ほらいぞん 仮   作:ろいやるみるくてぃー

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第六章 再会場の師弟達

      ●

 

「――というわけだ。悪い記憶でしかないわな、昔のことなんざ」

 と、木造の屋内に野太い男の声が聞こえた。

 場所は三河郊外、二十畳程度の、厨房とカウンターを持つ空間。酒や軽食を出す食堂だ。

 入り口側は木のテーブルと椅子が並ぶが、奥の半面は畳敷きだ。声はその畳敷きから、

「いいかあ、そういう昔を忘れて心機一転、左遷と子守でいじけてたお前に対し、ようやく十年ぶりに我らが会おうと言い、昔なじみの場所まで予約とって用意したというのに――」

 と、奥の卓を囲んでいた酒井と忠勝と榊原、そして式と二代という皆の内、忠勝が酒を飲み干した中徳利を声と同時に卓へ叩きつけた。

「酒井、お前、自分の尻拭い息子にさせて恥さらすなよ!」

「あのな、フツーは再会した偉いご友人様に娘つっかけさせないだろ? 二代だっけ? 名前。昔に見たことあるが、強くなったもんだ。それをマジにけしかけるなんて十年前と同じでダっちゃん頭おかしいだろ? RPGやると、戦闘ですぐ即死呪文掛けたがるタイプだよね」

「やかましい、貴様はいつもそうやって自分勝手だから武蔵の学長に回されたりするのだぞ!? つまりだなあ――」

「おいおいダっちゃん、昼から酔って話を三ループもさせんなよ。つうか学長いいぞ?若い女の子と話がしたいとき、女教師と話をしたいとき、若造全員整列させて朝礼やりつつ心の中では超軍隊指揮官ごっこをやりたいとき、如何だよ学長職。なあ榊原!」

「何故に私に回しますか君は」

 言うと、酒井と忠勝は二人で揃って榊原を見て、

「――お前、ホントに昔っから反応が悪いな!」

「その前に学長が朝礼で何子供心を取り戻してんだよ」

 と、忠勝の背後の少女、二代が、小さく手を挙げた。

「父上、さっきから三ループ分、榊原様が虐げられてる気がするので御座りますが……」

「ああ、二代。お前、十年前の我らのノリとか、憶えとらんか。我も、十年ぶりに会って、まさかこうまでソッコで当時リフレイン状況になるとは思わなかったが……」

 Jud.、と二代は頷く。軽く座礼する。顔を上げた視界に、当然のように酒井の隣に居座っている少年、酒の入った御猪口(オチョコ)を傾けている式も入れながら、

「出来れば、改めて御紹介を――」

 

      ●

 

 剣を学ぶ本多・二代にとって、父である忠勝を含む松平四天王は特別な存在だ。

 現在、三河は人払いや新名古屋城の稼働による怪異の多発によって、人が少なくなっている。数少ない人間の重臣として残っているのは父や榊原だけで、他は自動人形に襲名権を奪われたり、辞退して去っている。

 本多家も主要なものを松平別領の江戸に移し、郊外に小さな屋敷を持つ有様だ。二代も、ここ数年は中央側に足を向けていない。が、きょう、“昔なじみの場所”と言われたここが中央側に近いため、内心では怪異の発生などを警戒しっぱなしだ。

 ……それなのに父上達は剛胆で御座る……。

 彼ら、松平四天王の人気は、郊外に移り住んだ人々の間において未だに高い。最近、出張とやらで井伊・直政を見ないが、彼や父、榊原は三河に残った人々の顔役となっている。

 そして人々は、酒井のことも口にする。

 ……実質、松平四天王のリーダーとされる御仁。

 昔に会っていたことがある。話もしたことがある。が、十年以上前のことで、よく憶えてないし、相手の存在の価値も意味も解っていなかった。単なる猫背のオヤジだとばかり。

 だから、四天王の内、酒井だけが、二代の中から抜けている。

 人々の言う評価、政治、武道、人格への賞賛はどれほどのものなのか。

 今、本人が目の前にいるが、

「あ、俺、酒井・忠次ね。君のお父さんとかよりマジ偉いから。俺と君のお父さんは地元組で、そっちの榊原と、ここにいない井伊は、小四からの編入組。三十年前だっけ、武蔵アリアダスト教導院が武蔵に出来たとき、こいつら余所から入ろうとしたんだけど入れなかったの」

「あの時期は、アリアダストが開放的であることを示すために異国人の編入を第一としてましたからな。私や井伊君は神州のためを思って編入を辞退したまでです」

「うわ言い訳上手いねえ。ともあれ学生時代は殿先生、――元信公が学長兼永世生徒会長だったから俺総長で、君のお父さんが特攻隊長」

「副長って言えよ馬鹿野郎。今でも三河の特例として聖連認可の特殊予備役副長だぞ。」

「無視するけどいいよね。んで、井伊が副会長で、この榊原がまた口先だけの男でなあ」

「口先……」

 榊原は麦茶を飲んでいたが、二代の視線を受けると慌てて手を振り、

「べ、別にそんなことは無かったのですぞ! 書記で、文系としての能がありましたしな!」

 そうだっけなあ、と、父と酒井が頷いた。まずは父の方が、

「確かに文系能力あったよな、榊原。学園祭のとき、罰ゲームでお前が初等部の卒業文集に書いた詩“明日の某ら”を朗読したの、あれ結構ウケてたしな、――我だけに」

「だよねえ、今となってはいい思い出だっけね。初等部のときさ、教導院の四階から下に重りつきの癇癪玉投げてよく遊んだよね? パァンって音がして、窓から下見たら下校中の榊原が頭から煙上げて俯せに倒れていたりしてね。いや、今でもよく憶えてるわアレ。気絶した人間って腕とかダラりとしてんだよね」

 はあ、と頷いた二代の視界の中、口端を歪めた榊原のこめかみに青筋が浮いていくが、二代は何も言わない。大人の話題だ、と二代は思う。子供は口出しせぬのが得策。

 子供といえば、と二代がこの場にいるもう一人の子供を見ると、

「……ん? ああ、十年ぶりなんだし、俺も紹介しなきゃだよな」

 黙々と手酌していた手を止めるのを確認し、二代は再度座礼する。

「――お久しぶりで御座ります、式殿。御息災で何より」

「堅ってえなあ。昔みたいに“ししょー”って呼べよ、二代。お前にそんな呼び方されると、イマイチしっくりこねえ」

「ですが……」

 からからと笑って何気なく言う式に、二代は眉を顰めながらも頬が緩むのを自覚する。

「……師匠は、変わって御座りませぬな。相変わらずお強い」

「手放しに褒めんなよ、照れる。そう言うお前も、随分強くなったじゃねえか」

 自分も十分手放しに褒めてるで御座らんか、という言葉は控え、二代は愛想笑いを浮かべるに留めておいた。

 

      ●

 

 約十年。

 それが、二代の元から式が去ってから今日までの年月だ。

 背が高くなっていた。

 髪が伸びていた。

 もっと格好良くなっていた。

 もっと強くなっていた。

 それでも、妙に頼りがいのある笑みは、切れ長かつ爽やかな目元が栄える赤い瞳は、無手で敵の懐に向かってくる無茶さは、自分への接し方は、何一つ変わっていなかった。

 二代にとって、式は松平四天王と同じくらい特別な存在であり、最も身近で最も遠い存在だ。

 同じ年で、酒井や忠勝から同じようにしごかれ、それでも二代は、一度も式に勝てた試しが無い。

 悔しかった。越えたかった。同時に越えられないと解っていた。吹っ飛ばされる日々を永遠に楽しみたかった。

 毎日毎日彼を出し抜く策を考えながら、式がその策を華麗に破る姿を想像していた。

 二人で、忠勝や酒井に闇討ちを仕掛けることもあった。

 その時は、自分でも驚くほど式と息を合わせられたことが嬉しくて、大の大人に大人気なく返り討ちにされても、闇討ちに失敗して悔しい気持ちよりも敬愛する師匠との連携プレイによる高揚した気分が勝っていた。

 だが今日、十年ぶりに偶然の産物による一瞬の相対を通じて解ったことがある。

 ……師匠は、拙者に合わせていたのだ。

 だがそれは、自分の方が実力がある、という傲慢さからレベルを下げられていたのではない。

 むしろ逆だ。式は、二代が式を目指しているのを承知した上で、連携プレイという形ではあったが、二代のレベルを自分の元まで引っ張っていたのだった。

 突然「お前の親父打ち取って襲名権奪ってやろうぜ!」と笑って宣言した時はどうなることかと思ったが、アレも今思えば自分を鍛えるための口実で、式なりの冗談だったのだろう。その際に珍しく武器を用いたのも、理由が理由なのですんなり頷ける。流石は師匠、言行動は一々常識外れながら、無駄の無い人で御座る。

 今でも鮮明な回想に浸りつつ、二代は先の、一瞬だけの相対を思い出す。

 ――式が本気でこちらの顔面を狙って貫手を放ってきた時の、本物の危機感。

 紙一重、まさに危機一髪で顔を僅かに捻り、貫手が自分の髪を掠っていった時の、本物の達成感と緊張感。

 その瞬間、下に構えていた刀を、切っ先を式の首目掛けて突き出し、更にそれが避けられた時の、本物の悔しさ。

 二代の刃が式の右耳横の空間、式の貫手が二代の左耳横の空間を貫いて発生した風と微細な衝撃波を肌で感じた時の、――紛れもない高揚感を。

 ……やはり、師匠は師匠で御座った。

 そう思うと、何故だか安心めいた感情を抱けた。

 ついでに、

「しっかし二代、お前、美人になったよなあ。勿論、母親似的な意味で」

 

      ●

 

 やはり、と二代は思う。

 ……女好きな面は変わらなかったで御座るな。

 とりあえず適当に会釈すると、子供の話題に大人が割り込んできた。

「ああ? 何だ式、一丁前に人の娘口説きやがって」

「おいおい忠勝さん、挨拶代わりに褒めただけだろ? いい年こいたオッサンが目くじら立てんなよ」

「やかましい。……だがまあ、別にお前なら考えてやらんでもないぞ。強いし、小僧の身で我を闇討ちしてきたような肝の据わったお前なら、我の名を継ぐことも出来るかもしれんぞ」

「ははは、現襲名者に期待されるとは嬉しいもんだな」

 笑いながら、式は手酌を再開して御猪口を口に運ぶ。

「ま、俺が襲名を出来る筈もないんだがな。血筋的に」

「なんだ、弱気じゃねえか。何だったら、三征西班牙の立花家のように婿養子にでも来るか? 二代とお前なら仲も良いし、少なくともそこの酒井よりかはマシだろ」

「おいおいダっちゃん、そいつ一応俺の息子ってことになってるから。口説くなよ、なびいたらどうすんの」

 酒井が大袈裟に肩を竦めるのを無視し、式はおもむろに二代を見た。

 本人そっちのけで盛り上がっている大人二人に困惑している二代に同情しつつ、

「ま、権利があったとしても俺が襲名することなんてねえだろ。何たって、二代目忠勝は既に此処にいるんだからよ」

 

      ●

 

「え?」

 面食らったのは、どうやら自分だけだったようだった。

 二代はまず話題の矛先が自分に向いたことに戸惑い、ややあって、

「あ……、その、拙者はまだ、そのような」

「まだ、ってことは、夢には見てんだろ?」

「それは……」

 わざとなのか違うのか、式の誘導尋問のような質問に、二代はボロを出さぬよう口を噤む。

 代わりに、再び酒井が首を突っ込んできた。

「へえ、てっきり式かと思ったら、大きく出たねえ。弟子は師を越えるってか」

 楽焼きの日本酒ピッチャーを掲げ、笑みでこちらに問うてくる。

「ダ娘君、そろそろ体育会系親父の洗脳解ける歳頃でしょ? 反抗期でしょ? うちの教導院来ない? 君みたいなの、かなり欲しいなあ俺。ほら、師匠もいることだし。あと、本多・正純もいるよ? 憶えてる?」

 ダ娘……、と、二代は口端を歪めてつぶやく。だが、今の言葉には見知った名前があった。

「正純とは、中等部以降、あまり顔を合わせておりませぬが、武蔵に行ったと聞いておりました。今は何やら副会長になっているとか……」

「そうそう、だから、うち来ない? ステレオ本多は面白いと思うんだよなあ」

 すると、酒井達とこちらの間にいる父が、まず、中徳利を逆さに振って中身がないのを確認した。そしてこちらに半目で振り向いた彼は、酒井に聞こえるような声で、

「二代、あんまり気にとめるな。あれ、昔から“自分は他人に好かれている”という勘違いをしてる可哀想な男でな。初等部のとき、卒業文集の先生からの質問で“友達何人出来ましたか?”って聞かれると“全員!”ってためらいなく答えるタイプ。榊原が“無”って書いてるのと超矛盾するんだが、しょうがないから我らが防波堤になっておるのだ」

 話の後半あたりから、向こうの榊原が手を小さく左右に振ってみせている。

 ……大変だったので御座ろうなあ。

 二代は思うが、しかし今、酒井に問われているのは確かだ。

「うっわ、あんた昔からそんなタイプだったのか。……そりゃ確かに、年も考えず平気で女生徒に話し掛けれるわけだな」

「直前まで婿養子の話してたダっちゃんもダっちゃんだが、お前も大概自分のこと棚に上げるよな。俺知ってるからね? お前が小等部卒業文集で先生に同じ質問されて同じ答え返したこと」

「おいおい、自意識過剰なあんたと一緒にすんなよ。あれは、俺が実力で勝ち取った友情の結果なんだからな。プロフィールの特技欄に“友達作り”って普通に書いても誰にも何も言われなかったし」

「うっわ、嫌らしい。どこでそんな小狡い真似覚えたんだか」

 聞こえてくる会話は無視してよう御座ろう。それに、今注意を向けるべき話題はそこではない。

 ……武蔵に来い、か。

 極東唯一の領土。移動によって極東全域を回る航空艦だ。

 環境のいい武蔵の学長が誘うのだから、フォローも万全だろう。

 だが、答えはすぐには出せない。なぜならば、

「――少し待ってろ、酒井」

 と、父がはっきりした口調で言った。

 彼は、厨房で働く自動人形に換えの中徳利と焼き鳥をダースで頼み、

「どっちにしろ、今、三河は武蔵や他国とは交流不許可だ。去年なら違ったが、今年は武蔵に行かせようとしても出来ん」

 だから、

「お前のとこの武蔵、三河からだけは露払いとしての警護隊の先行艦がいつも出るであろう? 安芸まで先に行き、回廊の安全とかを調べるための。――今回の先行艦は二代が管理する。三河の警護隊は、今は二代が総隊長だからな」

「へえ、極東で防衛的対外闘争が聖連から赦されてる三河の警護隊の総隊長か。歴史再現に制限されて銃とかまだほとんど持てないけど、接近戦や遭遇戦なら結構いけそうだな」

「安芸まで行って戻る際だが、そこから先は降りるなり何なり好きにしろと言ってある」

「好きにとは――」

 酒井の問いと首を傾げた式の疑問に、父が答えた。

 それは、先日に父と決めたこと。これから先の己の身の振りとして、

「――全部、自分で決めろってことだ。だから、そのとき誘え。二代が武蔵や式やお前を必要だと思ったら、そっちに加わるだろう。式の言う通り、もし本当に我の名を襲名しようと思うなら、また別のこともするであろうよ。そういうことだ」

 父が言った。

「これから先、世が動く。――娘くらいは、好きに動かさせてやりてえもんだ」

「うちの息子みたいに、好きに動き過ぎるのも困りもんだがね。――でも、いいよなあ」

 ……え?

 酒井の目が、こちらに向いた。酒井は、わずかに眉を立てた笑みで、

「松平家最強、いや、極東の東国側において“東国無双”と言われた本多・忠勝が選んだ逸材だ。――育てて面白かったろう? どれだけ期待してんだホントに」

「お前、我を褒めてるようで二代にしか興味がないな」

「当たり前でしょ。引退決めつつまだ副長やってるジジイより若い子の方が騙しやすいし。しかし、“西国無双”の立花・宗茂が三征西班牙の大友で襲名されちまったから、こっちはコネで何とかならないかと思ってたんだがなあ」

 酒井が一息つく。対する二代は、内心の震えをとどめるのに精一杯だ。

 松平四天王の元リーダー、十年のブランクをおいた彼を試すため、父の命令で私服の彼に先ほど仕掛けた。それも、加速術式の準備を整え、父から相手の癖を聞いた上で、だ。

 だが結果は明白だった。

 こちらは、手を出すことは出来たが、届かせることが出来なかった。それどころか師と慕う者からの割り込みを許し、それを越えることが出来なかったという形で。

「というか、お前欲張り過ぎだろ。武蔵にだって“武蔵最強”がいるじゃねえか」

「まあそうだけどねえ。武蔵って重しさえなければ聖連にクーデターとか起こせるくらいには実力あると思うけど、その字名(アーバンネーム)正式じゃないし、威嚇にもならないと思うよ。でも式、どうしようか。この際だしこのジジイ討ち取って“極東最強”でも狙う?」

「同じジジイが俺に危険思想植え付けようとすんな。俺は穏健派で行くと決めてんだ。何年か前、調子に乗り過ぎて武神怒らせてマジで銃ぶっ放されたことあるんだが、避けた弾が、ちょうど浅草と村山を繋ぐ回廊にぶち当たって、そこ、一時通行禁止になったんだよ」

「ああ、あれね。お陰で水道管も送油管も使い物にならなくなっちゃって、機関部の仕事は増えたし住人も困ったしで、直政君には地摺朱雀けしかけられながら“浅草”と“村山”に五時間説教喰らってたね」

「そうそう。あんな面倒はもう懲り懲りなんでね……」

 今父達との話にもあったように、式の実力だって計り知れない。

 そんな相手が、こちらに興味を持っているというねは、有り難い話だ。

 何しろ、二代は三河から出たことがほとんど無い。その実力を見せる相手も、基本は父や、指導用の自動人形達だ。修練を抜けてきたという思いがあると共に、

 ……自分に確かな力があるのかどうか、不安があり申す。

 先ほど名前の出た立花・宗茂は、昔に西国無双と呼ばれた西国の強者、立花・道雪の養子であり、既に各地を転戦していると聞く。

 いずれ自分も、と思っていることが、とうとう現実になる。

 と、そのときだった。酒井が口を開き、辺りを見回した。

「――結局、井伊が来ないようだが、どうしたんだ?」

 

      ●

 

 問うた酒井は聞く。榊原が、

「井伊君は――」

「井伊は、所用で出ていてな」

 酒井は見る。榊原の言葉を断ち切った忠勝の言葉に、二代が顔を上げたのを。彼女の顔は、そうなのかと言いたげな目をしている。ならば、と酒井が思ったことを、それより早く式が、

「……極秘ってことか?」

 Jud.、と、忠勝が言った。そのときだ

 遠く、店の外から足音が響いてきた。二代が店の出口を見て、入ってきた足音の主を、

「――鹿角様」

「Jud.」

 答え、座敷の上がり口で足を止めたのは、長身の侍女服姿。自動人形だ。耳の位置から上に伸びる黒の角型感覚器を見た酒井は、隣で「おっ」と嬉しそうな声を上げる式をよそに、手にしていた中徳利を思わず取り落とし、

「げえ、鹿角……!」

「Jud.、――下らない。どなたかと思えば酒井様ですか」

 彼女、鹿角は半眼の視線を酒井に向け、

「左遷からのこのここんなとこやってきて若い未来ある少年少女に対してサービスもせずに酒飲みとは、大した大人だと判断出来ます。二代様、早く御屋敷にお戻りを」

「……ダっちゃん、十年前と同じで、相変わらずこの女、ダっちゃんとこ?」

「しょうがねえだろ。コイツが一番うちの女房の料理の再現出来るし、女房の剣筋の再現出来るし、礼儀作法とかも、人に教える分はちゃんと出来ててなあ……」

 Jud.と、鹿角がこちらに頭を下げた。

「現在は、私が二代様の基本師範を務めております。二代様も年頃の女性ですが、忠勝様ときたら風呂に入ろうとか焼き肉屋行こうとかかなり駄目ですので。――情けない」

「ああ、昔からダっちゃんのダは駄目人間のダだからねえ」

 酒井が言った間だ。その眼前、右目の視界が、肌色で塗りつぶされた。

 式の手だ。

 酒井から見て右隣に座っていた式が、突如手の平を広げた形で腕を伸ばし、酒井の右目を覆う形で、掌を目の前で寸止めさせている。

 やがて、式のもう一方の手が、掲げた手の前で何かを摘むような仕草をし、どちらも離れた。

 手には、竹櫛が摘まれていた。

 焼き鳥を刺していた一本の竹櫛が、置いてあった皿から離れ、何故か式の手に収まっている。

 見れば、鹿角が右の手を肩の高さに突き出していた。

「――お見事。流石式様、私どもの思考回路などお見通しでありましたか」

「重力制御の有効範囲内としては充分だからな。武蔵でも、自動人形にはお世話になりっぱなしでよ」

「Jud.、左様で御座いましたか。酒井様の元に拉致られたと聞いた時には本気で行く末を案じておりましたが、教育は万全のようですね。酒井様、良かったですね。たかが自動人形の脅しからも義理の父親を案じるこの姿勢、御立派になられました。ここまで御自身に不相応によく出来た息子は中々いませんよ」

「……お前、ズバズバ来るなあ。いくら式のこと気に入ってたからって、あれは俺のせいじゃないんだからさあ」

「私が申したいことは、身内への態度を改めよということです。忠勝様はこんな駄目でも当家の主です。愚弄はおやめ下さい」

「ダっちゃん、この女、相変わらず“自分はいい、他人は駄目”の鬼ルールかよ。主だったら何とかしろよ。十年以上これってのは、自動人形として人格壊れてるだろ」

「我、口喧嘩は弱くてなあ」

「別にこの性格は自動人形としては基本的なものですので問題はありません。神代(ジンダイ)以降、自動人形は人に尽くす性質を確固としていますが、敬うことは確固としませんでしたので」

「自動人形の存在権ってやつだよな」

 Jud.、と鹿角は会釈した。

「尽くすべき人以外にはその人の身体を重力制御で左右することは出来ませんが、間接的に咎めをすることは可能です。以後、式様に御迷惑をお掛けしないようお気をつけ下さい」

 言葉とともに式が竹櫛から手を離すと、宙に浮いた竹櫛が皿に降りて他の櫛と並ぶ。

 それと同時に、鹿角が一礼して告げた。

「そろそろ二代様の船の準備をお願い致します」

 Jud.Jud.と、忠勝が立ち上がり、二代も一礼して身を立たせた。

 さてなあ、と背を向けた忠勝は、しかし、右の手を軽く上げ、こう言った。

「――では、我はここまでだ。この先、しっかりやれよ」

 

      ●

 

 そして女二人と男一人、どれも武者の力を持つ三人が料亭から出ていくのを、式と酒井は榊原と共に見送った。彼らの姿が消え、足音が消え、話し声も届かなくなった後、厨房で包丁や水を流す音だけが聞こえるようになってから、酒井はテーブルに肘をつく。

「榊原……、実はダっちゃん、食い逃げ?」

「私、麦茶だけですので」

「俺も酒だけだからな」

「おいおい俺、金ないよ? ここでツケたら払いは来年の三河来訪のときだぜ?」

「別に私が払えば――」

「それじゃ俺らの借りになるだろ」

 酒井の声が、彼ら以外にいない店内に小さく響いた。

「俺らが貸しを作る。そういう話だ。解るだろ?」

「そういう話、とは?」

「お前さんが俺らとまだいる理由だよ。そう、俺と式でお前とダっちゃんの分を払って貸しを二つ作るから、……返すためにお前さんは俺らに二つ、話をする」

 まず一つは、

「井伊のことだ。さっきからダっちゃん避けてたけど、お前さん、話そうとしてたよな? 井伊はどうした? ――末世も近く、怪異も多いこの三河で、何かアイツにあったのか?」

 そしてもう一つは、

「……これは俺から言う。――武蔵にP-01sって自動人形がいる。去年に三河来たあいつは、何だ?」

「何だと言いますと――」

 と、そこまで言って、榊原は首を横に振った。彼は酒井達から視線を外し、おもむろに腰を上げると、

「まあ、外に出ましょうか。……歩いた方が、話しやすいこともありますしね」

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