ヒトとウマ娘の身体的な格差は、よく分かっているつもりではあった。だけど、大の大人がああも身動き取れなくなってる姿を実際に目にするとまた違う。
たぶん、単純な腕力だけではああはならない。パパだって決して力がないというわけじゃない。単純に、ママの身体の使い方が上手いだけだ。
へー......この二人、夜の時もこんな感じだったのかなぁ。いや、そんなワケないか。いくらなんでもパパの身が保たない。
.....って、そんなことを呑気に言ってる場合じゃないんだった。はやくパパを助けないと。
「パパ!!......うっ」
ボクが駆け寄るとほぼ同時に、ベッドからひらりと降り立つママ。のびてしまったパパよりも、新たに乱入してきたボクたちのほうを脅威とみなしたらしい。
一応、パパを助けるという目的については達成できたかもしれないけど......問題は、ママの方は全くなにも解決していないということ。それどころか、昼間とはまるで比べ物にならないほどの激情を湛えた瞳で睨みつけてきていて、確実に状況は悪化している。
「お、落ち着いて。ね?ルナちゃん......」
「黙れ。気安くその名前で呼ぶな」
「え、じゃあなんて呼べばいいのさ」
そう問いかけた瞬間、ママは返事の代わりにその脚を床に思い切り叩きつける。
家全体に響き渡る轟音。冗談抜きで床がたわむような、波打つような感覚さえする。思わずひう、と掠れた悲鳴を漏らしてしまう。
「ふん。この程度で揺れるなんて粗末な家だね。ルナのお家とは大違い」
その粗末な家、キミが建てた家なんだけどね?
なんて言えるハズもなく、ボクは血の気の失せた顔で震えるツヨシを背中にやることが精一杯だった。
その腕の中に抱かれているセナといえば、不思議そうな顔でママの方を見つめていて、時折思い出したかのように間抜けな声を上げながら手を伸ばしている。その度に慌ててツヨシが引っ込めさせて、しばらくしたらまた伸ばしての繰り返しだ。
マイペースもここまで来ると、生物としての危機管理意識やら防衛本能やらに疑問すら抱いてしまう。
それにしても、やけにかかっている。
もしやパパがなにかしたのかと訝しんで、ベッドの上を確認すると、シーツに拘束具の破片のようなものが散らばっているのに気がついた。ああ......そりゃあ怒るわけだ。
耳を絞り、犬歯をむき出しにしながら前掻きを始めるママ。
その威嚇に完全に戦意喪失してしまったボク達を尻目に、おもむろにシリウスがその眼前へと立ち塞がる。
ちっとも臆しない威風堂々としたどその立ち振舞いは、流石のダービーウマ娘の胆力といったところだろうか。
「なに、やるの?シリウス」
「いいぜ、かかってこいよ。ルナちゃん」
「お前......!」
いきり立つママに、煽るシリウス。退くことを知らない二人が相対した末に、膨れ上がった威圧感が空気を震わせる。
プレッシャーにあてられたのだろうか。まるで足元まで不安定にぐらついている感覚がして―――
―――いや、違う。これは錯覚なんかじゃない。
揺れてる。ホントに揺れてるんだ!!
「え?」
「なっ......!?」
「わわっ!!......とッ」
呆気にとられた声を上げるボク達四人。慌てて部屋の出口まで走ろうとした瞬間、一際大きな沈下が起こる。
ああ、駄目だ。走るどころか、ここから一歩でも動けば、それを引き金として崩壊に至るだろう。かと言って、このまま固まっていたところでいずれ落下することに変わりはない。
もう引き返せないところまで来てしまった。ようするに詰みなのだ、もう。
「ちょっと!!ママのせいだよ!!どうすんのこれ!?」
「えっ......ルナの、せい?」
「他に誰がいるのさ!!」
「えっ......えっ......」
まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったのだろう。あるいは責められることそのものに慣れていないのか。
ママはさっきまでの勢いが嘘のように狼狽えだした。きょときょとと床と天井を交互に見渡して......それでも、ボクやシリウスですらお手上げなこの状況を、四歳児の彼女がどうにか出来るはずがない。
床の軋む音が大きくなるに連れて、ママの瞳にもみるみる大粒の雫が溜まっていく。幼児がにっちもさっちもいかなくなった時、続く行動など一つしかない。
「う......ぐ、ぐすっ......わあぁあん!!」
「あぁ、もう......」
泣き出してしまった。徐々に高くなっていく天井を仰ぎながら、みっともなく泣きじゃくる。
貴重な、というより一度も見たことがないママの号泣だが、それに気を取られている状況ではない。
ママに引きずられたのか、いよいよツヨシまで嗚咽を漏らす。そんな泣き出したウマ娘二人を眺めて、どういうわけかにこにこと楽しそうに笑っているセナ。サイコパスかな?この子。
「ちょっと、シリウス。どうにかしてよぉ」
「無茶言うなよ。いくら私だって出来ないことはある。それによ、アイツをキレさせたのはお前なんだから、お前がどうにかすべきじゃねぇ?」
「言ってる場合!?」
行き詰まったらすぐ責任の所在を突き詰めたがるのは、大人の良くないところだ。シリウスのべしょりと垂れ伏せられた耳を見れば、冗談や悪ふざけにも到底思えない。
「あっ.......」
そうこうしてる内に、一段と大きな揺れが部屋を襲う。
思わずたたらを踏んだ瞬間、足元の床が無くなった。
◆
「......っていうことがあってね。だからタキオン。悪いんだけど弁償してくれる?ウチの修繕費」
「えぇっ、私がかい?話を聞く限り、ルドルフ会長に非があるとしか思えないんだけどねぇ」
「そりゃそうだけどさ」
「すまない.......」
翌日。
取り決めの一週間を待たずして、薬を持ってきたタキオンがボク達の家を訪れた。まるでこの場にいなかったことにでもするかのように、明け方早々に出ていったシリウスと入れ替わる形となる。
ソファにふんぞり返り、ひと仕事終わったと言わんばかりに満足げな顔のタキオンと、その隣で肩身の狭そうに縮こまるママ。
対象的な二人だけど、この家の破壊に責任を負うべき立場であるという点では変わらない。
「だとしても、そこに至るまでの状況を作り出したのはタキオンでしょ。なら実質タキオンが壊したも同然だよ」
「ふゥン。共同正犯ってことか。なら尚更、私だけがこうして責められるのは納得がいかないねぇ」
「じゃ、ママと折半してよ。お金ならたくさん持ってるんでしょ?ならそれで水に流してあげる」
「仕方ないねぇ。まぁ、それで済むなら甘んじて手を打とうか」
「ふん」
相変わらず余裕綽々の態度。タキオンのこういうところが好きになれない。もうちょっとママみたくしおらしくすればいいのに。
ちなみにこうして主導権を握れているのは、ママがボクに負い目を感じているからだ。初対面でふっかけられた横暴の数々をお互いに忘れてはいない。
「だいたいママも!!」
「な、なにかなテイオー」
「これ、さっきセナが遊んでたのを取り上げてきたんだけど。ねぇ、なにこれ?」
テーブルの上にボクが取り出したのは、対ウマ娘用の結束バンド。昨日千切れてたものと違って新品で、使用対象年齢もはるかに高い。
そういえばさっきまで、家の修理のためのあれこれを買い出しに街まで降りてたけど、間違いなくそこで買ったのだろう。
「ママはもう大人だもんね?あんな乱暴なウマ娘じゃないもんね?じゃあなにに使うのさ。これ」
「そ、それは......」
「ねぇ......ナニに使うつもりだったの?ママ」
「ええっと......」
ふーん......そっか。ボクには言えないようなことなんだ。
埒が明かないから、今度はパパでも問い詰めてみようと考えて、そこでようやく朝から姿を消していたことを思い出す。
「あれ、パパはどこ?病院?」
「ああ、彼なら私が回収したよ。病院では少しばかり手に余りそうだったからね。受け身も取れずにニ階から落下したのだからそれも仕方がない」
「で、どこなのパパ」
「あそこだ。よく見給え」
タキオンがすうっと指を廊下に向ける。
そちらに目を向けると、敷居に頭を乗せる形でうつ伏せになった幼児が一人。髪の間から覗いた耳は、ウマ娘ではなくヒトのそれ。
「言っただろう。医療目的で作成した薬だと。ま、しばらくしたら元に戻るさ......一週間も経てば、ね」
第三章【END】