「あちゃー、逆転されちゃったね☆」
「チッ、マジうざ。さっさと追いつくし」
不穏に鳴り出した空の下で、2人の少女が言葉を交わす。片や愉快そうに、片や不機嫌そうに。
だが、その瞳には共通して底知れない戦意が秘められていた。不敵に笑う叛月が、センターサークルにボールを押し付ける。
「ククッ、最高の試合だァ……このまま終わらせてたまるかよ!」
「グウウ……オラはどうでもいいぞ〜」
雨がまばらに地面を濡らし出した。冷える空気の中でも黒鉄は獰猛な熱さを見せる。鰐原はどうでも良さそうだったが、投げ出すつもりもない様にポジションへついた。憲戸の選手たちも、すでに定位置へ散っている。
「……」
それぞれが終盤に向かって戦意を高めキックオフの準備に入るなか、落合だけが下を向く。怒りを抑える様に、震える右腕を握りしめる。
「クソ……クソッ……!」
暗く輝く眼光を、重く鳴り出す雲が雨を打って覆い隠す。身体が冷えてなお、落合の頭を焼ける様に熱くなっていく。
そして、ついに笛が鳴らされた。叛月が軽くボールを蹴り、黒鉄にパスを送ろうとした──
「アァ゛ァ゛!」
「ちょっ、星先輩!?」
「また暴走かよ……!」
──そのボールを、背後から上がってきた落合が奪い取る。黒鉄の身体を押し除け、彼女らの間を縫って敵陣に突っ込む。
当然、そのまま見逃すほど甘くはない。
「行かせっかよ!」
「どけぇぇぇ!」
まずは伊槌と木崎が急いでディフェンスに入ろうとするが、落合の強引なドリブルに弾き飛ばされる。伊槌の目に、沈みそうなほど暗い眼光が焼きついた。
2人を抜いた落合だが、すぐさま靴木にマッチアップされる。体格が互角の彼を強引に突破はできず、落合の足が止まった。
「暴走列車め。通行止めだ」
「ぐっ、クソ……! てめぇらなんかにやられるかよ……! 終わった天才なんかがいるチームによぉ!」
雨に打たれる落合が慟哭する。そして、技術も何もない、野生的なロングシュートを放った。
「なっ!?」
「いえ、この程度なら……!」
予想外のシュートに反応が遅れた靴木だが、久良島が声をあげてディフェンスラインを上げさせる。そして、難なく真正面のシュートをキャッチした。
「いっ! ……つぅ……」
右腕の軋む様な痛みに顔を歪めるが、大きく息を吐いて痛覚を誤魔化す。そして、パントキックで前線に上がらせた様崎にロングパスをつける。
危なげなくトラップした彼女のその横に、三刀屋がすっと上がってくる。軽く目を合わせて、少し微笑みあった。
「もっかい行くよみとちゃん!」
「オーケーサクヤ! 追加点だネ!」
ドリブルで駆け上がる彼女の周りを、衛星のように三刀屋が追従する。黒鉄たちがプレスをかけるが、思考を共有したような抜群のパスワークでディフェンスを歯牙にも掛けない。
混乱する亜蘭の守備を見逃さず、ハーフラインまで持ち上がった三刀屋が縦に強くパスを出す。
「オウカ! ゴー!」
「ふっ……はいっ!」
中盤を切り裂くボールを橘花が鮮やかに受け止める。
汗を垂らして疲労が色濃く見えるが、運動量を抑えていたためまだ動ける。汗を拭ってゴールに視線を向けた。
「待てし。寄越せし」
「くっ……」
だがすぐさま鍵屋が飛んでくる。柳眉をしかめて苦い表情を見せる橘花がパスコースを探すが、前線のマークが激しい。伊槌も木崎も自由を奪われている。
ならば、とボールに足を乗せ、眼前に立つ彼女を睨んだ。
「恐れんな、仕掛けろ橘花ァ!」
「僕が行きます……!」
「ハッ、舐めんな」
滑らかなコントロールで右にフェイントを掛け、左に突破を図る。だが飛ぶような鍵屋のステップに追いつかれ、ボールに足が伸びた。それも読んでいたように、橘花がちょんとボールを浮かせてかわす。
舌打ちした鍵屋に身体を入れ半身突破するが、ざくりと音を立てて踏み込んだ彼女が強く身体を当てて、ドリブルの勢いを殺す。よろめきながらも、橘花はボールを離さない。
「ウザイな、早く取られろし!」
「それはっ、出来ません!」
再び正面から向き合った鍵屋に、橘花がドリブルを仕掛ける。
──その瞬間、鍵屋の眼前に桜が舞い散る。雨中に似合わない薫風が頬を撫でた。
「っ!? 何これ……!」
困惑に応える声はなく、周囲を舞う花弁にも気づかない集中力で、橘花が鍵屋を置き去りにする。吹雪のように桜が吹き荒び、鍵屋の追撃を封じた。
「この土壇場で覚醒したか……!」
「ナイス橘花! 来い!」
鮮やかな突破に呼応して、伊槌がディフェンスの裏に動き出す。しかし、マンマークにつく鰐原も反応して、身体に見合わず軽やかにバックステップを踏んで伊槌を離さない。
「追加点はやれないんだな〜!」
「いいや、もらうね!」
鰐原が食いついたのを見て、一気に身体を転換させてゴールから遠ざかった。突然の方向転換に、目を剥いた鰐原が置いていかれる。
「……! 伊槌、先輩!」
「グゥゥ、面倒なことするんじゃないぞ〜!」
その隙を見逃さず、橘花からの優しいパスが送られた。遅れて鰐原が突っ込んでくる。
その動きを視界の端で捉えた伊槌は、愉快そうに目を細めた。
「ふっ!」
「ムッ!?」
転がるボールを、つま先で背後に上げる。それは驚愕の声を出す鰐原の頭上を通り抜け、再び鋭く反転した伊槌の足元に収まった。一瞬で鰐原と入れ替わった伊槌に、鬼裂が怒号をあげる。
「チッ、ディフェンス! 打たせるんじゃないよ!」
叩きつけるような鬼裂の声に押され、木崎についていた谷岡が全速力で戻り、内海が圧力を持って当たってくる。だが、問題ない。暗い雨の中、伊槌の銀の瞳が爛々と輝く。
ボールを軽く上げる。このスピードでは、内海は届かない。それを理解した彼は、決死の表情でスライディングを放つが、読んでいた伊槌は悠々と回避する。
「くっ、そ!」
泥濘を飛ばして滑る内海を尻目に、伊槌の足元に雷撃が迸る。彼とゴールを結ぶ線の間に、障害物は何もない。
「行くぞ……電──」
刀のようなその足がボールに叩きつけられる瞬間、猛烈な水音と共に、伊槌の背後からそれは現れた。
「うらぁぁあ!」
「──! ちっ!」
落合だった。その金髪が泥に塗れることも厭わず、力任せに伊槌を薙ぎ倒さんと突っ込む。
直前で気づいていた伊槌は、腕を使って衝撃を和らげ、倒れるのは免れた。そのままよろめきながらも体勢を立て直そうとする。が、その隙を待っていたように、落合が追撃を狙った。
「俺たちはてめぇに踏み潰される脇役じゃねぇ! 吹き飛べぇ、伊槌鳴哉ァァ!」
憎悪とすら形容できるその表情。感情のままに肘を立てて、ミサイルのように一直線。
彼の身体がぶつかるその瞬間、伊槌の眼光に稲妻が走った。
姿勢を低くして、落合の肘をかわす。間を置かず懐に身体を入れ込ませ、その肉体を背中に乗せた。落合の視界が、回転する。
「なぁっ……!」
ぐしゃり。鈍い音と共に、泥の海に叩き落とされた。篠突く雨が顔を濡らし、雷撃を纏ったボールの影となって表情を覆い隠される伊槌の姿が視界に映る。不愉快な泥の感触で、自分が手玉に取られたことを遅れて認識した。
「がっ……あっ……」
何事も無かったかのように右足を振るう伊槌に、無意識で手を伸ばす。目の前の景色が崩れたかのように、落合の顔は絶望に染まっていた。
「やめ──」
「電閃ッ!」
空気を切り裂く轟音を伴って、シュートがゴールに襲いかかる。谷岡が身体ごとぶつかってブロックを試みるが、その実力差は明白で風前の紙のように容易く弾き飛ばされた。
「おおおおぉ! 鬼の鉄槌ィ!」
怒りを滲ませながら、鬼裂が電撃の塊に腕を叩きつける。未だ痺れの引き切らない右腕を恨めしそうに睨みながらも、絹を裂くような猛烈な雄叫びをあげてぶつかり合う。
だが、拮抗も長くは続かない。雷撃が全身に伝播し、彼女の身体を押し込んでいく。
「ぐっ、これ以上……やらせるわけには……!」
その意思に反して、ボールはどんどんと腕を押し返してくる。這いずりながら、落合は祈った。
「ぐううう……ぐあっ──!」
だが、非情にも。祈るだけの者に微笑む女神など、いない。鬼裂の身体が弾き飛ばされた。
光の球がゴールネットを揺らす。試合を決定づける得点が突き刺さった。
──────
GOAL‼︎
59分 伊槌鳴哉
憲戸 4-2 亜蘭
──────
「よし……!」
確かな手応えを感じ、着地した伊槌は濡れた口元を拭う。これで試合の趨勢はほとんど決まったと言って過言ではない。
少しは肩の荷が降りたと息を吐き、深く呼吸をしながら立ち上がる。その時、背後から泥濘んだ地面を叩く音がした。
未だ、仰向けに倒れた落合の姿があった。
「……おい、大丈夫か?」
今までのプレーに少し思うところはあるが、流石に無視するわけにもいかず伊槌が歩み寄る。
一歩落合に踏み出したその瞬間、彼の顔がバッとこちらを睨んだ。
「ぐっ……クソッ……俺をそんな哀れんだ目で見んじゃねぇ……!」
「……!?」
酷く悔しそうに歯を食いしばる彼が、絞り出すように声を出す。憤懣やるかたない様子で、ぐちゃぐちゃと地面を殴りつけた。
尋常でない様子に、伊槌も流石に息を呑む。
「どうしていつも追いつけない……! なんでいつも、お前らは俺の前にいる……!」
「なんだ……? 何のことだ……?」
「お前みてぇな『天才』はァ、いるだけで俺みたいな凡人を殺すってことだよ!」
目玉が溢れ出るほどに見開いて、喉が切れんばかりの慟哭が胸を貫いた。無意識のうちに、一歩後ずさる。
「俺たちはいつもお前らのエサだ……血の滲むほど練習しても追いつけない。たやすく踏み潰される……」
落合の首がゆっくり下がる。言葉は止まなかった。
「青森附属の奴らもそうだった……あの、バケモノどもの眼中に、俺たちなんていなかった……同じフィールドで戦っていたはずなのに、いる価値すらない存在だった……!」
「……去年の」
彼のこぼした言葉で、伊槌の脳裏にあるデータが浮かび上がる。
それは、失意の中にいた伊槌が青森に帰る際調べていた、昨年のFF青森予選の結果。
青森の雄、青森附属中学は、一昨年の成績が比べ物にならないほどの躍進を遂げた亜蘭中学を、20-0で一蹴した。彼の言葉は、きっとこの試合だろうと伊槌は思考する。
「まともに戦ったって勝てやしない……だからグレーゾーンを攻めた、非道に活路を見出した……! それでも、お前は……!」
雨は容赦なく彼の身体を濡らす。そのぐしゃぐしゃのユニフォームは、そのまま彼の感情を表しているかのようだった。
「超えていく……何をしても、お前には届かない……俺たち羽虫は、天才様に食い殺されるのを待つしかできないんだよ……!」
「…………」
何度も何度も地面を叩いていた拳が、どんどんと力を失っていく。
うずくまり泥に塗れる落合。その姿は、確かに勝者のものではない。勝負というプロセスにおいて必ず発生する敗者そのもの。彼のいう、踏み潰された羽虫だった。
だが──
「……それでいいのかよ」
小さく響くその声に、落合が顔を上げた。
彼のいう天才──伊槌鳴哉。
そのユニフォームは、駆けずり回ったために泥で汚れ、雨でぐしゃぐしゃに濡れている。落合のそれと、ほとんど変わりない。
「何をしても届かない? 馬鹿言うなよ、前半は、確かに超えられてた。それでもお前は、ここで諦めて自分が羽虫だって言うのか? そのままで満足なのか?」
「……ッ!?」
勝負とは、紙一重の連鎖だ。
チャンスを生み出す過程を整理し、どれだけその機会をものにできるかで結果が出る。
一歩間違えば、2人の位置は逆だった。
「確かにお前たちのプレーは、俺にとって許せるものじゃないさ」
伊槌の手が、スッと伸びる。
「それでも、俺は勝負を投げ出される方が許せない」
サイドラインに、審判が現れる。黒いボードを手に持ち、周囲によく見えるように、頭上に掲げた。
その板には、5の文字が描かれている。
「アディショナルタイム5分。胸につかえるものがあるなら、立てよ」
重々しい雲が、少し雨足を弱める。わずかにできた雲の切れ目から、光が漏れ出した。
「サッカーの借りは、サッカーで返せ」
「……ッ!」
落合の身体が、グッと起き上がる。
差し出された伊槌の手を払い除け、自分の足だけで立ち上がった。
先ほどまで絶望に染まっていた落合の瞳が伊槌に向けられる。だが今は、強い戦意が迸っていた。
「……勘違いすんな。お前の言葉で気づかされたわけじゃねぇ……!」
「ああ」
「俺はお前をぶっ潰す……試合前に誓ったことを思い出しただけだ!」
力強い声が、伊槌の心臓を揺らす。上がる口角を認めながら、落合に真正面から向かった。
「覚悟しろ、伊槌鳴哉ァ!」
「受けて立つぞ、落合星!」
小さかった雲の裂け目が、大きく開いて、青い空が顔をのぞかせていた。
──────────
「……伊槌の言葉で、息を吹き返したか」
「ハッ、おもしれぇ。そんくらいじゃねぇと張り合いねぇだろ!」
「ああ……勝つのは俺たちだ!」
亜蘭のキックオフで、三度試合が再開される。ボールに足を乗せた叛月が、背後の落合をチラリと見た。
「今度は暴走しないでね? 星先輩☆」
「ったりめぇだろ……もうあんなヘマはしねぇ。ラフプレーもなしだ」
力強く、目を見開いて喉を震わせる。
「いいなてめぇら、あいつらに一泡吹かせてやるぞ!」
その返答に蠱惑的な笑みを浮かべた叛月が、高々と鳴る笛の音と共にボールを蹴り出した。
ラスト5分。まずボールを握ったのはパスを受けた黒鉄。代名詞とも言える獰猛な笑みを浮かべ、先陣を切ってドリブルで攻め上がる。
「クハハハハッ! 痺れる試合をもっとやらせろぉ!」
「もう定時だぜ、終わらせてやるよ!」
その眼前に立ちはだかるのは無籐。素早いプレスでボールを奪いにかかるが、黒鉄も身体を上手く使ってキープする。
亜蘭の選手は彼女のポストプレーを活かすように前線に走り込む。先ほどまでの混沌とは違う連動に、無籐が忌々しげに、されど面白そうに笑みを見せた。
「マジで別物みたいなチームだなァ……!」
「おら、行け!」
一瞬の隙をついてマークを外した黒鉄が、大きくボールを蹴り出す。ロングパスは鍵屋の足元。
息を切らしながらも、素早く橘花が立ち塞がる。だが、彼女の隙のないボールタッチに飛び込めない。
「くっ……ここで奪います!」
焦れた橘花がスッとボールに足を出す。
その瞬間、鍵屋が彼の動いた身体の逆を突くように、右側に強いスピンがかかったパスを打ち出し、左側から抜ける。
「ひとりワンツー」
「えっ……!?」
ギュルギュルと泥を跳ねさせたボールが、背後に抜け出した鍵屋の元に戻り、橘花を置き去りにした。寄せてくる宵闇と目を見開く橘花を尻目に、鍵屋が大きく踏み込んで強くパスを放つ。
「あたしの仕事終わり。あとはよろ」
「おっけー♪」
右サイドに貼っていた叛月の足へ、スパンと音を立ててトラップされる。一瞬遅れて三刀屋がタックルを食らわせるが、彼女は身軽に受け流し微笑む。
「くうっ、やるネ!」
「ミラちゃんは最後まで輝くのを諦めない☆ だから応援よろしくっ♪」
その言葉に、静まり返っていた法被の集団がボルテージをあげる。突如として曇天を割った声援に応えるように、叛月は加速して三刀屋を抜き去った。
「サイコーの声援ありがとう♪ 皆大好きだよ☆」
「わっ、ゴメン! ディフェンス警戒!」
三刀屋の謝罪と警告の声で、久良島たちに緊張が走る。太田は叛月のシュートコースを切りながらプレスをかけるが、彼女の目線はすでにペナルティエリア内に向けられていた。
「仕上げは任せた、城先輩☆」
「クハァ! 待ってたぜェ!」
「やらせないよっ!」
叛月の右足から放たれた鋭いクロスボールに、黒鉄と様崎が死力を持って競り合う。
だがまともにぶつかれば、純然たるフィジカルの差で様崎は後手を踏む。黒鉄が獰猛に笑った。
「弱ェぞ、もらった!」
「それは、どうかなっ!」
声を張り上げた黒鉄がボールに触れる瞬間、様崎が一歩早く足を伸ばす。間一髪でクリアに成功したが、空中でバランスを失い、着地した黒鉄とは対照的に、地面に倒れ込んでしまった。
「咲夜さん!」
「大丈夫! クリア拾って!」
泥がつきながらもボールから目線を外さなかった様崎の瞳の先で、明凪がボールを収める。
「よし……!」
会心のトラップに、彼女の口角が少し上がった。残りは2分ほど、このままボールをキープすれば──その考えが甘いことを、泥濘みをブルドーザーのように跳ね飛ばすその男に思い知らされる。
「グモオオオ! しこふみ!」
「えっ、DF……! きゃっ!?」
それはDFのはずの鰐原。この土壇場でオーバーラップを仕掛け、油断の出た明凪からボールを奪い去った。
「終わったらラーメン! 勝ったらステーキだ! いっけ〜!」
締まらないことを宣いつつも、その恵体から強烈なパスがピッチを切り裂く。
そのパスは、亜蘭3人目のFW中田の足元にシュートと見紛うスピードで飛んでいく。
「うおおっ!? なんつう威力だ、手加減しろ!」
大きくトラップミスしながらも、何とかコントロールに成功した中田。だがそのタイムロスが命取りとなり、宵闇にカバーの時間を与えてしまった。
「チッ、チビがしゃしゃんな……!」
「うるさいですよ……私まだ大した活躍してないんですから、せめてそのボールください……」
「やるかボケ!」
足跡が突くほど大きく踏み込み、荒く強引なフェイントをかけ、一気にドリブル突破を図る。だが宵闇はそのパワードリブルにもピラニアのように食らい付き、マークを外さない。
彼女の武器である執念深いディフェンスに、中田が流石に怯んで足を止めた。
「今……!」
その瞬間、宵闇がアタックを仕掛ける。先ほどまでの抜かせない守備とは違う、攻撃的なディフェンスだった。
「なっ、チッ!」
足裏を使って、腕を使って。ここで失えない中田も、汗を垂らして死ぬ気でボールキープをする。視線が周囲にぎょろぎょろ向いていることを、宵闇は見逃さない。
このままではパスされる、確実な奪わなければ──執念が、彼女のパフォーマンスを引き上げる。
「絶対、奪う……」
右から足を出す。と見せかけて左から、はたまた後ろから。緩慢な動作の宵闇が、蜃気楼のように中田の目の前に何人も現れる。
「……!? んだ、これは……!」
戸惑って一歩後退した中田の足元から、少しだけボールが離れた。
その瞬間、幾多の宵闇の幻影が襲いかかる。
「……っ! はあっ!」
「しまっ……!」
前方からのスライディングが、中田のボールを弾き飛ばす。執念のディフェンスに、ベンチのホープが拍手を送った。
「ナイディー! 橘花も宵闇もいつの間に必殺技なんて身につけてたのよ!」
「元々素質はあったんだろう。それが試合の中で覚醒した……それだけのことだよ、子猫ちゃん」
「その呼び方やめなさい!」
ベンチは姦しかったが、フィールドはそれどころではない。弾き飛ばされたボールを、泥まみれの落合が必死に追いかける。
「くっ、おらぁ!」
強引に空中で胸トラップ。そして前を向く──
「行かせるかよ」
「ッ!」
──立ち塞がるのは、伊槌。
ギリッと奥歯を噛み締めながら、胸の奥の恐怖心を押し潰す。ボールを踏み潰さんほどに力強く足を乗せ、伊槌を睨みつけた。
「ハッ、上等だ……てめぇを抜かなきゃ、勝ったなんて言えるか!」
踏み込み。そして、加速。
身体を倒して一気に駆ける落合に、伊槌は当然のようについてくる。スピードだけでは無理と断じた落合が、テクニックで突破を図るが、大した技術のない彼では、伊槌を剥がすのにも一苦労だった。
「チッ、うらぁあぁ!」
それでも、一縷の望みにかけて、足を止めない。
残り1分。それだけで、まだ戦う意味はあった。
だが、気持ちだけで乗り越えられない壁もある。
「そこだっ!」
「ッ!?」
抜き去りかけたその瞬間、伊槌の足が狙い済ましてボールを弾いた。誰もいない背後へ、ボールが転がっていく。
頭が怒りで沸騰していく。同時に、恐怖で冷えていく。
他の誰でもない、俺のミスで、終わる──脳裏に、その現実が浮かんだ。
「洒落臭いね!」
──その仮定は、上がってきた鬼裂に全て壊された。
「なっ、GK!?」
「今更何点取られても同じだよ! どうせなら、あたしが直々にゴールを奪ってやる!」
ハーフラインまで駆け上がる狂気としか思えない飛び出しを見せ、地面と平行にした足に、ボールを乗せる。一度見たシュート体勢だと、伊槌は理解した。
「吹き飛びな! デスソード!」
「っ!」
伊槌の顔面の横を、黒い剣が薙ぎ払う。
風に押されて首を背後に向けると、シュートの軌道上には無籐と靴木が待ち構えるように腕を組んでいた。
「何としてでも防ぐぞ!」
「分かってらぁ!」
軽くアイコンタクトを取った後、2人が両手のひらを力強く地面に突き刺す。
轟音と共に、地割れのように大きなヒビが地面に描かれる。道筋の如くシュートの軌道上にヒビが入ったことを確認すると、勢いよく突き刺した腕を引き抜いた。
「行くぞ! パイプソーダラプチャー!」
プシュ、という音を伴い、ひび割れた地面から間欠線のように炭酸水が噴き出る。それは激しい水流を持って壁のように屹立し、デスソードをブロックする。
「合体技!?」
「ハッ、こっちも伊達や酔狂で3年やってきたわけじゃねぇ!」
鬼裂が驚嘆をあげた。伊槌の心境も同じだ。
当然1人で完結する単体技とは違い、合体技は難易度が高い。パートナーのことを知り尽くし、イメージを固め、理想のプレーを擦り合わせ、幾重にも練習を重ねてやっと完成するのが普通のものだ。その場のインスピレーションで覚醒させるのは難しい。
それを操れる2人は、無籐の言うように本気でサッカーと向き合ってきたからなのだろう。伊槌の口角が上がる。
「おらァ!」
低い雄叫びに弾かれるように、シュートが吹き飛ばされた。苦々しい表情で、カウンターを警戒し鬼裂が急いで戻る。
ルーズボールに走り込んでいるのは亜蘭の青野。いち早く反応した彼が滑り込むようにボールを収めようする。が──
「攻撃は続けさせないヨ!」
「ぐっ、こいつ……!」
同じく反応していた三刀屋が間一髪で弾く。
クリアは不完全。亜蘭の陣地に押し出され未だ転がるボールを見た審判は、時計に目をやる。目安の5分を、指し示していた。
「ッ! おおおおお!」
──終わってなるものかと、落合が急いでボールに足を伸ばす。何とか収めた彼だが、憲戸の守備が硬い。
このままパスを放り込んでも、どうにもならない。一瞬の迷いが、彼の到着を間に合わせた。
「また会ったな!」
「ぐっ……伊槌ィ!」
音もなく前方を塞いだのは伊槌鳴哉。完全にパスコースが無くなった落合が、奥歯を噛みしめる。
──どうする。パスはできない、シュートも、届かないだろう。
──脳裏に浮かんだ思考に、落合が苛立ちを覚えた。
「……ああクソ。今の俺じゃ、お前には勝てねぇのか……!」
ぐしゃり。泥を踏みしめる。目を伏せて、溢れそうな感情を抑える。
好機と見た伊槌が、目を光らせてボールに足を伸ばしてくる。弾かれればタイムアップ。抗う時間すら不意にしてこのゲームは終わる。
「ッ! アァ!」
「ちっ──」
それでも、何とか身体を入れてボールを守る。再び相対し、彼の白銀の眼光を睨んだ。
「来いよ……。お前1人に抜かれるほど、錆びたつもりはない」
「ッ!」
地面を踏みしめて、伊槌に突っ込む。予想通りと言うかのように、ボールが蹴り出されるであろう地点に足を繰り出した。
──だが、その足は空を切る。落合が、伊槌の背後にパスを出したからだ。
「!?」
「……確かに、お前には俺じゃ勝てねぇ」
叛月がパスを受ける。伊槌の背後に勢いのまま抜け出す落合と、視線をぶつけ合った。伊槌がギリギリでついてくることに、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「やっちゃえ、星先輩!」
スペースに、優しいベルベットパスが放たれた。伊槌と落合がもつれあいながらそのパスに群がる。
「だったら、今はチームでお前を超える!」
「……はっ、面白い! 負けるかよ!」
両者滑り込むようにボールに足を伸ばす。身長差も、足の長さも、ほとんど同じ。
──先に触ったのは、落合。
「くっ……!」
「そんで、俺が考えてる今の俺ってくだらねー概念も──」
一瞬、伊槌のマークが外れた。
間髪入れず、そのボールを踏み抜く。砕けるように、それは6つの星屑になった。
「──他でもない俺が超えて、進化する! 1人でも、てめぇを潰せるように!」
落合が指揮を取るように腕を動かすと、前方の空間に、星屑が束ねられる。1つに戻っていく星屑は、やがて大きな流星へと進化する。
「食らいやがれ! これが俺が送る、新しい俺へのファンファーレだァ!」
飛びつくようにソバットキック。真っ白なエネルギーが、全身に行き渡った。
「ブレイキングスタァァァー!!」
「ぐうっ!?」
マークを捨ててブロックに入った伊槌の足を、紙屑のように打ち破り、白銀の尾を引いて流星がピッチを切り裂く。ハーフラインから放たれた突然の一撃に、デスソードを防いで少し緩んでいた中盤は反応できない。
だが、ディフェンスラインに張り付いていた2人のCB、太田と様崎が両サイドからキックブロックを試みる。
「くっ……!? すごいパワーだ……!」
「やばいかもね……!」
それでも、ボールの勢いは止まらない。パワーに優れる太田でさえ、冷や汗を垂らして歯を食いしばった。
徐々にボールの力強さが上がってくる。2人の足が、限界に近づいていた。
「ぐっ……うわぁ!?」
「きゃっ、ごめん杏奈ちゃん!」
「……止めます!」
そして、遂にブレイキングスターがブロックを打ち破った。最後の砦の久良島が、低く構えて、左腕にシュートと対照的な黒いエネルギーを纏わせる。
大きく息をついて、強く吸う。全身の筋肉に力を入れて、真っ向からぶつかり合った。
「真っ黒パンチ……!」
ぶつかり合った強烈なエネルギーが、爆弾のように炸裂する。その余波で久良島の足がもつれそうになるが、意地で足を折らない。
ブロックを受けてなお、シュートは絶大な力を持ち続けていた。久良島の腕から、黒いオーラが霧散していく。
「くっ……うおお……!」
押さえていてなお、身体を前のめりにしてより力をかける。その思いが直接力に変わったのか、腕を纏うエネルギーがより深い黒に染まる。ボールを纏う白が、濁っていく。
「止まるか……!?」
ベンチから固唾を飲んで見守る梵場が思わず口を溢した。趨勢は変化し、段々と久良島がシュートを押している。
止められる、確信にも似た感覚が久良島に満ちた瞬間──
「舐めんなァ! ブチ抜けェェェ!」
「ッ!? あっ──」
──雄叫びに押されたように、ブレイキングスターが腕を弾いた。
力を使い果たして、コロコロと。
だが、確実に、ゴールラインを割った。
──────
GOAL‼︎
60+6分 落合星
アシスト:叛月実蘭
憲戸 4-3 亜蘭
──────
亜蘭の観客席が、割れんばかりの歓声を放つ。その声にも負けない笛の音が、世界に響いた。試合終了の合図だった。
「……あっぶねェ。逃げ切ったか……」
落合がぽつりとそう溢す。それは確かに的を射ていた。
このまま続いていれば、勢いに乗った亜蘭を止められたか分からない。口元を拭い去りながら、伊槌はふうと息をついた。
その横で、落合がどしゃりと泥の上に座り込む。汗を垂らし、泥に塗れるその姿は、伊槌の目に輝いて映る。
「……試合は俺たちの勝ちだ。だけど──」
「くだらねぇ慰めはよせ」
俺たちの勝負には負けた。その言葉を落合が遮る。
「俺は負けた。それが結果だ、受け入れるさ」
「……そうか、強いな」
ユニフォームに着いた泥の一部をはたき落としながら、落合は空を仰いだ。いつの間にか雲は除かれ、青空が顔を出している。
その時、背後から物音が響いた。驚いて振り返ると、亜蘭の観客席から、不良生徒たちが猛然とフィールドに向かってきている。その目は尋常ではない。
「なっ、なんだ!?」
伊槌が驚きながらも臨戦体勢に入った。暴徒のようなその形相に、流石に恐怖が湧いてくる。他の面々も、同じような様子だ。
「はーいダメ♪ 全員ストップだよ☆」
可憐な鶴の一声が、小さく放たれた。
伊槌の背後から、叛月が悠々と暴徒集団に歩みを進める。思わず手を伸ばして静止しようとするが、下らなそうに首を振る落合に止められた。
「でしゃばんな。ここはあいつの出番だ」
「は……?」
困惑をよそに、彼女が再び口を開く。
「この人たちは実力で勝ったんだよ、怒るのは違うよね?」
それじゃあ、と続け。
「ミラちゃんたちが相手してあげるよ☆」
「…ッ!?」
その言葉に慄いたように、彼らがゆっくりと後ずさる。
叛月の背後に、黒鉄が、鍵屋が顔を出す。仕方なさそうに、落合も鰐原を引きずって向かった。
「ヒャハハァ! ちょうど身体が温まったとこだァ、そんな元気あんなら私と
「下んな。でもやんなら容赦しないけど」
「グフフ、食いもん持ってるやつはいるか〜?」
その言葉と共に、黒鉄が飛びかかる。そして、不良生徒の集団と殴り合いの火蓋が切って落とされた。
あまりの展開についていけず、放心していた伊槌の服の裾を、叛月がちょんちょんと引っ張った。
「というわけでおにーさん、今からここは戦場になるから、ご退散は早めにね♪」
「……あ、ああ」
何とか気を取り直した伊槌が相槌を打つ。それと共に、背後から様崎がこちらを呼ぶ声が聞こえた。すでに全員一塊になり、伊槌の荷物を含めて撤収の準備が完了していた。
「鳴哉くーん、行くよー!」
「わ、分かった!」
伊槌が踵を返す。
その背中に、落合が言葉をぶつけた。
「覚えとけ伊槌鳴哉! お前はいずれ俺が潰す!」
「……フフッ、私も諦めてないよ☆ また会おうね、おにーさん♪」
一瞬、伊槌が足を止める。すでに背後からは戦闘の雑音しか聞こえない。
それでも、振り返らず言葉を紡いだ。
「ああ、いつでも受けて立つぞ!」
彼らの行く末を照らすように、空には虹がかかっていた。
────────
FULL TIME‼︎
憲戸 4-3 亜蘭
1 1st 2
3 2nd 1
得点者
12' 叛月 実蘭 0-1
26' 黒鉄 城 0-2
30+2' 伊槌 鳴哉 1-2
49' 木崎 爆音 2-2
53' 無籐 朱道 3-2
59' 伊槌 鳴哉 4-2
60+6' 落合 星 4-3
────────
──────────
雨上がりのアスファルトの上を、2人の男が歩いていた。
「憲戸が結構やるチームって分かっただけでも、見る価値のある試合だったんじゃないすか?」
「ああ……侮れないな」
男の片割れ──鎌野の言葉に、もう1人の巨漢、長宗我部が首肯を返す。
その脳裏には、先ほどの試合──だが、鎌野の言う憲戸のメンバーではなく、亜蘭のキャプテン、落合の顔が浮かんでいた。
憑き物の落ちたように、全力でサッカーに打ち込む姿。それを見て、長宗我部の肩の荷は、少し降りた。
「……あんま憲戸のこと考えてないっしょ?」
「っ、……なぜ分かった」
「キャプテン、割と顔に出るっすよ」
そう言われて、スマホのカメラを起動して内カメラで顔を見る。その姿を見た鎌野が、身体中の空気を全て吐くほどの大笑いをあげた。
「はははははっ! 『顔に書いてる』って言われてバカ真面目に顔見るやついんの!? あっははは!」
少し顔を歪めた長宗我部が、軽めに鎌野を小突く。それでも彼はひーひーと息を吐いていたが、数分経ってようやく落ち着いた。
少し疲れたように息をついた鎌野が、先ほどまでの喜色満面の様子から打って変わって、真剣な目でこちらを見る。
「まぁ、しっかりして下さいよ。今回が
「ああ、承知している」
勝ち進んだ憲戸は、恐らく次の準決勝で青森の双璧が片割れ──『
それでも彼らなら超えてくるかもしれないと、長宗我部の胸に予感があった。
風が彼らの間を吹き抜ける。
「それでも勝者は──」
「──俺たちっす」
密かに応援していたスペインも負けました。激萎えくん超えて激激萎え萎えくんくんになっちゃう。もう俺にはアルゼンチンしかいないよ……
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