【毒】に沈め 作:トリカブス
何が起きているのか。中級堕天使レイナーレは、考える。
数日前、彼女は部下であるミッテルトに一人の人間を始末するように命令を下した。彼女自身、既に顔も思い出せないような凡庸な顔立ち、と言ってもいい極々普通の一般日本人とも言うべき少年。
だが、その始末をつけるように言いつけた部下が、失踪した。
堕天使というのは、欲深い存在だ。そもそも、天使から堕ちる事によって堕天使となり、その落ちる要因が欲望への目覚めであるのでこの辺りはどうしようもない。
しかし、組織的行動が出来ない訳では無い。この辺りは人間も同じなのだが、彼らの場合は強者こそ全て。要は、強い者におもねるという事。
今回のレイナーレの行動も、上層部に対する媚び諂い。あわよくば、上司からの覚えよく寵愛を受けられる立場になりたいというもの。
「ミッテルトはまだ見つからないの?」
「申し訳ありません」
「レイナーレ様のおっしゃる範囲には影も形も無く、そこから更に範囲を広げても同じく」
「神器使いは、居なかった筈よ。まさか、悪魔に見つかったとでも?」
「それは無いかと。この土地の悪魔は、力はあれども箱入りの世間知らず。我々の事も関知していないのでは?」
自身の部下である、カラワーナとドーナシークからの報告を聞き、苛立たし気に彼女は眉根を寄せる。
この町を管理している悪魔に関しては、その警備がザルである事を彼女らは良く知っている。今も現在進行形で神器所有者狩りを続けていても遭遇しないのがその証拠。
だからこそ、ミッテルトがどうなったのか分からない。油断する悪癖のある彼女だが、だからといってむざむざ捕まることは無いだろう、という一種の信頼もあったから。
「とにかく、神器所有者狩りは継続よ。私が至高の堕天使になるために、不確定要素は必要無いわ」
会心の一手などを打てるほど、彼女は優れていない。プライドは異様に高いが。
少なくとも、彼女は今回の一件を自分が把握しきれていない神器使いの仕業であると断定。狩りを続ければ、それで済むと考えた。
それが、彼女が
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兵藤一誠は、駒王学園に通う二年生。どちらかというと、変態三人組の一人であろうという認識の方が強いだろう。
彼自身、変態だ。それはもう、何故そこまで突き抜けているのかと言えそうなほどに。
決して悪人ではない。やってる行為は、軽犯罪者のソレなのだが。それでも、彼自身は悪人とは言えない。
そんな彼は今、人ではなくなっていた。いや、人でなしとかそういう話ではなく、種族的な部分で。
「ひ、日差しが怠い……」
猫背になりながら、一誠は呻く。
紆余曲折を経て、彼は悪魔となった。それ以外の選択肢も無く、彼自身も今は一応の納得をもって現状を受け入れているのだが。
ただ、ソレはソレ。悪魔というのは、種族柄日中の行動はそれ程得意ではないのだ。特に、日光がきつかった。
その道中で考えるのは、つい昨晩の事。
悪魔となって、彼の主であるリアスが企画した他の眷属の力量プレゼンテーション。
だが、そのサンドバッグとして選ばれたはぐれ悪魔は、
強い個体ではない。それこそ、リアス含めた眷属一同にとっては、一誠を庇いながら立ち回ったとしても瞬殺できる程度の相手。
問題なのは、
その雰囲気から、鈍いところのある一誠も察する事がある。
自身の
少し話は逸れるが、兵藤一誠はこの世界における一つの
彼あるところに争乱があり、大挙して面倒事が迫ってくる。そんな存在であるのだ。
未だに慣れない辛い日中を超えて、夕暮れの黄昏時。差し込む夕日が辛いが、しかしそれでも真昼間よりはマシというもの。
「はっ……はっ……!」
自転車を漕ぎながら、一誠は町中を疾走する。
悪魔となったが、しかし転移の魔法陣すらも真面に起動できないほどの味噌っかすの魔力の結果、彼はこうして自転車に乗って悪魔家業に精を出している。
チラシをポストへと突っ込み、また次の家へ。
その繰り返しの道中の事だ。
「はっ……ん?」
少し甲高いブレーキ音。足を止めた一誠は、別の通りへと視線を向けた、
今彼が居るのは、トの字の様な形の通り。その長い部分に彼は居り、視線を向けたのは、斜め下へと飛び出た部分。
視線の先にあったのは誰かの背中。
既に夕暮れ時からは外れて、辺りには夜の帳が下りている。しかし、悪魔となったお陰か街灯が殆ど無くとも、一誠の目には確かにその背中が見えていた。
「ッ――――!」
反射的に、一誠は駆け出す。自転車がその反動で大きく倒れたが、そんな事を気にしている余裕は彼にはない。
考えるよりも先に、体が動く。それも、
駆ける、駆ける、駆ける。その左腕には、つい先日出す事の出来た神器の籠手が装着されている。
そして、
「――――は?」
あと数メートル、という所で背中が動いた。
無造作に突き出される右手。それが、眼前の異形に触れた瞬間、凄まじい断末魔と共に異形の姿が、溶け腐っていった。
まさかの光景に、助けようとしていた熱が一気に冷め、一誠の足も止まる。
異形は、宛らキメラとでも言うべきような風体だった。その大きさは三メートルを超える。
そんな化物が、触れられただけで崩壊した。悪魔に転生して半年はおろか一ヶ月も経っていないペーペーの初心者である一誠ではあるが、そのヤバさだけは本能が察知していた。
その背中が、ゆっくりと振り返る。
「……」
凡庸な少年だった。
黒髪に、整ったとも言えるが、しかし特徴の薄い顔立ち。スポーツブランドの紺のジャージの上下に身を包み、左手に提げるのはコンビニのレジ袋。
無表情の彼は、何も言わない。言わないままに踵を返して、一誠に背を向けて歩き出してしまう。
「ッ、待て!」
反射的にその背中へと手を伸ばす一誠。
ここで逃がしちゃいけない。彼の本能が、その行動をプッシュする。
だが、
「――――あ……?」
唐突に、膝が折れる。というか、気付けば彼はアスファルトの上に転がっていた。
起き上がろうと藻掻くが、急速に意識が遠のいていき、体に力が入らない。
(待……て……)
声も出ず、彼の瞼は落ちた。
暗闇へと沈んだ意識。それが、再び浮かび上がったのは呼び掛ける声があったから。
「――――……ッセ……」
「……」
「……い……イッ……」
「…………ッ……?」
「起きなさい!イッセー!」
呼び掛けに意識が浮かび上がる。
薄く目を開ければ、紅色の髪が視界に割り込んできた。
「ぶ……ちょ……」
「イッセー……良かった。あんまり遅いから、探してたのよ」
安堵の息を吐き出すリアス。
彼女は、身内愛に溢れたグレモリー家の令嬢だ。眷属になった期間など関係なく、等しく深い愛情を向ける。
その一方で、徐々に意識がハッキリしていく中で、一誠はこの状態に至るまでの経緯を思い出していた。同時に、弛緩しきっていた肢体を跳ねさせて、跳び起きる。
「アイツは……!」
その背中が去っていった方向を見れども、先には闇が続くばかり。
当然だ。辛うじて残っていたであろう夕日はとうの昔に沈み、辺りはとっぷり夜の帳の中にある。
悔し気にする一誠に、怪訝な表情をリアスは浮かべた。
「どうしたの?」
「ッ、ここに誰か居たんです。そいつが、化物を倒して。それで……」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。いったい、何の話をしているの、イッセー?!」
覚醒から急に騒ぎ始める眷属に、リアスは目を白黒させる。
だがその混乱も、彼の次の言葉で断ち切られる事になる。
「――――部長の言ってたはぐれ悪魔?を狩ってる奴ですよ!多分、アイツだ!」
確証はない。確かめた訳では無いからだ。
だが、彼の直感がプッシュしてくる。
あの記憶にも残らないような凡庸な少年こそが、カギを握る、と。
寝起きで混乱している、ともリアスは思った。が、同時に無視するには難しい情報でもあった。
辛酸を嘗めさせられ続けた相手なのだ。その手掛かりが思わぬところで手に入るかもしれない。そう思えば止まる訳にはいかない。
彼女は、端末を取り出し通話ボタンを押した。
@
薬師孝明の善悪の判断基準、もとい自衛における基準というのは割と曖昧であったりする。
一つ例を挙げるとするならば、命を脅かされるか、否か。
特殊な能力を持つ孝明ではあるが、その実彼の肉体は通常の人間とそれほど変わらない。フィジカルなども特別優れているとは言えないだろうし、強いて挙げても
それらから考えると、彼の【毒】というのは実に相性がいい。
何より、薬師孝明には敵対した暁には、容赦がない。
ミッテルト戦が良い例だろう。戦闘ともいえない悍ましい結果だったが。
視界を奪い、心をへし折り、抜け出せない毒沼で窒息させて、溶かして消した。
彼の言い分とすれば、
だが、散々こき下ろしたが、裏を返せば彼の場合敵対しなければ、相手に対する危害は最小限に抑えられるという事でもある。
能力は凶悪、筆舌に尽くしがたいが、しかし彼自身は決して殺人鬼ではないので。
だからこそ、その接触は時間の問題で、尚且つ必然でもあった。
「――――薬師孝明さん、ですよね?」
放課後。特に用事も無く、部活にも所属していない孝明は各教科の課題などをカバンに詰めて帰りの準備を整えていた。
そこに横合いから掛けられた声。振り向けば、真っ白な髪の少女が居た。
「君は……」
「隣のクラスの、塔城小猫です。今、お時間大丈夫ですか?」
「……まあ、少しなら」
咄嗟に言い訳なども思いつかず、孝明は頷いた。
「では、ついてきてください」
しかし、その後に続いた小猫の言葉に、早速自分の浅慮を呪った。
とりあえず、特に指定も無かったことからカバンを肩に提げて、先を行く小猫の背中を追う。
塔城小猫は美少女だ。その小柄な体格と整った顔立ち、更にシルクの様な滑らかな白い髪も相まって、その様子は白い猫のよう。
自然と、彼女が廊下を歩けば視線を集める。そのついでの様に、彼女の後をついて歩く孝明にも視線が幾つか向けども、基本は彼女にだけ視線が集まっていた。
その小さな背中を眺めながら、薬師孝明は考える。
そもそも、彼女と彼に接点はない。隣のクラスであるし、スクールカーストに当てはめるならば彼女は最上位であるのに対して、彼は底辺或いはランク外。
合同授業などがあったとしても、彼と彼女が隣り合う事も無い。
であるのなら、何のようなのか。
そんな背後事情に気付かない小猫はというと、特に何もなく真っすぐに目的地へと足を進めていた。
彼女から見て、薬師孝明は凡庸な少年だ。少なくとも、彼女は特殊な力等は感知できなかったし、殺気なども感じない為にそんな判断を下していた。
程なくして、到着するのは木製の建造物。
駒王学園の旧校舎。新校舎がある今、こちらは人の出入りも少なく、放課後であろうと人気は薄い。
その一室の前で足は止まる。
「部長、お連れしました」
「入って頂戴」
戸が開かれ、部屋の中へ。
出迎えたのは、四人。その内一人、茶髪の彼が孝明へと熱視線を向けてくる。
その中で、紅髪の女性が口を開いた。
「初めまして、薬師孝明君。私は、リアス・グレモリー。このオカルト研究部の部長をしているの。急にこうして呼び出してごめんなさいね」
「いえ、特に用事もありませんから」
「そう……それじゃあ、早速だけど本題に入らせてもらうわ」
言うなり、リアスは机越しにその瞳を細く鋭く尖らせる。
「つい先日、そこに居るイッセーと会ったでしょう?その時に、貴方ははぐれ悪魔“ヴァルグ”を討伐したそうね」
「……はぐれ悪魔?」
「その反応で十分ね。薬師孝明、貴方がこの町のはぐれ悪魔を狩り続けている犯人という事でしょう?」
ズバリと切り込んでくるリアスに、孝明はしかし表情を変えない。
「ふぅ……仮に、オレがその……はぐれ悪魔?とやらを倒していたとして、あなた方に何の関係があるんです?」
「否定しないのね。はぐれ悪魔の討伐自体に問題がある訳じゃないの。貴方が、未許可で討伐し続けている事が問題なのよ」
「?オレはただ、自分の身を守っただけです」
「だとしても……はぁ……とにかく、貴方は監視対象になるわ。まずは、このオカルト研究部に――――」
「お断りします」
きっぱりと告げられた拒否の言葉。机の書類へと目を落としていたリアスは、慌てて顔を上げて凡庸な彼へと目を向けた。
相も変わらず、感情を読ませない表情と瞳だ。凡庸な顔も相まって、まるで仮面でもつけているかのよう。
なぜ拒否をするのか、リアスはそう問おうとした。
だが、その直後に視界が揺れる。
「え……?」
咄嗟に、机の天板にぶつけそうになった上体を支えて、リアスは呻く。
周りを見れば、彼女の眷属である部員たちもまた床に崩れ落ちているではないか。
その中で、
「別に、殺しはしませんよ。あなた方の場合は、そっちの方が面倒が重なるだろうから。代わりに、オレの事は忘れてもらいますけどね」
静かに語られる彼の言葉に、しかしリアスは何も言えない。
唇が震え、喉が痙攣し、肺が引き攣れども、しかし言葉としては何の意味もなさない。
一切の抵抗をそれ以上赦すことなく、彼女の意識は闇へと沈む。
無味無臭の毒ガス。それは、薬師孝明の呼気と共にこの部屋の中に満ちていた。
自分以外の五人が完全に沈黙した事を確認し、孝明は踵を返した。
扉が開かれ、その背中は廊下へと消える。
そして扉は、重い音と共に閉じられた。