奥様はシンボリルドルフ   作:くまも

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惚れた弱み

 

「が、学園長……その、今朝の切り抜きです」

 

「ああ、ありがとう」

 

エアグルーヴに警戒されつつ、今日も今日とて私は学園長としての職務に取りかかる。

 

先ずは彼女から手渡された、新聞の切り抜きをクリップ留めした束にざっと目を通す。事務局のスタッフが、大手新聞社発行の日刊紙から、レースやウマ娘に関連する記事をとっておいてくれているのだ。

見たところ、特に目ぼしい話題もない。せいぜい、秋川理事長への定例インタビューが載せられている程度か。

中高等部課程における、トレーナー養成学校の創設。あくまで構想の段階だが、またなんとも大掛かりな計画を打ち立てたものだ。本格化すれば、私も手を貸すこととなるだろう。

とりあえず、これは要注目だ。その一枚のみクリップから取り外し、残りは机上のバインダーに綴じておく。

 

机上のパソコンを立ち上げ、メールボックスの確認。世間的には休日ということもあってか、昨日の退勤後に送られてきた数も少ない。

その中身もまた、レースに関連したネット記事の周知だったり、あるいは会議における発言のちょっとしたメモだったりと、どれも重要度の低いものばかり。ものの数十秒で目を通し終えてしまった。

さて、今日の午前中は……そうだな、来週の視察に向けてスケジュールの再確認でもしておくか。優秀な部下が何度もチェックを重ねたものなので、正直あまり意味はないけども。

 

「ふぅ……」

 

ざっと画面をスクロールしながら、椅子の背もたれに深々と背中を預ける。

 

平時であれば、こういった休みの日における私の役割とは、専ら学園に顔を出すという、ただそれだけのものに過ぎない。

トレセンは全寮制の教育施設であり、一年を通じて生徒達が敷地内で生活を営んでいる。またその性質上、トレーニング施設を常に解放しておく必要があるほか、休日と言えども少なくない数のトレーナーやスタッフが出入りすることとなっていた。

彼らを統括管理する最高責任者が私である以上、有事の意思決定に備えて出来る限りここにいることが望ましい。勿論私とて家庭があるから、公私のバランスをしっかりと見極めた上での出勤にはなるが……。

 

とにかく、これも大切な仕事である。

年頃のウマ娘が大勢集う以上、やはりこの学園にはトラブルが絶えない。その際、私が現場にいたまま迅速に指示を下せるメリットは大きく、そのお蔭で上手く対処できた例だって両手両足の指では足りない程だ。

しかしそれは、裏を返せばトラブルさえなければお役目無しという事で。……ようするに、今の私は存分に暇をもて余していた。

 

喜ばしいことではあるのだがな。私や警備部のウマ娘が忙しくないということは、それだけこのトレセンが平和だという証だ。まさか何か起きてくれと祈るわけにもいくまい。

ただ、昔から仕事中毒の気がある私にとっては、このなにもないという時間がかなり辛い。これまで抱えていた案件も、折り悪しくつい昨日片付けてしまったところである。

 

さて、本当になにをしたものか。また資格を漁ってみるのも良いが、目ぼしいものは大体取りつくしてしまったことだし。

旦那君と結ばれ、子宝に恵まれた今になっても、まだ独身時代の無茶な労働スタイルが抜けきっていないのだろうな。私は。

 

あの頃の労働スタイル……労働、スタイル……スタイル……体型……。

 

 

「くっ……!」

 

 

バキン、と。

 

悲痛な断末魔を吐き出しながら、私の手の中で砕け散る万年筆。

就職して初めの年に購入した、長らく苦楽を共にしてきた相棒。いずれこういうものも必要になるだろうからと、友人に薦められ背伸びして買ったものだが、まさかこんな形で終わりを見届けることになるとは。

残骸は机上を二度三度と転がり、ちょうど私の目の前で静止する。まるで抗議を込めて、私の所業をこれでもかと見せつけられているかのよう。

 

どうしようもない虚しさを抱えながら、深々と背中を背もたれに沈めてみれば、いつの間にやらデスクの前に立っていたエアグルーヴと目が合った。

眉尻を下げ、呆れと憐憫の入り交じった、可哀想なものを見る目で私を見下ろしている。今の私にとって、哀れみを向けられるのはただ怒られるより何倍も辛いのだが。

 

「……なにかな」

 

「"また"トレーナー殿と一悶着でもございましたか。学園長」

 

それは問いかけの形でありながら、ほとんど断定に近い響きを伴っていた。

 

とっくに競技ウマ娘を引退し、とっくに私のトレーナーではなくなった彼を旦那君と呼びはじめて、もう随分経つ。きっかけは確か、長女のテイオーの妊娠が発覚したあたりだったか。

それほどの年月が過ぎているにも関わらず、エアグルーヴは未だに彼の呼称を改めていない。曰く、この学園にいるとどうも現役時代の感覚を引き摺ってしまうからなのだと。そのわりには、彼女も彼女で自分の旦那の呼び名はちゃっかり改めているのだけれども。

 

「まだ何も言ってないが」

 

「何年来の付き合いだと思っているんですか。貴女がそうして感情のコントロールを失うのは、決まって彼が絡んだ時ですから」

 

「そ、そうか……」

 

それはそれは。まるで自覚がなかった。

出世街道を踏み出した時からついてきてくれている部下も何人かいるが、彼女はかつて生徒会長を勤めていた頃からずっと隣にいる、正真正銘最古参の右腕。そんな彼女だからこそ気付いた些細な癖と、そんなところだろう。

 

まさか、誰にでも一目で分かってしまう程取り乱していることはあるまい。

 

……うん、そうであって欲しい。まさか一から十まで周囲に筒抜けなんて、それは流石の私でも厳しい。

 

「どうせ本日は仕事もないのです。暇潰しがてら、長い愚痴でも聞かせて下さい」

 

「う、うむ」

 

手持ち無沙汰に開け閉めしていたバインダーをデスクに置いて、エアグルーヴはそう話を振ってくる。

今のところ、学園は平和そのもの。なにも問題は起きていない。なら、我々管理職の出番もそうそうないだろう。

私は遠慮なく、彼女の提案に乗らせてもらおうと決めた。子沢山なエアグルーヴのことだ。もしかすると、こういう領域については彼女の方が明るいのかもしれないのだから。

 

 

 

 

「……と、いう経緯で。今朝ここまで来たと言うわけだ。以上」

 

「ええ、トレーナー殿が悪いですね。はい」

 

私が語りを終えるや否や、半ば被さるようにしてそうきっぱりと言い放つエアグルーヴ。

なんとも言い難い表情のまま、落ち着きなく親指と人差し指で前髪の先っぽを弄っている。

 

「いくら夫婦とはいえ、親しき仲にも礼儀あり。女性相手にデリカシーが無さすぎます」

 

「同感だが……どうしたんだい、今日はやけに語気が強いじゃないか。君のことだから、てっきり諌めにでも来るんじゃないかと」

 

「私も貴女と同じです。自分の気持ちに、嘘はつけないものですから」

 

「…………と、いうことは君も」

 

「……………えぇ」

 

力なく頭を縦に振るエアグルーヴ。

その呆れは果たしてどちらに向けられたものだろうか。自他共に厳しい彼女だが、それでもどうしたって気の抜ける瞬間はあるということだろう。

思えば、ターフの上で戦っていたあの頃ですら、時たま太り気味の不調に苛まれていたのだから、引退して代謝も衰えたこの歳となれば尚更のこと。

 

万年筆の残骸を隅に押しやった後、そっと自分の腹部へと手を当てる。椅子に腰掛ける格好である以上、仕方のない部分があるにしても、言われてみれば普段より少しだけ、欲張りな触り心地になっている気がした。

ちなみに、私達ウマ娘の太り方はヒトのそれとは少し違って、脂肪が溜まるのは腹回りに限られる。そのつき方もこれまた特殊で、蓄積と言うより膨張に近い。

妊娠したウマ娘が、その初期において太り気味と間違われることすら笑い話でもないよくある話である。

 

故に、念を入れて確かめるのは腹部の前面。シャツの上から撫でてみたり、指先で摘まんでみたり。

 

「ん……んー……?」

 

……まぁ、確かに数字上は変化があるのかもしれない。メジャーでウエストをぐるりと計ってみれば、数値として違いは出てくるだろう。

ただ、それを体感で理解できるかと問われたら、率直に言ってかなり難しいと答えざるを得ない。指摘されて、初めてなんとなく実感出来る程度の、ごく些細な変化だからだ。

毎日、素肌を直に見ていて目が慣れてしまっているという事情を抜きにしても、肉眼で気付くことはおよそ不可能。だいたい、ほぼ毎日見慣れているという点は旦那君だって同じこと。

 

それを今朝出かける前、ほんの数秒抱き合っただけで感付いたというわけか。

何度繰り返したかも分からない抱擁の記憶から、抜け目なく違和感の糸を手繰り寄せたか。あるいは、トレーナーとしての長いキャリアの中で培ってきたセンスの賜物なのかもしれない。

いずれにしても、それだけ私のことを深く理解してくれているという事実には、こんな状況でも全く悪い気はしなかった。

 

「ふふっ」

 

「学園長?」

 

「ああ……いや、済まない。うん、君が話を聞いてくれたお陰で、だいぶ落ち着いたみたいだ。ありがとう」

 

「そう、ですか。それはなによりです」

 

勝手に機嫌を取り戻した私を、酷く奇怪なものを見る目で眺めてくるエアグルーヴ。

すぐにそれも引っ込めると、拍子抜けといった様子で尻尾を垂らす。おおかた相談という体にかこつけて、実際は自分の夫について愚痴でも溢す機会を窺っていたというところか。

 

そしてその愚痴は、すぐに惚気に移るのだろう。

それもまた、いつも通りの光景だった。普段であれば乗ってやるところだが、しかし今日は他にやらなければならないことがある。

 

なにも変化のないメールボックスのウィンドウを閉じて、少し迷ったがパソコンの電源も落としてしまう。そのまま静かに席を立った。

 

「お出かけですか」

 

「ああ、折角の良い天気だ。こういう時ぐらい、身体を動かさなければ勿体ない。今日が祝日で助かったよ」

 

お陰で殆どのチームがオフ。今日ぐらいはと、羽を伸ばすウマ娘が大半を占める。

私が出張ったところで、大した騒ぎにもならないだろうからな。

 

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