【毒】に沈め 作:トリカブス
――――――――あ、死んだ
眼前に迫った暴走する乗用車のバンパーを見て、彼は自分の最期を悟る。
脳裏を過るのは、決して長くはない人生の走馬灯。加速する思考の中で、圧縮された時間をゆっくりと倒れながら後悔が胸を過った。
反射的に突き飛ばして車道近くから歩道の更に奥へと押し込んだ幼い双子を連れた女性が視界の端に映る。
驚愕に目を見開きながらも、咄嗟に子供たちを胸に抱いて庇い、同時に自分たちと場所を入れ替わって守った少年の背にその視線は釘付け。
それは、ありふれた事故だった。
速度超過の普通自動車が、ハンドルをとられたのかふらつき、横断歩道を待っていた人々の元へと縁石を乗り越えて突っ込んできた。
少年は、車が突っ込んでくることに気付いた瞬間、彼は隣に居た三人を後方へと突き飛ばしていた。
怪我をさせてしまったかもしれない。そんな感想が、少年の頭を不意に過る。
もっと気にすべきことがあるだろうに、しかしもう時間は無い。
肉の潰れる音が嫌に響き、辺りには鉄のニオイが満ちる。
@
『やあやあ、少年。そろそろ目覚めたまえよ。私も暇じゃあないんでね』
沈んでいた意識が急速に浮上する、と同時にそんな胡散臭い軽い声が鼓膜を揺らした。
半ば寝ぼけた様な頭で、無理矢理にでも目を開ければその先に広がっていたのは、何処までも続く漆黒。寧ろ、目を開けたのに、目を閉じていた時と光景が変わらないのは脳がバグってしまいそうなものだ。
それに、目を開けた事で気が付くが、自分が今どんな体勢なのかが分からなかった。というのも、体のどこにも、地面のような硬い場所に接する感触が無い為だ。勿論、クッションに埋まっているとか、そういう事でもない。
感覚としては、水中か。もっとも、息苦しさなどは無いし、それに水圧のような全身を包む感触も無い。
ないない尽くしで、少年はただただ暗闇を見つめ続ける。そこに再び、声が響いた。
『起きているかい?まあ、起きていなくても私にはそこまで関係は無いのだけどね』
声の主の姿は見えない。しかし、その声はぼんやりとしている少年の耳にするりと滑り込み、状況把握すら真面にできていない脳に染み込んでいく。
『ああ、私の事は気にする必要は無いよ。知ろうと知るまいと、関係が無いからね。さて、長々と話し続けるのも好きじゃあないんだ。本題に入ろう』
厳かな雰囲気すらある声の主。
男性のようで、女性のようで、しかしどちらでもないような性差を感じさせない声は、自然と相手を聞く姿勢で捉えて放さない。
『さてさて、何で私がこんな面倒な事をするのかといえば、まあ暇潰しさ。そう、暇なの、私。時間の概念なんて、あって無い様なものでも、それでもこうして意識を確立していると、どうしても暇っていう時ができる訳。そこで、私考えたのさ。暇潰しをね?』
そこで突然目の前の光景が変わった。
「ぐっ……!?」
突然背中に伝わった衝撃と、同時に一気に視界が大きく広がる。
衝撃からの鈍痛と、闇が晴れた事によって少年の意識は急速に覚醒し、その体は起き上がれるまでに目を覚ました。
「ここは……」
そこは、神殿のようだった。
真っ白な石材を用いた柱が等間隔で並んで列を形成し、柱の間の更に外は先ほどの漆黒とは真逆の純白。
そして、上体を起こした少年の前方に、誰かが居た。
「やあ、少年。ようこそ、私の空間へ」
「……誰だ?」
「はっはっは、私が誰か、何て事はどうでも良い事だよ。これから君は、新たな旅路に出発するのだからね」
そう言って、トーガのような布を体に巻いた、金髪の男性とも女性ともとれる誰かは怪しく笑う。
彼、或いは彼女は右手を持ち上げると、スナップを一つ打ち鳴らした。マジシャンのように良い音は、この神殿と称された空間の全ての隅々にまで染み渡る様に広がっていく。
直後、彼或いは彼女の背後に影が差し、何かが上よりゆっくりと降りてくる。
「これは、私が造ったものでね。ほら、ガチャってあるだろう?アレを模して、作ってみたのさ」
得意げに語る、その背後にあるのは気球ほどもある半透明の球体を上に据え、その下部は先端に行くにつれ細くなっている杖状。
その下部に、捻るためのハンドルが付けられたソレは、彼或いは彼女が語る様にガチャガチャの機械にそっくりだ。
「さあて、回そうか。あ、何で私なのかって?ソレは、少年。君がそこから
言われ、少年は目を見開き足に力を入れようとする、がまるで神経が通っていないかのように動かない。まるで、足の付け根から先が消えてしまったかのように。
呆然とする少年だが、彼或いは彼女には関係ない。鼻歌交じりに、ハンドルを捻り、その直ぐ下にある排出口より出てきた野球ボールほどの球体を手に取った。
「さあさあ少年、受け取りたまえよ」
放り投げられる球体。
少年の元へと緩い弧を描いて飛んできたソレを、彼の腕は確りとキャッチしていた。
勝手に動いた。しかし、少年はそこには反応せず、ただただ魅入られたかのように球体へと視線を落としたままだ。
「その中身は、君のものだ。ただし、私もその中身は分からない。まあ、ガチャって言うのはそのランダム性が売りなんだから、当然だよねぇ?……とにかく、準備はこれで終わりさ」
うっすらと浮かべるアルカイックスマイル。同時に、その雰囲気が増し、まるで光り輝くようにすらも見える。
「さあ、行ってきたまえよ、少年。そして、私を楽しませておくれ」
打ち合わされる両手。瞬間、少年の姿は上より差してきた光の柱に飲まれて消える。
完全に少年が消え、彼或いは彼女の背後に浮かんでいた装置もまた淡い光となって消え去った。
代わりに現れるのは、豪奢な装飾の施された大きな椅子。それから、その椅子に合わせたティーテーブル。その天板の上にはボトルラックと、グラスが一つ。
彼或いは彼女は、どかりと椅子へと座り、指を動かせばボトルラックにかけられたボトルが独りでに浮かんでグラスへと中身を注ぐ。
「さあて、始まり、始まりさ」
所詮は暇潰し。直ぐに
単なる暇潰しなのだから。
@
生まれも育ちも、日本のとある一都市圏。両親にしたって、仕事人間ではあるが家庭を蔑ろにしている訳では無く、上手く回っていた。
そんな薬師家ではあるが、幼少期より孝明は一人の時間を多く過ごしてきた。
彼には、特別な力があった。いや、彼自身はこの力を
端的に言えば、それは【毒】
一吸いするだけで昏倒するような毒。無味無臭で気付かないうちに天国へと送る毒。あらゆる
創作物に存在するような毒含めて、ありとあらゆる毒を生成、そして操る事が出来た。
それだけではない。孝明は、何故そんな知識があるのかは分からないが、【毒】を使った様々な技を扱えた。
何故かは、知らない。しかし、今日に至るまで生きて来れたのは、その知識と【毒】のお陰である、という事だけは理解していた。
薬師孝明は、自分の力のルーツを
@
この世界には、人ならざる存在が犇めいている。
人外のそれらは、或いは神、或いは悪魔、或いは天使、或いは妖怪等々。とにかく、人々が知らないだけで彼らは確かに存在していた。
「……げっ」
高校からの帰り道、薬師孝明は眉根を寄せる。
夕暮れ時を少し過ぎて、辺りにはわずかに残った夕日が差し込むそんな時間。学校からの帰り道で、彼はあるものを目撃する事になった。
「どう、しようか」
高校生になって数日。元より人づきあいが苦手である彼は、こうして一人で登下校する事が珍しくない。
そして、こうして人ではない何かに出会う事も、また多かった。
建物の陰に隠れつつ、通りの先を覗き見る。その視線の先に居るのは、人ではない存在。
性別を言えば、男だろうか。全身を黒衣で包み、その身長は二メートルを超える。
その頭部には、鎧のヘルメットのような物を被っているが顔の下半分までは覆われておらず。そこから覗く口は耳まで裂けて、三角の細かい歯が見受けられた。
なにより、
「ああ、欲しい……欲しい、欲しい、欲しい……!アレも、コレも……ああ、全てが、欲しい……!」
その裂けた口より譫言の様に漏れ出す言葉は、既にコミュニケーションツールとしての役割を果たしてはいなかった。
道を変えれば良いのかもしれない。しかし、今日を凌いだとして明日以降の安全が確約されるかと問われれば、ソレは否だ。
とすれば、対応する他ない。
幸い、と言うべきか薬師孝明には、対抗手段がある。変化は、彼の右手。
人の肌の色であった。それが、手首の方から指先へと向けて徐々に徐々にサツマイモのような紫色へと染まっていく。
紫は更に濃くなっていき、黒にも等しい深い色合いへと変化し、その指先からどす黒い紫色の液体が一滴アスファルトへと落ちてしまう。
瞬間、何かが融ける音が小さく響く。
見れば、液体の落ちた部分のアスファルトがグズグズになって融けているではないか。
手首から指先までが、滴った毒液と同じ色に染まった瞬間、孝明は壁の陰から飛び出していく。
距離にして、凡そ十三メートル程か。
孝明自身、運動が特別得意というつもりはないが、それでもこの程度の距離なら数秒とかからずに距離を詰められるだろう。
ただ、人が動けば自然と音が鳴る。それは衣擦れであったり、呼吸音であったり、足音であったり。
薬師孝明は、下校中の身だ。そして、目の前の問題に対処したらそのまま家まで走って帰るつもりであった為、カバンなども肩に掛けたまま。
そんな状態で走れば、当然ながら音がする。カバンのみならず、ローファーによる足音もだ。
化物も気が付いた。白濁しながらも怪しい光を宿した目を駆けてくる少年へと向け、その裂けた口よりボタボタと滝のような涎を零す。
「欲しい……!欲しい…!欲しい!全てがッ!!!!」
「……オレは、そうは思わないよ」
両腕を大きく開いて、その胴体に巨大な口を出現させる怪物に、孝明は静かに言葉を返す。
「人には、分相応があるんだ。それを超えたら、破綻してしまうんだよ」
「ホシイィィィィイイイイイイイイイイッッッ!!!」
静かな、諭すような声はしかし届かない。
怪物は、否はぐれ悪魔は既にこの世ならざる存在へと道を外れていたのだから。
欲深い収集癖。その欲の深さに目を付けられた結果、男は悪魔となった。だが、その欲は留まるどころか暴走。主すらも取集対象として、破綻する事になる。
孝明は駆け抜けた。駆け抜けそして、その右手を貫手の様にして化物の胴の中心を突き出した。
化物の胴体は、言うなれば底なし沼のような物。体そのものが口であり、同時に彼の収集するありとあらゆる全てを内包する事になる倉庫のような物。
当然、そんな場所に手を突き入れれば、持っていかれる。それも腕だけでなく、体ごと。
だが、
「ガッ……アッ……!?」
不自然に化物の体が揺れ、その顔にある裂けた口より泡が零れる。
痙攣する体、口の泡にはどす黒い血が混じり、瞳に宿っていた怪しい光も消え失せた。
ザラり、と黒衣の体が崩れていく。それは宛ら、砂で作られた城が波にさらわれていくように。
一陣の風が吹き、その体は一息に空へと消えていく。
夜の帳の中では、孝明にはもうどれが黒衣の塵となった誰かの姿を判別する事は出来ない。
ただ、突き出していた右手を下し、手首から先の色が元に戻った事を確認して手を合わせる。
「おやすみなさい」
小さく呟き、一通り祈って孝明は顔を上げた。
相手がどうあれ、命を奪ったのだから。その奪った命を背負う、だなんてカッコつけた事は言えない、がそれでも奪った命に対する最低限の礼儀として、彼は手を合わせた。
一つ息を吐き出して、そして駆け出す。
ソレはソレ、コレはコレ。元々家路を急いでいたのだから、この場を離れるのは当然だった。
彼は、薬師孝明。駒王町に住み、駒王学園高等部に新たに通い始めた一年生。
そして、自覚無き