さりとてもう一度かけ直す気にもなれず、ボクはそっと受話器を置く。
あまりにも一方的なシリウスとの電話だったけど、おかげで気持ちは落ち着いた。
なりふり構わないつもりだったけど、やっぱり一方的に負かされた挙げ句に大人に泣きつくのは情けない。やはりここは、ボク自身の手で決着をつけるべきだろう。
ボクは階段を昇って自分の部屋に戻ると、机の引き出しから携帯ゲーム機をポケットに突っ込んで庭に戻る。
レースで決着をつけてもいいけど、生憎今はママのサイズに合う蹄鉄の持ち合わせがない。パパなら持ってるだろうけど、その在りかをボクは知らなかった。
ま、子供同士の決着のつけ方なんていくらでもあるのだ。ボクに言わせてもらえば、あんな暴力紛いの格付けなど下の下である。
「さ~てと、ママはどこに行ったんだろうね」
最後に見た方角からして、庭の境界を越えて上の方、山の奥に向かっていった気がする。
この山自体がパパとママの共有物だし、登記もしてあるから不法侵入だなんだと文句をつけられることはない。気がかりなのは、やっぱり遭難のリスク。
人の手が入ってるのは、ここから少し進んだ中腹辺りまでで、それより上はほぼ未開と言って差し支えない。いくらウマ娘とはいえ、なんの装備もなく足を踏み入れるには危険だ。
あんなのでもママはママ。なにかあったら困る。
目と耳、鼻を駆使してその痕跡を辿る。木々の匂いに紛れて追跡は難しかったけれど、やがてボクがよく使う獣道に合流したことで一気に楽になった。
ここであえて道を無視するようなひねくれ者じゃなくて助かった。
道に沿って、緩やかな坂道を昇っていけば、頼りない獣道はすぐにしっかりとした石畳に変わる。まぁ、しっかりと言っても風雨に削られて凸凹に荒れてるけどね。
その先にある階段を進むと、見えてくるのは苔むした鳥居。ボク以外訪れる者もいなくなった境内のど真ん中にママは突っ立っていた。
「こら。道の真ん中は……」
「神様の通り道でしょ。知ってるよそのぐらい。でも、もう怒るヤツはいないみたいだけど」
「市が怒るんじゃないの。まだ管理してるのか、そもそも存在を把握してるのかも知らないけど」
「こんな山奥だもんね、それもそうか」
パパとママがこの山を買った時も特に説明はなかったって聞くし、今のところ役所関係の人が家に来たってこともない。
あるいは民俗学の研究者とか、大学の先生とか、歴史愛好家とか怪綺談作家とかオカルトマニアなんかも同様。唯一言及したのは、祓い屋を名乗るあのウマ娘ぐらいだった。
誰も存在を顧みない、名前も知らないけ神社。それはすなわち……
「……見捨てられた神社。まるで私みたい。違うか。この神社にはお前がいるもんね」
「あ、ちょっと」
ママは言いたいことだけ言い終えると、行きと同様にさっさと自分一人で帰ってしまった。
ここまで来れたのなら、放っておいても問題ないだろう。道中で追いつくのも気まずいので、しばらく境内で時間を潰してから帰ることにする。
がさがさと、生い茂った背丈の長い草を肘で小突きながら、さっきの言葉はどういう意味だろうと考える。
競技ウマ娘として幼い頃から頭角を現し、周囲の期待を一新に背負っていたシンボリルドルフ。聞くところによれば、ボクの歳ぐらいの頃にはもう、界隈でちらほらと注視する人も出てきていたというのだから驚きだ。
トレセン学園に入学した直後には、早くも大手レース雑誌から二桁の取材も受けていたらしい。普通、デビューすらしていないウマ娘なんて、せいぜい雑誌のコラムにでも取り上げられれば御の字というもの。いくら名門出身とはいえ、異例中の異例だった。
それがどうして、同じく名門傘下のトレーナーじゃなくてパパを選んだのか知らないけど。シービー先生あたりに聞けば教えてくれるかな。
そしてママは、その期待に見事応えたわけで。
現在のシンボリ家の隆盛は、ひとえにママが礎となっていた。中興の祖とかいうやつらしい。
端から見れば栄光そのものな軌跡だけど、本人からしてみればまた違うのだろう。
気にならなくはないが、根掘り葉掘り聞いたところでろくなことはないので、その好奇心は胸の奥底へと沈めておく。
さて、もうそろそろいい頃合いかな。
ボクは腰を下ろしていた石段から立ち上がって、ハーフパンツについた砂ぼこりを手で払うと、がさがさと肘で丈の長い草を小突きながら帰路に着いた。
◆
「も~、ルナちゃんどこなの~!?」
家に戻ってきたはいいものの、またしてもママはいなくなっている。
庭にいないということは、今度こそ家の中のどこかにいるのだろう。いくらなんでも、一人で勝手に山を下りてしまったなんてことはあるまい。
というか、もしそんなことになったらいよいよ困ったことになる。今のママは、シンボリルドルフを騙る戸籍には存在しない不審な4歳ウマ娘。もし警察にでも先に保護されでもしたら、自力で身分証明ができないのだから。
気を逸らせながら、再び一つ一つ、部屋を覗いていく。
「どこ~!!ねぇ、いるんなら返事してよぉ!!」
呼び掛けてみても、答えは返ってこない。
隠れんぼを楽しむようなウマ娘でもないだろうに。
「……あ、いた」
それでも、だいぶ手間取るかと思われていた探索は、存外に早く終わりを告げた。
ママとセナの部屋だ。床のクッションに胡座をかいている。
膝の上で開いていた本をぱたんと閉じて、ママは
「……うるさい。さっき、あれだけ丁寧に教えてあげたのに、もう忘れちゃったんだ。頭が悪いの?」
「なにさ。そっちこそ、返事の一つもできないなんて口がついてないの?」
「さっきまで、ここのサンダルを履いて外に出ていたんだから、帰りもここに戻ってくるのが自然でしょ。やっぱり、お前は頭が悪いんだね」
「むぅ……」
悔しいが反論できない。ちょっと考えれば分かることだった。
そしてその指摘を淡々と捻り出せるあたり、かくいう彼女の聡明さだけは伝わってくる。
ああ、本当に癪に障るヤツだ。これがなにを食べて育ったらあのママになるのか、今世紀最大の謎の一つだろう。
ママはあんまり、自分の小さい頃の話をしたがらない。だから現在から遡って推測するしかないんだけど、そのせいか、ママの幼少期はそれはそれは立派なものだと噂されていることもある。
皇帝シンボリルドルフは、産まれた時から皇帝だったというわけだ。そんな話を真に受けてる人達に、この真実を見せつけてやりたいものだった。
と、そこまで話してようやく気づく。
さっきまでそのクッションで寝ていたセナがいない。まさか、無理やり叩き起こしてどかしたのだろうか。はっきり言って、今のママならやりかねない。
「ねぇ、セナはどこにやったの!?」
「セナ?」
「そこで寝てた男の子だよ!!」
「あぁ、こいつのこと。そんなに気がかりなら、邪魔だからお前が持ってちゃってよ」
眉をしかめながら、ママはずりずりと体を横にずらす。そうして露になった太い尻尾には、床に這いつくばったセナがとりついていた。
楽しそうに鹿毛の毛先を指先で擦ったり捻ったり。しまいには付け根を掴んでぶんぶんと横に振ると、先端を口に入れる。
「うわぁ……」
ちょっとだけ、ママに同情する。
ああ、この子の前に迂闊に尻尾を投げ出しているとこうなるのだ。
セナに限らず、ヒトの幼児はウマ娘の耳や尻尾に妙に興味を寄せて遊びたがる。自分にはついてないぶん、余計に気になるんだとか。あとは単純に小さい子は動物が好きだから、それを彷彿とさせる部位にちょっかいを出したがるのだとも。
ママはそれに心底嫌そうに眉をひそめているけれど、意外にも無理やり止めさせようとはしていなかった。
なにもボクにやったみたいに投げ飛ばして叩きつけるなんてしなくたって、少し尻尾を振れば引き剥がせる。ただでさえウマ娘の尻尾は、全力を出せば大人の腕すらへし折る代物だ。
むしろ下手に力加減を誤れば、セナの方が怪我しかねない。まさか、それに気を遣っているのだろうか。ボクにはあんなことしておいて。
「ほら、セナ。もう満足したでしょ?別の食べよ?」
「くぁ………」
「もぉ~」
ママが気変わりしないうちに、急いでセナの脇を抱えて抱っこする。
まだ物足りないのかセナは舌を引っ込めないけど、同時に眠くもなったようで、あくびをするとボクの胸に頭を擦り寄せて眠り始めた。
……こちらの気も知らずに、本当に気楽なものだ。この子のズブさは筋金入りで、どんな状況でもいまいち切迫感がないというか、呑気だ。ボクはこれまで、セナが泣いてぐずってる姿を数える程しか見ていない。
そして、そんなズブい弟のためにママに代わっていつもいつも世話を焼かされるのが長女であるボクの運命。まぁ、大きくなったら存分にこき使ってあげるから、そのための投資とでも考えておこう。
もう一つ転がってたクッションの上に放り込んで、ガーゼケットをかけてやった後、ボクは再びママと対峙する。
この部屋はボクも何回か入ったことがあるけど、はっきり言ってなんの面白味もない。ママの膝に上にあるものも含めて、揃えられているのは学術書と、レースに関連した外国の論文や教本にウマ娘の歴史書、あとは数冊の哲学書ぐらい。娯楽の類いと言えばチェスの棋譜ぐらいだけど、一人で見てたって面白くないものだ。
ひょっとしたら、小さくとも同じママなら理解できるかもと思ったけど、流石にそれはなかったようで、ただただつまらなそうに床に目を落としていた。
「ねぇ、ルナちゃん」
声をかけると、ママはきっとボクを睨み上げる。
……やっぱり、セナを相手にしてた時と、ボクを相手にする時だとどこか違う。纏う雰囲気というか、気配のようなものが。
明らかにピリついていた。ボクにもそれと分かるように、頑なに壁を作っている。
二度も頭が悪いなんて言われてしまったボクだけど、それでもその拒絶の理由について、一つだけ考えつくものがあった。
「なに?」
「さっきの決着つけようよ。このゲーム機でさぁ」
部屋から持ってきたそれを、ママの目の前に差し出す。
今年、発売されたばかりのこれは、他ならぬママ本人にねだって買ってもらったもの。多機能で、ゲーム以外にも色んなことが出来る。
誰でも知ってる大手メーカーの出してるもので、その会社もこのシリーズも、ママが産まれる前から有名だった。
そして言うまでもなくこれは、ママが4歳の頃には
「……っ!!」
ママは辛うじて無表情を維持したまま、反射的にボクの手を振り払う。それはまるで、恐ろしいものから身を守るかのような。
ほんの一瞬見ただけで、その正体と背景を完全に理解したらしい。流石、本当に頭の回転が速いんだね。
ボクの手から弾き飛ばされたゲーム機は、かしゃんと虚しい音を立てながら、滑るように床の上を転がっていった。
くるくると回った最後に、セナの顔に衝突して停止する。勿論、そんなことで目を覚ますような弟ではなく、部屋は再び落ち着きを取り戻す。
「あっ……」
その呟きは、ボクとセナのどちらに向けられたものなのか。まぁいい、これではっきりした。
ボクに対してやけに攻撃的な態度は、その実、恐怖心の裏返し。
ようするに怯えてるんだ、ママは。
タキオンは中身も小さくなっていると言っていた。4歳時以降の記憶が、ごっそり欠落しているのだと。
つまりママの立場からしてみれば、ある日いきなり数十年先の未来にタイムスリップしてきたも当然なのだ。ましてやここはシンボリのお屋敷でもなくて、どことも知れない山の中にある孤立した一軒家。異世界に一人ぼっちで、帰る方法すら見当もつかないとなれば、余裕もなくなる。
そしてそこで、見知らぬウマ娘が馴れ馴れしく絡んできたとなれば……まず間違いなく、良い感情は抱くまい。
あんな暴力的な格付けに走ったのも、全ては自分自身の身を守るため。ボクを従わせることで脅威を取り払い、安全を確保しようとしたから。
セナへの対応が違ったのは……まだ幼稚園にも入れないようなヒトの子供なら、流石に脅威足りえないと思ったからだろう。
「うーん……」
となると、まずママに状況を分かっててもらうことが先決だけど、どうしたものかな。
頭は良いから、口で言っても理解してはもらえるだろうけど、信じてもらえるかどうか。
ママの現役時代のあれこれを見せるのが、一番手っ取り早いかもしれない。
でも、トロフィーとかメダルとかは全部千葉の実家の方にしまってあって、勝負服はどこにあるのか分からない。
っていうか、説明しようにもまずボク自身があまり詳しい話を知らない。
その辺りの説明義務は、当事者であるタキオンにこそあると思うんだけど……このママの様子を見る限り、その義務を果たしていないか、あるいは説明しても信じてもらえなかったか。
そうこう頭を抱えているうちに、ママの目はどんどん鋭くなっていく。
どうしよう。このまま警察にでも通報されたら、本当に取り返しがつかなくなる。
――救いの手は、思わぬところから差し伸べられた。
「おう、邪魔すんぞテイオー。で、んだよ。虐待とかなんとか……」
無遠慮に扉が開かれる。
その向こうからふんぞり返って現れた、真っ白な星の特徴的なウマ娘はまさに……
「シリ……」
「シリウス!?なに、その姿」
ボクの声に被さるように、すっとんきょうな叫びを上げて固まるママ。
そして同じく、目を見開いて固まったママ動かないシリウス。
そうか、小さいママと知り合いだって言っていた。そのシリウスの大人になった姿は、これ以上ない物証になる。
唐突に射し込んだ光明に、ボクは頭が真っ白になって、固まる。
「…………」
「…………」
「…………」
全員の思考の処理が追いつかない数秒間。
我関せずとばかりに、セナがころんと寝返りをうって……最初に動き出したのはママだった。
猫みたいなしなやかさと敏捷さで跳ね上がり、自分の下からクッションを引っ張り出す。
綺麗なフォームで振りかぶって、それを全力でシリウスの顔面目掛けて投げつけた。
パァンと、乾いた空気の破裂する音。
布地が千切れて、中の羽が舞い落ちる。
「えぇ……」
ボクの推理……やっぱり間違いだったのかなぁ。