魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero 作:月に吠えるもの
Mission 62 <魅惑の転入者> 前編
「えー、諸君。夏期休業はどうじゃったかな?
魔法学院本塔、アルヴィーズの食堂の二階ホールに集められた一年から三年生までの大勢の生徒達は整列して学院長オスマンのスピーチを聞いていた。
ラドの月の初日、虚無の曜日であるこの日からトリステイン魔法学院は新学期を迎えるのである。
「休みだからと調子に乗って、羽目は外しておらんじゃろうな。街のカジノや如何わしい店に行ったり、どこぞの怪しくて危ない秘薬を買ったり……貴族にあるまじき行いに、何人かは身に覚えがあるのではないかな? んん?」
意地悪そうに目を細めてオスマンは生徒達を見回しだす。
ほんの僅かの生徒達は気まずそうに学院長の視線から目を逸らしていた。
(人のこと言えないじゃない……)
逆にルイズとキュルケだけは呆れたようにオスマンを見返す。彼自身、この夏期休業で自分が口にしていることを行ったのを彼女達は知っているのだから。
「――じゃが、もういい加減に夏休みボケから立ち直らんといかん! 今日から心機一転し、立派な貴族になれるよういつにも増して真剣に学業に励みむように!」
始業式早々にくどくどと聞きたくもない長話を聞かされる身としてはうんざりであり、退屈で仕方がない。
お説教も交えたオスマンのスピーチに生徒達は飽きている様子だった。
半数近くは早く終わらないかなと言わんばかりな様子で、キュルケは小さなあくびまでしている。タバサに至っては最初から聞いていない。
(スパーダ、どこにいるのかしら?)
ルイズも同様であったが、彼女は別のことに意識を向けていた。
オスマンがいる広々とした演壇にはコルベールやシュヴルーズら学院の教師達も並んでいるのだが、スパーダの姿はどこにもない。
彼は教師ではないので当たり前かもしれないが、学院に到着してからというものの、全く姿を見かけることがなかった。
デルフに尋ねてみても「さあねえ。上手く繋がらないから分かんねえ」と返されただけであった。
「……さてさて、年寄りの長話にも君達はどうせ聞き飽きたじゃろうから、ここからはめでたい話でも始めるとしようかのう」
冗談交じりに嫌味を漏らしたオスマンの言葉に、それまで所在なさげにしていた生徒達の顔が変わりだす。
始業式でめでたい話とは一体何なのか? 全員が打って変わってオスマンに注目しだしていた。
「今日から君達と共に学ぶ新しい生徒を紹介しよう。……ミス・ウェストウッド君!」
オスマンの一声に、演壇の隅の幕から姿を現したのは二人の女性。
(あ……)
ルイズが目を丸くすると共に、周りの生徒達が一斉に感嘆の声を漏らしていた。
学院長の秘書であるロングビルに後ろから肩を抱かれ付き添われながら前に出てきたのは金髪の少女。ルイズ達と同じこの学院の制服と一年生の黒茶のマントを身に着けている。
その首には琥珀色の宝石が一つあしらわれたチョーカーが巻かれ――間違いなくここにいる者達と同じ形の耳だった。
「今日から新たに一年生に編入することになった、ティファニア・ウェストウッド君じゃ。さあ、ウェストウッド君。皆に挨拶を」
「ティ、ティファニア・ウェストウッドです。……よ、よろしくお願いします」
オスマンの隣に立つティファニアはもじもじとしながらぺこりと頭を下げる。
その動きに合わせて彼女の豊かな胸がはっきりと大きく揺れ動く。男子達はその悩ましさ全開な光景にごくりと唾を飲んでいた。
「あ~、そう固くならんでも良いぞ。なあに、皆お主の美貌にびっくりしとるんじゃよ。このワシのようにのう……うぎゃっ!!」
にこやかに――だがどこかふしだらな目付きで――ティファニアに語りかけるオスマンの尻をロングビルが力一杯に思いきり蹴りつけた。
バァーン、とホール中に激しい打撃音が派手に響き渡る。
突然の光景に教師や生徒達、ティファニアまでも驚いたように呆然としだす。
「汚い目でこの子を見ないでいただけますか。……ぶっ殺すわよ」
尻を押さえて床に蹲るオスマンを冷たい目で見下ろしながら低い声でロングビルは言った。
明らかな殺気を漂わせるその姿に誰もが息を飲む。
「あたたたた……もうちっと優しく蹴っとくれんかね。まだ腰の調子が良くないんじゃ……」
夏期休業の最中、ガリアでの騒動で腰を激しく痛めていたオスマンは学院に戻ってきてからも安静にしていた。
一ヵ月も経ってそこそこ痛みは引いてきたものの、それでもまだ完治とはいかない。
「ティ、ティファニア君は、我が秘書であるミス・ロングビルの親戚なのじゃ。み、みんなも……仲良くしてあげとくれ」
杖を拾いながら起き上がったオスマンの言葉に、生徒達は怪訝そうにティファニアとロングビルを見比べだす。
見るからに大人しそうな雰囲気のティファニアと、普段は事務的ながらも温和だが……怒らせると今のように途端にキツくなるロングビル。
とても親戚同士には見えない、とばかりにみんな首を傾げだす。
「ふうん。似合ってるわね。……でもサイズが合ってないみたいだわ」
じっとティファニアに見入るキュルケが注目するのは、制服のブラウス越しにはっきりと盛り上がった彼女の胸。
奇しくもほぼ全ての男子生徒達が見惚れている場所と同じであった。
上からいくつかボタンを開けているキュルケと違って全て閉じているので、下手をすれば今にも破れてしまいそうなほどにはち切れかけている。
「ずいぶんときつそうねぇ。あたしみたいにすれば良いのに」
「……ば、馬鹿言ってんじゃないわよ……! あ、あ、あ、あんなお化け胸なんか曝け出したら……!!」
顔を真っ赤にしてルイズは小声で慌てふためく。
ボディラインは細い方なのに、アンバランス過ぎるあの豊満な……豊満過ぎる胸だけは明らかにおかしい。
キュルケの胸でさえ多くの男子達が魅了されて彼女に群がったというのに、ティファニアの胸はそれ以上のものだ。
それがキュルケのようにはだけさせでもしたら、どうなることやら。
下手をすれば制服と胸のバランスが崩れて、あの大きな果実が零れ落ちてしまい、全てが露わになってしまうなんてことも……。
「そんなことになったら、男どもはみんな興奮し過ぎて死んじゃうかもね」
面白おかしそうにキュルケは肩を竦めていた。
ルイズもキュルケもタバサも、ティファニアがこの学院に入学するという話自体は既に知っていた。
スパーダとオスマンが話し合うのをルイズはデルフリンガーを通して見知っているし、他の二人も直接スパーダから聞かされている。
ハーフエルフである彼女はスパーダが作ったマジックアイテムであるチョーカーの効果により、異種族の証である耳は隠されて人間のものとなっていた。
あれを身に着けている限り、その正体がバレる心配はない。逆を言えば、人前では決して外すことはできないのである。
そうした事情を知っている三人は、自分達も陰ながらフォローしてあげようと各々が決めていた。
「さあて、気を取り直して……今回紹介するのは転入生だけではないぞい」
軽くオスマンが咳払いをしてそう告げると、またも生徒達はざわめきだす。
「長話をして時間を取った甲斐があったわい」
バルコニーへ続く大窓が突然開け放たれ、直後空から大きな影がゆっくりと降り立っていた。
それは一頭の風竜。しかも上流の貴族達が短時間での移動に用いる竜籠だった。
ワゴンが下ろされ、扉がひとりでに開くと中からは二人の女性が降り立ちだす。
(え……!?)
ホールの中に入ってきたその人物達を目の当たりにしてルイズは目を見開く。
父と同じ金髪と母や自分と同じ桃色の髪……ほんの二日前に実家のラ・ヴァリエールで別れたばかりなはずの大切な家族……ここに本来いるはずのない二人の姉……。
その姉達が演壇にやってくると、オスマンの隣に並び立って生徒達の方を向いていた。
ルイズと同じ髪の彼女と視線が合い、にっこりと微笑みかけられる。
「今日からこの学院に赴任することになった新しい先生方じゃ。それでは、自己紹介をしてくれたまえ」
「エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールです。この度、王立魔法アカデミーから特別講師として、この学院で皆さんに勉強を教えることになりました。どうぞよろしく」
凛とした声を張り上げたエレオノールに生徒達のざわめきはさらに強まった。
トリステイン屈指の名門貴族ラ・ヴァリエール公爵家……。
自分達と同じくこの学院に在籍し、いつも〝ゼロ〟と馬鹿にしている少女の親族であることを彼らは即座に理解していた。
「カトレア・フォンティーヌです。エレオノール先生の助手として皆さんのお勉強のお手伝いをさせてもらうことになりました。よろしくお願いします」
とっくに過ぎたはずである春のように温かい笑みを浮かべてお辞儀をするカトレアに男子生徒の多くが溜め息を漏らす。
そして何人かの生徒は怪訝そうな顔を浮かべ、ルイズと見比べだしていた。
「エレオノール君はかつてこの魔法学院を首席で卒業した才女じゃ。皆も彼女を励みにしてがんばって勉強をするように」
オスマンの言葉に今度は女子も含めて感嘆と驚きで小さくざわめきだす。
魔法学院の卒業生、しかも首席で今はエリートで働く身分の者が自分達の先生になるなど、夢にも思わないことだった。
(どうして姉様が……!?)
それはルイズとて同じことだった。むしろ、誰よりも姉達の登場に驚いていた。
――辛いことがあったらいつでも帰っておいで。私のルイズ。
――私達はいつでもあなたのことを見守っているわ。
二ヵ月という長くも短かい時間の中で、生まれて初めて本当の意味で家族として心を通わせた両親と共に見送ってくれた、二人の姉が自分の目の前にいることが未だに信じられなかった。
◆
「ちい姉さま!」
始業式を終えたルイズは真っ先に女子寮の姉の元を訪れた。
ルイズの部屋がある階の一つ下の階に宛がわれたカトレアの部屋は元々空き部屋だ。エレオノールは上の階だったが、偶然にもかつて在学していた際に自分が使っていた部屋だった。
「どうして魔法学院に来たの? エレオノール姉様だっていきなり特別講師なんて……」
「ふふふ。ルイズを驚かせようと思ったのよ」
「ま、まあ……こっちにも色々と事情があるのよ。カトレアは無理矢理ついてきただけ」
抱き着いてくるルイズを撫でながら微笑むカトレアに対し、エレオノールは決まりが悪そうにまごつき眼鏡を押し上げる。
今回のエレオノールの魔法学院の赴任は三姉妹の母・カリーヌによって命じられたことだった。
ルイズが二日前に実家を発った直後、いきなりエレオノールは母から告げられて慌てふためいた。何と半月も前から密かにオスマン学院長やアカデミーの方へ話をつけていたというのである。
赴任する理由についてカリーヌはこう答えていた。
――もう一度、魔法学院でやり直してきなさい。まだ間に合うわ。
三姉妹と母も垣間見た、別の世界のエレオノール。あのようになってはならない、と。
客観的に見て、エレオノール自身も顔を顰めざるを得なかった自分自身の醜態は決して見過ごせるものではなかった。
別人とはいえ、〝エレオノール〟という存在が妹達にさえ嫌悪されてしまったのだから。
心無い言葉で妹の心を傷つける冷酷非情な人間になどエレオノールはなりたくないし、自分自身は決してそんな人間ではないと自負しているつもりだ。
それなら何故、今まで婚約者達には逃げられ続けたのか……だからこそ、人間として本当に大切なものを、かつての学び舎でルイズら子供達を相手にして身に着けるよう母に言われたエレオノールは魔法学院に赴任することを受け入れたのである。
無論、アカデミーとは掛け持ちということにはなるが。
「ちい姉さま。体の方は大丈夫なの?」
「ええ。ルイズが付きっきりでリハビリを手伝ってくれたおかげね」
カトレア自身は本当に勝手についてきただけで母からは反対されたものの、エレオノールの助手になるということも含め色々と説き伏せて認めさせたのだ。
「ここならいっぱい、新しいお友達もできそう。ふふふ」
二十年以上、ラ・ヴァリエール領の外に出ることが叶わなかったカトレアが初めて訪れた外の世界。
それがこの魔法学院になるとは夢にも思わなかったことだろう。
ルイズ自身、カトレアと魔法学院で一緒に過ごせることになるなど本当に夢のようであった。
「今日は授業はお休みということだし……今のうちにルイズに学院の中を案内してもらおうかしら」
「はい! 任せて! ちい姉さま!」
「待ちなさい。もうすぐ荷物がここに届くはずよ。それを済ませてからにしなさい」
今回、エレオノール達が竜籠で来たのもカトレアの体を考えてのことだ。
ラ・ヴァリエールの領地から一直線で空を飛んで来ており、そのおかげで僅か数時間で到着することができた。
必要な他の荷物は同じように竜籠で運ばれる予定である。
ちなみにカトレアは荷物以外に、自分の友達である動物達も運んでもらうように頼んでいた。
「良いこと? ルイズ。私がこの学院に赴任する以上、あなたも一人の生徒として扱うわ。人前では私達のことはちゃんと〝先生〟とお呼びなさい」
「せ、先生?」
「返事は〝はい〟です! 分かった?」
「はい……エレオノール先生」
カトレアが来てくれるのは本当に嬉しかったが、エレオノールも一緒というのが微妙であった。いや、むしろ逆だからこそカトレアと一緒にいられるのだが。
この二ヵ月の夏期休業の交流で多少は苦手意識も薄れたが、それでも姉であり元はこの学院の卒業生であるというプレッシャーは変わらない。
他の生徒達もエレオノールがルイズの姉であることはすぐ察したようで、これからは今までと同じように過ごすこともできないだろう。
「そういえば、スパーダさんはどこにいるのかしら?」
「それがどこにもいなくて……」
「そうなの……」
顔にこそ出さないが、少し残念そうにカトレアは嘆息する。
彼女がこの学院にやってきた一番の理由は単純に長年の夢を叶えたりするだけ等だけではない。
ルイズと同じように……いや、それ以上に一番会いたい人間ともう一度会って、話をしたいからだった。
「奴だったら、中庭にいるみたいだぜ。例のヴェストリ広場だ。弟子の黒い兄ちゃんもいやがるな」
ルイズの胸に下がるアミュレットのデルフがあっけらかんと言い出し、三人は目を丸くしだす。
「まあ」
「モデウスが来てるの? それを先に言いなさい!」
ほのかに嬉しそうにするカトレアに対し、エレオノールは落ち着きを失くした様子で喚いた。
◆
ロングビルことマチルダに付き添われたまま、ティファニアは学院の庭を歩いていた。
周りの男子達は相変わらずティファニアの美貌に心を奪われて見入っていたのだが、身内だというロングビルが目を光らせているため、声をかけるどころかまともに近づくことさえできない。
そんな周囲からの視線がとても気になるティファニアとしては身内が一緒にいてくれることが何よりも心強かった。
始業式の時も大勢の人前に立って挨拶をするなんて初めてだったので、とても緊張してしまった。それを和らげてくれたのが身内であるマチルダがあってこそである。
人前では本名ではなく偽名のロングビルの方で呼ぶように言いつけられてはいたが。
「本当に良かった。テファと仲良くしてくれる子がいてさ」
「いえいえ……わたしもティファニアさんにはお世話になりまして……」
学院のメイドであるシエスタも一緒であり、ティファニアの荷物が入った鞄を持ちながらマチルダと仲良く話し合っている。
ガリアでティファニアが世話になったことや正体も知っていることを伝えたことで、信頼を得た彼女はすぐに打ち解けていたのだった。
「この子も色々と分からないことがたくさんあるから、しばらくは面倒を見てあげて」
「はい。お任せください!」
ティファニア・ウェストウッド――その性はティファニアがこの学院で過ごすにあたって作った架空のものだ。
かつてアルビオンで隠れ住んでいた森の中にひっそりと築かれた小さな村の名から取っている。
孤児達と一緒に過ごし、マチルダが守ろうとしていた思い出の場所。
そして、もう既にこの世のどこにも存在しない過去のもの……。
忘れようにも忘れられない辛い思い出と共に、楽しかった日々も、共に過ごした子供達のことも決して忘れないためにティファニアはこの姓を名乗ることに決めたのである。
もう自分達の記憶の中にしかウェストウッドは残っていないのだから。
「あの……シエスタさん。スパーダさんはどこにいるんですか?」
この学院に自分を招いた恩人をまだティファニア自身は目にしていなかった。
ハーフエルフであるはずの自分がこうして堂々と人前を歩くことができるのは彼の助力があってこそのものなのだ。
「そういえば、ヴェストリ広場の方で何かしていたような……まだいると思いますけど」
シエスタ自身はこの学院に朝早くから到着して勤めを始めており、その時にもコルベールと話し合っていたスパーダと顔を合わせている。
最後に見かけたのは始業式が始まる一時間ほど前のことで、ヴェストリ広場の一角で見たきりである。
その場所へとシエスタはティファニア達を案内していった。
「あれ?」
「みんな集まって……何をやってるんでしょうか?」
いつの間にかヴェストリ広場の一角、ちょうどスパーダが憩いの場として使っているベンチがある辺りに多くの人だかりができていたのである。
「あ、やっぱりいましたね」
群衆の端から覗き込んでみると、そこには三人の恩人である銀髪の男が腕を組んで佇む姿があった。
「やってるやってる」
目の前で起こっている出来事にマチルダは軽く唸りながら苦笑しだす。
スパーダの横にはそれまでは無かった白い彫像が置かれていた。
ちょうどティファニア達の胸辺りの大きさをしたそれは
左右にある大きく湾曲した取手はよく見れば翼を生やしたドラゴンの彫刻で、杯の淵で大きく口を開けて牙を覗かせていた。
ティファニアとシエスタは目を丸くしてその恐ろしげな彫像と、目の前に浮かんでいる不思議な光の靄を見つめていた。
◆
集まっている男子生徒達はスパーダに剣術の指導をされていた面々であった。
彼らの前には今まで見たことのない光景が広がり、全員が食い入るように見入っている。
「「「うわあああっ!?」」」
光の穴が虚空に開けられると、中から数人の男子達が放り出されていた。
「し、死ぬかと思った……」
「あれが幻だなんて、絶対あり得ないよ~」
「本物のオーク鬼があんなにおっかないなんて……」
草地に投げ出されたギムリ、マリコルヌ、レイナールの三人はへこたれながら口々に弱音を吐きだす。
目の前に現れた三人に目も暮れず、スパーダは彼らのすぐ横に浮かぶ光の靄を眺めていた。
「ギーシュの奴、結構しぶといなあ」
一人の生徒が呆れたような、感心したような口振りで呟く。
生徒達は光の中に浮かぶ光景を目にし、息を飲んでいた。
――ちょっ! ちょっっっ! ちょっと、タンマッ!! うわああああああっ!?
――フンッ!!
光の中ではワルキューレを従えながら剣を手にするギーシュが、巨大なトロール鬼に追い回される姿が映し出されている。
そこに残像と共に飛び込んできた黒い影――モデウスの振るったマーシレスの鋭い一太刀がトロールの体を一刀両断にしてしまう。
――アイス・ストーム!
――そおらっ!
タバサが巻き起こした氷の嵐が、取り囲むオーク鬼達を次々に薙ぎ倒していく。
好戦的な笑みを浮かべたキュルケが杖を横へ振るうと、地面から次々に噴き上がった炎の柱が壁を成し、向かってきたオークを容赦なく焼き焦がしていた。
やがて敵を全滅させた四人の前には二つの大きな柱が現れだす。
――今はもう良いんじゃない? 後でまた来ましょ。
光と稲妻の柱――タバサは稲妻の方へ歩き出そうとしたが、キュルケにそう言われて僅かに逡巡しつつも小さく頷いている。
一行が光の柱の中へ入ると共に映像は光の靄と共に消え失せた。
直後には同じ場所に光の柱が立ち昇りだし、たった今映っていた四人が姿を現す。
「はへええええぇぇぇ……こ、こんな所でスパーダ君は修行してるのか……」
ギーシュだけは大きな溜め息を吐きながら完全に脱力してその場でへたり込んでしまう。
「だらしないわねぇ。それでもスパーダの弟子なの? あれくらい、この人みたいに倒してみなさいよ。ねえ?」
「いきなり最初からはきつかったかな」
しなを作ってにじり寄ってくるキュルケを無視するモデウスはギーシュを見て苦笑している。
「これがブラッディパレスだ。自分の力を試したければ好きに使うがいい。死にはしない」
それまで沈黙していたスパーダが呆然とする生徒達の顔を見回しながらそう伝えた。
倒れたままのマリコルヌらも含めて全員が緊張に顔を強張らせる。
始業式が終わった直後、スパーダはギーシュを捕まえて剣の訓練をしている者達をこのヴェストリ広場へ集めるよう命じていた。
そこで彼らに見せたのが、スパーダの傍らにある祭壇――血と闘争の迷宮ブラッディパレスへと続く入口である。
ギーシュ達を本格的に鍛えるには実戦が一番だ。
故にスパーダは残された夏期休業期間中、ブラッディパレスを作る新たな器としてこの祭壇を用意した。
とはいえ、そのままではブラッディパレスの過酷さにはギーシュ達では耐えられそうもないので色々と手を加えている。
血の記憶を器に蓄積させるようにしたため、先に血を捧げておけば後から使う者は血を捧げなくても構わない。無論、新たに血を捧げればその都度ブラッディパレスで戦える敵は増えていくことになる。
既にスパーダの血を捧げたため、その記憶の中から敵が選ばれるようになっている。
とはいえ数千年もの長きに渡り、数々の強力な悪魔達と戦ってきたスパーダでは、ギーシュ達が戦うにはあまりに強力過ぎる敵が現れかねない。
そこで利用者の力量とブラッディパレス内での戦いの成果に合わせて、次に現れる敵もギーシュ達の現在の実力に見合ったものが出てくるように調整しておいた。
実力以上に強い敵は現れないし、成果が悪ければ弱い敵が出てくることになる。ギーシュ達ではせいぜいオーク鬼程度までしか出て来ないだろう。
無謀な挑戦もできないよう、成果に応じた次の戦いへの道と帰り道の二つしか出ないようにもしてある。
より良い成果を出し、実力をつければつけるほどそれに相応しい強敵や苦境が待ち受けるのである。
「他に分からないことがあればこのモデウスにも聞くがいい」
生徒達は長大な細剣を背負いつつも、穏やかな顔を浮かべるモデウスに注目した。
エレオノールの従者である彼は先日、彼女からの連絡で魔法学院へ来るように言い付けられていた。
到着したのもちょうどスパーダがブラッディパレスの実演を始めようとしていた時だった。
タバサやキュルケも参加していたその実演ではギーシュを筆頭にマリコルヌら三人の生徒と一緒にモデウスも付き添うことにしたのである。
彼もスパーダの弟子であると聞かされた生徒達は、実際にその戦いぶりを目の当たりにして圧倒された。
早々にリタイアした三人や最後まで残ったとはいえ情けない姿だったギーシュとは比べ物にならないその勇姿は、まさしく剣豪スパーダの弟子に恥じないものだ。
彼もまた、メイジ殺しであることは誰も疑いようがなかった。
◆
早速ブラッディパレスでの訓練を試してみようと生徒達は次々と祭壇に詰めかけだす。
中に入るにはライオンの彫刻に触れて念じれば良い。そうすると目が光りだし、入り口となる光の柱が現れるのだ。
「よ、よ、よーしっ! 僕達ももう一度挑戦しようじゃないか!」
「嫌だよーっ! またあんなのに追い回されるなんてーっ!」
「な、なあに! みんなで一緒になれば大丈夫さ! 痛いのだって幻なんだから! さあ! いざ行かん!!」
「大丈夫かな……」
最後にはギーシュ、マリコルヌ、ギムリ、レイナールも再びブラッディパレスへと入っていき、入り口である光の柱は消えてなくなっていた。
先程の実演では竜の彫刻を弄って中の様子を外に映していたが、今回はそれをしない。
「ブラッディパレスかぁ……確かに良い修行場じゃない?」
祭壇を見つめながらキュルケは面白そうに嘆息した。
タバサも珍しく興味深そうに祭壇の前まで来て器の中を覗き込んでいる。
底には赤い水が溜まって波打っている。祭壇を動かしていないのに、ひとりでに揺れ動いているのが分かった。
「ブラッディ、パレス……」
確かにここはギーシュだけでなく、タバサ自身の修練にはもってこいであることは間違いない。
幻とはいえ、実物とほとんど違わない敵との戦いは実戦と何ら変わりない実感だった。
ここなら多くの強敵と戦うことで、多くの実戦経験を積むことができるはずである。
何より魔剣士スパーダの記憶の中から出てくる敵なのだ。その相手が弱いはずがない。
そして、タバサ自身の過去の経験すらここでもう一度見直すことができるだろう。
「あんなに押しかけて大丈夫なの?」
ずっと見届けていたロングビルが溜め息交じりにスパーダへ声をかける。
スパーダに一礼をするシエスタと一緒にティファニアも躊躇いつつお辞儀をしていた。
「定員は決まっていないからな」
実際に敵と戦う空間自体は無数に作られるので、個人で戦うことも集団で協力し合うのも自由である。
基本的にはブラッディパレスに続く光の柱へ同時に入った者がグループとなって分けられるようになっている。
「スパーダ!」
そこへ、すっかり閑散とした広場に新たに現れたのはルイズだった。
直接顔を合わせるのは実に一ヵ月半以上ぶり……しかし、実の所はデルフを通してお互いの状況はある程度知り得ているので、特別懐かしいとも感じず別れる前と同じ感じであった。
「もう! どこに行ってたのよ! 探したじゃないの!!」
一行の元に駆け寄ってきたルイズは真っ先にスパーダの前に立つと大声を上げて詰め寄ってくる。
その剣幕にシエスタとティファニアは思わずたじろいでいた。
「あれの準備をしていたのでな」
そんなルイズの不満を意に介さずスパーダは顎で祭壇を指し示す。
スパーダ自身も少し前に最終調整でブラッディパレスに入っていたが、現世から完全に切り離された異空間では使い魔の感覚共有の力は及ばないようだった。
「何よあれ? 変な像ね……あんなのあった?」
デルフからは何にも伝えられていないので、ルイズは怪訝そうに見つめだす。
「ギーシュ達の修行場だ」
「魔界ではブラッディパレスと呼ばれるものを再現したんですよ」
モデウスが代わりにブラッディパレスについて簡単に説明していった。
悪魔の修練場へと続く儀式の祭壇を作ったのもスパーダであることも知ったルイズは目を丸くしだす。
「じゃあ、この像はそのためのものなのね?」
祭壇の前まできたルイズはまじまじと隅々まで観察していた。
「お前さん、本当に器用な真似しやがるよなあ。彫刻家にでもなれんじゃねえの?」
「私一人で作った訳ではない」
唸るデルフにスパーダはちらりとロングビルの方へ視線を移す。
土くれのフーケことロングビルの錬金の魔法で石膏の塊を作ってもらい、それをスパーダが閻魔刀を使って加工したのである。
居合いによる抜刀によって塊を削って思い描いた形に変え、細部の装飾も整え、最後にロングビルに固定化の魔法をかけてもらうことで完成した。
並の職人以上の手際の良さで作られた手作りの彫刻はルイズも唸るほど、とても精巧な出来栄えだった。
「なあ、娘っ子。俺達もちょっとやってみようぜ。肩慣らしにはちょうど良いじゃねえか」
「好きにするがいい。ただし、キュルケとタバサの三人で行くのだな」
少し声を弾ませるデルフに、スパーダはちらりと二人の方へ視線をやった。
「デルフはともかく、ルイズは大丈夫なの? 遊びで入って良いようなところじゃないわよ。幻って言ったって本物と変わらないわ」
とはいえ、キュルケが先ほど実演に参加したのは面白そうだからという興味本位からだったのだが。
「ば、馬鹿にしないでよ!」
デルフが生み出して操るガンダールヴの魔人ならブラッディパレスでも問題なく戦えるだろう。
肝心のルイズ自身はコモンスペルと失敗魔法を応用した〝炸裂〟の魔法、そして虚無の魔法が使えるものの、どれもクセが強い。
一人だけで行くのはさすがに無理なので、誰かの同伴は必要だ。ましてやルイズの性格では無茶をしかねない。
「モデウス! こんな所で油を売るんじゃありません! 学院に来たら、すぐ私の所へ顔を出しなさいと伝えたはずでしょう? これから私達の部屋を整理するから手伝ってちょうだい」
突然に響きだした女の喚き声にルイズ達は反応し振り向いた。
ルイズ達から離れていたモデウスの元にエレオノールが詰め寄っており、自分より背の高い彼を叱りつけているのだ。
モデウスは彼女の剣幕に圧されることもなく平然としたままで、踵を返して歩き出す彼女の後を黙ってついていく。
「本当にあなたのお姉さんって感じね。怒り方がそっくりだわ」
「エレオノール姉様は絶対に怒らせちゃ駄目よ……」
「せっかくだし、後で挨拶くらいはしておこうかしらね。お隣同士なんだし」
「やめなときさいよ! 余計なことをして怒らせたらどうすんのよ!」
肩を竦めて苦笑するキュルケをルイズは慌てながら睨んだ。
表向きにはラ・ヴァリエール家とツェルプストー家は対立し合う関係なのだ。下手に刺激すればどんなことになるか知れたものではない。
「じゃあ、あっちのお姉さんとなら良いでしょ?」
くすりと笑ったキュルケはちらりと別の方――ティファニア達へと向き直った。
「色々とお世話になりますが、よろくお願いしますね。ミス・ロングビル」
「ええ。こちらこそ……この子とも仲良くしてあげてください」
そこにはルイズと同じ桃色の髪の女性――もう一人の姉であるカトレアの姿があった。
ロングビルと向かい合って丁寧に挨拶を交わしている彼女は他の二人の少女達にも温かな笑顔を向けている。
「お互いに初めての魔法学院で色々と大変になると思うけど、一緒にがんばりましょうね」
「は、はい。こちらこそ……」
「シエスタさんにも、何かとお世話になると思うわ。これからよろしくお願いしますね」
「い、いえいえ。とんでもございません。貴族の方に奉仕をするのは当然ですから!」
屈託のない笑みと態度で接するカトレアに、ティファニアとシエスタは戸惑ってしまう。
平民相手でもここまで社交的で親しく接してくるカトレアは、貴族なのにシエスタがよく知るような貴族の雰囲気が一切感じられない。
初対面ながらその包容力は、自分が慕うスパーダとは別の意味ではっきりと好感を抱くことができた。
「はじめまして。キュルケさんにタバサさん。妹がお世話になっているわ」
やってきたルイズ達の方を向いたカトレアはキュルケとタバサに視線を向けて同じように朗らかな笑みを向けてくる。
「あらルイズ。あたし達のことを話したの?」
「ええ。色々と聞いているわ。ルイズのお友達で、いつも仲良くしてくれているのね」
「ち、違うわ! キュルケは友達って訳じゃ……」
「あらあら。友達じゃなかったら、どうして一緒にいるの?」
笑みを絶やさないカトレアにルイズは言葉を詰まらせてしまう。
「ご先祖様達やお父様達とは仲が悪かったかもしれないけど、それは今のあなた達には関係ないじゃない? だからこうして二人で一緒にいるんでしょう?」
「……」
ルイズだけでなく、キュルケでさえも呆気に取られた顔でカトレアを見つめていた。
その笑顔は決して作られたものではなく、表裏のないありのままなものであると感じられる。
過去の因縁を知った上で、好意をはっきりと向けてくるので逆にキュルケの方が圧倒されてしまう。
本当にルイズの姉なのか? ヴァリエール家の人間らしくない性格だ――そんな疑問さえ感じてしまうほどだ。
「二人ともルイズのお友達になってくれてありがとう。これからもずっと、仲良くしてあげてね」
「は、はい……」
思わず気の抜けた返事をするキュルケに対し、タバサは黙ったままカトレアを見返し続けていた。
カトレアはキュルケ達から視線を外し、また別の者の方へと振り向きだす。
「またお会いしましたね。スパーダさん」
今までずっと、カトレアの姿を目の当たりにしてから呆気に取られた様子のままなスパーダに彼女は優しく微笑みかけた。
当のスパーダは腕を組んだままルイズ達の横で立ち尽くしていた。
エレオノールはともかく、どうして彼女までここにいるのかと言わんばかりに不思議そうな眼差しを向けている。
「ちい姉さまはエレオノール姉様についてきたの。今日からここの教師になるのよ」
「ええ。スパーダさんと同じようにね」
「スパーダは教師というわけじゃ……」
「あら。ここで男の子達に剣を教えているのでしょう? なら、先生と変わらないわ」
くすりと笑うカトレアをスパーダはじっと見据えていたが、やがて一言呟きだす。
「体の方は良いのか」
ラ・ヴァリエールの城に滞在していた時と変わらない佇まいでいるカトレアはスパーダの目から見ても見違えるほど生気に満ちていた。
最後に別れた時はまだ彼女を蝕んでいた病魔を追い出した直後だったのもあり、ひどく衰弱していたのが嘘のようである。
リハビリに加えて生命の欠片であるブルーオーブも最近に使われたらしいことが窺われ、彼女の肉体はこの魔法学院まで苦も無く訪れることができるほどに回復しているのだ。
放っておけば数年と生きられなかったはずの儚い命は今、新たな息吹を吹き返し始めている。
「はい。これもスパーダさんやルイズのおかげです。ルイズや姉様と一緒に外の世界を羽ばたいて、この魔法学院にまで来られるなんて……本当に夢みたい」
うっとりと幸せそうな笑みを浮かべてスパーダに歩み寄ったカトレアはそっと彼の手を取った。
「これからもどうかよろしくお願いしますね。スパーダさん」
「羽目だけは外さないことだ」
感謝の笑顔を見せるカトレアにスパーダは嘆息だけを返していた。
作品の良かったところはどこですか?
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登場人物
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世界観
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読みやすさ
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話の展開
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戦闘シーン
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主人公の描写・設定
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悪魔の描写
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脚色したオリジナル描写・設定