凌辱エロゲ世界でハッピーエンドと復讐を同時に遂げる方法   作:けっぺん

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灰の岩室

 

 

 ――空気の味が、また変わった。

 己が照らす暗がりの中で、俺は山の異変を感じ取っていた。

 

 ピリピリと、針でつつかれるような刺激だった。

 揺らめく全身がくすぐったい。確実な、しかしまだ勢いの弱い、変革の風だ。

 かつてこの山のすべてを変えた狂飆(かぜ)とは大違い。無視しても良いくらいのそよ風に過ぎない。これでは、過敏なミツカイでさえ気付き得まい。

 

 それでも、この風は今までとは違う。

 俺が思考すべき風は、これまでに三度吹いた。

 一度目――俺たちを不要とされた主の羽ばたきが起こした、闇夜と冷気を伴う失望の風。

 二度目――取り残された同胞たちを導くことを決意した一人のミツカイの、弱々しくも誇り高い剛毅の風。

 三度目――山を力でもって支配して、ミツカイたちを再度貶めた、強大にして言語道断なる無法の風。

 いずれの風も、良くも悪くもこの山を変えた。

 それらと同じく、俺が感じた風だ。このそよ風は何かを運んでくる。前の風の変革を変え得る、新たなる変革に値する何かを。

 

 予兆はあった。

 少し前、あの女がまた来ていた。らしくもなく絶望し、より焦った様子のあの女が。

 渡してきた、真円の中に小さな欠片のくっついた首飾りはこの風に関わるものなのだろう。

 

 ――燃え上がる全身が、鮮烈な風に揺れた。

 何かが近付いてくる。あの女ではない。複数の、外の民が混じった小さな集団だ。

 ……臭うな。この山の頂にかつてあったものとは違う冥界の香。

 確信する。この風は、吉兆ではなく凶兆だ。このそよ風は、山の良き未来を願うならば、止めるべきものだ。

 

 揺らめく体の、目蓋を開く。

 此度の変革は、この目をもって、この焚火(おれ)が見届けなければ。

 あの女の、或いは最後の選択だ。この山がこの山として在る限りの、恐らく最後の変革だ。

 であれば、目を閉じず、体を温め、己の足で立たなければ。それが、賢者を気取り続けた愚者の、当然の責任だろうから

 

 

 


 

 

 

 クーファと戦い、ジルと出会って三日後、僕たちは山の中腹に不自然にぽっかりと開いた洞穴の前に辿り着いた。

 途中、トラブルがなかったかといえば、そうでもない。

 開けていない森の中を歩いていても、凶暴な魔族というのは襲ってくる。

 体の大きいドラゴンなどの魔族がいないからこそ、森は中型の獣たちが多く生息しているらしい。

 加えて、あちこちから感じられる、こちらを監視するミツカイたちの気配。

 イリスティーラが“格上”の証明をしているからか、交戦こそはないものの、やはり四方八方から敵意を向けられるのは気持ちのいいものではない。

 ただ――違和感を持ったのは、その敵意が僕たちだけでなく、ジルにもまた向けられていたこと。

 自身もまたミツカイの一人であることを言外に肯定していた彼女は、どうやら同族からは疎まれる立場にあるらしい。

 本人は、そのことを気にしていないようだが――。

 

「ここ」

「――“日輪”の割に、えらく陰気なところにいるものだね」

 

 これまでの道中には見当たらなかったとはいえ、なんの変哲もない洞穴。

 風の試練で乗り越える必要のある、“日輪”はこの中にいるらしい。

 ジルの言葉が正しいとなると、そのミツカイは常にこの洞穴の中にいる。

 何らかの事情があるのだろう。だが、特別な誰かがいることが一目で分かるような装飾の一つもない、あまりに殺風景な様子には、イリスティーラと同じ感想を抱かざるを得ない。

 

「山のてっぺんまで行くのかな、くらいの覚悟だったんですけど。……中に誰かいるのは、なんとなく分かりますね」

 

 その洞穴の奥から漂ってくる煙は、中で火が起きていることの証左だ。

 自然に火がつく筈もない。何者かが奥で焚いているのだろう。

 

「すぐに戦闘になる可能性は?」

「“雷”がいなければ低い」

 

 ジルに問いを投げれば、端的に返ってくる。

 ……少なくとも、“日輪”は山の外の人間に対しても、敵意は持っていないということだろうか。

 特段、殺気も感じられない。僕たちの存在に、気付いていないとも思えないが。

 

「クイール、剣を抜いておきたまえ。キミらも、すぐに戦闘に移行出来る準備はしておくように」

 

 僕たちに注意を促しつつ、イリスティーラは先頭を切って洞穴の中に入っていく。

 ――入り口で止まっていても話は進まない。どうあれ僕たちは、この中にいる誰かに会わなければ。

 

「……リッカ」

「……ん」

 

 魔法の準備を整えたリッカの手を引いて、その洞穴の中に入っていく。

 感じ取れるのは、岩肌にこびり付いた独特の魔力。

 漂ってくる煙そのものからも感じるそれは、これまで触れたことのあるどんなものとも違っていた。

 強いていうならば……それはバルハラに近い色。

 ヨハンナ曰く、ムルゼ霊山はかつて、バルハラと同等の上位存在が領地と定めた山。

 既にその存在はこの山にはいないという。であればこの魔力は、その存在の名残なのだろうか。

 

 洞穴はそう深くはなかった。

 クイールが聖剣から放つ剣光を頼りに歩くこと五分あまり。

 辿り着いた、なんてことのない行き止まりには、人影はない。

 

「これって……」

「ここにいる、という言葉が正しいなら、“日輪”なんだろうね」

 

 あったのは、外まで煙を送っていたのだろう、地面に張り付いて揺れている焚火だけ。

 木片がくべてある訳でもない。燃やすものもないのに燃え続けているその火が異質であることはすぐに分かる。

 それ以外に、この洞穴には何もない。

 そして、確かにこちらに向けられている意思は、紛れもなくこの火から。

 

「――へえ。見えざる手に気付いているのか、おまえ。外の民ってのにも、また奇妙なのがいやがる」

「っ!?」

「信頼をもって上辺を引き剥がす無法。よくそんなのが、群れを作っていられるものだ。それほど外の民は鈍いのか、或いは寛容なのか。どのみち、外れ者を受け入れる文化の広さには恐れ入る。今やグローバル、個性万歳の時代か」

 

 まだ若さの残る、しかし不気味なほど瑞々しさの感じられない男の声もまた、揺れる火から聞こえた。

 間違いない。

 この火は、ただの火ではない。魔法で起こされたものでもない。確かな、一つの生命だ。

 

「これほどまでに変わった外の民がこの山を訪れた。感じた風は、外の変革でもあったか。侵略者とは謗るまいよ。それは本来、俺たちも乗るべき風だった」

「……ひとりごちるのも結構だが。姿を見せてくれないか? この火の中にいるのか、火が本体なのかは知らないが。私たちには火と対話する文化がない」

 

 揺れる火に警戒しつつもイリスティーラがそう言えば、からりと乾いた笑いが零れる。

 

「そりゃあそうだろうよ。よっぽど追い込まれた奴でもなけりゃあ、焚火となんざ話さねえ。おまえたちにはまだ希望がある。希望に満ちた若人……若人? ――まあいい、若人は、ちゃんとした形を持った者と話すものだ」

 

 ぬるりと、火の中から手が伸びてきた。

 思わずリッカと共に火から距離を取ったが、手は地面を掴むだけで、それ以上僕たちに近付いてはこない。

 ――妙に生々しい、ゆったりとした動きで、その存在は火から這い出てくる。

 その動きたるや、ネシュアで嫌というほど見た死者たちの如く。

 しかし、かれらとは違って、その存在は生命力にあふれていた。

 活気はなく、水気もなく、疲れ切った老人のように鬱屈とした雰囲気を有しながらも、生命力だけは赤子のようなキラキラとしたものを抱えた、生きるための消耗の分配を間違えた男。

 

「っ、ぁあ……どれくらいぶりだ? ちゃんと形になるの……。重てえし、節々が凝ってて痛いったらねえ」

「……」

「うぉ、バキバキ言いやがる……えっと、立ち方、立ち方……」

 

 うつ伏せのまま、体をバキバキと鳴らしつつ蠢いていた彼は、暫くしてようやく思い出したかのように体をゆっくりと起こし、ふらふらと立ち上がる。

 そして自身の名残であるような火の中から首飾りを引っ張り出す。

 風の試練に関わるものであるという証――それを男は雑に腕に巻きつけた。

 

「これでいいか? 形を持ったのはいつ以来か分からねえから、ちゃんと出来ているか不安なんだが」

「その割にちっとも不安そうじゃないね。……少なくとも、見た目はちゃんとミツカイだよ」

「ならよかった。さて……ムルゼへようこそ、外の民」

 

 下半身をぼさぼさとした真紅の布で覆い、長い白髪を後ろで雑に束ねた、細長い目をしたミツカイの男だ。

 他のミツカイと同じように、その状態で大きな力を感じる訳ではない。

 だが、彼が持つ属性は普通のそれではない。

 壁にこびり付いたものの大元――今まで触れてきたものとは違う冥界の魔力だ。

 

「なんとまあ愉快な一行、一人としてまともな奴を抱えないお前たちは、何をしにここに来た? まさか外の民が俺に知恵を求めに来たのでもなし」

「何をしにって……何も聞いていないのかい? その首飾りを持ってるミツカイには、話が及んでいると思ったが」

「ああ、これなあ――俺は聞いてねえよ。預かっているだけだ」

 

 クーファのように、僕たちと敵対するという意思は感じられない。

 どこか、そうした感情とは隔絶したような、老成した人格が彼にはあった。

 

「……僕たちは、その首飾りを持つミツカイと戦わないといけない。当然、キミともだ」

「あの風はそういう理由か。なるほど、お前らは俺に挑みに来たってわけだ。それで、クギミゴ。お前は案内を任命されたと」

「――」

 

 クギミゴ――そう呼ばれたジルが、顔を顰めた。

 確か、かれらミツカイにおける差別用語だったか。

 その言葉の意味するところは不明だが、少なくともジルにとっても不快に感じるものであるらしい。

 

「となると、あの女……俺を舞台に上げたってことか。そういうスタンスは取らねえって、散々言っていたんだが。――外の民、お前たちの目的を詳しく聞かせろ。何を欲して山を脅かしたのか」

「……」

 

 どうやら、彼は本当に、何も聞かされていない。

 あの首飾りの意味も知らなければ、僕たちと戦う理由も彼にはない。

 山を守るミツカイにあって、独特な立ち位置を持つ存在であることは窺えるが……。

 

 ……このまま、なんの説明もなく戦うのは憚られた。

 勇者としての使命を、そして風の試練について説明することを決めたのは、彼にこちらを裁定するような空気があったからだ。

 

 ――三つの試練を終えて、この山で行われる最後の試練のためにやってきた。

 

 ――ご苦労なことだ。ああ、分かるぜ。只ならぬ道だったってことは。

 

 彼の不審は、僕たちが外の民であるからではない。僕たちの目的に、理解が及んでいないから。

 彼の天秤の如き雰囲気を曖昧に掴んだゆえの決定は、一から説明し彼が理解を示していくにつれ、確信に変わった。

 

 ――首飾りを持つ者と戦い、この真円を埋める。それが風の試練なんだ。

 

 ――で、俺のところに来たってわけか。多少埋まってるってことは、今のところ順調ってことだな。

 

 相槌を打つ中で、彼の敵意が膨れ上がるなどということはない。

 ただただ平ら――いや、彼の心がどのように揺れ動いたか、僕では掴み切れないというだけか。

 分かるのは、こちらに関心を示してくれていることだけ。

 それ以上を知るには、僕の側が彼を知らなさ過ぎるのだろう。

 

「……このくらいかな。僕たちは止まれない。だから、キミとも戦わないといけないんだ」

「なるほど。千年を超えて、魔族の戯れが儀式に変わりつつある。お前たちの世界の変革……間違いない。それはこの山を壊す風であり、同時に……」

 

 ――やがて一通りを話し終えると、男は僅かに黙考した。

 躊躇い。選択を行うということに対する、小さな迷い。

 ほんの数秒だった。己の迷いを下らないと一蹴して、男は笑い。

 

「――祝福すべき風でもある。ほら、くれてやるよ」

「え……」

 

 大切な筈の首飾りを、雑に投げ渡してくる。

 それは思わず手に取ると同時に、僕たちが持つ首飾りへと引き寄せられ、溶けあうように消えていく。

 消えた彼の首飾りの痕跡は、真円の内。新たに填まった二つ目の欠片だけだった。


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