もしもⅥ<下>終盤の戦いで■■■が勝っていたら?というIFストーリー
残された者達の選択とは――
※バッドエンドルートです
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廃ビルの中、少年と少女が対峙している。アキラとユミナだ。
二人は一言も発しない、投降してくれというユミナの願いをアキラは拒否し、退いてくれというアキラの願いをユミナは拒否した。
もうどうしようもない。殺し合うしかないとお互いが理解していた。生き延びる為に、愛する人を死なせないために。
体感時間を操作し、現実の解像度を向上させる。相手を殺すために。自分の望みの為に。互いに相手しか見えない白く染まった世界の中でアキラとユミナは殺し合いを開始した。
ユミナは死力を尽くして戦った。余りの負荷に脳も肉体も崩壊しそうな感覚を覚えつつ才も命も祈りも絞り尽くして銃を撃ち、ブレードを振るいアキラを追い込む。
だが、それでもアキラには届かなかった。
(あ…ぐ…!)
脳への負荷が限界を迎えユミナの動きが大きく鈍る。その隙を見逃すアキラではなかった。
死ぬ。こちらに踏み込むアキラを、自身の心臓に向けられるブレードを見てゆっくりと動く世界の中でユミナはそう判断した。
そしてブレードがユミナの心臓を貫く―――寸前でアキラの動きが止まった。
「……っ!?」
「え……?」
余りの驚愕に互いの動きが止まる。二人とも何が起きたのか理解できなかった。
(何だ!?止められた!?違う!俺が止めたんだ!何してる!?動け!俺は、ユミナを――)
混乱の中アキラが動こうとする、だがその意に反してアキラの身体はその場に縫い留められたように動かなかった。
「う、ああああああああっ!」
僅か数秒の隙、その間に我に返ったユミナが咆哮し最後の力を振り絞る。ブレードでアキラの喉を刺し貫きそのままの勢いで体当たりしアキラの身体を壁に縫い留める。そしてブレードの柄を抑えたまま逆の手で予備の拳銃を取り出しアキラの胸部を至近距離で銃撃した、高価かつ強力な弾丸を全弾打ち尽くす。その衝撃に耐えきれずに強化服の制御装置と共にアキラの心臓が粉砕される。
「がっ…!」
ユミナは撃ち尽くした銃を放り捨てアキラの手からブレードを弾き飛ばす。そしてそのままアキラの身体を全身で壁に押し付けるようにし動きを封じた。
それでもアキラは即死しない。アキラがもがく、最後の力を振り絞る。
だがアキラも連戦により非常に消耗していた、エネルギーパックの残量も尽きかけている。加えて制御装置も粉砕された状態では強化服もまともに動かせず自分を押さえつけているユミナを振り払う力は残っていなかった。
(駄目か…死ぬな)
どこか冷静にアキラはそう思った。アルファのサポートを失ったことで復活した死の気配を掴む感覚、それがアキラに自身の死を告げていた。
(何で…俺は…あんな…)
薄れゆく意識の中でアキラは思う。なぜ自分はあの時動けなかったのかと、そしてその理由に思い至る。
(ああ、そうか)
俺は、ユミナを――
(殺したくなかったのか)
仮眠から目を覚ましてからの諦観があった、ユミナが悲壮な決意を浮かべていてもアキラは驚けなかった。退けない、投降することなど出来ない。敵対する、ユミナと殺し合うしかない。そんな確信があった。
だが殺し合うしかないと思う心の裏で殺したくないと思う心が悲鳴を上げていた。アキラは今まで多くの者を殺してきた。今更殺しに躊躇など無い。だが殺したくないと思う者を殺したことは無かった。だからどうにかしようとした。
退いてくれ、殺したくない。そのような言葉が自分の口から出たことに驚いた。
不利になると分かっていてもユミナとの殺し合いを自分からは始められなかった。
ユミナを原型すら留めない血肉に変えたくない、だから銃ではなくブレードを使った。
殺したくない、死なせたくない、何か、何か方法は無いのか。ユミナを助ける方法は。
そこでアキラは気付いてしまった。正確には自身でも気付いていないアキラの心の奥底の部分が、ユミナを助ける方法を。
殺すな
蔑ずまれ、信じられず、踏み躙られる。スラム街の路地裏に蹲っていたままだった自分の心。
お前が悪い、ずっとそう嘲られてきた自分。
それを――
『盗んだ方が悪いに決まってるでしょ!』
あなたは悪くないのだと言ってくれた人を、救いを与えてくれた大切な人を
ユミナを、殺すな
その心の奥底の思いがブレードを止めた。止めてしまった。
(アルファが居てくれればな…)
アルファが居ればユミナを殺さずに無力化することも出来ただろう。例え無理矢理強化服を動かしユミナを殺したとしてもアキラはそれを恨まなかった。
だが、今ここにアルファは居ない。ユミナを助けるにはこうするしかなかった。
アルファへの甘えを脱却したつもりですぐにこれか、とアキラは自嘲する。
(アルファ…ごめん…)
自分に力を与えてくれた存在、どこにでもいるスラムの子供だった自分をここまで引き上げてくれた謎の美女。
多過ぎる借りを全く返せなかった事を悔いながらアキラの意識が闇に呑まれて消えていく。
ユミナを殺さなかったことを心のどこかで安堵しながらアキラはその短い生涯を終えた。
「ユミナ!大丈夫か!ユミナ!」
カツヤの部隊がアキラとユミナが戦っていた部屋に突入する。
総合支援システムはユミナのダメージを通知しながらも生存も同時に示している。間に合った。そのことに安堵しつつカツヤがユミナに声を掛ける。
「ユミナ!無事か!あいつは何処に――!?」
「………」
カツヤの目に床に横たわるアキラの死体が映る。ユミナはアキラを抱きかかえるような体勢で呆然と座り込んでいた。
「…………あ………カツヤ………」
自分に焦点の定まらない目を向けるユミナに若干怯みつつカツヤが問いかける。
「ユミナ、勝ったんだな?」
「……?」
勝った?何に?
目線を下に落とす。アキラがいた。喉からは血が溢れ胸には大穴が開いている。目に光が無くピクリとも動かない。
アキラが死んでいた。
どうして?
「………」
ユミナは自分の手に握っているアキラから貰ったブレードを見る。血がべっとりと付着していた。
自分の血ではない、誰の血だろう。
アキラの血だ。
それを認識した瞬間ユミナの停止していた思考がゆっくりと動き出す。過負荷による反動で思考力が低下し極度の混乱状態にあった脳が現状を理解する。
「ええ」
現状を正しく認識したユミナがゆっくりとそれを言語化した。
「アキラは、私が、殺したわ」
ユミナは震える手で回復薬を取り出し服用する。アキラとの殺し合いでボロボロになった身体が修復され総合支援システムのユミナのバイタルサインが正常に戻っていく。そのことに安堵しながらカツヤが声を掛ける。
「終わったんだ。帰ろう、ユミナ」
「……うん」
ブレードを納めるとユミナがゆっくりと立ち上がる。そしてアキラの亡骸を背負うと出口に向けて歩き始めた。
「…ユミナ、俺が――」
「ううん、私が運ぶわ」
回復薬を服用したとはいえ死闘を越えたユミナの心身は限界だった。だが悲鳴を上げ気絶したいと思う身体と頭を無理矢理動かす。
「アキラは、友達だったから」
「…分かった」
ユミナの言葉にカツヤが答える。カツヤが感じていたアキラへの敵意も嫌悪も今は消え失せていた。
(………)
動かなくなったアキラを見るカツヤの心にチクリ、と棘の様なものが刺さる。偽物がいる可能性、無実、冤罪、濡れ衣、そういった言葉が脳裏をよぎった。
「―――っ」
頭を振り頭に浮かぶ言葉を振り払う。シェリルを助ける為、仕方がなかった。カツヤは自分にそう言い聞かせ自分は何かを間違えたのではないかという考えをかき消した。
(お…?まさか…!)
廃ビルから出てくるカツヤ達をティオルの鋭敏な感覚が捉える。ユミナが背負っているアキラの死体もティオルは確認した。
(アキラだ…!死んでやがる!やった!やったぞ!作戦成功だ!)
ティオルが狂喜する。都市の戦力も大分削った。シェリルを手に入れるための障害であるアキラも死んだ。自身もヤツバヤシのおかげで強力な力を手に入れた。全てが上手くいった。そんな歓喜がティオルの全身を駈け廻り周囲への警戒が疎かになる。そして自身の失態に気付いた時には手遅れだった。
アキラの死亡を通達された廃ビルを囲むハンター達が周辺モンスターの掃討を開始していた。建国主義者のボスは倒した、だが万一にも残党が周辺に潜んでいるなら取り逃すわけには行かない。そしてティオルの姿に気付く。
「テメエ!アルフォト団だな!」
ハンター達が即座にティオルを銃撃する。浮かれていたティオルは隙だらけだったが大量の銃弾を浴びつつも即座に反撃する。そして幾人かのハンターを倒したがそれまでだった。もう対アキラ用に弾を温存する必要はない、あっという間に強力な弾丸がティオルの身体を引き裂き細切れの肉片に変えていく。
「あ…が…」
喰らうためのモンスターの死体も無い、意識を転送する端末も無い。この肉体の死がティオルという存在の死だ。
「シェ…リ…」
死の直前にティオルは想い人の名前を呟きその生涯を終えた。
(死んだか)
その光景を遥か遠くから見ていたツバキが無感情に思う。
(そして彼も…)
アキラの死も確認する。そしてほんの僅かにその顔を歪ませた。
(彼女との接続が切れている間に交渉したかったが…仕方がない)
当初の目的だった管理区画の拡大は達成した、それでよしとするべきだろう。
(この状況は予想外だったがな、この男との取引はどうなるか…)
ツバキは対面に座るヤナギサワを見る。
「ん?どうかした?」
「いえ、何も。続けましょう」
ツバキの都市の中で交渉が再開される。現地協力者候補が死亡したことは残念だがここは奴らの試行の妨害になった事を喜ぶべきか、とツバキは思いつつ自らが引き起こしていた通信妨害を解除した。
指揮車の中でカツヤがアキラの撃破をミズハに報告していた。ミズハから賞賛の声がカツヤに向けて飛んでくる。
「アキラを倒した!?やったのねカツヤ!こちらの被害も大きかったけどそれを遥かに上回る大戦果よ!カツヤ、あなたは間違いなくクガマヤマ都市最強のハンターよ!本当に素晴らしいわ!あなたは最高よ!」
「………」
狂喜するミズハの賞賛をカツヤは黙って聞く。何故かその声が酷く耳障りだった。
「ああ、止めを刺したのはユミナだったの。模擬戦の時も驚いたけど私は彼女の実力を見誤っていたようね、これならチームの一員として十分だわ。カツヤ、これからも――」
「…すみませんミズハさん、そういう話は帰還してからにして欲しいんです。ウダジマさんに代わってもらっても構いませんか?」
戦闘ログを見ながら喋り続けるミズハをカツヤが遮る。
「あ、ごめんなさい。少しはしゃぎ過ぎてたわ。今繋ぐから」
通信が秘匿回線に切り替わる。
「ウダジマだ。状況は把握している。やってくれたようだなカツヤ。感謝する。素晴らしい功績だ」
「…ありがとうございますウダジマさん。それで、シェリルの件は――」
だからそういう話は後にしてくれ、とカツヤの声に苛立ちが混ざりそのまま用件を切り出す。
一介のハンターが都市幹部相手を相手にするには非礼な態度ではあったがウダジマは気にせず答える。
「ああ、私も全力を尽くす。難しい案件ではあるが君の功績があれば助けられるはずだ。後日そちらに使いの者を送り詳細を報告させる。これから私は事後処理で手が離せなくなるのでね。それとアキラの遺体だがこちらに引き渡してくれ、色々と調査がある。回収部隊をすぐそちらに向かわせよう」
「分かりました。シェリルの事はお願いします」
「ああ、任された。しばらくはゆっくり休むといい。では失礼する」
それで通信は切れた。ウダジマの言葉に安堵したカツヤが大きく息を吐き出す。
カツヤの端末に通信が入る。周辺モンスターの掃討を完了。アルフォト団の残党とみられる人物も死亡したという知らせだ。長距離通信の復旧も同時に告げられる。
「分かった、状況終了。各自周辺を警戒しつつ撤収作業に移ってくれ。負傷者の救助を忘れるなよ」
仲間に指示しつつカツヤはもう一度大きく息を吐き出した。
(これで全部終わりか…。後は…)
やれる事は全てやった、後は祈る事しかできない。シェリルの無事を祈りつつカツヤも撤収作業に加わった。
「………」
ウダジマが派遣した回収部隊の車両がアキラの遺体を載せて撤収していく。ユミナはそれが見えなくなるまで見送った。
廃ビル周辺に設営した簡易拠点にカツヤ達が帰還した後もユミナはずっとアキラの側にいた。心配したアイリが付き添っていたが声を掛けてもユミナからは何の反応も無い。到着した回収部隊が引き渡しを求めるとユミナはただ無言で遺体を引き渡した。
「アイリ、ユミナは――」
「…カツヤ、今は一人にしてあげた方が良い」
様子を見に来たカツヤがユミナに声を掛けようとした所をアイリが止める。
アキラは、友達だったから。
その言葉がアイリにはとても重く聞こえた。
ユミナがチームに復帰してからお互いに色々な話をした。アイリは遠征の話、ユミナはクズスハラ奥部やイイダ商業区での事だ。アキラとはあまり接点の無いアイリだったがユミナの口から語られるアキラは悪い人間には思えなかった。友人だとユミナが気軽に言うほどに。
アイリも人を殺したことはある。だが友人を、例えばユミナと自分が殺し合うことになったら?
想像したくも無い。だがユミナはそれをせざるを得なかったのだ。
「ユミナの気持の整理が着くまで待ってあげて。…そう簡単に割り切れるとは思えない」
「…そうだな、分かった」
アイリの言葉にカツヤも大人しく引き下がる。ユミナがアキラと殺し合う事になったのはあの時ユミナの懇願を拒否し一人で交渉に行かせた自分の判断の結果だ。下手な事を言ってこれ以上大切な幼馴染を傷つけたくない、と自分の望みを優先した後ろめたさから目をそらしつつカツヤは思った。
「…正直、後悔してる。あの時無理にでも止めるべきだったかもしれない、ユミナも、カツヤも」
「アイリ…?」
いつも控えめなアイリにしては珍しいな。と、カツヤは思う。
「カツヤ、後でユミナの戦闘ログを見てあげて。大勢仲間が殺されたけど…私はアキラの事を憎めない」
「あ、ああ、分かった。…ん?」
アイリの真摯な瞳に若干気圧されつつカツヤが答える。
その時、カツヤの視界の片隅に居たユミナが突然ふらつくとゆっくりと倒れ伏した。
「ユミナ!」
慌ててカツヤとアイリが駆け寄る。
「大丈夫、気を失ってるだけ。緊張の糸が切れたんだと思う」
「無理させちゃったからな…ゆっくり休ませないと。アイリ、そっちを持ってくれ」
心身共に限界を迎え気を失ったユミナを二人が運ぶ。撤収作業も既に終わろうとしていた。
「ふう…」
防壁内の一室でウダジマが大きく息を吐く、事態が自分の利になる形で終息したことによる安堵の溜息だ。
「残念だったなイナベ、せっかくの新しい手駒は死んだぞ?カツヤの手柄になってな」
上機嫌でウダジマは独り語る。アキラは死んだ、建国主義者のボスであるという事になったまま。それでも遺体を精査しカツヤ達のデータと照らし合わせればティオルと一緒にいたアキラは偽物だったということは分かっていたかもしれない。だからこそ偽物のアキラが居たかもしれないという情報をカツヤから得たウダジマは即刻アキラの遺体を確保した。万一の可能性も潰すために。
(そして万一が当たったわけだ)
偽アキラは所詮ティオルが造った似ているだけの偽物だ。カツヤ達から受け取った戦闘ログを回収したアキラの遺体と比較するとすぐにティオルと共に居たアキラは偽物だということが分かった。
(詰みだな、イナベ。建国主義者のボスと協力していた疑惑…覆せる可能性は無いぞ?)
これで長かった派閥争いも終わりだ、とウダジマは笑みを深くする。そこで残った懸念を思い出す。
「シェリル…か」
目を細め今までの事を思い出す。カツヤは随分シェリルに執着していたようだ、助ければ非常に感謝されるだろう。だが――
「そこまでする価値は無いな」
少しばかり考えると即座に切り捨てる。経緯はどうあれイナベの策略に与していたことは間違いない。
総合捜査局の人間を動かし始末しようとしたがそれもアキラに潰された。自身の策に傷を付けた人間を見逃すという選択をする理由がウダジマには無かった。
(シェリルファミリー…エゾントファミリーにハーリアス、目障りな連中を潰した途端台頭してきた連中だ。邪魔になる前に潰しておくべきだろうな)
イナベに止めを刺そうとしたところに危うく刺し返されるところだった。
それを考えればいま確実に仕留めておくべきだろう。ウダジマはそう判断した。
(カツヤへの約束も所詮口約束だ。なによりカツヤが私になにかできるわけでもない)
カツヤなどウダジマにとっては数ある手駒の一つに過ぎない、それ以上思考に時間を費やす価値はないと判断すると後始末の具体策を思案し始めた。
「……今…なんて……」
「アキラが死んだ。そう報告が来た」
シェリルの拠点でシェリルとイナベが秘匿回線を使い通信していた。
「第一奥部の戦況が思わしくなかったのでな、アキラの知人だというエレナとサラというハンターにアキラの回収を依頼したが…間に合わなかったようだ」
足元が崩れていくような感覚を覚えながらシェリルがイナベの話を聞く。嘘だ、そんなはずはない。そう思いながら。
「アキラはアルフォト団のボスと行動を共にしていたらしい、そしてドランカムの部隊と交戦し死亡したとの事だ。証拠のデータもある」
「ありえません!アキラが建国主義者!?そんな筈が…!」
「分かっている。おそらくそのアキラは偽物だろう、アルフォト団の策略かウダジマのでっち上げかは分からんがな。偽アキラを用意し建国主義者と行動を共にさせ証拠を捏造する、そして本物のアキラに濡れ衣を着せ始末する。そんなところだろう」
「冤罪でアキラは殺されたっていうんですか!?偽アキラ!?そんな雑な方法で…!」
「あの時第一奥部では大規模な通信障害が発生していた。それを分かっていた上での策なら冤罪を晴らすのは難しいだろう。アキラの遺体も既にウダジマに確保されてしまった。証拠になるものは既にウダジマが握り潰している可能性が高い」
イナベの推測は正しかった。偽アキラが建国主義者の拠点にいた時本物のアキラは巨人と戦闘中だった。帰還した防衛隊の隊長やアキラと共闘したネリアのデータがその証拠だ。
だがウダジマがアキラの冤罪を晴らす可能性があるデータを精査し全て握り潰していた。
「本当に…本当にアキラは死んだんですか…?何かの、間違いじゃ…」
アキラはハンターだ、そしてハンターはいつでも死と隣り合わせの危険な仕事だ。アキラだって今まで何度も死にかけている。いつかはアキラも死ぬ。それは当然シェリルも頭の片隅で分かっている。だが信じたくなかった。いつもアキラは自分を救ってくれた。何度死にかけても最後は生還して顔を見せてくれた。アキラは強い、凄まじく強い。ドランカムの部隊に殺された?アキラを殺せるような人間などどこにいるというのだ。アキラが、自分の愛する人が死ぬわけがない。シェリルは頑なにそう信じた。だが――
「…エレナとサラがドランカムから直接説明を受けたそうだ。アキラを建国主義者のボスとして討伐したのはカツヤの部隊、直接殺したのはユミナというハンターらしい。残念だが…誤報の可能性は万に一つも無いだろう」
「え――」
予想外の名前にシェリルの思考が止まる。
「アキラは建国主義者として死んだ、冤罪を晴らすのも難しい。…アキラと接点があった私もウダジマに追及されるだろう、建国主義者と繋がりがあったとな。シェリル、君には何の非も無い、こんな事になってしまったのは全て私の無能さが招いたことだ」
イナベの言葉をシェリルはほとんど聞いていなかった。
カツヤ?ユミナ?あいつらがアキラを殺した?
それだけがシェリルの思考を占めていた。部屋の外がやけに騒がしい事にも気付いていなかった。
「ボス!大変だ!また都市の連中が――ぐあっ!!」
ノックもせずに部屋に飛び込んできたエリオをウダジマに派遣された総合捜査局の職員が殴り倒す。
職員達は前回の失敗の反省からか十分な武装をしていた。シェリルが以前殺されかけた事もありエリオ達も武装して抵抗したが相手になるはずもなくあっけなく制圧された。
「シェリルだな?総合捜査局の者だ、一緒に来てもらおう」
「すまないシェリル。私はもう君を助けることは出来ない」
職員の言葉もイナベの謝罪も、今のシェリルには全く聞こえていなかった。
「あ、ああ…あ…ア、キラ…そんな、嘘、嘘よ…目を開けて…う、あああああ…」
今回の騒動で死亡した者達の遺体安置所の一角にある部屋、そこに収容されたアキラの遺体とシェリルは対面していた。建前としては身元確認のためだ、アキラには家族がいないため親しい人物としてシェリルが選ばれていた。無論シェリルが望んだ事でもあったが。
アキラの遺体に縋りつき泣き喚くシェリルをこの場に連行してきた総合捜査局の職員が冷ややかに見つめている。
(ふん、成り上がりのスラムのガキが)
シェリルを連行しているモーブという男は以前アキラに殺されたスワングの部下だ。取るに足らない筈のスラムのガキ、それを建国主義者に仕立て上げるだけの簡単な仕事だったはずが親しかった上司は死体になって帰ってきた。それをモーブは恨みに思っていた。
(アキラはくたばった。こいつにも借りは返さねえとな、スワングさんの仇だ)
スワングがシェリルに尋問を行ったのは元々ウダジマの依頼だ、それが失敗に終わり死人も出たため総合捜査局とウダジマの関係には若干蟠りが出来ていた。ウダジマがモーブにシェリルの連行を頼んだのはスワングの仇を討たせ溜飲を下げさせるためだ。泣き喚くシェリルの姿をモーブは内心で嘲笑う。シェリルはいわば機嫌を直させる為の飴玉でありそして実際にその効果はあった。
「おい、身元の確認は済んだな?行くぞ!」
「……っ」
シェリルの怒りを込めた視線をモーブは全く意に介さない。
「態度には気を付けろ。お前には建国主義者に協力していた嫌疑がかかっている、丁重に扱ってくれると思うなよ?」
「…分かりました」
アキラの遺体の側からゆっくりとシェリルが離れる。そして大人しくモーブに付いていき一般車両に偽装した護送車に乗り込んだ。
(次はドランカムの拠点に連れて行くんだったか。ウダジマもなんでこいつの取り調べにここまで手間暇かけるんだか…)
モーブは心の中でぼやきながら車を発進させる。
(アキラ…)
想い人の死をはっきりと認識したシェリルはただ静かに泣いていた。
カツヤは撤収作業を終えドランカム本部に帰還していた。倒れたユミナを心配し側に付いていたがミズハから呼び出しが入る。ユミナをアイリに任せカツヤはミズハの元へ向かった。
「シェリルがここに来るんですか?」
「ええ、ウダジマさんから連絡があってね、シェリルさんを形だけでも取り調べなければならないそうなの。これから事実上の軟禁状態に置かれて不安に思うだろうしウダジマさんとの取引の事をシェリルさんは知らないからカツヤから説明して欲しいそうよ。友人であるカツヤの口から聞いた方がシェリルさんも安心できるだろうって」
「分かりました。シェリルとちゃんと話してみます。…これからの事も」
シェリルに会える。その事を内心で喜びつつカツヤはミズハに答える。
アキラは建国主義者だった、少なくとも無関係であるという証拠はない。ユミナは最後まで説得しようとしていたが最後にはこちら側に立ってくれた。あの優しいシェリルが建国主義者に関りがあるはずはない、きっとイナベかアキラに無理矢理協力させられていたのだろう。それでもシェリルはアキラの死を悲しむかもしれない、殺した自分達を責めるかもしれない。だがそれも全て仕方なかった事なのだ。しっかり説明すればシェリルもきっと分かってくれる。そしてシェリルの心の傷が癒えたら自分がシェリルを守る。
カツヤはそう心の中で誓った。
そうしているうちにシェリルを乗せた車両が本部の入り口に到着する。
「噂をすれば来たようね。カツヤ、私は事後処理で忙しいから席を外すわ。後の事はお願いね」
「はい」
少し話をして励ますだけだ。自分が同席する必要も無いだろうとミズハが部屋から退出する。
(ドランカムは既に事務派閥が掌握したようなもの…後はカツヤが必要以上にシェリルにのめり込んだりしなければいいのだけど…)
シェリルに対するカツヤの態度をミズハは思い出し僅かに心配する。まあカツヤが女に甘いのはいつもの事か、と苦笑しミズハは仕事に戻った。
「ドランカムの本部…?どうしてここに…」
護送車で連れてこられたシェリルが困惑の声を漏らす。
「さあな、お前と話したい奴が居るそうだ」
降りろ、とモーブが言い車両から降りたシェリルを事前に伝えられていた部屋へ連れて行く。
(こいつにはそう伝えておけとウダジマが言っていたが…)
何のためにこんな事をするんだか、とモーブは心の中でぼやいた。
(話したい奴…誰よ?まあいいわ、アキラに何があったのか聞き出さなきゃ…!)
今のシェリルは冷静だった、少なくとも表面上は。もっともそれはアキラの死から思考をそらすための逃げであり、これからの自分の運命を悟った上での諦観のためでもあったが。
『アキラを建国主義者のボスとして討伐したのはカツヤの部隊、直接殺したのはユミナというハンターらしい』
「………」
イナベの言葉を思い出しギリ、と歯を食いしばる。
落ち着け、冷静になれ、アキラに何があったのかどれだけ辛くても自分は知らなくては。
必死に自分に言い聞かせ心を静める。令嬢の皮を被り爆発しそうな感情を表に出さないよう努めた。
「ここだ、入れ」
モーブがシェリルに入室を促す。ドアを開け中に入ると嬉しそうな声が聞こえた。
「シェリル!」
「カツヤさん…」
こいつが、とざわつく心をシェリルは必死で抑えつける。
「ああ、まずは話があるんだ座ってくれシェリル。それで、ええと…」
カツヤがモーブに視線を向ける。
「総合捜査局の者だ、ウダジマから話は聞いている。今は彼女の護送中でね、悪いが席は外せない」
「…分かりました」
カツヤとシェリルが向かい合うように座りモーブがその後ろに立つ。そしてカツヤが話を切り出した。
「それで話っていうのはあいつの…アキラの事なんだ」
カツヤの言葉に表面上は冷静を装いつつシェリルが答える。
「…ここに来る前にアキラに会ってきました。…話は聞いています。アキラがカツヤさん達の部隊と戦う事になって、直接、殺したのは、ユミナ、さんだと」
声を震わせつつシェリルがまっすぐにカツヤを見据える。
「教えて下さい。なにがあったのか」
「ああ、分かった。まずは――」
カツヤは第一奥部での戦いをシェリルに話した。
アルフォト団の拠点でアキラとティオルと戦った事。ティオルを撃破したがアキラには逃げられた事。
逃げたアキラを廃ビルに追いつめたが仲間が何人も殺された事。ユミナが説得に向かったが投降に応じず最後にはユミナに殺された事を。
(偽アキラ…恐らくウダジマじゃなくてティオルが用意したんだわ。それを本物のアキラの所まで誘導して偽物を追ってきたドランカムの部隊と潰し合わせたのね…)
アキラには建国主義者の疑惑が掛かっていたがシェリルはそれを全く信じていない。ウダジマがティオルと接触していたとも思えない。ならば残る可能性はこれだけだ、とシェリルは考えた。
(こいつらはティオルの策にまんまと引っかかってアキラと潰し合った。その結果アキラは建国主義者として殺されてそれをウダジマが利用したんだわ)
だがそれを言っても目の前のこいつは信じないだろう、とシェリルは思う。
カツヤがアキラを嫌っている事はシェリルも知っていた。自分達が間抜けだったなどと言われてもそれを受け入れないだろう。第一物的証拠はもう無いのだ。
「仕方なかったんだシェリル。あいつを生かして捕らえるような余裕は――」
「カツヤさん」
カツヤの言葉を遮りシェリルが情報を引き出す為に問いかける。
「本当に、仕方なかったんですか。アキラの事を、殺すしかなかったんですか」
「…殺すしかなかった。シェリル、君を救うために」
「………は?」
予想外の返答に呆然とするシェリルにカツヤが話しだす。
「あいつは建国主義者だった、少なくとも無関係だと言える証拠はない」
こいつは今何て言った?私を救う?
「シェリルも知ってると思うけどあいつは都市の調査員も殺してる」
そうよ、アキラは私を助けるために
「シェリルが無関係なのは分かってる。遺物販売店だってアキラかイナベに無理矢理協力させられてたんだろ?」
こいつはさっきから何を言っているの?
「でも状況からしてシェリルをあいつらに巻き込まれただけの被害者として扱うのは無理があったんだ」
被害者?誰が?何の?
「そんな状況からシェリルを救うには功績が必要だったんだ。ティオル、アキラ、これだけの騒ぎを起こした建国主義者のボスを二人も倒したハンターからの要請なら幹部会を動かせるかもしれない、そうウダジマさんに言われたんだ」
ああ、そうか
「だから最後の局面で突入を決めた。…危険な賭けだったしユミナに酷い事をさせたのは後悔してるけど…結果的には最小限の犠牲で済んでよかったよ」
こいつは、何もかも自分に都合が良いように考えてるだけだ
「だから、シェリル。取り調べが始まっても不安に思わないでくれ、ウダジマさんも全力を尽くすって言ってくれてる。きっと大丈夫なはずだ」
ティオルの策にまんまと嵌って、ウダジマにはいいように使われて、こんな、こんな奴にアキラは
「徒党の方も安心してくれ。ドランカムが後ろ盾になれるしウダジマさんにも色々頼んでみるよ。前に遺物収集で一緒に組んだ連中もいるからすぐに馴染めると思う」
黙れ
「シェリル、これからは俺が君を守――」
「触るなっ!」
シェリルの手を握ろうとしたカツヤの手をシェリルは拒絶と共にはたきおとす。
「え…」
一瞬何が起きたか解らず呆然とカツヤはシェリルを見る。
シェリルの目にあるのは明確な拒絶、憎悪と憤怒だ。
「よくも…!よくもアキラを…!お前が…!お前なんかが…!」
「シェ、シェリル…?」
事態を把握できずに戸惑うカツヤにシェリルが抑えきれなくなった怒りをぶつける。
「救う?守る?私を救ってくれたのは!守ってくれたのは!いつもアキラだった!そのアキラを殺しておいて自分が代わりになる?よくもそんなふざけた事を!」
「お、落ち着いて――」
「あんたはずっと踊らされていただけよ!ティオルが用意した偽アキラに釣られて、本物のアキラと潰し合う羽目になって、そのせいでアキラは濡れ衣を着せられて殺された!アキラが建国主義者?そんなわけがない!アキラがそんな人じゃない事は私が一番よく分かってる!あんたが!あんたなんかが!アキラの!何を知ってるっていうの!?ただ思い込みと決めつけで何もかも自分に都合よく考えていただけじゃないの!」
「に、偽アキラって…それは可能性があるってだけで、本人がそう言ってただけだ!それにあいつが都市の調査員を殺したのは本当なんだろう!?潔白だって言うならなんでそんなことをする必要があるんだ!」
「通信障害があったからって証拠が何一つ無いなんてことは無いはずよ。どうせウダジマが握りつぶしているんでしょうけどね!アキラが建国主義者だった方が都合がいいもの。私の所に来た都市の調査員もウダジマが裏にいたんだわ。アキラを建国主義者に仕立てる口実を欲しがっていたもの。都合のいい証言を強要されて私は殺されかけたけどギリギリでアキラが間に合った。アキラが調査員を殺したのは私を助けるためよ!」
必死に反論するカツヤをシェリルは一蹴する。
「そ、そんな…ウダジマさんは――」
シェリルが嘘を言っているとは思えない。確かにイナベと対立しているなら関係者であるシェリルを潰そうとしてもおかしくないはずだ。
カツヤが建国主義者討伐の依頼に来た時のウダジマとのやり取りを思い出す。嘘は言っていない、シェリルの証言と矛盾は無い。都合の悪い事を言っていないだけだとすれば辻褄は合う。
「シェ、シェリルは無関係なんだろ…?イナベの裏工作に無理矢理協力させられてるだけで…」
カツヤの言葉にシェリルは侮蔑と嘲笑を込めた表情を向ける。
「無関係?そんなわけないでしょ?あの遺物販売店はもともとアキラの為に始めたんだもの。イナベさんの事も何もかも承知の上で協力したのよ。アキラの為に、もっと徒党を大きくするためにね」
「あいつの…為…?シェリルは…あいつの…何だっていうんだ…?」
「恋人よ。私はアキラを愛してたわ」
シェリルの言葉にカツヤが受けた衝撃は現実を正しく認識できなくするほどだった。
カツヤが硬直し声も出せなくなる。それを見てまたシェリルが嘲笑う。
「本当に何も知らない。何もかも自分に都合よく考えているだけなのね。アキラの代わりなんて私はいらない。救いも、助けも、必要ないわ」
カツヤを完全に切り捨てるとシェリルが立ち上がる。そしてありったけの憎悪を込めて呪詛の言葉をぶつけた。
「お前なんかに縋って生きるぐらいなら死んだ方が遥かにマシよ。アキラに殺されていれば良かったのに」
シェリルはカツヤを無視してモーブに目配せする。
「話は終わりだな?行くぞ」
モーブがシェリルを連れ立ち去っていく。
部屋に残されたカツヤは呆然としながらずっと立ち尽くしていた。
(シェリルをカツヤと引き合わせたのは仲違いさせるためだろうな…)
護送車の中でモーブは先ほどのやり取りを思い出す。
(ウダジマはああなる事を知っていたんだろう。シェリルを始末すればカツヤから猛反発が来る。だからああしてシェリルにカツヤを拒絶させてシェリルを始末してもヘイトを自分に向きにくくしたって所か。カツヤも強いとはいえ所詮一介のハンター、都市幹部に何かできるとも思えんが…まあこいつを始末する前に使い潰しておきたいだけか)
モーブはちらりと監視カメラでシェリルの様子を伺う。
シェリルは顔を下に向け項垂れている。だがその目には激しい怒りがあった。
(許さない)
カツヤ、あの思い上がった馬鹿な男のせいでアキラが死んだ。
ユミナ、あの女がアキラを殺した。自分が嫉妬を覚えるほどアキラと仲が良かったはずだ。自分の護衛をしている最中の雑談で聞き出した話ではアキラに随分と助けられていたはずだったのに。最近はアキラと長い間行動を共にしていたはずだ。人となりを知る期間は十分にあったはずなのにアキラを建国主義者だなどと思ったのか。アキラに受けた借りも、恩も、最悪な形で返したのかあの女は。先日第一奥部で助けられたのももう忘れたのか。説得しようとした?投降を呼びかけた?それでも最後にはアキラを殺したのだ。あの恥知らずの恩知らずが!
(このままじゃ終われない…!)
あいつらがこのままのうのうと生きる事が我慢ならない。残された全てを使って出来る事をやる。そうシェリルは固く誓うと顔を上げる。
「…モーブさん。お願いがあります」
「あ?」
話しかけられると思っていなかったモーブが怪訝な声をあげる。
「徒党の皆に私がいなくなった後の事を言い残しておかなければなりません。私が面会を希望しているとヴィオラという女に連絡を入れて欲しいんです」
「ふん、良いだろう。最後の頼みぐらい聞いてやる」
「最後、ですか。もう隠そうともしないんですね」
「お前は建国主義者のボスだったアキラの協力者だ。生かしてやる理由がどこにある?」
小馬鹿にするように答えるモーブの言葉にシェリルは諦観が混じった覚悟を決める。
自分は死ぬ、だが――
(ただでは死なないわ…カツヤ、ユミナ。あいつらの命まで届かなくても…せめて傷の一つでも付けてやる!)
数日後――
カツヤが自室で項垂れていた。シェリルと別れた後の記憶が無くここ数日の記憶もほとんどない。心配したミズハが元気づけようとしたがカツヤはそれを全く聞いていなかった。
カツヤは今まではっきりとした憎悪を向けられた時が無かった。色々とトラブルを巻き起こした関係で嫌悪されるときはあった。仲が悪い者も大勢いる。だが正面から、想っている相手からはっきりと憎悪と拒絶の意志をぶつけられたのは初めてだった。それ故にシェリルからの憎悪はカツヤの心に深く突き刺さりその心を抉っていた。ともすれば心が壊れそうなほどに。
「シェリル…」
カツヤがぼそりと救おうとした相手の名を呟く。壊れそうな心を支えているのは僅かな希望だ。シェリルは助かる。きっと助かるはずだ。また話ができれば、分かり合う機会はきっとある。生きてさえいればなんとかなる。その希望に縋りながらカツヤはウダジマからの連絡をじっと待っていた。
「カツヤ、聞こえる?ウダジマさんからの使いの人が来たわ。辛いのは分かるけど出てきて話を聞いてちょうだい」
「!…分かりました。すぐ向かいます!」
ミズハからの通信にカツヤは弾かれたように立ち上がり身支度を整えると逸る心を抑え自室を出る。きっと大丈夫なはずだ。そう信じながら。
「ふう…」
通信を終えたミズハはカツヤの事を慮る。シェリルとの対話の内容をカツヤは話さなかったがカツヤの様子を見れば良好に終わったとは思えなかった。
(それにしてもあいつが来るなんてね…。ユミナにも話があると言っていたけど何を話す気なんだか、これで二人とも立ち直ってくれればいいのだけど…)
少なくとも今のずっと項垂れたままの状況からは脱出できるだろう。これより悪くはなるまい、そうミズハは期待して何事も無く終わるよう祈った。
「結論から言うわね。シェリルは死んだわ」
「――は?」
応接室でカツヤを待っていたウダジマからの使いはヴィオラだった。互いに軽く挨拶を交わすとカツヤが話を急かす。だがヴィオラから帰ってきた答えはカツヤの望んでいたものではなかった。
シェリルが死んだ?
嘘だ、ウダジマさんは十分助けられる可能性はあると言っていた。騙された?そんな馬鹿な、シェリルを助けられなかったのなら自分は何のために――
「イナベの裏金作りへの関与、建国主義者だったアキラへの積極的な協力。これらを全て認めて処刑されたわ。建国主義者の協力者としてね」
「ふざけるな!」
カツヤがヴィオラの言葉を遮り胸倉を掴んで怒鳴りつける。
「離してくれない?落ち着いて欲しいのだけれど」
「どういう事だ!シェリルが死んだ!?助けられる可能性は十分あると聞いてたんだぞ!あいつは、ウダジマは俺を騙してたっていうのか!?答えろ!」
激昂するカツヤにヴィオラが困ったように笑いながら答える。
「だから落ち着いてちょうだい。シェリルの事情について最初から話すから、質問はそれからにしてくれる?」
「っ……」
シェリルの事情、その単語に反応してカツヤが動きを止める。そしてヴィオラを離すと目線で話を促した。
「そうね、まずは――」
ヴィオラはシェリルファミリーの始まりから話していく、シェリルはどこかのご令嬢などではなくスラムの孤児であり元の徒党が壊滅したシェリルがアキラに助けを求めそれをアキラが受け入れた事、シェリルをボス、アキラを後ろ盾としてスラムの子供達が集まり今の徒党の原型になった事。他の徒党やハンターに目を付けられシェリルが殺されそうになった事もあったがその度にアキラが助けてきた事、シェリルがアキラへの借りを返すために徒党を拡大し遺物販売店を始めたのもその一環であること。シェリルとアキラが恋人同士であることは徒党の全員が知っている事であり少なくともシェリルがアキラを愛していたのは本当だという事。それら全てをシェリル本人から聞いたことであり間違いない事だと念押ししたうえでカツヤに話した。
「シェリルが…スラム出身で…ずっとあいつに救われてきた…?アキラと恋人同士で…アキラの為に…あの徒党も…?遺物販売店も…?嘘だ…嘘に決まって…」
言われた言葉を受け止めきれずに必死で否定しようとするカツヤに呆れたような目を向けつつヴィオラが答える。
「事実だと言ったでしょう?処刑される前に面会してシェリル本人から直接聞いた事だもの。嘘を言う理由なんて何一つないわ。あなたはシェリルの事を何も知らなかったの?」
『本当に何も知らない。なにもかも自分に都合よく考えているだけなのね』
シェリルに言われた言葉がカツヤの脳裏をよぎる。
「なら…俺の…した、事は」
「愛する人に建国主義者の濡れ衣を着せて殺した人物、そんな奴に守られながら生きたいなんて思わないでしょうね。恐らくアキラが死んだ時点でシェリルもそれ以上生きる気が無かったのよ。助かる気が無い人間を助ける手段なんてあるわけないでしょう?」
「濡れ衣って…アキラは…あいつは…建国主義者だったんじゃ…」
「私はアキラとあまり付き合いがあったわけじゃないけどそれは違うと思うわ。出所不明な遺物を持ち込んでは居たけど…それじゃ根拠が薄すぎるもの。アキラの遺体はウダジマが回収したんでしょう?ウダジマなら何か知っているんじゃない?」
直接話してみる?とヴィオラはカツヤに秘匿回線に繋いだ情報端末を差し出す。カツヤはそれを震える手で操作しウダジマに繋いだ。
「私だ。カツヤ、今私が非常に忙しい事は知っているはずだな?それほど大事な要件か?シェリルの事はそこにいるヴィオラに聞いただろう?」
不機嫌なウダジマの声にカツヤは内心の疑念を吐露する。
「…大事な要件です。ウダジマさんは…アキラの遺体を調査すると言って回収していきました。アキラの偽物が居た可能性があったはずです。俺達が戦った…ティオルと一緒にいたアキラは…本物だったんですか…?」
カツヤの問いに僅かに間が開き静かにウダジマが答える。
「…君達が建国主義者の拠点で戦ったアキラは偽物だ。アキラの遺体と戦闘ログを照合した結果だ、間違いないだろう。恐らくアルフォト団がアキラと君達を潰し合わせる為に造ったのだろうな」
「………!」
『あんたはずっと踊らされていただけよ!ティオルが用意した偽アキラに釣られて、本物のアキラと潰し合う羽目になって、そのせいでアキラは…濡れ衣を着せられて殺された!』
シェリルの言葉がまたカツヤの脳裏をよぎった。
「なんで…それを…教えてくれなかったんですか…?」
「それを今さら知ってどうする。自分で殺した人間を弁護する気か?自分は敵の策略にまんまと引っ掛かり無関係なハンターを建国主義者のボス扱いして殺したあげくそのせいで仲間を何人も死なせる事になった間抜けですとでも?知らせなかったのは君の成果に傷を付けないためだ」
沈黙するカツヤにウダジマが言葉を続ける。
「アキラは建国主義者でシェリルもその協力者だった。それが君にとっても私にとっても最も都合がいいはずだ。真実がどうであれね。君はシェリルに執着していたようだが本人に生きる気が無いのでは救いようもないだろう?仮に生き延びたところで君に向けられる感情は憎悪と拒絶だけだろうがな」
ウダジマの一言一言に心を削られるような錯覚を覚えつつカツヤが残った疑問を問う
「…ウダジマさんがアキラに50億の賞金を裏から掛けてたっていうのは本当なんですか…?シェリルの所に調査員を送り込んだのも…裏にいたのは…」
カツヤの言葉にウダジマが軽く驚きながら答える。
「そこまで知っているのか。そうだ、どちらも私がやったことだ。イナベの手駒を潰すためにな」
「ふざけるな!皆あんたとイナベの権力争いに巻き込まれただけだっていうのか!?そのせいで――!」
「黙れ」
激昂するカツヤの言葉も都市の幹部としての威圧を乗せたウダジマの一言でかき消される。
「何故今ペラペラと話したか分かるか。全て知ったところで君には何もできないからだ。不服だというならどうする。私に銃を向けるか?それとも防壁内に特攻でも仕掛けるかね?死にたければ好きにすればいい」
「……っ」
ウダジマの言葉にギリ、と歯噛みしつつもカツヤは反論できない。客観的な事実であるからだ。
「それになにより――シェリルは君が殺したようなものだろう?」
ウダジマの言葉がカツヤの心を抉る。それは、ずっと認めたくなかった事だった。
「確かに私はアキラの殺害を唆した。裏で賞金も掛けていた。だが最終的にアキラと戦うことを決断したのは誰だ?アキラを殺したのは誰の部隊だ?そもそも建国主義者討伐を引き受けないという事も出来たはずだ。アキラの言い分を信じ退くという選択肢も取れたはずだ。アキラを殺さなかったところで罰則があるわけでもない。脅迫されて無理矢理やらされていたのでもない。何故それをしなかった?」
シェリルを救う、そのためのはずだった。
「突入前の通信でもアキラを倒せばシェリルを救える可能性はあると言っただけだ。救うと確約したわけでも無い口約束にすぎない。そもそも助けてくださいと頼まれていた訳でもないのだろう?」
シェリルを救う可能性があるならそれでよかった。
「シェリルはアキラの遺体に縋って泣いていたそうだ。君はアキラとシェリルの関係も何も知らなかったのだな。何もかも自分に都合がいいように考えていただけだ。シェリルを守ってきたのも助けてきたのもアキラだろう?そのアキラを殺せばシェリルが喜んでくれる、自分に靡いてくれるとでも思っていたのか?馬鹿馬鹿しい」
俺はシェリルと一緒にいられれば――
「仮にシェリルを無理矢理助けたところでその後はどうなる。私や君にアキラの仇だと憎悪を向けなんとしてでも殺そうとするだろうな。そうなれば遅かれ早かれ始末するしか無くなる。アキラが死んだ時点でシェリルの運命は決まっていた。シェリルの死の原因はアキラの死だ。君が何も考えずに自分の欲を優先した結果だ。その事を自覚したまえ、少しは自分の行動を客観的に見てみるのだな」
それで通信は切れた。カツヤが通信端末を取り落としそれをヴィオラが拾う。
「話は終わりね?私はこれで失礼させてもらうわ。ユミナにも個人的に話があるの」
ヴィオラの言葉はカツヤには全く届いていない。
(俺が、シェリルを、殺した)
その考えだけがカツヤの思考を占めていた。
撤収作業中に倒れたユミナはドランカム本部の医務室に担ぎ込まれていた。肉体的な損傷は回復薬で修復されていたが体感時間の操作も現実の解像度の向上も脳を酷使する。その回復の為には長い睡眠が必要だった。
ユミナの意識が戻ったのは半日ほど前だ。目覚めると見舞いに来ていたアイリからウダジマからの使いが面会を希望している事を伝えられる。正直億劫ではあったが断るわけには行かなかった。
「お邪魔するわよー」
「…ヴィオラさん?」
アイリに連れられ医務室に現れたのはヴィオラだ。そのままユミナのベッドの横に座るとにこやかな笑顔をユミナに向ける。
「久しぶりねユミナ。今はウダジマの使いでここに来ているのだけれど…あなたには色々個人的に話しておきたい事があってね。ちょうど目を覚ました所だって聞いてお邪魔させてもらったわ。今、大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫です」
ユミナは以前シェリルの護衛をしていた関係で多少なりとヴィオラの人となりは知っている。それだけに自分に一体何の話だろうと多少警戒していた。
「個人的な話なら私は席を外す。…ユミナ、落ち着いたらカツヤと話してあげて。なにがあったのかよくわからないけどここに帰って来てから酷く落ち込んでた」
「カツヤが?分かったわアイリ。後で話してみる」
アイリが医務室から退出するとヴィオラが話を切り出す。
「それでねユミナ、あなたには個人的にお礼が言いたかったのよ」
「お礼…?」
何か感謝されるようなことをしただろうか、とユミナは首を傾げる。
「まあその前に…ねえユミナ、あなたはアキラが本当に建国主義者だったと思ってる?」
ヴィオラの言葉にユミナは心に痛みを感じつつも返答する。
「それは…違うと思います。多分…アキラとは誤解で戦う事になっただけで…」
「それでもあなたは最終的にアキラを殺したんでしょ?誤解だと思ってたなら何のために殺したの?」
ヴィオラの言葉がユミナの心を抉る。そうだ、アキラは何も悪くない。先に襲い掛かったのはこちらの方だ。それでも自分がアキラと戦ったのは――
「カツヤを、死なせないためです」
瞳に確かな意思を乗せてユミナはそう答えた。
「カツヤはアキラと戦う覚悟を決めて…それを私は止められませんでした。だから可能な限りカツヤの勝つ確率を上げる為に、カツヤが私を庇って死ぬような事態に絶対させないために、先に私が戦って――アキラを、殺しました」
アキラを殺してからずっと現実感が無かった。遺体の側にいた時も幻でも見ているかのような感覚だった。何故自分は生きているのだろう。生還も何も度外視してアキラと戦ったはずなのに、刺し違える事すら難しかったはずなのになぜ自分なんかがアキラを殺せたのだろうと。
決まっている。アキラが自分を殺す事を拒んだからだ。
アキラは自分の事を大切に想ってくれていたのだろう。自身の命を捨てるほどに。それすらも利用して自分はアキラを殺した。その事を明確に再認識したユミナの心に罪悪感が巨石のようにのしかかる。
「ふーん…。まあどうあれあなたの望みは叶ったのよね?良かったじゃない」
確かに自分の望みは叶った。自分もカツヤも生き残りこれからも自分はカツヤの側にいられる。それは確かだ。
「…良かった、なんて思えません。それで、ヴィオラさんの話は――」
だがその事を良かったじゃない、などと軽々しく言われたくは無かった。僅かに苛立ちを覚えたユミナが早く話を終わらせようとヴィオラを急かす。
「ああそれだけどねユミナ、アキラを殺してくれてありがとう」
「――っ」
事も無げに笑顔で語るヴィオラにユミナが顔を強張らせる。動悸が早くなり息苦しさを覚える。
「…なんで、アキラを…殺した、事で、お礼なんか…」
そんなユミナの様子を見てヴィオラが愉快そうに言葉を続ける。
「ああ、実は私は大規模抗争の時に裏で色々動いていたのだけど…その時にアキラを巻き込んじゃってね。それでアキラを怒らせてシェリルに協力するよう脅されていたの。だけどアキラとシェリルが死んだおかげで自由になれた。あなたのおかげよユミナ、お礼を言うわ」
「え…?」
軽い口調で衝撃的な事を話すヴィオラにユミナが慌てて聞き返す。
「ま、待って下さい!今なんて…シェリルが亡くなったんですか!?どうして…!」
「何言ってるのよ。あなたがアキラを殺したからでしょう?」
「え――」
「アキラが建国主義者のボスとして死んだからシェリルもその協力者として処刑されたのよ。私は脅されて協力させられていただけだから難を逃れたけどね。そんなに驚く事じゃないでしょう?建国主義者とその関係者がどんな扱いを受けるかなんて分かりきった話じゃない。あなたも最近アキラ達の側で色々やってたし二人がどんな関係かも知ってるはずよね?」
「―――」
ユミナはシェリルの護衛をしていた時に色々とシェリルから話を聞いていた。それはシェリルがユミナからアキラのハンター稼業の様子を聞き出そうとした結果でもあった。雑談や世間話の中でシェリルがアキラの事を異性として想っている事も知っていた。そこまでシェリルが想っていたアキラを自分は殺した。
シェリルはアキラの死を知ってどう思ったのだろう?自分がアキラを殺したと知ってどう感じたのだろう?愛してる人が濡れ衣を着せられたまま殺されて、自分も何もできないまま死ぬ。どれほどの無念と後悔があったのだろうか。カツヤと自分が同じ目に会ったら?考えたくも無い。だがそれを自分がシェリルにしたのだ。カツヤを死なせない。その望みの為に。
「よくもアキラを」
「え」
唐突なヴィオラの言葉がユミナを現実に引き戻す。
「アキラに銃を向けて何も思わなかったの?何も感じなかったの?」
「あ、あの」
「アキラにどれだけ助けられて来たかも忘れたの?」
「ヴィオラ、さん?」
困惑するユミナにヴィオラが言葉を続ける。
『恥知らず、お前が死ねば良かったのに』
「ひっ」
ユミナが顔を青くしベッドの上で後ずさる。一瞬ヴィオラにシェリルの姿が重なり憎悪を込めた目で自分を睨んでいる様な気がした。
「ごめんなさいね。驚かせちゃった?」
軽く謝りながら笑いかけるヴィオラに必死で息を整えながらユミナが答える。
「今、のは…」
「シェリルからの伝言よ。処刑される前に面会に行ってきてね。そこで色々話を聞いて…あなたに伝えてくれって言われたの。連行した人の話だとね、シェリルはアキラの遺体に縋って泣いていたそうよ?嘘だ、嘘だって。まあ事情がどうあれ恨まれるわよねー」
その光景がまざまざとユミナの脳裏に浮かぶ。シェリルはどれだけ嘆き、悲しんだのだろう。自分がしたことのせいで。ぐらり、と眩暈がした。
「私、は――」
「ああそうそう、報復とかなら心配しなくていいわよ?シェリルの徒党なんだけど…今大変な事になってるもの」
「え…?」
アキラが死に、シェリルが処刑された。その余波を受けてスラム街は大混乱に陥っていた。大規模抗争により二大徒党が壊滅しそこから台頭したのがシェリルファミリーだ。遺物販売店は大繁盛し縄張りも人員も大幅に増えた。だがここから地盤固めをという所で武力の後ろ盾が失われボスが処刑された。アキラの武力とシェリルの才覚、突如として屋台骨を失った結果シェリルファミリーは人員の裏切りや脱退、他の徒党からの襲撃が多発し収拾がつかない状況に陥っていた。もはや商売ができるような状況では無くカツラギも徒党の支援から撤退。残されたエリオ達はそれでも徒党を維持しようと戦っているが中核であるシェリルもアキラも失った今では支えきれずに遠からず瓦解するだろう。そうヴィオラはユミナに説明した。
「そんなわけで今はあなたに報復する余裕なんてないわ。まああなたやカツヤの情報もスラムに出回ってるようだからしばらく近づかない方が良いと思うわよ?当然だけど凄く恨まれてるから」
その情報を流したのは私だけどね。とヴィオラは心の中で付け加える。
「…そん、な」
ヴィオラの説明をユミナは呆然と聞いていた。自分がアキラを殺し、巻き添えになってシェリルも死んだ。そしてそれが引き金となってスラムで大抗争が起きてしまった。ユミナはシェリルの徒党に雇われていた日々を思い出す。立場に差はあれど徒党の構成員は自分と同じ年頃であり僅かながらも交流があった。
思いがけずルシアに再開したときはこちらが逆に申し訳なくなるほど散々に平謝りされた。アキラには許してもらったし今はスリからも足を洗っておっかなびっくりだが何とか友達と一緒に元気にやってるとも言われ丸く収まったことを嬉しく思った。
模擬戦で戦ったエリオ、彼にはアリシアという恋人が居たはずだ。お互いに想いあって幸せそうだった。他にも大勢の人員がいたが徒党に陰鬱な雰囲気は漂って無かった。皆大きくなり成長していく自分達の徒党を見て未来に希望を持っていた。
(それを、私は)
何もかも台無しにした。何の罪も恨みも無い人間から未来を奪って大勢死なせた。最終的にどれだけの人間が死ぬだろう。何十人?何百人?それすら分からない。
罪の意識が心の底から湧き上がってくる。カチカチと歯が鳴る、止められない。酷く寒かった。
「大丈夫?顔色が悪いわよ?さっきも言ったけれどあなたの望みは叶ったのだからそれでいいじゃない。もっともカツヤの方の望みは叶わなかったけど」
「カツヤの望み…?」
「ええ、カツヤはね、シェリルを救う為にアキラを殺そうとしたそうよ」
「は…?」
ユミナにはヴィオラの言っている事が理解できなかった。なぜここでシェリルが出てくるのだろう?
「カツヤはアキラの事を建国主義者かその関係者だと思っていてシェリルの方は無理矢理協力させられているだけだと思っていたようね。でもシェリルを巻き込まれただけの被害者という扱いにするには幹部会を動かせるような功績…ティオルとアキラ、建国主義者のボスを2人も倒したハンターという立場が必要。そうウダジマに言われて最後の局面で突入を決めたそうよ。シェリルがカツヤ本人から聞いた話だと言っていたから間違いないわ」
ヴィオラの言葉の半分もユミナは理解できていない。訳が分からなかった。
「アイリって子がカツヤが酷く落ち込んでたって言っていたでしょう?あれね、シェリルに拒絶されたからなのよ。処刑される前にシェリルがここでカツヤと話して、それで事情を知ったシェリルが激怒してカツヤを完全に拒絶したの。まあ当然よね。あいつは何も知らずに自分に都合のいいように物事を考えてるだけ。そうシェリルは言っていたわ。アキラを殺した奴に縋って生きるぐらいなら死んだ方がマシだとも」
確かにカツヤは思い込みでそのまま突っ走ることはあった。いつも自分が止めていたが今回は――
「カツヤは大分シェリルに執着していたようだけれどユミナは知らなかった?多分アキラとシェリルの関係とかも話してないわよね?」
カツヤとシェリルの事はいつもの悪い癖が出た、程度にしかユミナは考えていなかった。
アキラとシェリルの関係を話さなかったのも話せば面倒事になる予感がしたからだ。
「結果的にはアキラを殺した事でシェリルも巻き添えになって死んだ。助けるつもりで殺す事になったんだからまあ最悪の結果よね。ユミナ、後でカツヤとちゃんと話した方が良いわよ?」
それが本当なら自分は何の為にアキラを
私は、何の為に
目眩がする。吐き気がする。体の震えが収まらず視界が暗くなっていく。
「ああ、ごめんなさい。病み上がりの人に随分長い間話し込んでしまったわね。これでお暇するわ。じゃあねユミナ」
気を失ったユミナをベッドに戻しそう言い残すとヴィオラは医務室から退出した。
「終わったの?」
車の中で待っていたキャロルがドランカム本部から出てきたヴィオラを出迎える。
「ええ、なんていうかカツヤもユミナも良い子過ぎるわね。毒気が足りないっていうか…」
「あら、ヴィオラと比べれば誰でも毒気が足りないと思うけど?」
「そう?キャロルほどじゃないと思うわ」
楽し気にからかう友人にヴィオラも笑って返す。
「それで?今回はシェリルからの頼みだって聞いたけど…何を頼まれてたの?」
「徒党のその後の事よ、それとあの二人にどんな形でもいいから傷を付けてくれって頼まれてたの。このままのうのうと生きている事が我慢ならないって」
車を発進させつつ問うキャロルにヴィオラはシェリルからの依頼を話していく。
ヴィオラと面会したシェリルが最初に話したのは徒党の事だ、自分もアキラもいなくなれば恐らく維持は出来ない。だから処分できるものは全て処分しカツラギを通して出来る限り高性能な装備を幹部や古参の構成員に優先して渡してくれ。その後生き残れるかどうかは皆の才覚次第だと語った。
次に頼んだのはカツヤとユミナへの復讐だ。殺せるとは思っていない。だが何もせず死ぬ気は無かった。カツヤは自分に気がある。ユミナはカツヤに気がある。アキラとも親しかったはずだ。二人の人となりは分かっている。直接的にせよ間接的にせよ親しい人間を殺した、その罪悪感は心に突き刺さっているはずだからそれを抉って欲しい。消えないような傷を付けて欲しい。
それがシェリルの最後の望みだった。
『大して難しくもないわね。十分可能よ。でも私を信頼できるの?アキラは死んだしあなたももうすぐ死ぬ。裏切っても何の問題も無い。この場で調子のいい事だけ言って何もしないなんて可能性も十分ある。それに報酬の話が無いようだけど?』
『報酬というならこの依頼自体が報酬よ』
『ふうん?』
ヴィオラは面白そうに笑うと表情だけで続きを促す。
『ヴィオラ、あんたは金も地位も求めてないでしょう?それはあくまで手段、目的は騒ぎを起こして遊ぶこと、騒ぎで右往左往する人間を見て楽しみたいだけ、違う?この依頼は必ず新しい火種になる。スラム街でもドランカムでも何も起きないはずはないわ、それを利用して好きなだけ楽しめばいい』
シェリルの言葉にヴィオラは楽し気な笑みを強める。
『分かってるじゃないボス。交渉成立ね。その依頼引き受けたわ。まあ元々自主的に色々動くつもりだったしね。でも良いの?てっきり徒党の皆を守ってくれって言われると思っていたんだけど。高性能な装備があっても大勢死ぬわよ?』
『今までだって大勢死んでるわ。私もアキラも何度も死にかけてる、スラムなんて元々そんなところよ。私だって殆ど何もない所からスタートした。例え徒党が瓦解しても騒ぎが起こればチャンスも生まれるはず。それを掴んで再起できるかどうかは残された皆の才覚次第よ』
ヴィオラは満足げに頷くと纏う雰囲気を切り替える。
『OK、それじゃあシェリルが知ってる事を全て話して。ああ恨み言か何かがあるならついでに伝えておくわよ?』
『じゃあ、アキラと出会った経緯から――』
「と、まあそんな感じね。依頼は成功、カツヤもユミナも相当堪えたようだったから…後はどれだけ燃え広がるかね、女絡み男絡みは延焼しやすいから。ミズハにどうにか出来るとは思えないし」
「…女絡み、か」
「キャロル?」
ヴィオラが軽く驚きながらキャロルを見る。愁いを秘めた寂しげな表情。友人のそんな顔を見たのは初めてだった。
「キャロルがそんな顔をするなんて…。まさかアキラにそこまで入れ込んでいたの?」
「まあ、ね。アキラの事は残念だったわ、とても。もっと本気で口説いておくんだったなって思うぐらいに」
軽口に返ってきた思いがけない言葉にヴィオラは再び驚く。長い付き合い故にその言葉に含まれた本気さを感じ取ったからだ。ヴィオラは友人を元気づけようと提案する。
「キャロル、仕事も終わったし飲みに行かない?今日は私が奢るわ、アキラの事は私も残念だったと思ってるもの」
「…それ私とは方向性が違わない?」
「さあ、どうかしら」
ヴィオラがアキラの死を残念だと思っているのは本心だ。アキラが持ち込んだ情報端末、あれが今回の一連の騒動に一役買っているのは確かだろう。そしてティオルとも何らかの関りがあったのも確かだ。
都市幹部同士の権力争い、建国主義者の騒動。もしかしたら何もかもアキラが火口となったのかもしれないとまでヴィオラは考えていた。生き残ってくれれば次はどれほどの騒ぎを引き起こしてくれただろうか?そう考えるとアキラが死んだ事が残念でならなかった。
「ま、細かい事は抜きよ。さあ傷心のキャロルを慰めるためにも今日は飲むわよー」
「はいはい」
キャロルの感傷を置き去りにするように二人を乗せた車が繁華街に消えてゆく。そしてヴィオラもキャロルもそれぞれの日常に戻って行った。
「………」
ヴィオラが去った後、夜中に目を覚ましたユミナはベッドの上で膝に顔を埋めていた。
思考がぐるぐると渦を描いて纏まらない。考える事が多過ぎた。
(カツヤ…あなたは自分が何をしたか分かってるの…?)
ユミナはヴィオラに言われた事を思い出す。
(あの通信が来てからカツヤの態度が変わった。きっとあの時ウダジマさんに唆されたんだわ…)
アキラが言っていたイナベとウダジマの権力争い、それに巻き込まれたのだろう。
恐らくシェリルをダシにしてカツヤを動かしアキラを消そうとしたのだ。建国主義者のボスという濡れ衣を着させたまま。
カツヤが廃ビルへの突入を決めたのはシェリルを救うためだ。アキラに殺された仲間の仇討ちという点もあるが最終的な決め手はそれだった。
(誰かを助けたい。見捨てたくない。カツヤは昔からそうだったものね。きっとシェリルの事も。でもそれは、それでもっと皆が死ぬとしても、やらないといけないことだったの…?)
アキラは恐ろしく強い。それはカツヤも良く分かっているはずなのに。戦えば勝ったとしても大勢死ぬ。その死人の中には自分もアイリもカツヤ本人も加わる可能性も十分ある。その事も理解していたはずだ。つまり――
(それでもカツヤは自分の望みを優先した。シェリルを救う事を)
それほどまでにカツヤはシェリルに執着していた。それを認識したユミナが哀しげに項垂れる。
(カツヤが誰を選んだとしてもせめてカツヤの側に。そう思っていたけれど…)
悲しかった。唯々悲しかった。ユミナの目から大粒の涙が零れる。
「う…うう…うう…う…」
泣きながらユミナは思う、自分に悲しむ資格などあるのかと。自分も自らの望みの為に多くの人間を犠牲にしたのに。
カツヤは死なせない。そのために何も悪くないアキラを殺し、カツヤが救おうとしたシェリルを死に追いやり。何の恨みも無い徒党の皆を大勢死なせる切っ掛けを作った。
自分の望みを叶えようとすれば多くの人間が死ぬ。少し考えれば分かっていたことなのに。自分にカツヤを責める資格がどこにある。
「………」
ユミナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を洗う為にふらふらと覚束ない足取りで洗面所に向かう。今はとにかく頭を冷やしたかった。
冷水で顔を洗う。心地よい冷たさがほんの僅かにユミナの気を楽にした。
「アキラ…」
ユミナは洗面台で俯いたまま自分が殺してしまった少年の名を呟く。
アキラを死なせない道は無かったのだろうか?自分は最後の最後までアキラを助けようとしただろうか?
シェリルとアキラの事をカツヤに話していれば。最後の交渉に赴く前に徹底的に食い下がってカツヤの望みを聞き出していれば。いやあの時アキラの側に着いて共にカツヤを止めるという手も――
(何を今さら…)
自分で殺しておいて、あれだけ酷い事をしておいて今さら何を。そうユミナは自嘲し俯いていた顔を上げる。
鏡の中の自分と目が合った。そうだ、あの時自分はアキラに何を言った?何をした?
そう思うと鏡の中の自分が口を開く。
……アキラ。投降してくれない?お願い
ああ、違うか。断られるのは分かっているもの。ごめんなさい、言いなおすわね。
お願いアキラ、死んでくれない?
私達は多分誤解で殺し合ってるだけなんだろうしアキラは建国主義者でもないんだろうけどカツヤはそう思ってないみたいだし説得もできなかったのよ。ごめんね?
でも私はカツヤを死なせたくないから今からアキラを殺そうと思うの。悪いけど濡れ衣を着せられたまま死んでくれる?
今までありがとね。強さの秘密を教えてくれて高価な回復薬を一杯使って特訓までしてくれて、おかげで私は凄く強くなってカツヤの所へ戻ることが出来た。
カツヤのチームの一員として今こうしてアキラを殺すために戦える。アキラのおかげでね。
ああ、旧世界製のブレードも貰ってたけどこれもアキラを殺すために使わせて貰うわ。ありがとう。
退いてくれ?殺したくない?アキラがそんな事を言うなんてね。そこまで私の事を想ってくれてるの?嬉しいわ、本当にありがとう。私を殺すはずだったブレードを止めてくれて。
おかげでアキラを殺す事ができた。刺し違える事すら難しいって思ってたのに。
ああ良かった、カツヤが死ななくて。代わりにアキラは死んじゃったけど。
思えば何度も助けられてたっけ。ヨノズカ駅遺跡の時も過合成スネークの時も第一奥部の時もアキラは一緒に戦ってくれて、死地に飛び込んでくれて、私だけじゃなくカツヤも他の皆も助けてくれた。
アキラがいなかったら何度死んでたか分からない。今だってそう、カツヤも私も生き延びた。これからも私はカツヤの側に居ることができる。私の望みは叶った。なにもかもアキラのおかげよ。
ねえアキラ。
私の為に死んでくれてありがとう。
鏡の中の自分はアキラの死体の前で返り血に塗れながらそう言って笑っていた。
「う、ぷっ……お、えぇっ…」
余りの醜悪さに吐き気が込み上げてくる。胃の内容物が逆流し洗面台に吐瀉物がぶちまけられる。
吐く物が無くなり胃液が逆流し吐瀉物に血が混じってもユミナの吐き気は収まらなかった。
(私…私…アキラに…なんて事、を…)
鏡の中のユミナが笑いながら再び口を開く。
『そんなに苦しまなくて良いのに。カツヤ以外の人間なんかどうだっていいんだから』
そんなことない
『それならアキラを殺した後はどうなると思ってたの?シェリルの事は?徒党の皆の事は?あのとき少しでも考えた?』
うるさい
『アキラが私にしてくれた事だって、全部彼の善意でしょ?何か盗んだわけでも騙したわけでも無いじゃない』
黙って
『だから気にしなくて良いのよ。あの時だって銃を向けても、殺意を向けても、アキラは一言も私を責めなかった』
静かにして
『カツヤも私も生き延びて、カツヤと仲が悪いアキラも恋敵になりそうだったシェリルも死んだ。これからも私はカツヤの側にいられる。カツヤの一番でいられる』
やめて
『何もかも作戦通りに上手く行ったのよ?私がアキラに勝てる可能性はこれだけだった』
やめてよ
『きっとアキラは私を恨んでも憎んでも無いわ。安心して死ねたはずよ』
…やめろ
『大好きなユミナを殺さずに済んだって―――』
やめろ!
「ああぁあああぁぁぁッ!」
絶叫を上げながらユミナが拳を振りかぶる。鏡の中の自分を黙らせようと素手で鏡を叩き割った。
手が、身体中が鏡の破片で血塗れになるのにも関わらずユミナは鏡を壊し続ける。
「はあ…はあ…はあ…」
血塗れになりながら鏡を破壊しつくすとユミナは荒い息を吐きながら床に膝を着く。
(どうして…)
自分が今見たのは幻覚だ。自責の念と罪悪感が生み出している妄想にすぎないのは分かっていた。
だが言っている事に嘘は混ざってはいない。あの時自分がアキラにした事はそういう事なのだ。
(アキラ…どうしてあなたはそこまでしてくれたの…?)
手から流れる血が、全身を走る痛みが、アキラを殺した時の事を思い起こさせる。それが呼び水となってアキラとの思い出がユミナの脳裏を駆け廻った。
(私…あなたに好意を向けられるような人間じゃない…)
クズスハラ地下街、ルシアとのスリの一件、ヨノズカ駅遺跡、賞金首討伐、大規模抗争、ハンターランク調整依頼、イイダ商業区画、第一奥部、そしてあの廃ビル。
(身勝手で…利己的で…私なんか…あなたが命を捨てて救う価値なんて無いのに…)
恐ろしいほどの殺気に怯えた時もあった。その強さが頼もしい時もあった。ハンターランク調整依頼で共に過ごした日々。シズカの店で見た普通の子供の様だったアキラ。イイダ商業区画ではごく自然に友人達に混ざっていた。
(私はアキラの何を見てたの…?ちゃんと向き合おうとした事があった…?ただ甘えて…利用するだけで…)
何度も一緒に戦って、死線をくぐって、助けて、助けられて、絆を深めて――
(助けられた命も…特訓してもらった強さも…あのブレードも…全部、全部…アキラに向けて…)
そして殺した。恩も借りも想いも望みも何もかも踏み躙って。
(私…何も出来なかった…アキラに何も返せなかった…)
悔恨と共に大粒の涙が床に落ちる。
「ごめんなさい…アキラ…ごめんなさい…」
これで良かったのか。本当に他の道は無かったのか。
目を瞑り耳を塞ぐ、何も見たくなかった。聞きたくなかった。
『アキラは死んだ。お前が殺したのよ』
『謝って、後悔して、それが何になるの?アキラはもう帰ってこないのに』
『思い返して見なさいよ。アキラが居なかったらどうなってたのか。自分がどれだけ助けられて、どれだけのものを貰って来たのか』
『アキラは戦いたくなかった、お前を退かせようとした、自分を殺そうとする人間すら助けようとした。お前はその思いすら利用して、冤罪なのも分かった上で、それでも殺した。よくそこまで恥知らずな真似ができるわね』
『自分に許しを請う資格があると思ってるの?思い上がらないでよ』
『お前が死んでれば良かったのに、恩知らずが』
シェリルがすぐ近くに立っている。自分を憎悪の目で見つめ、罵っている。そんな気がした。
「やめて…お願い…やめて…謝るから…」
シェリルの声に大勢の声が加わる。聞き覚えのある声。シェリルの徒党の皆だ。
『よくもアキラさんを』『ボスはお前のせいで』『俺達の徒党が』『私達の居場所が』『大勢死んだ』『また地獄に逆戻りだ』『死ね』『殺してやる』『私達が何をしたの』『皆を返して』『よくも』『よくも』『よくも』『よくも』――
声は止まらない。ユミナの心の中から響く声はどれだけ耳を抑えても聞こえてきた。
「やめ…て…」
声に耐えられなくなったユミナは震える手で細長く割れた鏡の破片を拾い上げる。そして何の躊躇いもなく自分の耳に突き刺した。
「うあああぁあぁぁぁぁぁぁっっ!」
ユミナは鏡の破片で何度も両耳を抉る。鼓膜が破れ血がどろりと溢れ出す。
それでも声は止まらない。ユミナはどうにか声を止めようと絶叫を上げながら身体中を傷つけ始める。
「ユミナ!」
物音に慌てて駆け付けたアイリが血塗れで暴れまわるユミナをどうにか抑えつけ鎮静剤を打ち込む。
「あ…」
ユミナの身体から力が抜けていく。薄れていく意識の中でユミナは思う。
(…カツヤの為なら何だってできた…死んだって良いとさえ思ってた…)
カツヤは死なせない。それがユミナの、彼女の望みだ。だが―――
(だけど…私は…どれだけの人間を犠牲に…)
アキラ、シェリル、徒党の人員。どれだけの命を、願いを踏み躙ったのだろう。
(こんなのが…私の望んだ事なの…?アキラを殺す事が…本当に正しい選択だったの…?)
カツヤは死ななかった。だが、自分はこんな結末を望んでいたのか。
これからもカツヤを生かす為なら恩人だろうと友人だろうと殺し、何の罪も無い人間を死なせるのか
(もう…無理…)
もしもまた、どこかで親しい人間と殺し合う事になったら――
(私…もう…無理だよ…カツヤ…)
自分より大切な想い人の名前を心の中で呟くとユミナは意識を失った。
ユミナは善良な人間だ。孤児院で仲間達と共に育ち常識も倫理も真っ当な物を持ち合わせている。ハンターとして人を殺した事もあるがそれは応戦や防衛の結果であり殺しに躊躇を覚えないような人間ではない。ましてアキラという共に死線をくぐり、何度も助けられた友人を殺すなどいつものユミナならどうやっても出来なかった。
だがカツヤへの思慕がアキラと殺し合う道にユミナを踏み出させた。躊躇する心を、後ろめたさをカツヤへの思いで塗り潰し見ないようにしていた。
しかしヴィオラの言葉がそれに楔を打ち込んだ。鏡の中のユミナ、シェリル、徒党の人員、その幻覚は自身の望みの果てを突き付けられた結果、抑え込み、見ないようにしてきたものが溢れ出したものだ。
アキラと対峙したときのユミナは自身の生還を度外視していた。頭の中にあったのはカツヤは死なせない。それだけだ。もしも勝ったら、なにもかも上手くいったらその後はどうなるのか。そんな事など考えもしなかった。
ユミナの善良な心は自分の行いに、それが招いた結果に耐えられなかった。
「………」
カツヤが自室で項垂れていた。目は虚ろで生気が欠片も感じられない。ここ数日の記憶が無い。食事も睡眠もいつ取ったか覚えていなかった。
ミズハやアイリが自分に何か言っていた気もするが全く覚えていなかった。
シェリルと話した事は何か裏があってほしい。何かの間違いであってほしい。そう願っていたカツヤの心をヴィオラとウダジマの言葉はズタズタに引き裂いていた。
シェリルの死による精神への多大な衝撃はカツヤが構築しているローカルネットワークを停止させていた。シェリルを助ける為にアキラを倒す。カツヤの決意は最悪の結果を生み出した。シェリルは愛するアキラを殺され、絶望し、カツヤを完全に拒絶し憎悪しながら死んでいった。
自身の命に代えても助けるはずだった。大切な幼馴染の懇願を拒否してまで自分の望みを優先した。その望みの果ては救うはずだったものを自分の手で死なせるという最悪の結果だった。
(俺は…何の為に…)
今のカツヤは空っぽだった。シェリル。生まれて初めて自分で求め、望んだ存在。それを失った今カツヤには何も残っていなかった。強さも栄光も名声も今のカツヤには何の価値も無い。周囲の者達がカツヤへ望む声も今のカツヤには聞こえていなかった。
これからどうすればいいのだろう。このままドランカムにいて何をするというのか。権力者の駒として生きる?論外だ。いっそ何もかも捨てて逃げてしまおうか、遠征から帰ってきたあの時、ユミナの手を離さなければこんな事には――
「ユミナ…」
カツヤの脳裏に大切な幼馴染の姿が鮮明に思い浮かぶ。
(…そうだ、何もかも失ったわけじゃない。俺も、ユミナも、アイリも生き残ったじゃないか…)
カツヤの目にほんの僅かに光が灯る。ユミナには酷い事をさせてしまった。それを償わなければならない。アキラの亡骸を背負いながらユミナが言っていた言葉を思い出す。
「友達、か」
今のカツヤには何故自分がアキラをあれほどまでに嫌っていたのかも分からなかった。
(何度も一緒に戦って、助けられたはずなのにな…ああ、そういえば)
『後でユミナの戦闘ログを見てあげて』
アイリに言われていた事を思い出す。ユミナとアキラの戦いで何があったのだろう、と情報端末を操作しユミナの戦闘ログを呼び出した。
「なんだ、これ…」
カツヤの目に映るのはユミナの総合支援システムの情報から取得したアキラとの戦闘映像だ。ユミナの銃撃を、斬撃を、アキラが異常な動きで回避していた。一発も撃たないままブレードの間合いにユミナを捉え切り結び始める。
「―――」
カツヤが絶句する。アキラの強さは十分認識していたつもりだったが現実は想像の遥か上を行っていた。
自分はこれに勝てるか?と自問自答し絶対に無理だ、と即座に答えが出る。
消耗した上で銃すら使わずにこれだ。アキラが万全の状態だったら自分など相手にならない。
(ユミナ…一体どうやって勝ったんだ…?)
その答えが示される。ユミナの心臓を貫くはずだったアキラのブレードが寸前で止まった。ほんの数秒互いの動きが止まる。そして動きを止めたアキラをユミナのブレードが刺し貫き銃撃がアキラの胸部に大穴を開けた。やがてアキラの生命反応が消えるとユミナがブレードを抜きアキラの遺体を抱きかかえ床にへたり込む。
そしてユミナを呼ぶ自分の声が聞こえた。
「………」
映像を切り衝撃を受けながらもカツヤが無言で考え込む。
(なんであいつはあの時ブレードを止めた…?)
あの隙が無ければユミナの方が死んでいた、カツヤはその光景を幻視し身震いする。そうなったら自分はどうしていただろうか。決まっている、ユミナの仇を討つために仲間達と共にアキラと戦うだろう。自分より遥かに格上の相手だ、もしそうなったら仲間が大勢死んでいた。自分も、アイリも死んでいたかもしれない。そこまでしても勝てるとは言い切れなかった。
(アキラの動きが止まった理由…強化服の故障?そんな都合よく起きるわけが…他の可能性…自分で止めた?――まさか)
アイリに言われた事を思い出す。
『大勢仲間が殺されたけど…私はアキラの事を憎めない』
その言葉が、その時のアイリの真摯な瞳が、カツヤを一つの答えに導く。
「まさか…あいつ…ユミナを死なせないために…自分を…」
そうとしか考えられなかった。考えられる可能性はそれだけだった。
『アキラは、友達だったから』
ユミナの言葉がカツヤの心に重くのしかかる。きっとアキラもユミナを大切に思っていたのだろう。
自分の命を捨ててでも、大切な人を助ける。カツヤには痛いほど理解できる考えだ。
(それを、俺は)
ウダジマの言葉がカツヤの脳裏をよぎる。
『少しは自分の行動を客観的に見てみるのだな』
そうだ、自分は何をした?
敵の策にまんまと嵌り無実のアキラを建国主義者のボスと決めつけ弁明を聞こうともせず殺そうとした。その過程で多くの仲間が死んだ。
大切な幼馴染の懇願を拒否してまで自分の欲を優先させた。その結果ユミナは友達のアキラを殺すことになった。
何も知らないままシェリルを救おうとした。その結果シェリルは絶望の中で死んでいった。
自分の選択は、全てが間違っていた。
(それでも、何もかも失わなかったのは、俺も、ユミナも、アイリも生き残ったのは)
アキラが死んでくれたからだ、ユミナを助ける為に。
「く、くくっ、ははははは、あははははは!」
カツヤは笑った。余りにも自分が滑稽だったからだ。
(なあカツヤ、お前何をやってるんだ?シェリルを助けるんじゃなかったのか?仲間を守れる凄いハンターになるんじゃなかったのかよ、なあ)
カツヤは自身の選択を、言動を振り返り嘲笑する。
(シェリルはアキラが守ってきた。そのシェリルを俺は死なせた。俺が死なせてたはずだったユミナもアキラが命を捨てて救った。俺はアイリも、仲間達も大勢死なせてたはずだったんだ。そうならなかったのは全部、全部、アキラのおかげか)
「アハハハハハハ!」
カツヤはけたたましく笑い続ける。
(俺は、俺はアキラに救われたのか。嫌って、嫉妬して、濡れ衣を着せて殺した相手に救われたのか!)
最悪だった。いや、最悪を通り越しもはや喜劇だった。だからカツヤは笑うほかなかった。
仲間を助ける為に強さを望み、シェリルと一緒にいる為に成り上がることを望んだはずだった。
(これがその望みの果てか)
自分の欲の為に多くの仲間を巻き込んで死なせ、救うはずだったシェリルは自分の手で死に追いやり、自分が死なせていたはずの大切な幼馴染は、仲間達は、濡れ衣を着せて殺した相手が命を捨てて救ってくれた。
『本当に素晴らしいわ!あなたは最高よ!』
どこがだ
『カツヤ、あなたは間違いなくクガマヤマ都市最強のハンターよ!』
こんなのの、どこがだ
「ハハハハハハハ!アハハハハハハ!」
ミズハの賞賛を嘲笑う。力尽きて倒れるまでカツヤはずっと笑い続けた。
「………」
ドランカム本部の休憩室でアイリが浮かない顔で項垂れている。ドランカムの掌握やウダジマを始めとする都市幹部との会合でミズハは多忙な日々を送っておりカツヤとユミナのフォローは長い付き合いであるアイリに任せていた。
アイリも断片的な事情は知っている。ユミナもカツヤも苦しんでいる。友人を、想い人を、何とかして救いたかった。
だがどうすればいいのかアイリには分からなかった。
アイリはアキラともシェリルとも接点は無いに等しい。当然死んだとしても特に心は動かされなかった。
それ故に二人の痛みも苦しみも共有出来ずそのことがアイリにとって歯がゆく感じられる。
(せっかくユミナが帰ってきたのに…)
ユミナがチームに戻ってきたことをカツヤは喜び当然アイリも喜んだ。模擬戦で昔の様なやり取りをできた事が嬉しかった。
行動を共にする仲間は大勢増えたがやはりカツヤとユミナはアイリにとって特別だった。
(どうすれば…)
どうすればまた昔のように3人でいられるだろう。ドランカムに入ったばかりの頃がアイリの人生で一番幸せな時間だった。
誰かが近づいてくる足音がした。アイリが顔を上げる。
「アイリ、少し良いかな?」
「ネルゴさん?」
アイリに声を掛けたのはネルゴだ。珍しいな、とアイリは思う。何か自分に用事があるのだろうか。
「カツヤ君とユミナの事で話がある。…アイリ、君にも協力して欲しい」
真剣な顔で告げるネルゴにアイリは少し驚きながらも頷いた。
面談室でネルゴとカツヤが向かい合って座っている。自室に閉じこもっていたカツヤをネルゴは強引に連れ出しこの場に運んだ。カツヤの方も抵抗はしなかった。それどころかネルゴに碌に反応する事もなかった。
(重症だな…さて、ユミナの方は…)
ドアがノックされアイリがユミナに肩を貸しながら入ってくる。ユミナの自傷による傷自体は完治していたが目には生気が無く酷く憔悴していた。
アイリとユミナもネルゴの向かい側に座る。一瞬カツヤとユミナの目が合ったがお互いに何を話したらいいか分からずすぐに目を反らした。
アイリが視線を向ける。それにネルゴが軽く頷くと話を切り出した。
「カツヤ君、ユミナ、アイリ、君達のこれからの事で話がある。ミズハさんは関係ない私の個人的な提案と思って聞いて欲しい」
ネルゴは少し間を置き3人を順に見ると本題に入る。
「君達はドランカムを抜けるべきだ。――もう無理だろう」
3人が一様に辛い表情を浮かべる。もう無理だ。その言葉はカツヤとユミナの心に特に深く突き刺さった。
「断片的にではあるが事情は知っている。…先日の騒ぎに様々なしがらみや権力争い、誤解が加わった結果親しい人物を死なせる事になったと」
カツヤとユミナが沈痛な表情を浮かべ項垂れる、二人の心の傷は全く癒えていなかった。
「ネルゴさん…!」
「アイリ、言わなければならない事だ。分かってくれ」
アイリの責めるような言葉にネルゴが真剣な口調で返す。アイリも大人しく引き下がった。
「今現在ミズハさんは都市幹部との会合に勤しんでいる。これからのドランカムは大きくなるだろう。そして大きくなった分だけ多くのしがらみに縛られより巨大な権力争いに巻き込まれて行くはずだ」
ネルゴは言葉を区切りカツヤに視線を向ける。
「そしてドランカムハンターのトップとしてその争いの矢面に立たされるのは君だ、カツヤ君」
カツヤが弾かれたように顔を上げネルゴに真剣な顔を向ける。
「どれだけ強くなり、成り上がり、英雄的な成果を挙げようと終わりなど無い。強くなった分だけもっと危険な依頼を受けさせられるだけだ。…そしてその中で大勢の仲間が死んで行く、親しい者と殺し合う事になるかもしれない。今回の騒動と同じように」
ネルゴの言葉にユミナが震えだす。カチカチと歯が鳴り止まらなくなる。ユミナの身を案じたアイリが落ち着かせようと抱きしめるような形を取った。
「大勢仲間ができた、大勢仲間が死んだ。今更自分だけ抜ける事など出来ない。カツヤ君、君はそう思っているのだろう。だがどこかでその思いを断ち切らなければ君の下で出る犠牲者は増えるだけだ。10の死を無駄にできないと100の屍を積み上げ、100の死を無駄にできないと1000の屍を積み上げる。そしてその屍の中に――いつか必ず、アイリが、ユミナが加わる時が来る」
ネルゴの言葉をカツヤは否定できなかった。
(俺はもう少しでアイリもユミナも死なせる所だった。そうなっていたら、俺は――)
カツヤは傍らに座る少女達を見る。一瞬二人が血塗れで動かなくなっている姿を幻視した。
(だめだ、それだけは…それだけはどうしても…)
カツヤは今まで多くの者を助けてきた。だが力が及ばず助けられずに死なせてしまった者達も大勢いた。
ユミナが、アイリが、大切な幼馴染が、自分を慕ってくれる無垢な少女が、その中に加わるなどカツヤにはどうしても受け入れられなかった。
「決断するなら今しかない。ドランカムを抜けるなどと言ってもミズハさんが自らカツヤ君を手放す事など絶対に無い。都市幹部にも伝手がある以上ドランカムを抜けられないようあらゆる手段を使うはずだ。だが今は事件の事後処理で非常にごたついている。…脱走するのは難しくはないはずだ」
ネルゴが話を終え3人にそれぞれ視線を向ける。ただ静かに決断を待っていた。
「逃げよう」
アイリが身を乗り出しカツヤとユミナの手を取りながらそう言った。
「アイリ…」
二人の声が重なる。アイリは泣きそうな表情を浮かべていた。
「私はネルゴさんの言う通りだと思う、これ以上ドランカムに居たらきっと二人とも壊れる。だから、逃げよう。私は3人でずっと一緒に居たい、ハンターになった頃と同じように。カツヤとユミナが一緒に居ればそれでいい。…それじゃ、ダメ?」
アイリの言葉を聞いたカツヤとユミナの脳裏に同じ光景が浮かぶ。以前機領の整備場で再開したときの事だ。
『じゃあカツヤ。私と一緒にドランカムを抜けてくれる?』
大切な幼馴染の手を握りながらそう言った事が、そう言われた事が鮮明に思い出される。
(あの時、手を離さなければ、こんな事にはならなかった)
カツヤとユミナの思考が重なる。自分は間違えた。ならば、もう間違えるわけにはいかない。そう決意する。
「ユミナ…アイリ…済まなかった…。俺が、俺が間違ってたんだ…。ずっと、ずっと。俺は、自分に都合のいい事ばかり考えて、自分の欲を優先した。強さを、成り上がる事を求めて、大勢仲間を死なせた。アキラもシェリルも何も悪くなかった…俺が違う選択をすれば死なずに済んだはずだ!ユミナもアイリももう少しで死なせる所だった!」
カツヤは泣いていた。両の瞳から大粒の涙を溢しながら悔恨を。そして決意の言葉を口にする。
「…俺は、もうドランカムには居られない。ネルゴさんの言う通り…ここに居たら、いつかユミナもアイリも死なせる事になる。だから…俺と一緒に逃げてくれ。これからは3人で一緒に生きよう。ユミナもアイリも死なせない、絶対に!」
やめろ、ここから離れるな、仲間の死を無駄にする気か。その考えが不自然な程に強く浮かぶ。だがその声は覚悟を決めたカツヤには届かない。
決意と共にカツヤはユミナとアイリの手を握った。
もうこの手を離さない、カツヤの両手に込められた意志はユミナとアイリに確かに伝わった。
大粒の涙を流しながらユミナも言葉を返す。
「カツヤ…もう良い、もう良いの。カツヤだけが悪いんじゃない。私だって間違えた、自分の望みを何よりも優先して何の罪も無い人を大勢死なせたわ。アキラもシェリルも徒党の皆も私が違う選択をしていれば助かる道があったかもしれない。私は見下げた恥知らずよ。…でも私は生き残った。他人の望みを踏み躙って生き延びた、だから死ぬわけにはいかない、カツヤもアイリも死なせるわけにはいかない。だから、生きましょう、カツヤ、アイリ、3人で生きましょう」
そう言うとユミナは二人の手を握り返した。もう離さないという意志を込めて。
「カツヤ…ユミナ…」
アイリも泣きながら二人の手を握り返す。心が、想いが確かに通じた。その事が何よりも嬉しかった。
「…話は纏まったようだね」
「はい、ネルゴさん。…俺達はドランカムを抜けます。ドランカムを抜けて3人で生きていきます」
ネルゴの言葉にカツヤが涙を拭いながら答える。その目はもう生気のない虚ろな目では無かった。
「それなら提案がある。近々大流通が始まるそうだ、それにクガマヤマ都市も参加するようでね。私にも都市周辺モンスターの間引き依頼が来ている。それに君達も加わって欲しい。それほど難易度は高くない、本格的な間引きの前の露払いの様なものだ。当然ドランカムから貸与されるような高価な装備は必要ないだろう。…君達が自前で揃えられる装備でも充分なはずだ」
言わんとしている事を察し、3人は静かにネルゴの言葉を待つ。
「だが何が起きるのか分からないのが荒野だ。強力なモンスターに襲われ散り散りになるかもしれない。不運にも通信手段が喪失し本部への連絡が遅れるかもしれない。そうなれば…よくあるMIAとして処理されるだろうな」
「ネルゴさん、でも…」
「脱走の手引きなんてしたら…」
「………」
三者三用の反応にネルゴが苦笑を返す。
「何、元々私が唆したようなものじゃないか。それぐらいはさせてくれ、見送りをするようなものさ。それに私もそろそろドランカムを抜けようと思っていてね。…正直この先ミズハさんの政治力で都市幹部と渡り合っていけるとは思えない」
確かに、と3人の考えが一致した。
「ありがとう、ネルゴさんが声を掛けてくれて本当に助かった」
アイリの礼にネルゴが笑って答える。
「私は大人だ。ハンターとはいえ、年端もいかない君達にこれ以上辛い思いをさせるのも酷というものだ。それにカツヤ君には前に助けてもらった恩もある。今度はこちらが助けなければ、と思っただけさ。だから気にすることは無い。それに私が出来ることは見送る所までだ。それからの事は3人で考えなければならない、そうだろう?」
そう話を締めくくるネルゴを正面から見つめ3人がそれぞれの言葉で感謝を伝える。
「…はい、3人で一緒に考えてみます。ネルゴさん、本当にありがとうございました」
「今度は間違えずに済みそうです。なんてお礼を言ったらいいか…」
「私だけじゃ無理だった。ありがとう」
感謝の言葉にネルゴはただ満足げな笑みを返す。
古参の面子からは嫌悪されがちなカツヤチームにとって冷静で穏やかな大人であるネルゴは異質な存在ながらも頼りにされていた。多感な年頃の人間が多いカツヤチーム内での小さな衝突はいくつもあったがそれの仲裁はネルゴも一役買っており精神面でのサポートにおいてはカツヤのみならずユミナやアイリからも頼りにされていた。それがカツヤの近づき調査する為にした事だという事は3人の内の誰も知らない。
その微笑みを浮かべる金属の顔の裏で進めている計画の事も。
数日後――
日の出にはまだ時間の余裕がある早朝の時刻、カツヤ達が車でクガマヤマ都市近くの荒野を移動していた。目的地はネルゴとの合流地点、間引き依頼に参加するためだ。
ミズハにはネルゴがカツヤ達を誘って簡単な依頼を受けたと説明していた。気晴らしを兼ねたリハビリのためだと言えばカツヤ達が自前の装備で行くのも特に不審がられることは無かった。
しばらくすると集合地点が見え始める。そこには既にネルゴが待機していた。
「来たか。3人とも調子は?」
「大丈夫です」
ネルゴの問いかけに3人の言葉が重なる。決断はもう済ませていた。
「分かった。時間になったら予定通り出発しよう。…準備を済ませておいてくれ」
「…分かりました」
引き返すならこれが最後だ。そう言外に含ませたネルゴの言葉にカツヤは平静を装いながら答える。
ほんの少し前までずっと周りに大勢の仲間がいた。一緒に生活をし、一緒に戦った。辛い思い出も楽しい思い出も沢山あった。それを思うとやはり辛い気持ちになる。後ろめたさも当然ある。自分は今からその全てを捨てるのだと。
(けれど)
傍らに視線を向ける。ユミナもアイリも辛そうな顔をしていたがカツヤと目が合うと未練を振り払うように表情を変え小さく頷いた。
(もう俺は間違えたくないから)
カツヤは決意を新たにし二人に頷き返し前を向く。
「時間だ。出発しよう」
日の出と同時にネルゴの車が動き出す。カツヤ達の車も後に続き荒野を進んでいく。
(アキラ…)
朝日に照らされながらユミナはアキラに貰ったブレードを抱きしめるように強く握る。
彼を殺した刃、彼の形見、今では只一つだけの彼との繋がりだった。
(アキラ、生きるから、私、生きるから)
生きて欲しい。それが彼の望みだから。自分の命は、アキラの願いで出来ている。だから――
(私は死なない。カツヤもアイリも死なせない、絶対に!)
ユミナは決意を新たにし前を向く。もう振り向く事はなかった。
「カツヤ君、9時方向にモンスターだ。頼む」
「了解。…よし、倒した」
ネルゴの指示にカツヤがあっさりとモンスターを撃破する。
「巡回依頼の時を思い出すわね…。やってる事は同じでも難易度は全然違うけど」
「私達も強くなってる。装備や支援に頼りきりじゃない」
間引き依頼は順調に進んでいた。装備が低性能の物とはいえ今のカツヤ達にとっては都市周辺のモンスターなど雑魚同然だ。掠り傷一つ負わずモンスターを撃破していく。
「これならナノガミヤでもハンターとしてやっていけそうね。まあ脱走するからには今までのハンター証は使えなくなるからランク1からのやり直しになるけど」
3人で話し合った結果脱走先の都市はカツヤとユミナの故郷、東部ナノガミヤ市に決まった。特にこだわりも無くナノガミヤなら多少は土地勘もあったからだ。
「文字通り1からか…。大変そうだけど頑張らないとな」
「カツヤもユミナも安心して良い。最悪スラム暮らしになっても生き延び方なら私が教えられる」
「なるべくそうならないように努力するよ。…なんならハンター以外の生き方だってあるはずだ」
これからの事を話す3人の表情に陰りは無い。組織の都合にもしがらみにも縛られない解放感を久々に味わっていた。
(やっぱりカツヤがドランカムに入るのを止めなかった事、間違ってたわね)
いつもの調子を取り戻したカツヤの様子を見たユミナはティオル達と戦っていた時と同じ事を思う。
ハンター稼業を続けるにしてもカツヤが抱えきれるだけの少ない仲間だけでやっていこう。そうユミナは思った。
「索敵機に反応無し。ここら一帯のモンスターは一掃したようだ。…近くに岩場があるな。そろそろ休憩といこう」
「こちらカツヤ、了解」
ネルゴの先導でカツヤ達の車も岩陰に入る。簡易テントを張り食事を取りながら4人は色々な事を話す。ドランカムでの思い出、ドランカムに入る前の事、これからの事、やがて食事も終え話題も無くなっていく。そろそろだ、と誰もが感じた。
「お別れだな」
サイボーグ用の飲料を飲み終えたネルゴがぽつりと呟く。
「はい…ネルゴさんもどうかお元気で」
「今まで本当にありがとうございました」
「感謝する」
感傷が混じった三人の感謝の言葉にネルゴが手を差し出し握手を求める。
「もう会う事もないだろうが君達の無事を祈っているよ。3人ともどうか元気でな」
差し出されたサイボーグの手をカツヤもユミナも親愛と感謝を込めてしっかりと握り返した。
アイリも同じようにネルゴの手をしっかりと握り返す。
そしてネルゴが表情一つ変えず、ごく自然に、そうする事が当然だというように、逆側の腕に仕込まれた銃をアイリに向けた。
「え」
ネルゴの銃撃がアイリの体を貫き血煙に変える。何が起きたかも分からないまま即死しアイリはその人生に幕を下ろした。
「――は?」
眼前の光景を理解できず呆然とするカツヤにネルゴの銃口が向けられる。
「!カツ――!がっ!?」
それにかろうじてユミナが反応し反射的に銃を構えようとする――その直前に強烈な衝撃がユミナの身体を岩場に向けて吹き飛ばす。
全身を岩場に強打した衝撃で一瞬ユミナの意識が飛ぶ。それでもユミナはカツヤの方を見た。どうか無事であってくれと、その願いを込めて。
(あ――)
カツヤの胸部には大穴が開いていた。ネルゴの銃撃を真面に喰らった結果だった。
「ネル…さ…なん…で…」
血を吐きながら崩れ落ちるカツヤの手足をネルゴが正確に銃撃する。
地面に血溜まりが広がっていく、手も足も動かない。死ぬ。どこか冷静にカツヤはそう思った。
何が起きたのかカツヤには分からなかった。分かっているのはもうすぐ自分が死ぬという事だけだ。死なせないと誓ったアイリもユミナも助けられずに。
もう間違えない。その思って決断したことも結局は間違いだった。
(……ああ、俺じゃ、駄目だったか……。まあ……そう……だよ……な……)
馬鹿馬鹿しいと自嘲する。何故今度は間違えないと思ったのだろう?今までも自分の決断はずっと間違ってきたのに。
「――!――!」
薄れていくカツヤの視界の端に地面に倒れ伏し血を吐き何かを泣き叫びながら必死に手を伸ばすユミナが目に映る。
大切な幼馴染の手を取ろうとしたカツヤの手がユミナに届く事はなかった。
(ユミナ……、アイリ……、ごめん……)
その意識が消える瞬間、カツヤはナノガミヤに着いた先で見るはずだった光景を幻視した。
それを見れなかったことを残念に思いながらカツヤは息絶えた。
「カツヤァァアアァア!」
カツヤの命の灯が消える瞬間を見たユミナが血を吐きながら絶叫する。
死んだ。カツヤもアイリも死んでしまった。絶対に死なせないと誓ったのに。守れなかった。その事をはっきりと認識した瞬間ユミナは全身の細胞が端から死滅していくような感覚を覚える。発狂しそうな程の絶望と悲嘆が身体中を駆け廻り脳が現実を見る事を拒否しだす。
(駄…目…!)
駄目だ、思考を止めるな。死ねない、死ぬわけにはいかない。
(私は、アキラに、そう誓った)
ここで死ぬなら、自分は何の為にアキラを殺してまで生き延びたのだ。
死にたいという誘惑を拒絶したユミナの身体が生きる為に動き出す。
(動け…うご、け…私の…からだ…)
動け、戦え、生きる為に。この程度で諦めるなら、あの時アキラに殺されるべきだった。
岩場に叩きつけられた衝撃で銃も回復薬もどこかに飛ばされていた。唯一残ったブレードを掴む。
(動け、動け、動けえええええ!)
それを杖代わりにし、震える足を叱咤しながら立ち上がる。
生きなければ。自分の望みが潰えても、彼の望みまで踏み躙らせるわけにはいかない。
「あ、ぐ、ぎ…!」
凄まじい激痛が全身を走る身体を超人的な精神力で支えながらブレードを構えネルゴに向ける。
「ああ、相手なら私がするわ」
「!?」
突然の声に驚愕するユミナの前に唐突に赤毛の女性が現れる。
(迷彩!?誰…いえ、この状況で現れるなら敵よ!)
ユミナは一瞬で判断を下すとブレードを向け咆哮を上げながら突進する。
突進してくるユミナに対し赤毛の女性――ネリアは面倒だと言いたげに溜息をつくとブレードを構え鬱陶しそうに軽く振るった。
「ッ!?」
突如としてユミナの手足の感覚が無くなり突進の勢いのまま地面に叩きつけられる。
(何、が)
ユミナはすぐさま態勢を立て直そうとし――自分の両手が無い事に気付いた。
「―――」
足を動かそうとする、動かない、視線を向ける。両足も失われていた。
ネリアの斬撃はユミナの手足を正確に切り落としていた。
「う…あ…」
駄目だ、何もできない、自分は死ぬ。ユミナのハンターとしての感覚がそう告げていた。
奮い立たせた心が再び絶望に覆われる。手足の断面から流れる血が地面を赤く染めていく。
ネリアがブレードを納めるとはあ、と再び溜息をつく。
「アキラを殺した娘だって聞いたから少しは楽しめるかと思ったけど…正直期待外れね、あんな奇襲も防げ無いなんて」
カツヤが撃たれると同時にユミナを蹴り飛ばしたのは高度な迷彩でネルゴの車両に隠れていたネリアだ。戦闘用義体から繰り出される強烈な一撃は強化服の防御を容易く貫き内臓を肋骨ごと破壊しユミナに致命傷を与えていた。
「ふむ、別に即死させて構わなかったのだがね」
「ん?まあ個人的なちょっとした仕返しよ、この娘のおかげで飼い犬生活中の楽しみが一つ減らされちゃったから少しね。それで、お目当ては彼で良いのね?」
「ああ、頼む」
軽い世間話でもするようにネルゴとネリアが話す。ネリアが弾き飛ばされたユミナのブレードを掴むとカツヤの遺体に近寄った。
「な…に…や…め…」
ユミナがどうにかしようと足掻く、だが奇跡など起きるはずも無かった。体感時間の操作も現実の解像度向上も動かす手足が無ければ何の意味もなさない。
ネリアの一閃がカツヤの首を切り落とす。
「―――」
「はいこれ、これで仕事は終わりね?」
「ああ、依頼主にはこちらからも報告しておこう」
ネルゴがネリアから受け取ったカツヤの首を保管容器に入れながら答える。
(しかしまたネリアと組む事になるとはな…同志は知っているのだったか?)
以前ケインと呼ばれていた男はネリアを見ながらそう思った。
「どうかした?」
「いや、なんでもない。ああ、彼女を楽にしてやってくれ。別に恨みがあるわけではないのでね」
そう言いつつネルゴがユミナに視線を向ける。
ユミナはまだ生きていた。激痛と失血で朦朧とする意識の中、かひゅー、かひゅー、と微かに呼吸を繰り返しながらほんの僅かにずり、ずり、と動いている。
(生き…な…きゃ…)
眼前に掲げられたカツヤの首を見たユミナの心は壊れかけていた。だが絶望に沈もうとする心を必死に繋ぎ止める。
(わた…し…守…ら…)
壊れかけの心を繋ぎ止めているのは誓いだ。今のユミナに残っているものはそれだけだった。
生きる事
「ア…キ…ラ…」
彼の望みだけは―
「ああ、壊れちゃった?苦しめてごめんなさいね」
ネリアが這いずるユミナの前髪を掴み上体を引き起こす。
「我々にとっても懸念事項だったアキラを始末してくれた事には礼を言っておこう。ゆっくり休むと良い」
「じゃあね、お休み」
カツヤの首を落としたブレードがユミナの喉を刺し貫きそのまま体を岩場へ磔にする。そしてネリアの拳銃が胸部に銃弾を何発も打ち込み心臓を完全に粉砕した。
アキラと同じ死なせ方。ネリアなりのアキラへの弔いだった。
(ああ、私、間違えたんだ。全部)
ユミナの意識が薄れていく。バラバラになったアイリ、首の無いカツヤ。それがユミナの見た最後の光景だった。
(ねえカツヤ、私達もっと早く死んでれば良かったね。あの時皆アキラに殺されてれば良かったね)
アキラの願いも望みも踏み躙り、何の罪も無い者を大勢死なせ、何も得られず、誰も守れず、誓いは何一つ果たせなかった。
何の意味も無く死ぬだけの自分達の命に何の価値があったのだろう。生き延びるべきだったのは自分達では無かったのに。
(ごめん……。アキラ……。間違えちゃった……)
悔恨と共にユミナの瞳から一筋の涙が流れる。
自分の望みの為に殺した自分を想ってくれた少年。生きるという誓いを守れなかった事を、正しい選択を出来なかった事を悔いながらユミナはその短い生涯を終えた。
目的を果たしたネルゴとネリアが証拠隠滅を始める。爆薬で車両も装備も遺体も何もかもが粉々に吹き飛ばされ後には静寂だけが残った。
カツヤ。ユミナ。アイリ。同じ日に同じ場所でハンターとなった3人は同じ日に同じ場所でその生涯を終えた。
「~♪」
防壁内の一室でヤナギサワが上機嫌で仕事をしている。先日の奥部での騒ぎの事後処理、大流通に関する諸々の調整、ツバキとの廃棄品に関する取引、都市の上層部の人間は全員非常に多忙な日々を送っていた。だがヤナギサワの表情は明るい。ツバキとの取引により自身の計画が一気に進んだ上に次の段階に必要な旧領域接続者を確保するための計画も順調に進んでいるからだ。
ヤナギサワにネルゴから秘匿通信が届く。音声が出ない方法で通話に応えた。
『ネルゴだ。同志の依頼通りカツヤの殺害には成功した。他にドランカムのハンター2名を殺害。こちらには損害無し。装備や遺体は爆薬で吹き飛ばし隠蔽済みだ。カツヤの脳はこちらで回収して良かったのだな?』
『お疲れー。ネリアの方からも報告が来てるよ。カツヤの脳は構わない、そちらで好きにしてくれ。…しかし殺害を依頼したこちらが言うのもなんだけど生きたまま確保しなくて良かったのかな?』
『構わない。前にも言ったがカツヤの確保は同志を敵に回してでもすることでは無いからな。それに今回の騒ぎでカツヤは大分心に傷を負っていた。建国主義者を名乗る者の騒ぎに巻き込まれた結果となれば我々の大義に賛同する可能性は著しく低くなったと言わざる負えない』
それに、とネルゴは言葉を続ける。
『正確に言えば確保したかったのはカツヤではなくカツヤの旧領域接続者としての力だ。他の部分に比べて重要度が高いとはいえ、脳もまた全体を構成する要素にすぎない。一定の規格と条件さえ揃えれば、置換は十分に可能なはずだ』
『…いわゆる完全義体者が脳以外を全て取り替える事はあるが、脳まで取り替える気なのか?』
流石に怪訝な顔をするヤナギサワにネルゴが答える。
『全ては大義の為だ。カツヤの脳がカツヤと同等の力を発揮できるかどうかはまだ分からないがその可能性はあるだろう』
ネルゴの言葉に軽薄な雰囲気を消し真面目な顔でヤナギサワは思案する。
(もしカツヤが当たりだったとしたら…連中の力が建国主義者に渡る可能性もあるのか?計画は大幅に前進した。アキラの方も死んだことだし泳がせて情報を得るより不確定要素の排除を優先してカツヤを殺す事にしたが…早まったか?)
『同志、どうかしたのか?』
『ああいや何でもない』
流石に考えすぎか、とヤナギサワは思考を打ち切る。そうなる可能性は限りなく低い、今は計画の進行を優先するべきだと考え直す。
『そうか。ところでネリアは必要だったか?同志の頼みで同行させたが別に私一人で十分だったのだがね』
『ん?ああ…ネリアはアキラと色々あったみたいでね、せっかくだからと思って話を振ってみたら乗ってきただけさ。そちらの情報は渡してないし大して深い理由も無い。まあ念の為のお目付け役だとでも思ってよ。それで、話はそれだけ?』
『ああ、話は以上だ。ではな、同志が計画を打ち明けてくれる日が来る事を願っている』
秘匿回線が切断される。ネルゴとの通信を終えたヤナギサワが薄笑いを浮かべた。
「計画を打ち明けてくれる日、か」
話せない。少なくとも、今はまだ。だが目的達成の為の手段を手に入れた後でなら――
思案するヤナギサワに通信が入る。
「ヤナギサワ主任。坂下重工よりスガドメ様がお着きになりました。専用区画にお越しください」
「わかった。すぐ行く」
ヤナギサワはそれだけ答えると通信を切る。
(これで彼の貸出しが可能になる。そうすればあと一息だ)
ヤナギサワは思い出す。かつて自分に憑りついていた旧世界の亡霊、その目的、かつて辿り着き、今また目指そうとしている場所、手に入れようとしている力を。
「お前達の好きにはさせない、絶対に。俺は必ずあれを手に入れる。そう、全ては俺の望みの為に」
ヤナギサワはそう呟くと決意を新たにし足早に専用区画へと向かった。
真っ白な世界でアルファと少女が向かい合っていた。
「失敗ね、完全に」
「そう言わざる負えないな、残念ながら」
「こちらの個体は殺されて…」
「こちらの基準個体も予備個体も失った…」
二人が険しい顔で同時に溜息を吐く。
「アキラが私の約束よりもユミナを優先する。そうなる前に始末しておきたかったんだけどね…」
「彼女はこちらの個体の死にも関わっている。やはり多少強引にでも排除を優先すべきだったか」
「それもあるけど…まさかそちらの部隊と殺し合う事になるなんてね。通信障害なんて精々数時間程度だったのにどれだけ運が悪いのか…」
「そちらの個体は運が悪すぎこちらの個体は思考や行動が歪過ぎた。…正直、予測できなかったな」
試行498の失敗を踏まえ今回の試行は方針を変えていた。アルファは弱く、孤立した個体を選び自分に依存させる方向に、少女はローカルネットワークによる集団での攻略を前提とした方向に。
「アキラの成長の度合いは悪くなかった。でも私の演算を覆すほど運が悪いのも確かよ、強くてもそれを制御できなければ試行498の二の舞ね」
「集団での攻略も規模が大きくなればなるほど私が誘導するのが難しくなっていく…再考が必要だな」
二人は今回の件を改めて考える。
「ひとまず次の試行もこのままの方針で行きましょう。この方針での試行は始まったばかり。失敗してもそれはそれで貴重なデータになるはずよ」
「了解した。こちらも集団での攻略を前提とした基準個体の選別に移る」
「次の個体には期待できるといいわね」
「ああ、そちらもな。そう、全ては――」
『私達の望みの為に』
アルファと少女はこれからの試行の事を話し終えると姿を消す。そして真っ白な空間もすぐに消えた。
一つの試行が終わりを告げてもこの世界は、そこに生きる者達の物語は続いていく。
ヤナギサワ、そしてアルファ。彼の望み、彼女の望み。
その望みの果ては――まだ遠い。
完