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各務原の麓にある関所は、橋を持っていた。
山の上側にある検疫や貿易用の関所とは別の場所だ。山から降りてきたものをすぐに三河の郊外に入れないよう、二次審査を主とする場所だった。
関所の証である門はは、山を下ってきた川の畔、橋の前に建てられている。
屋根のない広い門は開いており、開いた門から、幅十メートルほどの橋が見えている。そして橋から南、海側を見れば、広大な田園と林の向こうに、浅い斜面の裾に青くかすんだ町が敷かれている。
町の中央には、茶色い布をかぶせたように、平たい新名古屋城が存在していた。
それらの背景の前に、人影が三つあった。
一人は、中年過ぎの、細い男だった。
一人は、同い年くらいの、体格のいい男だった。
もう一人は、二人目の背後に控えた少女だった。
三人は、三河の町を背後にして立っている。
そこに、もう二つの影が来た。こちらも一人は中年過ぎの、猫背の男で、もう一人は、少女と同い年くらいで、同じように猫背の男の背後を歩く青年だった。
先に口火を切ったのは、猫背の男で、
「おや、松平四天王の内、榊原・康政と本多・忠勝の二人がお迎えとはね。――俺もまんざらじゃないってことか。井伊はどうしたよ? 榊原、ダっちゃん」
彼の言葉に、榊原と呼ばれた細い初老が、わずかに顔を上げる。彼は白髪を掻き上げ、
「それがな、酒井君、実は井伊君が――」
「井伊については他言無用だ。忘れたか榊原」
と、忠勝と呼ばれた体格のいい初老が、榊原に視線を向けずに言う。
横の榊原が唇を迷わせ、しかし、酒井達の方を見て、頷きと共に口をつぐんだ。
代わりと言うように、忠勝が半歩を前に出た。
「それより式、酒井が邪魔で顔が見えん。もうちっと横寄れ」
「ん」
言葉通りに、式は身体を平行移動させて、酒井の斜め左後ろに来る。忠勝は一つ頷くと、身体をやや前傾させ、
「――見せろ」
瞬間。忠勝の背後にいた少女の姿が消えた。
「!」
対する酒井が、浅く顔を上げ、
「は? おいおいおい、お前の言う“見せろ”って、大体ろくなことじゃ――」
言う台詞が終わるより早く、酒井の背後、式の右隣に二つの円弧を描く影が来た。
円弧の一つは先ほどの少女の結んだ髪が描く動きの軌道。
もう一つの円弧は、抜かれた刃を示す銀の軌道だ。
動きが止まらない。ゆえに、
「――!」
酒井も、己の身を動かした。
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酒井がこの一瞬の中でどう判断するのかを、式は見極めていた。
自分のほぼ真横の風の動きだけで、先ほどの少女が自分とは反対側から酒井の背後に来たことは解った。
ただし、その理解は視線を酒井達に向ける前に終える。生まれてこの方、松平四天王に鍛えられてきた経験というの積み重ねが、彼の理解を、推測を超えたものにする。
……戦種(スタイル)は近接武術師……相変わらず鋭い動きしてんなあ。
少女のことは忘れていない。十年前まで、共に技を磨き、己を「ししょー」と呼び慕っていた少女。
本多・忠勝が息女、本多・二代。正純に言われて思い出したが、三人揃って同じクラスだった時もある。
得物は槍だった筈だが、この不意打ちのために刀を持ち出したのだろう。
事情は解らないが、人の背後にいきなり回り込んできたならば、動きは標的にされた酒井を攻撃か確保するかのどちらかだ。
そして今、肌に感じる動きは、少女が身を振って起こす大気の揺れ。それは一応視覚情報としても脳に入ってくるが、実戦において視覚は頼りにしない。
故に式は一度目を閉じる。
大気の揺れは大きく、初速が遅い。
ならば攻撃だ、と式は判断する。確保のために腕を伸ばすならば、揺れは小さく初速が早くなる。だが、攻撃の際に起きる風は、全身をもって武器を振り抜くため、最初は遅く、しかし大きい。
今は後者だ。
どう来る、と式は二代の行動に疑問を持ち、
……どうする。
酒井と自分に問いを作る。
酒井ならどうするか、という推測に平行して自分ならばどうするか、という思考が生まれる癖は、他人の動きをつい目で追って見取り稽古をする際についた。
二代の武器は、覚えている。忠勝の背後に立った時、見ている。
それは酒井とて同じだろう。意識して見ていたわけではない。かつて、松平の四天王の一角として戦場を切り抜けてきた経験に基づいた教えは、意識よりも深い位置に叩き込まれている。畜生、猫背のオヤジの癖に、と悪態をつくくらいには、思考の余裕がある。いや、それは今どうでもいいから。
あの武器は白砂台座のブランドだ。木柄を黒のマット仕上げにしたものは、白砂の名に反する色である一方で保守的な作りが売りのもの。柄はまっすぐで、軽さによる振れを長さによって補っているように見えた。
……だったら。
長い柄(ヤイバ)は、刃を扱いやすくする一方で、一つの問題点を持つ。
刀とは、相手に当て、削ぐように引くことで切る武器だ。だがそれは、当てた刃を、己の胸側に引くことで切る、という事実を意味する。
ゆえに、刀の刃は、引くことが可能な距離しか切れない。削ぐ際の力加減によって深く切ることが可能だが、切れる距離は引ける分だけ、だ。
そして、長い柄を持った刀の場合、手前に引けば柄が身体に当たることになる。
引ける距離は短い。
その場合、長く切るために使い手はどうするか。
……身を倒し、遠くに刃を降る!
全身を倒して刃を前に遠く振り、全身で引く。
そうすれば、身体の振りの分だけ刃を引く距離を稼げる。
今、真横に感じる風は大きい。
全力で、五体を踏み込むための風だ。
狙いは酒井の右胴。背後からの横一閃だ。
上手い、と式は本能で相手を認めた。
上半身を狙えば、肩と胸の分厚い筋肉と骨が邪魔をする。自分ならば断つまで行けるかもしれないが、それより効率よいのは腹より下だ。手首を断つか弾けば済むだけだし、腹圧で張った横腹の薄い肉を裂くことが出来る。
更には、横の一閃ならば、横に刃を引ける。
そうすれば身体を回す動きで自動的に刃を低くし、引いた柄尻が胸や腹に当たることもない。回り込む動きと連動すれば、足を整える必要もない。
行儀の悪い剣術だ。稽古場で習うものではない。実戦の判断だ。
それを避けるには、どうすればいいか。
……自分から斬撃に飛び込む!
刀が引き切る武器であるならば、こちらから飛び込むことで、引く距離をゼロに出来る。もし相手が下がったとしても、本来引くことが出来る距離よりも短くなっている筈だ。
目を開く。
果たして、その判断通りに酒井は動いた。
●
酒井は、背後で風巻く一撃に対し、
「と」
軽く一歩、バックステップした。
「――!」
踏み込んでの斬撃に、自ら飛び込む。横一閃の斬撃より早く下がるため、身を振って行ったのは、まっすぐ後ろではなく、左の後ろ。
行った。
更には、
「さて」
酒井は、腰の後ろに隠し持っていた短刀を半ばまで抜いた。
抜き方は右の逆手で、肩ごと腕を引き上げるような動き。これによって、短刀の刃で右の腰を守れるし、曲げた腕で右横胸を守れる。更には上げた肩によって右首を守る。
そうすることで、相手の斬撃に対し、良い位置を取り、防御をする。
最善の手を尽くしたと、酒井は左後ろに跳ばした身を急いで右に振った。
そちらに、刃を振り抜く相手がいる筈だ。
いた。
黒の髪が見えている。
これから身を当て、次の瞬間からはこちらが主導権を握る。
本来ならば一撃入れて大人しくさせ、格の違いを見せつけるところだが、現在は教導院の学長だ。若い娘にあまりひどいことは出来ない。乳揉みくらいで赦そう。
そして、相手の刃が、こちらの短刀に当たろうとした。
だが、
「……っ!?」
酒井は見た。少女が、いきなりこちらの右前に移動していたを。
……これは――。
こちらの右肩のすぐ前。背中を見せている。腰は落とし気味だ。
どういうことかは解らない。
解らないが、瞬間的な移動があったのは事実だ。
そして彼女が、こちらの右前に移動した理由は解る。
……こっちの刃に己の刃をぶつけないためか!
刃は、金属で出来ている。粘りを持つように重合加工されようとも、鍛錬されようとも、硬いものを打てばしなり、欠けもする。達人ならば術式や加護も無しに刃で金属を断つこともあるが、それは現役当時の酒井でも容易いものではない。
ゆえに、少女は刃のぶつかり合いを回避した。
避け、前に出て、斬撃のために振っていた身を腰を落とすことで制御した。
左に担ぐように構い直された刀は、彼女が立ち上がる動きに合わせて跳ね上がり、
「――――!?」
来た。
のけぞった姿勢から刀を振り上げ、その動きでこちらの首を刈る。変則切りだ。
酒井の右腕、短刀を握った手は彼女の背に押さえ込まれている。
……上手い。
こちらの動きを読み、常に致命の一撃を狙ってくる。
相手に密接することを恐れないのは、修練の賜物だろう。
酒井は刃が跳ね上がってくる前に回避しようとして、
「ぬ」
右足の先を、彼女の深く引いた踵に踏まれた。
爪先を抜く。が、遅い。逆に爪先を抜くことに気を取られた。
回避出来ない。そして目の前で、少女が刃を振る初動を見せた。
まずい。しかし正面、かつての同僚二人を見ると、
……あのヤロウども、何を握り拳作って観戦してやがる……!
声をつけていいなら“いけ――!”しか思いつかない顔だ。
後で張り倒してやろうと思いつつ、酒井が短刀を抜けない状態のまま動こうとした瞬間、
「!」
二人の間に、影が割り込んできた。
「悪ぃ、学長に恥かかせられねえからな」
式だ。
●
一瞬だった。
二代が間合いを詰め、下からの袈裟切りとして酒井と刃の距離を縮めていく。
……取る!!
その、縮まっていく隙間をねじ割って、入り込んできた影。
「――っ!?」
二代は、ほぼ勘と反射で動いていた。何かの動作の際に発生する大気の流れ。それすら感じられなかった流麗な動きは、しかし僅かな気配を纏い、二代の本能に回避を促した。
式は、こちらの左側から強引に割り込んできた。
無手だ。右肘を曲げられて右手は関節を伸ばして指先をこちらに向けており、手の角度と位置から攻撃手段は中段からの、顔か頸部を狙った貫手(ヌキテ)と理解する。
まずは回避だ。敵と密着することを恐れてはいけないと同じく、敵と離れることを恥じる必要はない。
無手ならば、身体のリーチがそのまま攻撃範囲に直結する。自分の身体自体を武器とするから、相手に突っ込めば関節を曲げるだけで簡単にリーチの縮小、軌道修正が可能になる。
だから二代は回避を選んだ。攻撃範囲の外、身長と腕の長さも合わせて見積もった距離は三メートル強。蓄積されている自身の加速術式を踵に展開し、背を見せずに後退を試み、
「よっ」
実行する前に高速の貫手が二代の眼前に迫り、二代は驚愕した。
……予備動作も初動の素振りも見せずに!?
術式の展開すら間に合わない。二代は本能的な動きで、持っている刀を使った。
それとほぼ同時に、式の腕が伸びきり、
「――!!」
交錯した。
●
「ハイ、そういうわけで今ので大体揃いました? 明日の打ち上げ用の御料理の食材は」
という、巫女服を着た長身の黒髪、左目に緑の義眼を入れた少女、浅間・智の言葉に、ついてきた三つの影は頷いた。
場所は右舷二番艦・多摩表層部右舷側商店街。観光向けの艦という恩恵もあって栄えた場所だ。行き交う人々には三河から上がってきた者や、南側の陸港からやってきたK.P.A.Italiaや三征西班牙の学生達もいる。
そんな中に立つ四人の内の一人、直政が艦内整備用の大型レンチを右の義腕で回して弄びつつ、他の三人、アデーレと鈴、そして浅間を見た。
「人数分とはいえ、一気に買いすぎじゃないかねぇ」
直政の言葉が示すのは、皆が持つ紙袋の山だ。四人とも腕はおろか、肘にも釣っているし、腰のハードポイントにも懸架している。
「ガ、ガっちゃんや、ゴっちゃんとか、……い、いてくれると、良かった、けど」
言った少女は、前髪を伸ばして目を伏せた向井・鈴だ。荷物が比較的少なめの彼女は、腰横のハードポイントに着けた対物吊柵センターを揺らしつつ、荷物を抱え直して言う。すると浅間が、
「ナイトもナルゼも、あの二人、運送の仕事してますからね。今頃は艦の間飛び回ってると思うんですけど、さっき、トーリ君がミトの胸触ってぶっ飛ばされたとき、頼んでおくべきでした」
浅間の言葉に、眼鏡の少女、アデーレ・バルフェットが、はあ、と吐息した。
「まあ、浅間さんもお疲れ様です。巫女服で、浅間神社の仕事、今は忙しいですよね?」
武蔵内神社の主社である浅間神社の娘でもある浅間は、アデーレの言葉に軽く頷く。
「はい。春先は契約関係の仕事が多くてカウンター業務が多忙ですね……。術式も、皆最初は過激なの欲しがるから、うちの月間発注量がヤバくなってますよ」
「アンタの神社行くと過激なの貰えるって皆思ってるんじゃないかね」
直政が、レンチを回して脇から肩上に潜らせながら言う。
「アンタ、去年の文化祭では弓道部の人間射的に出て射撃場からマジ逃げした部員までブチ抜いたじゃないかね。そんで景品全部かっさらって孤児院に渡して。孤児もプレゼントが犠牲と引き替えに入手されたもんだとは思うめえよなあ、アレ。人の命は景品より軽いよな」
「だってマサ、加速系入れてない人間なんて鴨撃つより楽なんだからしょうがないじゃない。悲鳴上げて外に逃げてこうとしたのだって、外に迷惑掛かるからズドンしただけだし」
「……アンタ物騒って言葉を理解しなよ」
あれえ? と首を傾げた浅間に対し、直政は肩のレンチを一瞥した。
「とりあえず、あたしらにこのまま付き合って、今日の“幽霊探し”には来るんだろ?あたしもチーフの泰造爺さんに夜番の休み貰うけど――」
と、直政が浅草を顎で示した。貨物艦である浅草や品川は、その艦上に立つ全高百メートル超過のマストから帆を下ろし、マストの左右アームを利用したデリッククレーンを展開している。アーム先端の滑車に掛けたロープを引いて懸架するデリックは、その上部の動作管理やロープを引くために、作業用の武神や飛行系の種族や職業者を用いている。
「まあ、あっちがあるけど、ちょっと地摺朱雀で手伝ったら、すぐ行くよ」
言っている間に、ロープの牽引を利用して、武神がデリックの上に懸架されたり、降りてくる。それを見たアデーレが目を弓にして、
「たまに、ゴンドラごっことか、ブランコ遊びやってますよね。いいですよねー」
「一応、仕事の研究なんだよ、あれも。それよか――、何か空が騒がしくなってきたね」
空。浅草と品川や、各艦の間に、白い霧の尾をたなびかせて空を突っ走り始めた影が幾つかある。飛行種族や魔女達だ。どれも高速で、絡み合うような軌道を取りつつ艦の間を行くが、
「三征西班牙の武神が監視止めたから、配達業者の連中がレースと模擬戦やり始めたね。各国のエース級なのに教譜と折り合いつかなくて逃れてきたのが多いから技術や知識交換なんかでは世界有数だってナルゼが言ってたね」
「あ、ナルゼとナイトも今飛んでましたよ? 義眼“木葉”でなければ見えないような速度で。……話によると二人一組ユニットだと最強クラスなんだとか」
「まあ、あの二人も、今の内に仕事やそういうのやっておいて、夜には教導院に集まるんだろうしね。ホント、あたしの周囲、ろくなのいないもんだねえ」
「……マサ、最後の台詞は鏡見て言いなさい」
浅間の言葉に、アデーレが小さく笑う。彼女は紙袋や包みを上げた膝に載せて抱え直し、
「でもまあ、三河の花火もありますけど、やっぱり皆さん総長の方に行くんですねー……。自分も、模擬用の従士槍に対霊術式着けて参陣しますけど」
「わ、私も、私も行きます」
鈴も言って頷いた。そんな皆を二色の瞳で見た浅間が、眉尻を下げて笑う。
「何だかんだと、皆、トーリ君のことが気になってますね」
「確かにね。世間は織田だの大罪武装だの末世だのと煩いけどさ、まあ、そんな中、一人の馬鹿の告白が通るかどうかはホント、通し道歌じゃないけど――」
レンチを首後ろに担いだ直政が、午後半ばの空を見上げて言った。
「怖いさね。……よくやる気になったもんだ、あの馬鹿」
そして視線を落とした直政が、浅間を見て口を開く。出る言葉は、
「アンタ、うちらよりも付き合い古いよな、喜美んとこと」
●
直政に問われた浅間は、わずかに考えてから頷いた。皆を見て、
「まあ、古いと言っても、親の関係ですし、幼い頃の記憶なんて結構曖昧ですけどね」
「でも初等部以前からの付き合いはアンタくらいだろ。他は皆、初等部以後。だから皆、まあ、トーリがどういう人間かは知ってるわけだが――」
「ま、正純さんが、ち、違い、ますっ。あと、あ、東さんも」
鈴の言葉に、浅間は首を下に振った。
「正純は、去年の転入生だから。……今日も教導院に来てなくて、学長と式君と三河の方に出たりで。――私達と違って、教導院の生活を通過点として捉えてるみたいですよね」
あと、
「東君も中等部からの編入なので、やっぱり、トーリ君のことを完全には解っていないと思いますよね」
でも、と浅間は首を傾げた。直政を見て、
「どうしてそんなことを?」
その問いかけに、直政が苦笑した。
「――ここにいるあたし達は、トーリと同じように、ホライゾンのことを知ってる。や、ホライゾン達かね」
その言葉に、浅間は、皆と共に沈黙する。一体、何をどう言えばいいのか、と。
言った直政でさえ、軽く口を噤んだが、しかし彼女は、ややあってから、
「ちと歩くか」
と、直政が顎で道路を示す。それも、レンチを軽く振り子のように左手で弄びながら。
しかし、人とすれ違いながら彼女が行く道は、
「あの、こ、この、この道の先って」
解る。鈴が首を横に振っている理由は、
「ああ、トーリがいつも朝に寄ってる軽食屋があるんだよな。でも安心しとけ、この時間、鈴が恐れる相手は外に出てるさ。――彼女、午後の墓参りしてんだ。知ってるだろ」
直政の台詞に、浅間は内心で驚きを得る。歩き出した直政についていくように一歩を踏み、
「ちょっと驚きです。マサが、彼女のことに興味を持ってるなんて」
「――彼女の墓参りを知ってるアンタと変わりはないさ。大体、早朝や午後の仕事の一服を外殻の非常階段で入れてると、聞こえてくるんだよ、あの歌が」
「あの歌と言いますとー……」
それも知ってるだろ? と、既に歩き出した皆の先頭となった直政が、
「通し道歌。あたし達が、ホライゾン達と一緒に遊んだときに唄った歌さ。道に石で陣を描いて、皆でそれぞれの腕の輪くぐって、……歌い終わったときに陣に残ってたら負け」
「ホライゾンは、変に気を遣うところがあって、たまに自分から負けるときありましたよね。バレないようにしてるつもりがバレバレでしたっけ……」
一息。
「ただの遊びなのにあの“二人”、妙に思考回路似てたというか、お互いに気を遣いますよね。ホライゾンを一人で残さないようにあの人もわざと負けて、二人で一緒に陣に残ってて」
言った浅間は、ややあってから、歩く皆が自分を見ていることに気づく。
そして浅間は、直政の先ほどの発言の意図を理解した。付き合いの古さを問われたのは、
……私に、ホライゾン達の古い思い出を語れってことですよね。
ホライゾン。
記憶にあるのは、黒の髪と青の目の少女だ。線が細く、しかし、今思い返しても、芯が強く、優しすぎると思えるときが幾度かある娘だった。
そしてもう一人。
周りを常に優先するホライゾンが、恐らく唯一甘え、頼っていた少年。
彼もまた、ホライゾンをとても大切にしていた。あの頃こそ、普通に仲が良いと片付けられるが、それも、
「生まれが、大変な人達でしたからね。……一緒にいたトーリ君と喜美が、どんどん馬鹿になっていったわけですよ。あれだけシビアな生まれだと。まあ、それを知ったのも――」
一息。
「ホライゾンが亡くなってからですが」
その言葉に、皆が俯くのを浅間は見る。しかし浅間は、自分だけは俯かず、
「トーリ君は……そして彼は、どう思ってるんでしょうね。今回の告白を、清算の始まりか、それとも継続か、それとも心機一転なのか、はたまた贖罪なのか、憧憬なのか、……どう思ってるんでしょう」
「少なくとも、……オッ○イ揉もうと思ってるのは確かじゃないかと。あ、総長の方ですよ?」
「ハ、ハイっ、そこしんみりしてるときにシビアな現実言わないっ」
だが、アデーレにそう言いつつも、浅間は自分の肩が落ちるのを否めない。確かにそうだしそうしそうですよね、と思う自分が情けなくもある。が、アデーレが言葉を続けて、
「そういえば浅間さん、さっき総長が言及してましたけど、総長に揉まれたことあるんですか? 自分の知る限りそんなこと無かった気がするんですが」
やぶ蛇もいいところだ。浅間は慌てて首を横に振りながら、
「いえ、その、私は……」
「あ? 憶えてないかねアデーレは。アサマチったら初めてブラつけてきたとき、トーリから“反則だ! 汚えよ! 乳カバーかよ!”って後ろからおもむろに」
「ぅわあ――! 何言ってるんですかマサは――!」
ははははは、と直政は五回笑ってこっちの肩を平手で叩く。
「いいから笑っとけよ。――でな? アデーレ、でコイツったらマジ泣きしちゃってトーリが先生に叱られたんだけど、そしたらトーリ、コイツに対して“ようし、じゃあ俺の乳を揉んでプラマイゼロだ!!”って、泣いてるコイツの手をとって自分の乳揉ませて“ええんか!?これがええのんか!?”ってやったらさ、」
「ひゃあああああマサ! マサ!! もういいから!! いいですから!!」
顔を真っ赤にして直政の口を手で塞ごうとした浅間の手をひょいと避けながら、直政は、でな? と続ける。
「いいじゃないか、こっからが本命みたいなもんだし。……まあ、それでな?どうしようもないから先生が説教二度目に突入しようとしたら、式がトーリ殴って説教垂れたんさね」
「式さんが?」
Jud.Jud.、と直政が上機嫌で頷く。
「喜美の彼氏やってるような奴だけど、あれでもフェミニストだからね。“お前なあ!智だってまだ純情でいたいんだよ!! 絶対将来すげえ巨乳とかのエロい身体付きになるだろうけど今は解ってやれよ!!”って……あれ? 心の傷抉られてね? 確かアンタ、その時トーリを真面目に怒ってくれた姿勢だけは格好良かったっつって式に……」
「ス、ススストップ! ストップ!! ろくな話じゃないし聞くもんじゃないですよ!!」
「……ああ、私その日は確か朝練引きずって遅く来たんですけどー、あれ、総長の乳揉めて式さんに助けられた上で貶された悲し泣きとか嬉し泣きとかだったんじゃないんですかー……」
「す、すいませんっ、私、アデーレの中でどんなキャラだったんですか!?」
いいじゃねえか、と直政が言った。
「――ひょっとしたら、明日から、こういう話題もしにくくなるかもしんねえしさ」
●
「そうだろ?」
問うてくる義腕の友人を、浅間は二色の目で見た。
すると、歩く直政も、こちらをちらりと見る。
「ま、そこらへん、喜美も解ってんだろ」
黙って聞いた。すると直政は、前を見て、
「喜美の馬鹿も、馬鹿のようでいて本気で馬鹿なんだが、気の回る馬鹿だあね。気の回しすぎなのがやっぱ馬鹿なんだけどさ。もし明日、トーリがコクって上手くいったら、一番食らうのは自分だろうにさ。――それなのに、あたしらが語ってるここにあの馬鹿いやしない」
「それは――」
浅間は思い出す。さっき皆が階段上で解散したときのことだ。弓道部と兼業している茶道部を抜けて駆けつけた浅間は今夜の予定などの確認をとることしか出来なかったが、あの後も喜美は、
「……階段の上に座ったままでしたよね」
「ああ、さっき解散する際、別れ際に、トーリが“後悔通り”に行ってみるって言ってたからな。――知ってるだろ?」
「トーリの馬鹿は、あれから十年、“後悔通り”を歩いたことがない」
解ってるよな?と直政が言葉を続けた。
「今朝の体育だってそうさ。集合が外だって昨日知らされた時点で、何をするかは大体解るからね。そして教導院から突っ走って飛び出したら、まっすぐ先、右舷と左舷の二択の右側は“後悔通り”だ。そして――」
「前回、二年の終わりの授業では左舷浅草の団子屋まで走りましたからね。……順番的に見て、今回は右舷です」
浅間が答えると、アデーレが奥多摩のホライゾンを見た。眼鏡の奥の目を細め、
「では、あの、喜美さんが階段に座ったままだったりするのは――」
「馬鹿な弟が、“後悔通り”を通れるかどうかを見守ってるのさ、馬鹿な姉として」
馬鹿な女さ、と直政が一歩を先に行きながら言う。
「それでいてあたし達も馬鹿さ。ここにいる皆、いや、うちのクラス全員は、あの馬鹿女に頭が上がらない筈だ。何しろ――」
何しろ。
「トーリを向こう側に行かせなかったのは、あの馬鹿女なんだから」
その言葉に、皆が歩きながらも息を詰める。周囲、商店街の物音や賑やかさも気にならぬという風に、しばらく無音が続き、だが、
「……じゃ、次は馬鹿な男の話でもするか。トーリが一度も通らなかった“後悔通り”を、ほぼ毎日通い続けてる馬鹿な男の話をさ」
●
苦笑交じりにレンチを担ぎ直した直政に、皆も一様に同じ表情を返す。
「……あの時、彼は何も変わりませんでしたね」
「ああ、変わらなかった。いつもみたいに妙に頼りがいのある顔で笑って、“俺今日から武蔵住人だから、よろしくな”って言った時から、あいつは何も変わってないさ。……まあ、頭は一度狂ったがね」
最後にポツリと付け加えられた直政の一言に、浅間達はどう反応すればいいか思い付かず、眉尻を下げる。
「でっ、でも、ちゃんと、帰っ、て、きた、よね?」
直政の言葉を打ち消すように鈴の放った一言に、浅間がしっかりと頷いた。
「はい、……大丈夫です。彼はあの時、自力で戻ってきました」
一人で抱えて、溜め込んで、潰されそうになって。
それでも立ち上がって、前を見て、皆の少し先を歩む。皆が見失わないように少しだけ先を、度々こっちを振り返りながら。
それが、浅間の知る彼だ。だから、
……大丈夫です。
もう一度、心の中で呟く。
その受け答えに満足したように直政も笑い、
「全く馬鹿な男さね。……あたし達の先じゃなくて、隣を歩けばいいのにな」
それでいて不器用な男だ、と続ける。
「器用で不器用、何でも解ってて何も知らない優男だよ、あいつは」
「ははは、またズバッと言いますね……、……まあ、その性分こそが、まさにホライゾン似なわけですが」
それは、
「全てが、――ホライゾンなんだと私は思います」
「ホライ、ゾン……」
鈴が、うつむきながら口を開いた。腰の吊冊状対物センサーの金柱群を小さく鳴らしながら、
「や、優しい人、だったの」
鈴が小さな声で言った。その上で、あのね、と前置きする。そして、
「し、知ってる? トーリ君、私を呼ぶとき、初めに、おーいとか、あのさあ、とか、絶対言うの。そして、わ、私に手を差し伸べたり、触れるとき、あ、あの、手を、こ、こうやって」
浅間を含む視線の先、鈴の手が、自分の制服の腰のあたりを拭うように触れた。
それは手を拭うような動きに見える。が、衣擦れの音を含むものだ。
「これ、あ、合図なの。――私、眼、み、見え、ないから、いきなり名まっ、呼ばれたり、触れられると、び、びっくりして、迷惑掛けるか、ら、だから、先に別の声や音、って」
「ああ、あたしらも、真似してそうしてるっけね。初等部の時に馬鹿がそれやってるって気づいたときは、あの馬鹿細かいとこで点数稼ぐもんだと思ったけど……」
ううん、と慌てて鈴が首を横に振った。
「ホライゾンが、それ、始めたの」
息を吸う。
「トーリ君、ホ、ホライゾンが居なくなっても、……忘れ、なかった、の」
そっか、と直政が言った。悪かった、とも。
浅間はただ、笑みを得るしかない。
……ひょっとしたら――。
鈴さんは、彼のことが好きなのかもしれないと、そう思う。
ならばこそ、余計に思う。
腕や肘、腰のハードポイントに掛かる袋の重さを感じながら、
……今日のお祝いも、明日の告白も、上手くいきますように。
ただ願い、思って、
……そういえば、式君はもう三河に着いた頃でしょうかね。“幽霊探し”、来てくれるといいですけど……。
ただ静かに、想う。