前世の記憶を取り戻したら、原作開始前に死亡する予定のラスボスの妻になっていた件について 作:しらたま大福
ヴァシリ・パヴリチェンコには八歳年上の大好きな姉がいた。姉の名は、ルフィーナ・パヴリチェンコ。ヴァシリの茶髪と違い、父親譲りの金髪に青い瞳を持つ美しい女だった。ヴァシリの両親は仕事で忙しく、幼いヴァシリの面倒を見ることができなかったため、ヴァシリは幼少期のほとんどの時間を姉と共に過ごしてた。
母親がわりの姉は人とちょっとズレているところがあったが、優しく聡明で、とっても美人で街ではちょっとした有名人だった。ヴァシリはそんな自慢の姉が大好きであった。
ヴァシリが絵の才能を開花させたのも、実は姉のおかげである。最初は、暇つぶしに姉の似顔絵を書いたのが始まりだ。姉のフィーナは、ヴァシリに激甘だったので自分の似顔絵を描いてもらった際にヴァシリのことをそれはもう褒め殺しした。ヴァシリも大好きな姉にもっといっぱい褒めて貰いたくて絵の練習をいっぱいし、大きくなった現在では画家になれるほどの腕前にまで成長したのであった。
ちなみに、姉の絵の才能はヴァシリが味が合って悪くないと慰める程度の腕なのでお察しである。
フィーナもヴァシリの事を愛していたし、ヴァシリもフィーナの事を愛していた。
さて、そんな仲の良い姉弟ではあったが……、なんとヴァシリの前に姉との時間を邪魔する人間が現れたのである。
その男の名は、長谷川幸一。当時ウラジオストクの外れに写真館を開いた変わり者の日本人であった。フィーナは溺愛するヴァシリの写真を残すために、ヴァシリと共に写真館へと訪れた。
それが――全ての間違いだったと、今のヴァシリなら思う。
フィーナはそれがきっかけで長谷川幸一と恋に落ち、そして結婚した。大好きな姉は、パヴリチェンコ家を出て長谷川家で暮らすことに。姉と会う時間が極端に減ったヴァシリはそれはもう盛大に落ちこんだ。それこそ、大好きだった絵を描くと姉を思い出して寂しくなるくらいには盛大に落ち込んだ。だから、新たな趣味を見つけるために狙撃を始め、その才能すらも開花させることになるのだが……一旦それは置いておこう。
フィーナが長谷川幸一と結婚して三年目、ヴァシリはついに叔父さんとなった。大好きな姉の腕の中には小さな小さな可愛い命が抱きかかえられていた。姪っ子の名は『
ずっとこの先も可愛らしい姪っ子の成長を見守っていけると、そう信じていたのに――。無残にも彼の元に届けられたのは、「長谷川写真館が燃え、姉と姪っ子とついでに義理の兄が行方不明」という話だった。
どうやら、義理の兄は日本側のスパイであり、それがバレて秘密警察とドンパチやったのだという情報を聞いた。秘密警察との交戦によって、姉と姪は恐らく……もうこの世にいないのだろうという結論になった。誰もがフィーナとオリガの生存を諦めた。
だが、ヴァシリは姉と姪の死を頑なに認めなかった。姉と姪は生きている、その死体を見るまでは彼女たちがどこかで元気に過ごしていると信じて疑わなかった。だから、ヴァシリは姉たちを探すために、国境守備隊に志願した。
そして、今日――その念願の手がかりを掴んだ。
「近いうちに皇帝殺しの実行犯が、南樺太からロシアに密入国する。国境を越える際は遊牧民族の中に紛れているだろう。橇が走りやすい幌内川の開けた湿地帯に沿って北緯五十度線をまたいで来るはずだ」という情報を元に、国境守備隊は遊牧民族の中に紛れている「ユルバルス」を捕まえるために森の中でその時を待っていた。
そして現れたウイルタ族のそり、乗っている人数は七人。その中に、日本陸軍の最新式の小銃である三八式歩兵銃を装備している人物がいた。ヴァシリは迷い無くその三八式歩兵銃を持っている人物を狙撃した。
残念ながら、ヴァシリが狙撃したのはウイルタ族だった。相手方の狙撃手は無事、逆に国境守備隊のイリヤが狙撃された。こちらが狙撃され、わずかに隙が生まれた瞬間――相手方は一気に森の中へと逃げていく。ふと、その逃げていく一行の顔を視認したその瞬間。ヴァシリは信じられない光景を目の当たりにした。
『……ルフィーナ?』
森へと逃げていく人影の中に、姉のルフィーナによく似た女がいた。そして、一行の中には十代の少女もいたのである。
あぁ……やはり姉と姪は生きていたのだ!! ヴァシリは己の胸が歓喜するのを感じた。銃を抱え直し、一行が逃げていった森の方へとヴァシリは歩みを進める。
無意識に早くなりそうな足を止めたのは、他の国境守備隊のメンバーだった。
『ヴァシリ! どこへ行く? 彼は今重傷だ!』
『……皇帝を殺した男を逃がしてしまう』
皇帝殺しを捕まえることも重要ではあるが、ヴァシリにとっては姉と姪を安全なところに隠す方が先だと思っていた。だが、姉たちを連れていた相手が素直に二人を差し出すわけが無い、だからヴァシリは戦う必要があった。
『イリヤを撃った奴は頭を狙えたはずだ。腹を撃ったのは、足手まといにして我々から逃げるためだ』
ピンポイントで腹を撃ち抜き、わざと殺さず足手まといにする。それを難なくやってのけた相手の狙撃手は、かなりの手練れであるのは確実だった。これからは長い戦いになる、ヴァシリはそう予想していた。
撃たれたイリヤもそんな現状をよく理解していた。痛みで苦悶の表情を浮かべるイリヤは、ヴァシリ達に向かって声を張り上げた。
『追え!』
イリヤの声に、ヴァシリは動き出す。
それは、スナイパー同士の戦いが始まる合図だった――。
【補足】
ヴァシリの出身地は、原作では「ロシア帝国エレニンカ」ですが、この話では主人公と一緒という独自設定でお願いします。