【毒】に沈め   作:トリカブス

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 薬師孝明にとって、人生に山も谷も必要が無い。

 面白みがないと揶揄されようとも、平坦で、平凡、平穏なそんな人生が良いのだ。

 人外染みた力を持ちながら何を、という話ではあるものの。そも、彼は今生が始まって一度として()()()()()()()()()()()

 何を当たり前な、と思われるかもしれないが今日にいたるまでの彼を知ればその考えも覆る。

 

 前提条件として、薬師孝明は殺人鬼ではない。殺戮衝動の様なものも、抱えていない。寧ろ逆に、()()()()()()に巻き込まれる事を忌避していると言っても良い。

 彼の理想は、最初に書いたように平坦な人生。このまま、適当に進学し、適当な企業に就職し、適当な人生を送る。それだけ。

 だからこそ、孝明は己の障害に対して一切の容赦をしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町が荒れてきた。キナ臭い雰囲気に、孝明の眉間にも皺が寄る。

 彼自身、戦う人間ではないのだがそれでも、そういう雰囲気というものを肌で感じるような、そんな感覚を持ち合わせていた。因みに、この荒れさせた一因は彼自身にもある。

 オカルト研究部との対面の後、孝明ははぐれ悪魔狩りを止めた。より正確に言うのなら、出くわしたとしても命を奪うような事をしなくなった。

 代わりに、記憶を奪う。実験も兼ねて。

 

「壊れた、か」

 

 壁に背を預け、口から一筋の涎を垂れ流しながら虚ろな目をして虚空を見つめる厳ついコート姿の男を見下ろして、薬師孝明は右手で顎を摘まむように撫でる。

 人の来ない路地裏。そこで、彼は襲撃を受けていた。

 

――――「ようやく見つけたぞ」

 

 このダンディな男はそう言いながら、()()()()()()()()()()()()()()()

 瞬間、孝明は一切の問答を許すことなく、男を制圧した。

 彼にとって、黒い翼は町中で出くわすはぐれ悪魔と同じく、厄介事でしかない。彼の中で、黒い翼を背負った存在、堕天使に対する好感度はミッテルトの一件で最悪である。

 

 そして、ここで彼の中で最悪の方程式が完成してしまう。

 

「それにしても……あのオカルト研究部も堕天使なんだろうか?」

 

 何故、こう考えるのか。ある意味では必然。彼が持ち合わせている情報を統合すると自然とそうなった。

 

 まず、彼が思い浮かべたのはしばらく前。茶髪の彼(兵藤一誠)が、黒髪の美女とデートしていた時の事。

 ただ見ていただけで、その直後にミッテルト(堕天使)に襲われた。

 そして、茶髪の彼はオカルト研究部に所属しており、その部長である紅髪の先輩(リアス・グレモリー)は調べたのか孝明の情報をある程度得ていた。

 そこから、茶髪(一誠)経由で、黒髪へと情報が渡り、今回の襲撃に繋がった。少なくとも、孝明はそう考えたのだ。

 

 彼の考えは、()()()()()()。いるのだが、しかし当事者であり、情報を断片的にしか持ち合わせていない孝明にはそれを知る術がない。

 一つだけ確かな事は、

 

「オレは、平穏無事に過ごせればそれで良いんだがね」

 

 現状が、自分の理想を脅かさんとしているという事。

 徐に、孝明は殆ど意識を失っている男の前に膝をついた。

 

「少し、役に立ってもらおうか」

 

 伸ばされた右手が、男の額を掴む。

 握り潰すつもりはない。そも、孝明に人の頭をリンゴの様に握り潰すだけの握力は無い。

 ただ、指が軽く折り曲げられ、その指先それぞれが頭皮に食い込む様に動かされた。

 変化は、指先。毒液を飛ばした時とは違う、緑色。それも、新緑などの鮮やかなものではなく、()()()()()()()だ。

 更に、その指先は爪が鋭利な物へと変わっており、宛ら獣のよう。その鋭い爪先によりつけられた傷口より、新たに作られた【毒】が送り込まれていく。

 

「おっ……ごっ……ぉぉ……!?」

 

 男が呻くが、しかし動けない。仮に意識がハッキリとしていたとしても、その肢体には力を入れる事など出来なかっただろう。

 色艶の良かった肌は、気付けば青白く死人の様に血の気が抜けた。そこに差すのは、薄ぼんやりとした緑色。

 顔の縁に血管の様な筋が幾重にも浮かび上がり、瞳は白濁していく。手足が不自然に痙攣し、コートや革のグローブで伺い知れないが、その下の皮膚もまた顔と同じような変化が起きていた。

 程なくして、男の痙攣が収まり、同時に孝明の手も外される。

 立ち上がった孝明。それにつられるようにして、男もまた立ち上がる。

 ゆらゆらと重心の安定しない幽鬼のような有様だが、しかしその足裏は地面に接着されているかのように不自然なまでに動かない。

 頭一つは高い男の顔を見上げて、孝明は顎を撫でた。

 

「成功、かな?どうにも、加減が分からないが……体格や体質、種族によって耐えうる【毒】の規模も変わるのは間違いない。まあ、()()()()()のなら良いか。そも、君らが吹っ掛けてきた事だよ」

 

 孝明が左手を払うように動かせば、男の背より濁った黒い翼が現れ、その体は宙を舞った。

 その背を見送り、彼は踵を返すと、男の飛んでいった方向へと背を向け歩き出す。

 結果がどうなろうと、そんな事は知った事ではないから。いや、頭の中にある知識通りの事が起きるのなら、それはもう凄惨な光景となりかねないのだが、やはり知った事じゃない。

 

 “人”というのは自分の不利益にならない事に関しては寛容、或いはドライな場合がある。

 今の薬師孝明にとって()とは()()使()の事。二度にわたって狙われたのだから、反撃する事に一切の躊躇は無い。

 

 喧嘩を売る相手を間違えた。ただそれだけの結末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾンビセミ、というものがある。

 これは、マッソスポラ菌という真菌によって発症する病気。因みに、真菌とは要は“カビ”の事だ。

 この菌に感染したセミは、体の凡そ三分の一。腹部の先端から中ほどまでをマッソスポラ菌の胞子へと変換される。そして、この変換の過程でセミの腹部の凡そ半分は菌に食い落されてしまうのだ。

 当然、そこまでのダメージがあれば、蝉も絶命する事になる。

 本来なら。

 というのも、この菌に感染したセミは、体の三分の一を失っても交尾し、飛行を可能とする。

 これは菌にとって、セミが生きている状態の方が都合がいい為。生命維持と同時に、意思そのものを縛り付けているとされている。

 その様子は、宛らゾンビだ。そして、この菌はセミが木々を飛び移る際に胞子を撒くだけでなく、蝉同士の交尾に際しても株を分けるようにして繁殖していく。

 幸いな事といえば、人間への感染はないという点か。

 他にも、バッタカビなどもこれに近いかもしれない。尤も、こちらは一定の高さに行くと宿主であるバッタを殺してしまうのだが。

 

 長々と連ねたが、要は生物を“ゾンビ化”させる菌というのが居るという事。

 

「ッ、ドーナシーク……!」

 

 左頬に引っかき傷をつくり、変わり果てた同僚の名を呼ぶカラワーナ。

 堕天使の拠点であった教会は、戦場と化していた。

 つい数時間前の事だ。ドーナシークが、標的である少年を発見したかもしれないと報告を上げてきた。

 もし仮に間違いであったとしても、今までも散々に人間を殺してきたのだから、今更一人や二人増えた所で隠蔽リスクも無い。

 という訳で、攫えと指示が飛び――――しかし戻ってきたのはドーナシーク一人。

 すわ、失敗したのかと詰め寄ったレイナーレだったが、その直後に振るわれた光の槍にその舌鋒も収めるしかなかった。

 

「ぉぉぉぉ……!」

 

 白濁した目。虚ろに開いた口からは、呻き声と涎が散り、その肌の色は蒼白。加えて血管の様な筋が浮かんで、顔の縁取りにカビの様な緑が浮かぶのだから異常なのは明らか。

 何より恐ろしいのが、その筋力含めた力のリミッターが、半ば外れている点か。

 下級堕天使である筈の彼の一撃を、中級堕天使であるレイナーレは受け止める事が出来なかった。それどころか、一方的に吹き飛ばされる始末。

 ただ、リミッターというのは自分を守るために掛けられているものだ。当然ながら、それが外れれば自然と自分の力は己の体へと牙を剥く。

 今も、槍を振るった腕から鈍い音がした。そも、その槍を握る手にも力が入り過ぎて、骨が折れ、皮膚が裂け、どす黒い血が流れている。

 それでも、ドーナシークは止まらない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」

 

 絶叫と共に、暴れる。その叫ぶ口より、泡立った涎が溢れ、そこには薄くだが緑が混じる。

 最早、理知的な部分など伺えない。獣のソレだ。

 そして、地獄は連鎖する。

 

「――――……ッ……?」

 

 不意に、カラワーナの口の端から一筋の血が流れる。視界が、赤く明滅する。

 思わず、膝が折れた。気付けば、左頬の引っ掻き傷が熱を持ち、どくどくと脈打っているような気すらもしてくる。

 教会の床を引っ搔く手。石材であるため、如何に堕天使と言えども、そんな場所に爪を立てれば自然、爪がはがれ血が流れる。

 だが、今のカラワーナにはそれら激痛すらも、ブレーキにはなりはしない。

 体の中が、書き換えられていく。まるで、内臓を引っ掻き回されているような不快感が高まる胸の内に反して、その脳はまるで白い靄を流し込まれているかのようにどんどんボンヤリと変化していく。

 熱くなる体。熱を吐き出さんと天井を見上げ、大きく開かれた口からは、しかし声も漏れず泡を吹く。

 床から、掻き毟る対象を喉に変えた指。爪が剝がれて朱に染まった指先が、何度も何度も白い首筋を出鱈目に引っ掻き幾つもの赤い線が引かれる。

 

 そして、ここに新たな獣が一匹現れた。

 

「あっ……か……」

 

 剥かれた白目。首どころか、顔まで引っ掻いて幾筋も刻まれた赤い線が、振り乱された髪の隙間から覗き、だらりと下げられた両腕は弛緩し、指先から滴った血が床を汚す。

 この時点で、レイナーレは逃げ出そうと考えた。

 彼女自身、堕天使としてのプライドがあるが、同時に小物でもあるのだ。どれだけプライドがあろうとも、死の恐怖を乗り越えるだけの心の強さなど無く、変調を来した部下を命懸けで救おうとする様な気概も持ち合わせてはいない。

 ただただ、その場に背を向けて、尻尾巻いて逃げ出す。負け犬の様に。

 だが、レイナーレは失念していた。あまりの恐怖故に、致し方ないと言えばそれまでだが兎にも角にも、()()()()()()()()()

 

 背を向けたその瞬間を、獣たちは見逃さない。

 

「ハァアアアア…………ッ!」

「ギ……ガッ……!」

「ひっ……!」

 

 小さな悲鳴が、レイナーレより零れた。

 背を向けた直後に、彼女の左肩と後頭部が掴まれ、腰に細い両腕が回されていたのだから。

 そう。今のカラワーナもドーナシークも、レイナーレよりフィジカルが上なのだ。階級的な差も、リミッターが半ば外れてしまえば意味を成さない。上司と部下という関係性も、理性が無い為に機能していない。

 振り払えない。掴まれた左肩は折れ、後頭部は軋みを上げている。腰に回された腕は、細いにもかかわらずまるで大蛇にでも絞め潰されているかのように内臓を圧迫してくる。

 

「あ、ぐっ……!は、なせぇ……!」

 

 逃げようと身を捩るレイナーレだが、しかし相手は二人がかりでビクともしない。

 呼吸が浅くなり、視界が滲む。

 何を間違ったのか。自分はただ、上層部に気に入られたかっただけなのに。自分の今までの行いを反省する兆しが、この瞬間にも無い辺り、彼女の末期さというものか。

 そして、

 

「いやぁあああああああああッ!!――――あ……」

 

 絶叫が響き、直後肉が潰れる音が僅かに流れた。

 ドーナシークの口が左の首筋を、カラワーナの口が右わき腹を。それぞれ食らいつく。

 皮膚が食い破られ、本来は特別鋭くも無いはずの歯がそれぞれの場所で深く、深く突き刺さり血が溢れた。

 激痛の中、レイナーレの肉体は直ぐに変化を迎える。

 

「あ……がっ……ぎ、ぐぅ……!?」

 

 引っ掻き傷からの汚染とは比べ物にならない。調整され、死なないように見極められた注入ともまた違う。

 二ヵ所から同時に進む侵食。それも太い動脈がある位置に噛み付かれたせいか、血流にのって彼女の体は瞬く間に侵食されていった。

 噛み付かれた左首筋と右わき腹を中心として、血管の様な引き攣った筋が幾つも浮かぶ。

 この筋が、不気味に脈動するのだ。まるで、それぞれの箇所に、心臓が新しく出来上がったかのように。

 そこからは後の二人と変わらない。皮膚が蒼白と呼べる程に白くなり、首筋の引き連れが顔の左半分にまで及ぶ。瞳は白濁し、加えてレイナーレ場合はその両目から滂沱ともいえる血涙が溢れていた。

 

 その濁った瞳が、金の聖女を見咎める。

 

「ひっ――――」

 

 聖女、改め魔女アーシア・アルジェントの喉が引き攣った。

 彼女もまた、問題を抱えてここまで流されてきたのだが、その報いにしても現状は行き過ぎていた。

 

 これは、堕天使への報復行為を行った“彼”の誤算。

 即ち、彼は堕天使の拠点に人間がいるとは考えなかったのだ。

 そして、アーシア・アルジェントは戦える人間ではない。不思議な力を持っていたとしても、それは治癒という後方支援に特化した物であった。

 一応、戦える人間は居た。フリードだ。しかし彼は、ドーナシークが変調を来した事を確認した瞬間、さっさと逃げてしまった。

 

「ッ……!」

 

 アーシアに逃げ道は無い。

 彼女が思い出すのは、この町に来て出会った茶髪の少年。

 不器用ながらも一直線。そして心優しい性格。

 

 人の汚さに晒されてきたアーシアは、最期を悟った。

 

(イッセーさん……)

 

 その頬を涙が伝い、朱に染まる。

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