奥様はシンボリルドルフ   作:くまも

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親の心子知らず

 

「やっぱりさ、こんな大きいターフを二人じめってのは贅沢だよね。学園に残らなくて正解だったかも」

 

「あ、お帰り姉さん。そう、終わったんだ」

 

汗を滴らせながら、さっきまでターフをぐるぐる回っていた姉二人が、気付けばこちらに帰ってきていた。

太陽が直上からやや傾きかけた頃合い。一日の中で最も暑さの厳しい時間帯であり、よくもまぁ、こんな何時間も走りっぱなしでいられるものだと感心する。

いくら真夏の炎天下ではないとはいえ、ヒトの場合ひょっとしたら、命にすら関わりかねない。

それが姉の場合テイオーどころか、お世辞にも体の強いとは言い難いツヨシですら、せいぜい息を切らす程度とは。やはりと言うかなんと言うか、そもそも生物としての規格が違うのだと実感させられる。

 

物心ついた頃から思い知らされ続けてきた格差。両親の介入がない限り、姉弟間の争いで勝てたことなど一度もない。

こういう小さな格差の積み重ねが、いつしか確固たる序列として定着したのだろう。なんて、今更そんなこと言っても仕方ないか。

別に僕自身も気にしていない。だいたい末っ子が割りを食うことなんて、どこの姉弟でも同じだろうから。

その代わり親には鬱陶しいほど目をかけられているのだから、丁度いいのだ。

 

「終わったんだ……って。ちゃんと見てなかったの?セナ」

 

「見てって……何時間走ってると思ってるのさ。ハムスターの回し車みたいに、延々とぐるぐるしてるの見てても面白くないでしょ。ずっとここにいただけ感謝してよ」

 

「なに、ボク達の走りがつまらないってわけ?」

 

「走ってる方は楽しくても、見てる方は飽きるし。だいたいせっかく学校も休みなのに、なんでこんなこと……ふぁ……」

 

「んもー。学園じゃボクが走ってたら皆よろこんで集まるのに。それを独占してるんだよ?なのにその言い種はなにさ」

 

「だってここ、学園じゃないし……くぁ」

 

もう一度、大きな欠伸。

 

僕とてウマ娘の走りに関心がないわけじゃない。むしろ仮にも中央のトレーナーを目標に掲げている以上、人一倍興味はある。

才能に溢れた姉二人の走る姿を見ているだけでも、かなり勉強になる部分があった。逆にそうでもなければ、こんな休みの日から朝早く起きて、律儀に付き合ったりなどしていない。

なにせ下された指示が『走るよ見てて』なんていう、ただそれだけの本当に漠然としたものなのだから。ウマ娘が走りたがりというのは周知の事実だが、同時に見せたがりでもあるとは知らなかった。

 

ンモー!なんてウシみたいな雄叫びを上げている姉を尻目に、肩越しにその後ろに目を向ければ、よたよたと頼りない足取りでこちらに寄ってくるもう一人の姉の姿。

 

「ちょ、ま……待って。待って、下さい~……」

 

ぜぇぜぇと、肩で息を切らしながら懸命に歩みを進める姿は、健気を通り越して歩く屍のごとき哀愁を醸し出している。

 

それぞれに保冷剤をくるんだタオルとミネラルウォーターの600mlペットボトルを投げ渡してやり、僕は早々に玄関ポーチから立ち上がる。

あの二人には、距離感というものがない。いくら姉弟といえどもパーソナルスペースはあるべきだろうに、こちらが退けば退いたぶんだけ踏み込んでくる。

それが不快だというつもりもないが、少なくともこういう時にくっついてこられると汗が染み付いて困る。ただでさえ高い体温も相まって、暑苦しいことこの上ない。

 

僕が背にしているのは屋敷の裏玄関だが、そこは使わずにあえてぐるりと本館を大回りする。

そうでもしないと、後ろの二人が追ってくるのが目に見えているから。幸い、シャワールームは裏玄関を抜けたすぐ脇にある。更衣室含め、トレーニング関連の設備は皆そちらに集中していた。

 

なるべく注意を引かないよう、足音の吸収される芝の上を選んで歩く。

庭の端あたりまで来たところで、ちらりと横目に背後の様子を窺う。

 

「………………………」

「………………………」

 

二人とも、黙ってこちらの後ろをついてきていた。

テイオーが先頭で、ツヨシがその後ろ。広い庭なのだから並んで歩けば良いものを、二人は縦になってぽくぽくと歩く。

これは別に、姉達だけの趣味嗜好だとか、取り決めというわけではない。どうもウマ娘独自の特性だそうで、気を抜くとこうなるのだとか。

序列が高いほど、位置取りは前になるらしい。僕達姉弟の序列とはまさに年齢順。なら僕が先頭で、長女のテイオーが二番手なのは筋が通らないが、父さん曰くこの特性はヒトには適用されないらしい。

順番も序列もなにもかも、全てウマ娘同士の間でのみ関係するそうだ。変なの。

 

「……?なに、どうしたの瀬奈?ボクの顔になにかついてる?」

 

「ついてるよ。額にぶっとい白髪が一本」

 

「んぇぇ!?……今ボクの流星のことバカにした!?瀬奈だって同じのくっついてる癖に!!」

 

「はいはい」

 

独特の甲高い声でリアクションを取りながら、コロコロと表情を変えるテイオー。その後ろで、まだ息を切らしつつも動きを真似ているツヨシ。

どちらも素直に感情を表現しながら、規則正しく僕の歩いた道を辿る。相変わらず、縦に並んだまま。

 

 

そんな光景を眺めていると、時折ふと『群れ』という単語が頭に浮かぶ。

 

ヒトに当てはめるには、少々そぐわない単語。それもその筈、僕は彼女達を同族としてではなく、なにか別種の生き物に見ている節があると自覚していた。

事実、分類学上では違う種族なのだが。それでも生まれて以来生活を共にし、いやそもそもその生き物から生まれた割には、僕はなんとも言えない壁のようなものを感じていた。

 

身も蓋もなく言えば、どこか野性的というか、動物に近いような。

こんなこと、父さんにも姉達にも、勿論母さんにも明かさないことであり、ずっと胸の内に秘めている感覚。しかしそのせいで、僕がこの二人にいまいち親近感を抱けていないこともまた事実である。

 

 

 

 

いずれにしても、こうなってしまうと振り切るのは不可能だ。

決してこちらを追い抜かず、しかし決して逃がさない絶妙な速度で延々と後を追ってくる。それでも諦めず、徐々に歩調を速めていると、屋敷の角から飛び出してきた誰かとぶつかった。

 

「わっ」

 

「おっと……ああ、瀬奈か。ただいま」

 

勢いを殺しきれないまま、堪らず足をもつれさせた僕を優しく抱き止めてくれたのは、スーツに身を包んだ鹿毛のウマ娘。

僕の母で、かつて皇帝なんて呼ばれていた競技ウマ娘らしい。今は天下の中央トレセン学園で学園長の席にいる。少なくとも、この時間帯にこんな場所にいるはずのない人物。

 

体幹が強いのだろう。不意の衝突にも関わらず、微塵もたたらを踏まないまま、微笑すら浮かべながら僕を見下ろす。

そんな母の姿を認めて、僕は心の内で眉をひそめた。どういうわけか知らないが、とにかく母が帰ってきた以上は、僕が自由気ままに過ごせる時間はもう無くなってしまったのかもしれない。

 

「……お帰り。父さんは?」

 

「お父さんならまだ学園だよ。お母さんは……うん、ちょっと体調が悪くてね。残りはエアグルーヴおばさんに任せて、早めに上がらせてもらったんだ」

 

「体調不良?それって大丈夫なの?」

 

「いや、本当に大したことないんだ。ありがとう。でも心配には及ばない」

 

はぐらかすような、曖昧な笑みを母は浮かべる。

僕が問い質しているのは、程度の話ではないのだけれど。母が体調不良というのが、まず記憶から出てこない程の異常事態であって、ましてやそれで仕事を休むなど大事と言っても差し支えない。

 

「本当に、心配ないから」

 

なんて慰めるように頭を撫でられたところで、こちらの不安は和らぐどころかますます深まっていく一方だった。

 

「あっママ!おっかえり~!!」

 

「ああ、ただいま。テイオー」

 

腑に落ちない僕を尻目に、助走をつけたテイオーが颯爽と脇を駆け抜けて母の懐に飛び込んでいく。

だが、飛び込もうとしたその直前……最後の一歩を踏み切らず、ゆるゆると速度を落として、やがて母の真正面で停止した。

その尻尾を追うように後を追いかけていたツヨシもまた立ち止まって、肩越しに目の前の母を見上げている。ただ、なにか察したらしいテイオーとは違って、意図が分からず混乱しているようだった。

 

テイオーが僕と全く同じ問いかけをして、母がそれに全く同じ答えを返す。

やはり僕とは違って、姉はなにやら勘づいているように見える。同じウマ娘、相通ずるものがあるのかもしれないが、しかしそうなるともう一人の姉がピンときていないのが妙だ。となると単純に、観察眼や経験の違いだろうか。

 

「それより二人とも、早く汗を流してきなさい。いくら春先だとはいえ、そのままだと風邪を引いてしまうよ」

 

「はーい」

 

「……ぜぇ……うう、はい……」

 

「ツヨシは無理しないようにな。テイオーもしっかり配慮しなさい。お姉ちゃんなんだから。まったく……」

 

姉達を嗜めながら、母はごく自然な足取りで僕の後ろに回り込んでくる。

汗だくの二人に抱きつかれたくないのは同じらしい。だからといってこちらを盾にするなとは思うが、シャツに短パンの僕とは着込んでいるモノの質が比べ物にならない以上、被るダメージも大きいのだと察して納得した。

 

「ならこんなとこ寄ってないで、さっさと病院に行けばいいのに」

 

「なに。瀬奈が寂しがっているんじゃないかと心配でね。なにしろ折角の祝日に、両親揃って仕事が入ってしまったわけだからな」

 

僕の両肩に指を這わせながら、飄々とそんなことを言い放つ。これは別に冗談だとか、僕のことをからかっているだとかいうわけでもなく、至って本気の言葉なのだろう。

 

母は昔からそうだった。上の姉妹に対してもその傾向はあったらしいが、とりわけ僕に対しては過保護なきらいがある。

これまた誰かの受け売りだが、それも別に母だけの特徴というわけでもなくて、ヒトを子供に持ったウマ娘の母親は皆そうなりがちなのだとか。

ただでさえウマ娘より脆弱なヒトの、それも子供となれば些細な気の緩みがそのまま大事故へと直結するわけで、それはそれは気を遣うという。

 

ただ、母の場合は過保護を通り越して、もはや親の方から甘えられている感覚すらある。

子離れに苦労しそうなんて、シービー先生だってそう学校で漏らしていたのだから気のせいではないはずだ。

今だってそう。肩に乗せられていた手が勝手気ままに僧帽筋から上腕二頭筋のあたりをうろうろ行ったり来たりしている。どちらかと言えば、自分達から迫っていく姉二人とは逆で、僕に対しては母の方からスキンシップをとってくるのが常だった。

 

仕事中は微塵も隙がなくて格好いいのに。

なまじ変わらないスーツ姿なぶん、その乖離に頭が混乱する。

おまけに姉と同じで……というよりそれが遺伝したのだろうが、黙っていればこれ幸いと際限なく距離を詰めてくるもので、頭のてっぺんに顎を乗せながら徐々に体重を預けてくる。その力はまるでバカにならない。

単純に、母は背丈がある。僕だって同学年の中ではかなり発育のいい方だが、それでも女性の平均を優に上回るその上背には及ばない。

それでも縦に長いだけならまだ良かったのだが、加えて肉付きもいい。肥満とは程遠いけれども、しかし人並み以上の筋肉があって、骨も太い。流石元トップアスリートと言うべきか、男の僕からしても羨ましいほど体格に恵まれていた。

 

それらが全て相乗するとどうなるか。

言うまでもなく。

 

 

「……え、重っ」

 

「!!!!????」

 

瞬間。

驚愕の様相で飛び退く母さん。しばしの放心の後、みるみる内にその耳がぺたんと倒れていく。

後ろではなく、前に。ハの字に眉を下げるその眼差しに、若干の罪悪感が湧いてくるが、しかしそれは覆しようのない事実。

 

「せ、瀬奈……君、今なんと……」

 

「いや、だから重いってば」

 

「………………ひぅ……」

 

その二文字がよっぽどショックだったみたいで、声にならない掠れた喘ぎを一つ鳴らすと、母はそのまま身を翻し虚ろな足取りで庭を去っていった。

玄関に立ち入らず、元来た遊歩道を帰っていくあたり、本当にただ立ち寄っただけなのだろう。しょぼしょぼとしょげりながらどこに行くかは……まぁ、病院しかないか。

 

垂れ下がった尻尾を引き摺りながら、小さくなっていくその背中を見送っていたところ、いつの間にかすぐ隣にテイオーが並んできていた。

 

「追わないの?姉さん」

 

「んー……まぁ、ママなら大丈夫じゃないかな。今のところは、だけど」

 

「今のところはって……やっぱりなにかあるんだ。姉さんは分かってるんでしょ?なのにそんな言い種」

 

「あるにはあるけど、別に異常ってわけじゃないんだって。むしろボクから見れば、そりゃそうかなって言うか……まぁ、二人には特別に教えてあげてもいいけどさ」

 

テイオーは頭の後ろで両手を組みつつ、にまにまと笑いながら僕の顔を横から覗き込んでくる。

如何にも余裕たっぷりな、上から目線におどけた様子。こうやって自分が優位にたった時、この姉は絶対に長女アピールを忘れない。あるいはこうして姉弟間の序列を堅持しているのかもしれない。長女も長女で大変なのだろうか。

 

 

「ところで、セナって今何歳だったっけか」

 

「11だけど」

 

「そっか。じゃあもう11年前か……そしたらママもパパも、もう忘れちゃったのも仕方ないのかな」

 

「…………??」

 

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