「…………」
20分が過ぎ去り、前半が終了した。
ゲームは10分のハーフタイムに差し掛かり、青森のベンチでは選手達が活発に相手チームの癖、戦術、そしてやり方の修正などを、監督である陸奥も輪に入って意見を交換している。
「…………ちッ」
──だが、憲戸のベンチは地獄のような有り様だった。
誰も口を開けない。実力差がありすぎて、何を話せば良いのか分からない人間が大多数を占めていたが、中には完全に戦意を喪失してしまっている者もいた。
「やっぱり、無謀だったんだ……僕たちなんかじゃ……」
「…………」
青い顔をして震える太田と、難しい顔で黙りこくる様崎。
そして何より異様な雰囲気を醸すのは。
ユニフォームを脱いで、タオルを被ったまま俯き、一向に動かない伊槌鳴哉だった。
「……あ、えーっと。とりあえず、後半の戦術を話し合わないか……?」
「……何を話すんだ」
いつもの明るさに影を落としながらも、監督としての意地で月並が口火を切る。そこで、ようやく伊槌が口を開いた。内容は良くないものだったが。
我慢ならないと言った様子で、伊槌が急に立ち上がる。
「何を話すってんだ……この有り様で!」
そして、前半の内にベンチに入っていた橘花達によって記録されていたスコアシートを引っ掴み、目の前に叩きつけた。
──────
憲戸 0-8 青森附属
得点者
[青]鎌野樹(4分・10分)蓮水涼(7分・12分・17分)鉢金粒閃(15分・19分)
──────
目に入った、惨憺たる内容に、ほとんどの者が目を伏せる。
出場していなかった宵闇と橘花でさえも下を向く。むしろ、出場していなかったからこと、客観的に実力差を見せつけられてしまったのだろうか。
そんな中、ふと、様崎が呟くように沈黙を破る。
「──やめよっか」
小さく放たれたその言葉は、しかし嫌に、無音の13人の耳に木霊した。
太田が肯定するように、ゆっくりと頷く。
「そうだよ……無理なんだ……」
三刀屋も、参ったような雰囲気を見せる様崎を案じた様子で、苦虫を噛み潰したような表情で、彼女に歩み寄る。
「ワタシは……みんなをソンチョウするよ」
呪われたように、諦めと失意が質量を持って渦巻き出す。並々ならぬ様子に、月並は何も言えなかった。
この状況を作り出したのは伊槌の言葉もあるだろう。彼も試合に対して諦観ととれる言葉を発していた。事実、前半10分以降の彼のプレーは精彩を欠いており、それに流されたかのようにチーム全体で効果的な攻撃を繰り出すことはなく、失望していてもなんらおかしくない。
だが、何故か。
伊槌の胸中は、ささくれだったかのように激情が渦巻き、納得できないでいた。
「──本当にそれでいいのかァ?」
無籐が、淀んだ流れを打ち切った。
「おい、伊槌」
「……なんだ」
そのまま間髪入れずに、伊槌へ視線を向ける。拳を、血が出そうなほどに握りしめる彼の顔は、どう見てもこのまま敗走することを良しとしていなかった。
「3失点目の後、明らかにプレーが悪くなった。突っかかってるものがあんだろ?」
「……っ!」
図星をつかれて、一歩後ずさる。
無籐はそんな伊槌に構わず、試すような、挑発するような視線をぶつける。
「そのままでいいのか? 青森に舐められっぱなしでよォ!」
ドスの効いた声と共に、無籐が凄んで顔を寄せてくる。普段の伊槌なら、驚いて真正面から見返すことはなかっただろう。
しかし、今日の、今の伊槌は違かった。
「──いいわけないだろ!」
恐るに足らないやつ。
鎌野が悪気なく放ったようなその言葉が脳裏に蘇る。思い出すだけでも、怒りで内臓が熱くなった。
ああそうだ、追い詰められているからと言って逃げていいわけがない。この伊槌鳴哉が舐められたままで終わっていいわけがない。
「かましてやるさ、俺1人でも!」
伊槌が、無籐を下から覗き込んで宣言する。
元より、この試合は自分のための試合だと位置付けていた。ゴールを奪い、過去を精算するためのゲームだと。
そのためには、味方など当てにしていられない。
脱いでいたユニフォームを掴み取り、乱雑に着直す。動作の節々から苛立ちが見て取れた。
「……私も」
伊槌の背中に、ふと、か細い声がぶつけられる。
「私も、戦います」
それは、幾度も日本最高レベルのシュートに真っ向から立ち向かい、そして吹き飛ばされ続けてきたGK、久良島だった。
「何かが掴めそうなんです。私も、逃げたくありません……」
小さな声だったが、不思議と耳に届く。その裏には、伊槌すらも凌駕するような、強い意志の強さが見えた。
「……へっ、俺バカだからよ。試合放棄とか考えもしなかったぜ! そんな気はねぇけどな!」
伊槌と共にスリートップを組み、ファーストシュートを放ったパワーストライカー、木崎が立ち上がる。
「ああ、この日のために仕上げてきたんだ。負けていられるか」
靴木が、いつもの仏頂面ながらも、どこか悔しさを滲ませた声音でそう言う。その様子から、彼なりに試合にかける想いが伝わってくる。
「私も、当然やります! 先輩たちがやるのに、私だけ逃げるわけにはいかないですから!」
明凪もいつもの明るい調子で言い放つ。良くも悪くもいつも通りだが、この場においてはそのメンタルがいい影響を醸しているだろう。
無籐は彼らの様子を見て、獰猛に笑う。そして、何も言わない梵場やホープに視線をやった。
その視線に気づいた梵場は、仕方ないとばかりに肩をすくめて口角を上げる。
「男にそんな熱烈な視線もらっても嬉しくないですよ。僕も、子猫ちゃんたちの前で尻尾巻くほど臆病になった覚えはないですね」
「……みんながやるのに、あたしが逃げるわけないわ! やってやろうじゃないの!」
ニヒルに微笑む梵場を睨んで、ホープもそう言い放つ。衝動的な言葉にも見えるが、この際原動力などなんでも良いだろう。
(……けっこう、やるんだな)
伊槌が、人知れず驚きを見せる。
正直言って、ほとんどの人間が降りると思っていた。そもそも試合に乗り気ではなかったし、ホープなどは試合前も、試合中も『楽しさ』に固執しているように見えていた。
何より、キャプテンの様崎、3年の太田といった存在感のある彼女らに流される物だと思っていたのだ。
だが、それは全くの誤算だった。
──周りが見えてない。
鎌野の言葉が脳裏をよぎり、心臓が跳ねる感覚に襲われる。妙に頭がぐらっとくる。
(俺は、彼らのことを決め付けてたのか……?)
無籐が様崎と言葉を交わしている。
だが、伊槌にその言葉は届かない。脳内の全てを疑問が埋め尽くす。
(……俺は、彼らを理解しているのか?)
伊槌が、震え出した足を抑えて、ゆっくりとベンチに腰を下ろす。左手を口元に持っていき、表情を隠した。隣の橘花が、心配そうに見ている。
鎌野の言葉が重くのしかかる。失意のままマドリードから帰還し、それでもサッカー選手として再びのしあがろうとしていた。ゼロから、伊槌鳴哉として蘇るために。
だが、まだどこかで──
(みんなを認めていないのか──?)
その思考に、体が雷に貫かれたような衝撃を与えられる。
目を見開き、明らかに正常な様子ではない伊槌を流石に見過ごせなくなったのか、橘花が控えめに肩を揺さぶる。
「せ、先輩? どうしました?」
「!? あ、ああ。いや、考え事を」
触れられた途端、ビクリと伊槌が大袈裟な反応を返して、咄嗟に誤魔化すような言葉を吐く。橘花も少し驚いた様子だったが、クスリと淑やかに微笑んだ。
「ふふ……びっくりしすぎですよ」
「おい、伊槌。お前の考えも聞きてぇから来い」
無籐が少し呆れた様子で手招きをしてくる。どこかバツの悪い表情で、伊槌が立ち上がって話の輪に加わった。
軽く状況を説明される。様崎は無籐の説得によって、渋々試合放棄を考え直したようだ。
思考がまとまったわけではない。だが、鎌野の言う通り周りが見えてないことはたしかだと確信は持った。
(まずは話し合うか)
まずは、彼らを理解する。
サッカーは自分1人の戦いではないということを、伊槌は今更ながら思い出した。
その折、太田が未だ俯いたまま、遠慮がちに声をあげる。
「……ご、ごめん。やっぱり、僕は……無理だ」
太田に視線が集まる。彼はその大きな体を震わせながら、それでも絞り出すように思いを吐き出す。
「勝てない試合を戦えるほど……僕は強くない。……ごめん、交代してほしい」
震えた声だった。
その言葉は、少し前の伊槌であれば到底許容できるものではなく、感情のままに怒鳴っていたことだろう。
「……ああ、仕方ないな」
だが、気づきを得た伊槌は、小さく、だが確かな重みを持った声でそう呟く。
まだ自分は、このチームのことを理解できていない。
誰が何を考え、背負い込んでいるかなど見当もつかない。
まずは、知るべきだ。彼らのことを。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言う。今から敵について知る術はないが、己を知る術はいくらでもある。それに集中しようと、伊槌は決意を新たにした。
「……わかった、無理はできないもんね」
「だけどよ、そうなっと太田先輩の変わりは……」
様崎の重々しい呟きに重ねるように木崎が疑問を呈する。最もな懸念だ。
憲戸中は層が薄く、DFの交代要員は1人しかいない。その少女に、12人の視線が突き刺さった。
「……ぇ?」
蚊の鳴くような声で、宵闇黒江がうめいた。
────────
「──後半、逆転する心持ちでいくぞォ」
「……当たり前だろ」
無籐の音頭に、伊槌が軽く笑いながらそう返す。
前半のロングボール戦術はもう通用しない。だからこそ、
だが、気がかりはある。その悩みの種の少女に、伊槌がゆっくりと視線をぶつけた。
「な、なんであんな化け物みたいなチームにデビューしなくちゃいけないんですか……嫌だ……」
「大丈夫だよ黒江! 練習通りやれば先輩たちが助けてくれるよ!」
交代出場する宵闇は、青い顔で震えて先ほどからずっとあんな調子だった。たしかに、目の前でチームの面々が手も足も出ずに失点を重ねている状況で無理もないとは思うが、やはりしっかりして欲しい。
下がった太田も宵闇と変わらない様子だ。もう1人のDFである様崎もずっと浮かない表情で、プレーも精彩を欠く。ディフェンスも不安定感は、そのまま攻撃の不安定感に直結する。土台が揺れているのに建物が安定するはずがないように。
伊槌に出来ることは何もない。精神面のケアは自分より適任がいるはずだ。頼むぞ、と心の中でつぶやいて前に向き直った。
「大丈夫かい? 子猫ちゃん。不安なら、さあ! 僕の胸に飛び込んでおいで!」
「えっ、なんですかこいつ……」
梵場の声など、伊槌には聞こえなかった。聞こえないことにした。
スパイクを履き直し、息を整える。
後半で何かを掴まなければ、戻ってきた意味などない。
──周りが見えてない。
──恐るるに足らないやつっすよ。
脳内に反芻する屈辱の言葉。否定できないことが、苛立ちを助長する。その怒りに囚われてはならない。
青森のベンチから出てきた鎌野に、鋭く視線を突き刺す。反抗心と、ほんの少しの感謝を込めて。
「鎌野樹……青森附属……」
絶対に──
「目にモノ見せてやるよ……!」
爛々と、目に炎を携えながら、誰にも聞こえない無いはずなのに、忘れようもない声音で宣言した。
その直後、鎌野樹が、笑った気がした。
「…………」
サイドラインの脇。チームメイトから少し離れた場所で、様崎が右腕の腕章を握りしめる。キャプテンを示すその黄色の腕章を、破けるほどに。
力無い表情で、青森のペンチを見やる。どこか眩しそうに、だが、辛そうとも取れる表情だった。
「サクヤ」
突然呼ばれたことで、様崎が驚いて跳ねる。背後から声をかけてきたのは、彼女の友人、いや、親友である三刀屋だった。
「な、何みとちゃん、どーしたの?」
「……コウハイ達がこんなにやる気なんだから、センパイのワタシはお腹をくくったヨ!」
少し言い方の違う慣用句に笑いそうになりながらも、にこやかながら真剣な三刀屋の雰囲気に気圧される。
「サクヤもそうでしょ? だから試合を続けたもんネ」
「……んー、私はどうかな」
様崎自身も、何故試合を放棄しなかったのかよくわからなかった。
試合の話が来た時から、やるつもりなど全くなかった。だと言うのに、流されるままにピッチに立っている。あの青森の選手とともに。
「マア……サクヤが何を考えてるのかまではわからないケド……ワタシが隣にいるからネ! そんな顔しないデ!」
その言葉に、様崎が少し息を呑む。そして、固かった表情が嘘のように破顔した。
三刀屋が右手を差し出し、同じように歯を見せて言葉を重ねる。
「やろウ! コウハイの背中を押すのがセンパイのヤクメだからネ!」
「……ふふっ、みとちゃんはすごいなぁ」
感慨深げに様崎が呟く。
心は軽くなっていた。青森に支配されていた脳が、友人たち、チームメイトたちの記憶で暖かくなっていく。
笑顔を見せた様崎が、頼りがいのある親友の手を取る。
少し遅れたが、もう迷うことなどない。この素晴らしい仲間たちと、楽しむことしか考えられない。
「もちろん、やっちゃおう!」
今日1番の笑顔で、様崎が宣言した。
憲戸中フォーメーション(4-4-2)
ーー木崎ーー伊槌ーー
明凪ーーーーーー梵場
ーー無籐ーー靴木ーー
三刀屋ーーーーー山本
ーー様崎ーー宵闇ーー
ーーーー久良島ーーー
「……変えてきたな」
「ですね。選手たちも、やる気を失ってるわけではないみたいです」
長宗我部の厳かな響きの呟きに、隣に立っていた童部留が返す。
ゆっくりと頷き、低い声でチーム全体に轟くような一喝を届ける。
「こちらのやることは変わらない! だが、油断はするなよ!」
『おうっ!』
威勢よく、青森の面々がそう返す。言われるまでもなく、誰の表情にも、油断や驕りなど存在しなかった。
高らかに笛が鳴り、後半が幕を開けた。
「行きますよ、リュー」
「任せろー!」
蓮水が鉢鐘に渡し、即座に鎌野にボールが渡る。それに合わせて前線の選手たちが一目散に憲戸陣内に走り込んでいき、それだけでも鎌野への深い信頼が読み取れた。
対する憲戸の選手たちは、不思議なほど浮き足立たない。冷静に、それぞれが守備を全うする。
「木崎、俺と鎌野に当たるぞ!」
「おう、10番は必ず2人で、だな!」
伊槌の声かけとともに、ツートップの2人が挟み込むように鎌野にプレスをかけてくる。
猪突猛進に突っ込んでくる木崎と、それをカバーするように、ゆっくり、されど蛇のように虎視眈々とボールを狙った伊槌の連動したプレス。ハーフタイムできちんと修正してきたようだ。
退屈しないとばかりに、鎌野の口元が歪む。
「はは……すぐに折れられちゃ俺たちも張り合いないっすからね」
まあ、と続けて呟き、鋭く目の前の2人を睨みつける。
「だからといって手は抜かないっすけど」
ぞわり、と伊槌たちの背筋に嫌なものが走る。
鎌野は至って冷静にボールを操り、ヒールリフトで上空にあげる。そのボールは木崎たちを抜くわけでなく、真上に緩やかに漂っていた。
瞬間、鎌野が飛び上がりそれを足で挟む。粘土細工のように器用に引き伸ばし、形を作り、それはいつしか死神のような鎌を象った。
「ブレイクスルー」
「うおっ!」
「ちっ……!」
鎌が出来上がるとともに、それを目の前の木崎たちに蹴りつける。回転しながら前方を薙ぎ払うそれに横へと弾かれ、鎌野に前方への突破を許してしまった。
「わりぃ、そっち行く!」
「中盤、頼む!」
伊槌たちの声を受けるまでもなく、中盤の4人が近場の選手へのマークを固める。素早い連動に、青森の選手が少し驚いたように目を見開いた。
「動きが良くなっていますねぇ……何があったのやら」
「私たちも攻め手に回った方がいいかな〜?」
ボランチの2人の言葉を、鎌野が手で制す。生意気とすら取られそうなその動作を、桜庭は笑って見送った。
「俺をフリーにするなんて、舐められたもんっすね……」
鎌野が愉快そうに、獰猛に笑う。その目は爬虫類のようにぎょろぎょろ動き、ピッチ全体を見渡しながら最適な行動を探っている。
その折、憲戸の最終ラインから鋭い声が飛んだ、
「一谷くんがアタック、あいた子には黒ちゃんがマーク貰って!」
「了解だ」
「い、言われた通りやればいいんでしょ……」
それは、前半は置物のようだった様崎のコーチング。受けた靴木は迷わず鎌野にプレスをかけ、宵闇も不肖不肖といった様子ではあるが、すぐさま従う。
「……へえ、やる気になったわけっすか」
どうしてかは分からないが、これは面白くなる。鎌野は、先ほどとは違う、少年のような笑みを浮かべた。
「これ以上は通さんっ……」
悠々と進む鎌野の前に、靴木が立ち塞がらんとしてくる。だが、それを馬鹿正直に受けてやる道理などない。
「リュー、ワンツー!」
「りょーかいだ!」
無籐を背負う鉢鐘にボールを散らし、すぐさまリターンを返させる。靴木もワンツーまでは反応できていたが、パススピードが早すぎてカットが間に合わず背後を取られてしまう。
「……行かせるものか」
「ひゅー、しつこいっすね」
だが、それだけで諦める靴木ではなかった。余裕のあるスタミナに物を言わせて、スピードを上げて鎌野に背後からタックルを食らわせる。
流石に効いたのか、軽口を叩きながらも彼は体制を崩した。それでも足元からボールが離れないのは、実力故だろう。
「宵闇、来い!」
「……は、はは。青森の天才も無敵じゃないってことですか……!」
減速を余儀なくされた鎌野に、容赦なく宵闇が挟み込む。
よろけた状態の鎌野は、とてもボールをコントロールできる状況にない。取れる、そう確信し、皮肉を迸らせながら慣れないスライディングタックルで刈り取ろうとした瞬間。
「ほんと、舐められた物っすね!」
声を少し荒らげながら、鎌野の右足が閃光のように振り抜かれた。
「えっ」
奇崎のマークについていたホープからでさえ、パスを出す瞬間が見えなかった。それほどまでに早く、鋭いパス。滑り込む宵闇も、靴木もただ見送るしかない。
「また私ですね」
「……次こそ……!」
咄嗟のパス故に、少し浮いたアバウトなボールになったがこの少女には些細な問題だ。またもや空中で抑えようと、大したモーションもなく高く飛び上がる。
だが、突如蓮水に影がかかる。ピンク色の髪を靡かせながら、その少女は蓮水の前方に覆い被さるように、突然現れた。
「もらいっ!」
その影は、憲戸中のキャプテンである様崎その人だった。身体能力に優れる蓮水とほどんど同じ高さを飛び上がり、空中で彼女が捕らえようとしていたボールを掻っ攫って見せたのだ。
「おや、取られました」
「サクヤ、ナイスディフェンスだヨ!」
ほどんど感情が読めないが、蓮水はたしかに驚愕していた。それとともに、先ほどまで大した脅威と認定していなかったこの選手への警戒を最大限高める。
「ふふふっ、無籐くん!」
「はァ、やっとお目覚めかよ!」
三刀屋の賞賛に白い歯を見せながら、様崎がすぐさま無籐へパスを入れる。だが、彼がマークについていたということは、その背後には当然彼女がいるということだ。
「む、すぐ奪い返して点取ってやるぞ!」
「させるわけねェだろ……三刀屋ァ!」
体格が勝る無籐が、マークにつく鉢鐘を抑え、サイドの三刀屋へすぐさま展開する。マークについていなかった彼女は、いつでも味方のフォローに回れるポジションを逐一取っていたのだった。
「よし、みんな上がっテ!」
「っしゃ! ゴール前に行けばいいんだな!」
「よし、こっちのターンだ!」
その言葉に呼応して、ツートップの2人がMFのラインを超え、ディフェンスの裏へと一目散に走り込んでいく。
当然、そんなわかりやすい動き出しを青森のディフェンスが見逃すはずがない。すぐさまディフェンスリーダーの長宗我部が指揮を取った。
「裏を警戒しろ、前線もプレスをかけてロングボールを蹴らせるな!」
「了解だ!」
その言葉通り、ボランチから前の選手たちは果敢に前線へ飛び出し、ディフェンスラインの選手たちも、伊槌たちを視界に入れながら、いつ裏に抜けられてもカバーできる状況を保ちつつラインを下げていく。
「くそ、やっぱ一気には無理か!」
「ああ……だが、戦術通りだ!」
伊槌の言葉に、長宗我部が少し反応する。
ロングボール一辺倒だった前半とは戦い方が大きく変わっている。警戒しなければならないと、彼は再び兜の緒を締めた。
三刀屋はドリブルで持ち上がらず、再び無籐に返す。彼も長くは持たずに、寄ってきた靴木へとボールを渡した。
「数で攻めようということですか? なんであれ通しませんよ」
パスを受けた瞬間、氷治が素早く靴木にプレスをかけてくる。パスを警戒しているのか、即座にアタックには来ず様子を伺っていた。
「数で、というのは少し間違いだな」
「……何です?」
その言葉には、靴木ではなく無籐が実に楽しそうな表情で、吠えるように答えた。
「数と、質で勝つんだよォ! 靴木ィ、出せ!」
「ああ、ワンツーだ!」
背後から素早く靴木を追い抜いてパスを要求する。鉢鐘もついてこようとしたが、それは氷治が手で制した。
奪うことなど雑作もない。カウンターの駒を増やしておくべきという判断だ。チームとしても、ショートカウンターによる得点は狙うべきところ。故に、鉢鐘のプレスバックを止めたのだ。
「所詮は付け焼き刃……フローズンスティールッ!」
「……ハッ!」
無籐にボールが渡った瞬間、前半梵場に食らわせたような、氷を纏った殺人的なスライディングで襲いかかる。
無籐の体の向きでは、靴木にそのまま返すのは難しいボールになる。万が一リターンを選択しようと、背後にいる桜庭がない回収するだろう──だが、無籐が出した答えは、そんな氷治の思惑のどれとも異なるものだった。
「ブチ抜け明凪ィ!」
「チッ、そっちか……」
前半は守備に奔走していた左ウイング、明凪にボールが渡る。そのパスに、滑り込みながら氷治は舌打ちをした。
「薄利さん、止めてください!」
「もちろん、任せといてね!」
当然、鈍色の髪をはためかせながら、マッチアップするサイドバックの
「皆さんが信じて渡してくれたボール、無駄にはしません!」
こちらを伺う薄利の頭上へ、裏をかくために飛び上がる。背後に三日月を輝かせ、なぞるようにな回転とともに穏やかな夜風とは無縁の、激しい風圧が薄利を襲った。
「三日月の舞!」
「うわっ!? まずいかも!」
風に体を殴りつけられ、薄利の動きが止まる。その隙を見逃さず、明凪が矢のように素早くサイドを抉って縦に切り込んだ。
「チッ、俺が行く!」
「童部留、絞れ!」
「走れ木崎!」
一気に押し寄せる緊張に急かされたかのように、さまざまな指示がゴール前で飛ぶ。
「明凪ィィィィ! 出せェェ!」
伊槌の指示を受けた木崎が、オフサイドすら気にせずゴール前に突っ込み喉が張り裂けそうなほど声を張り上げて存在を誇示する。長宗我部も放っておくわけにはいかず、木崎に釣られていった。
明凪が、毛利に詰め切られる前に中に視線をやった。
その動きに呼応するかのように、伊槌が
「……!」
明凪と木崎に気取られ、完全に押し込まれたディフェンスライン。その少し離れた場所で、誰にも気取られずフリーで手を挙げるその男に、前半と同じように、明凪の本能が得点の匂いを掴んだ。
「伊槌先輩ッ!」
「……いい子だ!」
空気を鋭く切り、明凪がクロスを上げた。
ボールはペナルティエリア中央より少し後ろ、そう、伊槌の足元にドンピシャで入るピンポイントクロス。
「やばっ……!」
童部留が野生的な勘でいち早く反応し、必死に伊槌へ距離を詰める。だが、流石に遅すぎた。
「絶対……!」
鋭いクロスに対し、ピンポイントで右足を引き戻す勢いでボールの下を蹴り抜き、その場で回転させる。そして、引いた力をバネに、強烈なボレーを叩き込んだ。足と回転の摩擦によって発電が起こり、眩い光がボールを覆う。
──いつも通り、脳裏を浮かぶのは、伊槌を絶望へと導いたシュートミス。プレッシャーに震えるあの感覚と、針の筵のような罵倒が体中に毒のように思い出されていく。
(……っ、くそ……!)
足から力が奪われていく。
あれだけ大見得を切ったのに、心はこんなにも奮い立っているのに。
こんなにも戻りたいと思っているのに、戻れないのか──。
過去を振り切れない無力感が、全身を苛んだ。
その、直後。
「鳴哉くん、頑張れー!」
明るい声が、背中に暖かく染み付いた。
(……!)
思い出させるれるは、あの時の少し前。
白いユニフォームに身を包んだサポーターたちが、拍手で自分を迎えるスタジアム。
ゴールを沈め、鎬を削るライバルたちが魂からの笑顔で伊槌に駆け寄ってくる晴れの夜。
自分にパスを出し続けてくれた、世界最高峰の選手たち。
「……おおおおおお!!!」
不思議と、全身に力が漲る。
(掴んだ、掴んだ、掴んだッ!)
歓喜と、燃え盛る執念とともに。
右足を振り抜いた。
「電閃ッ!」
放たれたのは、キング・マドリードの頃と比べても遜色ない、最高の一撃。
決まった──確信のような感覚が伊槌の胸に去来する。
──だが、そうも簡単にゴールを許すほど、日本最高のチームは甘くない。
「やあああっ!」
「っ! 間に合いやがった!」
伊槌へのプレスを諦め、童部留が飛びかかるようにシュートをブロックする。ギリギリで足を盾にして、少しでも威力を削ごうと全身に力を込める。
「すごいパワー……! ぐぅぅぅ、がうぅぅぅ!」
犬が唸るような裂帛を喉の奥からひり出し、自らを鼓舞する。
最後の砦、獅子豪は、必死に体を投げ出してディフェンスする童部留に笑みを浮かべていた。
「良き根性だ後輩! 小生も負けてられんなぁ!」
「うるっ……さい……!」
流石に限界が近いのか、彼女の顔は苦悶に染まっていく。獅子豪がそんな童部留を励ますように、両腕に集めたパワーを高々と掲げ、祭囃子でも叩くかのように強く踏み込んだ。
「あとは、小生に任せよぉ!」
「くぅ……頼みます……! うぁ!?」
遂に電閃のパワーが童部留の足を跳ね飛ばす。だが、たしかに威力も回転も弱まっており、必殺技を使っていないのに効果的なブロックが成功していた。
シュートを真正面から見据える獅子豪が、暑苦しく口元に弧を描く。
「後輩の為にも……止めねば男ではないなぁ!」
自らに言い聞かせるように叫び、右腕に顕現した盾を、シュートを叩き割るような勢いで突き出した。
「王家の盾ェェェ!!」
この日1番のパワーのぶつかり合いが、激しく火花を散らす。電閃は突き貫かんとばかりに猛烈に雷撃と火の粉を放ち、盾がそれを真正面から受け止めつつ、力を奪っていく。
「決まれ……!」
「止める……!」
永遠にすら感じられたその一瞬の硬直は、唐突に動きを見せる。
ビシリ、と。盾が限界を訴え、ひび割れ出した。
シュウウ、と。何かが抜けていくような音を発して、シュートが勢いを失い始める。
莫大な力と力は、お互いにノーガードで殴り合い、純粋に競い合い──そして、共倒れの様相を描こうとしていた。
「ぬうぅ……!」
それでも、獅子豪は最後まで諦めない。ここで倒れれば、もしかするとボールがゴールラインを割ってしまうかもしれない。その思いだけで、食い下がっていた。
そして──。
「ぐおぉ!?」
電閃の最後のパワーと、獅子豪の意地がぶつかり合い、シュートは上に逸れ、コーナーキックになった。
完全ではなかったが、渾身の一撃が止められた。されど、伊槌は不思議と身を焦がすような悔しさではなく、全能感にあふれていた。
「いける……」
拳を強く握る。掴んだものを二度と離さないように。
「次は決める……! 必ず!」
伊槌は、怪物のように笑っていた。
コーナーキックの守備のため、鎌野も自陣に戻ってくる。身長に利があるわけではないので居てもいなくても同じだ、とは本人の弁だ。
拳を握って獰猛に笑う伊槌を見て、鎌野も口角を引き上げた。そして、おもむろに薄利に近寄って、耳元で声をかける。
「
その言葉に、彼女はどこか不気味に笑んで、強く頷く。
「もちろん! シュートの癖とか、動きの癖とか全部わかったよ!」
頼もしいっすね、と鎌野が呟く。
そして、薄利の肩に手を置き、伊槌を射抜くように見て笑った。
「頼んだっすよ。
1話の長さどのくらいがいいですか?(短いほど更新頻度は上がるはず)
-
5000字くらい(21話くらいの長さ)
-
10000字くらい(ちょっと少ない)
-
15000字くらい(いつもと同じくらい)
-
20000字くらい(8話レベルの長さ)
-
好きにしろ