奥様はシンボリルドルフ   作:くまも

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第三章『一粒で二度美味しくて』
幼児退行シンボリルドルフ


 

社交性の塊のような会長だが、なにも卒業後も欠かさず私達と交流があったわけじゃない。

 

特に鳴り物入りでURAに迎えられ、期待の幹部候補生として下積みを重ねた最初の数年間などは、そもそも日本にすらいなかったわけだからねぇ。

それに私の場合、ちょうど学生時代の研究をさらに発展させるためにアメリカの大学に留学していた時期だから、お互いの行動圏は完全に外れていたと言うべきだろう。もしかしたら、ケンブリッジのどこかの路上ですれ違ったことぐらいはあるかもしれないが、まぁ今となってはどうでもいいことだ。

 

だから、久々に直接顔を会わせたと思ったら、まさか子供を引き連れていたとは少々驚いたね。

もっとも彼女もいい年だし、社会人にも大成したと評するに不足はない。冷静に考えれば、突拍子のない話でもなんでもなかったのだが。そもそもそれを言うなら、私にしたってスカーレットを産んでいるわけだし。

ただ、なんとなく、シンボリルドルフというウマ娘と結婚、出産というイメージがどうもしっくり結び付かないというか……そうか、彼女もやることはやっていたのか、というか。いや、まぁ、それだって私が言うなという話かもしれないが……。

 

「……とりあえず、結婚式ぐらいは呼んでくれても良かったんじゃないかい?顔の広い君のことだから、私とは大して絡みもない印象だったのかもしれないが。たまたまテレビを見て、ようやく知ったんだよ」

 

「まさか。君のこともかけがえのない友人だと常々思っているよタキオン。それに招待状だって送ったさ……返事はもらえなかったけどね」

 

「ああ、それは……すまなかったね」

 

彼女の結婚式が大々的に行われたのは、ちょうど私にとってバ生最初の二十数年を締め括る最大の論文を書き上げていた時期だった。

私の青春、あるいはアグネスタキオンという一人の競技ウマ娘の生涯における総括となるものだったので、比喩でなく執筆に命を削っていたのだ。そのせいで研究以外の紙が視界に入らなかったか、あるいはレジュメに紛れてしまったのかもしれない。どんな事情があれど、無視する形になってしまったのは反省するべきだろう。

 

 

そんなわけで、私と会長は互いの夢を叶えるべく猛進し続けてきたのだ。

皇帝はターフの外でも並ぶものなかったようで、史上類を見ない勢いで出世街道を駆け抜けた彼女は今や、二十代にしてトレセン学園学園長という重鎮にいた。

同じく学園の統括者たる秋川理事長が、世襲制故の若さのおかげでそこまで場違いな感じはないものの、冷静に考えて本当に常軌を逸している。そもそも学園のトップ二人がどちらも二十代とは、若返りの範疇を越えているのではなかろうか。

そしてかくいう私も、世間一般的に成功したといえる部類ではある。

 

「おめでとう、タキオン。史上最年少での主任研究員に抜擢されたと聞いたよ。いずれURAを引っ張っていくのは君かもしれないな」

 

「組織運営はごめんだね。私は私のやりたいことをやっているだけさ」

 

結果的にそこに行き着いてしまったに過ぎないとはいえ、自分でも類を見ない厚遇であるとは理解している。

現在私が籍を置いているのは、URAの傘下にある研究所だ。URAのみならずその監督庁である文科省、さらには厚労省、防衛省とも太く繋がっており、ウマ娘関連の研究施設としては世界屈指の規模を誇る。流石レース大国と言うべきか、かつて留学の折に訪れたアメリカのそれと比べても、まるで遜色はない。

 

「それに君の立場で、野外でそういうことを口にするのは少々不味いんじゃないかい?君に政治の話は釈迦に説法かもしれないがね、忠告しておくよ」

 

同じくURA直轄のトレセン学園と並んで、傘下の機関としては少々毛色の変わった組織なのだが、指揮系統としてはURAが上位に来ることには変わりない。

学園専任の秋川理事長とは違って、ルドルフ会長は理事会の理事達と同じくURA本部からの出向という立場である。実質的な活動はしていないとはいえ、現在でもURA副会長という肩書きそのものは保持していた筈だ。URA本部とトレセン学園の橋渡しもまた、彼女に任せられた重要な任務の一つなのである。

無論、URA幹部が全ての傘下組織の人事権を握っているわけではないものの、そういう発言を下手に聞き咎められると厄介な事態も招きかねない。たかが旧知という程度で彼女が誰かを特別扱いすることなどあり得ない話だが、しかしただでさえ私達は組織で目立っている上、敵も多いのだから。

 

会長はすまないと軽く肩を竦めると、ふと立ち止まった。先ほどから何回も繰り返しているものだから、こちらとしてもいい加減馴れてしまって、その背中にぶつかることなく歩みを止める。

原因は明らかだ。会長の肩越しに歩道を見下ろせば、まだ一歳に届くかどうかの幼いウマ娘が一人で座り込んでいる。麦わら帽子で顔までは見えないが、ご機嫌に揺られた尻尾のおかげで、その感情は素直にこちらまで伝わってきた。

 

「テイオー。またなにか見つけたのかい」

 

「あい!!」

 

頭上からの呼び掛けに、テイオーと呼ばれたその娘は満面の笑みで母を振り仰ぐ。

薄手のワンピースの裾が翻り、その足元には一輪のたんぽぽが咲いていた。昨日から急に気温が上がったから、昨夜にでも地中からアスファルトを割って這い出てきたのだろう。

そんな驚異的な生命の神秘と力強さは、悲しいかなまだ道理を知らぬ幼児の手によって、ぶちりとなんとも呆気ない音と共に終わりを遂げた。せめてあと一週間、開花が遅ければ目をつけられなかっただろうに。これが出る杭は打たれるとかいうやつだろうか。

 

「そ、そうか。蒲公英か。……うん、よく見つけたね」

 

「あい!!たんぽぽ!!」

 

なんとも誇らしげにその成果を見せつけてくる愛娘に対し、会長は戸惑いながらもとりあえず褒めておくことにしたらしい。

まぁ、その辺りの教育はまだ数ヶ月先の話だろう。今は積極性を養う時期だ。植え込みではなく、道端の雑草を千切った程度でとやかく言うものでもあるまい。

 

「せっかくだから、うちのスカーレットも連れてくるべきだったか。あの子にもそろそろ友達が欲しい頃合いだ」

 

ウマ娘とヒトの成長速度は全く違う。というか、生態そのものがまるで異なる。

ウマ娘はヒトと比べて母親の胎内にいる時間が長い代わりに、産まれて数時間で首が座り、おおよそ産後二日も経過すれば自分の足で立てるようになる。会長は半日かそこらで立ったようだが、それはさておき。

 

ヒトと極めて酷似した種でありながら、その在り方はむしろ野生動物のそれに近かった。

安全な母親の腹の中で時間をかけて育てておいて、産まれた後はすぐに自立させることで外敵に無防備になるリスクを減らす……というのが学会における有力説だが、しかしそうなると、ウマ娘より遥かに脆弱なヒトの成長があれだけ悠長な説明がつかない。

いずれにしても、我々母親にとっては手がかからない反面、じっくりと成長を楽しむ暇もないわけだ。ヒトの母親が、我が子がようやく立ち上がったと喜ぶ頃には、既に私達の娘は拙いながらも言葉が話せるようになっている。同族ながら、この成長速度にはまるで意識がついていけないな。

 

「さぁ、立とうかテイオー。今は誰もいないけど、そのうち誰かがここを通ったら、邪魔になってしまうからね」

 

「う~……」

 

母親に促されて、テイオー君は渋々といった様子で立ち上がる。そのままぐしゃりと、本人にとっては宝物らしいたんぽぽの残骸を、無造作にポケットの中へと突っ込んだ。

ああ、会長の耳が萎れていく。私にも理解できるよその気持ち。どうして幼児という生き物は、なんでもかんでもポケットの中に詰め込みたがるんだろうね。

 

「さ、行こうか。案内してくれ、テイオー」

 

「うん!!」

 

威勢の良い返事をくれて、また私達の前をとことこと走り出すテイオー君。たぶん、あと一分もすればまた気をとられて座り込むか、ふらふらと道を外れてしまうだろう。彼女達の家に辿り着くまで、残りどれだけの工程があることやら。

さっさと抱え上げるか、引っ張ってしまえば早いのだが、ルドルフ会長はあくまでも手を繋がない教育方針らしい。代わりに必ず自分の一歩前を歩かせて、滅多なことをしないか後ろから見守っている。

手やリードなんかで、極力自分と物理的に接点を持たせておく私の方針とは正反対だ。お互いに初めての子だから、どちらが正解かは分からない。手本にするかどうかは、あと一年様子を見てからだろう。あるいは、先達であるエアグルーヴ君なんかにアドバイスをもらうのも良いかもしれない。

 

「……テイオーが産まれてから立ち上がるまで、おおよそ20時間。母曰く、私が自分の足で立つまでは半日とかからなかったそうだ」

 

跳ねるテイオー君を見つめていたルドルフ会長が、目線を外さないままぽつりとそう呟いた。

 

「知ってるよ。随分昔に君自身の口から聞いた話だ。なんだい。皇帝ともあろうウマ娘が、自分の娘相手にマウンティングかい」

 

「そんなんじゃないさ。ただ、そのわりに両親は酷く幼少期の私に手を焼いたらしくてね。なんでも随分な跳ねっ返りだったそうだが……生憎、記憶に残っていない。あの姉で経験を積んだのだから、普通慣れるものだと思うのだが……」

 

「それだけ大昔のことだったんだろう。今さら浸ろうとしたところで、思い出せないのなら無意味だ」

 

忘れてしまった過去はどうしようもない。未知を既知に置き換えるのが研究者の本分とはいえ、幼少期のあれこれなど私の興味には含まれていない。

名家出身という点で私と彼女は共通しているけれど、シンボリ家の至宝として家の期待を一身に背負った彼女と異端として遠ざけられた私とでは、やはり顧みる過去の意味合いが異なってくる。私にとって幼い頃の記憶など、自分の家庭を持った今となっては本当にどうでもいい些事だった。

 

「君はどうだった?タキオン」

 

「覚えてないね。そもそも大切に仕舞っておくような代物でもなかったのだろう」

 

「記憶にないのに、そんなことは分かるのかい?」

 

「私が覚えていないということは、つまりはそういうことさ。事実、モルモット君が作ってくれた十年前のお弁当の中身なら、今でも全て思い出せるとも」

 

これは冗談だが。

しかしどうやら会長は真に受けたらしく、ふんふんとなにやらしきりに頷いている。

 

「しかし、そうなると少し残念だな」

 

「なにがだい?」

 

「子供の成長と自分のそれを比べられないのがね。やはりこういうものは、比較対象があって初めて実感できるものだ。比較対照は君も好きだろう?」

 

「ふぅン……」

 

さも上手いこと言ったと褒めて欲しげな会長のことは完全に無視して、私はその言葉に思考を巡らせる。

彼女にとってはたんなる軽口だったのかもしれないが、それがインスピレーションとなって沸々とアイデアが湧き出してきた。なるほど、このウマ娘もたまには面白いことを言うものだ。

もっとも、それが現実に反映される頃には、スカーレットもテイオー君もとっくに大きくなってしまっていることだろうが。

 

 

 

 

 

 

「……で、出来上がったのがこれというわけだ。名前はシンボリルドルフ。歳は4歳」

 

「…………………」

 

つらつらと長ったらしい、それでいて腹立たしいほど明瞭な語りを終えて、タキオンはボクの前にそのウマ娘を差し出してきた。

後ろ手を組んで、紫の瞳を酷くつまらなそうに曇らせながら、ボクを見上げる幼いウマ娘。背丈は耳のてっぺんまで含めても、ボクの胸の辺りまでしかない。でも、肩の上で切り揃えられた二色の鹿毛に、額には一筋の流星を踊らせていて、上等な服を嫌味なく着こなすその姿は、紛れもなくボク達の母親であり、そして昨晩から行方不明になっていたシンボリルドルフその人だった。

 

「え……なにしてんの、タキオン」

 

本当になにしてるんだろう、この人。

いくら発覚から一晩しか経っていないとはいえ、あのママが行方不明のわりには巷で騒ぎにもなっていないことが不思議だったんだけど、この人が裏でなにかしたに違いない。

きっと、タキオンがその気になれば完全犯罪も容易いのだろう。そういうところ含めて、本当に頭は良いんだろうけど、その使い方を致命的に間違えている気がする。

 

「だいたい、聞いたカンジだとまだボクが産まれてすぐの話でしょ?それをなんで今更持ってくるのさ……」

 

「時間がかかると言っただろう。頭の体操としては少々難易度が高過ぎた。それに根回しにも苦労したんだ。いくら会長が協力してくれたとはいえ、私はそもそも政治が得意じゃないんだよ」

 

「え……待って。それって、ママが自分から協力したってこと?」

 

驚いた。てっきりタキオンがなんらかの謀略でもってママをハメたのだとばかり。人脈面での手助けならともかく、自分自身が被験者になるなんて。

 

タキオンは、季節外れの長袖で余らせた袖をくるくると回しながら、あたかも言い訳するかのように言葉を重ねてくる。

 

「あくまでも医療用という触れ込みだったからねぇ。まだ試験段階とすら言い難い代物だが、彼女は未来の保険としてかなり期待していたそうだ」

 

「それって……」

 

「まぁ、おおかた君の足のことだろうさ。全身そっくりまるごと戻ってしまうとなると、まだまだ道のりは長いだろうが」

 

やれやれと首を振るタキオンは、次の瞬間はっと気が付いたように目を落とす。

つられて見れば、いつの間にやら小さいママがどこかへいなくなっていた。ボク達が会話に夢中になってる中、飽きてしまったのかもしれない。だとしても、一言ぐらいくれたっていいのに。

 

「もう、ママったら。中身まで子供になっちゃったの?」

 

「……遺憾ながらその通りだよ。今の彼女は、見た目は子供で頭脳も子供。正真正銘の4歳児だ」

 

「えっ」

 

思いがけない肯定に顔を上げると、タキオンは袖を捲ってその地肌を見せつけてきた。

包帯の巻かれた前腕。それでも隠しきれないいくつかの青あざが、痛々しく表皮を彩っている。

 

 

「さて、よろしく頼んだよ、テイオー君。せいぜい、一週間もすれば元に戻るから」

 

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