前世の記憶を取り戻したら、原作開始前に死亡する予定のラスボスの妻になっていた件について 作:しらたま大福
カチコチと時計の秒針の音だけが静かな部屋にこだました。ここは鶴見中尉が使っている彼個人の執務室、部屋の主である鶴見は現在別途で用事が出来てしまい、席を外していた。
父である鶴見篤四郎と話し合うと決め、いざ十六年前の事を聞くぞと意気込んでみればこの有様。初っぱなから出っぱなを挫かれたオリガは、怠そうにソファーへと体を沈めた。
父の気遣いで用意された和菓子と、ちょっといい茶葉で入れられたお茶に手を付ける気にもなれずに、ただひたすら父親の戻りを待っていた。
「……暇」
暇があると思い浮かぶのは、自分の相棒だった尾形百之助の事ばかりだった。
あの日、網走監獄でのっぺら坊と杉元を撃ったのは、間違いなく尾形百之助だったとオリガは確信している。インカラマッからの証言を元にすると、主犯はキロランケで尾形はキロランケに協力したと考えるのが妥当だった。
オリガは、キロランケから取引を持ちかけられたという話を尾形から全く聞いていない。つまり尾形はこの事をオリガに報告する気はなく、本当にオリガを裏切った事を意味する。そして――なぜかは分からないが、母ルフィーナを連れてアシㇼパ達と樺太へと旅立った。
確かに、オリガは大雪山でユクの中で二人で過ごしたとき、「自分が帰ってこなかったら、マーマを連れて逃げて」と話していた。でも、もしも尾形が完全にオリガを裏切っていたとしたら、その約束は守らなくてもいいはずだった。ルフィーナは娘のオリガから見ても、戦闘には何の役にも立たない普通の一般人である。誇れるとしたら、その抱擁力を感じるママみぐらいなものだろう。
なのに、尾形はルフィーナを連れて行ってしまった。そこに尾形なりの考えがあったのか、それとも母には何か他の特別な役割があるのか……そんなことをぐるぐるとオリガは考え込んでしまっていた。
「……分からない」
堂々巡りの思考をかき消すように、オリガはふと本棚へと視線を向けた。ずらっと様々なタイトルが並ぶ立派な本棚。あいうえお順、アルファベット順と分けられて並べられている几帳面さが全面に押し出された本棚。
「……あれ」
オリガはその本棚に違和感を感じた。本棚の中段右端から五番目にある本は、他の本達と比べて背丈が少し小さかった。何気なく、その本に手を伸ばし背表紙を引き抜く。ハードカバーの上から、さらにカバーを掛けられたその本をぺらりとめくれば、手書きの文字が記されていた。
「……これは、日記?」
西暦と日付が記されたそれは――よく見れば本ではなく古びた日記だった。ロシア語で記された日記の一ページには、『私たちの天使が生まれた』と記されていた。そして、その言葉が記された日付に、オリガは心当たりがあった。
「これって……わたしの、誕生日」
日記の一ページ目に記されて日付は、間違いなく彼女の生まれた日であった。『私たちの天使』、オリガの誕生日、そしてこの日記があったのは鶴見の執務室。その事柄から推測されるのは――この日記は、長谷川幸一のものだろうということだ。
オリガは、恐る恐るページをめくっていく。見るべきではない、そう頭では分かっているのに、自分の意思と反するようにオリガの手は次のページへと伸びていた。
日記の中に記されたのは、ごくごく普通の新米パパの日常だった。初めて抱っこした娘の柔らかさに一周回って怖かったとか、娘が可愛すぎて仕事が手に付かないとか、初めて娘がずり這いをしたとか、そんなごく普通の父親の心情が初めは綴られていた。
そして、ある時から三人の生徒に日本語を教えることになったと書かれていた。
ロシアでわざわざマイナーな言語である日本語を学ぶなんて、物好きがいたのねと思ったところで、開いた窓から突風が入り込んだ。風は無防備な日記のページをいたずらにめくり、その間に挟まっていた紙すらも吹き飛ばした。
「あっ」
ひらひらと目の目に落ちた紙は手配書だった。『ユルバルス』、『ウイルク』と記された三名の似顔絵、オリガはそのうちの『ユルバルス』の顔に見覚えがあり、『ウイルク』の名にまさかと思った。
「ウイルクはアシㇼパの父親で、ユルバルスは……キロランケ?」
彼女の優秀な頭脳が、今までの情報を結んでいく。父が開いていた写真館に現れた三名の生徒、ウイルクとキロランケは北海道に移住して家族を持った。そして、優秀な父が秘密警察にその正体がバレるミスを犯さないという確信。
オリガは日記のページをめくる。
「ま……まさか、あの日の真実って――」
それらの事を合わせると、一つの真実にたどりついた。
「私たち家族をめちゃくちゃにした根源って――パルチザン?」
父の元にやってきた三名の生徒がロシア皇帝暗殺の実行犯であると仮定し、彼らの正体を知らないまま日本語の先生になることを承諾した父。そして、ある日生徒達の正体が秘密警察に漏れて、そのまま芋づる式で父親の正体がバレたのだとしたら――。
オリガ達家族に直接的な破滅をもたらしたのは――ウイルク達だった。もしも、この自分の予測が本当だとしたら……父は進んで自分たちを捨てたのではないのかもしれない。オリガはふとそう思った。
父を信じたい気持ちと、母の苦悩を見てきて許せないと思う気持ち。その二つがオリガの中で渦をまく。
「……決めたわ」
オリガは、父に尋ねる質問は一つで十分だと確信した。
***
鶴見が用事を終えて執務室へとやってきた。娘のために用意していた和菓子とお茶は綺麗になくなっており、鶴見はそのことにニッコリとした。まるで前々懐いてくれなかった野良猫がようやく餌に食いついてくれたのを見た人間の表情であったが、オリガはあいにくの所それに気づかなかった。
鶴見が娘のために新しいお茶を入れ、目の前に出せばチラッとオリガは鶴見に視線を送った。
「一つだけ聞かせて」
「なんだい」
「……今でも、私達のことは愛してるの?」
オリガのその言葉に、鶴見は目尻を緩ませて慈母のような笑みを浮かべた。
「――もちろん、愛している」
柔らかい鶴見の声が、オリガの凍てついた心を――溶かした。
オリガは大きく「はぁ……」とため息をついた。心底呆れましたと言わんばかりに意識して眉をひそめているが、その口元が嬉しそうに弧を描いているのを鶴見は見逃さなかった。
(きっと今それを指摘してしまえば、きっとオリガは怒ってそっぽを向くだろう。ここは何も知らないふりをするのが正解か)
そう思って、鶴見は黙って愛しい娘の動向をうかがった。オリガは忙しなさそうに視線をさ迷わせ、意味もなく自分の爪を眺めたりもしていた。
「オリガ、どうしたんだい?」
そう鶴見が問いかければ、そっぽを向いた母親譲りの淡い色彩の瞳が、ちらりと鶴見を視界に捉えた。
そして、わざとらしく不機嫌そうな声音で彼女は語る。
「分かったわ――“パーパ”。仲直りしてあげる」
「……私を、許してくれるのか」
鶴見からの問いかけに、オリガは小さく頷いた。
「えぇ、大事なものは過去より未来でしょ。だから、これからに期待ってことにしてあげる」
「君の未来に、私も入れてくるのかい?」
「……分かりきったことを聞かないで頂戴」
「そうだな、うちの恥ずかしがり屋のお姫様にこれ以上聞くと怒られちゃうな」
「~っ、もうパーパったら!!」
今にも恥ずかしさのあまり殴りかかってきそうな娘の姿を見て、ついつい鶴見の頬はデレデレと緩んでいった。娘のデレは嬉しいものである。
「すまん、すまんそんなに怒るな。ついついオリガを可愛がりたくなってしまうんだ」
「そういうのいいから本当に!!」
「分かった、分かった。真面目にしよう」
すうっと小さく深呼吸をした鶴見は、鶴見中尉としての表情をオリガの前で見せた。その真剣な眼差しに、オリガの背は自然と伸びそのまま交渉モードへと入る。
今この場に漂う雰囲気は、さっきまでじゃれ合っていた余韻を一切感じさせなかった。そこにいるのは二人の知将だった。
「じゃあ単刀直入に言うわ、私も樺太に連れて行って」
「分かっていると思うが、樺太にはのっぺら坊と杉元を撃ったキロランケ達がいて危険がつきまとう場所だ」
「勿論分かっているわ。でもマーマがアシㇼパ達といるのは間違いないし……それに、尾形を一発殴ってやらないと気が済まないの」
尾形がどんな事情で自分を裏切ったのかは知らない。だが、あんなにもしつこく「相棒」だと言っていたのに、それを一切信じなかった尾形のその頑な態度にむかつくこともあるのまた事実。とりあえず、言い訳を聞く前に一発アシㇼパから貰ったストゥでぶん殴りたくて仕方がなかった。
そして――鶴見が妻子を置いて帰る要因を作った、
「それに、どうせパーパはこの間の“バッタ駆除”の後始末で直ぐにここを離れられないでしょ?」
「あぁ、だから先遣隊を出そうと思う」
現在、鶴見が考えている先遣隊のメンバーは、杉元、鯉登少尉、月島軍曹。多分恐らく本調子ではない杉元をバックアップし、インカラマッの敵を取りたいと谷垣も志願すると睨んでいる。だがこのメンバーでは、脳筋的な意味では万全ではあるが、頭脳的な面としては少々物足りない。
「だったら、その中に私も入れて。きっと役に立って見せるわ」
だから、ここからいますぐ離れられない鶴見に変わって、自分が入るとオリガは立候補した。
「……オリガは誰に似たんだか、似て覚悟を決めたら曲げないやっかいな性格だからなぁ。こっそり荷物に紛れて樺太に渡られては困ってしまう」
「ふふ、パーパは私の事がよく分かっているようで」
「これでも、君のパーパだ」
鶴見は諦めたように眉を下げた。
「――分かった。許可しよう」
「ありがとうパーパ、お礼にキスでもしてあげようか?」
「可愛らしいお嬢さんからキスして貰えるのは嬉しいね、ではいただこうか」
オリガに向かって頬を差し出し、「じゃあここに」とにっこにこで言ってくる自分の父に、オリガはピクリと固まった。
「ちょっと……冗談なんだけど、真に受けないで」
「……残念だ」
またいつの日かみたいに、捨てられた子犬のような顔でシュンとしてしまった父の姿に、なんだかオリガは罪悪感を感じてしまった。
「……まぁ、樺太からマーマを連れて帰ってきたら考えてあげないこともないわ」
「そうか、では楽しみにしているよ!」
打って変わってハイテンションになった鶴見の姿に、オリガは何だか騙された気分となった。