イナズマイレブン〜蘇る雷鳴〜   作:暁の教徒

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再起への道程 編
プロローグ:消えた天才


 スタディオ・マドリードの雨のピッチ、右サイドをドリブルで駆け上がる白い人影。その動きに呼応するように中央、白髪のセンターフォワードがディフェンスラインの裏へ走り出す。パスは出ない、忌々しく舌打ちをしながらも追ってきた長身ディフェンダーのマークをいなし、ポジションを取り直す。

 ディフェンスと対峙するウイングを追い越して上がったサイドバックにスルーパスが渡り、相手を引きつけるワンクッションを置いて速いグラウンダーがセンターフォワードの元へ。横からのパスで体勢が悪い。このままでは前を向けないと判断し、先程のディフェンダーを背負いながら落ち着いてフリーのミッドフィールダーにパスを落とすと、間を置かず反転して裏へ走る。落としを受けたミッドフィールダーは、この未来が見えていたかのように極上のスルーパスを供給してくれた。

 

「来た…!」

 

 思わず日本語が漏れる。スタジアムに響くスペイン語のチャントに背中を押されながらボールを右足でコントロール下に置き、19試合ぶりのゴールを、チームを逆転優勝に導く最高のゴールを取るために、ドリブルを開始する。

 

(この伊槌鳴哉(いづちなりや)の名を! 再び世界に轟かしてやる!)

 

 脳裏に過ぎる苦渋の記憶。日本で天才と持て囃され、自信を燃やしてスペインの強豪、キング・マドリードの下部組織に入団し、しかし大した数字を残せていない。ついに代表にも選ばれなくなり、もはや母国ではコアなサッカーファンの中でしか話題に登らなくなってしまった。

 それも、今日で終わりだ。やっと終わりだ。

 

(俺は変わる。再び光を取り戻す! そのために! この試合で、FCカタルーニャから点を奪う!)

 

 ゴール前、完璧に抜け出した。腰を落として構えるゴールキーパーの手からは炎が溢れている。その姿を認めた伊槌は、スピードを緩めて絶対の自信を持つ必殺のシュートを放つモーションに入ろうとした時──剥がしたはずのディフェンダーが、背後から軸足に足を絡めてきた。

 

「うわっ!」

 

 当然バランスを崩してもんどり打った伊槌を見て、カタルーニャディフェンス陣に緊張が走る。そしてその懸念は杞憂とはならず、主審は笛を吹くと共にペナルティアークを指差し、PKの判定。詰め寄るカタルーニャ選手達を尻目に、伊槌は芝を叩いた。

 

「ハァッ、ハァッ…」

 

 PKを得た嬉しさよりも、自身の手でゴールに沈められなかった悔しさが、ゴールが遠のく痛みが襲ってくる。キング・マドリードでのPKキッカーは伊槌にラストパスを供給したミッドフィールダーだ。血が出そうなほど強く唇を噛みながら立ち上がり、主審に詰め寄り抗議するカタルーニャ選手達を見やる。主審の手には赤いカードが握られていた。退場を誘発させることもできたようだ。さらに大きくなったチャントに押されるように、心の奥にあるゴールへの渇望を誤魔化してボールを拾い、いつの間にか寄ってきていた味方の中からキッカーにボールを差し出す。

 

『せっかく取ってやったんだ。決めろよ』

 

 注意を払っておどけた調子で、しかし吐き捨てるように言葉を溢す。

 

『いいや、君が蹴るんだ』

 

 耳を疑った。後半の28分、試合の最終盤のスコアレスで、引き分けでは優勝できない局面。確実に仕留めなければならないこのチャンス、本職のPKキッカーではなくこの場面以外ではほとんど消えていた、途中出場のフォワードに任せるのはどう考えても得策ではない。

 

『……本気か?』

 

 理性が警鐘を鳴らす。伊槌は一瞬逡巡した。

 

『ああ。君に点をとって欲しい』

 

 ──点を取れる。悪魔の囁きのような甘美な響きは、無得点のストレスに強く晒されていた伊槌の張り詰めた心に嫌に木霊した。

 

『……分かった。ありがとう』

 

 最後には、自分の活躍を優先した。このまま終わりたくない。再び輝きたい。燃えたぎる野心が口について出た。

 そもそも、決めれば何も問題はないと、心の中で(うそぶ)く。差し出したボールを、ゆっくり下ろしてゴールへ振り向いた。カタルーニャの選手は、既にペナルティエリアを出ており威圧感を放つキーパーと後ろのゴール、そして控室に上がる退場したディフェンダーしか視界に入らない。妙に寒くて、観客も、雨粒も、ぼやけて見えた。耳には破裂するほどの拍動しか聞こえない。

 

「確実に…決める」

 

 祈るように口に出す。スタジアムに降り注ぐ雨が白いユニフォームと同色の髪を濡らす。軽く口元を拭い、伊槌は何故か震える手でボールを持ち上げ、ゴールのわずか9.15m先、ペナルティアークへ押し付けるようにボールをセットし数歩助走をとった。

 息をついて感情を押し込める。笛の音を認めた数秒後、薄く目を開け、ゆったりと走り始めればゴール前に対峙する灰色の人影から、背後の選手達から緊張が迸る。彼も同じだ。

 ボールとの距離を半分詰めた彼は、急激にスピードを上げ、渾身の力で右の膝下を振り抜いた。

 

 1秒後に聞こえた音は、彼の求めたネットの摩擦音と歓声。

 

 ──ではなく、しとしと注ぐ雨の音。先ほどとは違う歓声と、聞き覚えのある怒号。

 

 そのゴールの後ろには、遠く遠くに白黒の点が見え──

 ──伊槌鳴哉は、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

 

──

 

 降り注ぐ春の陽光が、伊槌を微睡みから浮かび上がらせる。公園のベンチで眠ってしまったようだった。短時間とはいえ座った体勢で眠ってしまったために酷く凝った身体をほぐしながら、ゆったりと立ち上がる。

 地元の僻地にある小さな公園では、少数の子供がボールを蹴って遊んでいた。大した技術はないが、誰もが楽しそうにボールを追いかけている。陽の光にやられたのか、伊槌は眩しそうに目を細めながらぼんやりと子供たちを見ていた。

 

「いくぞー! ファイア……トルネード!」

 

 大層な口上とともに放たれた普通のシュートは、しかし大きく逸れて伊槌の足元に転がってくる。その瞬間、薄ぼんやりした伊槌の表情が、一転して苦しむかのように歪められた。

 すいませーん、と子供が呼ぶ声が聞こえるが、伊槌はそれどころではなかった。足元のボールを飛んできた方向に雑に放り投げ、苦虫を噛み潰したような表情で息を弾ませながら足早に去っていく。

 ボールに触れた手が震えている。白と黒のコントラストを見るたびに、チームを救えなかったあの日が、自分の才能の限界を見せつけられた、忌々しい雨のピッチを思い出してしまう。俯きながら、震えた手をもう片方の手で握って無理矢理抑える。

 

「うわっ」

「いてっ」

 

 足下だけを見て歩いていたために、同年代ほどの少年とぶつかってしまった。状況をいち早く飲み込んだ伊槌は慌てて頭を下げる。

 

「すいません、注意力不足でした」

「あ、いや、こっちこそ……って」

 

 少年の目が驚きとともに開かれ、同時に歓喜の色が現れる。その瞳に映る伊槌は、先ほどよりも苦しみを訴える顔をしていた。

 

「伊槌選手!? え、本物!?」

 

 ギリッ、と伊槌は歯を食いしばる。腹の奥から湧き上がる不快感を押さえつけ、人違いです、と呪うように吐き捨てて逃げるように横を抜ける。

 角を曲がって軽く背後を確認してももう誰もいない。伊槌は深く溜め息をついて張り詰めた心を緩めた。

 

「はぁ……クソ」

 

 引っ越しや転校の作業の気分転換に久々の地元を散歩していただけで忘れたいことを思い出してしまった。やりようの無い怒りに軽く悪態をつきながら幽鬼のような気怠げな足取りで帰路に着く。心地よくそよぐ風と春の陽射しは、伊槌の心など映すわけもなく穏やかだった。

 

 

 

 

 

 伊槌がこれから通う中学は『憲戸中』と言う名の私立中学だ。選んだ理由は主に二つ。家から近かったこと、そして、サッカーに力を入れていない学校だったからだ。軽く調べた伊槌は、ここが一昨年も、昨年もFF(フットボールフロンティア)県予選で一回戦敗退の記録を叩き出していることを知っている。誰も覚えていないような弱小校であることは、マドリードから離れた上でサッカーを忘れたい伊槌にとって、渡りに船だった。

 とはいえ、転校初日というのは、思春期の少年にとっては胃が痛くなる事柄であることは間違いない。現に、伊槌は教室の前で悩ましげに、稲妻のようなメッシュが入ったその白髪をいじくっていた。

 緊張と不安に苛まれ歪んだ表情を隠せない伊槌だったが、背後の教室の扉が開いたことで無理矢理表情を引き締める。

 

「さあ、入って」

 

 教師に入室を促され、軽く会釈しながら敷居を跨ぐ。それと同時に晒される好奇の視線は、サッカー選手としての顔を捨てた伊槌にとってはあまり快くないものだった。

 

「彼が今日からこのクラスに転校してきた生徒だ。さあ、自己紹介を」

 

 隣の教卓に立った教師が言う。針の筵のような視線から一刻も早く逃れるべく、口元を手のひらで拭って、軽く深呼吸をしてから滔々と口を開いた。

 

「伊槌鳴哉です。ちょっとした都合でスペインの方にいましたが三日前に帰ってきて、この学校に来ることになりました。お願いします」

 

 何度もシミュレートしたその言葉を機械的に吐き出し頭を下げる。肩の荷が下りた心地よい感覚に包まれながら、ばちぱちとクラスメイト達のどこか沸きたった拍手を受け、あらかじめ知らされていた机に、早々と着席する。何人かの生徒は伊槌のことが気になっている様子だったが、都合よくなった予鈴のおかげで伊槌に話しかけてくることはなかった。

 授業後の彼らの動向が手にとるように分かって、伊槌は細い溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 それからは質問責めだった。

 スペインのこと、好きなこと、趣味。

 学校という変化の少ないコミュニティにいる学生にとって伊槌という新しい風は、伊槌が望まずともとても新鮮に映ったのだろう。

 元々饒舌では無いことに加えて、精神的にも十全と言い難い伊槌にはひどく体力を持っていかれることだったが、これも何とか乗り越えた。帰路に着く伊槌の顔には色濃い疲労が現れていた。

 それと、誤算も一つ。『伊槌鳴哉』というサッカー選手は、やはりというべきか日本ではもうあまり有名では無いらしい。クラスメイトにも、他の学友にも一度も聞かれなかった。となると、いつかの少年は低い確率を引いてしまったということなのだろう。

 サッカーを捨てたい伊槌にとって、その顔を知られていないことは僥倖のはず。しかし、胸の中にはその喜びの他に、言い知れぬ不愉快な感情もあった。

 

「はぁ……」

 

 重い感情を抱えた伊槌は肉体と心の疲れから、通学路にある公園のベンチに腰を下ろしていた。

 サッカーグラウンドが中央に鎮座する、大きな公園だ。青森は地元だが、ここは初めて来る地域。子供の頃に来たかったな、と、ふと現れた思考を頭を振って飛ばし、自嘲する。子供の頃のサッカーなど、もう自分には関係ない。

 カバンを下ろし、ただただ無心で沈み出した太陽の光を感じていた。すると、その足元に、忌々しいあの白黒が転がってくる。伊槌はどこか既視感のある光景に顔を顰め、軽く蹴り飛ばす。

 

「おっと、せんきゅ!」

 

 少女の声に、ふと顔を上げる。長いピンク色の髪をした、透き通るような瞳を持つ大人びた見た目の綺麗な少女だった。彼女はその髪と同じピンクを基調としたユニフォームに身を包んでおり、その胸元には『憲戸』の校章があしらわれている。

 

「サッカー部……」

 

 ふと言葉を漏らした。彼女が、憲戸中の弱小サッカー部の一人。ボールを抱えて笑う少女の姿に、伊槌は少し嫉妬した。

 少女が、伊槌の姿を観察するようにしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。反射的に目を逸らした。

 

「君ぃ、うちの中学の子だね?」

「はぁ……たしかに憲戸中ですけど」

 

 ぱっと立ち上がった少女の突拍子のない質問に、気が抜けた声で返す。年がわからなかったので、とりあえず敬語で返した。

 少女は伊槌の肯定に笑みを浮かべ、びしっと擬音がつきそうなほど鋭い動きでこちらを指差してきた。

 

「私は憲戸中サッカー部キャプテンの様崎咲夜(さまさきさくや)! 単刀直入に言うけどサッカーやろう!」

 

 突然指を突きつけられて少し驚いた様子で伊槌がのけぞる。様崎は大人びた容姿に反して行動は何処か無邪気で、言い方を考えなければ子供のようだった。

 気を取り直した伊槌は、軽く息を吐いてから返す。

 

「すいません、嫌です」

 

 その言葉に様崎は顔を曇らせ、えー、と不満げな声を漏らす。その様子に伊槌は少し心を痛めた。

 

「いいじゃーん、君センスありそうだしさー」

「……ちなみに、何でそう思うんです?」

 

 様崎のふとした問いに伊槌が危機感を覚える。サッカーを志すものなら、小学生でスペインのクラブに入団したかつての自分を知っていてもおかしくない。それを知られれば、執拗な勧誘を受けることになることは火を見るよりも明らかだった。

 いやだって、と様崎は軽い調子で話す。

 

「さっきさ、ぽーんってボール蹴ったときすごい上手かったもん。一流っていうのはボールタッチだけでも上手いもんなんだよ」

 

 伊槌は、様崎のその観察眼に僅かに目を見開く。

 伊槌の僅かに発揮された錆びていない技術に気づけるということは、様崎もかなりのやり手なのだろうか。伊槌の脳内に疑問が浮かぶ。

 この弱小サッカー部のキャプテンは何者なのか、降って沸いた問いを溜め息と共に忘れ、立ち上がる。

 

「とりあえず、やる気ありませんので他を当たってください。すいません」

 

 カバンを持って、さっさと立ち去ろうとする伊槌の前に、流れるような動作で様崎が立ち塞がった。

 

「まあまあ、体験ってことでちょっとだけ私と遊ぼーよ」

「……嫌ですが」

「君に拒否権はないよーだ」

 

 へらへら笑う様崎に少し腹を立てた伊槌は、かわしてやろうとフェイントを織り交ぜて様崎の横を狙う。しかし、彼女は伊槌のそのステップワークに軽々とついてきた。

 

「足捌きいーね! やっぱセンスあるよ君!」

「それはっ、どうも!」

 

 少し熱くなってきた伊槌は大人気なく本気のステップでかわしにいくものの、様崎も負けじと食らいつく。

 三分ほどの格闘の末、折れたのは息を弾ませた伊槌だった。

 

「分かりました、分かりました! やりますよ、一回やったら帰りますから!」

 

 白旗を挙げるように両手を掲げ了承の言葉を言わされた苦い顔の伊槌を見て、様崎はひどく愉快そうに破顔した。

 

 

 

 

 

 制服の上着を脱ぎ、白いシャツ1枚に姿を変えた伊槌が、ハーフコートの半ばほどにてボールをセットする。その腕一本分ほど距離を空けた前で、様崎がゴールを背に構えていた。

 ルールはハーフコートでの1on1。ゴールを決めれば伊槌の勝ちで、ボールを奪えば様崎の勝ちと至極単純なものだ。

 

「ディフェンスでいいんですか?」

「そりゃー私DFだし!もちろん!」

 

 軽くリフティングをしながら、深くため息を吐く。伊槌にとってこの勝負は何の利点もないため、真面目に取り合う必要などない。だが、手を抜いて弱小校のキャプテンに負けるのは伊槌の小さなプライドが許さなかった。

 

「いつでもはじめていいよー」

 

 様崎が変わらず軽い調子で手を振る。ボールを地面に落とし、伊槌は前を見据えた。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 その言葉とともに、ドリブルを開始する。

 背筋をしっかり伸ばした体勢で、細かいタッチのドリブル。フェイントは全く入れていないが、相手のアクションに対して即座に反応できる理想的なフォームに、様崎はボールへチェックできず、シュートコースに体を入れて切り、スタンスを保ったまま後退していく。

 ゴールまで約25m。シュートレンジに入ったことを認識した伊槌が仕掛ける。

 左へのボディフェイント、一瞬つられたのを見てすかさず右足でボールを跨ぎフェイントを重ねる、左に右に振られた様崎は軸をずらしてしまい、一瞬たたらを踏んだ。

 

「上手いね……っ!」

「そこっ!」

 

 その機を逃す訳もなく、右にボールを持ち出してかわしに行く。何とか後追いしてくる様崎を認めた伊槌は、それに構わず右足を振り抜く体勢に入った。

 

「っ!」

 

 すかさず様崎が体を持っていって、目一杯伸ばした足でシュートブロックを試みる。伊槌はほくそ笑んだ。

 瞬間、伊槌は右足で蹴り抜きかけたボールを舐めるように扱い、軸足の後ろを通して様崎を置き去りにする。

 

「わっ、うまっ……!」

 

 ハイレベルなクライフターン。リアリティのあるシュートフェイクにかかった様崎は、体を倒しながら実に楽しそうに笑んだ。

 

「終わり……!」

 

 後はボールを左足に持ち変え、完全に空いたコースへ打つだけでゴール。勝利を確信した伊槌は、しかしその刹那感じた寒気に、動作を直前でキャンセルして、ボールごと後退した。

 

「おっ!?」

 

 結論から言えば、その判断は正解だった。

 完全に剥がしたはずの様崎が、先ほどまでボールを置いていた位置に鋭いスライディングを仕掛けてきたいたからだ。

 

「嘘だろ……完全にかわしたはずだ……」

「ふふん、すごいでしょー」

 

 ケラケラと様崎が笑う。軽薄そうな雰囲気に反して、守備力は、特にその敏捷性(アジリティ)は伊槌から見ても高い次元にある。ギャップまみれの女だ、伊槌は心の中でつぶやいた。

 息を整えて思考を回す。伊槌は先ほどのような「剥がす」ドリブルはともかく、「抜く」ドリブルは不得手だ。となれば、前よりも速いテンポで様崎を剥がし、より早く、ブロックできないようなシュートを打ち込むべきかと結論付け、再び様崎を見やると、今日だけで何度見たかわからない愉快そうな表情の彼女がいた。

 

「……? 何笑ってんだ?」

「ふふ……いやー、君の楽しそうな表情見てたらさぁ、こっちも楽しくて」

 

 楽しそうな表情、という言葉に、訝しげに目を細めた伊槌だが、頬に手を当てると、自分が笑っていることに気がつき、動揺する。

 マドリードで全ての自信を打ち砕かれ、失意と怒りの思い出しかないサッカーを、自分が楽しんでいる。その奇妙な状況に、しかし伊槌は合点がいった。

 

「ああ……楽しいよ。卒業試合には最高の相手だ」

「卒業試合? なんかよく分かんないけど、今の君の方が面白い子だね!」

 

 崩れた口調を直そうともせず、伊槌は笑みを深める。彼女とひとしきり笑い合った後、思考を切り替えゴールまでの道筋を探して感覚に没頭する。

 一秒経たないうちに息をついた伊槌は先ほどと同じように背筋を伸ばして、より細かいタッチで様崎と相対した。

 彼女はまた待ちを選択する。伊槌の手に対して後出しジャンケンができる都合、様崎からアクションを起こす必要はない。この重要な局面でも、互いにクレバーさを失っていなかった。無駄口を叩くこともなく、相手の動きに集中する。

 

 やはり先に仕掛けるのは伊槌。広く幅をとったダブルタッチで右に動き前を開けようとするが、当然様崎も着いていく。伊槌はまた同じように、様崎の動きの逆を突いて左へ突破を図り、そしてリプレイのように彼女は立ち塞がる。

 ここからが新たな局面。伊槌はボールに足を乗せながら先ほどと同じように後退する仕草を見せた。下がれればコースが空く、その思考を読んだ様崎が一気に距離を詰めボールを奪おうと、足に力を込めた。

 それを認めて、伊槌が笑う。彼はボールに乗せた足を軽く左斜め前に押し出し、縦に動いた様崎の横へ逃げた。

 いくら高いアジリティを持つとは言えど、行った動作を止めるためには一瞬を要する。そして、伊槌はその一瞬を利用して置き去りにできるほどのプレイヤーだった。

 

「やばっ!」

 

 様崎が咄嗟にバックステップを踏み、シュートブロックを試みる。既に伊槌は、シュートフォームに入っていた。

 

 左のつま先でボールを上げる。刹那、目にも止まらぬスピードで左足を引き、ボールの下側を擦りその場で強い回転エネルギーを注入。引いた勢いのまま、大きく振りかぶった左足がその場で回転を続けるボールの芯を蹴り抜き、回転による足とボールの摩擦は電撃を生み出し始めた。

 これこそが伊槌の切り札。様崎が着いて来れないほどのスピード、そしてブロック不可能な威力を兼ね備えた、マドリードへの切符を掴んだ彼の代名詞。

 左足に収まるボールは既にバリバリと音を立てて電撃を散らす。自身最強の一撃を渾身のボレーとともに振り抜いた。

 

「──電閃(デンセン)ッ!

 

 稲妻をまとったシュートは様崎の足を弾き、風切り音、炸裂音とともにゴールへまっしぐら打ち出された。

 

 シュートは威力を増して伸び上がり、空気を切り裂き────そしてクロスバーに激突してゴールを逸れた。

 

「……え」

 

 バーに弾かれたボールを見上げていた伊槌は自身の中で灯火のように燃えていた何かが急速に冷めていくのを感じた。ルーズボールは様崎が押さえ、ゴールを守り切った彼女の勝利で決着となる。

 

「いやー惜しかったね!でもすごいシュート!やっぱサッカーやら──」

「やらないです」

 

 様崎の言葉に乱雑に返した伊槌は、カバンを乱暴に取り上げそそくさと退散した。彼女はその様子を首を傾げて見ていたが、「いつでも待ってるよー」と声をかけるにとどめてピッチに戻っていった。

 

 シュートを外した瞬間、伊槌の脳裏にはスタディオ・マドリードの記憶が走り回っていた。

 優勝を逃したPK失敗。感情的なサポーターの容赦ない野次、少ないチャンスを活かせなかった自分への怒り、周囲の失望。その全てが伊槌の心に重くのしかかる。

 あの日と違って、空は穏やかなのに。

 伊槌の顔は、大雨に降られていた。




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