1
最初、カンパニーはトレセン学園に入学するつもりはなかった。
テレビの向こうで見ていた映像の中に、自分が入っていける気がしなかったのだ。
自分では無理だ。
挑戦したって、成功するはずがない。
そう思っていた。
カンパニーは、他人の目はどうアレ、自分を“普通のウマ娘”だと思っている。
歴史に名を残すような、G1を勝利するウマ娘とは違うと考えているのだ。そして、それ自体は別におかしなことではない。
当たり前に生きて、自分の中に特別を見出すことのできなかったものならば、別におかしなことはない。
そういう当たり前が、カンパニーの始まりだったのだ。
「……それがどうして、ああまでして勝ちたいって思うようになっちゃったんです?」
「言い方」
――転機は、何気ない母の一言だった。
「母さんが、言った。……私はレースを走らないのかって」
母は、当然だがウマ娘だ。しかし、ウマ娘としてレースで結果を出すことはできなかった。そんな、ごくごくありふれた普通のウマ娘。
だから、当然のように娘にレースを走る気はあるかと、そう問いかけたし……もしも娘にその気がないのなら、母はそれで納得しただろう。
多分、母はカンパニーが「その気はない」と答えると思っていた。だって、普段からレースを見るのは好きだけど、走るのが好きというわけではなかった。それに周囲のウマ娘の子たちのなかでも、特別カンパニーは才能があるわけではなかったからだ。
でも、違った。
カンパニーは少しだけ考える素振りを見せてから、
「私は、じゃあ走ってみようかなって……答えた」
「どうして?」
「……さぁ」
無表情で小首をかしげる。
話を聞いている相手――セイウンスカイもつられるように首をかしげてから、ええ? と不思議そうに反応を示した。
「正直、何も考えてなかった」
「ええ……」
「昔からそう、人生の重大な選択も、何となくその時の気分で、こっち……って決めがち」
――カンパニーとセイウンスカイをは町中を走っていた。人通りの少ない、開けた道である。この時間なら、このあたりをウマ娘が走っていることは不思議ではない。
実際、走り始めてから何度か、トレセンジャージのウマ娘ともすれ違っている。
スカイもジャージに着替えて、走る準備は万端だ。なお、制服の件に関しては、むしろ汚れたことがサボる言い訳になるので感謝したいくらいだとのこと。
カンパニーは少しだけホッとした。
そんな中、不意に見つけた空き缶をカンパニーは左利きで拾うと、近くの自販機に備え付けられたゴミ箱へと捨てる。
「左利きなんだぁ」
「ん、別に右でも左でもなんでもいい。ただ、小学校の頃にどっちかにしろって言われたから」
「……何となく左利きを選んだ?」
「うん」
わお、とスカイは更に驚いて見せる。
そんな人生の選択を、何となくで決めていいのかとスカイは思うが――でも、案外そんなものかもしれない。人生というのは、大きな覚悟やきっかけで変わるものではない。選択の積み重ねで変わるものだ。
……セイウンスカイが走る理由は、自分を応援してくれる祖父だ。もちろん、それに答えたいと思うにはいろいろな理由と積み重ねがあるのだが、
カンパニーという少女は、そういう何気ない選択で、何気なく前に進むことを選ぶタイプなのではないかと思った。やめるかやめないか聞かれた時に、カンパニーはまず真っ先にやめない、と答える。
よほど大きな理由がない限り。
「カンパニーさん、もう少し走る? セイちゃん少し疲れてきたところなのですがぁ」
「……もう少し行ける。スカイはここまで?」
「いやいや、カンパニーさんがやめるまで続けますよ、こっちから頼んだことだしー」
……こんな風に、辞める理由がないならやめない。
セイウンスカイは、カンパニーの中に有る執着の原点、無意識の頑固さをそこで読み取った気がした。
「……じゃあそうやって、カンパニーさんのレース人生は始まったわけだ」
そうやって、脱線した話を戻して先程の話を締める。
母が、そういうことならばと教室に通うよう手配してくれた。
やる理由があるなら、カンパニーはやる。母の厚意を無駄にしないためにも、カンパニーはとりあえず挑戦してみることにしたのだ。
そうしてわかったことは二つ。
カンパニーには、特別といえるほどの才能はない。
周りと同じように走って、周りと同じ様に成長する。晩成型故にその歩みは遅かったけれど、それでも別にとことん走ることに向いていないということはなかった。
そして、もう一つ。
走るのに向いていないわけではないということは、普通にレースの中で勝ち負けをすることができるということだ。
つまり、
他のウマ娘が、負けることでモチベーションを落とし、才能の無さからレースを諦める中で、カンパニーだけが諦めなかった。
黙々と、どれだけ体調が悪くとも、調子が優れなくとも、練習を続けた。
レースに限らず、競技の世界では才能こそがすべて。だが同時に、練習を続ければ一定以上の能力を得ることができる。ゲームは何度も挑戦すればクリアできるし、ダイエットは健康的な食生活と適度な運動を守れば確実に成果が出る。
そこに違いが出るとすれば、挑戦する者の気力と根性だ。
カンパニーは、そこにだけは間違いなく適正があった。
「そうして気がついたら、私は中央のトレセン学園に入ってた」
「世の中に、それができるウマ娘が果たして何人いることか……ま、セイちゃんだってその一人なわけですが」
何となく、カンパニーという少女のことが、スカイにも解ってきた……ような気がした。
もちろん、如何に策士セイウンスカイと言えど、他人の素質を読み取れないこともある。逆に、カンパニーのことをスカイは遠くから研究していたから、他人よりはカンパニーの事がわかる……とも思う。
どちらにせよ、カンパニーだって間違いなく中央トレセンに在籍し、重賞で勝利を重ねる一流ウマ娘の一人だ。
その根底にある素質は間違いない。
だが、カンパニーはその素質において、気づいていない部分がある……とも思った。
それは、致し方ない話ではある。レース中の彼女を見ていれば、普通そういった考えは浮かばない。何より彼女自身が“そのこと”を意識していない。
「ねぇ、カンパニーさん」
「……ふぅ、何?」
だから、スカイはある提案をすることにした。
「明日の練習って、次のレースに向けての本格的な調整ー……でしたよね?」
「……うん、中山記念。前回が一番人気なのに勝てなかったから……今度は、勝ちたい」
きっと、このことに気づけるのは自分くらいなものだろう。
なにせ自分は――学園きってのトリックスター。風の向くまま気の向くまま、誰にもつかめない雲のようなウマ娘。
「じゃあちょっと、試してもらいたい走りがあるんです」
――セイウンスカイ、なのだから。
2
その日は、昨日よりも更に肌寒い日だった。
もうすぐ3月になるというのに、これでは冬に逆戻り。そんなよくある陽気の昼下がり。ウマ娘たちは練習に励んでいた。
そんな中に、カンパニーの所属するチームはあった。
今日はチームの外から、ウイニングチケットともう一人――セイウンスカイが練習を見にやってきている。
「スカイが練習を見に来るなんて、珍しいね!」
「いやいやー、私だって毎日サボってばっかりじゃないんですよ?」
ふたりとも、かつてトゥインクルシリーズで激闘を繰り広げ、クラシック戦線でG1を獲得した名ウマ娘だ。奇しくも、二人合わせてちょうどクラシック三冠を戴冠している。
そんな二人がいるものだから、一部のウマ娘はずいぶんとそわそわしていた。オープンクラスや重賞を主な戦場とする一般ウマ娘にとって、G1ウィナーというのはそれだけで憧れの的だ。
流石に何度も顔を出しているチケットには、親しげに声をかけるウマ娘もいるものの――今日はそこにセイウンスカイが交じっている。
マニッシュな雰囲気が人気の彼女に、ファンであるウマ娘は、実はこのチームにも結構存在していた。
そんな中、今日のメインは追い切り――レースのペースに近い、レース前に行う調整練習――だ。特に、週末にはG2の中山記念に出走するカンパニーは、念入りに練習を行っている。
「カンパニーさんの調子はどう?」
「目当てはカンパニーかー! やっぱりスカイもカンパニーが気になる?」
「そうですねぇ、なんというかこう……不思議と応援したくなる魅力があるっていうか」
今、カンパニーはグラウンドを駆けていた。チームメイトを前に置き、それを追い抜く形で練習をしている。
その中で、やはり特筆すべきは――
「カンパニーさん、フォーム綺麗ですねぇー」
「あっ!!!!」
と、それを指摘をして、話を進めようとしたときだった。
突然、チケットがすごい声をあげたのだ。何事か? まさかサボっているのがバレてキング辺りが飛んできた? もしくはカンパニーになにかがあった? と視線を泳がせると。
チケットは、
「そうなんだよおおおお! カンパニーってすっごいフォームがきれいでえええ、教科書のお手本みたいなんだよおおおおお!」
「わ、わわ」
――どうやら、普通に話の流れでそうなっただけらしい。
つまりこれがチケットのデフォルト、なんてこったい普段からにぎやかな人と聞いてはいたものの、まさかここまでとは思わなかった。
「お、落ち着いてくださいよー。周りが見てますってば」
「ごべーん。……なんだかカンパニーの良さがわかる人が増えて、泣けてきちゃった……」
ずびび。
普段から涙腺がゆるいとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。ともあれ気を取り直して話を戻す。現在カンパニーは向正面を走っているところだが、それでも隣に走るウマ娘との違いが見て取れた。
「フォームが……ずびび……綺麗、カンパニーの明確な……ぐず……強みだよね」
「スパルタ練習をするウマ娘って結構いるけど、カンパニーさんも結構なスパルタタイプですねぇ」
セイちゃんには無理そう、とお手上げのポーズをするスカイ。
なお、泣いているチケットは完全スルーすることにした。
「ぐすん……でも、普段の練習量はそこまで他の子と変わらないよ。カンパニーのすごいところは――」
「継続力、ですよね」
「……やっぱりカンパニーの理解者だああああ!」
「わー、抱きつかないでください!!」
泣きながら抱きつかれると、いくらジャージでもちょっと困る。スカイはなんとかチケットを押し留めながら話を続けた。
「カンパニーは幼い頃から教室に通ってるんだけど、一度も休んだことがないんだよおおおお! それでいて、どんな練習でも絶対にへこたれないから、基礎はすっごいんだああああ!」
「はい、はい。解っておりますとも。それがこうして、基本のしっかりしたキレイなフォームに繋がっている……と」
フォームが綺麗であるということは、それだけスタミナの消費が少ないということだ。
カンパニーの適正距離は概ね1600から2000。だが、カンパニーはクラシック期に3000mの長距離G1、菊花賞へ挑戦した事がある。結果として優秀な成績を残すことはできなかったが、それでも結果は十八人中九着。なんとか一桁順位に滑り込むことには成功している。
このキレイなフォームは、その頃から完成していたということだ。
「……あ、そろそろもどってくるよ! 見てて、こっからがすごいんだから!」
追い切りもそろそろ終盤。カンパニーがコーナーを回って直線に戻ってくる。前を行くウマ娘は結構なペースで飛ばしていて、距離が数バ身ほど開いている。
もしも後ろがスカイだったら、間違いなく届かないだろう。
だが――
ふと、カンパニーの雰囲気が変わった。周りから見て、それがスパートの合図であることは明らか。もちろん、前を行くウマ娘も気配でそれは感じている。
だというのに、
「……今!」
チケットがそうこぼすと同時、カンパニーは一気に前方へと迫る。
豪脚、凄まじい末脚だ。ぐんぐんと差を縮め、ゴールの少し手前で一気に抜き去った。そしてそのまま、ゴール板を駆け抜ける。
「……カンパニーさんの最大の武器はこの末脚、と」
魅力的な末脚である。王道の差し、追い込みレース。
こういった追い込みレースを得意とするのは――
「タイシンみたいな末脚だよねー、いやー皐月賞を思い出しちゃうな」
ナリタタイシン。ウイニングチケットやビワハヤヒデと並び、クラシックで三強を形成した“BNW”の一画だ。
小柄ながらも、その魅力的な末脚でウイニングチケットやあのビワハヤヒデ相手に三冠の一つをもぎ取った名ウマ娘。
「これだけ早いなら、当然後ろから脚をためて一気に差し切るのが定石。基本に忠実なカンパニーさんらしいといえばらしいですなぁ」
「あの末脚が、常に後ろから迫ってくると考えると、怖いよねぇー」
感動だぁ、とチケットは感慨深げに言う。このウマ娘は何にでも感動できるのではないだろうかとスカイがおもったところで、その視線がカンパニーの方へ向いた。
今はトレーナーと、なにやら話をしているところだ。
「お、ちょいちょいチケットさん、チケットさん」
「なになにー?」
どうやらカンパニーはもう一本コースを走るらしい。今度は一緒に走るウマ娘を増やして、より実践的に。トレーナーとの相談を終えて、カンパニーがチームメイトとともに位置についた。
「ん? カンパニーの雰囲気が普段とちがうようなー」
どうやらそれは、チームメイトたちも感じているようで、チラチラと視線がカンパニーに向いている。だが、当のカンパニーは普段どおりの仏頂面で、何を考えているのやら構えている。
おそらく、これから彼女がすることを知っているのは、相談を受けたトレーナーと、それから――
「……スカイ、なにか知ってるの?」
「ふっふっふー」
――おそらく、彼女に何かを吹き込んだのであろう、このセイウンスカイだけのようだった。
「ま、それは見てのお楽しみ……てね?」
3
――中山記念、当日。
春の陽気が近づく中、馬場状態は良。G1、大阪杯への優先出走権を争うステップレースでもある今日のメインレースは、通常と変わらぬ盛り上がりでもって迎えられた。
まもなく春のG1戦線が開幕し、多くの名勝負が繰り広げられることとなるこの時期に、それに名を連ねる強豪たちも続々と始動することとなる。
とはいえ、今日の中山記念はすでに冬頃に始動したウマ娘たちが激突するレースとなった。
注目を集めるのは、二人の重賞ウマ娘。
「――今年の中山記念、やはり本命は“エアシェイディ”だな」
「どうした急に」
レースを観戦する二人の男性が、いよいよ始まる今日のメインレースを前に激論を交わしていた。
「前走のアメリカJCC、本命に押されていた一番人気が最終直線で先頭に立ってこれは決まったかと思ったその後に、最後の攻防でするすると抜け出しての一着。あの末脚は素晴らしかった。最速の上がりを繰り出しての圧勝。今のエアシェイディは間違いなく強いぞ」
「ああ、ここ最近のエアシェイディは連続二着からの重賞制覇。調子の波が来ていることは間違いないだろう」
エアシェイディ。
すでに今年でトゥインクルシリーズに挑戦して六年目になるベテランウマ娘だ。それまで何度も重賞やG1の舞台で好成績を残し、安定感の高さが魅力と言える。
しかし、いまいち勝ちきれないレースが続き、重賞以上のレースで勝利したことがなかった。
だがそれはすでに過去の話。長年の挑戦の末、ようやく前走のアメリカJCCで重賞制覇の悲願を達成したエアシェイディは、この中山記念では一番人気に推されていた。
だが――
「……しかし、それなら“カンパニー”はどうなんだ?」
――同じことはカンパニーにも言えた。
カンパニー、未だG1の舞台でこそ栄冠は掴んでいないものの、重賞では何度か勝利を飾ったことも有る。レースに絶対はないが、それでも実績からの格はカンパニーの方が上であると考えるものもいるだろう。
「……カンパニーは昨年夏の関屋記念以来勝利がない。加えて前走の東京新聞杯では一番人気に推されたものの最終直線でバ郡から抜け出すことができず四着に敗れている。今回も後ろからのレースを展開するなら、二の轍を踏まないとはいえないぞ」
「しかしカンパニーの魅力は後方からの直線一気だ。あの末脚はハマったときの強さは本物だぞ」
「まあそこは俺も同意だ。結局、勝敗を分けるのは実力以外にも展開やバ場状態も絡んでくる。その上で今回に関しては前走からの勢いがあるエアシェイディをカンパニーよりも評価する人が多かったと言うだけだ。それに何より……」
「何より?」
「俺はエアシェイディとカンパニー、長くトゥインクルシリーズを走るベテラン二人の駆け引きが見たい! 経験豊富なウマ娘の、巧みなレース展開で周囲を翻弄する様が……みたい!」
「……だな」
――カンパニーとエアシェイディ。どちらもウマ娘としてはベテランの域に入るウマ娘だ。実力は確かだがいまいち勝ちきれない。そんな彼女たちのレース展開は他にはない巧みさが宿っている。
そういうところが好きなファンは少なからずいた。
特に今回は、その二人の初対決なのだからなおさらだ。
そんなファンの注目を受ける中、ウマ娘たちが発走時間を今か今かと待ち侘びていた。もうまもなくファンファーレは鳴り響き、その時はやってくる。
そんな中にカンパニーの姿があった。
(この時が来てしまった……)
若干の緊張、顔には一切出さないがカンパニーは緊張していた。これでもデビュー5年目、ベテランの域に入るカンパニーは流石にG2の舞台で緊張することはほとんどない。
一番人気に推されたりすれば話は別だが、今回の自分は二番人気。挑戦者の……いつも通りの立ち位置だ。
だと言うのに、カンパニーは緊張していた。その視線は、ちらりちらりと観客席に向いている。
(……なんで総出で応援に来てるの、G2で)
そこには、自分のチームメイトほぼ全員の姿があった。今日、レースに出走しているもの以外は全員ここに集まっている。
当然、ウイニングチケットと
(……なんのつもりさ、スカイ)
セイウンスカイの姿もあった。あのサボり魔がわざわざこうして足を運ぶなんて、珍しいこともあったものだと思うが、それこそ今日のレースにチームメイトがゾロゾロと押しかけているのも見れば、珍しいなんて感想は消えてしまう。
結果残るのは、なんのつもりだという困惑だけ。
というか、仮にもG1ウマ娘のチケットとスカイが一緒にいると目立つ。そばにトレセン学園制服の団体がいれば尚更だ。
あちこちで、あれウイニングチケットじゃないか? 嘘でしょスカイちゃんがレース見に来てる……? なんてやりとりが繰り広げられている。
(……針の筵)
と、カンパニーは思わずにはいられなかった。
……まぁ、そう思う原因は彼女たち
「……随分と自信満々ね、カンパニー」
そして、ついに声をかけられた。
カンパニーは複雑そうな視線をそちらへ向ける。もちろん、それは相手には伝わらない。
「シェイディ」
エアシェイディ、今日の一番人気……言い方を変えれば、主役の姿がそこにあった。
「初めまして、レース場で顔を合わせるのはこれが初めてね。あえてそう挨拶させてもらうわ」
「どうも」
無難に返す。
あまり人付き合いが得意ではないのもそうだが、エアシェイディは今、とても圧が強かった。カンパニーの苦手とする相手である。
「今日の主役はこの私、エアシェイディよ。そのことをもう一度貴方に教えてあげる。……レースでね」
「シェイディ……」
エアシェイディは決して悪いウマ娘ではない。どころか、毎日毎日練習に励み、少しでも強くなろうと夜遅くまで練習をしていることをカンパニーは知っている。
同じ“善戦ウマ娘”として、親近感もあった。
シェイディが心の何処かで、同じことを思っているのは間違いないだろう。だが、
何となく、シェイディには焦りがあると感じられた。もうすでに彼女のレース歴も六年。カンパニーより一つ上だ。ただでさえカンパニーが老練と評される域に入っているというのに。
――それ以上。
そんな時に、ようやく掴んだ勝利だとすれば、
(私には、まだチャンスが有る。衰えは来ていない。だけど、シェイディはどうなのだろう。……そして私は、もしも同じ立場に立ったとき、果たしてどう思うのだろう)
今回、カンパニーはチームメンバーや仲の良いウマ娘を引き連れての参加となっている。よほど自信があるのか、何かしらの策があるのではないかとシェイディを始め、周りが思うのは当然だ。
――もちろん、ある。だが、シェイディが声をかけたのはそれ以上に――
「いい、カンパニー」
……まもなく発走時間だ。
エアシェイディは、遠く――ゲートへと視線を向けて、鋭い決意で言い放った。
「私に、銀メダルはもう必要ない」
シェイディは、何より自分を奮い立たせたかった。
そのために、もっとも近い立場であるカンパニーへと宣戦布告した。そして――その姿を見ていると思う。
「……私も、負けない」
負けたくない。
勝利を渇望するウマ娘は、それを周りも伝播させる。
会場のボルテージは、一気に最高潮へと達しようとしていた。
レースが、始まろうとしている――
4
鈍い音、しかし同時に開放感を伴うゲートの開く音。
ウマ娘たちが、一斉にゲートからとびだす。
周囲の注目はやはりというか、一番人気のエアシェイディに集まっていた。
主役とは、常に視線を集めるもの。解っていても、エアシェイディは一瞬それに呑まれそうになる。勝たなくてはいけない、そのために練習を積んできた。
心にそう決めたから、逃げることはできなかった。
いつも通り、エアシェイディは中団につける。ゲートの枠順が内目のちょうどよい位置だったこともあり、ポジションの確保は容易だ。
そしてこういうとき、ポジションの確保はやはり経験の差が如実に出る。最高の位置を掴んだシェイディに対し、周りは意識をしつつも自分のポジションを取ろうとなんとか間に入っていく。
――レースの基本、開始時のポジション取り、高速で駆けるウマ娘は少しでも消耗を避けるためにここで下手に外に回されたり、バ群に揉まれるのは絶対に避けたい。
それを避けるために、前につけるのが“逃げ”脚質であり、後ろからの一発逆転を狙うのが“追込”脚質。それぞれがポジション争いに苦労する中、すっと抜け出していく逃げウマ娘が一人。
(彼女が逃げるのは想定通りよ、彼女のペースに惑わされず、足を溜めるの!)
逃げウマ娘と追込ウマ娘がすっと前に行く、後ろに下げるのは当然のこと。カンパニーも今頃後ろに下がっていることだろう。
このとき、最も状況を冷静に俯瞰していたのはエアシェィディで間違いない。そんな彼女ですら、逃げるウマ娘を追うことはしなかった。一瞬だけ視線を向けて、戻す。
後は周りに気をつけながらこのポジションで走るだけ――
そう、そのはずだった。
(え――?)
前に向いた視線が、一瞬でまた左手側に向けられる。動揺とともに、その視線は逃げウマ娘の少し後ろ。
バ群を割って抜け出す、一人のウマ娘に向けられていた。
同時、観客たちもその光景に唖然とする。
「おい、どうなってるんだよ――」
「……まさか、そんな」
レース展開は、特に異常なく進む――はずだった。
それが、今。
「カンパニーが先行策をとっている――!?」
――大きく、崩れようとしていた。
「――よしよし、ポジション取りは完璧ですなぁ。流石ベテランウマ娘」
「よかったぁ、成功だよぉおお」
にしし、と笑うセイウンスカイと、ほっと胸をなでおろすウイニングチケット。
騒然とする場内において、彼女たちとカンパニーのチームメイトだけは、違っていた。これは、彼女たちにとっては完全に想定通りの光景だったからだ。
これこそが、スカイの言っていた“試して欲しいこと”。言い換えれば――カンパニーの秘策である。
「それにしてもすごい大胆な作戦だよねぇ、これまで後方からのレースしかやってこなかったのに」
「確か、デビュー戦の時にやったくらい……でしたっけ?」
カンパニーが先行でレースを進めたことは非常に稀だ。デビューした頃にやったきりである。それが今回、この重賞の舞台で先行策に打って出た。
大胆……どころか、場合によってはリスキーすぎる“賭け”と言ってもよいレベル。
もちろん、数日前の練習で事前に練習は行っている。完全なぶっつけ本番というわけではない。
「でもこうして成功しているわけですから、やっぱりそこはカンパニーさんの基礎力の高さが光るわけですねぇ」
スカイは、前をゆくカンパニーを見ながら、にいっと不敵な笑みを浮かべる。
それは彼女がレース中に浮かべる、策が“ハマった”ときの笑みだった。
「カンパニーの間違いない強みだよね。器用に戦い方を変えても対応できる。今まではそれが有効じゃなかったからやってこなかっただけ、でも今回――」
「こうしてやったことに、大きな意味があるというわけですなぁ」
カンパニーの武器。
一つは言うまでもなく強烈な末脚だ。後方からの競馬でも勝ちを狙えるその勝負根性は間違いなく他のウマ娘にはない武器。
そして、もう一つはそれを可能とする基礎力。
長い長い練習の繰り返しで身についた身体の動きは、常に最適と言ってもいい安定したパフォーマンスを発揮するに至った。
こと先行策という普段と違うレース運びに、カンパニーは
「そして、もう一つ」
だが、スカイがそれを提案したのは別の部分に大きな理由が有る。確かにカンパニーは先行でも勝負ができるが、それでは彼女の強烈な末脚は活かしにくい。
基本的に競馬は前に付ければつけるほど、走り切るのにスタミナが必要になるのだから。
それでも提案したスカイの思惑、それは――
「カンパニーさんは、
カンパニーの性格に理由があった。
カンパニーは周囲から何を考えているかわからないと言われるほどに、表情の変化に乏しいウマ娘だ。しかしそれはあくまで本人の人間性。レースに関係あるかと言われると、
「でも、そういう性格とか人間性って、やっぱりレースでも大事だと思うんですよねぇ、策士セイちゃんとしては」
そこでセイウンスカイは考えたのだ。
この人間性、レースでも活用できないか――と。
それがこの先行策。
もっと言えば、新しくセイウンスカイが見出したカンパニーの強み。
すなわち――
「――
きっと、ともに走っているウマ娘は、こう考えているはずだ。
(――――何を考えているの!?)
向正面を周り、レースは中間地点を過ぎた。一気に飛ばす逃げウマ娘がいることでペース展開は読みにくいが、エアシェイディには解る。
このレース、どちらかといえば平均より速いペースで進んでいる。
カンパニーはそれに二番手から三番手で追従する形で飛ばしていた。後方を走る集団に位置したエアシェイディにはその考えが読み取れない。
いや、もとより。
チラリと眺めた横顔はいつもどおりの仏頂面で、とてもではないがカンパニーの意志など読み取れるはずもなかった。
もしもこれが普通のウマ娘なら、もっと顔をしかめて決意に満ちていたりするし、突然の奇策に対する予兆があったはずだ。
だが、カンパニーにはそれがなかった。
強いて言うなら、チームメイトがぞろぞろと集まっていること。ウイニングチケットやセイウンスカイがレースを見に来ていること。
それはすなわちセイウンスカイの狙いが、寸分違わずハマったことを示していた。
だが、それでも。
(いや……
――エアシェイディの考えは事実だった。
通常、先行策というのは王道のレースだが相応にスタミナが要求される。もとより、カンパニーはマイルから中距離のウマ娘、スタミナに自信があるわけではない。
ましてやこのレース展開で、あれだけ前につけては終盤に使う“脚”が残っているはずもないのだ。
カンパニーの魅力は強烈な末脚。それを捨ててまであんな風に前に出るのは言ってしまえば自滅行為。ここがG1の舞台なら、間違いなく多くの観衆から何やっているんだという目で見られるに決まっている。
(それで勝てるのは、マヤノちゃんかタマモ先輩くらいなもんなのよ!)
もちろん、それを可能とするウマ娘もいる。特に先行ウマ娘は中団に控えて差しのレースをすることもあるし、差しウマ娘が好位につけて先行でレースをすることもある。
だが、追込ウマ娘が前にでることは稀だ。
自在脚質。幅広い位置から勝利をもぎ取る強者は、時折いる。マヤノトップガン。タマモクロスなど――だが、彼女たちはその殆どが複数のG1を勝利した名ウマ娘。
ただ
エアシェイディは知っている。
それができるウマ娘と、できないウマ娘。
その間には、どうしようもない、絶対に超えることのできない壁があるのだということを。
(うまくいく――はずがない! だって、だってもしも――)
――レースは進む。
最終コーナーから、最終直線。一気にレースが動く、運命の上り坂。
中山の直線は短いぞ、後ろの子たちは間に合うか――
(もしもそれが、できてしまったら――――!!)
それでも、祈りを込めて、エアシェイディはスパートをかけた。
しかし、
『前四人が並ぶ形になった! さぁここで、
そんな祈りをはねのけるように、己の意志で、カンパニーは前に出る!
『カンパニー! それからエアシェイディだ!』
二人のウマ娘が前に出る。
決着をつけるために脚を進める。負けたくないと、勝ちたいと。
追い抜いてやると、エアシェイディがスパートを強める。
しかし、
『さぁここで、カンパニーが先頭だ!!』
しかし、
(なんで、)
しかし、
(なんで――――)
『その後ろからエアシェイディ!』
しかし、
『だが!!』
――――しかし、
(なんで、なんで届かないのよ――――!!)
『これは届きそうにない――――!!』
勝負は、最終直線に入った頃には、すでにもう決していた。
(――――行ける)
油断なく、けれども確信をもってカンパニーは息を溢す。
後ろから来るウマ娘たちのプレッシャー、それがどんどんと離されていくのを感じる。距離の問題ではない、ただ単純に勝利という舞台へたどり着くための距離。
心の距離が、離れていくのだ。
これまでに何度も、感じたことの有るこの感覚。G1の舞台では一度も感じたことのない、けれども確かに知っているカンパニーの経験だ。
(先行策、やってみて解る。たしかにこれは“王道”のレースだ。多くのウマ娘たちを背に受けて、前をゆくウマ娘ににらみを効かせて、自分がレースを支配する感覚)
強者のレース。
自分は誰よりも強いのだという、絶対の確信によって成立する、覇者の脚。
それを今まさに、カンパニーは生まれて初めて経験したと言っても過言ではない。
(脚も、思った以上に持つ。私の走り方は、
多くのウマ娘たちが思った。カンパニーは脚が持たないだろう。
否――
それを可能にしたのが、カンパニーの走行フォーム。
他のウマ娘の類を見ないほどに
だが、それでも。
本来やってこなかった走り方でも走りきれるくらいには、差を生む。
(今の私が、後ろから走る私よりも強いとは思わない。それでも、後ろから走る私より弱いことは
これが、カンパニーの新たな走り。
一つの出逢いが転機を生むのだとすれば、間違いなくこれはその転機。
だから、それは、
『抜けたのは、カンパニー!!』
――――それは、カンパニーと呼ばれた少女の始まり。
<エアシェイディ>
カンパニーより一つ上の世代のウマ娘。
現実ではカンパニーと同じく善戦ホース。本編にもある通り、今回走った中山記念の前走のアメリカJCCで初重賞制覇した。
「銀メダル」の下りはその際の実況から。
感想、評価いただけますと大変励みになります。
今後もよろしくお願いします。