アグネスタキオンさん達に電話をして分かったのは、俺はシンボリルドルフさんに嫌われている訳ではなかった、という事。
何となくそんな気はしていましたが、矢張り早とちりだったのでしょうか。
これだから人の気持ちを汲み取るのは苦手なのです。
嫌いなら嫌い、と。
そうじゃないならそうじゃない、と口で言って頂きたいものです。
いや、面と向かって″嫌い″だなんて言われてもそれはそれで心にクる物がありますが。
しかしシンボリルドルフさんに嫌われていないと分かった所で、核たる論点はそこではなくて。
今朝の様な過度なスキンシップをどうにかしない事には、俺の理性は崖っぷちに立たされたまま。
このままあの肉食獣のような瞳で見つめられ続けろと。
あのじわじわと外堀を埋める様な誘惑に耐えろと。
情けない話ですが無理ですとも、ええ。
いくら信頼の表れだとしても、ああも直球に甘えられると、ふとした拍子に彼女を女性として意識してしまいそうになります。
そう、彼女を異性として意識してしまったが最後、長年保ち続けてきた理性が木端微塵に粉砕されるのは火を見るより明らか。
仕方ありません、人間だもの。
そもそも彼女は高等部3年目。
俺と2つしか歳が離れていないという事実。
これによってトレーナーとウマ娘間の恋愛でありがちな、年齢という壁が有って無いような物になっているのです。
通常そういったものは無い方が良いというのが世間一般の論でしょうが、この場に限っては有って欲しかった。
それに加えて人間的な部分は勿論の事、彼女はルックスも破壊力抜群。
端正な顔つきに、偶に顔を覗かせる意外と幼さのある言動。
止めましょうよ、その見た目で俺に抱きついたりするの。
それだけ自分を曝け出して頂けるのは、嬉しく思います。
いずれ来たる羽ばたきの日へ向けて、いつでも翼を休められる止まり木のような。
皇帝としてじゃない、本当の彼女自身に寄り添って差し上げられる、そんな存在でありたい。
それは、彼女のトレーナーという使命をこの身に受けた時から一時たりとも忘れる事の無かった誓いであり、覚悟。
そう思えば、理性が砕けそうな程に甘えられているこの現状も强悪くないのかもしれません。
でも、そうじゃない。
そうだけど、そうじゃない。
そもそも彼女に手を出してしまってはそれは本末転倒以外の何物でもない。
彼女に疚しい企みなんてある筈が無い。
此方が一方的に穢れた欲望を滾らせているだけ。
……彼女の夢に対する想いを裏切るような事はあってはいけません。
絶対に。
ただ、皮肉にもこの世においてはそうは問屋が卸さなくて。
当の彼女と一日中一緒に居なければいけないという
そんな状況で抱きついたりなんてされたら。
想像も憚られます。
今も昔も、学園内外でやたらトレーナーとの身体的距離の近い生徒が散見されていますが、他のトレーナーの方々はいつもこんな気持ちを味わっているのでしょうか。
もしそうなら彼らの気苦労が知れません。
トウカイテイオーさんのトレーナーである式間さんとか一体どんな精神力をされているのだか。
……もしかして、こんな気持ちになっているのは俺だけですか?
俺が変に意識してしまっているだけですか?
俺の煩悩だらけなのが全て悪い?
そういえば、式間さんも先週トウカイテイオーさんに食堂のど真ん中で「あーん」されている時も平然としていましたね。
周囲のざわめきも当然かのように遇って、何ならちゃっかりお返しも然り。
あっ、これやっぱり俺がおかしいのかも。
式間さんはトウカイテイオーさんにくっつかれていても何も感じないのでしょうか。
人の心を、いや男性としてこの世に生を受けて男性の心を持っている以上そんなことはない筈。
いや、あってたまるか。
……迷っていてもキリがありません。
こうなれば本人に尋ねるに限ります。
もしかしたらそこから平常心のコツが分かるかもしれませんし。
今日でこの通話ボタンを押すのも3度目。
ええい、聞ける内に聞いてしまいましょう。
きっと式間さんも俺と同じ悩みを抱えている筈。
解決は無理でも、せめて共感出来る仲間が欲しい。
天「(お願いです、そうであって下さい……)」
既に二度お世話になった通話ボタンに本日最後の仕事をして頂くべく、それを強くタップする。
暫くして、お馴染みの無機質な電子音がスピーカーから流れ始めた。
(以後 式間トレーナー・・・式)
『PRRRRRRRR…』
ピッ
式『どしたー天風ー』
スマホの向こうから返って来たのは、気だるげで何処かふわふわとした声。
外を歩く度に学園中の生徒は疎か女性トレーナーの方々さえも骨抜きにしているのも頷けます。
ちょっとで良いからその能力、分けて欲しかった。
天「急に申し訳ありません」
式『いやいやー。
君から連絡くれるなんて珍しいなーって思ってさー。
んで、どしたのー?』
天「……あの。
貴方はよくトウカイテイオーさんに所構わずくっつかれてますよね」
式『んー、ま、そうだねー。
そういうお年頃だからかなー?』
天「そういう時って、どんな気持ちですか。
羞恥心じゃないですけど……なんかこう、変な気起こしたりとか」
式『あー……まぁ内心穏やかじゃないよねー。
だってさー、ウマ娘ってみんな可愛いじゃんー?
そんなのに抱きつかれてたらこっちもたまったもんじゃないよねー』
良かった。
誑しで有名(?)な式間さんでも、俺と同様に感じてはいらっしゃる模様。
そうですよね、男は男ですからね。
天「うーん、では何かそういう時に平常心を保つコツってあったりしますか。
ほら、先週みたいに公衆の面前で『あーん』されても一線を引き続けられるような」
アレ見てたんだー、と溜息に近い言がスマホの向こうで吐き出される。
当たり前でしょう、学園内の数多の女性の羨望を一身に受けているのですから。
式『……平常心ねー。
まず、担当の事は娘だと思う事かなー。
流石に自分の娘に手を出す父親はいないでしょー?』
天「へえ……!」
早速具体的な対策が。
親子の意識を持つには少々年齢差が足りない気もしない訳ではありませんが。
しかし、何もしないよりかは幾分かマシでしょう。
彼女の猛攻に白旗を掲げる、それ即ち二人の夢が潰える事を意味するのです。
それを防ぐ為なら何だってやってやりますよ、ええ。
式『後は、死んだ婆ちゃんとかの顔思い浮かべたりー』
天「ええ」
式『舌を噛み切る事で痛みで気を紛らわせたりー』
天「ええ……?」
式『それと、五感をシャットアウトする事ー。
あのコたち、五感フルに使って攻めてくるからさー。
目、耳、鼻、口、肌から入ってくる感覚を全て忘れちゃえばそれ程気にならないもんだよー』
天「ち、ちょっと待って下さい」
そんな急に人間を卒業されても。
五感をシャットアウトするのは、単細胞生物の類でない限り不可能かと。
天「あ、あの。
もっと現実的な対策を……」
式『現実的、かぁー。
コレが駄目なら、その時は″鋼の意志″の出番だねー』
……ハガネノイシ……?
ナニソレオイシイノ?
天「……ごめんなさい、その″鋼の意志″って何ですか。
根性で何とかしろということでしょうか」
式『あー、違う違うー。
今担当ウマ娘の距離感に悩む男性トレーナーの間でちょー有名なんだよー』
天「えっそうなんですか」
初耳。
交友関係が絶望的な俺においては当然かもしれませんが。
……何故でしょう、自分で言っていて涙が出てきました。
式『うんうんー。
ところで今君どこいんのー?』
天「トレーニング場からすぐの通路ですが」
式『んー、じゃあ周りに倉庫みたいな誰にも聞かれないトコってあるー?』
そう言われて辺りを見渡す。
ある程度開けたこの通路で誰にも話が漏れない場所。
天「……だいぶ古い用具庫ならありますが」
式『おっ、んじゃそこ入って話しよー。
聞かれたらマズイって訳じゃないんだけどさー、あの娘たちに聞かれて対策されたらイヤだからさー』
天「あっ、はい」
耳の利くウマ娘の事です、此方の対策の流出防止も恙無く。
それを怠ったが最後、その情報は瞬く間に全生徒間で共有され、″対策の対策″が講じられます。
そして為す術を失くした男性トレーナーは各々の愛バにより理性を打ち砕かれ、寿退社という形でこの業界を去っていくまでが一連のオチ、所謂″トレ婚″です。
そうして思わぬ形で幸せに(?)なっていく男性トレーナーが後を絶たないのです。
しかし、勿論俺達遺されたトレーナー陣も黙って唇を噛んでいる訳には行きません。
隙あらば担当トレーナーを手中に収めるべく目を光らせるウマ娘。
うちのシンボリルドルフさんに限ってそのような事は無いと思いますが、鋼の意志とやらが男性トレーナー陣の間で対ウマ娘用の盾としてある程度ポピュラーな存在である以上、易々と口外しない義務が俺にも発生するものです。
道外れに佇む廃れた用具庫のドアノブに手を掛け、錆びた蝶番を豪快に軋ませながら扉を開く。
吹き込む風に乗った埃がむず痒さと不快感を助長するが、なにぶん古い建物なのだから仕方がないと自分に言い聞かせる。
心配事は少ないに越したことはありません。
念には念を押して後ろ手で外との境目を遮断した。
ギィィィィ……
パタン
式『……んでさー、葵ちゃんって知ってるよねー?』
天「葵ちゃん……。
あぁ、桐生院トレーナーですか。ハッピーミークさんのトレーナーの方ですね。何度かお目にかかった事がありますが、何でも代々家に伝わる白書をもとに指導をしてらっしゃるのだとか。芝もダートも全距離走れるなんて驚きですよね。能力のムラの無さにも目を見張る物があった事を今でも覚えています。あのオニゴーリの様なバランスの良さ……″短所の無さこそ最大の長所″を具現化した様な走りが印象的でした。突出した武器が無いと言ってしまえばそれまでですが、戦術や走法次第でいくらでも化ける変幻自在の素質をお持ちの方でした。いちトレーナーとして、彼女の指導要領やコツを参考にさせて頂きたいものです。以前彼女のトレーニングを見学させて頂いた際に1280通りのパターンでシミュレートしてみたのですが、主に重バ場の時に……」
式『うん、オニゴーリが全部持ってっちゃって全然話が入ってこないかなー。
ま、そーゆーカタイ話は抜きにしてさー。
鋼の意志ってのはその葵ちゃんがくれるスキルなんだよねー』
天「スキル……ってそれウマ娘用ですよね」
スキル。
それはレース中に発動する、レースを有利に進める為の物。
加速や妨害、コース取りの補助、スタミナの回復、更には掛かり防止などなど、種類によって効果は多種多様。
例としては、比較的シンプルな通常スキル、上位互換のレアスキルに加えて近年の研究によって明らかになった、個人に発現する唯一無二の個性、所謂″固有スキル″の三つが挙げられる。
現在進行形で詳しい研究が進められているものの、具体的な仕組みや謎の存在、スキルPtなる物との関連性等未だ不透明な要素が多いのが現状。
しかし少なくとも、レースにおいて重要な役割を担う事項である事だけは確かである。
ただそれは、あくまで
俺はウマ娘でもなければレースにも出走しません。
第一鋼の意志というのはレース序盤または中盤に前が詰まった時に強い意思を保ち持久力が回復するといった、スタミナ回復系レアスキルの一種。
今日俺が陥っている窮地には石に灸のような気が。
式『んー、なんか人間用に改良されたやつもあるらしーよー』
天「人間用……。
えっ、そもそもスキルってレース中の……」
式『はいはい、細かい男はモテないぜー』
天「アッハイ」
ええい、この際もう何でもいいでしょう。
悠長に文句を垂れていられる状況ではないのです。
人間用だろうがウマ娘用だろうがレース用だろうが何だって来なさい。
危ない香りが漂っていますが、手段はもう選べませんから。
天「で、その人間用の鋼の意志とやらはどういったスキルなのでしょうか」
式『ふっふっふー♪
その名の通り、掛かりに掛かったウマ娘の猛攻にもカンタンに耐え得る鋼の意志を発揮するスキルさー。
何でも、誰しも内に秘めし精神力と忍耐力を覚醒させるんだとかー。
新人からベテランまで、一部の層の男性トレーナーの御用達だぜー』
……精神力の覚醒?
一部の層の御用達?
天「その鋼の意志っていうのは薬物か何かですか」
式『違うってー。
スキルだって言ってんじゃんー。
ま、賞味期限はあるけどねー』
よし、俺はもうツッコみません。
この種の会話でいちいちツッコんでたらやってられない。
天「……まぁそれを習得すると例えウマ娘に抱きつかれても平常心を保てる、と」
式『あっ、信じてないなー?』
天「そんなアブナイ物信じる方が特殊かと」
式『まあまあ、そーゆーのは試してみてから言うもんだよー。
ちょっと待っててー。
今そっちに送るからさー』
ピッ
天「えっ」
……送るって何を。
スキルを。
鋼の意志を。
スキルって送れる物なのですか。
送るってどういう事ですか。
そもそもそんな簡単に貰える物なんですか。
天「(よし、考えるのやーめよ)」
情報過多によるこれ以上の混乱を防ぐ為思考を捨てた。
程なくして\ シャキーン /という謎の効果音と、目の前にスキル獲得、の文字が。
『PRRRR』
あ、式間さん。
ピッ
式『例のブツ、届いたー?』
天「な、なんかスキル獲得って文字が」
式『お、うまくいったみたいだねー良かったー』
……今ので俺は鋼の意志を受け取ったと。
うーん、鋼の意志、ヨクワカラナイ。
天「えっと、今の所何の変化も無いのですが」
式『そりゃそうでしょー。
まだ発動してないんだからさー。
そいつはピンチの時に発動するんだぜー』
天「は、はぁ」
式『ま、ソレと君の精神力があれば何とかなるっしょー』
何と言うか、凄く置いてけぼりにされた感は否めませんが。
しかし、確かにスキルの力を借りる事が出来るのは心強いですね。
実際の効果は置いておくとして、スキルの存在自体が心の余裕に。
そして心の余裕というのは、きっと理性の死守の一番の材料だと思うのです。
天「何だかよく分かりませんがありがとうございます」
式『てかさー、何で急に平常心のコツなんて聞いてきたのー?』
そう問われて焦る。
言えない。
最近シンボリルドルフさんのスキンシップが激しくて、生徒に対して向けては行けない感情を抱いてしまって、理性が危機を迎えているだなんて口が裂けても言えない。
天「あー……えっと」
式『……どーせルドルフちゃん関連でしょー』
天「なっ、何故それを」
式『君がルドルフちゃんにくっつかれてタジタジしてるの結構見るんだもんー』
天「えっ」
式『今朝なんてあのコ君に抱きついてたよねー。
ダイタンだよねー』
式『(どーせ君の事だからあのコのアピールちゃんと伝わってないんだろうなー)』
天「……アレ見られてたんですね」
誰かに見られますよ、と俺は彼女に忠告したのに、言わんこっちゃない。
しかし彼女はそんな事気にも留めないでしょうが、何故か世間から後ろ指を指されるのは俺。
結局俺だけが圧倒的被害者なのです。
嗚呼、社会って不平等。
彼女には一切の劣情が無いだけに、尚更悪質。
何処まで俺の心を掻き回せば気が済むのでしょう。
天「いやあ……信頼して頂けるのは嬉しいのですが、誤解を生むような言動はなるべく控えて頂きたいものですよ、やっぱり。
マスコミに熱愛報道って形で取り上げられても困りますからね」
式『……それ、誤解じゃないかもよー?』
天「……?」
式『ま、俺はお二人のキャッキャウフフに首を突っ込む様な野暮なマネはしないからさー。
よろしくやっといてよねー』
天「よろしくって……」
声で分かる。
この人今絶対ニヤついてます。
貴方がキャッキャウフフしてどうするのですか。
式『ま、それは置いといてさー』
式『……君らも、変わったよねー』
天「……俺達が、ですか?」
一呼吸置いて彼から放たれたのは、意外な一言。
人間、変化の生き物ですから、経年で見た目や内面が変わるのも当然かと思いますが。
式『うんうんー。
だって君、3年前なんて真面に人と喋れなかったじゃんー。
人が怖くてさー』
天「はは……昔の事じゃないですか」
式『ルドルフちゃんもさー、君の前だとよく笑うもんねー。
3年前は笑顔なんて全然見せてくれなかったのにさー』
確かに俺は兎も角として、シンボリルドルフさんの笑顔を見る事が多くなった気がします。
俺は彼女の日々の彩りにお力添え出来ているのでしょうか。
そうして彼女の笑顔が増えていくなら、それは何ともトレーナー冥利に尽きるというものです。
何にもない、空っぽの俺の、たった一つの生きた証。
それが、彼女の幸せですから。
式『そんな君らが今となっては惚気けるなんてさー、変わったなーって思ってー』
天「の、惚気けてはないですっ」
式『なはははっ、言ってろ言ってろー』
式『……あ、やべー。
充電切れそー。
ごめん切るよー』
天「え、えっ」
ピッ
天「……。」
……充電くらいしておきましょうよ。
……式間さんは、掴み所の無い方です。
ふわふわした印象と、「……」の多い俺に対して「──」の多い話し方で、よく不思議な人、という扱いを受けています。
トウカイテイオーさん曰く、『何考えてんのかよく分かんない』そうですが、そう語る彼女の表情は何とも嬉しそうでした。
まあ、それ故に人受けが良いんですけどね。
才能と言うべきか、能力というべきか。
きっと彼には不思議と人を惹き付けるそれがあるのでしょう。
その上、整った顔立ち・業績優秀・性格の良さの三拍子と来たら女性ウケも抜群。
トレセン学園内では彼のファンクラブさえ作られたくらいです。
勿論その筆頭はトウカイテイオーさん及びその取り巻き。
何ならその中には女性トレーナーの名もあるとかないとか。
……同時に俺のファンクラブも作られたそうですが。
誰得でしょう。
何処に需要があるのだか。
ほんと、物好きな人も居たものです。
……その割には大人気でしたけどね。
俺の何が人気なんでしょうか。
きっとあれは何かの間違いですね。
でなければ俺が式間さんと並べる筈がありませんから。
それにしても、結局鋼の意志とは一体何だったのでしょう。
未だによく分かっていませんが、聞いた限りではシンボリルドルフさんの激しいスキンシップに耐えるのをアシストしてくれる、という事でしょうか。
まあ式間さんの事ですから態々無駄な物を寄越したりはしない筈。
これはこれから始まる一世一代の耐久戦に向けて期待が持てるのでは。
よし。
鋼の意志は習得しましたし、シンボリルドルフさんの気持ちにも気付けましたし(気付けてない)、今日の俺は一味違います。
これなら、シンボリルドルフさんとこれから一日を過ごす中で何をされても耐えられる筈。
天「……よし、やってやりますか」
そう意気込み、薄暗さの染み付いた倉庫を後にしようとドアノブに手をかけた、その時。
……! ……ラ…ギ……
天「……ッ」
ああ、また。
また、
……ダナ…?ハ……二…イダロ…
天「…ぁ…ぐっ、あぁ…ッ…」
タイミングこそ悪いものの、好都合だ。
この場所なら、誰も傷つけない。
最悪の事があっても、他の人を巻き込む事は無い。
…ンド…シテキタ…ウ…ツラハ…テキ…ンダ…
天「…が…ッ…や…やめて…下さ…い…!」
頭が張り裂けそうだ。
頼む、やめてくれ。
俺はもう、あの頃の天風 樹は捨てた。
優しくて、強くて、何でも出来る新しい天風 樹に生まれ変わったんだ。
これ以上俺に現実を責めないでくれ。
許して下さい。
お願いします。
ヤメ…クレダッテ…?
ジャアイッテ…ロ…オ…エノ…ゾクヲコ…タノハ…レダ?
…マエノ…ンユウヲコ…タノハダレダ?
その乞いさえも嘲笑うように、奴の声は鮮明さを増すばかり。
何処かで聞き覚えのある。
……いや、
こレで、分かッタだロウ……?
天「……止めて下さい……っ!!」
人は信ずルに足ル生き物などデはナい……
天「……ぁ…ぐぁぁ…ッ…」
<信じられるのハ己ダけ……>
天「…!来、来なっ、来ないで下さい!!」
<それは、お前が一番分かっているハずだろう…?>
天「うッ…ぅぁっ…」
<……なぁ?
人殺しよ>
天「うわぁぁあああああ!!!」
天「あぁ…ぁ……っ」
天「ハッ……ハッ……」
バタンッ!!
壁に力なく寄りかかって肩で息をしていると、大きな音と共に倉庫の扉が開けられた。
射し込む逆光の所為で誰かは判別出来ないが、二人組である事だけが確かだった。
しかし、それが誰であるかも間も無く知る事となる。
ゴ「……こんな所にホントに誰か居ンのかよ……?」
タ「いや、気の所為ではない筈だ。
叫び声の様な物が聞こえた気がしたのだが……
って君は天風君」
天「ぁ……アグネスタキオンさんと……ゴールドシップさん……?」
タ「お、大きな声が聞こえたから駆け付けたのだが……まさか、あれはトレーナー君が……?」
天「……アレを、見てましたか」
いつかは、誰かに知られると思っていた。
それが今日だっただけだ。
別にどうということもない。
ゴ「お……おい、何があったんだよ……。
何でそんな死にそうな顔してんだよ……?」
天「……俺は、大丈夫です。
……お気に、なさらず……っ」
これ以上二人に心配をかけるような真似はしたくない。
そう、これは俺が生み出した悪夢。
皆は、幸せな夢を見ていればそれでいいんだ。
だからここはさっさと此処を後にしてしまうに限る。
タ「立つな天風君!
その身体で大丈夫な訳が無いだろう!?」
ゴ「そうだぞ全身震えてるじゃねーかよ!」
タ「ルドルフ君は何か知っているのかい?
ここに呼ぼうか──」
天「……っ!?」
シンボリルドルフさん。
その名を耳にした途端、全身から血の気が引いていくのを文字通り肌で感じた。
天「待って下さい!!
シンボリルドルフさんには……!
……シンボリルドルフさんにだけは、言わないで下さい……」
タ「ルドルフ君は君の担当バだろう!?
今の君はどう見たって普通じゃないんだ!
どうしてルドルフ君が知っちゃいけないんだい!?」
ゴ「……ああ見えて心配性のアイツの事だ。
お前にもし万一の事があった時に……一番悲しむのはルドルフなんだぞ。
3年間ずっと一緒にいておいて、最後の最後でアイツは関係ありませんってか。
……それがどんだけルドルフを苦しめるのか。
ソレ分かってて言ってんのかよ」
天「だからこそ、何があっても彼女に知られる訳には行かない……。
詳しい事はお話し出来ませんが……シンボリルドルフさんにだけは……知られたくないのです」
タ「だからって……!」
鬱陶しいな。
もう放っておいてくれよ。
俺なんかにお節介焼く暇があるならもっと有意義な事に時間を使えよ。
所詮は他人の癖に。
タ「納得できないな。
如何なる理由があるとしても、君がルドルフ君の事を大切に思うなら尚更連絡すべきだ。
私だって君が苦しんでいるのを黙って見過ごせる程大人じゃないぞ」
天「……煩いです。
出て行って下さい」
ゴ「……理由が、あんだよな?
アイツに伝えられない、理由が」
天「……理由も無しに拒んだりしませんよ」
溜息と唸り声の混じったような中途半端な声を出して、ゴールドシップさんは天井を見上げる。
まるで迷っているような。
渋い表情を浮かべた後、何かを決断したように此方を向き直して、口を開いた。
ゴ「……そっか。
分かった。
アイツには黙っておいてやる」
タ「ゴルシ君、何を……」
ゴ「但し、条件が一つある」
壁を背に座り込んだ俺の目の前に、人差し指が突き付けられる。
薄桃の瞳に光る決意が、否の返事を俺から奪い取るようだった。
天「……条件」
ゴ「お前の身に何が起こっているのか、アタシらに教えてくれ。
安心しろ、誰にも言わねー。
ここにはアタシらしか居ない。
……こう見えて、約束は守るタイプだぜ、アタシ」
ゴ「これなら天風を見捨てる事にはならねえし、本当に拙い時にはアタシ達からルドルフへ説明出来る。
それでいいな、タキオン?」
タ「……君がそこまで言うのなら、そうしようか。
ルドルフ君への申し訳なさは否めないが、並々ならぬ事情があるみたいだしね。
私達が何か力になれる可能性だって捨てきれない。
私達を信じて、どうか話してはくれないか?」
天「……。」
ゴ&タ「……。」
ゴールドシップさんは嘘を言う事はあっても、約束を破る様な真似はしない。
これは長年の付き合いで培われた、信頼というよりかは確信。
アグネスタキオンさんも同じです。
これだけ俺の事を気にかけて下さっているのに、″所詮は他人の癖に″?
改めて自分の言動を振り返ると、先刻の自分を殴り飛ばしたくなるような弄れた思想に気付く。
優しい天風 樹なんて嘘っぱちです。
結局は、優しい天風 樹にはなりきれませんでした。
……いや、それを言うなら今こうして人と話している″天風 樹″の存在自体が偽りの仮面なのですが。
だけどこの2人の瞳は、何故か本当の俺を見透かしているような気がします。
表面上の張りぼてじゃなくて、弱くて醜くて、薄汚い俺の事を。
この2人には、矢張り真実を話すべきなのかもしれない。
これで良いのです。
遅かれ早かれ、いつかは真実を知る日が……即ち終わりの日が来る筈でしたから。
「……分かりました。
全てをお話します」
それから、俺は長い時間をかけて話しました。
俺の身に起こっている事を。
その先に待つ、最悪の未来を。
そして、錆び付いた過去を。
最初は時々頷いて聞いて下さっていた彼女達。
それも話の中盤までで、話を進めていくにつれて彼女達の開いた口は戻らなくなっていきました。
天「……と言う事です。
これが、俺から話せる全てです」
タ「……今、君が言った事は全て本当なのかい……?
いや何、疑う訳ではないがあまりにも悲惨過ぎて……」
天「俄には信じ難い話かとは思いますが……全部、本当です。
紛れもない、この世界に存在した事実なのです」
ゴ「……いやー……なんつーか、その……。
……やべぇな」
あのゴールドシップさんが言葉を失う始末。
無理もありません。
俺が話したのは、聞く人が聞けばお伽噺のように感じる程に現実味に欠けた話。
お伽噺程幸せな結末を迎える物でもなく、紐を解けば中身は滑稽な程に惨憺たる物。
天「貴女方の貴重なお時間を犠牲にしてしまい申し訳ありませんでした。
こんな辺鄙な場所に長時間居座っていては健康に悪いでしょう、今日はもうお開きにしませんか」
二人の表情が明らかに曇っている。
あんな話をしておいて、俺に出来るのは無責任にこの場を逃げるように終わらせる事だけでした。
タ「……分かった。
無理矢理聞き出すような形になってしまって済まなかったね」
天「いえ。
こうでもされなきゃ俺はきっと誰にも話しませんでしたから」
ゴ「……あのさ」
天「?」
ゴ「……ちょっと、アタシらの住む世界とは次元が違う話だったから力になる事は出来ないかもしんねーけどよ。
辛くなったら頼ってくれよな。
タキオンは知らねーけどアタシは基本いつでもヒマ人なんだからさ。
だってホラ、アタシらの仲じゃんか」
タ「私も、力にはなれないかもしれないが話し相手くらいにならいつでもなれるんだよ。
今まで君が、そうしてくれたように」
ゴ「大体オメーは昔から1人で溜め込みすぎだっての。
もーちょいアタシら頼ってくれてもいいんじゃねーの?
ただでさえ少ねー友達頼んなくてどうすんだよ」
タ「そうだぞ。
これじゃルドルフ君が可哀想じゃないか。
君の事を1番大事に思ってるのは他ならない、彼女なんだ。
その事を肝に銘じてくれたまえ。
彼女を泣かせるような事があれば私達が黙ってないからな?」
天「……ありがとうございます」
タ「ああ。
それじゃあそろそろここを出ようか、ゴルシ君。
あまり長くここに居て怪しまれるのは不本意だ」
ゴ「っはは、どの口が言ってンだよ」
タ「くれぐれも、無理はしてくれるなよ」
天「……はい」
何処となく覇気を欠いた表情を浮かべて、今一度釘を刺される。
そして彼女は袖の余った白衣を靡かせて扉の向こうへ消えていった。
その後を追うようにしてゴールドシップさんが倉庫を後にするべく扉へ向かう。
ゴ「……トレーナー」
しかし、その歩みは直ぐに止められて。
扉から射し込む陽の光を白銀の長髪に透かしながら、立ち止まってこちらを振り返った。
天「……何でしょうか」
ゴ「……終わらせる、とか変なコト考えんなよ。
約束だ」
天「……。
はい」
ゴ「……また、エデン探しに行こうな」
ギィィィィ──
バタン
ごめんなさい。
ゴールドシップさん。
貴女は俺との約束を守ってくれたのに。
俺はその約束を、守れないかもしれません。
どうも。
最近運動不足が目立つネオンです。
作者は今年受験生なので投稿がやや遅れてしまいました。
そしてこれからも遅れる事が屡あると思うので、ご了承ください。
さて、いよいよシリアス要素が入ってきました。
5話程後に全てが明かされるので楽しみにして頂けると嬉しい限りです。
因みに、オニゴーリの種族値はオール80。
ミークにぴったり。
え、だったらアルセウスの方が良かっただって?
ダートに埋めるぞ。