●
昼の光を浴びる山の中腹に、木造の建物がある。
“各務原”と木々で書かれた山肌に建つ警備の番屋だ。武蔵の陸港と下の市街を結ぶ東側山岳回廊の傍、山側の関所を見下ろす位置に設けられた番屋だった。
番屋は、六畳ほどの建物の上に、二つの人影を乗せていた。
長銃を抱えて椅子に座っているのは、三征西班牙の紋章を着けた赤い制服姿の二人。
一人は山側を、一人は麓側を見つつ、言葉を交わす。今も山側を見る年長の制服が、
「――今日はやはり、輸送隊が多いな。何とかこっちの関所の混雑は終わったか」
その声に、麓側、三河を見る年少が頷いた。彼は長銃のスコープで麓側の関所を見て、
「……今は下が相当に詰まってますね。最近は向こう、うちらの本隊がいる一般用陸港に通じる西側回廊へ迂回した方が早いって言われてますけど、向こうは木橋とか、道が細いんですよね。武神や大型荷車が通れないから中間の西側広間まで輸送艦を出さなきゃいけなくて」
「詳しいな。お前、三河からの移住者だっけ?」
Tes.、と年少が答えた。
「俺は三征西班牙への帰化人ですから。十年前の、元信公の“人払い”と、新名古屋城建設のおかげで、今じゃ神道じゃなく旧派で天使のコミュサイトを通神帯(ネット)に作ってますよ」
と、年少の監視者は、長銃で三河の町を示した。
対する年長が首で振り向いて見た先にあるのは、名古屋市街の中央部だ。
山の麓側から海に向かって、町並の平地がある。そしてその平地の中央の大部分を覆うように、茶色い平面があった。名古屋市街のほぼ全域を占める平面の正体は、
「単純な形状ゆえに大きさを感じさせませんが、東西十キロ、南北に十一キロの木造建築です。重奏統合争乱以前からTsirhc系教譜地域では禁じられている地脈炉四基と統括炉一基を使用した大工房“新名古屋城”。昔から存在していた那古野城を十年前にP.A.ODAの依頼で改築した――、“人払い”政策で生まれた工房です」
「“人払い”ねえ……」
年長、先輩格の彼は、後輩の横顔をちらりと見て、
「狂った話だな。……聖譜の歴史再現をするために必須の、歴史的重要人物の襲名。その混乱を避けるために、重臣数名以外を全員自動人形に襲名させたんだっけか。お前の家もか?」
「うちは末席でしたから、あまり騒ぎも無かったですよ。その後に、人件費の削減や機密保持のためとかで、三年がかりで三千体の自動人形に町の行政や商工業を担当させたんですが、そっちの方が本当の“人払い”になって騒ぎになりました」
それに、と後輩が肩をすくめる。彼は話を逸らすように新名古屋城をスコープで覗き、
「“人払い”ってのは自動人形のことだけじゃないんです。新名古屋城が地脈から流体を抽出する地脈炉を四基も稼働させているおかげで、市街中央部は怪現象が多発するようになったんですよ。百鬼夜行や、道違えとか、軽い神隠しとか」
「ああ、……先日もうちの連中が夜遊びに出たのが、何故か三日後に、江戸の秋葉原でオタクになって発見されたよな。奴らが行った店、十年前の市街改造で無くなった店だったとか」
そんなのもありましたっけね、と後輩が苦笑する。
「でも、そんなこんなで人がいなくなって“人払い”。無茶苦茶な城ですよ。設計から建築から、全てを管理して知っているのは松平家当主の“傀儡男”元信公と、その配下の重臣数名のみ。建築などの作業は相模から取り寄せた自動人形千二百余体が行い、現在もそれらが内部の運用を行ってます」
一息。
「内部は重層化された防壁によって守られており、あれだけ大規模なのに、中で何が行われているかを知っている者は元信公と数名だけ。自動人形達は記憶管理されていて機密保持を破ろうとすると自動的に記憶消去をしますしね」
「それでも以前、六護式仏蘭西の特殊部隊が中に入り込んで情報探ったって?」
先輩の言葉に、年少の監視者は小さく笑った。
「全員、一週間後に、日本橋でオタクになって紙袋片手に倒れているの発見されたじゃないですか。何故か全員記憶が無い上、全裸に剥かれて尻とか背中に二色刷タトゥーで幼女キャラ彫られてた超怪現象。……以後、恥掻くの恐れてどこの国も部隊を突っ込みませんよ」
一息。
「危険視したTsirhc教譜が“地脈炉の暴走爆発の危険性”の噂を流したんですよね。実際にそれが起きて半径十キロが消滅したときの記録歌劇である“ソドムとゴモラがきえちゃった!”を全欧号泣的にリメイクしたりで。もはや周囲は自動人形と元信公以外住んでないそうです。俺も先日郊外まで降りてみましたが――」
ほら、と後輩は先輩の肩を叩いた。その指で町を示し、
「……昼だというのに、炊事の煙が全く無いでしょう? 中央付近だと市場も動いてないそうで。町にも壁に変な血文字があったりして、……すぐ帰ってきましたよ、俺」
「成程なあ……、面倒な国だな、三河は」
と、先輩格がそこまでいったときだ。
お、という声と共に、後輩格が山道を指差す。
「あ、ほら、下見て下さい。関所に降りていく街道、凄いのが三人も来てますよ。――武蔵学長、酒井・忠次に、副会長の本多正純です。それから、一般生徒なのに“武蔵最強”で有名な式・A。歩きで身軽ってのも、噂通りですよね。武蔵の学長は左遷されて三河から切り離された後、拗ねて変わり者になった、って」
言葉の通り、関所に降りていく道には、三つの人影がある。輸送の貨車や荷馬車、人足とすれ違ったり、荷物が重くて足の止まった者達を押してくる三人を、先輩格が長銃のスコープで確認する。
「……自動人形への襲名剥奪を免れた松平四天王の一人、酒井・忠次か。武蔵学長の地位は確かに左遷だろうな。二人目、正純ってのは、……男の格好だが、歩き方、女か?」
「Tes.、男の格好してますけどね、実は女の、……筈です」
「筈?」
という問いかけに、後輩は一度天を仰いだ。えーと、と言葉を選び、
「俺が三河にいた頃に“二人の本多”ってのがいたんです。一人は松平四天王の一員である東国最強、神格武装・蜻蛉切の使い手本多・忠勝。もう一人は、松平のブレインとなる本多・正信の家系。ですが彼女のとき、“人払い”によって正信の家系を自動人形が奪ったんです」
「だとしたら、あの女は、もはや襲名出来ないんだよな」
「Tes.、……でも、その前に、襲名のための手術をしていたんですよ。正純の名を襲名する権利を確固とするために、男性化手術を。――でも、胸抜いて、段階を経て下腹とか処置していこうとしたら“人払い”。胸無くて、女性の服とかが合うのないから、男性の格好で。
俺がまだ三河にいた頃は、避けられたり、イジメられてたりしてましたよ。俺の一コ上で、襲名出来ずに親父から見放されたって聞いたけど……」
後輩格は山道を行く三人を見ながら、ゆっくりとこう言った。
「副会長ってことは、まだ頑張ってたんだなあ……、ファンサイト作ろうかなあ……」
後輩格の言葉に、先輩格は、ほどほどにな、という言葉を苦笑と共に送った。
「……でまあ、武蔵学長と副会長については解ったが。
三人目、式・Aだっけ?姓は何なんだ?」
先輩格のもっともな疑問に、後輩格は困ったように言葉を濁し、ややあってから言葉を紡いだ。
「不明です」
「は?」
「公にされてないんですよ。もう十年以上前からあれで通されていて、知ってる者は殆どいないんじゃないですかね。ですが、噂では元信公に縁のある者だとか。聖連に睨まれてて、能力高いのに生徒会にも総長連合にも属していません」
「そんな秘密主義なのに“武蔵最強”か。また大層な字名だな」
「Tes.、最も、本人は嫌がってるそうですがね」
「だが、聖連からマークされてる割によく武蔵にいられるな」
武蔵での居住を許される。
元信公が武蔵に乗るのを許されないにも関わらず、その縁者と言われる式が武蔵にいられる理由。
それは、
「十年前、家庭の事情とかで三河にいられなくなったんですよ。“人払い”関係って訳ではないんですが、随分深刻な問題だったらしくて。当時、ちょうど酒井・忠次が武蔵に左遷されるのと重なったから、保護者代わりとして押し付けることで聖連から移住の許可が出たんです」
後輩格の説明に、先輩格はスコープ越しに式を見た。
一般生徒という話だからか、正純のように制服姿ではない。畏まる必要が無いということは、プライベート関係で三河に赴くのだろう。
推測しながら、先輩格は更にもう一つの思いを巡らす。
一般生徒に付けられるとは思えない、その仰々しい字名についてだ。
武蔵の総長兼生徒会長の字名“不可能男”は聖連から名付けられたものだが、式のは武蔵住民によって付けられたというのは簡単に想像がつく。本人は嫌がっているというその名が、それでも持続していることも考えれば、式・Aとやらが武蔵でどういう立ち位置にいるかというのも。
……期待、だよな。
いや、信頼というべきか、と先輩格は心中の言葉を訂正する。
各国の監視によって、武蔵は各国の境界線上しか移動出来ない。提出した航行予定表通りに飛ばねば、武蔵は他国へ侵攻する意志有りと見られて聖連から撃沈許可がなされるのだ。
武蔵住民がその重圧に耐え続けなければならない中、副長不在の総長連合の代わりにある“最強”の存在は、本人にその気が無くとも、確かに人々の心に安心をもたらす。
そして、実質自由の無い武蔵で“最強”を名乗ることを聖連が黙認していることこそが、式の実力を如実に表しているといってもいいだろう。
慕われている。実力がある。そして――役職に縛られない自由な立場。
それらを合わせて、先輩格は式という男をこう評した。
「――怖ぇ奴だな」
呟いた瞬間。
「……っ!?」
自然な動きでこちらを向いた赤の瞳と、スコープ越しに目が合った。
だが、思考が働く前に、向こうから逸らされた。
それ以降、彼はこちらの方を向かない。
だが、そのまま身体は動かなかった。微かに震えた指が、自分の中に発生した感情を露わにしている。
何とか手を動かし、頬を伝った冷や汗を拭いながら、先輩格は口端を歪め、
「――恐え奴、だな」
●
……不思議な男だ。
本多・正純は、式という男をそう評している。
三河出身であり、武蔵に来たのも約一年前という、周りに比べると新参者である正純だが、初等部までは三河にいた式とは、一応顔見知りであった。
家臣団の末席にいた本多家。松平に必要とされていたという二人の本多の内、武闘系ではなかった正純の家は、内政系の本多家代表、本多・正信を正純の父が襲名した。
……ならば自分は、正信の子である正純を襲名しよう。
そう思ったのは、父に言われたからだったのか、自分で望んだからだったのか。理由も覚えてないが、
……あの時は本当、何でもやろうって意気込んでたよなあ。
そして何でもやった。襲名のため、女であることも捨てようとした。
だが、
……失敗した。
失敗したのだ。
十年前、松平家が行った家臣団の“人払い”。多くの家臣が左遷や、役の免除を受け、以後、松平の数名の重臣を除いた全家臣、商工団は、相模から導入された自動人形が世襲担当することとなった。
……全部、無意味になったんだ。
父は武蔵に行き、手術の影響で身体の弱くなった自分は、母と地上に残った。
胸を失ったことは、己で望んだことだ。だが、突然の“人払い”によって、目標は根本から失われた。自分の為したことが肯定も否定もされず、ただ目標が消えて、無意味だけが残った無力感。進路を決め、試験の勉強を頑張ったら、進路そのものが消えたようなものだ。
襲名に挑み、失敗するなら、納得が出来た。
お前のしたことは、意味がなかったのだと、そう言われた気がした。
そんな中で、当然のように起きた同級生からのいじめは、幼稚ながら、確かに正純の心を抉った。
自分でやりだしたことが出来ず、父の期待に応えられず、母に迷惑を掛け、こちらの事情を理解しようともしない子供からは理由もなく避けられ、笑われる。
……居場所が、消える。
だがそれは、今自分の横を歩く男によって、消えることなく守られた。
「お前らバッカじゃねえの? 正純の胸なんてな、昨日も今日も明日も明後日も明明後日も一年後も十年後も、百年後だって変わんねえよ。だって手術の前から無いんだからな」
……その直後は確か、マイナスの意味で泣いたよなあ。
自信満々に言い張られたその台詞は、正純に色んな意味でトドメを刺し、同時にクラス全員を納得させた。
正純は覚えている。その時のクラスメートの、同情と哀れみと戸惑いの混じった視線を。
その日を境にいじめは減り、遂には誰も正純の身体についてとやかく言う者はいなくなったが、数年後、中等部に上がって、胸をチラ見した後に「ああ……本当だな」という感想を呟くクラスメートを見つける度に何度こいつに複雑な殺意を抱いたことか。
……最も、その頃にはこいつはいなかったが。
十年前の、この頃だったか。
衝撃過ぎた救いのショックのせいで言えなかった礼を言おうとして、気恥ずかしくて言えなかった矢先、突然間接的に伝えられた式・Aの武蔵への移住と転校の知らせ。
しようとしたことを果たせなかったという事実は、正純の心に鉛のようにのし掛かった。
だから自分も武蔵に行くことになり、武蔵アリアダスト教導院で再会した折、九年越しの礼を言おうと思った。
向こうが自分を覚えていなくても構わない。何故ならあの時、式は救おうと思って正純を救ったわけではないのだから。
自己満足のための、ただ一言。
そのただ一言が、
「あ、お前、本多・正純じゃねーか! 久し振りだなあっ……て、うわすげ!!お前の胸、マジで十年経っても変わらなかったんだな!! こりゃあ百年後も期待できるんじゃね?」
かき消された。
それが事実の指摘による式への殺意のせいなのか、九年経っても自分を覚えていたことへの安堵のせいなのか、最後の台詞へのツッコミが多過ぎたせいだったのかは、解らない。
ただ、自分のことを、あの時言った台詞と共に、彼は当然の如く覚えていてくれていたということに、正純は何故か何も言えなくなった。
自分がいくら感謝をしていたことも、式にとっては何でもないことだった。
それを分かっていた上で礼を言いたくて、だがその自己満足は、式の“何でもないこと”の前にかき消された。
……否。
自分は怖じ気づいたのだと、正純は自分の中の言い訳を捨てる。
九年越しの再会の後でも、式は正純を“今の”正純として受け止めた。対して自分が接しようとしたのは、“過去の”式だった。
認識の違いが、正純を怖じ気させ、そんな未熟で浅ましい自分を知られたくなくてこの一年間、正純は出来るだけ式との関わりを避け続けた。
だから、式も正純とはあまり関わりを持っていない筈なのだが、
「――って話で、トーリが明日、コクるんだってな。で、正純は夜、どうするんだ?さっき言った通り、トーリ達は教導院で騒ぐまたいなんだが、一緒になって消火器煙幕でもするか?」
フツーに毎日遊んでる友達のノリで絡んでこれるのは何故なのだろうか。
山道、輸送の中継基地である関所への道上を、式と酒井、そして正純は歩いていた。
関所は山側から見ると荷物受け取り待機の貨車が並ぶ広い待機場と、倉庫のある広場だ。谷を自然の障壁として、上下の貨物の遣り取りをしている。関所の受付には人が五列に並んでいるが、正純達が歩いている位置は、まだ彼らの声や遣り取りが聞こえる距離ではない。
三人は、貨車によって固められた山道を歩いていた。左に岸壁を置く山側を行く三人は、ときに笑い、ときに首を傾げつつ言葉をかわす。今もまた、式が笑いながら言った台詞に対し、
……こっちは一年こいつを避けて、お互い、実質十年は空白ある筈なんだがなあ。
と、内心首を捻りつつ、呆れながら言葉を返す。
「あのなあ……私は副会長なんだぞ。そんなことしてると聖連に知られたら――」
「大丈夫だ。連中と同類だって見られるだけで済むって」
「じゃあ駄目じゃないか」
……不思議な男だ。
自然に言葉を返せる自分に気付き、再び思った。
と、
「――――」
式が正純から視線を外した。
赤い目が細められ、山側を見つめる。
しかしそれは一瞬で、すぐに式の表情はさっきのものに戻った。
正純は訝しげに、
「……どうした? 何かあったのか?」
「いや、何もなかったよ。ただの興味本位だった」
「? まあ、何もないならいいが……。――大体、何だ、総長兼生徒会長がいきなりコクるとか公言してみたり教導院で騒ぐとか……、先日も実験室のアルコールランプとフラスコで闇鍋大会やったら実験用のマグネシウムに引火して“ボン!”ってなったじゃないか」
「おう、あれ、闇鍋を光鍋にしたら駄目だよな。鍋ご光臨っつーかさ」
「いや、そうじゃなくてだな……」
困ったように言う正純に対し、笑ったのは酒井だ。数秒をそのままにして、やがて息を吸い、
「まあまあ。そういう時間の過ごし方もありってことだよ」
「あ、てめ、俺の言いたいこと取りやがって」
「すまんねえ」
飄々と笑ってみせる酒井に、式は不満げな眼差しを見せる。そういえば、この二人は義理の親子関係にあったんだっけか。これも私が知らないことだ、と思い、狭量とも取れるそれに正純は自嘲する。
それから、そうですかねえ、と自分を守るように腕を組んだ上で首を傾げ、
「先日だって、多摩表層部のレストランで騒ぎを起こして、ミトツダイラの取引相手を全裸でクリームがけにして尻に鰻(ウナギ)突っ込んだとか、ちょっと事件になってましたよね」
その言葉に吹き出した者がいた。
式だ。
●
「……お前もそこにいたのか」
正純の半目を受け、式は何とか笑いを噛み殺そうとして失敗しながら、
「いや、俺は葵兄妹とその一行に連行されただけだぜ? でもまあ、あれは面白かった。せっかくネイトが俺ら追い出そうとしたのに、レストランで会食してた相手が総長兼生徒会長に遠慮して寛容さを見せようとしたのがいけなかったな」
相席は更にいけなかった。何しろ相手が食通だというのを知ったトーリが面白半分でビール頼んで絡みだし、
「オッサン! オッサン! どんな料理でも美味いって言うってホント!?」
「は、ははは、どんな料理でも、いいところを見つけて楽しむのが通だよ君ィ」
「は!?マジかよ!?じゃあコック!この食通がウ○コ喰うって!やる気だぜ!」
……そういやあん時、傍にいた専属コックが、青い顔で空の茶碗と箸を両手で捧げてたが、あれどういう意味だったんだろうな。
ともあれ結論だけ言うと食通は正純が言った通り全裸でクリームがけにされて尻に鰻突っ込まれて泣きながら走って帰ってミトツダイラは得意先を一つ失った。
……改めて考えるとネイトにとってもレストランにとっても凄まじい営業妨害だったな。
だがあれは、
「あったねえ、でも、あれさ」
説明しようとした矢先、酒井が口を開いた。
酒井は、横目で正純を見る。対する正純が軽く引くのを式は確認して、
「……おいジジイ、てめえカッコつけ過ぎだろ」
「若い子にはいいトコ見せたいよね。でさ、――あの食通貴族、ミトツダイラ家が欲しくてネイトに言い寄ってたの、知ってる?」
「……は?」
「六護式仏蘭西側か極東側からかは解らないけどさ、襲名狙ってミトツダイラ家と婚姻関係結ぼうとしてたんだって。それでまあ、取引相手としてつけ込んできててさ。ネイトも、ほら、強気なんだけど、家とか立場とか結構考えるタチでね。俺、相談されてたんだよ」
じゃあ、と正純が眉を歪めたのを式は見た。
「あの騒ぎは、酒井学長の手引きで?」
「おいおいおいおい疑うなよ。俺は何もしてないって。――あの連中の内、誰かが気付いたんだろ。狭い武蔵だしな。……まあ、俺も年だし、どっかの馬鹿息子にちょっと漏らしたのを覚えてないだけかもしれんが」
……この野郎。
余計な一言に、式は苦い顔をした。正純が驚いたような顔でこちらの方を向くと同時に、目を逸らす。
「お前……」
「……」
式は沈黙を貫く。ここは黙ったもん勝ちだ。
数秒、無言の駆け引きが続き、やがて正純が「……そうか」と独り言のように呟いて自分から視線を外し、
「……やっぱり、変わってないんだな」
「?」
微かな呟きがかろうじて式に届き、しかし追及はしなかった。
無意識のように呟かれたそれは、正純の心だ。ならばその心に、この一年彼女から避けられていた自分は踏み込むべきではない。
聞かなかったことにするため、式は他人事としてこう締めた。
「……だがまあ、感情の面で、ネイトは感謝してるだろうな。トーリとかに」
「――――」
まだ何か言いたそうな正純に気付き、式は素早く酒井にアイコンタクトで話題転換を促した。
……おい、アンタのせいでこうなったんだからな。責任取りやがれ。
……おいおい、カッコつけはどっちだよ。
……やかましい。
そんな一瞬の遣り取りを経て、酒井はやれやれと首を振りながら、それでさ、と、一音ずつを区切るように前置きした。
そして彼は、不意にまた横目で正純を見る。やめとけよと思うが、言わないでおく。
彼は辺りを見回しつつ、口を開く。
「――確かに今日、変だな。正純君は気づく?」
●
「変?というと……」
問い返した正純は、あたりを、貨車や人の流れを見た。
だが、ややあってから、解らない、というように正純が首を傾げると、酒井は遠くに見える関所を指さす。待機場に並ぶ受け取り待ちの貨車の群を示して、
「――ほとんど空の貨車ばかり、って、シロジロから聞いたんだけど、意味解る?正純君」
「それは……」
はっとして、正純が声を上げた。
「武蔵への荷はあっても、武蔵からの荷が無い、ってことですよね。つまり、三河からの買い付け発注が少ないということです。……私、三河の関所を武蔵側から見るのは初めてなんですけど、確かにこの一年、他の関所だと違ったと思います」
「確かに、いつもはもっと、こっちからの荷もあったんだけどなあ。今回は妙に無いな」
眉をひそめる酒井に、一歩を先に進んだ正純が振り返りつつ言う。
「……三河が“人払い”を進めたのか、怪異の人口減少で物資があまり要らなくなったということでしょうか。それでいて自分からは物資を武蔵に送るのは、何だかまるで――」
正純は言った。
「――三河が、死ぬ前に形見分けして、自らを世間から隔絶しようとしてるみたいですね」
「おいおい、おっかないこと言うなよ。ただでさえ三河は鎖国状態で、交流不許可とか言って武蔵とも距離を取ってるくらいなんだからさ。だがまあ……」
よく解らんねえ、と酒井が頷いたときだ。
不意に、上から影が来た。頭上。雲のような、大きな影が空を渡っていく。
「あれは――、船か」
三人が見上げた船影は一つではない。ほぼ直上に数艦が来ている。そして西側、山並の上に、重低音を響かせていく一際巨大な白い艦は、
「K.P.A.Italia所属、教皇総長インノケンティウスが所有するヨルムンガンド級ガレー“栄光丸”。護衛は三征西班牙の警護隊だね。ムラサイのP.A.ODAの手が及ぶ土地に、わざわざ旧派の首領が来る、か。教皇総長、武装開発の交渉に来たんだって?」
「P.A.ODAは浅井攻めに集中してるからな。その隙に神格武装の一種である新型大罪武装の開発要求しようって腹だろ」
「大罪武装……、世界のパワーバランスの一端を担う、この世に八つしかない都市破壊級個人武装だな。七大罪の原盤とされる人間の八想念をモチーフにした武装で、使用者は暗に“八大竜王”と呼ばれてるんだっけか」
「二人とも詳しいね。八想念、……言える?」
「正純」
Jud.、と溜め息混じりに正純が言う。そして正純は頷き、
「暴食・淫蕩・強欲・悲嘆・憤怒・嫌気・虚栄・驕り。――この八想念が、六世紀にグレゴリウス一世によって七つにまとまります。虚栄は驕りに含まれ、悲嘆と嫌気は怠惰にまとまって、更に嫉妬が追加されて七つです。ゆえに――」
一息。
「現在、人間の大罪は七つと言われていますが、本来は四世紀にギリシャ出身のエウアグリオスがエジプトにて警告した八つの想念です。今、ラテン語で告げられる七大罪は後世のもので、本来は、――ギリシャ語の八想念が原盤なんです」
正純は言う。再び歩き出し、草履型の靴についた土を、乾いた路面で削りながら、
「そして、十年前でしたっけ」
空を行く船の影の中、足下を見ながら、正純は当時を思い出す。
式が微かに表情を強ばらせたのを見ないようにしながら、
「武蔵の大改修を行う直前、P.A.ODAとの暫定同盟を正式同盟にする話をまとめながら、元信公は、P.A.ODA以外の聖譜所有国に八つの大罪武装を送りました。それは――」
・暴食:M.H.R.R.
・淫蕩:K.P.A.Italia
・強欲:英国
・悲嘆:三征西班牙
・憤怒:上越露西亜
・嫌気:三征西班牙
・虚栄:六護式仏蘭西
・驕り:六護式仏蘭西
「三征西班牙と六護式仏蘭西が二つ持ってるが、これは八大罪が七大罪になるとき、まとめられた罪に対応している。つまり、出力が低めの設定だな。――が、三征西班牙は、新大陸にそれを持ち込んで南米の野生化した機獣達を全滅状態にまで追い込んだとか。噂によれば、数キロ単位で大規模破壊をぶち込めるらしいな。威力で言えば聖譜を媒介にした神格武装、聖譜顕装と同等だが、聖譜顕装が使用において戒律に縛られるのとは別で、大罪武装は自由に使える。大罪武装は、相手の罪を思い知らせるための説教武装でもあるからな」
と、言葉を継いだ式に頷いてみせ、正純は西の空を見る。陸港に向かう白い装甲をまとった船、“栄光丸”を見て、
「今回教皇がわざわざ来るのは、七大罪の“嫉妬”を作らせようとしているって噂です。何しろ現在、K.P.A.Italiaは改派の出現や中東貿易の衰退に焦ってますし」
一息。
「教皇総長も大罪武装の使い手で、八大竜王の一人なんですけど、旧派首長だからその呼び名は嫌ってるらしいですね。……それなのに新しい大罪武装を欲するのだから、K.P.A.Italiaはロンバルディアなどの国際金融で儲けていても大変なんでしょう」
「旧派は基本的に金融禁止だから、その金も税金で取れる以外は金融可能な異族や異教譜、そして何より極東の金融業に保持されちまってるしな。金の直接貸し借りが厳しいから、土地抵当貸し付けとかを仲介してるわけだし。大変だよなあ、教皇総長」
と式が口を閉じると同時、酒井が、口の端に下向きの笑みを作る。
「でも、さ」
「何です?」
と正純が肩から力を抜き、一歩を前に言ったときだ。
「二人はさ、――大罪武装につきものの噂って、知ってる?」
「つきものの噂……、ですか?」
Jud.、Jud.、Jud、と酒井が三度頷いた。そして彼は人差し指を立て、こう言った。
「――大罪武装は、人間を部品としているんだって、そんな噂だよ」
●
酒井の言葉に、正純はわずかに言葉を失った。
隣、式も、苦虫を噛み潰したような顔で酒井を睨むように見ている。
今、酒井が言った噂を、正純は耳にしたことがある。その噂はこういうものだ。
「人間の原罪である大罪の能力を武装化するには、人間を材料にするのが適格……」
「薄気味悪い噂だよ。……名古屋から人が消えたのは、実は大罪武装の材料にされたんじゃねーかって」
「そ、そんなことは、無い」
と、正純は三河に住んでいた記憶を思い出す。
「噂でなければ、問題です。大体、私がいたとき、住人はちゃんと転居届を出して行きましたし、そうでなければ最近の怪異などと同じように行方不明として騒ぎになってる筈です」
だよね、と酒井は言った。だが、彼は空を見上げたまま、
「これに関しては噂で済ませるの? 正純君」
「――?」
酒井は言った。話を振られたのは自分だけ。式を見れば、腕を組んでいて正純の方を見ようとしなかった。
こちらを見て、酒井は口端に太い笑みを作ると、
「俺さ、――正純君もこっち側に来ると、面白いと思ってんだけどなあ」
「こっち側というと……」
「俺の過去とか、平気で語れたり、式のこととか知れる側だよ」
過去、それは、
「例えばさ、俺が武蔵に左遷された理由、――殿の嫡子を襲名した人を、聖譜記述の通りに自害させてしまったこと。そういうのを笑って口に出来る側さ」
「――――」
酒井の言っていること。左遷の理由は知っている。三河住人だったら誰でも知っていることだ。四天王の一人が、聖譜記述に従ったとは言え、主の嫡子に自害をさせたというのは。
かつて三河の主、元信公には妻がおらず、嫡子がいなかった。
……だから元信公は、弟を嫡子として襲名させたが――。
松平・信康。
聖譜の記述によれば、彼は織田家とのトラブルで自害をすることになっていた。
それもあってか、十五年ほど前、三河はP.A.ODAにまだ信長の襲名者がいないことから、同盟を拒み、聖譜記述を“拡大解釈”で切り抜けようとしたらしいのだが、
……P.A.ODAの包囲によって半ば強引に暫定同盟を結ばされた。
その際、恭順の証として、嫡子となった弟公の自害を迫られた。
酒井は弟公の後見人で、自害を止められなかったことを理由に左遷された。
噂によると、信康公が死を望み、酒井が駆けつけたときには何もかも遅かったのだと。
正純の知る酒井の左遷理由とは、そういうことだ。
……しかし。
そんなことを簡単に口には出来ない、と思う自分が甘いのだろうか。
だが、こちらの視界の中、酒井が口端の笑みを消さずに、こう言った。
「でさ、正純君、いろいろ考えてるようだけどさ、その話に続きがあったら、どうする?」
「……え? 続き、ですか?」
Jud.Jud.、と酒井が二度言った。式は沈黙を貫いている。
「実は元信公には、……内縁の妻がおり、外に子供がいたとしたら?」
「――――」
正純は、一瞬言葉を失い、しかし強引に口を開く。今、いきなり聞かされた情報が理解出来ているはずもなく、頭の芯が定かではない感覚もあるが、真偽を確かめる程として、
「馬鹿な。もし、そんな子がいたとしたら……」
嫡男を襲名した弟公が自害したため、その子が嫡子になるだろう。だが、
「その子は、今、どこにいて、何をしているのです……? どうして表に出ないのです?」
「だからさ、さっき、言ったろ?」
酒井は言った。
「そういうのを知りたければ、踏み込んでこっち側に来なよ、正純君。――君、政治家志望で、結構大きいことを考えてるようにも思えるけど、一歩を踏み込むのが苦手だよね」
だけどさ、と酒井は言った。式の肩を軽く叩き、
「俺、いじめられるの好きなんだよね。あとこいつはこいつで、踏み込んじまえば後は楽だから。――だから俺達の分は踏み込んでくんないかね?」
と、告げた酒井が、不意に歩みを早くした。その半歩後ろで、自然な動きで式も歩き出す。
風が動き、衣擦れの音が二人分響く。