ほらいぞん 仮   作:ろいやるみるくてぃー

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第一章 境界線前の闖入者

      ●

 

 音が響いた。

 音は、歌声だった。

 ゆっくりとした声の響きは、奥多摩の艦首側、表層部の墓地から童謡の歌詞を奏でる。

 

「――通りませ――」

 

 歌が大気を通っていく。

 やがて最後の旋律が消えると、その代わりに、新しく響く音があった。船行く波音の他に響くのは、連続する鐘の音だ。

 一つ二つ三つと鳴り、音楽のように続く時報の鐘の音には、放送の声が被っていく。

《市民の皆様、準バハムート級航空都市艦・武蔵が、武蔵アリアダスト教導院の鐘で朝八時半をお知らせ致します。本艦は現在、サガルマータ回廊を抜けて南西へ航行、午後に主港である極東代表国・三河へと入港致します。生活地域上空では情報遮断ステルス航行に入りますので、御協力お願い致します。――以上》

 音と音が響くのは中央後艦奥多摩の上。その上にある建物が音の発生源だ。

 木造の、横に長い三階建ては前後に二棟。チャイムを鳴らす二つの建物は、入り口の門扉に鉄の表札を持つ。“武蔵アリアダスト教導院”という表札を。

 武蔵アリアダスト教導院は、門と校舎の間に、校庭と、その上を渡る一本の橋を持っていた。

 校庭は斜めに百メートルラインをぎりぎり持てる広さ。上を渡る橋は、門側から階段を使って上り、前側校舎の二階にある昇降口に直結する。

 そして時報のチャイムが終了し、代わりというように橋の上から女の声が生まれた。

「よぅ――し」

 よく通る声が、校舎に側に向かって飛ぶ。

「三年梅組集合――。いい?」

 声の響く武蔵アリアダスト教導院の正面、橋の上、そこに人影が幾つもある。

 まず門側には一人の女が立っていた。黒い軽装甲型ジャージの、背筋の伸びた女だ。

 短めの髪の後ろ、背には一本の線がある。白塗りの、金属を柄とした長剣だ。

 彼女が見る正面。校舎側。そこに、黒と白の制服を着た若者達がいる。人であれば、人でない者もいる。そんな彼らに対して、女は笑みを作ってこう言った。

「では、――これより体育の授業を始めまーす」

 

      ●

 

 教師は、橋の上に集まった生徒達にこう言った。畏まった演技の口調で、

「さて、ルールは簡単です」

 と彼女は言った。そして顎をしゃくって、艦群の先を示す。

「いい? ――先生、これから品川の先にあるヤクザの事務所まで、ちょっとヤクザ殴りに全速力で走って行くから、全員ついてくるように。そっから先は実技ね」

 教師の言葉に、制服姿の群、生徒達の中から、え? という声があがった。

 だが女教師はそれらの声を無視した笑顔を作る。

「遅れたら早朝の教室掃除でもしてもらおっかな。――ハイ返事は? Jud.?」

「――Jud.」

 返答、了解の意を示す言葉を、皆が返した。

 同時に手が上がる。“会計 シロジロ・ベルトーニ”という腕章をつけた長身の男子が、

「教師オリオトライ、――体育と品川のヤクザとどのような関係が。金ですか?」

「馬鹿ねえシロジロ、体育とは運動することよ? そして、殴ると運動になるのよね。そんな単純なこと、――知らなかったとしたら問題だわ」

 名を呼ばれた生徒の袖を、横の女子制服の姿が引っ張る。“会計補佐 ハイディ・オーゲザヴァラー”という名札のロングヘアは、笑顔のままで、

「ほらシロ君、オリオトライ先生、最近表層の一軒家が割り当てられて野放図に喜んでたら地上げに遭って最下層行きになってビール飲んで暴れて壁割って教員課にマジ叱られたから。――つまり中盤以降は全部己のせいなんだけど初心を忘れず報復だと思うのよね」

「報復じゃないわよー。先生、ただ単に腹が立ったんで仕返すだけだから」

「同じだよ!!」

 皆が突っ込むが、オリオトライは気にする風もない。

 そして彼女は背の長剣を鞘ごと手にして脇に抱えた。鞘の表面、ブランド名であるIZUMOのエンブレムを撫で、IZUMO特有の斬撃重視でわずかに折れ曲がったデザインの柄に指を添える。そして彼女はこう言った。

「休んでるの、誰かいる? 車椅子のミリアム・ポークウは仕方ないとして、あと、東は今日の昼にようやく戻ってくるって話だけど、他は――」

 問いに周囲がそれぞれの顔を見渡した。

 すると黒い三角帽の少女、“第三特務 マルゴット・ナイト”という腕章の金髪少女が口を開く。彼女は背にある金の六枚翼を左右に揺らしつつ、

「ナイちゃんが見る限り、セージュンとソーチョーとシキティーがいないかなあ」

 その声に、彼女の腕を抱いている黒翼の少女“第四特務 マルガ・ナルゼ”が首を傾げた。

「正純は小等部の講師をしに多摩の小等部に言っているし、午後から酒井学長を三河に送りに行くから、今日は自由欠席の筈。総長のトーリと、式は知らないわ」

「んー、じゃあ、“不可能男(インポッシブル)”のトーリについて知ってる人いる?」

 問いかけに、皆が一つの場所を見た。皆の中心から少し後ろに下がったところ。そこに立つ茶色いウェーブヘアの少女だ。彼女は腕を組み、口に弓の形を作ると、

「フフ、皆、うちの愚弟のトーリのことがそんなに聞きたい? 聞きたいわよね? だって武蔵の総長兼生徒会長だものね。フフ。――でも教えないわ!」

 ええっ? と皆が疑問の声を作る。すると対すると少女は意味ありげに一つ頷き、

「だって朝の七時半に起きたときにはまだ寝てたし、それからは式に構ってたから」

「朝からお熱いな!」

「フフフ大丈夫、メイクはしてたし、このベルフローレ・葵、朝から余裕を見せつけてるだけよ。しかしあの愚弟、人の朝食作らずに呑気に寝てるとは、死後の審判で審判員(アンパイア)にフォアボール判定食らって地獄に堕ちるといいわ! 何しろそろそろ末世で世が終わるしね!」

「あのー、喜美ちゃん?」

 ナイトの呼びかけに、喜美は振り向いた。彼女は眉を浅く立てた顔で、

「マルゴット、・・・・その名は無しよ? これ食事中の式にも言ってドン引きさせて食欲無くさせたんだけど、葵・喜美なんて、まるで“青い黄身”みたいでどんな餌食って尻から出したか解らないような名前かって話よ。だからベルフローレって呼ぶの、いい?」

「シキティーが本当にお気の毒なのはともかく、・・・・ナイちゃん思うんだけど、三日前はジョゼフィーヌじゃなかったかな?」

「あれは三件隣の中村さんが飼い犬に同じ名前をつけたから無しよ! あの女、老後の楽しみにあんな毛が長くて柔らかそうな獣を幼女の段階から首輪つけて全裸で調教しようとは可愛らしくていい趣味だわ! 悔しいから今度抱かせて貰うのよ!? ねえ、これって負け犬!? それとも浮気!?」

 どーだろーね、と襟首掴まれてがくがく揺らされているナイトが視線を逸らして言っている間に、

「はいはい、浮気かどうかは後で確認取っときなさいねー。えーと、――じゃあ、その式は?」

 オリオトライの問いに、再度皆が喜美を見る。喜美はナイトを揺すっていた手を止め、

「フフフ、それなら答えてあげてもいいわ! 式なら酒井学長について三河観光のため朝からサボりよ! ・・・・ていうか先生、通神文(メール)届いてないの? 送ってた筈だけど」

「え? ・・・・あ、本当だ」

 表示枠を開いて通神文を確認したオリオトライは、そこでん? と首を傾げた。

「・・・・喜美、これ、酒井学長の同伴としての正式な三河行きだから、サボりじゃねえって書いてあるんだけど・・・・、どっちが正しいのかしら」

「フフフ先生、今真面目に授業に出てる生徒の言葉より真偽の解らないサボリ常習犯の通神文を信じるの?」

 オリオトライが通神文を削除した。

「何言ってんの、先生が生徒の生の言葉を信じないでどうすんの。ええと、式は悪質なサボリ、と。――武蔵野表層部で居住区からも離れた静かな場所で気ままな一人暮らし満喫している奴には丁度良い処置よね」

「それ八つ当たりだろ!」

 皆が叫ぶが、オリオトライは無視してジャージの懐から出した出席簿に黙々とチェックをつけていく。

「式はどうでもいいけど、――じゃ、トーリは遅刻、かな? 生徒会長で総長なのにコレはいかんねー」

 彼女の台詞に、皆が力ない笑いを作った。ま、まあ、という声も聞こえる。

 そして対するオリオトライも、そんな皆に対して苦笑を返す。

「まあ、ね。武蔵の総長はあんましっかりしてるとヤバイしね。・・・・訳ありだから」

 彼女は、ちょっと辺りを窺うように視線を配ってから、口を開く。

「面倒よね。眼下にある神州は私達の領土だったのに、それが今や各国に暫定支配されて人々は極東居留地に追い込まれ、――神州の直轄領土が、この武蔵だけになってるなんて」

 

      ●

 

 オリオトライは、空を見上げながらゆっくりとこう言った。

「・・・・現在、この神州は、約百六十年前の“重奏世界崩壊”によって重奏世界から落ちてきたもう一つの神州と虫食い状態で合体。“重奏統合争乱”の後、世界各国に事実上の占領をされて、神州ていう名を“極東”という名に帰られまでしてる」

 空、幾つもの柱状空間に区分けされた雲の流れを見るオリオトライの視界の中、皆が身をわずかに堅くした。

 だが、オリオトライは言葉を続ける。

「当時、軍事制圧、政治支配をしないという条約上、世界各国は聖譜連盟を立て、政府と軍事機関の代理として教導院という訓練施設をもって乗り込んできたわ。だから現在、主要各国は聖連の名の下、教導院を政軍の最高機関として極東を分割的に暫定支配。支配下の君主達を利用者しながら、本来の領土戦争を教導院間の学生抗争として行ってるのよね」

 そして、

「この武蔵は、地上の暫定支配された土地や各国の用意した極東居留民とは別で、聖連が唯一認めた極東の領土だけど、やはり聖連の監督を受けている、と。何しろ極東の教導院の総長と生徒会長には――」

 言った。

「・・・・教導院の中で、最も能力の低く、何も能がない者が選出される。トーリのような、ね。そしてトーリには“不可能男”なんて字名(アーバンネーム)を与えまでして」

「でも、そんなことをする理由としては、“それが極東が平和であるという事実を証明するものである”だよね?」

 と言葉を投げかけてきたのは、眼鏡を掛けた少年だった。“書記 ネシンバラ・トゥーサン”という腕章の彼は、宙に表示していた鳥居型の表示枠を閉じて、

「もう、百六十年昔からそうだもんね。その間、極東は、ミスを口実に各国から狙われるのを避けるため、ずっと頭下げたり協力したり金払ったりで、この武蔵は極東の中心になろうにも移動ばっかりの権力骨抜きでどうしようもない。

 何しろ各国の学生は上限年齢が無制限なのに、極東の学生は十八歳で卒業だし、――それを越えたら政治も軍事もできないんだから」

「極東ではよく言うわよね、――学生は特権階級だ、って」

「聖連所属国の物言いだと、学生じゃないものは人にあらず、ですよね」

 ネシンバラの言葉に、皆の中から、おい、という声が幾つか生まれる。中でも一人、“御広敷・銀二”という名札をつけた丸い体型の少年が袋菓子を口にしつつ、

「小生、あまりそういうこと言ってると危険ではないかと――」

「大丈夫だよ」

 ネシンバラが言う。

「船の周囲には聖連の武神が飛行して監視中だけど、僕達の声をいちいち拾ってる暇はないだろうし、もうすぐに極東の支配者で武蔵の持ち主である松平・元信公の三河圏内だからね。三河は聖連の監視下にあるけど、聖連を半脱退して敵対中のP.A.Odaと同盟しているから、その付近で聖連は迂闊に動けない。――気にすることはないよ」

「へえ、大人ぶって。この前式が、各艦の連結縄で“今年一番の波が来たぜ”ごっこ(空中版)やって武神をマジギレさせたせいで警戒網が強くなってるってのに?」

 生徒達が慌てて空を見上げる。オリオトライは満足げに頷き、

「嘘よ」

「心臓に悪いわ!」

 皆の突っ込みを笑顔で流しながら、

「でも、遊んでたのは本当よ? あの子、意外に器用なのよねー。武神に見つからないようにやってたから叩き落とそうとしたら反抗するんだもの」

「ここに生徒殺そうとした教師がいるぞ――!!」

 一歩後退りをしつつ突っ込みを忘れない皆を見て、オリオトライが「別にいいじゃない」とわざとらしく唇を尖らせる。

 可愛くねえよ・・・・、という声がする方に長剣を向けながら、

「でも今回、三河には監視の三征西班牙だけじゃなく、K.P.A.Italiaの教皇総長が三河製の個人用大規模破壊武装である大罪武装の新型を無心しに来るって話よ。ちょっと気にしておきなさい。――ちょっとでいいけど」

 と、口端に笑みを持って言う。対するネシンバラが大仰に両手を広げて一礼し、皆は一息だ。

 でもまあ、とオリオトライは小さく呟いた。彼女は笑み付きで首を傾げて、

「そんな感じに面倒で押さえ込まれたこの国だけど、君らこれからどうしたいか解ってる?」

 問いかけに、皆が無言を保った。

 その沈黙が、答えを持っているからなのか、持っていないからなのか、オリオトライはここでは問わない。

 ・・・・でももう、皆三年生だものね。

 来年の今頃には、問いかけの答えの場所にいる筈だが、しかし、

「今、世間は騒がしいわよね。予言の歴史書である聖譜が更新されなくなって、原因不明で解決不能。そして今年1648年が記述の最後の年だから、――今年こそが、最後の記述内容である“ヴェストファーレン会議”を経て世界が終わる末世かもしれないって言われてる。

 確かに地脈も乱れて各所で怪異が多発してるの、皆も知ってるわよね。M.H.R.R.の“笛吹男の神隠し”とか上越露西亜の“空白の大地”とか」

 言葉に、戦闘可能な家系や術式系の生徒が表情を硬くする。彼らは地脈の乱れで発生した妖物を祓うために駆り出されることもあり、怪異の情報には詳しい。

 皆はいつも通りの日常を過ごしているが、ときたま、彼らを起点に疑問が飛ぶ。

 それは、

「もし今年で世界が終わるとしたら、進路とか、どうなるんだろう、ってね」

 でも、とオリオトライは言った。鞘の根本、柄との固定パーツを止め直しながら、

「ま、面倒だけど、点数とっときゃいいトコ行けるかもしんない、って事実は有るのよ。世界がどうなるかはいずれ解るだろうし、それまでテキトーにやることやっときなさい」

「・・・・先生もそんな感じだったの? 抑え込まれて面倒だけど、テキトーにやっとけ、って」

 ナルゼの首を傾げた問いにオリオトライは空を見た。そして、

「そうねえ」

 まあ、とオリオトライは小さく笑った。ややあってから、

「自分では、死ぬような思いした、って思ってるかな。かなり前のことだけど」

 と視線を皆に戻して、オリオトライは笑みを少し大きくする。

 ・・・・まあ、いずれこの子達にも、そこら辺の苦労がいろいろと解るときが来るかな。思い、頷いた上で、さあ、と女教師はわずかに身を低くした。

 そして彼女は、今の動きに瞬間的な反応をした者達を見ると、

「いいねえ、戦闘系技能を持ってるなら、今ので“来”ないとね。だから――、ちょっと、死んだ気でついてきなさい。ルールは簡単、事務所にたどり着くまでに先生に攻撃を当てることが出来たら――」

 告げる。

「出席点を五点プラス。意味解る? ――五回サボれるの」

 最後の言葉に、皆が表情を変えた。五回という言葉に、皆はひそひそと、

「つまり朝の一限を五回サボれるのか・・・・。だったら――」

 と皆が己の希望を小さく重ねていく中、はい、と手を挙げたのは“第一特務 点蔵・クロスユナイト”という腕章の少年だ。彼は帽子を目深にかぶったまま、横にいる航空系半竜の“第二特務 キヨナリ・ウルキアガ”とともに、

「先生、攻撃を“通す”ではなく“当てる”でいいので御座るな?」

「おうおう戦闘系は細かいわねえ。――でもまあ別にそれでいいわよ?手段も構わないわ」

 その言葉に、ウルキアガが腕を組む。彼は竜眼で点蔵を見下ろし、

「聞いたか? 女教師が何したっていいと申したぞ点蔵。拙僧、想像力しようしていいか?」

「Jud.。しかと聞いた。しかしあの女教師、オゲ殿のさっきの話以外にも、先日酒場で尻触られ“そうになった”とかで居住区画の暴動を一人で起こしたで御座るよ」

「フ、点蔵、現実を前にしても想像力は無敵だ。忍の貴公がそんなことにも気づかぬとはな」

「成程。――では、あの、オリオトライ先生、先生のパーツでどこか触ったり揉んだりしたら減点されるとこあり申すか? または逆にボーナスポイント出るようなとことか」

「あはは、授業始まる前に死にたいのはお前ら二人か」

 半目で言ったオリオトライは舌を出し、

「――んじゃ」

 え? と皆が反応するより早く、オリオトライは跳んだ。

 背後への跳躍だ。橋を下って奥多摩の先端に行く下り階段へと、オリオトライは黒のジャージ姿を寝かすように跳ばす。

 行く先はまず階段の下、艦首側へと第二校庭を抜ける道だ。艦内通気用の大きな吹き抜けによって左右に分かれた自然公園を、右舷側へ抜けていく奥多摩中央通り。

 ・・・・“後悔通り”って言われる右舷中央通りよね。

 十年前、武蔵の大改修があって以来、そう俗称される通りだという。

 そう言われるようになった理由を、オリオトライは知っている。

 右舷中央通りの入り口、右の路肩には一つの石碑があるのだ。

 高さ五十センチほどの、花の飾られた石碑。その表面には一文がある。

 

 ――一六三八年少女ホライゾン・Aの冥福を祈って 武蔵住人一同

 

「ホライゾン、か。きっとあの子達にとって、全ての始まりになる名だわね・・・・」

 呟く間に視界の上側になっていく橋上では、皆が一瞬の反応の遅れを持っている。

 甘い話だ。対艦砲撃があったらその一瞬で死んでいるだろうに。

 そのことに気づいたのか、橋の方から漏れ聞こえる、

「――く」

 という声をオリオトライは聞いた。

 それは、くそ、という言葉の始まりだろう。悔しいのか。だが、それでいい。

 ・・・・出し抜かれたら悔しがらないと。

 思う。今の武蔵の、実働と警備の指揮を行う総長連合と、内務と外務を担う生徒会のメンバーを。

 

〈武蔵アリアダスト教導院:学生代表内訳〉

 

【総長連合】

・総長:葵・トーリ

・副長:不在

・第一特務(諜報):点蔵・クロスユナイト

・第二特務(裁判):キヨナリ・ウルキアガ

・第三特務(実働):マルゴット・ナイト

・第四特務(実働):マルガ・ナルゼ

・第五特務(実働):ネイト・ミトツダイラ

・第六特務(実働):直政

 

【生徒会】

・会長:葵・トーリ

・副会長:本多・正純

・会計:シロジロ・ベルトーニ

・会計補佐:ハイディ・オーゲザヴァラー

・書記:ネシンバラ・トゥーサン

 

 ・・・・不在や欠席多いけど、よくまあこれだけ変なのが揃ったものだわ。

 彼らだけではない。他の皆だって、相当なのばかりだ。

 面白いわね、と思い、笑みを得ると同時に、橋の上から生徒達が飛び出してきた。

「追え!!」

 

      ●

 

 式は、中央前艦・武蔵野表層部で、各艦の人々と共に音を聞いた。

 銃撃、剣戟(ケンゲキ)、そして金属音や破砕の音が、中央後艦・奥多摩から届いてくる。

 その音は移動を続け、危険対処のために監視する各艦の物見からは、

「“後悔通り”を艦首側に行くぞお――!」

 音は、奥多摩の右舷から右舷二番艦・多摩へと向かっていた。

 ゆえに左舷側の表層部住人は一様に胸をなで下ろして午前の業務の準備を行い、右舷三番艦・高尾の表層部住人達は二番艦・多摩の連中に見える全部甲板縁で万歳三唱をした。

 対する右舷二番艦・多摩表層部の住人が、万歳している三番艦の連中に呪いの術式や攻撃術式をマジ掛けしている様子が、式のいる中央前艦・武蔵野からはよく見える。それを面白そうに眺めていると、声がかかった。

「式様、こんな所でどうされましたか? ――以上」

 ん? と振り返ると、いたのは、肩に“武蔵野”と書かれた腕章を腕に巻いた女性型自動人形だった。式は笑顔になって、彼女の名前を呼ぶ。

「“武蔵野”さんじゃねえか。おはよう。武蔵野艦長としての業務か? ・・・・って、あれ、どうした? そんなに怖い顔して。いつもの無表情さに更に磨きがかかってるぞ」

 いつもなら挨拶を返してくれる筈の“武蔵野”は、不動のまま式の言葉を無視する。

「現在、奥多摩の方で生徒の方々がハシャいでおりますが、授業じゃないとすれば暴動ですか? ――以上」

「いや、授業だよ。俺のクラスの」

 悪びれもなく言うと、“武蔵野”は半目で、

「・・・・またサボリですか。――以上」

「け、結論出すの早いな! 流石自動人形! あのな、言っとくけどサボリじゃないからな?これは正当な理由で休んでるんであってな、』

「――あれ? 式じゃないかい。またサボリか?」

 弁解を試みる式に、同じ言葉で男が割り込んできた。

「ちょ・・・・、決めつけんな。つーかあんた、子供に構ってないで自分の店の準備しろよ。店主が開店前からサボんな」

 店主は耳を貸さず、多摩の方へ目を向けた。

「多摩の連中、店閉めたり術式で防護壁張ったり大変だろうなあ」

「聞けよ。つか、他人事だな」

「Jud.、実際他人事だから仕方ないさ。せいぜい、通り道にされんことを祈っとくさ。――なって泣かれたらどうしようもないが」

 声に、更に会話を聞きつけて寄ってきた別の店の店主が応じた。

「俺達も、昔に似たことやって遊んでたよな。――代々続けば名物ってもんよ」

 言って早速、店主同士は“今回はどっちが勝つか”で賭(カケ)を始めた。

「――だけど、あの姉ちゃん先生、体育会系で滅法強い。IZUMOのテスターしとるだろ?」

「Jud.、更に今の総長連合は副長不在、攻撃の要がいないからな」

「おいおい、“武蔵最強”が何言ってんだよ。その穴、お前が埋めれば済む話だろう?」

 店主の言葉に、式は答えずに苦笑いだけ返す。

 それを見て、別の店主が慌てて隣の男の頭を小突いた。

「馬鹿。何でこいつが、実力持ってながら副長やってないか、忘れたわけじゃないだろ」

「あ。――すまん」

 思い出し、すぐに謝罪してくれた店主に、式は笑って首を振った。

「気にすることはねえよ。・・・・“入れない”ってのを除いても、どうせ他の役職が空いてても、俺は入るつもりねーから」

 だから気にするな、と言っても、二人は複雑な顔で黙ったままだ。

 それを一種の気遣いとして受け止め、式は笑ってさり気なく話を戻す。

「そうだ、さっきの賭、どっちにしたんだ?」

「俺は、あの姉ちゃん先生」

「じゃあ、俺はガキ共の方にしてくか」

 後者の言葉に、式はおお、と大袈裟な反応を返した。

「冒険するなあ。うちの先生、智曰わくリアルアマゾネスなんだぜ? 超蛮族パワーでズドン巫女の神道パワーを退けちゃうんだぜ?」

 げっ、と声を上げたのは、梅組に賭けた方だ。

「智ってあの、浅間神社の跡取りさんかい? 確か今年の初めに、浅間さんと修行して上位契約結んだっていう・・・・」

「よく知ってんな。まあ、これで五回目の挑戦だし、他にも色々弓の精度上げたから今度こそは、って嬉々として話してたから、もしかしたらイケるかもな」

「ははは、相変わらずおっかねえ娘さんだ」

 店主が二人して爆笑するのを、式は複雑な思いで眺める。

 ・・・・巫女がおっかねえって・・・・。

 実際そうなのだから世も末だよなあ、と思う。

 そしてその言葉から自然と連想されるのは、

 ・・・・末世、か。

 言葉と共に、思い浮かぶのは一人の顔。

 それを、

 ・・・・いや、俺にはもう関係無いことだ。

 苦い記憶と共に無理矢理打ち消すと、

「式様、どうかなさいましたか? ――以上」

 さっきからずっと直立不動だった“武蔵野”の声に我に返ると、店主達も不思議そうにこちらを見ていた。

「ああ・・・・、いや、うん、何でもない。いや何かあったけど、“武蔵野”さんのお陰で元気出たよ」

 自動人形に感情は無い。故に“心配”という感情が生まれることもないだろうが、こうして声をかけてくれるとつい、心配掛けまい、と笑いかけてしまう。

 無表情の自動人形に笑う、というのは言い得て滑稽だ。しかし式は、彼女ら自動人形を“優しい”と形容する。

 何故なら、

「・・・・Jud.、大丈夫ならそれで宜しいです。式様のお役に立てるなら、艦長冥利に尽きるというものですから。――以上」

 こうして、言葉を返してくれる。

「ははっ、なんだそりゃ。・・・・って、おいあんたら。何だその目」

 視線を受けた方に目を向ければ、店主達が数歩離れて内股でオネエ言葉でヒソヒソ話をしていた。

「・・・・ちょっと奥様、今の聞いた? 『お前のお陰で元気出た』ですって。彼女いる身で何て贅沢者・・・・!」

「イケメンでモテるからって調子こいちゃって・・・・、密告してやろうかしら」

「聞こえてんぞ」

 あのなあ、と式は溜め息混じりに“武蔵野”の肩に手を置く。

「・・・・いいかオカマ共。俺はいい女が好きだ。勿論最高にいい女は喜美だと思ってるが、他のいい女も好きだ」

 だからまあ、

「いい女の前で格好付けて何が悪い!」

「お前それ開き直りだろ!!」

 口調を戻した突っ込みにも、式は意に介さず「うるせえ」とだけ返し、代わりに“武蔵野”に笑顔で向き直り、

「あ、そうだ“武蔵野”さん。酒井学長どこにいるか知らね? あの猫背オヤジ、気付いてねえのかわざとなのか、連絡取れなくてよ」

「Jud.、酒井様でしたら、武蔵野の艦首側に向かっておられました。――以上」

「ん、Jud.。ありがとな」

「何だ、もう行くのかい?」

 やり取りから、会話の終了を悟った店主達が話し掛けてくる。

「ああ。あんたらも、賭なんてやってないで早く店準備しろよな」

「ははは、サボリに言われたくねえよ」

 一瞬両者が真顔で睨み合うが、各々用事があるためにこれ以上の事態には発展しない。

 店主達に会釈し、式は同行を申し出た“武蔵野”と共に艦首へと歩を進めた。

 クラスメイトが生み出す騒音は、何時の間にか多摩から品川へと移動していた。

 

      ●

 

 遠くなる少年の後ろ姿を、店主達は店の準備に戻りながら見ていた。

「早いもんだよなあ・・・・、あいつが酒井様に連れられて武蔵に来て、もうすぐ十年か」

「Jud.、昔から大人相手に立ち回ったりぶっ飛ばしたりと侮れんガキだったが・・・・、今じゃあいつと対等に渡り合えるの、武蔵の中じゃ姉ちゃん先生と酒井様位じゃないか?」

「つまり学生の中では敵無しか・・・・。文字通り、“武蔵最強”だな」

 呟く字名(アーバンネーム)は、本人の了承なしに勝手に武蔵住人が呼ぶ名。

 武装を禁じられ、空を飛び続けることを強いられた、極東の“力”。

「――しっかし、あいつも頑固だよな。酒井様と、戸籍上は親子だってのに、・・・・未だに改姓せず、“親父”とすらも呼ばねえなんてよ。酒井様がボヤいてたぜ」

 吐息のように小さく溜め息をつき、大人達は着流しの背中を見た。

 それが、彼の義理の父親の姿に重なった気がして、

「――全く、不器用な馬鹿親子だよ」

 再度、息を吐いた。

 

      ●

 

 武蔵野の艦首付近にある、展望台となっているデッキに着いたところで、式は“武蔵野”に礼を言って別れる。

 デッキに上がると、ひとりでに動く掃除用具の群に迎えられた。

 デッキブラシやモップが甲板を掃除し、磨き上げていくが、どれも持つ者はいない。

 その中心にいるのは、黒の髪の自動人形だった。肩に“武蔵”と書かれた腕章をつけた彼女は、品川艦上での音と光を、じっと見つめている。

 静かに不動の彼女の横には、中年過ぎの男がいる。

 自動人形の基礎能である重力制御で操られている掃除用具の中を横切って二人に近付くと、自動人形“武蔵”が振り返り、丁寧に頭を下げた。

「おはようございます、式様。――以上」

「おはよう。今日も懲りずにまたサボリかい」

「おはよう、“武蔵”さん」

 武蔵総艦長である彼女がどうして艦橋におらずここにいるのか、少々疑問に思いはするが気にすることではない。

 挨拶を返すと、隣からやんわりと批判が来た。

「おいおい、養父の言葉は無視かい」

「養父“気取り”だろ。間違えんなクソジジイ。あと、サボリに関してはさっき三人に同じこと言われたから無視するからな」

「おー、怖い怖い。どこで育て方間違えたんだか」

「放任主義が何言ってんだか」

 一蹴されても応えた様子なく笑う男、酒井・忠次に軽く舌打ちしつつ、式はさりげなく“武蔵”の隣に落ち着く。

 それに対し、慣れているのか彼女は不動の姿勢を崩さない。むしろ酒井から一歩式の方にずれてきたことを嬉しく思いながら、

「そういやジジイ、俺まだ三河に連れて行かれる理由を聞いてねぇんだが?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「言ってねえよ。いっちょ前にボケんな」

「これはすまん。・・・・あー、まあ、簡単に言えば同窓会だよ」

 その言葉に興味を持ったのか、式はようやく酒井の顔を見た。

「同窓会ってーと、昔のあんたの仲間とだよな。・・・・まさか、松平四天王か?」

「正解。今は三河中央にいるあいつらから“十年ぶりに式連れて顔を出せ”って言われてるんだよね。でもさ、三河中央部、十年ぶりに行って大丈夫かね?今、三河は鎖国に近い状態になってんだよなあ」

「何で渋るんだよ? ただ十年ぶりに会うだけでいいじゃねえか」

「気楽に言うねぇ。今、三河がややこしいことになってんのはお前も知ってるだろ?」

 まあ・・・・、と、酒井の言葉に式は曖昧に頷く。

「今、松平家の元信公は、聖連から半脱退状態のP.A.Odaと正式同盟してから、ちょっとばかし独自路線なんだろ?」

 合ってる? という言葉を視線と共に“武蔵”に投げかけると、彼女は、

「Jud.、完璧です式様。

 十年前、こちらに酒井様が左遷された時期にP.A.Odaとの暫定同盟を正式同盟とした三河は、聖連との協議の元、三河当主の武蔵への乗り込みを禁止とし、外界との交流許可を郊外までに限定としました。今や中央部はブラックボックスですね。

 極東の支配者として聖譜記述が為されている三河の松平家君主は、極東の支配権を持つものとしての地位を成立させるため、三河の特別自治と、極東と聖連を結ぶ対外窓口としての権利が認められていますが、式様の仰る通り、元信公の意向は今や読めないものとなっております」

 一息。

「松平家は側近以外の人材を全て自動人形に置き換えましたし、聖連が禁止する地脈炉を有した大工房“新名古屋城”を建てたおかげで町中に怪異が溢れているなど、不穏な状況になっております。大事無いよう、適度な範囲で御注意を。――以上」

「うわ禁忌の土地じゃないのそれ。行きたくないねえ。・・・・大体、この十年、なるべく無視してたのに何だって左遷しておいた俺を呼ぶんだか」

「Jud.、だからこその同窓会かもな。怪異に巻き込まれる前に――とか」

「絶対にないと言い切れない辺りが恐いねえ。不吉なこと言わないでよ式」

「しょうがねえだろ。いきなり“会おう”なんて言い出した理由なんてそれくらいしか思いつかねえし」

 式の言葉にまあ、そうだけどね、と適当に相槌を返す酒井は、やがてからかうような笑みを浮かべた。

「しっかし、よくもまあそう他人事のように言えるもんじゃないの」

 

      ●

 

 あ? と、式が不機嫌そうに眉をひそめた。

「三河に行くなら、殿先生にも挨拶くらいするでしょ?」

「いや、会わない」

 あっさり切り捨てると、酒井は肩をすくめた。

「おやまあ・・・・。忙しいとはいえ、殿先生もお前と会う時間くらい作ってくれるだろうに」

「誰がそんな真似するか。――行くだけ無駄だよ」

 吐き捨てるように、しかしどこか自嘲に言ってから、それ以上の問答はしないという風に、式は一旦伸びをした。

 そこへ、会話の終了を察した“武蔵”が、空気を変えるためか口を開く。

「――ともあれお気をつけ下さい。三河当主の松平・“傀儡男(イエスマン)”・元信様は、新名古屋城の地脈炉で織田への献上物を作っておられます。

 

武蔵は三河君主元信公の所有物ですが、基礎部分の建造と十年前の大改修は出雲にて行われたもので、私どもであっても元信公や仕える自動人形達の意志は測れません。今回も極東側の中立国として降りて物資補給などするわけですが、民側でも交流の予定はありませんし、私どもも武蔵から離れられる距離を考えると関所までしか行くことが出来ませんので。――以上」

 酒井は白髪の混じった頭をかきつつ、面倒だねえ、と呟くようにそう言った。

「それと、式様も」

「ん? 俺?」

 隣の“武蔵”からの呼び掛けに、式が振り向く。

「酒井様はともかく、式様の身に何も起こらなければよい、というのが、私を含めた各艦長全員の総意です。旧知の方々と十年ぶりの再会は喜ばしいことですが、道中、どうかお気を付けて下さい。――以上」

「俺はついでかい」

 相変わらず、“武蔵”の口調は淡々としていた。それでも式は一瞬呆気に取られたような顔をしたが、

「・・・・愛されてんなあ、俺」

 心底嬉しそうに破顔一笑した。

「大丈夫さ。ちゃんと気を付けるし、帰ってくるよ。心配ありがとな」

 直立不動の“武蔵”の頭をわしゃわしゃと撫でてやると、“武蔵”はいつもの表情を崩さなかったが、式の手を払いのけたりもしなかった。

「・・・・Jud.、お帰りをお待ちしております。――以上」

 

      ●

 

 遠く、品川の上で白い爆発が鋭く突き立った。

 ややあってから音が届いてきて、酒井が顎に手を回す。

「あれ、どう思う?“武蔵”さんとしては」

「Jud.、昨年度より表現的に言えば派手だと判断出来ます。物質的に言えば破壊量が上がっており、住民的に言えば迷惑度と観戦度が上がっており――」

「個人的に言えば?」

「武蔵本体と同一である“武蔵”は複数体からなる統合物であり、また、人間ではありませんので個人という観点の判断が下せません。――以上」

 じゃあ、と酒井は言った。甲板の縁、腰壁に肘をつき、

「武蔵全艦としては、どう?」

「Jud.、ここ十年、改修以後の記録で言えば、式様が参加されないものを除けば一番かと。聖連の指示によって戦科が持てず、警護隊以外の戦闘関与組織も持てない極東の学生としては、他国戦士団と比較して――」

 彼女は少し考え、

「個性が生きれば相応、式様投入でそれ以上だと判断出来ます。――以上」

 と、“武蔵”が視線を品川から下に移した。

 眼下、並ぶ山の中から、垂直に赤い線が天へと上っている。

 赤光の線だ。これから武蔵が通過する軌道を貫くように、光が昇る。

「三河に最も近いマーカーです。この武蔵野の艦首下部から応答をした後、情報遮断型ステルス航行に入って生活地域上空を抜け、三河陸港となります。――以上」

 Jud.と頷いた式と酒井の視線は、武蔵と平行して飛行する巨大な影を見た。

 長銃を手にした有翼の巨人。十字型四枚翼と、白の鉄肌に赤の装甲服をまとって飛翔するのは、

「――聖連、三征西班牙の航空用重武神だな。クラスの連中が騒いでるから、ピリピリしてんのかな」

 武神。有翼の巨人の全高は十メートルほど。その巨体が右舷側の空に三機飛んでいる。

「航空用の足首無し。戦闘好きな三征西班牙らしいな。さっき品川と多摩の間でマルゴットとマルガが飛んでたのを、武蔵から出ようとしてんのか、って挑発気味に飛んでたが――」

「ああ、あの遠隔魔術師(マギノガンナー)、堕天(ダテン)と墜天(ツイテン)の子達ね。先代負かして、魔術ブランド“見下ろし魔山(エーデルブロッケン)”のテスターやってんだっけ」

「Jud.、今じゃ配送業の現役エースだよ。・・・・でもまあ、異族で魔術師(テクノヘクセン)のあいつらは外に出る方が面倒ってことは解ってるだろうし、向こうも仕事なんだろうよ。

 機関部の直政も言ってたっけか。武神も三征西班牙の“清らか大市(サン・メルカド)”ブランドだが、技術甘いから駆動系はK.P.A.Italia式な上、見栄だけはあるから武蔵の東国巡回路のほとんどを警備する羽目になってるとか。三征西班牙大赤字で結構大変らしいな。――その結果、漫研所属のマルガが搭乗者調べ上げた上でのホモ漫画にされたら目も当てられないが」

 最後の台詞に、酒井は可哀想に、と呟いて空を飛ぶ三機の武神の群を見た。

「各国の監視によって、武蔵は各国の境界線上すか移動出来ない、か。・・・・提出した航行予定通りにマーカー上を通らねば、武蔵は他国へ侵攻する意志有りと見られて聖連から撃沈許可がなされる・・・・」

「んなことさせねえけどな」

「言うねえ、武神で遊ぶたびに武蔵撃沈の危機を作ってやがる馬鹿息子が」

「あれは俺のせいじゃねえ。短気なあっちが悪いんだ」

「どんな責任転嫁の仕方だい」

 視線の先、白の武神の一機が別の機体の背に手を掛け、背にある発条式の小型動力転換槽を付け替えている。

 そして遠く、品川からまた爆発の音が響いた。煙が上がり、空に消えていく。

「面倒だよなあ。“重奏世界崩壊”で極東に重奏世界側の各国が重なり合ってしまったため、この狭い神州の上では神州の戦国時代と世界の戦乱が教導院の抗争として同時に行われてる。

 それも世界の攻略本とも言える前地球時代の歴史を記す聖譜の導きによってね」

 一息。

「戦国時代を動かす織田家は、八年前に信長の襲名者を得た後、オスマン中心のP.A.Odaの強化のためにムラサイの反勢力を制圧。聖連から半脱退した。・・・・信長は聖連による暗殺の歴史再現を警戒して姿を表に出さなくなったが、各国への侵攻はやめず、歴史再現の暗殺で止められない魔王として世界から恐れられる存在になった。

 ・・・・百六十年前、各国勢は居留地と武蔵を作らせて極東の民を押し込めれば、極東を間接支配出来ると思っていたろうにな。今や武蔵を管轄する松平家は聖譜の歴史記述通りに織田家と正式同盟し、武蔵は各国の支配を逃れつつある」

「ですが」

 “武蔵”が言った。

「聖譜によれば、そろそろ世界の全てが終わりです。――以上」

 

      ●

 

 “武蔵”の言葉を、式は聞いていた。

 聖譜の何が、世界の終わりを告げるのか。それは、

「――運命と同期することで百年分の未来を自動更新して読ませていた聖譜は、百年前から更新を停止し、来年以降の歴史を記しておりません。

 最後の記述はヴェストファーレン会議、つまり今年、一六四八年の、会議が終了した十月二十四日の記述ですが、そこから先の歴史は記されておりません。・・・・ゆえに、今年の十月二十四日に行われる会議で“末世による滅びを人々が認め”て、そこから年末の間に世界が終わりに向かうのではないかと言われております。――以上」

 ああ、と式が応えた。品川上を流れていく煙を見つつ、

「ゆえに各国は現在、何故に運命が今年で停止するのかをそれぞれ真剣に探っているが結論や対策を出せず、・・・・P.A.Odaだけが唯一、末世解決を行う国策を“創世計画”として提示し、人を募ってる、か。

 まあ、“創世計画”も、中身をこれから作っていこうっていう張り子の虎のようだが」

 それでも間にいるようなうちは各国から睨まれてるんだよなあ、と、式は独りごちた。

 Jud.、と応じたのは“武蔵”だ。彼女も品川上の流れ行く煙を見て、

「世界は現在、滞りなく動いているように見えますが、運命と同期した聖譜が更新停止しているのは確かで、各地で怪異が多発しております。あのハシャいでる三年梅組の浅間・智様、――今年に神社との上位契約を結びましたが、上位射撃系加護が必要な航空系や高速起動型の妖物など、十年前ですら滅多に出るものではなかった筈です。

 同じように最近流行の百鬼夜行の横行や神隠しの頻発なども地脈の乱れによるものですが、地脈とは万物流転を司る流体の経路で運命ともつながるもの。一説によれば、運命がこの先無くなっていることから、地脈がバランスを崩しているのだと言われております。――以上」

「運命が終わる兆候は、いろいろなところで出ているわけだな」

「Jud.、――各地から怪異の情報が届いております」

 彼女は言う。

「各国の要人クラスがある日突然神隠しにあったり、村一つの住人が突然消えていたり、六護式仏蘭西では予言者達が運命の先を覗こうとして集団で心を失ったそうですね。

 新大陸では先住民族が遺した予言壁画が過去の分まで消えていっているとか。――以上」

「・・・・賑やかだねえ」

「Jud.、現在、それらは種類を増やし、更に拡大化傾向にあります。まるで、先のとぎれた運命に向かって、怪異達が押し出されているような頻度上昇具合です。――以上」

「成程。しかし詳しいな“武蔵”さん。――趣味? マニア? それともオタク?」

「答えを言えば、暇潰しです。――以上」

 “武蔵”は首を酒井に向け、軽く会釈した。

 遠く、爆発の音がまた響いた。

 

      ●

 

「――ん?」

 “武蔵”は、式の視線が、声と共に品川艦から逸れたのを見た。

 どうしたのか、と疑問の声を作る前に、

「――あ、トーリ」

「え? ・・・・あ、本当だ。よく解ったな」

「Jud.、何か視線を感じた気がした」

 二人の短いやり取りから状況を判断し、“武蔵”も二人が見ている方角に目を向ける。

まず目に入ったのは、多摩表層部だ。

 その甲板縁からこちらに向けて、笑顔で両手をぶんぶん振っているのは、茶色の髪に、笑ったような目をした少年だ。崩して着込んだ鎖付きの長ラン型制服を着た少年が、

「お――い、式――!!」

 手を振りながら式を呼びかける声は、少年のいる多摩に隣接平行して飛ぶ武蔵野艦までよく届く。

 朝から無駄にハイテンションな彼に、式も笑顔で手を振ることで応えた。

「?」

 と、少年が腕を後ろに向けて振り回し始めた。

 勢いがつき過ぎてバランスを崩して背中から倒れそうなのを足を踏ん張って持ち直してまた腕を振ってバランスを崩して・・・・、というループを三回繰り返したトーリを見ながら、

「大袈裟な動作を過小化致しましたところ、「こっちに来いよ!」と言いたいのだと判断出来ます。――以上」

「・・・・ああ、成程。全然解らなかったわ。てっきり風に呷られてたのかと」

「統計的に見まして、今までのトーリ様の行動パターンはどれも予測不能だったものと記憶しております。何やっているか解らなくても、仕方ないと判断出来ます。――以上」

「フォローありがとよ。・・・・じゃあ、俺行くわ。ジジイ、三河に着港次第、教導院に集合な]

「あいよ」

こちらに笑いかけてから、式はよし、と、おもむろに屈伸運動を始めた。

更に伸脚を終わらせ、

「よっ」

 軽やかな動きを以て、式が跳んだ。

 

      ●

 

 出来事は一瞬で起こり、数瞬で終わった。

 膝を曲げた式が甲板縁に飛び乗ったと思うと、縁を蹴る音が強く響き、気付けば式の身体が、武蔵野と多摩の間にあった。

 風が彼の髪や羽織をはためかせるが、式自身は全く体勢を崩すことなく地上百メートルを横切り、

「――と」

 多摩の甲板縁を越え、トーリのすぐ隣に着地した。

 僅かな遅れをもって酒井が、

「“武蔵”さん、――とうとう俺の息子、ウルキアガ君の真似事始めたんだけど。術式無しに脚力だけで艦から艦に飛び移るって、どんなビックリ人間曲芸ショーだよ」

「まず訂正しますと、式様は有翼ではありませんので少なくとも真似事ではないと判断します。――以上」

「厳しいねえ。じゃあ、アレ、どう見る?」

「Jud.、人類の可能性の最先端を先駆けた、と言えば宜しいかと。――以上」

 “武蔵”の言葉に、酒井は多摩の方、トーリや、今の人類の可能性を垣間見た人々に囲まれている息子を眺める。

 と、式がこちらを向き、いきなりギョッとした顔を作った。

「?」

 今、酒井は何もしていない。

 何だ? と思い、ふと“武蔵”を見て、ギョッとした。

「・・・・“武蔵”さん、何やってんの?」

 自分の隣にいる“武蔵”が、無表情で式に向かって手を振っていた。

 “武蔵”は視線と動作はそのままに、

「式様がいなくなられるので、新しいお別れの挨拶として手を振っているだけですが? ――以上」

「いやまあ、それは解るけどさ・・・・」

 言う間にも、“武蔵”は手を止めない。

 やがて、多摩から式が戸惑いながらも手を振り返すと、“武蔵”は満足げ、という風に頷いてから手を下ろし、一礼した。

 式が、トーリと共に人ごみをかき分けていくのを見送りながら、酒井はようやく答えを見つけた。

「・・・・嫉妬かい? “武蔵”さん」

「先程、自動人形に感情は無いと申した筈ですが。そろそろ頭が耄碌(モウロク)してきましたか?酒井様。――以上」

「でも、さっきトーリに式が手を振り返したの、羨ましかったんでしょ?」

 酒井の言葉に、自動人形は一瞬黙り込む。ややあって、

「羨ましかった、というのは語弊があります。再三言いますが、自動人形に感情はありませんので。

 式様のことは、武蔵に移住して来られた十年前から存じております。放任と言い訳して子守りから逃げる酒井様の代わりに式様のお世話をさせて頂いたのは、私を含む武蔵艦長を務める自動人形計九体ですから。

 その頃より私共を素直に母親のように慕って下さった式様に、人間で言う母性愛が擬似的にも生まれない筈がないでしょう。親にとって、子供はいくつになっても可愛いものらしいので。どこかの養父がどういうお考えをお持ちかは存じませんが。――以上」

「なんか言い分が矛盾してないかい? いやあ、俺だって可愛いと思ってるよ? うん」

「父親呼ばわりされたこともない方が何を言いますか。――以上」

 痛いところ突くねえ、と酒井は苦笑する。

「あれ?でもその法則で行くと“武蔵”さん達、あいつに母親呼ばわりされたこと――」

「ありますとも。八年前でしたか、頼んでもそう呼んでくれなかった酒井様と違い、私共が頼んだら笑顔で『母さん!』と。ええ、一人ずつ呼んでくださいました。最近では、頼んでも恥ずかしがるのでなかなか『母さん』呼びをゲットする機会がありませんが、少なくとも酒井様よりかは戦果が多いと判断出来ます。――以上」

「張り合うねえ。・・・・どーりでさっきといい普段といい、皆さん式に甘いわけだ」

 酒井は、やれやれ、と品川の見物に戻る。

「全く、皆さん揃って頑固だこと・・・・」

 

      ●

 

 武蔵の各艦と艦の間は、太縄の空中回廊で行き来出来る。

 太縄は軟質の水道管や送油管などを連動したもので、太さは一メートルほど、上部側に幅三メートルの重力床が設定されているため、太縄の上には見えない道が存在している。

 梅組の授業による被害を警戒してか、今多摩と品川を繋ぐその道を歩くのは、式とトーリだけだ。

「つーか式! お前相変わらずすげえな! 艦と艦の間飛び越えるとか馬鹿じゃねえの!?目立ちたがりの自殺志願者かよ!」

「褒めたいのか貶したいのか解らんぞ馬鹿」

 溜め息で応える式に、トーリは、ああ!?と心外だと言わんばかりの声で言う。

 彼の手荷物である二つの紙袋を左の小脇に抱え、空いている右手で、隣を歩く式を指さし、

「そんなのどっちもに決まってんだろ! 俺は昔から、お前をリスペクト対象として、え、え、ええと、そう、ひとかくかたちなり!」

「ボケか素かは聞かないでおいてやるから、・・・・人格形成?」

「あ、それそれ! 今回ばっかりは素なんだが、とにかく、それ頑張ってきたんだからな! お前の良いとこも駄目なとこもバッチリ解ってるに決まってんじゃねーか!」

「うん、答えなくていいっつったろ。“今回ばっかり”で素なのは言語的にむしろ駄目だからな? 解りましたか? 馬鹿代表の葵・トーリ君」

「く、くそ、こいつ、将来姉ちゃんと結婚して俺の未来兄になるからって今から既に容赦ねえぜ・・・・!」

「喜美は関係無いだろ、未来弟。お前ら葵姉弟に俺達が容赦ないのは昔からだ」

 一歩後退りするトーリの頭を小突く。

 ふと、視界が空から切り変わり、品川に入ったことに気付く。

 確か梅組の皆も品川来てたっけ、などと呑気に考えながら進もうとして、随伴者がいないここに気付いた。

「・・・・トーリ?」

 後ろを見ると、いつもの笑みを引っ込めたトーリが、足を止めてこちらをジッと見ている。

「どうした? “後ろに何かいる”ってのは効かねえぞ」

「ち、畜生、今からしようとしたネタ先取りで潰しやがって・・・・! さっすが式、鮮やかだぜ!」

「解った俺が悪かったって」

 溜め息一つ。

「もう茶化さないから、言ってみろ。・・・・どうしたんだ?」

 言うと、トーリは再び顔に笑みを取り戻し、歩いて式を追い越す。

「んー・・・・、別に?ただ、懐かしいなって思ってさ」

「懐かしい?」

 先を行くトーリの意図が読めず、式はオウム返しに返すしかない。

「ああ。ウチに俺がいて、姉ちゃんがいて、お前がいて、――ホライゾンがいた頃だよ」

 それに、僅かに式は息を呑む。

 何かを言おうとして、思い付かなくて出た言葉は、

「・・・・ああ」

 そうだな、としか返せず、

「・・・・ん? おいおい式! どうしたよそんな附抜けた声出して! あ、解った! せ、セーチンメタル! セーチンメタルだな! くそう、いやらしく大人ぶりやがって! 俺も見習わねえと!」

「別にセンチメンタルに浸ってねーから。あと、一人で思い込んで突っ走って自己完結させた結果を、根源が俺みたいな言い方すんな。俺まで馬鹿と思われるだろ」

「こ、こいつ全部に突っ込みやがった! しかもさり気なく俺だけ馬鹿みてーな言い方すんな! お前料理出来ないじゃんかよ!」

「自分が出来ることを持ち出して優位に立とうとするその姑息さは別に見習いたくもないが、料理は馬鹿の基準になんねえからな」

「ぜ、全体的に手厳しくてこれ以上ボケられないだと・・・・!」

 やかましい。

「つーかいちいち脱線させんな。・・・・で? 懐かしいあの頃が、何だって?」

「ああ、うん。・・・・出来ればさ、その懐かしさ取り戻して、お前に返してやれないかな、って」

 式の眉が、僅かに顰められる。

「・・・・おい馬鹿」

 知らず知らずの内に声が低なってしまい、トーリがおおう、とビビって「や、やんのか!? やんのか!?」と頭に手を置いたので無防備な腹に蹴りを入れる。

 叫び声と共にトーリが甲板の方へ吹っ飛んで人々の注目が集まる。式が彼を蹴り飛ばす瞬間を見ていた者がおもむろに、

「・・・・なあ式、あれ、お前さんに蹴られたけど大丈夫なのかい?」

「ああ、どんなに派手にツッコんでもダメージはボケ術式のお陰でほとんど無いから安心だ」

 ダメージが無いと解った瞬間、人々はあっそう、と淡白になって仕事に戻る。

 それを、苦笑じみた反応と共に見送りながら、式は吹っ飛ぶトーリを拾いに行くべく、手頃な建物の屋根に登り、追いかけ始めた。

 

      ●

 

「・・・・ふう、危なかったな」

 言った式は、甲板近くにある倉庫の屋根の上で、息を吐く。その片手が掴んでいるのは、

「式! 式! それが人の足持って逆さまに宙吊りしてる奴の台詞かよ!」

「黙れ馬鹿。ったく、吹っ飛んでどこかに激突して品川の方々に迷惑かけるのを未然に防いでやったのにその態度とは・・・・、次は落とすぞ」

「式! 式! 俺が何で吹っ飛んだのか忘れてね!?」

 足を掴んでいた手を離し、屋根から地面に飛び降りて落ちてくる頭を掴む。「いで、いでででで! いてえって式! 俺全然悪くない気がするんだけどゴメンナサイ!」とうるさいので、仕方なくトーリの足を地面に付けさせてやる。

「うおー・・・・、さっきまで艦尾にいた筈なのに、一気に艦首に来ちゃっぜ・・・・、お前やっぱとんでもねえな・・・・」

 ブツブツ言うトーリは無視して、式は周りを見回した。

 品川先端、艦首側甲板は、貨物艦ゆえ暫定居住区という市場が存在する。

 暫定居住区は管理が厳密ではない場所で、ヤクザの事務所もこの辺りに存在する。

 ・・・・考え無しにぶっ飛ばしたのが悪かったな。

 目の前の馬鹿は、馬鹿でもこの武蔵の総長兼生徒会長だ。出来るだけ気を配っていこうと考えながら、

「なあトーリ、さっきの話だが・・・・」

「おい式! なんか向こう、魔神と人間がリアルファイトして魔神が転んでるぜ!」

「え? ・・・・ちょ、おい馬鹿! 勝手にどっか行くんじゃねえ――!!」

 いきなりどこかに走っていったトーリを追い掛けた。

 

      ●

 

 トーリは、二人がいた場所からそう遠く離れていない場所で止まった。

 彼がいたのは、隙間を空けて並ぶ建物の内、一つのものの前。

 黒塗りの貨物庫を改造して造られた建物の前には、妙な光景が広がっていた。

 建物の前に白目剥いて倒れているのは、身長三メートルはくだらない有角の巨体だ。赤色の鱗に覆われた四本腕の主は、

「魔神族・・・・。さっきトーリが言ってたのはこいつか。――じゃあ待て、こいつとリアルファイトしたっつー人間は・・・・」

 人物に思い当たった瞬間。

「――あれ? おいおいおい、皆、何やってんの?」

 トーリが言葉を向けた先にいたのは、木床に倒れたまま動かない、見覚えのある学生、クラスメイト十数人。ほとんどが身体を前のめりや仰向けにしており、人によっては何故か涙をこぼして甲板を濡らしている。

 それらの前、建物を背後に立つ一人の女教師を見て、式は顔を青くした。

 同時に、さっきから小脇に抱えていた紙袋の一つ、軽食屋のものからパンを取り出して呑気に口にくわえる彼と自分の名を、誰かが言った。

 「トーリ・“不可能男(インポッシブル)”・葵に、式・A・・・・!」

 

      ●

 

 名を呼ばれた片方、トーリは、パンを口に押し込むようにして一個食すと、

「――んと、うん、俺俺。って何だよ皆、俺、葵・トーリはここにいるぜ?」

 彼は笑みの顔を崩すことなく、倒れた魔神も真っ青な式も気にせず、皆から見て横手側から前に来る。そして、

「しっかし皆、こんなとこで奇遇だな。やっぱ皆も並んだ後に式に吹っ飛ばされたのかよ!?」

 意味不明なことを言って彼が掲げて見せたもう一つの紙袋と、指差された式に、ちょうど彼の隣にいる女教師が首を傾げた。

 オリオトライは一瞬でトーリの背後に回ると、肩に長剣を担ぎ、

「・・・・さて君、話ハショると授業サボって何に並んで吹っ飛ばされたって? 先生に言ってみなさい。あ、もう一人はそこでゆっくりしてていいわよ。後でゆっくり話聞くから」

「あ、いや、先生、これはその、」

「ええ? 先生マジで俺の行動に興味あんのかよ! 俺参ったなあ!」

 そしてトーリは、紙袋の中から絵の描かれた箱を取り出した。パッケージアートを肩越しにオリオトライに見せる。それは、

「ほらこれ見えるか先生! 今日発売されたR元服のエロゲ“ぬるはちっ!”。これ超泣かせるらしくて初回限定が朝から行列でさあ。俺、今日は帰宅したらこれ伝纂器(PC)に奏填(インストール)して涙ボロボロこぼしながらエロいことするんだ! そしたら式見つけたから、武蔵野から跳んできたこいつと歩いてボケたら吹っ飛ばされてさ! これって俺悪くないんだけどどうだと思う先生?あ、あと点蔵は?あいつの親父、店舗別特典求めて他の店にも忍者走りで行ってたけど、あいつもそっち行ってんのかな?それ込みでどう思う先生?」

 答える代わりに、半目のオリオトライが、無言でトーリの肩に手を置いた。

 対するトーリは首を傾げると、笑顔でオリオトライに振り返り、

「あれ?先生、どうしたの? マジ顔して。何かやなことでもあったの? ――あ、そっか、春休みの打ち上げで焼き肉屋行ったとき、先生、人と話さずに牛と結婚する勢いで肉ばっかガツガツ食ってたのを学長か王様に教育的指導されたんだろ。先生、あれいけねえよ。焼いてるのを箸で弾いて直接口に叩き込むのはさ、カルタ取りの達人やってんじゃねえんだから。塩くらい振れよ。あと、デザートにケーキ山積みで食ってないで少しは草食えよ」

 皆がわずかに腰を引いて退避姿勢を取る前で、オリオトライは口を開いた。

「・・・・あのさ君、先生が、今、何言いたいか解る?」

「ああ? 何言ってんだよ先生! 俺と先生は、以心伝心のツーカーだろ!? 先生の言いたいことは俺にしっかり通じてるぜ!?」

「ああ、それ駄目よ駄目。だって先生と通じてるなら君今すぐ自殺しないといけないから」

「ええ!? 何だよそれ! オッパイ揉ませてくれるんじゃなかったのかよ!」 

 トーリは眉を歪めて口を開いた。下からオリオトライを上目遣いに見て、

「汚ねえ、大人って汚ねえよ・・・・! この女教師、オッパイ揉ませる振りして俺を殺そうとしていやがったな・・・・!」

「・・・・おいこら、君、何か変なもの見えてない? 大丈夫?その目に何が映ってる?」

「うん、今はこれだな!」

 と、トーリは、オリオトライの両胸を左右下側から両の五指で包んで押し上げた。

 皆が、あ、という形に口を開けたままになる中、トーリはオリオトライの胸をこねながら眉をひそめて、

「あっれ、もっと硬い見立てだったんだけどなあ・・・・。おかしい、マジおかしいなあ・・・・、骨とか筋肉とかあって仰天する予定が・・・・」

 まあいいか、とトーリは手を離した。

 そして彼は、口端を歪めて指の骨を鳴らし始めたオリオトライを無視して皆の方を見ると、

「あのさ、皆、あ、勿論式もな? ちょっと聞いてくれ。前々からちょっと話してたと思うんだけど」

 一息の後、彼はこう切り出した。

「――明日、俺、コクろうと思うわ」

 

      ●

 

 いきなりのトーリの告白予告に、皆は同じ反応をした。誰もが一様に首を前に落とし、

「・・・・え?」

 だがその反応はすぐに、ああ、と納得の色を持ったものに変わる。

 そして皆の中、ウェーブの掛かった髪が眉をひそめて立ち上がった。彼女、喜美は乱れていた髪を掻き上げると、首を傾げてトーリを見据え、

「フフフ愚弟、いきなり出てきて乳揉んで説明無しにコクり予告とは、エロゲの包み持ってる人間の台詞じゃないわね。コクる相手が画面の向こうにいるんだったらコンセントにチ〇コ突っ込んでしびれ死ぬといいわ! 素敵! 一体どういうことか賢い姉に説明なさい!」

「おいおい姉ちゃん何一人でいい空気吸ってんだよ。あのな? 明日コクるから、これはエロゲ卒業のために買ってきたんだぜ? わっかんねえかなこの俺の真面目なメリハリ具合!」

「フフフいい感じで駄目人間だわ愚弟、エクセレント! でも明日フラれたらどうすんの?」

「んー、その場合はまず泣きながら全キャラ実名でコンプリートすんじゃねえかな」

 そうじゃねえだろ、と皆が言うが、喜美は一息ついた。彼女は肩から力を抜き、

「じゃあ愚弟、賢姉を相手にコクりの練習よ。――相手は誰かゲロしなさい、さあ!」

「馬っ鹿、知ってるだろ? 皆だって前に、“そうじゃないか”って言ったじゃねえよ」

 トーリは、姉から皆へと視線を移した。

 彼はそのまま、全員の顔を見て、一人一人と視線を合わせた後に、式を見て、こう言った。

「――ホライゾンだよ」

 人の名、しかしそれは、

「馬鹿か、お前」

 速攻で式が言い放った。

 式は笑みを消し、トーリへと歩み寄る。喜美もトーリから視線を逸らす。

「ホント、馬鹿ね。十年前に、あの子は亡くなったのに。あの、アンタの嫌いな“後悔通り”で。・・・・墓碑だって、父さん達が作ったじゃない」

「解ってるよ。ただ、そのことから、もう逃げねえ」

 トーリは、笑みのまま、あのな? と口を開いた。

 そして彼はもう一度皆を見渡し、いいか、と更なる前置きとして、

「コクった後、きっと皆に迷惑掛ける。――特に式には、すげえ迷惑掛けるかもしれねえ。そして、俺はその迷惑を軽くしてやることが出来ねえ」

「掛けないように努力しろよ」

「無理無理。俺、何も出来ねえからよ。それに、何しろ、その後にやろうとしていることは、俺の尻ぬぐいってか――」

 一息。

「世界に喧嘩売るような話だもんな、どう考えても」

 告げた言葉に、しかし誰も疑問や異論を挟まなかった。ただ皆は、トーリを見て、表情を硬くしているだけだ。

 そんな皆に、トーリは言った。

「明日で十年目なんだ、ホライゾンがいなくなってから。皆、憶えてねえかもしんねえけど」

「俺は憶えてるよ」

 言ったのは式だ。今度は顔に笑みを浮かべ、トーリを見つめる。

 トーリも笑って、

「うん、知ってるよ。だから明日、コクって来る。彼女は違うのかもしれねえけど、この一年、いろいろ考えてさ、それとは別で好きだと解ったから、――もう逃げねえ」

「じゃあ愚弟、今日はいろいろ準備の日よね。そして、・・・・今日が最後の普通の日?」

 そうだな、とトーリが笑顔で言った。

「安心しなよ姉ちゃん。俺は何も出来ねえけど、――高望みは忘れねえから」

 と、そのときだった。彼の肩を、後ろから叩く手があった。

 ん? とトーリが振り向いた背後。そこに立つオリオトライが、据わった目つきで右足を軽くステップさせている。

 しかし彼女の挙動や静かに遠ざかる式に構わず、トーリは右の親指を立てて見せると、

「先生! 今の話聞いてたかよ!? 俺の恥ずかしい話!」

「ん? 人間って、怒りが頂点に達すると周囲の音が聞こえなくなるんだけどさ。それについてどう思う?」

「おいおい先生、生徒の話は真摯に聞こうぜ。そんなんだからいっつも式に出し抜かれてサボられて余計に怒っちゃうんだよ。可哀想だからもう一度言ってやる」

「こっちに火の粉ばらまくな!!」と叫ぶ式を無視し、いいか? とトーリは前置きして、真面目な顔でオリオトライにこう言った。

「・・・・今日が終わって無事明日になったら、俺、コクりに行くんだ。憶えていてくれよ?」

「よっしゃ死亡フラグゲット――!」

 次の瞬間。オリオトライが回し蹴りで事務所の壁に穴を開けた。

 それは蹴りによって回転吹っ飛びしたトーリが激突したもので、大の字型をしていた。

 

      ●

 

「さーて式? 今から先生と二人っきりで個人レッスンでもしちゃおっか」

 くるりと式を振り返り、満面の笑みでオリオトライが言う。それに、思わず式も引きつった笑いで、

「は、はははー・・・・、そりゃ光栄だなあ。そんなこと言われたら、先生とどんなこと出来るか楽しみになっちゃうじゃねえか」

「ええ、ええ、先生も楽しみになってきちゃったなあ」

 オリオトライが式の方に一歩踏み出すと共に、生徒達が一歩後退りする。

「で? 先生、俺と二人きりで何がしたいんだ? 俺、先生の楽しみのためなら出来る範囲で頑張ってやるぜ?」

「あらあら、先生のことそこまで想ってくれるなんて、全く罪な男ねえ。・・・・ヤクザの事務所を前に、二人きりでやることなんて決まってんじゃないの」

 決まってんのか・・・・? という式や皆の声に構わず、オリオトライはこう言った。

「――私が高みの見物に徹してあんたが働くのよ」

「あんた最悪だよ!!」

 突っ込むが、オリオトライが、ん? と据わった目つきでこちらを見たので黙る。

「――いい? 今から一回だけ魔神の倒し方を口で教えてあげるから、あんたはこの、今警戒態勢な事務所に一人で殴り込んで全員シメてきなさい。何なら乗っ取って構わないわ」

「口って・・・・、個人レッスンとか言ったくせに実践してくれねえのかよ」

「あはは、サボリが何か言ってるわ」

 オリオトライが完全無視を決め込んだ様子なので、式は文句を言うのをやめる。

「・・・・ちなみに、バックレたらどうなる?」

「誰かさんの数少ない出席点がゼロになるわねえ」

 式が、事務所の扉を正面から足裏で蹴破った。

 両開きの扉が蝶番ごと外れ、建物の中へと吸い込まれるように吹っ飛ぶ。

 何かがぶつかったような物音と、困惑した様子の怒鳴り声が聞こえ始めたところで、ようやく後ろの皆が、

「――いや、まず突っ込めよ!!」

「そこ!?」

 式も唖然と突っ込み返すが、事務所から目は逸らさない。ただキツい目つきで前を見据え、

「・・・・ちょっと、そこの鬼畜女教師。早く魔神の倒し方教えてくんねえと、俺燃費悪い戦い方しか出来ねえんだけど」

「教えなかったら素手で魔神族とやり合うつもりだったんかい」

「ったりめーよ。戦艦が相手なわけじゃねえんだ。素手で充分」

「フフフ、愚弟と違ってカッコつけるトコはきちんとカッコついてるあたりが素敵よ式! 先生、私達どうせ見学でしょ?」

「ん? ああ、そうねえ。やらせる、って言っといてアレだけど、休んでていいわよ。皆の苦労を代用してくれる素敵な殿方がいるんだから」

「おーい、語弊あるぞ」

「フフフ、愛する式の活躍を間近で生で見れるなんてとんだサービス精神じゃないの! ホラホラ浅間、一緒に式応援してラブコール送るわよ! ワン、ツー!」

「ち、ちょっと喜美! 私の胸を交互に押し上げないで下さいっ! やるなら自分の・・・・、・・・・ち、違うんです! 違うんですよ式君! 私は誠意を以て応援しますから! あ、援護射撃とか要りますか? 高速化して、矢に穢れ払いによる追尾性とか障害祓いの回避性能とか添付してますからお得ですよっ」

「お前も大概戦闘系だよなあ。気遣いありがとよ、智」

 からからと笑い、しかし式は、振り向かない。

「けど、わりぃな。お前が暴れ足りねえのは充分承知してるが、一人でやんねえと出席点がやべえんだ」

 だからな、と。

 言葉が終わらぬ内に、式が跳躍し、ちょうど出てきた魔神族の顎を下から蹴り上げた。

 三メートルの巨体が一蹴りで揺れる。

 その頭部の両サイドに生える角に足を引っ掛けて引っ張ると、手綱を取られたように魔神の身体が揺れ、他の魔神と衝突事故を起こした。

 本当に素手で始めた式に、オリオトライが眉をひそめて声を掛けた。

「ちょっとー、これ一応授業時間なんだから、とりあえずちゃんとした方法で倒してくれないと私が授業やったことになんないんだけど」

「保身に走るなあ――!」

 怒号と共に、魔神達の身体に式の拳がめり込む。

「こちとら、もう五体は締めちまったじゃねえか!」

「どう考えても早過ぎよこの対艦級ビックリ人間め。まあ、まだ残ってるんだから、その辺は今から挽回しても点数引くことはしないわ。

 じゃあいくわね。いい? 生物には頭蓋があって――」

 自分を待たずに勝手に説明を始めるオリオトライに出来るだけ注意を向けながら、式は魔神が一斉に振り下ろしてきた六本の腕を軽いバックステップで避けた。

 ・・・・ったく、どいつもこいつも、自己中な奴らばっかだぜ。

 胸中で嘆息し、地を蹴った。

 

      ●

 

 多摩の中央、商店街の中に、艦首向こうの高尾からの騒音が聞こえてきた。先ほどまでは術式や射撃の音が多かったのだが、今聞こえてくるのは、剣戟や打撃の音がやたらと多い、集団近接戦の音だ。そんな音を聞く商店街の住人は、屋根上戦闘で飛び散った屋根藁や破片を掃き集めている。店の奥には教導院側への請求書もあり、皆の話題は過剰請求をするか否かの段階だ。

 騒ぎを観戦していた観光客は喜び、それぞれが道へと姿を現し始めていた。

 町が動き出す。

 人々が行き交い始め、音が生まれ出す町中。

 その頭上、空の区分けが少なくなった一方で、武蔵の周囲が白く染まりつつあった。武蔵が農村地の上を通過するために、ステルス航行に移行し、情報遮断し始めたのだ。

 じきに、武蔵は三河へと到着する。

 

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