魔剣異聞録~The Legendary Dark Slayer/Zero   作:月に吠えるもの

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Mission 67 <魔法学院の危機> 前編

数百メイル上空を飛翔する一頭の風竜は上流貴族が用いる竜籠だった。

竜の抱えるワゴンの中では魔法学院の教師二人が座席に腰を下ろしている。

 

「コルベール先生。少し落ち着いたらどうですの?」

溜め息交じりにエレオノールは向かいの席に座る禿げ頭の教師に語りかける。

彼は手荷物である鞄を膝の上に置いたまま、ニコニコと満面の笑みを浮かべていた。

「早く学院に戻って実験したいなぁ。これはすごいものになりそうだぞ。スパーダ君にも見てもらいたいな……」

年甲斐もなく、まるで子供のように気分を弾ませている。

「まったく……変な物を作らないでくださいね」

何度目か分からない溜め息をエレオノールはまた零していた。

 

魔法学院からタルブの村まで馬を使うと何日もかかってしまう。

だが竜籠を使えば数時間とかからず遠地に赴くことができる。

朝食後、すぐに学院を発っていた二人はちょうど数十分前に現地での用を済ませていた。

(風の動力、ね。確かに興味深いけど……)

エレオノールはタルブの村で採取できるレアメタル、魔光石の試料を新たに手にするためだが、コルベールは村で新たに建設されたという風車小屋の点検が目的だった。

スパーダと共に設計したという小さな塔に取り付けられた巨大な羽根車は、タルブの草原に吹き付ける風によって力強く回っていた。

最初はそれで何ができるのかとエレオノールも軽く見ていたが、小屋の中の構造を拝見したことで即座に改めていた。

 

風車に繋がっている歯車が内部の石臼を回し小麦を製粉するというものだったが、それを見たエレオノールは素直に感心したのである。

ハルケギニアでは水車という動力がそれなりに普及しているが、川などの水場でないと設置できないのに対してこちらは風さえ吹いていれば立地条件を選ばない。

水車はトリステインではほぼ普及しておらず製粉は人力で行っているのだが、この風車を使えば効率良く大量に小麦粉を作れるだろう。

 

(あれが増えれば、タルブは間違いなく発展するでしょうね)

設置された風車は試作一号機だそうだが、稼働が順調なら今後も新たに建造されていくらしい。

あの風車小屋が普及すればトリステインの小麦粉の生産力は確実に増大するだろう。その始まりがタルブとなるのだ。

とはいえ定期的に掃除や歯車に油を注ぐなどの点検をしなければならないため、コルベールは運用する上での注意点も村人達に繰り返し説明していたのだ。

正直な所、魔法アカデミー所属の研究員であるエレオノールが特別気にかけるようなものでもないのだが、トリステインの国力を高める要素であることは認めざるを得ない。

 

(それにしても何を作る気なのかしら)

むしろ気になるのは、今目の前にいるコルベールの方だった。

彼は村を発つ寸前、順調に動いていたあの巨大な風車を眺めていると突然に興奮しだし、タルブの村にいた子供達以上にはしゃぎだしたのである。

今もこうして何に期待に胸を膨らませているのか、エレオノールが不安を感じるほどに浮ついていた。

彼がまた変な発明でも考えたのかと思うと気が気でならない。

かつて在学中にも色々な発明を生徒達に披露していたが、エレオノールも含めて誰も興味を持たなかったのだから。

 

しばらくするとようやくコルベールは落ち着き始めていたが、今度は逆に窓の外を目にするその顔は険しくなっていた。

「しかし、この辺りにも竜騎士が飛び回るようになると不安だな」

窓の外には何頭もの飛び交う竜に跨る騎士達の姿が見え始めている。

「そうですわね……」

もうじき魔法学院に到着するはずだが、いつもはこの一帯を巡回していないはずの竜騎士の姿にエレオノールは眉を顰める。

アルビオンの新たな謀略を警戒してさらに国内の警備が強化されている訳だが、彼らがここにいる理由をエレオノールは理解していた。

今、魔法学院には彼らの主君であるアンリエッタ女王が来訪しているのだから。

恐らく彼ら自身は何も知らないだろう。お忍びで生徒に扮しているのだから、非公式の訪問に違いない。

きっとマザリーニ枢機卿ら極僅かの人物しか知らないはずだ。

故に女王のことは伏せたまま竜騎士隊には通常任務の一環として、学院近郊の上空を哨戒するように命じられているのだ。

 

(女王陛下も何を考えてるのかしら……まだスパーダ達は戻ってきてないのに)

数時間前、エレオノール達が出発前にオスマンの元へ挨拶に向かった際に学院のメイドを伴って学院長室から出てきた一人の少女。

出てくる直前に扉の横で突っ立っていたオスマンは二人に耳打ちをしてきたのだ。

 

――この中におるのは女王陛下ではないぞい。転入生のミス・アンナじゃ。

 

何食わぬ顔でアンリエッタ女王を出迎えた三人に、彼女は転入したばかりの下級生らしく初々しい会釈を返して一人の生徒になり切っていた。

事情はともかく、あと数時間で迎えが来るまでは女王の正体がバレないようにしなければならない。

自分達がいない間に何事もないことを祈るばかりだった。

(モデウスがいるから大丈夫だと思うけど……)

出発寸前にエレオノールはモデウスに留守を言い付けると共にアンリエッタのこともこっそり話しておいた。

モデウス自身は女王がお忍びをしていることを聞いても「そうなんですか」の一言で興味がなさそうに済ませてしまったので、少し心配である。

この一週間、スパーダが作ったという悪魔の修練場・ブラッディパレスに男子生徒達が挑戦するのに付き添ってばかりなのだ。

 

「――っ!」

思い詰めていたエレオノールの体を突然衝撃が襲った。

「うおおっ!?」

それはコルベールも同じで、二人とも座席の上に倒れ込む。

突如、ワゴンがぐらりと大きく左右に揺れだしたのである。

地震――な訳がない。ここは空の上なのだ。

にもかかわらずここまで激しく揺れだした理由は……。

 

「ちょっと、どうしたの?」

エレオノールは窓から顔を出し、上を見上げる。

グルグルと気弱そうに喉を鳴らす風竜は、明らかに怯えている様子だった。

もう魔法学院は目と鼻の先なのに、翼は羽ばたかせて静止したまま先に進もうとしない。

一体、何を恐れているのか分からないエレオノールは苛立つが……。

 

――クェエエエエッ!!

 

「!?」

「何だ!」

竜が突如として悲鳴を上げだしたのだ。

エレオノールは目を見開き愕然とした。学院の方角から飛来した無数の影が、竜の翼に次々と突き刺さったのである。

剥き出しの鋭い刃――まるで猛禽類の羽のような形をしたものに容赦なく貫かれた竜の巨体は力なく崩れ落ちていく。

ぐらりと、抱えられていたワゴンが大きく傾きだそうとしていた。

「いかん……!」

即座にエレオノールはワゴンの扉を開け放ち外に飛び出て、コルベールも迷うことなくそれに続いた。

だが、ここは上空数百メイル。下は学院手前に広がる雑木林。墜落すればただでは済まない。

 

「レビテーション!」

下から吹き付ける突風をその身に受けながらも、杖を手にした二人は冷静に自らの体に魔法をかけていた。

木々の頂点まで落ちた所で落下する速度は瞬く間に緩やかになり、ゆっくりと森の中へと怪我一つなく降り立つ。

二人が乗っていた竜籠は竜もろとも地上に激突し、無残に砕け散っていた。

 

 

無人となったヴェストリ広場の一角に置かれたブラッディパレスの祭壇。

その目の前に小さな光の柱が浮かび上がり、中からは何人もの少年達が進み出てくる。

「いや~! 実に手強かったな諸君!」

「もうコリゴリだよ。あんなのは……」

爽やかに笑顔を浮かべるギーシュに対して、レイナールは疲れ切って肩を落とす。

「だが、見てくれただろう? スパーダ君直伝の、僕の奥義が敵を仕留めた所を!」

薔薇の造花を手に、酔ったように見得を切るギーシュ。

「はいはい。もう何回も見たし聞いたっての……」

「お腹空いた~……」

だがギムリもマリコルヌも見向きもせずに溜め息を吐いていた。

他の挑戦者達がほどほどで切り上げてブラッディパレスを出たのに対し、ギーシュ達だけは記録を塗り替えるまで辞めようとしなかったために時間がかかってしまったのである。

何しろほんの数分前まで戦った相手は魔法衛士隊も使っている三種の幻獣――グリフォン、マンティコア、ヒポグリフがまとめてだったのだ。

おまけに女王アンリエッタだけが用いるのを許される一角獣のユニコーンまで襲ってきたとあっては、もういっぱいいっぱいだった。

 

「待つんだ」

最後尾に控えていた黒髪の騎士――モデウスが四人を呼び止める。

「どうしたんだね? モデウス君」

新任の教師、エレオノールの従者として学院に滞在するモデウスはギーシュらスパーダの弟子達とはすぐに打ち解けていた。

ギーシュ達にしても相手は平民だが自分達の兄弟子であり、その実力も存分にブラッディパレスで見届けたのもあってわだかまりもなく、先輩後輩のような関係で親しんでいる。

「学院の様子がおかしい」

ブラッディパレスの外ではいつも穏やかなはずのモデウスの表情はいつになく深刻なものになっていた。

だがギムリやレイナールは訳が分からないとばかりに目を丸くしだす。

「もうみんなお昼なんだろ? 早く行こうよ~」

マリコルヌに至っては自らの食欲を満たしたいことで頭がいっぱいだった。

 

(ま、まさかこんな真昼間から攻めてくるなんてことは……)

ただ一人、ギーシュだけがモデウスの言葉を聞いた途端に全身を張り詰めさせていた。

「お、おい! 誰か倒れてるぜ」

ギムリが目にし、気が付いたのは広場の一角に倒れている人影の姿だった。

無数のガラス片が辺りに散らばり、被っていたであろう三角帽子が外れて傍らに落ちている。

「シュ、シュヴルーズ先生!」

それがすぐに自分達の先生であることが分かり、ギーシュ達は慌てて駆け寄った。

「うう……」

気を失ったまま呻くシュヴルーズは服ばかりか顔や手など所々に無数の痛々しい傷を作っている。

「大丈夫。命に別状はない」

後に続いて歩み寄ってきたモデウスはそう言いつつも、懐から取り出した小さなバイタルスターをかざす。

緑の光に包まれ傷を癒されたシュヴルーズは四人に魔法でベンチへと運ばれ静かに横たえられる。

 

本塔の窓の一つが派手に破られており、シュヴルーズがそこから外に飛び出てきたのは容易に推測できる。

位置的にはこれから行こうとしていたアルヴィーズの食堂。

ギーシュ達はレビテーションの魔法を使って浮かび上がり、そっと窓の中を覗き込んでいた。

「みんな上のホールに向かってるぜ」

「一体どうしたんだろう……」

「何が起きてるんだよ~」

本来なら昼餐を嗜んでいるはずの生徒や教員達は次々と席を立っては恐る恐る二階のダンスホールへと続く階段に向かっていた。

平民の給仕達は隅の方で呆然と立ち尽くしたまま成り行きを見守っている。

そして目に付いたのは、明らかに学院の人間ではない黒ずくめのメイジ達の姿だった。

 

あまりにも異常としか言えないその光景に困惑するマリコルヌ達。

ギーシュは一足先に降り立つと、モデウスに駆け寄り耳打ちをする。

「モ、モデウス君……ひょ、ひょっとしてスパーダ君が言ってたっていう……?」

自分達の師匠である魔剣士スパーダはルイズ、キュルケ、タバサを連れて外国に出かけている――学院長のオスマンはそう告げていた。

だがギーシュは彼らがどこに向かって何をしているのかを知っている。

 

もう一週間近くも前、始業式の翌日にギーシュはスパーダからとても大事な話をされていた。

彼らがあのアルビオン大陸に再び潜入し、レコン・キスタを壊滅させて戻ってくるまでこの学院の留守を任されたのだから。

何せレコン・キスタは悪魔と手を結んでいた――スパーダがタルブの戦役で親玉を倒したというが――ために、残党が未だ陰謀を仕掛けてくることを見越して、この学院もテロリズムの標的にされるかもしれないと伝えられたのである。

(うう~……何だって、今になって来るんだよ~)

大体一週間ほどでスパーダは戻ってくると言っており、今日までは何も起こらなかったので安心していたギーシュだったが、ついにその時が来たため緊張してしまう。

しかも今回はスパーダがいないので尚更だった。

「悪魔達の気配を感じる」

(や、やっぱり……)

辺りを見回しながら呟くモデウスにギーシュはさらにごくりと息を飲みこむ。

 

ここにいるモデウスもまた、スパーダと同じ悪魔だと密かに知らされた時は驚いたものだ。

元々、ギーシュはスパーダの一番弟子だという自負があったのだが、兄弟子がいたという事実にがっかりすると同時に認めざるを得なかったのである。

考えてみればスパーダはハルケギニアとは別の異世界からやってきた男。

自分達以外にも同属の弟子の一人や二人、いても不思議ではないのだから。

(スパーダ君の一番弟子なんだから、大丈夫だよな……僕と一緒に留守を任されてるんだし)

見た感じではとても悪魔には見えないものの、スパーダが信頼を置いている以上は彼と同様に頼りになる存在だと信じたかった。

実力に関しても自分達より遥かに上であることは、ブラッディパレスで散々に目の当たりにしている。

何せそのブラッディパレスで、ギーシュ達は何度もピンチに陥っては彼によって救われていたのだから。

 

「モ、モンモランシーは……?」

不意に思い浮かんだのはギーシュが一番愛している女性のことだった。

ブラッディパレスで特訓をする自分の勇姿を見て欲しいと誘って初めは付き合ってくれるものの、終わった時にはもう飽きられて帰ってしまう。

そんな彼女は食堂の群衆の中には姿が見られない。

ギーシュの心を不安が覆い尽くすのは程なくのことであった。

「お、おい。待てよギーシュ」

ギムリが声を潜めながら呼び止めてくるが、それに構わず駆け出していく。

五人はヴェストリ広場から渡り廊下を通り、本塔の中へと進んでいった。

 

 

「やっぱり、賊が入り込んでるようだな」

正門の陰からそっと顔を覗かせる男女が姿を見せたのはその直後だった。

「モデウスは一体何をしてるのよ……!」

コルベールの下でエレオノールは眼鏡を整えながらも憮然としだす。

足元には正門に控えていたはずの衛兵達が、全身を焦がされる変わり果てた姿と化していた。

 

 

アルヴィーズの食堂の二階のホールは本来、パーティなどの催しが行われる際に使われるべき場所だった。

いつもだったら優雅な音楽の中、ダンスを踊ったり食事を楽しむ者達で賑わうというのに、集められた180人近い生徒達は陰惨な空気の中で震えている。

「な、何なの……あの人達」

食堂に続く階段の入口から数人のメイドやコックら給仕達が恐る恐る顔を出している。

何人かはフライパンやモップ、果てはパン生地を伸ばす延し棒を握り締めたり、鍋を頭に被ったりしながらも緊張に身を震わせている。

「ま、まさかいつかのフーケみたいな泥棒?」

黒ずくめのメイジ達は平民の給仕達は眼中になかったようで無視されていたのだ。

魔法を使えない無力な存在だと軽視されているであろうことは彼女達には知る由もないだろうが。

「ど、どうしましょう。マルト―さん……」

「どうするったって、俺達にゃどうにもできねえぞ……」

コック長のマルトーも一際大きなフライパンを手にしながらも困惑せざるを得なかった。

まさか真昼間にこんなトラブルが起きるなど誰も考えなかったのだから。

しかも相手は明らかにメイジ。衛兵ですらない給仕達では反抗することさえできない。

 

「大丈夫? シエスタ」

「う、うん……」

燭台を手にして他のメイド達のように構えているシエスタは落ち着かない様子で、はあはあと息を切らしていた。

疲れているはずでもないのに胸がドキドキとしているこの感覚は、悪魔の血を引く彼女が何度も味わったものだった。

それが意味することを、シエスタは本能的に理解していた。

(あの人達、普通の人じゃない……?)

生徒や教師達を囲む黒ずくめのメイジ達から発せられる気配は普通の人間とは異なるものだった。

悪魔達とも違うが、どことなくその体からは周りにいる人間達よりも生命力というものが希薄にしか感じられないのである。

(ああ……どうしよう……女王陛下もティファニアさんも……)

シエスタは床に座らせられている群衆を不安そうに見つめていた。

 

その群衆の中、金髪と栗毛の髪の二人の少女は桃色の髪の女教師、カトレアの傍らで不安そうに縮こまっている。

「ティファニアさん……」

「うぅ……」

自身の体を抱き締めながら顔を伏せているティファニアを、カトレアとアンリエッタは心配そうに見つめていた。

あの黒ずくめのメイジ達が姿を現してから、ずっとこんな感じで怯えだしているのである。

連中に顔を見られないように隠そうとしていることは明らかだった。

 

恐怖に打ち震えるティファニアの脳裏に浮かぶのは惨劇の記憶。

アルビオン大陸のウェストウッド村で子供達と過ごしていた平和の日々が終わりを告げた、あの悪夢の日。

突如、村に押し入ってきたメイジの集団は容赦なく魔法で小さな村を破壊し、焼き払っていった。

幼い子供達では抵抗できるはずもなく次々と小動物のように捕らえられ、最後にはティファニアまでもが捕らわれてしまった。

自分の次に年長者の男の子だったジムに至っては、勇敢にティファニアを庇おうとしたが無意味だった。徹底的に痛めつけられ、半殺しにされたのである。

(みんな……ごめんね……ごめんなさい……)

ティファニアは誰も守ることができなかった。いや、できたはずだったが、己自身への恐怖からそれすら拒んでしまったのだ。

囚われ引き離された子供達はみんな、アルビオンの反乱軍によって無残に命を奪われた。

その最期がどうなったのか、保護者のマチルダは決して話してはくれない――

(わたしを探してるの……?)

母の死と同じくそれまでの幸せの日々をズタズタに引き裂いた、思い出したくもない悪夢の日に現れたメイジ達と同じ装いの者が今、再び自分の目の前に姿を見せたのだ。

特にあの白い仮面をつけた、風の魔法を操るメイジが何よりも恐ろしかった。

彼らは自分の顔を……もちろん正体も知っている。

たとえエルフの証である耳を隠したとしても、それだけではとても誤魔化しきれそうもない。

絶対に顔を見られてはならない。もし見られれば、彼らは自分の正体をここにいる者達に暴露するに決まっている。

ティファニアは蹲ったまま、メイジ達に感づかれないよう必死に顔を伏せ続けていた。

 

「大丈夫……大丈夫よ……」

ティファニアの体が温かな抱擁に包み込まれる。

震える少女の体をカトレアは優しく抱き寄せ、そっと頭を撫でていた。

 

 

「奴はいないな? よし……」

リーダー格らしい白い仮面のメイジは頷くとつかつかと演壇に進みだす。

「あ~、君達。強盗にしては、ちと空気を読んでおらんのではないかね? 真昼間から堂々と学院を襲うなんてさすがに大胆過ぎじゃぞい」

群衆の先頭で座り込む学院長のオスマンはどこかズレた発言をするので周りの生徒達は呆気に取られる。

「みんなお腹を空かせて、これから腹ごしらえじゃったのに。せめて午後のティータイムを選んだりできんのかの?」

こんな時に一体何を言っているのか、とばかりに溜め息が一斉に漏れ出している。

オスマンは一足遅れて食堂にやってきたのだが、服従を命じてきた相手にあっさりと従っていたのである。

他の者達が状況も吞み込めずに狼狽しているというのに、今に至るまでやけに落ち着き払っているのが不思議でならなかった。

「相変わらずボケた老人だ」

だが肝心の対話者には冷たく一蹴されてしまう。

 

「諸君。我らは神聖アルビオン共和国の盟主、オリバー・クロムウェルより遣わされた特使だ。下手に抵抗などしなければ危害を加えるつもりはない。安心したまえ」

演壇に立ったメイジはよく響く、若さと力強さを備えた声で宣言した。

相手の正体を知った生徒や教師達は一斉にざわめきだす。

狼狽する群衆の中でアンリエッタは忌々しそうに顔を顰めていた。

「さて、オールド・オスマン。早速だがあなたには王宮宛にこれから一筆をしたためて頂きたい」

「何じゃな?」

「大したことではない。アンリエッタ女王をここへ呼んで頂ければそれで良い。我らは正式にトリステインと交渉をするためにやってきたのだからな」

「交渉……?」

さらに群衆は困惑の色を浮かべてどよめきだす。

(一体、何の交渉なのよ……)

アンリエッタだけは厳しい目つきを浮かべていた。

現在、王宮にいるのは魔法人形スキルニルの影武者であり、本物はここにいる。

少なくとも、レコン・キスタが降伏をするために使者を遣わしたのではないことは明らかだった。

ここにいる人間達は彼らの人質なのだ。そんなものを交渉材料に一体何を求めているのか、考えるだけでもおぞましい。

 

「降伏に来たのか……脅かしてくれるな……」

どこか陰気で嫌味じみた態度が感じられるその声は、生徒のものではない。

「貴様、我らを侮辱するか」

近くにいたメイジが聞き逃さなかったのか、杖を構えて威圧しだす。

群衆の中へとズンズンと押し入り、動揺する生徒達を掻き分けた先には教師の一人であるギトーがいた。

「い、いや……違う。私は別に……」

目の前に立つメイジに見下ろされるギトーは途端に逃げ腰になっていた。

彼のすぐ近くにいた生徒の何人かは「余計なことを言いやがって」とばかりに軽蔑した眼差しを浮かべている。

 

小さな悶着が起こったのを見届けた仮面のメイジも壇から降りると、トラブルが起きている場所まで歩み寄っていた。

二人のメイジを前にしてギトーはますます弱気な表情になっていく。

「お前、風のスクウェアのようだな? 俺には分かるぞ」

じっとギトーを眺めていた仮面のメイジは淡々と頷きだす。

「陰口を叩ける度胸があるということは、我らを難なく蹴散らす自信があるということだな。俺もスクウェアだからな。風の系統の偉大さはよく分かる」

無言で部下を下がらせると腰に下げている自らの軍杖を手にし始めていた。

「どうした? 遠慮なく杖を振るがいい。それともそれはただの飾りか? 魔法が使えない訳でもあるまい」

数歩下がってギトーから距離を取るとメイジは露骨な挑発を仕掛けてくる。

確かに、ここに集められた生徒と教師達は誰も杖を取り上げられたりはしていない。

メイジの数は180対20――9倍もの人数差から考えれば、本来ならば勝負にもならないはずだった。

だが、誰も抵抗しようという気概を持つ者は一人もいない。

ここは魔法学院。本来なら戦争や、このような荒事とは無縁であるはずな場所なのである。

 

「杖を取るがいい。お前の自慢のスクウェア・スペルで、我らを倒せるものならな」

困惑したまま動けずにいるギトーを仮面のメイジはさらに煽り立ててくる。

やがてギトーは意を決したように腰を上げだし、言われるがままに杖を手にし始めた。

生徒達は大きな不安と微かな期待の入り混じった眼差しでギトーを見守っている。

彼の杖を握る手はいつも授業中に自信満々に魔法を披露し、生徒達に手本を見せている時とは異なり妙に震えていたのだ。

深呼吸をし、杖を掲げだすと呪文を唱え始めるが……。

「ユビキタ――がふっ……!」

半分も詠唱が終わらない内に呻き声へと変貌していた。

シュヴルーズの時のように、神速で突き出されたメイジの杖から放たれた分厚い突風がギトーを吹き飛ばしたのである。

「きゃああっ!」

悲鳴を上げる生徒達の頭上を掠め、ギトーの体はその遥か先の壁にめり込みかねないほど強烈に叩きつけられてしまう。

 

「馬鹿か。敵の目の前で棒立ちして堂々と魔法を唱えるなど、愚の骨頂だ。わざわざ隙だらけの詠唱を丁寧に待つ者がどこにいる? 遊びの決闘と勘違いでもしたのか? 実戦とお遊びは違うのだよ」

侮蔑の言葉で吐き捨てたメイジはぐるりと群衆の中を見渡し始める。

生徒達は仮面で見えないはずの視線を避けるように腰を抜かしていた。

「どいつもこいつも腑抜けばかりだな。同僚がこんな目に遭って怖気づいたか……」

他の教師達も睨みつけられると、ギトー同様に恐怖に怯えた様子で顔を背けだす。

「どうせ未熟な教え子を相手に自分の魔法を見せびらかすだけだったのだろう? 肩書きだけで良い気になっているスクウェアメイジなど、ドット以下の木偶の坊に過ぎん」

嘲笑と侮蔑の混じった冷酷な罵声がホール中に響き渡った。

 

途端に、生徒達の口から次々と溜め息が漏れ出していた。

失望、落胆、幻滅、軽蔑、嫌悪……様々な悲観と失意の感情が露わになっていく。

「何が風は最強だ。自分がやられてどうすんだよ……」

「やっぱり口先だけじゃないの……」

中にははっきりと無様に倒れ伏すギトーを罵る者さえいた。

もちろん彼だけではない。他の大勢の教師達にも同様の感情を向けていた。

常々、授業中に自分の魔法や系統――ついでにそれを操る自分自身――の素晴らしさを誇らしげに語っているのに、いざ波乱が起きればまともに何もできないその姿はあまりに不甲斐なさ過ぎる。

いくら魔法や系統が素晴らしくても、それを使う人間が無能では何の役にも立たないことの証明だった。

あのメイジ達が杖を取り上げない理由がこれで分かった。――無能者が抵抗しようが、平民同様に取るに足らない存在でしかないからだ。

「ミスタ・スパーダがいてくれたらなぁ……」

かつて学院を襲った土くれのフーケや、迷い込んできた幻獣に自ら立ち向かった異国の剣豪の勇姿を生徒達は思い浮かべる。

いずれの時でも教師達は何もできなかったのに、彼だけは率先して事態を解決してくれた。

「早く帰って来てよ……」

「肝心な時にいないなんて、もう……」

普段は近寄りがたい印象がある異国の貴族を生徒達があまり意識することはないのに、今この時ばかりはこれほどまでに彼の存在を心から願ったことはなかった。

無能な教師達などより、彼がいてくれるだけでも本当に心強かったのだから。

 

「これだからトリステインの貴族どもは無能だと言うんだ。こんな奴らが教育者になっているようでは、この国の未来も先が思いやられる」

メイジの辛辣な言葉にアンリエッタは苦い顔を浮かべていた。

実に耳と心に突き刺さるものだが、言われていることは事実なのだから。

トリステインの貴族の多くは見栄を張りたがるばかりで、実力や実績が伴っていないような者達ばかり。

無論、中には実績と能力に見合った有能で誠実な者もいるのだが、全体で見るとまだまだそうした人間は少ないと言わざるを得ない。

「ああー、そこまでにしとくれんかね。あんまり手酷く扱っては人質の用を成さなくなるぞい」

「何か勘違いなされているようだな。我々は別にこんな教師ども、最初から必要としてはおらん。役に立つのは生徒達だけなのだからな」

オスマンの説得をメイジは冷酷に一蹴し、演壇の前に立つ。

「何なら、ここでいっそ教師だけは始末しておくか。また誰かが面倒を起こすとも限らん。……ああ、オールド・オスマンには残って頂くのでご安心を」

事も無げに語るメイジに教師陣の顔は瞬く間に青ざめだす。

 

「待ってください」

メイジ達が杖を構えだす中、群衆の中から立ち上がる者の姿があった。

全員の視線は桃色の髪の教師へと集中する。

「私はラ・ヴァリエール公爵家のカトレアと申します。人質が欲しいというなら、私だけで充分ではありませんか? ですから、他のみなさんは解放してあげてください」

傍らではアンリエッタとティファニアが寄り添いながらカトレアを見上げていた。

恐怖に怖気づいた他の教師達とは違う毅然とした態度は、普段のおっとりとした姿からは想像もできない。

トリステイン随一の名家であるラ・ヴァリエール公爵家の令嬢に相応しい貫禄が醸し出されていた。

まるでルイズ自身が大人になったような……そんな姿を錯覚させる。

最初は見かねたアンリエッタが自ら名乗り出て凶行を止めようとしたのだが、カトレアに制されたのである。

 

「これは驚いた……まさか死にかけだったルイズの姉がいるとはな」

仮面のメイジははっきりと嘆息してカトレアを見つめだす。

本人だけでなく、アンリエッタも怪訝な顔を浮かべていた。

どうして、このメイジはルイズのことを知っているというのだろう。

「……ミス・カトレア。その心意気は買うが、あなただけでは足りない。我らがアンリエッタ女王と交渉をするには、この学院の生徒全員が必要となるのだよ。もちろん、あなたも大切な交渉材料の一つになる。大人しく座っていたまえ」

「……」

「さて、オールド・オスマン。早速、アンリエッタ女王を呼んでもらう手紙を書いて頂こうか。生徒達が本当に大事だと思うなら迷うこともあるまい」

「むう……」

オスマンが困ったように眉を顰めたその時だった。

 

「その必要はありませんわ」

「陛下……」

凛とした声を響かせ、アンリエッタは静かに立ち上がった。

今度ばかりはカトレアも止める暇もない。

「わたくしは、ここにいます」

周りの視線が集中し目を丸くする中、アンリエッタは躊躇せず髪留めを外して髪を下ろす。

「女王陛下……!?」

「アンリエッタ女王陛下……!」

「な、何で女王陛下がここに……?」

次々に生徒と教師達は激しく狼狽しだす。

そこに立っていたのは紛れもない、自分達が忠誠を誓うトリステインの若き女王だった。

だが、彼らが知る清らかで可憐な女王の姿とはあまりにかけ離れた装いに困惑してしまう。

「じょ、女王……陛下……?」

這い蹲ったままでいるギトーも同様だった。

彼は先刻、ヴェストリ広場であの生徒に……女王とは気付かず堂々と説教をしたのだ。

自分が不敬なことをしたのではないかと、その表情は見る見るうちに血の気を失っていく。

 

正体を知るオスマンは気まずそうな顔を浮かべるが、アンリエッタは気にせず堂々と前に出ようとする。

生徒達は恐る恐る左右に避けて彼女に道を開けていた。

「ここにいる方達よりも、わたくしの方が人質に相応しいはず。すぐに学院の皆さんを解放しなさい」

「これはこれは……! アンリエッタ女王陛下がこんな魔法学院に、しかも生徒に扮しておられるとは!」

仮面のメイジは両手を広げ、驚きと共に歓喜の声を上げだした。

「そういえば、以前最後にお会いしたのもこの学院を僥倖なさった時でしたな。ああ、確かあの時はまだ姫殿下であられた……懐かしいな」

「あなた……一体、何者なの? 顔を見せなさい!」

ルイズやカトレアのことはおろか、過去にアンリエッタがここで行っていたことまで知っている。

この男と自分は絶対にどこかで以前に出会っている。そう確信した。

 

アンリエッタと対峙するメイジは落ち着き払った動作でフードを外し、灰色の長髪を露にする。

そして自らの顔を隠す、無機質な白い仮面に手をかけ静かに取り払った。

「あなたは……!」

目の前に現れた素顔にアンリエッタは驚愕する。

「ご無沙汰しております。アンリエッタ女王陛下。元グリフォン隊隊長のワルドでございます」

見覚えのある凛々しい精悍な顔に、口髭を備えた若い偉丈夫がそこにあった。

それは、今となっては祖国への信義と忠誠に背いた裏切り者であった。

 

 

「やっぱり……」

仮面のメイジの素顔にティファニアはますます怯え切っていた。

自分達の村を滅ぼし、かつての生家を牢獄としてティファニアを閉じ込めていたあの男。

彼は母の形見の指輪を交渉材料と称して奪っていったが、後日保護者のマチルダと再会した時に返してくれた。

 

アンリエッタは困惑したまま目の前に現れた男を凝視する。

彼は纏っていたローブを脱ぎ捨てると、トリステイン魔法衛士隊と同じ黒い隊服が露わとなる。

帽子こそ無いが、紛れもなく目の前にいるのはかつて信頼を置いていた臣下の一人だった。

「ワルド子爵……あなたは、アルビオンで死んだはずでは……」

数ヵ月前、密命によりルイズ達と共にアルビオンへ赴いたワルドは、レコン・キスタの間諜の一人だった。

現地で本性を現し、スパーダとも激戦を繰り広げた末に命を落とした――帰還したルイズからはそのように報告されている。

「確かに私は一度、あの忌まわしい悪魔によって命を絶たれました。しかし、我らが盟主オリバー・クロムウェルの奇跡の力によって我ら同志達は再び命を与えられたのです」

不吉なほど晴れやかに語るワルドにアンリエッタは顔を顰める。

他のメイジ達の何人かがフードを外し、次々に素顔を露にする。

全員ワルドのように精悍な顔立ちをした若者達ばかりだ。

(アンドバリの指輪……)

クロムウェルの手には死者に偽りの命を与えるマジックアイテム、アンドバリの指輪がある。

現在、スパーダがアルビオンへ潜入し敵の本拠地へ乗り込むための名目でもあった。

一度は死んだはずの彼が再び生を受けてここにいる理由も、今のアンリエッタにはすぐ納得ができる。

 

「そして盟主は我らにトリステイン女王アンリエッタと交渉をする大任をお与えくださったのですよ」

「一体何の用だと言うのです」

雑談などもう聞きたくないとばかりにアンリエッタは手短に尋ねる。

ワルドは澄ました微笑を浮かべつつ、懐から何かを取り出す。それはどうやら書簡のようだ。

「我らレコン・キスタはトリステイン王国に対し、これらのことを要求する。まあ、よく読んで頂きたい」

そう言いながら歩み寄ってきてアンリエッタに書簡を差し出してきた。

 

嫌悪感を隠さないままアンリエッタはひったくるように受け取り、巻子を開く。

生徒ら衆人観衆は息を飲みながらアンリエッタを見守っていた。

以前、この魔法学院に僥倖した時に見せた清楚で美しい薔薇のような笑顔はどこにもなく、自分達と同い歳の美少女には似つかわしくない厳めしい真剣な顔で書簡に目を通している。

目だけを動かし一文一文にしっかりと目を通していくアンリエッタ。

だが徐々に眉間に皺を寄せ始め、険しかった表情がよりきつくなり、唇を噛み締めだす。

ついには書簡を持つ手がわなわなと震えだし……。

「……ふざけるんじゃないわ! 恥知らずも大概になさい!!」

ホール中にけたたましい絶叫が響き渡った。

生徒達は怒りを露わにした女王に思わずビクついてしまう。

特に近くにいたオスマンなどは目を見開き驚いていた。

「ふざけてなどおりませんよ。アンリエッタ女王陛下」

反対にワルドはアンリエッタの憤慨など意に介さず、平然と彼女の手から書簡を取り上げた。

 

「我らレコン・キスタは和約を結ぶにあたり、以下の条項をトリステインに要求する。

一つ、オリバー・クロムウェル以下、レコン・キスタ首脳陣のトリステインへの亡命と赦免の承認――

一つ、帝政ゲルマニアとの同盟の破棄――

一つ、アルビオン大陸~ハルケギニア間の空路封鎖の解除――

一つ、アンリエッタ女王の退位、並びに宰相マザリーニの退陣――

一つ、アンリエッタの王位をレコン・キスタ首脳オリバー・クロムウェルに禅譲――

一つ、アンリエッタの名において、国名を神聖トリステイン共和国に改名――

一つ、トリステイン全軍とアルビオン全軍の併合――

一つ、軍部の全権をレコン・キスタへ委任――

一つ、トリステイン近衛隊を解体し、国内の不穏分子を監視する秘密警察として再編成――

一つ、聖地奪還という崇高な目的のための挙国一致体制の確立――

一つ――」

声高に延々と語り続けるワルドにアンリエッタは苦虫を嚙み潰したような顔で睨みつけていた。

それはあまりにも荒唐無稽で身勝手過ぎるものばかりだった。

こんなことを考えた奴は頭がどうかしているのではないか? そう思わせるほどに、レコン・キスタの交渉とやらは馬鹿げたものなのである。

「いくら何でも無茶苦茶だよ……」

生徒達ですら、アンリエッタにはっきりと同意する有り様だった。

 

「この協定書にあなたの署名とトリステイン王家の花押(かおう)さえ押してもらえればそれで良い。それでこの無用な戦争は終結し、和約は結ばれます」

(どこが和約なのよ……!)

現在トリステインとゲルマニアが共同で行っている大陸間の空路封鎖の最終目的は、レコン・キスタを孤立させて降伏に追いやることだった。

レコン・キスタ側から何かしらの反応を――最も望んでいたのはもちろん降伏や和平交渉だったのだが、最終的に起こした手段は斜め上を行き過ぎていたのだ。

敵は降伏する気など毛頭なく、そればかりか自分達で滅ぼしたアルビオン王家を武力で簒奪したのと同じように、敵国を卑劣な陰謀を用いてでも乗っ取る気でいるのである。

 

……いや、レコン・キスタにとっては国家や国土なんてものはさほど重要ではなく、いざとなれば乗り捨てて別の物に乗り換える使い捨ての馬車や船のようなものに過ぎないのだ。

厚顔無恥と卑劣さもここまで来てしまえば、もう笑い話にすらならない。

 

「あなた方の空路封鎖によってアルビオンは既に荒廃の一途を辿っております。早く盟主達をこの国まで亡命させねばなりません。なにしろ我らがここまで来るのに一ヵ月もかかったくらいですからな。空路からガリアに外れて酷く遠回りをしましたよ。まあ、おかげで監視の目も掻い潜れましたがね」

ワルドは肩を竦めて苦笑した。

確かにアルビオンから直近のトリステイン間なら警戒が厳重だ。しかし、監視が薄いであろう国外から遠く迂回して侵入されるとは計算外だった。

昼夜を問わず行っている竜騎士隊の哨戒も、きっと陸路を用いて回避したのかもしれない。

そこまでして彼らは一発逆転の謀略を、この魔法学院に仕掛けてきたのである。

「そこまでの長旅を盟主達にさせる訳にはまいりません。故に、早急に空路封鎖を解除してもらわなくては」

「自分達で国土を散々に荒らしておきながら、今度は敵地に亡命するですって? どこまで身勝手なことをすれば気が済むの! あなた達は逃げて、残された国民はどうするのです!」

「さあ……祖国への忠誠も忘れ、見捨てて先に逃げ出す非国民など我々の与り知ることではありません」

ワルドは冷淡に笑い飛ばした。

既にアルビオンからは数多くの亡命者達が落ち延びてきているというのに、その冷酷さは明らかに自分達の国民のことなどまるで意識していないのは明らかだ。

もしかしたら、スパーダが以前話してくれたように国民にも危害を加えていたのではないか? そんな不安を感じさせるほど素っ気ない。

「民が国を捨てて逃げるのは、あなた達が信頼を失った証……。彼らを見捨てて自らまで亡命しようとするなんて……恥を知りなさい!」

 

そこまで叫んで怒りをぶつけるアンリエッタだったが、ワルドは溜め息交じりにかぶりを振りだす。

「……アンリエッタ女王陛下。あなたはご自分の立場がまだ分かっておられないようだ」

淡々と低い声で喋り、目を細める。

「ルイズもそうだったが、トリステインの女どもは本当に気ばかり強いだけで浅はかな連中だな」

明らかな嘲笑を込めてアンリエッタを見下ろしてくる。

その冷酷な笑みにアンリエッタは言い知れぬ不安を感じ始める。

 

「う、うわあ!?」

突如悲鳴が上がり、アンリエッタはハッと群衆の方を振り返った。

男子生徒の一人の体が宙に浮かび、じたばたと手足をばたつかせている。

「ロ、ロレーヌ!」

見れば別のメイジが杖を掲げているのが見えた。

二年生のド・ロレーヌの体は徐々に上へと昇っていき、やがて10メイル以上の高さもある天井の近くまで上がってしまう。

「ひ……! た、助けて……! 助けて……! ――わああああっ!?」

やがてその体が真っ逆さまに落下していく。

杖は取り上げられてないのに、彼はパニックからレビテーションの魔法を唱えることすら失念していた。

真下にいた生徒達は慌ててその場から次々と避けるように逃げ出す。

 

(危ない!)

アンリエッタは咄嗟に自分の杖を取り出そうとした。

しかし、ロレーヌの体は床に顔面から激突する寸前にピタリと止まっていた。

見ればオスマンが自分の杖を突きだしている。彼の魔法が間一髪間に合ったのだ。

しかし、床に静かに降ろされたロレーヌはショックで気を失っていた。

「御覧の通りだ。アンリエッタ女王陛下」

ワルドは勝ち誇ったように口元を歪めだす。

「次は誰も助ける暇はありませんよ」

手下のメイジ達は次々に杖を構えていた。

今度誰かが魔法を使えば容赦なく殺す気だ。

 

「無駄な抵抗はやめて大人しくサインをした方が良い。トリステインの未来を担う若者達の命は我らが握っているのですからな」

(どこまで卑劣なの……あなた達は……!)

キッとワルドを睨みつけ、拳を握り締めるアンリエッタ。

こんな理不尽かつ馬鹿馬鹿しい要求を受け入れるなど、あらゆる意味で無意味なのだ。

そもそも彼らは知っているのだろうか? 自分達の主が今頃、この世にはもういないことを。

しかし、それはアンリエッタにとってもまだ確信していることではないし、たとえそれを材料に彼らを説得しようにも無駄なことだ。

何しろこのワルド達は、死した操り人形。アンドバリの指輪の力によって蘇り、主からの命令を実行するだけの木偶人形でしかないのである。

 

だが人質の命を盾にされている以上、無下に拒絶することもできない。アンリエッタは困り果ててしまった。

「……国璽(こくじ)は王宮にあります。今、ここではその協定書にサインはできません」

「もちろん、分かっておりますよ。ですから、あなたの代わりに誰かに持って来させるよう、まずは王宮に手紙を送って頂きたい。あなたの命令とあれば王宮の連中も素直に従うでしょう」

どんな法律を制定する際にも必要となる、王家の紋章が刻まれた判子。

王の署名と、国璽による紋章が刻まれることで初めて公式にも影響を持つ正当な書類として認可される。

どんなにこの協定書が馬鹿げた内容だろうと、その二つが揃えば正式なものとなってしまうのである。

「近衛の連中など呼び寄せようものなら、彼らがどうなるか分かっていますね? ここに呼んで良いのはマザリーニ枢機卿……もしくは母君のマリアンヌ太后のどちらかのみだ」

アンリエッタは悔しげに唇を噛み締めた。

もはや選択の余地はないのか。

あと一息でレコン・キスタを壊滅させられるというのに、その目前でこんな形で屈辱的な敗北を迎えなくてはならないとは。

どうにかしてこの事態を打開する方法はないものだろうか。

 

「ああ、待ちたまえ。ワルド君」

アンリエッタが苦悩し沈黙する中、オスマンが立ち上がる。

「いきなり王宮にそんな無茶を言ったってすぐ納得しやせんよ。下手をすればそれこそ無視されるだけかもしれん。ワシも一筆を書くとしよう」

そこでアンリエッタはオスマンの顔を見て我に返った。

彼が一瞬、こちらに目配せをしてきたのに気付いたのである。

その目は最初にどこかとぼけた冗談を口にしていた時とは別人のように真剣だった。

 

「そうですわね……あの頭の固いマザリーニを納得させるには、生半可な文書ではまず無理です。あなたも元魔法衛士隊なら、彼の性格をよく知っておいでのはず。違いますか?」

「まあ、言われてみれば確かにそうですな。鳥の骨は融通がきかない厄介な奴だ。よろしい……」

さすがのワルドも納得したようである。

オスマンが〝少しでも時間稼ぎをする〟という意を察し、アンリエッタは信じてみることにした。

 

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  • 登場人物
  • 世界観
  • 読みやすさ
  • 話の展開
  • 戦闘シーン
  • 主人公の描写・設定
  • 悪魔の描写
  • 脚色したオリジナル描写・設定
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