスタは自らの命が危機に晒されているにもかかわらず気丈な言葉を口にする。

才人はただ黙って目の前で起きている光景を見守ることしかできなかった。

 

『ミス・ヴァリエールが死んだらサイトさんが悲しみます……! わたしが渡した眠り薬のポーション……あなたを逃がすために使ったんですよ……! ミス・ヴァリエールをどうしても死なせたくなくて……生きていて欲しいってことじゃないですか……! だから、わたしも絶対に死なせません!』

『放っておいてよ……! もうサイトはこの世のどこにもいないのよ……!』

『何をそんなに意気地になってるんですか! 死んだって証拠でもあるんですか!?』

『言ったじゃない! サモン・サーヴァントの魔法が教えたのよ! もうサイトは生きてないって!』

『わたし、魔法なんて分かりません! 魔法が何ですか! そんなもの糞くらえです! そんなのより好きな人のこと信じてあげたらどうですか!? サイトさんのことが好きなんでしょ!? だったらどうして信じられないのよ!』

力強さを感じられるシエスタの叱咤はほとんど死人同然に憔悴しきっていたルイズの瞳に光を灯しだす。

『わたしだって挫けそうです……! でも、わたし達が信じてあげなかったら誰が信じてあげるんですか……!? サイトさん、アルビオンで言ってたんですよ……! 「学院に帰ったらまたシチュー作ってくれ」って……! わたし、神様も、始祖ブリミルも、何にも信じないけど……その言葉だけは信じてますっ!』

「……っ!!」

その言葉に才人もまた驚愕に目を見開いていた。

一か月前、連合軍が占領したシティオブサウスゴータに慰問のために訪れ、才人と再会した彼女と確かにその約束をしたのである。

 

『シエスタ……』

それまで絶望に支配され虚ろだったルイズの表情は徐々に生命の輝きを取り戻していく。

さらに目元からは大量の涙が溢れ出ていた。それは自室に閉じ籠っていた時の場面で見せていた絶望と悲しみのものではない。人間が心を激しく奮わせた時にのみ溢れ出る本物の涙だった。

『んぐっ……! もう……限界……です……!!』

淵を掴むシエスタの手は二人の重さに耐え切れず、ずり落ちようとしている。もう指先しか引っかかっていない。

『もう良いわ! その手を離しなさい! 本当に落っこちるわよ!!』

『嫌です! 死んでも離したりするもんですかぁ!』

直後、ついにシエスタの手は力を完全に失って淵から離れてしまう。

それでも必死に手を伸ばそうとするが、二人の少女は非情にも夜風の中へと完全に投げ出されてしまった。

『きゃあああああああああああああああっ!!』

「うわあああああああああああああああっ!!」

少女達の悲鳴と共に、才人も絶叫を上げた。

それまで出そうにも出せなかった声の全てが一気に吐き出され、部屋中に響き渡る。

気が付けば椅子から跳ね上がるようにして闇の中に落ちていく少女達へと手を伸ばしていたのだ。

 

 

しかし、才人の体は時空神像の映像をすり抜けてしまい、その反対側で豪快に倒れ込んでしまう。

「ルイズゥーーーーーーーーーーッ!!」

起き上がると共に叫んだ才人は再び時空神像の映像を振り返った。

次に目にするのは才人が絶対に目にしたくない残酷な場面――そのはずだった。

『だぁあああっ! 僕の芸術がぁああああああっ!!』

だが部屋に響いたのは才人とは別の叫び声だった。

「あ……」

床に這いつくばるままの才人はそこに映る光景に唖然とした。

ルイズとシエスタは間違いなく、真っ逆さまに地上目掛けて墜落していったはずだ。

そうなれば二人は無残に……いや、才人にとってはそれ以上考えたくもない。

……だが現実は才人の想像を裏切っていた。

「何だあ? どうなってんだこりゃあ?」

デルフが素っ頓狂な声をあげる中で才人は再び目の前に映る光景に呆然とした。

 

ルイズとシエスタ……塔の頂上から落下したはずの二人の少女は全身が土塗れになって汚れていた。

あの高さから落ちた二人は大量の土くれの山の中で横たわっていた。柔らかい土がクッションになってくれたおかげで助かったようだ。

『君たちは僕の芸術に恨みでもあるのかあ! ああもう! せっかく作ったサイトの像なんだぞ! それをこんなにしてしまって!』

そしてそこにいたのはまたもギーシュとモンモランシーの二人だったのだ。憤慨するギーシュに対してモンモランシーは驚きと気の抜けた顔でルイズ達を見つめている。

『……サイトの像?』

『そうだよ! 毎晩毎晩、誰にも見つからないように苦労して手作りしたんだ! 僕達のために勇敢に戦ったあいつを銅像にしてずっと讃えようとしてたんだぞ! それを君たちは……!』

顔を上げたルイズは真横を振り返りだす。

元は4メイル以上もの大きさだったのだろうそれは二人が落ちてきたせいで潰れて崩れ、無残なものになっていた。

だが一か所だけ原型を留めている部分があり、それは大きな人間の顔を象っている。二人はどうやら肩部分に相当する場所に落ちていたらしい。

 

「ほえー、ずいぶんと器用な真似するなあ。相棒にそっくりだぜ」

感嘆と唸るデルフに才人は跪いたまま見入っていた。

紛れもなく、自分と同じ顔をしている土くれの像がそこにはあったのだ。しかもかなり精巧にできている。

きっとギーシュは得意の土魔法の錬金をかけて彫像を作ろうとしていたに違いない。

『サイト……助けてくれたのね……』

『ほら! サイトさんはこうして像になったってわたし達を助けてくれたんですよ!? 絶対に生きてます! きっと、生きてるんです! だから、もう死のうだなんて考えないでください!』

像の顔にそっと触れるルイズにシエスタは叫ぶと、ギーシュ達の顔色が一気に変わった。

『お、おい! 死ぬって……』

『何考えてるのよルイズ!』

シエスタの言葉からルイズが何をしでかそうとしていたのか察したようだ。

 

『……死なないわ』

慌てる二人を尻目にルイズは静かに呟きだす。

土くれの山からシエスタと共に這い出ると一つ大きな深呼吸をしていた。

『大丈夫よ。……もう大丈夫。サイトはまだ生きてるんだから』

『え? だって……サモン・サーヴァントのゲートは開いて……』

『そ、そうだよ。モンモランシーの言う通りだ。ルイズの気持ちは分かるが、サモン・サーヴァントは絶対だ。あれが開いた以上、サイトは……』

『そんなの関係ないわ。わたし、もう決めたのよ。あいつを信じるって……』

戸惑うモンモランシーやギーシュにルイズははっきりと答える。

その表情と目付きはつい先ほどまで失意と絶望のどん底に突き落とされていた時とは打って変わり、目が覚めたような……何かを決意したかのような凛としたものになっていた。

『サイトはわたしに言ったのよ。「何があってもわたしを守る」って……だからサイトは必ず生きてる。絶対に死んでないわ』

きっぱりと自信に満ちた口調で告げるルイズをモンモランシー達はおろか、才人ですら呆気にとられたまま見つめていた。

『この目で確かめるまで、わたし諦めない。たとえ世界中の誰もが口を揃えて言っても、魔法が死んだって教えても、わたしは信じない。サイトが命をかけたなら、わたしも一生かけてでもあいつを待ち続けるわ』

隣に立ったシエスタもこくりと強く頷いていた。

『わたしはメイジよ。口にした言葉を現実にする力を持っている。……平賀才人が死んだなんて、絶対に認めないわ』

モンモランシーとギーシュが顔を見合わせ、「何を言ってるんだ?」とばかりに顔を顰めている。

どうやら二人はルイズがショックのあまりおかしくなったのではと心配しているらしい。

だがルイズはそんな二人に構わず天を仰ぎ、言った。

『いつか会える。……きっと、会えるわ』

 

 

時空神像から光は消え失せ、暖炉の淡い灯りだけが再び居間を照らしていた。

床に両手をついて崩れ落ちたままの才人は既に消え去った映像が浮かんでいた虚空だけを見つめ続ける。

「ルイズ……」

喉の奥からか細い声を漏らしながらむせび泣いていた。

いつの間にか目元からは溢れんばかりの涙が、泣き腫らしていたルイズの時と同じほどに流れ落ちていた。

「ルイズ……ルイズ……ルイズ……ルイズ……ルイズ……」

「サイト……」

何度も彼女の名を呼ぶ才人の隣にティファニアは寄り添うと、その肩にそっと触れる。

才人の肩は震えていた。嗚咽が漏れる度に、その全身は力なく揺れ動き続けていた。

「その涙は何だ?」

蹲る才人を見下ろしながらスパーダは語りかける。

「あの涙は何だ?」

才人の耳には届いていても、それに応える気力は失せていた。

「お前が今見たものは何だ?」

だがスパーダは構わずに冷淡な口調で問いかけ続ける。

 

「誰一人として、ガンダールヴという伝説の使い魔など必要としていない。平賀才人というたった一人の人間だけだ」

それは紛れもない事実だった。ルイズもシエスタも、タバサもキュルケも、ギーシュもモンモランシーも……魔法学院に残された者達はガンダールヴの存在など一言も口にしていないし、意識してもいない。

みんなが平賀才人というたった一人の人間をそれぞれが大切に思ってくれていたのだ。

そんな多くの温かな思いを才人だけが目を逸らし、知ろうともしなかった……。

「今のを見てもまだ自分が彼女達に必要がないというのか?」

才人自身はずっとルイズが必要としているのは自分ではなく伝説の使い魔・ガンダールヴの方だけなのかと思っていた。実際、このアルビオンへ行軍にやってきてからのルイズは貴族としての誇りや使命感が強く出ていて、自分のことも『使い魔』という名の道具としてしか見ていないのではないか? そんな態度ばかりをとっていた。

だから、ガンダールヴでもない自分はもうルイズには必要ない……そう強く思い込んでいた。

 

「お前の心は最後に彼女と別れたその時から止まったままだ。今を生きる、ありのままの彼女を求めようとしていない」

その通りだった。才人は別れた後のルイズがどんな気持ちで過ごしているかなどまるで考えようともしなかった。

ルイズだけではない。シエスタとの約束すら忘れ、残された者達の思いを踏み躙ろうとしたのだ。

現実では、あんな残酷な日々を送っていたというのに――

下手をすれば、誰も幸せにはならない絶望の未来が待ち受けようとしていたのだから。

「今のお前達は使い魔でも主人でもない。ルーンも契約も関係ない。その涙は、お前達自身の偽りのないありのままな心そのものだ」

ルイズは泣いてくれた。こんな頼りの無い、ただの平民の少年一人のためにあそこまで思い詰めて涙を流してくれた。

二人の心はずっと絶望と恐怖の中で止まったままだった。だがルイズの心は先に希望と未来を求めて一歩を踏み出していたのだ。

「それに背くのも従うのも、お前達次第だがな」

その言葉を最後にスパーダは踵を返し、家の外へ出て行ってしまった。

扉が閉まる音を才人は背中で聞き届け、項垂れ続けていた。

 

暖炉の炎だけが静かに音を立てる中、マチルダも席を立つと才人の横で屈みこむ。

「幸せ者じゃないさ。あんな風に待ってくれる人達がいっぱいいてさ」

微かな苦笑を浮かべてそっと才人の頭を撫でる。

「あんたには今、本当に帰れる場所がある……それを無下にするんじゃないよ。そこがあんたの心の拠り所なんだからね」

そう言い残して立ち上がったマチルダもスパーダに続いて外へと出て行く。

居間の中ではティファニアと才人だけが取り残されていた。

「サイト……」

目を両腕で拭った才人はいまだに嗚咽を漏らしつつも、その表情はもう弱々しい泣き顔ではない。

最後に目にしたルイズと同じような、決意に満ちた瞳でゆっくりと起き上がっていた。

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  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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