1
『――並んでゴールイン! わずかにカンパニーか!』
4月。
いよいよ春の始まりを告げるこの時期に、カンパニーはマイラーズカップに挑んでいた。
春の大きなマイルG1、安田記念に繋がる重要なレース、今回もカンパニーは先行策で挑み――
『中山記念に続き、重賞連覇!!』
――勝利した。
一番人気に推されての勝利。
カンパニーのレース人生のおける五度目の重賞勝利。そして何より、カンパニーにとっては初めての重賞二連勝であった。
「カンパニー、やれるんじゃないか!?」
「ああ、今年のマイルはカンパニーかもしれん……!」
「いやしかし、やはり注目はウオッカだろう!」
現在、やはりマイル路線で注目をあつめるのは去年のダービーウマ娘、ウオッカだ。有馬記念の敗戦から、ウオッカの適正距離はマイル中距離という見方が大勢を占め、ゆえにこそ今年の安田記念の本命に推す声は多い。
その対抗の一人として、カンパニーは挙げられているわけだ。
「カンパニーが先行策も使えるってことは、後方からの直線一気と、先行からの王道レース。
「意外性ってやつか……普段から何を考えているかわからないってよく言われるけど、それがレースでも活かされる……厄介だな」
カンパニーが先行策を使えるようになったことで、大きく変化したのはカンパニーに対する周囲の意識だ。先行で来るのか、追込で来るのか。それが読めないのである。
なにせ彼女は表情の死んだウマ娘。読めるわけがない、直接言葉を交わさなければ彼女の考えなど。
それまで、堅実と言われてきたカンパニーのレースが、奇策を交えた油断ならないものに変わった。周囲からしてみれば間違いなくそれは驚異だろう。
とはいえ――
「しかしカンパニーはここ二戦、彼女以上の実績のウマ娘とは激突していない。彼女の売りは何と言っても成績の安定感だ。レース中の不利やアクシデントが続いた一昨年の秋くらいだろう、明らかに調子を落としたのは」
「G1の舞台なら、いつも通りって可能性もあるもんな。しかしカンパニー、いまいちG1の舞台だと結果を残せてないよな」
「安定してるってことは、爆発的なパフォーマンスを発揮しにくいってことだもんな。ダイワスカーレット並の実力があればそれでもいいが……そうでなければやはりウオッカのような爆発力は欲しい」
同時に、それでもカンパニーはやはり勝てないのではないか、という声も大きい。ことレースにおいて爆発力というのは絶対に無視できないファクターである。
カンパニーにはそれがない。強者としての圧倒的な格、それを覆す爆発力。そのどちらかがなければG1は勝てない。
そんなファンの考えは決して単なる外野の発言……と片付けられないものがあるのもまた事実。
それでも今回、カンパニーは必勝を心に決めて安田記念を次走と定めた。
しかし――その直前、カンパニーはふとしたことから目を負傷してしまう。万全の状態での出走が望めないことがわかったカンパニーは、安田記念の出走を断念。
次なるレースを――“グランプリ”宝塚記念とした。
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いつもとかわらない顔で、カンパニーはスマホを弄っている。
トレセン学園の昼休み。午前で授業の終わるトレセン学園においては、日常から練習への意識を切り替える時間でもあった。
そういう時間に、今日の昼食であるカツサンドを食べながらスマホを弄っているカンパニーは、今どきの少女であるとも、まだ練習に意識が切り替わっていないとも言えた。
「…………」
なんとも難しい――至っていつも通りの――顔で、スマホを眺める少女。
その内容は――
「あ、カンパニー先輩!」
――と、その時である。
姦しいというには、どこか勇ましさも交じる少女の声。顔を上げれば、カンパニーのよく知る後輩の姿があった。
「……ウオッカ」
ウオッカ。
去年のダービーウマ娘にして、現在のトゥインクルシリーズにおいて“主役”と呼ばれるウマ娘の一人。どういうわけかカンパニーのことを慕ってくる、“かっこいい”が好きなウマ娘。
どうやらたまたまカンパニーを見つけて声をかけてきたようだ。
手には昼食と思われるパンとジュースが……おそらく二人分。
「先輩のカツサンド、超美味しそうですね!」
「……購買でラス一、レアもの」
「購買で……ラス一!? くー! それを冷静に買ってのけるとか、俺もそういうクールな感じでいきてー……!」
「…………くーる?」
よくわからないウオッカの琴線に、今日もまた刺さってしまったらしい。
ラス一を買えたのは単なる偶然、クールも何も無いと思うのだが。
本当に、ウオッカくらいだ。自分をここまで評価するウマ娘は。
「……そういうウオッカこそ、安田記念、おめでとう」
「あー……ありがとうございます」
「歯切れが悪い……」
「いや、嬉しいは嬉しいんすけど……先輩に言われるとちょっと……困るんです」
はむ、と一口。
「困る?」
「だって――先輩には
ふむ……とカツサンドを食べながら思う。
その気持は――正直解る。ライバルに勝ちたいということは、相手を負かしたいということ。勝者になれるのは一人だけ。
それならば、自分が一番にゴール板を駆け抜けたとき、後ろのウマ娘たちに“今度こそは”と思われたい。
「これが本当に“おめでとう”になっちまったら、それこそ諦めたってことじゃないですか」
「それはそう。……そしてそれは、珍しいことじゃない」
「でも、先輩は違います」
「……ウオッカもね」
今回は直接安田記念でぶつからなかったことで、カンパニーはお世辞でもおめでとうを口にする立場となった。もちろん、それは紛れもない本心なのだが――心の何処かで残念という気持ちがないわけではない。
レース直前のアクシデントで、出走を取り消すことはよくあることだ。
ウオッカだって、去年のエリザベス女王杯をそれで出走取りやめている。
だからこそ、ウオッカは直接カンパニーと戦いたかったと口にするし、カンパニーも同様だ。
特に今回は――カンパニーの側に、勝ちたいという強い意志があったから、なおのこと。
「今回こそは……そういう気持ちはどこかにあった。もともと今年の春は安田記念を大目標にしていた分、最近の連勝もあって波を逃した気分」
「あー、分かります。俺も去年の秋はちょっと勝ちきれなかったっていうか……有馬は、恥ずかしい所見せちゃいましたし」
「有馬の100メートルには、府中のそれとの間に明確な壁がある。多分私も……それは超えられない」
もとより、カンパニーの適正距離の限界は2200だろうというのが、これまで走ってきたカンパニーの経験から言える事実。
近くにマイルチャンピオンシップがあったため出走したことはないが、ジャパンカップに出走していればこれまでのようなG1での好走は難しかっただろう。
「でも、連勝自体はやっぱすごいですよ! 誰もが度肝を抜くことをやってのけて、快勝! それも二回! ほんっとクールだぜ!」
「そう」
くー、と拳を握るウオッカに、カンパニーはなんだか気恥ずかしい気持ちになりながらカツサンドを口に含んでそれを隠す。
隠さなくても伝わるかどうかは、また別の話として。
「あれは、私にとって間違いなく転機だった。出会いのお陰だし、それを可能にできたこれまでの積み重ねもある」
「……はい」
「だから――」
そう、だから――
「次の宝塚記念、私の可能性を、試してみたい」
セイウンスカイとの出会い。
新たな走り。
掴んだ連勝。
自分は変わったのだという自覚。
負けたくないという意志。
それらを込めて、カンパニーは言った。
勝ちたい、と。
ああ、しかし。
――カンパニーは忘れていたのだ。
G1とG2の間にある壁。
栄光と、頂点の間にある絶対的な、差。
それを彼女は――この半年で忘れてしまていたのかもしれない。
宝塚記念、当日。
『エイシンデピュティ! メイショウサムソン! 並んでゴールイン!!』
最終直線、カンパニーの名は一度として呼ばれることはなく。
八着。
――カンパニーは、敗戦した。
2
――わからない。
勝てなかった。
負けたのなら、それは事実。受け入れる他はない。
勝ったのなら、それは栄光。受け取らない理由はない。
どちらにせよ、結果は2つに1つ。当たり前のことじゃないか。負けたのならば、それはどこかに理由があったということ。
距離? 確かに2200はカンパニーのスタミナではギリギリのところが有る。最後の直線で伸びなかったのはスタミナも一因があるだろう。
相手? 今回の相手は二冠ウマ娘メイショウサムソンを始め、強力な相手だった。これまで二戦とは格が違う。
バ場? 雨の中、ペースの遅いレースとなったことで自慢の末脚が活かせなかったのは間違いない。
理由は一つではないだろう。
だが、一つではないからこそ、
レースで不利を受けるなら、不利を受けないように対策を打てば良い。
相手が強いなら、自分もそれに負けないくらい強くなれば良い。
当日の天気が悪いなら――それはもう祈るか諦めるかくらいしかない気もするが――その天気でも対応できるよう練習を重ねるしかない。
しかし、それがすべて同時に重なったとしたら。
カンパニーにできることは何が有る――?
「あ、カンパニーさん。また練習してる! やりすぎじゃないかってセイちゃん少し思っちゃうんですけどー」
「――スカイ」
無心。
ただ無心に足を進めていた。砂浜でのダッシュ、重バ場でも対応できるようにするための練習。決して負荷が強いというわけではない。なにせあくまでこれは単なるランニング、疲れないペースで脚を慣らしているにすぎないのだからして。
「問題ない」
「ありますよー」
声をかけてきたセイウンスカイに、カンパニーは大丈夫だと返した。
本当に大丈夫なつもりだったのだ。ただ――
「それ、何時からやってるんです?」
――ぴたり、と足を止める。
「…………今、何時?」
「何時って……
気がつけば、周辺を見渡すと眩しい朝日が飛び込んでくる。思わず目を覆ってそれから視線をそらす。――なんだか咎められているようだと、他人事のように考えた。
実際、冷静になってみれば何をやっているんだという話でもある。
「……もう、
――そもそもの発端は、夜にカンパニーが眠れなかったことに起因する。
今、カンパニーはトレセン学園夏の恒例行事である合宿に参加していた。学園全体で夏のビーチを使っての合宿は、ウマ娘を一段上の状態に成長させるための大事なプロセスである。
カンパニーがこれに参加するのもこれで五回目。
ここのホテルに泊まるのも慣れたものなのだが、今日ばかりはどういうわけか寝付きが悪かったのだ。
少し頭を冷やそうと、外に出て砂浜でランニングを初めてしばらく。
気がつけばそれほどまでに時間が経っていた。
「してたのかー……じゃないですってぇ、カンパニーさんってほんとに良くも悪くも集中力ヤバイですねぇ」
良くも悪くも。
常に一つのことに集中できてしまうのはカンパニーの長所であり欠点だ。子供の頃、親に買ってもらった無限プチプチを一日中プチプチしていたことが、カンパニーにはある。
朝の五時から、夜の八時まで、寝食も忘れて。親はでかけていて、ご飯はできたものを食べるように言われていたが――すっかり忘れていた。
結果、帰ってきた親にしこたま怒られながらご飯を食べたのは、今もよく覚えている。
「……ごめん、心配かけた」
「あー、いえいえ。セイちゃんはたまたま立ち寄ったら見かけただけなので……ほんと、単なる偶然ですよ、偶然」
こういうときのセイウンスカイの言動は、本当のことを煙に巻いているか、実際に偶然かの二択だが――今回は二択だろう。なにせ手には釣り竿が見える。
多分これから、こっそり海釣りに出かけるつもりなのだ。
……四時間も無断でホテルを抜け出していた自分に、それを咎めることはできないだろう。
「…………そんなに宝塚の敗戦が効いちゃったんです?」
「……まあ」
そして、それだけの時間集中してしまったことは、間違いなく意識が宝塚の負けに向いてしまっているからだ。
勝てるつもりだった……とまでは言わないが、それでも前回の宝塚より悪い結果になるとは思っていなかった。
想定を下回ると、人というのはどうしてもショックを受ける。
カンパニーの場合、それが極端に他人よりも少ない傾向にあるのだが――今回ばかりは違った。人並みに期待して、人並みにそれにショックを受ける。
結果、ムチャをしてしまうのだから、極端と言えば極端か。
「……壁を、超えられなかった」
「…………」
「試したいと思った。新しい私の可能性を。……だめだった、結果はいつもと同じ」
カンパニーは、じっと脚を見つめる。四時間ものランニング。如何にカンパニーと言えどそれほどまでに脚を酷使していれば、そこにはじっと熱が溜まっている。
これでは、今日の練習は難しいと言わざるをえないだろう。
――何をやっているんだ。そう思った。
「……カンパニーさんは、どうしてその壁が超えられないと思いますか?」
「…………」
「才能? 技量? フィジカル? メンタル? それとも……」
「……から」
口を固く結ぶ。
歯を食いしばる。
そして、下を向いた。
「足りないから」
「……」
「何もかも、私には足りなすぎる。奇策も、王道も、それだけじゃ勝てない。何かが足りていなければ、単なる暴走とかわらない」
それは――
「……それは、どうすれば手に入ると思いますか?」
「進むしか……ない」
――今の自分には、ないものだから。
「私はそれしか、知らないから」
カンパニーのその言葉を、セイウンスカイはただ黙って――考え込みながら聞いていた。
3
秋初戦。
カンパニーは自身の得意とするマイル距離――毎日王冠を初戦とした。
このレースにはウオッカを始めとした強豪ウマ娘が揃っていた。毎日王冠といえば、毎年多くのウマ娘が挑むG2の中でも特にレベルの高いレース。
阪神大賞典と並ぶ、今年のG1戦線を占う大事な一戦と言えた。
そんな中、レースはウオッカが逃げの一手を打つという大胆なレース展開で始まった。場内がどよめく中、ハナを切るウオッカに対し、カンパニーは中団からのレースを展開。
完全なる後方とも、好位からの先行の競馬とも言えない差しの競馬。
別にカンパニーが必ずしも後方一気や好位先行を選択する訳では無いが、春の3戦を頑なに先行策で戦ってきたカンパニーに取って、これまで多くのレースを後方からの直線一気で捲って勝ったカンパニーに対し、
――いささか、中途半端であるという見方をするものもいた。
ともあれレースは淀みなくすすみ、最後は逃げたウオッカとそれに迫るウマ娘の一騎打ちの様相を呈する。最終的にウオッカがギリギリで差し切られ二着。
しかし後方とは大きく差が開き、その中にはカンパニーもいた。
両者の間に有る明確な“壁”それは顕在化したまま、秋のG1戦線。
シニア級緒戦、天皇賞秋が、間近に迫っていた――
「今年の天皇賞は、やっぱ一年ぶりのダイワスカーレットとウオッカの対決だな!」
「有馬記念以来よねぇ、有馬記念はウオッカがパっとしなかったけど、今度は秋華賞と同じ2000mだから、二人のフィールドよね」
「俺は、ここで敢えて“ディープスカイ”を推すね、至上二人目のNHKマイルとダービーの変則二冠ウマ娘! あの子ならスカーレットとウオッカにも勝てるんじゃないかって思うんだ!」
会場は、完全にウオッカとスカーレット、そしてもう一人のダービーウマ娘“ディープスカイ”の空気になっていた。
無理もない。ウオッカとスカーレットは、まさしく宿命のライバルと呼んで差し支えない、トゥインクルシリーズの長い歴史においても、ここまでのライバル関係が成立する名ウマ娘が同時に二人も存在するのは“奇跡”としか言いようのない存在なのだ。
対するディープスカイも、今年のダービーウマ娘であることもさることながら、何よりそれがNHKマイルとの変則二冠であるという事実。
それまで多くのウマ娘が挑み、失敗してきた偉業を成し遂げたウマ娘は、間違いなくこのレースでもその実力を発揮するだろう。
そんな、名優揃う天皇賞秋。
その中で、カンパニーは――
「……前走、毎日王冠のカンパニーは明らかに普段より調子が悪かったね。宝塚記念からの不調もあって、今回の人気は低め。というよりも……“あの三人”に人気が集中しすぎてる」
「正直な所、今回も厳しいですなぁ」
ウイニングチケットとセイウンスカイ。
観客席から、レース場を眺める二人は複雑そうな面持ちで、本バ場に入るカンパニーを見ていた。上位人気三人が注目を集める中で、カンパニーはその“引き立て役”の一人になっていると言っても良い。
レースの主役ではないウマ娘。
これまでの彼女とかわらない立ち位置と言えばそうだが――
「……カンパニーさんが不調だったのは、合宿での調整が失敗したのが大きいです。ちょーっと集中しすぎて練習の負荷が高くなることが何度か。……セイちゃんにあそこまで練習で集中するのは無理です」
「スカイはそれはそれで、サボりすぎな気もするけどなぁ」
合宿中、カンパニーが
四時間の砂浜ランニングに始まり、何度も、何度も練習に集中しすぎては疲れてしまう事態に発展。結果カンパニーは調子を戻すことができないまま毎日王冠に出走。
――結果は、五着。
掲示板内に入る成績であれば、それは概ね上々といえる。だが、実際には前と大きく離されての五着。
ウオッカを差し切ったウマ娘や、それに迫ったウマ娘のような“見せ場”と言えるようなものもなかった。
それが今回の、カンパニーの人気にも反映されている。
11番人気。如何なシルバーコレクターカンパニーといえど、これほど低い人気に入るのは初めてG1に出走した菊花賞以来のことである。
「……カンパニーは、やっぱりまだ“どうして”って悩んでる?」
「まぁ、そうですねぇ……こればっかりは、こちらでは答えの出せない問題なわけでして」
カンパニーは未だに悩んでいた。
そうそう答えの出せるものではない。そのことはカンパニーはもとより、ウイニングチケットもセイウンスカイも、重々承知していることだった。
なにせ――
「セイちゃんにも、覚えがありますよこういうの」
「あ? やっぱり。アタシもそうなんだー」
ウマ娘ならば、誰しもがぶち当たる問題だからだ。
そしてそれよりも、
「それに今回は、むしろその方がいい……かもしれませんね」
「まぁ……そうだねぇ、だって今のカンパニーは……」
「はい……もしもカンパニーさんが今の状態を維持できれば……カンパニーさんの真価が、ここで見れるかもしれないですね」
二人のウマ娘が周囲を見渡す。
異様な熱気に包まれた府中の舞台。ちょっとしたことですら歓声の起きそうな、破裂寸前のボルテージだ。観客であるはずの自分たちですらそれに飲み込まれてしまいそうなほどにそれは加熱している。
それほどまでに、今回のウオッカとダイワスカーレット、それからディープスカイの決戦は注目を集めているということ。
もとより、G1にはG1特有の“空気”みたいなものがある。年に最大で二十数回。それだけの数しか開催されない特別なレースには、それを特別視するファンやウマ娘たちの想いが詰まっていると言って良い。
中でもとりわけ、歴史に残るレースというのは、こういう不思議な熱を伴うものなのだ。
そんな中で、カンパニーは――
「――ぱい、カンパニー先輩」
ふと、声をかけられてカンパニーは意識を周囲へ向ける。
聞き慣れない声。だが、知らない声ではない、普段はあまり会話することがないと言うだけで。よって気持ちを切り替えたカンパニーは、“彼女”の名を呼んで振り返った。
「――――スカーレット」
ダイワスカーレット。
存在感のある体躯の少女。言わずとしれた今回の主役の一人、ウオッカの宿命のライバルである少女だった。
「……その、大丈夫ですか?」
「…………なんで?」
「ごめんなさい、何だかすごくぼーっとしてた気がしたので……」
スカーレットは真面目な少女だ。外面を取り繕って、委員長風のキャラクターを作るタイプ。その下にはとんでもない“我”が潜んでいるが――面倒見がよく優しい少女であることもまた事実。
気を使わせてしまったか。
――そう思ってカンパニーは軽く頭を下げる。
「こちらこそごめん。……こんな場所で心配させてしまって」
「え、あ、いや。こっちこそ気を使わせちゃって……すいません」
余計なお世話だったかと、スカーレットは頬を掻く。
「……あの、一つだけいいですか? 先輩。……こういうの、レース前に、対決する相手が聞くのはよくないのは解ってるんですけど」
「何?」
そして、おずおずと問いかけてくるスカーレット。別に、気にすることはない。答えにくいことなら答えないだけであるし、聞くだけならタダだ。
そう思って問い返したカンパニーは、
「――先輩って、走っている時に“何”を見てるんですか?」
――一瞬、思考が停止した
いや、停止ではない。スイッチが入ったのだ。集中モードへと意識が切り替わってしまったのである。カンパニーは一度集中すると、周囲に呼びかけられるまでそれに没頭してしまうタイプだ。
だから、スカーレットの言葉はそれくらい“考えてしまう”言葉だったのだ。
何を見ている。――誰かを見ている? ――勝利を見ている? ――限界を見ている? ――頂点を見ている? ――栄光を見ている? ――敗北を見ている? ――挫折を見ている? ――劣等感を見ている? ――――――違う。どれも、違う。
それなら、それなら自分は――――
――その時、府中のG1開幕を告げるファンファーレが、響き渡った。
「……あ」
「とと、失礼しますね、先輩。――このレース、アタシが勝ちますから」
意識が浮上する。
それと同時にスカーレットも意識を切り替えたのだろう。手を降って――それから勝利宣言までしてその場を去っていった。
カンパニーはそれに手を振って見送る。
言葉は――単純に思いつかなかった。コミュ障なんてそんなものである。
ともあれ、意識が切り替わったことで一瞬集中が途切れる。だが、問題ない。
不思議と今日のカンパニーは意識の切り替えがスムーズに行えていた。日常生活では一度意識を切り替えると次に集中するのには最低でも数分の時間が必要なのだが――
今日は、ゲートに入ることを意識した瞬間には――もう、普段以上の集中力でレースに向かうことができていた。
さぁ――出走だ。
本来は秋天終わりまでの予定でしたが長くなりそうだったので出走までになりました。
カンパニーの調整失敗は史実ネタ。
本編ではサラッと流してますが、先行するカンパニーより逃げるウオッカの方が普通は衝撃。
毎日王冠のウオッカはなぜ逃げるのか……