イナズマイレブン〜蘇る雷鳴〜   作:暁の教徒

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超おひさ。久しぶりなのに繋ぎ回でごめん


26話:ワールドクラス

 ニーナ・ガブリエル。

 それが、伊槌の前で天使のように微笑む金髪の少女の名前だ。小柄な体格と爛漫な表情は、一見してただの可憐な女子にしか見えない。

 だが、それは大きな誤りだと伊槌は知っていた。彼女が纏う白地に金のラインが入ったユニフォーム、高貴な印象を醸し出すそのシャツは、見間違えるはずもない。──欧州のビッククラブ、キング・マドリードのユニフォームだ。

 

「アハハッ、ナリヤってば驚いてるね、可愛いっ」

「……そりゃ、そうだろ……君はスペインに居るはずなのに……」

 

 コロコロと笑う彼女の前で、伊槌が呆然とそう溢す。

 もう2度と会うことはないと思っていた。そのはずのニーナが目の前にいる非現実感に眩暈がするような気分だった。

 仲間と共になら、伊槌はサッカーと向き合えるようになった。試合の熱を楽しむ感覚を、確かに彼は思い出している。

 

 それでも、無理だ。キング・マドリードでの体験は、まさしく絶望。思春期に向かう少年の心に絡みつくには、あまりに残酷な挫折。それと改めて向き合うだけの心を、伊槌は未だ持てていない。

 

「ふふっ、そんなお化けでも見たような反応されると、ニーナもちょっと傷ついちゃうなぁ?」

 

 力が抜けたようにベンチに腰掛けた伊槌の隣にニーナも座った。にこやかな笑みを絶やさないまま、話し始める。

 

「日本には、クラブのキャンプで来たの。日本(ここ)の子供をスカウトするためのね」

「俺のときと、同じやつか……」

「そう。ナリヤもキャンプのトライアルに合格してウチに来たんだもんね」

 

 頷く。その脳裏で伊槌は、その景色を思い出していた。

 全国から集った、才能ある選手たち。スペインに渡る一枠をかけた熾烈な一戦。伊槌はその中で、群を抜いて輝いていた。その光が、遥か海の外でも鮮烈に燃えると青く信じていた。

 だが──

 

「……」

 

 苦々しく口をつぐむ伊槌を前に、ニーナが気まずそうに微笑んだ。気を遣わせてしまったか、と伊槌が口を開こうとして。

 

「ニーナね、嬉しかったんだぁ。ナリヤがまだサッカーしてくれてて」

「え?」

 

 その前に放たれた彼女の言葉に、困惑した。こちらから目線を外して、前を見て足元でボールを弄びながら喋るニーナに、無言で先を促す。

 

「マドリードを退団する前、ほんと参っちゃってる感じだったから。そのままサッカー辞めちゃったら悲しいなぁって思ってたんだよ」

「……そうなのか」

 

 周りにまで気を回す余裕がなかったとはいえ、今まで彼女の心配に気づけなかった自分の薄情さに、顔を曇らせる。ごめん、ありがとう。と、消え入るような声で言ったそれは、ニーナに届いたかは定かではない。

 

「試合の映像もたくさん見たよ。ふふ、変わらなかった、それどころか、進化してた──」

 

 伊槌の背筋に、ゾワっとした感覚が走る。

 吸い込まれるようにニーナに視線を送った。いつの間にか立ち上がっていた彼女の深く青い目がこちらを見据える。

 その目は、獲物を見据える捕食者の瞳だった。

 

「だからね、昂っちゃったんだ。責任取ってね、ナリヤ?」

「っ!?」

 

 彼女の足から、白黒の弾丸が放たれた。腹に吸い込まれるように尾を引くそのボールを伊槌はなんとかトラップする。

 

「くっ……!」

「あははッ! 流石だよ!」

 

 鉄球が飛んできたのかと見紛う重さ。それでも、伊槌は痺れる足を奥歯を噛んで堪えた。

 高らかに笑うニーナが腰を落としてディフェンスの体勢に入った。来い、という合図だろう。

 

「…………」

 

 突然のことに置いて行かれていた思考が、やっと現実に追いついてくる。

 ニーナにはこういうところがあった。サッカーを愛していて、強い選手と戦うことを心から喜びぶつかってくる凶戦士のような意志。彼女にとって、伊槌はまだ目をかけるに値する選手だったのだろう。

 正直なところ、恐れていた。過去の負の記憶に立ち向かうには、伊槌にはまだ時間が足りない。

 

 ──だが、世界はいつまでも自分を待っていてくれない。超えるべき壁は、否が応でも迫ってくる。

 

「ニーナ・ガブリエル……間違いなく、現世界最高峰の一人……」

 

 それにぶつかることで、見えることは必ずある。

 当たって砕けるつもりなどない。伊槌は、覚悟を決めて正面から向かい合った。

 

「……受けて立つ、ニーナ!」

「うんっ! 楽しませてね、ナリヤ!」

 

 言葉を交わし終えると共に、最高速でドリブルを開始する。彼女の横をすり抜ける、俊敏なボールスキル。

 

「ふふっ」

「くっ、速い……!」

 

 だが、ニーナは苦もなく反応してきた。とてつもない俊敏性。小柄な身体を活かした好守だ。

 すぐさまつま先でボールを浮かせて切り返す。その動きにも、彼女は難なくついてくることに、伊槌は頭を抱えたい気分だった。

 

(ニーナも変わりない……むしろ洗練されている……!)

 

 キング・マドリードの名は伊達ではない。息を短く吐いて、再び鋭くドリブルで切り込む。ニーナはやはり、的確にコースを潰しに来た。

 伊槌もやられっぱなしではいられない。素早くステップを踏んだ彼女の隙をつき、股抜きで突破を図る。

 

「おっ、いいねナリヤ!」

 

 ボールを前に出し、素早くニーナとの間に身体を捩じ込みプロテクト。このままいける──

 

「でも、詰めが甘いっ、よっ!」

「っ!?」

 

 突破したことによる安堵から生まれた、伊槌も気がつかないほど小さな間隙。ニーナはそれを見逃さず、驚くべき瞬発力で身体をぶつける彼を引き剥がし、ボールに足を伸ばてくる。

 反応しきれず、少女にボールを奪われてしまう。虚しく空を切る足に、歯噛みして彼女に向き直った。

 

「くっ……流石だ、ニーナ……」

「あははっ、まだまだだよナリヤ! ニーナ、全然満足してないから!」

 

 狂気的な笑顔を浮かべながら、ニーナがボールを足元に置いて構える。こちらのターン、ということだろう。伊槌も全身の毛が逆立つほどに集中力を高め、彼女と対峙する。

 ニーナ・ガブリエルの本領はディフェンスではない。これからぶつけられるのは、彼女が最も得意とするプレー──

 

「さあナリヤ、私と踊ってくれる!?」

「上等……!」

 

 爆発するような初速。ほとんど勘任せにステップを踏み、彼女に食らいつく。予測通りのディフェンス。弄ぶように右足のアウトサイドで大きく持ち出し、伊槌の重心を破壊しにかかる。振り回されて足がもつれたが、腕を使って無理やり身体を起こしコースに身体を入れる。

 進軍は止まらない。無理な体勢の伊槌を確認して、ボールを跳ね上げて頭上を通過させた。舌打ちをして身体を反転させ、せめてもの抵抗としてニーナに肩をぶつける。機嫌良さそうに笑う彼女の表情は変わらず、体重の乗っていない伊槌のタックルをいなし浮いたボールを完璧にトラップして、慣性に操られる伊槌の身体を剥がして再び正面から向かい合った。

 

「すごいねぇナリヤ! ニーナにここまで着いて来れるなんて偉いよぉ!」

「くっ……!」

 

 汗ひとつ流さないまま、ニーナが再び突貫してくる。一瞬伊槌の足が引けそうになるが、疲労の隠せない身体を叱咤し鋭く足を伸ばす。

 鮮やかなダブルタッチ。抜かれるのは織り込み済みだ。すぐさま左足を踏み込み半身抜け出した彼女に身体を当てに行く。

 

「あはぁ、遅いよナリヤぁ!」

「なっ……!」

 

 だが、そのタックルは虚しく空を切る。驚くほど姿勢を低くしたドリブルで、伊槌の守備を回避したのだ。

 このまま抜き去られる──そのはずだった。

 完全に抜け出したニーナが、反転して再び伊槌に向き直る。

 

「……!?」

「まだ終わらないよぉ、ナリヤ……興奮が治らないんだぁ」

 

 狂気的に上気した表情のニーナの蕩けた目が、獰猛に伊槌を捉えた。小さな天使が、扇情的に手招きをしてくる。

 

「さま、もっともっと遊ぼうよナリヤ。再会のハグを頂戴?」

「…………」

 

 肩で息をしながら、伊槌は言いしれない敗北感を噛み締めていた。

 ニーナは未だ底を見せていない。このマッチアップは一から十まで彼女の遊び。自分の全力など、何ひとつ通用していないことを認めざるを得なかった。

 抜き去ってなお、貪欲にこちらを食らう傲慢な余裕──挑発だと分かっていても、逃げるわけにはいかない。

 

「……後悔させてやるっ、ニーナ!」

「ふふっ、楽しみだなぁ!」

 

 弾丸のようにショルダータックルをぶつける伊槌を、ニーナは正面から迎え打った。明らかに体格で劣る彼女だったが、姿勢を落として重心を安定させることで、完璧に衝撃を殺す。

 流石のテクニックに舌を巻くが、まだ負けたわけではない。素早く腕で身体を押さえながら、ボールに足を伸ばす。

 だが──

 

「あはっ、ほら、取ってごらんよ!」

「ちっ……!」

 

 足からボールが全く離れない。曲芸のようなボールコントロールで、鮮やかに伊槌のプレッシャーを回避する。足に磁石でも入っているのかと疑いたくなる足技だ。

 埒が明かないと、伊槌がニーナから身体を離す。

 

「迂闊だよ!」

「なっ、速っ……!」

 

 その瞬間、ニーナが意趣返しのように反転しながらの股抜きで伊槌を突破する。虚を突かれながらもすぐさま反応し、身を投げ出してスライディングを放つ。

 

「おっと!」

 

 だが、それすらもニーナは超えてくる。ボールをリフトアップして飛び上がり、簡単に回避。喉の奥から漏れる悪態を抑えられない。

 

「くそっ……これでも、届かないのか……!」

 

 ニーナの背中が、スローモーションで遠ざかっていく。今度はもう容赦してくれないらしい。こちらを振り返ることなく、狂気じみた笑顔のまま流麗にドリブルでサイドを抉っていく。

 土を削る感覚の中、伊槌の心臓が爆発するように高鳴る。

 

(嫌だ……)

 

 所詮、このマッチアップはただのお遊び。負けたところでなんの痛手もないし、勝ったところで見返りはない。

 それでも。

 

(負けたく──)

 

 伊槌の身体に再び力が入る。疲労の震えなどどこかに押し込められ、アドレナリンに突き動かされた両腕が、少年の身体を弾くように操る。

 

「──ない!」

「ッ!」

 

 抜き去ったはずの伊槌鳴哉が、両腕をバネにして頭からボールに突っ込んできた。予想外の挙動に、ニーナの顔に、この日初めての驚愕が浮かぶ。

 それでも冷静にボールを守り、ルーレットターンでそれを回避。しかし、その一瞬の隙を使い、伊槌が体勢を立て直してニーナの前に立ち塞がる。

 技術や、論理ではなく、無際限の諦めの悪さが生み出した奇跡のディフェンス──戦意で沸る伊槌の目が、興奮に打ち震えるニーナを睨みつけた。

 

「あっはははははは──! 本当に、愛してるよナリヤぁ! 大好きっ、ここに来てよかった!」

「……」

 

 トリップした様子で笑い声を上げるニーナ。伊槌は油断なく体勢を作り、どんなアクションにも反応できるよう備える。その様子に満足したような雰囲気の彼女が、狂気的な興奮から打って変わって、凪の目で伊槌を捉えた。

 

「ほんと、楽しいよ……だから、私も本気出してあげる」

「っ、来るか……!」

 

 ニーナから感じる、この日一番の集中力。何か仕掛けてくることは明白。しかし伊槌は、闘気を放つ彼女を前に、わずかに尻込みした。

 

「思い出させてあげるよ、ナリヤ──世界のレベルを!」

 

 刹那、ニーナの背中に炎で象られた三対六枚の赤翼が顕現する。物理的な熱とともに羽ばたいたその天使は、紅蓮の影の中で煌々と輝く。

 赤を巻き上げ浮かぶ少女が脳裏に焼き付く。吹き荒ぶ熱気が、伊槌の足を地面に縫い付ける。

 

「ぐっ……!?」

「この一瞬を忘れないでね、ナリヤ──セラフィムフラップ!

 

 大きな羽ばたきとともに、火の粉と熱波が伊槌の矮小な身体を襲う。強烈な火の風が叩きつけられ、その身を地面に転がした。

 芝生に身を投げ出された伊槌の目に映ったのは、焼ける翼を背負ったニーナが、美しいコントロールシュートでネットを揺らす様。言い訳の余地もない、敗北の光景だった。

 

「ぐっ……はぁ、はぁっ」

 

 アドレナリンで誤魔化されていた疲労が一気に襲ってくる。伊槌が苦々しい表情のまま、地面を殴りつけた。

 記憶に焼き付くニーナのドリブル。あれはまさしく天使の羽ばたき。破壊的な神々しさを孕んだその必殺技に、伊槌はただ圧倒されていた。

 

「あれが──ワールドクラス……!」

「くふっ。どうだったぁ、ナリヤ?」

 

 地面に転がっている彼の身体を、少女が腕を引いて起こす。伊槌と対比するように、爽やかに輝いた表情のニーナが、顔を覗き込むように目を合わせてきた。

 

「……流石だ、ニーナ」

「ナリヤも、私の見立て通り最高だったよ!」

 

 喜色満面の彼女が、伊槌に強く抱きついてきた。驚いた伊槌だったが、引き剥がす気にもなれず好きにさせる。機嫌の良さそうな声色で、ニーナが独り言のように言葉を続ける。

 

「優れた技術、立ち上がる心、諦めない精神……やっぱりキミは、キング・マドリードに相応しい選手だね」

 

 伊槌の肩に手をついて、ニーナが身体を起こす。深い青色の目が、恍惚とした様子で向けられた。

 

「ナリヤ、FFを必ず勝ち抜いて。その先で私たちは待ってるから」

「……? それはどういう……」

「あはっ、負けちゃったナリヤには教えてあげないっ!」

 

 強く肩を押して、伊槌の身体を芝生に押し倒す。突然のことに反応できず倒れた彼から身体を離し、いたずらっ子のような笑顔を浮かべてニーナが立ち上がった。

 

「いっ……!? 何すんだニーナ……!」

「じゃあねナリヤ!」

 

 返答を待たないまま、ニーナは手を振って去って行く。その顔は最後まで笑っていた。仕方ない奴だ、と伊槌はため息を吐き、緩慢な動作で立ち上がる。

 

「……」

 

 ニーナは全く変わっていなかった。その自由な性格も、美しいプレーの数々も。対して、自分は?

 伊槌の頭の中は、最初から最後まで、ニーナが見せた天使のようなドリブルに圧倒される光景が、いつまでもリフレインしていた。

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 

 

 

「──鉢鐘さん、行って!」

「おー、任せろ!」

「囲め! そいつ自由にさせるな!」

 

 FF青森県予選準決勝、青森附属中学vs一木工業学園の試合。青森附属は、エースである鎌野及びキャプテン長宗我部をベンチに置いており、いまだに余裕を見せる様子。

 

 フィールドでは、中盤でボールを奪った氷治からのスルーパスが、ウイングの鉢鐘に通った。一木工業は1失点したものの、前半終了間際でこれ以上の失点は避けるべく全力でディフェンスに当たってくる。

 必死の形相で立ち塞がる二人のディフェンスを前にして、鉢鐘は凶暴に笑う。ドリブルスピードを落とすことなく走り、軽くつま先でボールをあげ、自らの頭上に。そして縦回転と共に背後へ飛び退いたかと思うと、巨大な象の足のヴィジョンが彼女の小さな身体を覆い隠した。

 

「なっ、無理やり抜いて──」

「いくぞー! エレファントステップッ!

 

 着地と同時に、象が大地を踏み締める。自然の脅威的な衝撃波がディフェンダーを飲み込み、その隙をついて鉢鐘が一気にサイドを抉った。

 それを認識した瞬間、青森附属の姿勢が一気に前がかりになる。

 

「ゴール前固めろ、絶対失点するなよ!」

「リュー、こっち!」

 

 CFの蓮水が裏抜けを図る。負けじとディフェンダーもラインを整え、フリーでボールを受けることを許さない。

 だが、それ故に生まれる隙。周囲の面々の激しいオフザボールに引っ張られたことで、肝心の鉢鐘へのマークが薄くなってしまう。それを見逃す少女ではない。獰猛な犬歯を剥き出し、ゴールを睨んだ。

 

「アッハハハハ! リューが決めてやるっ!」

 

 獣の唸り声のように鋭く叫び、鉢鐘がシュート体勢に。

 ボールに足を乗せて指笛を鳴らしたかと思うと、何処からかハリネズミの軍団が、そのアイデンティティであるハリを逆立てゴールへと背を向けて立つ。少女がボールを高く蹴り上げると、ミサイルのように針が射出され、ボールを串刺しにし凶悪なスパイクボールを型取った。

 

「……来るぞ! 止めてやる!」

「やれるもんならやって見ろぉ! ヘッジホッグストライクッ!

 

 自由落下してきたボールを鉢鐘が強烈なボレーで打ち出す。強力無比なシュートは、ガラ空きになったディフェンス陣を素通りしてゴールへと向かう──

 

「そう簡単に行かせっかよ! グラビテイション!

「ん、反応が早い……」

 

 ──と思われたが、やはりディフェンダーの集中が著しい。蓮水を徹底マークしていた一人が素早くゴール前に飛び込み、自身を中心に発生させた重力フィールドでシュートの軽減を成功させた。

 それに応えるように、GKも両の拳に熱気を纏わせる。蜃気楼を放つほどに熱くたぎるそのパンチを、突貫するシュートに全力で叩きつけた。

 

爆裂パンチ! おおおおおおッ──おらァ!」

「くっ……ルーズボール拾え!」

 

 激しいラッシュに、威力の削られたシュートでは耐えることが出来ず殴り飛ばされる。鎌野の代役として先発したMFの岩崎が足を伸ばすもこぼれ球を逃す。

 

「よし、もらった……!」

「ん〜? ごめんね、私が頂いてくよ〜」

 

 だが、転がったその先。一木工業の選手が拾おうとした瞬間に、ボランチから上がってきた桜葉が忍者のようにボールを掠め取っていく。奪われた選手が一瞬遅れて背後に警告を叫ぶが、もう遅い。彼女は完全にフリーだ。

 

「打たせるなっ、奪え!」

「よ〜し……」

 

 桜葉のシュートモーションを見て、先ほどシュートブロックしたDFがすっ飛んできて身体を投げ出す。

 だが、初めから彼女にシュートの意思はなかった。直前でモーションを止め滑り込む彼を見送る。完璧なシュートフェイクだった。

 

「なっ、まずっ──」

「それ〜!」

 

 間髪入れず、虚をついたパス。DFは全員足が止まってしまい、誰も反応できない。

 視線がだけが動くフィールドの中で、そのボールを受け取ったのは、薄く妖しい微笑みを浮かべるMF奇崎だった。

 

「これは恐悦至極、僕がこのショーの最終演目を務めることになるなんてね」

 

 芝居掛かった口調で、煽るように言う。薄笑いの瞳で、鮮やかに指を鳴らしボールを蹴り上げた。

 刹那、奇崎の手に杖が握られる。同時に頭の上にはマジシャンのようなシルク帽が現れ、その姿はさながら本物の奇術師。杖を使って帽子を脱ぎ、空に投げるとそれは巨大な箱となって空中を進んでいたボールを捕まえた。同時に、彼の身体が大きく飛び上がる。

 

「それでは、決めさせて頂こう。イッツ・ア・ショータイムッ!

 

 箱ごとオーバーヘッドキックで蹴り出すと、紙吹雪やハトと共に、虹色の光に包まれたボールがゴールへと打ち出される。賑やかな、されど内には破壊的な威力を秘めた必殺技を前に、一人立ち向かうGKが苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

 それでも、逃げるわけには行かない。未だ熱を持った拳を、強く握り込んだ。

 

爆裂パンチッ! オラオラオラオラ……!」

 

 七色のシュートとと赤き拳が拮抗する。その様子を見てなお、奇崎は不敵な笑みを崩さない。

 それどころか、見るまでもないと身を翻す。そして、劇のワンシーンかのように、大仰な動作で指を鳴らした。

 

「オッ……!?」

「エンディングは揺るがないのさ」

 

 その瞬間、シュートの重みが一気に増した。突然のパワーに耐えきれず、拳がめしゃりと砕かれ、ボールがGKを弾き飛ばしネットに強かに突き刺さる。

 芝生に倒され、息を荒らげるGKの視線の先では、味方に囲まれ労いを受ける奇崎が優雅に一礼をする姿が、いやに印象に残っていた。

 

 

 

 

 

 

────────

 

GOAL‼︎

30+3分 奇崎楽

アシスト:桜葉旋風

 

青森附属 2-0 一木工業

 

────────

 

 

 

 

 

「──前半はリードで折り返した。だが、上手くいっているとは言い難い」

 

 前半終了後、青森附属の選手たちはすぐさまロッカールームへ集まり、後半に向けての議論を開始した。部屋の中央に立ち、背後の作戦ボードのマグネットを動かしながら、監督の陸奥威(むつつよし)がわずかに失望のこもった声を上げる。

 一点目は相手のミスから。二点目も一撃では仕留めきれなかった──選手たちもそれを痛いほど分かっている。

 

「……点が取れてないのは私のせいです。攻撃に絡めてないし、決定機も外してる」

「んなこたねぇよ蓮水。オレたちDFのビルドアップがおざなりで、お前らのやりやすいようにゲームを作れてねぇんだ」

 

 それぞれの選手が次々と自省の言葉をこぼす。勝っていてもなお気を緩めず最高のパフォーマンスを追い求める──それが青森附属のストイックな強さ。

 だが、これは議論ではなくただの傷の舐め合いの様相を呈している。それではいけないと、陸奥が咎めの言葉をかけようとし──

 

「それ以上の卑下はよせ」

「っ、長宗我部先輩!」

 

 ──止める。キャプテンの長宗我部誠四郎が、陸奥よりも早く雰囲気を締め直すように、静かに、されど重く言葉を放った。

 緑のユニフォームをはためかせ、彼は続ける。

 

「反省は結構だ。それは成長に繋がる──だが、必要以上の自省はかえって自信を喪失させる。今必要な後悔だけをしろ、それ以外は今考えるな」

「……くっ、ははは! キャプテンの言う通りだな! まだ試合は終わっていない! 悔いることがあるなら考えるよりプレーに発揮すべきか!」

 

 獅子豪の力強い笑い声が小さなロッカールームに響く。長宗我部の言葉に耳を澄ませていたDFの童部留があまりの声量に目を回すほどの音圧に、チームを包み込んでいたどこか陰鬱な空気が吹き飛ばされた。

 イレブンを支え、的確に導くキャプテンとしての責務。それを十全に果たした銀髪の少年に、陸奥は誰にも気づかれないほど小さく口角を上げた。そしてリセットされた空気をさらに盛り上げるように、キャプテンマークを長宗我部に差し出す。

 

「後半は起爆剤を投入する! 佐藤に代わって長宗我部、そして岩崎に代えて──鎌野、出番だ!」

「……はーっ、やっーと俺の番すか」

 

 腹の底に響くような声を受けて立ち上がる、黒髪の少年。引っ掴んだユニフォームに踊るのは、10のエースナンバー。

 ──世代の雄、青森附属の最高傑作。今の今まで温存され続けていた鎌野樹の、FF初戦が今始まる。

 

 

 

────────

 

選手交代

OUT #15 佐藤将吾 → IN #4 長宗我部誠四郎

OUT #18 岩崎仁 → IN #10 鎌野樹

 

────────

 

 

 

 ピッチに照りつける太陽、芝生を踏む足裏の感触、離れていた期間は一週間ほどであるはずなのに、それがどうしようもなく懐かしく思えて、自分は本当にサッカーが好きなのだな、と感じる。

 自信を胸に、誇りを糧に──鎌野が、フィールドに足を踏み入れた。

 

「……くっ、鎌野が出てきた……!」

「ボール渡すなよ、絶対マーク緩めんな!」

 

 ピッチに立っただけ。それだけで、一木工業の選手たちの緊張感が高まる。浮き足だった空気で鎌野を睨みつけ、それを一身に受ける本人は楽しそうに口角を歪めた。

 

「ははっ、ビビりすぎ。止めれるもんなら止めてみろっす」

「ちなみに鎌野先輩。久しぶりの公式戦ですけど調子は?」

「愚問っすね。最高」

 

 身体の調子を確かめるように、軽くジャンプを繰り返していた鎌野が答える。その様子は試合前とは思えないほどに自然体で、それが彼の底知れなさを一層強調していた。

 一木工業のFWたちは、鎌野と反比例するような緊張の面持ちでセンターサークルを踏む。心臓を落ち着かせるために繰り返す浅い呼吸が耳朶を打った。

 

「……一点、返すぞ!」

「おおっ!」

 

 裂帛の叫びと共に、後半開始のホイッスルが空に響く。素早くスタートを切った一木工業が、FWのパス交換で中盤まで一気に侵入する。

 もちろん、それを黙って見ている道理はない。ボランチの一角、中盤の要石である氷治が迷いなくボールホルダーにスライディングを放った。

 

「っ、サイド!」

「避けるか……」

 

 間一髪で躱したFWがサイドのMFにパスをつける。受けた選手がワンタッチで中央に折り返し、今度はマークを受けていなかったもう一人のFWにパスが通る。

 

「──行かせん」

「くっ、カバー早い……!」

 

 ──そこに鋭く立ち塞がったのは、二人目の交代枠、長宗我部誠四郎。大山の如き存在感が眼前に立ちはだかり、思わず足をすくませた。だが、すぐに正気を取り戻し、背後からヘルプに入ってくるFWにヒールパス。

 

「毛利!」

「おう──はい!」

 

 長宗我部の指示が飛ぶ。どこかぎこちなく返事を返す毛利が、パス先の選手に飛びつくように躍り出た。しかし、彼は慌てない。むしろ僥倖とでも言いたげに、不遜に鼻を鳴らした。

 その動作と同時に、長宗我部が短く右手を振るう。

 

「オレは、囮だ! サイド抉れ──!?」

「──おおっと! 読み通り!」

 

 時間をかけず、高精度のダイレクトパスがサイドラインを駆け上がるMFに放たれた。──しかし、そこには薄利。何もかもが手のひらの上だったかのように、苦せずしてパスをカットする。

 少年が驚きの声を上げた後、ハッと気づく。長宗我部の眼球だけが、薄利の方に向いていることを。

 

「長宗我部先輩見た!? 今の私の指示通りのディフェンス!」

「ああ──それをカウンターに繋げろ!」

「あいあいさー!」

 

 右手の動きは薄利への言葉無き指示。フィールド全体を見渡し、的確にチャンスの芽を摘む──個人のみでなくチームで守り抜く、素晴らしいディフェンスの連携。長宗我部は入ったばかりのゲームで、その指揮権を掌握していた。

 鳥が獲物を狙う瞬間に最も無防備になるように、攻守交代の瞬間はカウンターの狙い目。それを理解している薄利は、キャプテンからの指示を受けるよりも早く上空に飛び上がり、機械的な砲台にボールを打ち込む。狙うは、ゴール一直線。

 

「行くよ──ブルズアイ!

 

 右手で素早く計算結果を入力し、ゴールにロックオン。そして腕を振るうと同時に、青色の風を纏ったボールが弾丸として空気を切り裂いた。その音で目覚めたかのように、一木工業のDFたちが慌て出す。

 

「チッ、絶対通すかよ! グラビテイション!

 

 焦りの中でも、判断は間違わない。いち早く状況を飲み込んだセンターバックが重力フィールドを作り出し、シュートを迎え打つ。腰を低く構え、音速の球を穴が開くほどに睨みつけ──

 

「よっ、と。ナイスパス」

「──なっ!?」

 

 ──だからこそ驚愕する。ドリルのような貫通力を内包していたはずのシュートを、鎌野がなんでもないようにトラップしたことを。

 シュートがグラビテイションに触れる前に、鎌野がボールの主導権を奪い取る。そのまま、半円状に展開される超重力の網を掻い潜るような、優しいフライスルーパスを前線に放った。それに反応したのは、一年生エースの蓮水。

 

「決めてこいっす」

「了解」

「……くっ、いや、取れるっ!」

 

 ディフェンスラインの裏を一気に取る長いスルーパス。それを見たGKは、先に触れると判断して一目散にボールへと突っ込んでいく。

 このスピードで来れば、余裕を持ってクリアできる──そんな思考を打ち砕くように、ボールが突然失速し落ち始める。

 

「なっ……!」

「強烈なバックスピン……私の打ちやすい位置に置くためのボール」

 

 ペナルティエリア手前で、蓮水の目の前にボールが落ちた。当然、GKはキャッチしにいくことはできない。誘い込まれたと後悔するにはもう遅かった。

 

「ありがとう、鎌野先輩。アシストをつけてあげます──ハイドロバイパー

「……っ、爆裂パンチィィィ!

 

 自ら縮めた反応への猶予。真正面ドフリーで打ち出された水蛇のうねるシュートに、両手に十全な熱気を込めることもできないまま立ち向かうことを強いられる。

 それでも諦めない。痛む拳に目をつぶって、意地だけで連続パンチを食らわせ──シメのアッパーカットを打つ。間違いなく会心の力。

 しかし──

 

「──ぐあっ……!?」

 

 蛇のアギトが、矮小な拳を打ち砕いた。竜のようにうねり、水の奔流がネットに突き刺さる。

 30分を二点に凌いだはずだった。守備も大きく崩れてはいなかった。こちらは何も変わってなどいない。

 だが──彼方は違う。青森附属の破壊的な起爆剤、鎌野樹の出陣。それは、試合再開1分でのアシストという驚異的な結果として現れた。

 

「ナイシュー、蓮水」

「はい、流石のパスでした」

 

 鎌野と蓮水がハイタッチして控えめに喜びを分かち合う。その背中には、達成感はあれど、幸福はない。絶対王者にとって、勝利とは、ゴールとは当然のものだから。

 倒れ伏すDFの横を通り過ぎる際、鎌野は独り言のように呟く。

 

「今日はあと何点取っとこうかな……」

 

 一木工業の精神は、そこでへし折られた。

 

 

 

 

 

──────────

 

GOAL‼︎

31分 蓮水涼

アシスト:鎌野樹

 

青森附属 3-0 一木工業

 

──────────

 

 

 

 

 

 ──後半は、蹂躙だった。

 再開早々の失点で気持ちを切らしてしまった一木工業は、自陣ゴール前で致命的なボールロストを犯した。それは桜葉が拾い、鎌野につなげ、鉢鐘が決めて四点目。

 長宗我部のディフェンスから、縦パスを一気に鎌野に通す。集ってきたディフェンスの間隙をついて氷治に。ミドルシュートで五点目。

 氷治の潰しから鎌野に。FWには厳しくマークがついていたが、DFから上がってきた童部留を捕まえきれずパスが通る。ゴール前まで持っていかれ六点目。

 桜葉に前方を塞がれ攻めあぐねるうちに、鎌野本人にボールを奪われる。二人があたるもドリブルで抜き去られ、奇崎とのワンツーでペナルティエリアに。GKがシュートを警戒するも、ゴール前の横パスでGKすら欺き、無人のゴールへ桜葉が押し込んで七点目。

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

 一木工業の選手たちから噴き出る汗は、疲労からか、恐怖からか。とにかく確かなのは、鎌野樹がボールを握ってこちらの陣内へ攻め込んできていること。

 胸に穴が空いたような感覚でも、責務を果たすために鎌野を止めるべく進路を塞ぐ。だが──

 

ブレイクスルー

「ぐあっ……!」

 

 鎌状に変形させたボールで地面を揺らし、破壊の衝撃でDFを無力化。悠々と鎌野がゴール前に顔を出す。

 

「くそっ……パスコース塞げ!」

 

 膝を震わせながら立つGKが、鋭く指示を飛ばす。その言葉通り、蓮水、鉢鐘、奇崎の三人にブロックがついた。おそらく、背後から上がってきている氷治にもマークがあるだろう。

 だが、肝心の人物にディフェンスがついていない。ボールホルダーの、鎌野へのDFが。

 

「はははっ、そんなに俺のシュートを食らいたいんすか?」

 

 余裕綽々の様子で、鎌野がボールを空に蹴り上げる。瞬間、周囲は月明かりすらもない宵の闇に引き込まれた、

 だが、暗闇も一瞬。空の一点に満月が輝く。煌々とした光をたたえるそれに、人影が差す。無論、鎌野のものだ。

 月暈を瞬かせる月が、強かに歪む。オーバーヘッドで月を模したボールを捉えた鎌野が、息を鋭く吸って体を捻った。

 

デスサイズオブムーン──V3

「……V、3!?」

 

 三日月のような尾を引きながら、光の弾丸がゴールを襲う。凝縮された衛星の中に眠るパワーは、もはやGKの力量では目測をつけることさえできなかった。

 心から熱を漏らして、それを手にこめることさえしようとしない。ただ、絶対的な力の前に倒れ伏し、心を折ったことを証明するように──ゴール前で、シュートを避けるように跪く。

 

「……あーあ」

「……俺たちの……」

 

 鎌野のつまらなさそうな声を掻き消すように、デスサイズオブムーンがネットに鋭く突き刺さる。縄とボールが擦れ合って焦げたような匂いがする中で、一木工業の選手たちは、もう、誰も立ちあがろうとしなかった。

 

「──俺たちの、完敗だ……」

「……ふーっ、そっすか」

 

 強者の前では、弱者は存在していることさえ難しい。

 絶対的な敗北を前に、少年たちは、立ち上がることを諦めた。

 

 

 

 

 

──────────

 

FULL TIME‼︎

 

青森附属 8-0 一木工業

2 1st 0

6 2nd 0

 

得点者

17' 毛利龍星 1-0

30+3' 奇崎楽 2-0

31' 蓮水涼 3-0

34' 鉢鐘粒閃 4-0

40' 氷治聖 5-0

44' 童部留犬子 6-0

58' 桜葉旋風 7-0

60+1' 鎌野樹 8-0

 

──────────

 

 

 

 

 

「──今日は薄利先輩よりウチの方が活躍しました! 点だって決めたし!」

「え〜! 私もディフェンス頑張ったし、鎌野くんへのパスはほとんどアシストじゃん! 私の方がすごいよ!」

「……こいつらは何を言い争ってんだぁ?」

「ん〜? どっちが誠四郎キャプテンに褒めてもらうべきか、だってさ〜」

「やめろ、みっともない……」

 

 ──試合終了後、ロッカールームに引き上げた青森附属の選手たちは、年相応に姦しかった。謎の争いも勃発している。

 そんな論舌も、長宗我部の「みっともない」発言のおかげでぴたりと収まった。慕われるのはいいが、こういう慕われ方は少し求めているものと違う──長宗我部はため息を吐きたい気分だ。

 

「さあ、本日も始めよう、勝利を祝う僕のショーを!」

「いえーい。助手は蓮水でーす」

「蓮水さん、あなたは休んでいた方が……というか、あまり余計なことはしないで……」

 

 重要な試合を制した後はいつもこうして騒がしい。ストレスを溜めないために、陸奥監督もラインさえ超えなければ乱痴気騒ぎも容認している。

 長宗我部は五月蝿いのは好まない質だが、この時間は存外心地よかった。大きく深呼吸して、心を落ち着かせる。

 そうして気を抜いていた彼の背中に、無邪気な犬が全速力で抱きついてきた。

 

「ぐっ!?」

「キャプテーン! リューも頑張ったぞー!」

「ガッハッハ! 相変わらず賑やかだな、キャプテンの周りは!」

 

 獅子豪が爆発するような大声で笑い、またまた童部留が目を回す。皆長宗我部にとって可愛い後輩たちだが、個性が強すぎるのも考えものだな、とぼやきながら、鉢鐘を引き剥がして桜葉に子守りを要請。彼女は喜んで引き受けた。

 やっと落ち着いたように息を吐いて、長宗我部が辺りを見渡す。だが、その中に目当ての人物はいない。

 

「……毛利、鎌野を知らないか?」

「ん、ああ、あいつなら、トイレだと思う──思います」

「……何度も言っているが、違和感があるなら敬語でなくてもいい」

「……あ、ああ──いや、はい」

 

 許可を出しても、変なところで真面目な毛利は頑なに砕けた口調を使おうとしない。本当に気にしていないのだが、本人が気になるなら強制することでもないだろうと、長宗我部はただ頷き礼を言った。

 

 鎌野の後を追って、リノリウムの床を歩く。愛おしい騒がしさに揺れていたロッカールームと打って変わって、スタジアムの廊下には人の気配は全くなかった。すでに観客たちも撤収しているのだろう。

 歩いて三分もかからないうちに、長宗我部は鎌野の姿を捉えた。だが、彼はトイレではなく、ロビーの壁にもたれかかって、ただ外のどこか一点を見つめていた。

 一瞬迷う。彼の経験上、ああやって上の空になっている鎌野は何かに集中している時だ。だが、今は話すべきことがある──少し気が引けたが、その肩を控えめに叩いた。

 

「鎌野」

「……ん? キャプテンすか?」

 

 頷く。彼はポーカーフェイスを少し綻ばせて、自分の隣に来いと手招きをしてきた。誘いに従って、真隣の壁にもたれかかる。

 

「──今日の試合、1ゴール5アシスト。流石の活躍だな、鎌野」

「余裕っすよ。俺天才なんで」

「……ふっ、減らず口だ」

 

 鎌野の頭を軽く叩いた。小学生の時から変わらない、気楽なやり取りだ。常に天才として道を歩んできた鎌野と、泥の中を這いつくばってきた長宗我部。決して交わることはないように見えた互いの軌跡は、サッカーフィールドが繋いでくれた。

 ──本当はここにもう一人いるはずだったが──長宗我部はそのセンチメンタルを、頭を振って追い払う。

 

「調子はいいようだな。その上で、聞きたい」

「……何すか?」

 

 一段低くなった声色に、真剣な話であると直感した鎌野が首を傾けこちらを見る。それを認識して、長宗我部は重く口火を切った。

 

「──伊槌鳴哉……そして、『アイツ』の率いる憲戸中に……勝つ自信はあるか?」

 

 どこか、祈りを捧げるような厳かな声。鎌野は、当然のように答えた。

 

「イエス。それ以外答えがあるんすか?」

「……ふっ……最高の答えだ」

 

 ──そう、鎌野にとっては愚問以外の何者でもなかった。

 幼い頃から絶対王者の一員として、勝利を至上命題としてきた。そんな彼らにとって勝負において価値を意識しないことなど、ありえない。その通りだと、長宗我部は己を鼓舞する。

 

「くくっ、キャプテンは不安だったんすか? 伊槌を止められるのかが」

「……ああ。練習試合で対峙した時はどうにかなった。だが──奴が感覚を取り戻し、成長していたら……分からない」

 

 そうっすか、と鎌野が小さく呟く。否定することはなかった。

 そして再び外に目を向けた彼の目が僅かに見開かれる。もたれていた背中を起こし、ロビーの自動ドアを強く見つめた。

 

「噂をすればってやつっすね。──来ましたよ」

「何? 誰かを待っていたのか?」

 

 虚をつかれた長宗我部も、入り口に注視する。すりガラスの半透明の先には、確かに人影があった。

 それが誰だかは分からない。一つ目のドアを潜ってゲートの中へ。そして、視界を塞ぐ二つ目の自動ドアが開く──

 

「……!!」

「……鎌野樹」

「こんちは──伊槌鳴哉」

 

 くすんだ銀髪に、雷のような形のメッシュ。記憶の中より幾分か鋭くなった眼光を煌めかせた少年──伊槌鳴哉が、二人の前に現れた。

 ただ目の前にいるだけ。それだけなのに、長宗我部は彼から目が離せない。練習試合で会った頃とは全く違う存在感。海を渡ったあの頃のような鈍い輝きが伊槌の中に見えた。

 

「鎌野、長宗我部……試合は見た。素晴らしい内容だったな」

「ありがとっす。伊槌も、死闘を制したらしいっすね」

「……四壁恒星から三点も奪うのは至難の業だ。流石と言うべきか」

 

 口を開くだけでも、長宗我部は緊張を隠すので精一杯だった。

 伊槌鳴哉。サッカー少年にとってその名は憧れの象徴だ。弱冠十二歳にして海を渡った怪物──この日本において前例のない、ジュニア時代から才能を世界に認められた、『ワールドクラス』の人間。

 

「パス、シュート、ドリブル……鎌野のプレーは全てが鋭かった。まさしく……『ワールドクラス』のプレーだった」

「! ……はっ、あんたにそう言われて、悪い気はしないっすね」

 

 伊槌な真剣な表情でそう言い放つ。ただ称賛の言葉を投げかけに来たわけでもないだろう──その長宗我部の直感は、やはり的中する。

 ズンっ、と。伊槌から、強い戦意が溢れて鎌野たちに叩きつけられた。威圧感に、二人の背筋が伸びる。

 

「だからこそ……俺はお前を超える。次の試合、絶対に勝つ」

「……宣戦布告、確かに受け取った。だが……勝つのは俺たちだ」

 

 言葉と言葉が、目と目が、心と心がぶつかって火花を散らす。伊槌は大きく息を吸うと、「それだけだ」と言い残して、すぐに去っていった。

 

「……くははっ、伊槌鳴哉……その背中、必ず追い越す」

「ああ、俺たちが戦える、最後のFF……全てぶつける」

 

 シャーレを掲げる自分の姿を強く思い描き、長宗我部が低く吼える。その言葉に呼応して、鎌野が背中を叩いた。

 

「ええ、約束するっす。キャプテンの願いにかけて、絶対王者としてのプライドにかけて──」

 

 ──そして、鎌野が懐から携帯電話を取り出す。メールのアプリが立ち上げられているその画面には、こう文字が踊っていた、

 

「──そして、俺がドイツに渡る、最後のFFを獲るために。伊槌鳴哉を倒すってね」

 

 イツキ・カマノ。

 ドイツトップリーグ、フライハイト・ミュンヘン入団を許可する。

 伊槌を超える、第一歩への道筋。




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