ほらいぞん 仮   作:ろいやるみるくてぃー

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第七章 後悔通りの清純者

      ●

 

 階段の上に、一つの影が座っている。

 長い髪を風に靡かせているのは、喜美だ。

 彼女は階段に座ったまま、頬杖ついて下を見ていた。

 眼下。大きな階段があり、第二校庭があり、また階段がある。第二校庭では体育会系の部活がそれぞれの活動として模擬戦や打ち込みの練習を行っている。

 しかし、それらの動きの向こうに、喜美は視線を向けていた。

 見るのは学校敷地の外。正面通りとなっている自然区画の一直線。

 石畳を模した樹脂材で舗装された通りの前に、一人の少年が立っている。

 制服姿の、線の細い影の持ち主は、トーリだ。

 喜美は、立ったまま動かない彼の後ろ姿を見て、吐息混じりにこう言った。

「怖かったら、戻ってきてもいいのよ、トーリ。――あんたは式じゃない。ただの、愚弟なんだから」

 喜美は言葉を作り、片膝を抱えた。そしてしばらくすると、視線の先でトーリが動き出す。彼は、くねくねしたり、反復横飛びを始めたり、街灯の柱で低姿勢型ポールダンスを始め、

「フフフ愚弟、結構いい雰囲気だと思ったらぶちかましてくれるじゃない」

 ポールダンスが行き過ぎて、トーリが街灯の柱を虫のようにいそいそと上り出したときだ。

 背後から声が聞こえた。

「トーリは何やってんの? あれ、新種の遊び? それとも叩き落とした方がいい?」

「フフフ先生、学食で酒飲んでたって話だけどそっちこそ何しに来たの?」

「まあ先生は涼みに、かな」

 と、右横に酒瓶を小脇に抱えたジャージ姿が座る。わずかに乱れた髪を手で直す彼女に、喜美は眉をひそめ、

「フフフ先生、手櫛はファッション以外にしちゃ駄目よ。トーリとか式もよくやるけど、髪が傷むんだからちょっと私に任せなさい」

 と、喜美は隣に座った三年梅組の担任、オリオトライ=真喜子の髪を、懐から取り出した櫛で梳いていく。

 オリオトライはされるがままに任せながら、しかし酒で上気した顔を緩め、

「へへえ」

「何よ先生、気持ち悪い」

「いやさ、先生、昔に近所のおばちゃんにこういうのしてもらったの思い出しちゃって」

「おばちゃん……。先生、出雲方面の出身だったかしら?」

 へへへー、とオリオトライは目を細めて笑い、

「ま、地元だといろいろあったけど、今が一番幸せかな」

「フフフ先生、いきなり酔っ払って人をおばちゃん同列扱いした上で人生語らないでよ」

「まあいいじゃん。何ていうかな、先生にとっても、今日はめでたい日だから」

「あら偶然、トーリも今日がめでたい日よ。明日がもっとめでたくなるといいけど」

 喜美の言葉に、オリオトライは頷いた。そして彼女は喜美に視線を向けると、

「優しいねえ」

「……ちょっと、こっち向かないで、櫛が通らないでしょう」

 悪い悪い、というオリオトライが、空いた手で己の首もとに触れた。そこにある鎖、胸へと落ちる対の鎖を指でもてあそびながら、

「頑張れ頑張れ」

 言う視線は、柱の上に立っているトーリに向いている。

 喜美は、彼女の後ろ髪を梳きながら、

「フフ、先生は愚弟の味方になってくれる?」

「愚弟はどうだか知らないけど、葵・トーリの味方にはなるわよー。喜美や、他の誰でもね。少なくとも、先生のクラスの皆に対しては絶対に味方だから。――あ、でも、学生間抗争に教員は直接関われないから、そこらへんの判断ある時は勘弁してね?」

 そう、と喜美は頷いた。

「……式の味方にも、なってくれる?」

「ちょっと、今言ったじゃないの。先生は、先生のクラスの皆の味方だって。まあ、サボリを見逃すことは出来ないけど」

「フフフ、解ってるわよ。根に持つなんてみっともないわ。……味方になってくれるならいいの。それだけ訊きたかっただけだから」

「彼氏が心配?」

「フフフ先生、式を心配するなんて末世が来ないことを心配するようなもんよ」

 笑って、喜美はオリオトライの逆側の髪を梳くために立ち上がり、

「……あら? やっぱり」

「どうしたの?」

「さっき、向こうの多摩の方から、正純が渡って来てたのよね。何だか向こう、自然区画から後悔通りの半ばあたりに抜けようとしてるみたいだけど、変なトコを抜けたがる子ねえ……」

 喜美は、櫛を顎に軽く当て、首を傾げた。

「フフ、でもまあ、あの副会長も何のつもりかしら?後悔通りを目指してるなんて」

 

      ●

 

 森の中を、歩いている影がある。

 午後の日差しによって影を得る森の中、制服姿で辺りを見回しつつ行くのは、正純だ。

 正純は右の小脇に、三河では持っていなかった紙箱を抱えながら、

「“後悔通り”に近道しようとして、横に入ったのが悪かったな……」

 小包は先程、第三特務のマルゴット・ナイトに渡された生徒会、もといトーリ宛の荷物だ。包み自体は出雲通神の教育番組“働く階級のおじさん”の包みだが、配送票には“絶頂! ヴァージンクイーン・エリザベス初回盤”とプリントされている。何故こんなものが生徒会宛に……、と思うが、受取人がトーリならばまあ納得出来る。

 そのトーリが後悔通りの近くにいるらしいという情報や、朝出会った軽食屋の女店主の言葉に従い、ちょっと後悔通りに寄ってから教導院に行こうと思っていた。アリアダスト教導院の正面。後悔通りはいくつも並ぶ自然区画の一角を通る街道だ。自然区画を横に渡っていけば、各区画の縁を回るよりも早くつく筈だが、

 ……迷ったわけではないよな?

 自然区画は居住区や輸送区などと同じブロック制だが、自然環境の再現のために自然区画が並ぶ場所はブロックごとの区切りが明確ではない。植生が密になれば枝葉の壁が生まれてしまう。既に通りを幾つか渡ったが、渡った回数が計算と合わないことに気づいたのは先ほどだ。

「……何だか自分から神隠しになりに行っているみたいだな、これ」

 三河にいた頃、市内で起きていた怪異の内、同類のものが幾つもあった。そして何よりも、

 ……“公主隠し”。

 母が消えた怪異のことは、今でも憶えている。帰宅した自分の目に入ったもの。それは家の垣根の周囲に群がる近所の人々と、家の中を探る奉行系の自動人形達の姿だ。あのときの喪失感と、後に染みてきた後悔は、容易く十年前の式を思い出させ、古い記憶に新しい記憶が混同して胸にある。怪異が身近にあるという事実も、身に沁みて理解した。

 一年以上経つ今でも、なるべく一人の時間を作りたくないと思っているし、当時持っていなかった携帯社務は、最も安価なものだが、お守りのように肌身離さず持っている。

「まさか、ね。既に後悔通りの横の森の中だと思うんだけど」

 耳を澄ますと、遠く、陸港からの貨物搬入の音が聞こえる。空には船の影も行くし、大丈夫とは思うが、とりあえず、

 ……次の通りに出たら、教導院側に歩いてみるか。

 やはり、先にトーリに小包を渡してから、後悔通りを調べてみよう、と、正純はそう思うが、

 ……通りはどこだあ――。

 焦る自分の思いには、神隠しへの恐怖感もあるが、妙な期待感もある。それは、

「後悔通りを調べることで、何か解ると思っているのかな」

 女店主の言っていたように、酒井の言っていたように、後悔通りを調べれば、皆の方へと踏み込むことが出来るのだろうか。

 どうだろうか、と、正純は思う。それよりも、

 ……皆というよりかは、式と同じものを見てみたい、という気持ちが強いのだろうな。

 自分にまで言い訳してどうする、と、正純は苦笑しながら、己の本音を省みる。

 今日、式と話して、式の隣を歩いて、式に背を押され、欲が出てきたのかもしれない。

 ……もっと、お前のことを知りたいよ、式。

 今の自分と彼の距離は、酷く遠い。自分は、彼の苗字すら知らないのだから。

 だから、知りたい。その一心で、正純は動く。

 ……しかし、

 どうだろうか、と正純は再度思い、枝葉の壁と木々の隙間に視線を走らせた、そのときだ。

 正純の身は、森の中に作られた小さな公園に出た。

「お」

 と声を上げてみた空間は十数メートルの土の広場だ。一件の休憩所の小屋があり、広場には遊ぶ子供達の姿があり、傍らの木のベンチにも親子連れの姿が幾つかある。見れば艦尾側に小道があるが、そちらが正式な出入り口のようだ。

 ……これは――。

 来るのは初めてだが、この休憩所の屋根は教導院の窓から見ていた憶えがある。確か、式がサボリによく使っているものだと無意識に考えながら、

「道は、間違ってなかったか」

 一息をつき、正純は離れた位置から休憩所の建物を観る。

 内部に広いスペースがとられた建物だ。入り口から一部屋の間を持ち、奧には大窓を有した床付きの部屋がある。人影が夕刻の翳りを帯びた入口や中に幾つか見えるが、その雰囲気は、

 ……会議室みたいだな。

 そう思う正純は、休憩所の壁に貼られたプレートに目をとめた。金属の刻印が示すのは、「御霊平庵一六一八年」の文字。

 鎮魂のためのものか、と正純は判断する。三十年前というと、三河周辺はまだ騒がしく、極東各地で起きていた戦争や政治の圧迫に対し、旧派の術式を使用した反乱があった筈だ。

 元信公は、若くしてそれらの反乱を鎮めたことで、当主の地位を確保したと聞く。

「そのときのものか。……武蔵の改修後も残したのだろうな」

 一息。休憩所の横に“正面通り”と書かれた矢印看板が森を示しているのを見て、

「この周辺は、鎮魂のものが多いのかな」

 正純は、木々の向こうに後悔通りの光を見つつ、また森に踏み込む。

 後悔通り。

 どうしてあの場所が、後悔通りと呼ばれるのか、薄々だが、見当はついている。

「教導院から降りてきて、通りをしばらく行くと、傍らに石碑があるよな。彫られている文字は――、“一六三八年少女ホライゾン・Aの冥福を祈って武蔵住人一同”だったか」

 今思えば、それが後悔通りという名前に関わっているのではないかと思えてくる。

 人の喪失は、常に後悔がつきまとうものだ。自分の場合もそうだ。式が行ってしまったとき、母が消えたとき、

 ……ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、って後悔したよな。

 母が消えたあの日、教導院に行くとき、行って来ますと言ったが、返事をもらった覚えがない。聞こえなかったのか、それとも自分に母の返答が聞こえなかったのか、解らない。ひょっとしたら、あのわずかな時間の間に、母は消えてしまっていたのかもしれない。

 正純は思う。自分の後悔と同じものが、あの石碑や、鎮魂の名を持つ休憩所を作らせ、残されているのかもしれない、と。

 だとすれば、あの石碑の少女が、後悔通りの後悔の正体なのだろうか。

 どうだろうと思い、一息をつき、森の空気を吸うように足を止めた。

 ややあってから、正純は再び前に歩き出す。

 草を踏み、正面の木々の間から指す光と風景を目指せば、

「――――」

 身は、すぐに通りへ出た。木々や枝葉の匂いが空気に薄い。

 振り返り観れば、自分の歩いてきた影が落ちる森と、先ほどの休憩所の影が枝葉の向こうに無言で存在している。だが森の中は薄暗く、随分なところを歩いてきたなあ、と思うとともに、

 ……やはり鎮魂の場か。外からだと、随分と静かな場に見えるものだ。

 夕刻だし、遊んでいた子供達も、もう帰るのだろうな、と正純が思ったと同時。

 不意に、背後の街道から声が掛けられた。それはやや高い位置、街道に停まった馬車の窓から響く男の声だ。

「一体こんなところで何をしている、正純」

 聞こえる声は、よく知ったもの。だが、自分にとっては、身をすくませる声だ。

 それは、かつて期待に応えることが出来なかった人。

 そして自分と母の元から去り、母を失った自分を武蔵に呼びながらも、

 ……ろくに、顔を合わすことすらしない人。

 父親の声だった。

 

      ●

 

 午後の空の下、後悔通りの上で生まれた馬車と制服姿の対面の光景。

 それを遠くから見る視線があった。視線が座るのは教導院の階段上。酒瓶を抱えたジャージ姿の女教師と、彼女の爪を削る長髪の少女が、馬車と学生服姿をそれぞれ見据え、

「――正純出てきたわね。馬車の中の人と話してるみたいだけど」

「フフフ先生、何で爪の間に青海苔入ってるのかしら」

「そりゃ簡単よ、お箸が無いときってたまにあるじゃない。あとは勇気と決断力」

 それよりさ、

「変じゃない? あっちもこっちも」

 とオリオトライは顎で前を示した。

 彼女が“変”と示すのは、馬車と向かい合い、真剣な顔でじっと動かない正純もだが、

「トーリ……」

 街灯の上に座ったトーリが、やはり、じっと向こうを見ている。

 自分達と同じように、正純の方を、身動きせずに。

 彼はじっと見ている。

 

      ●

 

 正純が振り向いた背後。

 そこに馬車がある。二頭引きで対面式の六人乗り。開いた窓の向こう、後部座席中央に一人の男がいる。洋服に身を包んだ黒髪の男は、対面に座る男達を軽く右手を挙げて制すと、

「こんなところでどうした」

 こちらを見ぬままの短い言葉に、正純は身が縮まるのを感じる。

 萎縮だ、というのは自分でも解っている。理由も明確に解っている。

 だが今、萎縮している場合ではない。窓から覗ける内部、父の対面にいるのは、武蔵の暫定議会の議員と、商工会の役員だろう。奥多摩には学生が部活や個人で起業した企業体が多くあり、組合もある。今、彼らはその組合所へと向かうつもりなのだと推測は出来た。

 だから正純は口を開き、

「――まだ武蔵のことで、解らないことが多いので、実地で調査をしておりました」

 点数を稼ぐような物言いだな、と自分でも思う。そしていつも通りならば、

 ……そうか、とか、無言で立ち去られるのが、パターンだな。

 だが、違うものが来た。

「お前が出てきた森、その中にあった休憩所について、何か解ったことはあるか?」

「え……?」

 言葉が来たこともだが、その内容に正純は反応した。父がこちらに言葉を送ってきたのは、要人の手前における体裁とも考えられるが、そこで告げられたことは、

「――あの、休憩所が、何か?」

 父が何か知っているなら聞きたいが、

「勉強不足だな、何一つ理解がないとは」

 視線を合わさずに言われ、正純は眉根に力が宿るのを感じる。

 自分と父の間にある親子仲は、“解らない”というのが実情だ。悪いと言ってしまえば済むのかもしれないが、それが明確になるほど衝突したこともなく、言葉を交わすこともない。

 ……ただ、母がいなくなったとき、この人は――。

 母の仮葬儀にも出なかった。代わりに使いが来て、武蔵への転居を勧められた。

 武蔵に来た自分は、父に、武蔵における政治家志望者として、教導院に通いたい旨を告げた。

 返答の声は、こうだった。

「何を言っている。武蔵の政治家ではなく、もっと別のことに目を向けろ」

 あのとき、生まれて初めてこう思った。

 ……もう、私のことは、どうでもいいのか。

 あれから一年だ。視線を合わさず、言葉もろくに交わさない。今ならばどうだろうか。客の前ならば、無視はされないだろう。どうでもいいという反応はされないだろう。

 だから今、正純は何かを言おうとした。

 ……勉強不足か。

 今日、軽食屋の女店主や、酒井にも似たことを言われた。勉強不足は解っている。武蔵のことを知らず、同級生のことも知らず、既に現場にいる父には敵わないことも。だが、

 ……学ぶことを忘れてはいないよ。

 そのことを言いたい。が、どう言えばいいのか。解らず、くすぶりの熱が腹に生まれた。

 同時。馬車の中から声がした。

「――しかし、御子息、変わったものを持たれてますな」

 え? と正純が見た左の小脇、そこにある小包は、

……何でこんな爆弾みたいなアイテムに興味を持つかあ――!

「私の取引では、そういうものも扱っておりましてな。――初回盤とはまたレアな」

「あ、いえ、これは、その、友人の――」

 と、正純がフォローを入れようとするが、遮断するように父の声が来た。

「よく解らんが、――差し上げろ」

 正純は息をのんだ。

 ……無理だ。

 出来ない。これは私のものではない。腹が立つもので、持っていたくもないが、駄目だ。

 だが、正純はこうも思う。これは取引だと。忠誠を示せば彼らの覚えは良くなり将来に繋がる一方で、逆らえばまだまだ子供だという扱いを受ける。しかし、

「友人のものだというならば、この後に買って、届ければいい。相手は気づかん」

 向こうは、逃げ場まで用意してきた。

 渡さねば、客にとっては父の恥で、自分は相当に融通が利かない者となる。

 渡せば、客に対して父はこちらを思い通りに出来るという証明を見せ、自分は従順な下僕としての位置を示すことになる。

 政治家志望ならば、どうするかは解り切ったことだと、正純はそう思う。

 だが、守らねばならないものが、あるとも思う。

 それは、父と同様の政治家になろうとしつつも、

 ……同じようにはなりたくないと――。

 しかし、

「正純」

 声が聞こえた。これが最後だ。政治家志望者として、武蔵の有力者を前にして、ここでどういう選択をすべきか。いきなりの判断を父が迫ってきた。

 対する正純は、

「――――」

 解らない。答えを探そうとして何故か、黒髪の背中が浮かんだ。

 ……あいつなら、どちらかの選択を選んだ自分を、どう思うだろう。

 どちらを取っても、彼は何も言わないだろう。無駄なことだ。しかも今、そんなことを考えても仕方ないだろうに。どうして今日はこうも、こうなのだろう。

 些細なことで困ったとき、父を前にしたとき、武蔵に建てた空っぽの母の墓の前で俯いたとき。必ずといっていいほど、自分は彼を思い浮かべてしまう。

 助けを、求めようとしてしまう。

 ……これでは、依存だな。

 正純は自嘲する。問われているのは自分だ。彼と同じ場所に行くには、望んだ形でないにせよ、ここで自分の答えを出さねばならない。

 だが、答えは出て来ない。解らないままに、正純は心に従おうと思った。口から出任せを言うように、自分の判断を行ってしまおうと。それが、本心の決断なのだと。

 そのときだった。いきなり右手から、声が飛んできた。それは望んだ彼とは違う少年の声で、

「おっしゃセージュンいい仕事だあ――!!」

 

      ●

 

 声とともに、右手側から来た風がある。茶色の髪をステップに揺らした少年。彼は馬車と自分の間に軽く飛び込み、

「それ、俺に持って来てくれたんだよな!!」

 小脇に抱えていた紙包みを、剥ぎ取るように奪った。

 あ、という声で振り向いたときには、彼は既に身を回し、服の装飾の鎖に音を立て、元の方へと戻ろうとしている。そして彼は馬車とこちらの間に入ると、ステップを踏みながら、

「有り難よ。今夜中に積みエロゲと一緒にプレイしなきゃいけなかったんだけど、ナイトとナルゼが運んでこなくて空飛んでるから思わず徘徊してたんだ!」

「葵……?」

 呼びかけた言葉が疑問になった理由は一つだ。彼の顔、見て解る変化として、

「お前、顔色悪いぞ……? 大丈夫か?何かあったか?」

 汗までにじませたトーリの笑みの顔は、しかし、深く息をつき、ややあってから、

「気にすんな! ちょっと走ったからな!」

 言葉と共に、彼は教導院の方に身を傾け、

「酒井学長から聞いたろうけど、今夜来るか? 俺、明日、惚れた女にコクりに行くから、前夜祭を教導院でやるんだけどさ」

「ば、馬鹿、何だいきなり、お前は」

 話題の転換にもほどがある。父と取引相手の手前と言うこともあり、何故か自分の顔に熱が来ていることに煩わしさを感じつつ、正純は眉を立てた。

「行くわけないだろ、校則違反だ。大体――」

 正純は、昼における元信公の、武蔵住人を迎える挨拶を思い出した。あれによれば、

「今夜は三河で花火を上げるそうじゃないか。それなら各艦の艦首側から見えるから夜の艦間移動の咎めも受けないし、……行くならそっちに行くさ」

「そっか、出来れば来て欲しかったけどな」

「は? 何故だ?」

 問うと、肩越しにトーリが顔を振り向かせた。が、右から覗く顔は、左側、西からの陽の陰になって確かな判別が出来ない。ただ、聞こえる彼の声が、

「――俺のコクる人、セージュンもよく知ってる人だから」

「はあ? ちょ、ちょっと待て! ……私に迷惑及ばないよな!?だよな!?」

 どーだろうな~、とトーリがくねくねしながら走り出した。

「あんまり恥ずかしいことはするなよ!? 絶対だぞ!?」

 言うが、走り去っていくトーリは手をひらひら振るだけだ。

 全く、とつぶやいた正純は、しかし、はっと現状に気づく。馬車の方に慌てて頭を下げ、

「も、申し訳ありません……」

「いやいや」

 と答えたのは、父の取引相手の方だ。彼は腕を組んで深く頷き、

「まさか、ここで“後悔通り”の主が来るとは。――十年ぶりですかな」

「後悔通りの、……主?」

 正純の問いかけに、取引相手は横目を向けてきた。うむ、と頷き、わずかに顔を伏せ、

「向かい側、御覧になられると宜しい」

 言われ、対面となる歩道を正純は見た。午後の光によって生まれる濃い木陰の下、一つの石碑がある。あの石碑は、

「昔、ここで、一人、女の子が事故で亡くなりましてな。公になっておらぬのですが」

「あの石碑は……、ホライゾン・Aという女の子のものでしたよね」

「Jud.、そうです。ホライゾン・A。つまり、――ホライゾン・アリアダスト」

 下向きに告げられた声に、正純は息を詰めた。

 視線の先、姉たちと合流するトーリが見える。力無くうなだれた彼を、姉が抱くのが見え、

「アリアダストって、教導院の名ではなく……」

「もともと三十年前、元信公が三河の当主となった際、松平家の名を逆読みし、更に頭の一字を削ることによって聖連への恭順の意を示そうとしたのですな。MATSUDAIRAからARIADUSTとし、もはや松平の姓(カバネ)の加護は要らぬと」

 一息。

「無論、聖連は元信公の意志を認めて姓を戻させましたが、その姓は幾つかのものに残りました。教導院も然り、そして、その姓を用いる子というのは――」

 正純は、咄嗟に言葉を探した。

 その先を継ぐ言葉ではなく、その先を遮る言葉を。

 ……違う。それでは。

 違う。

 他人の口から聞きたくない。それは、自分が見つけるために探していた答えだ。自分は、こんな形を望んでなんかない。

 だから言おうとして、

「――――」

 喉からは乾いた息のみが漏れ……、代わりに父が、取引相手の言葉も自分の言葉も奪うように、こう言った。

「聞いたことがないか? ――三河の元信公には、内縁の妻と子がいたと」

 それは、

「子供は二人。兄妹だったその子達の名は、兄が式・アリアダスト、妹がホライゾン・アリアダストだ。……勉強不足にならぬよう、憶えておけ」

 

      ●

 

「――――」

 正純は、突然の、あるいはどこかで予感していた台詞に言葉を失った。

 だが、全てはそこで終わらなかった。父の声が、言葉を続けたのだ。それは、

「ホライゾン嬢を事故に遭わせた馬車は、元信公の馬車でな。武蔵の改修を決めた際の式典に向かう途中だった。遺体は松平家に引き取りで、遺品も何もこちらには来なかった。これは公に出来ぬ話でな。――丁度、明日で十年になる」

「十年って……」

 背筋を、悪寒が駆け抜ける。

 ……まさか、式が私達の前から消えたのは――。

 昔のことです、と取引相手が目を伏せてつぶやいた。

「ですが、後悔通りの主にとっては、後悔のリアルタイムなんでしょうな。――結論だけ言えば、彼がホライゾン嬢を殺したのですから」

「は……? それは、どういうことですか?彼が殺した、って」

 正純は眉を歪めた。だが、馬車の中を見ても、取引相手は首を横に振っている。自分には言えるものでない、というジェスチャーだ。

 だから、正純は言った。葵にここで何があったのか、直接聞けないのなら、

「ならば、まさか、後悔通りの主って……」

 言葉が、つぶやきとなって出る。女店主が言っていたこと、酒井が言っていたこと、皆に踏み込み、知れと言っていた、武蔵の人々が持つ秘密とは、

「葵・“トーリ”の後悔ですよね。“後悔トーリ”との言葉遊びの二重意で……」

 Jud.、という父の短い答えが、全てだった。取引相手が、手指を合わせるように組み、

「彼も負傷して、すぐにホライゾン嬢と一緒に運び込まれました。――でも、三河から戻ってきたのは治療を受けて麻酔で眠った彼だけ。あとは、……ずっと、後悔です」

 ああ、と正純は思った。自分もそういう後悔をしたことがある。十年近く前に襲名が出来ないと知ったときと、式に礼が言えなかったときと、一年前に母を失ったと理解したときだ。

 ……後悔を身に刻んだよな。

「しかし、それがどうして……」

 正純は思う。十年前に少女を失った葵と、今笑いながら少女の兄を慕う葵が、繋がらない気がする、と。

 後悔を得る経験は、自分にもあるから解る。だが、葵には自分との違いがある。それは、

 ……どうして、笑っていられる? どうして、告白や、夜遊びをしていられる?

 芸能神を信奏しているから、で済むことではない。単純に考えるなら、いい加減なヤツだからだ、と結論することは出来るが、そうだとしたら、

 ……それを他の人は皆知っているのに、何故、皆は彼を支持する?

“不可能男”と呼ばれ、身体能力も低く、無能だが、それでも総長と生徒会長に兼任選出された男だ。聖連の支持があっても、地位を保つには人々の支援がいる。そして人々は、女店主も同級生も、誰も彼も、馬鹿をやっている葵を嫌ってはいない。式でさえも、

 ……そうだ、式。

 彼がずっと隠してきた姓の謎は解けた。しかし、逆に不可解なことが増えた。

「式が本当に、元信公の実子としたら……、内縁だとしても、彼は嫡男として、次期三河――、極東君主の第一位継承者だということになります。それが何故……」

 姓を隠し、身分を公表せず、武蔵に移住したのか。

 武蔵住人が“武蔵最強”の名を与え、聖連から“問題児”という扱いを受けるほどの実力と人々の支持を持っていながら、彼は空白の副長席を埋めることなく、生徒会にも所属せずに一般生徒であり続ける。

 考えればすぐに思い付く答えは、

「あの時“問題児”も、二人と一緒に三河に行きましてな。その際に親子間で諍いがあったのか、妹御の面影が残る三河は彼に辛過ぎたのか、知る者はおりません。しかし、」

 彼がとった選択は、

「結果として彼は、元信公と親子の縁を切り、酒井・忠次様と養子縁組をして武蔵に移住してきました。しかしアリアダストの姓を隠しつつも酒井と改めなかったのも、また彼の思うところあってのことでしょうな」

 一息。

「聖連は、そんな中途半端を保った“問題児”がいつか元信公と復縁するのではと恐れ、二人の接触を禁じました」

 それは正純にも思い当たるところがある。

 それは、

「……式が三河に、元信公が武蔵に来訪することを禁じたのですね?」

「Jud.。“問題児”が役職付になることを禁じたのも、権力を持たせないがためです。……まあ、それほど自由を奪われて尚、聖連に迷惑にならない程度に面倒を掛け続けたから、聖連に“問題児”などと名付けられた訳ですが」

 そこで、取引相手は小さく息をついた。

 会話を繋げなければいけないだろうかと、こんな時でも正純の頭を過ぎるのはそんなことだ。

 しかしそれを隅に追いやり、式の頭を占めることは一つ。

 ……恥ずかしい。

 正純は、黙ってうなだれた。

 ……私は本当に……、この一年間、何をやっていたのだろう。

 飄々とした背中の、何を見てきたのだろう。

 彼の何を、知った気でいたのだろう。

 良かれと思ってここに来た筈だったのに、増えたのは虚しさと新しい謎だけだ。そして、答えを知る方法は、一つしかない。

「――踏み込むか、正純。彼らの後悔の行き場に」

「……彼ら?」

 父の言葉に、はっとして正純は振り向いた。だが、

「会合の時間に遅れる。――ここまでだ」

 言葉と共に、馬車が走り出した。

 あ、という間に、馬車は教導院の方に向かう。視線で追えば、既に教導院の階段の下に葵とその姉の姿はない。

 置いて行かれた、という思いが、何故か心に生まれた。ただ解るのは、一つの事実。

 ……まだ、私は、何も解っていないと言うことか。

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