奥様はシンボリルドルフ   作:くまも

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また一つ、満ち足りて

 

「ただいま……うわ」

 

どうにかこうにか時間を潰し、特にやることもない就業時間をなんとか乗りきって、久々に定時で上がった一時間後。

唯一の足が無くなっていたため、特に寄り道することもなく自宅へと直帰した私を迎えてくれたのは、堤防に投げ捨てられた魚のごとくうつ伏せにソファへと沈んだ妻の成れ果てだった。

 

普段、私が帰宅早々にそこに座るたび、スーツが皺になるとお小言をくれるルドルフ。

そんな彼女が、ジャケットすら脱がないままに、力無く顔面を枕代わりのぱかプチの懐へと埋めている。だらんと頭を垂れた尻尾は、その色合いも相まって枯れ萎れた稲穂がごとき哀愁を醸し出していた。

呼吸に伴う胴の上下運動から、ぎりぎり生存が確認出来る程度の状況。いつもの覇気に満ち満ちた皇帝の威光は、最早見る影もない。

 

「どうしたんだ、ルナ。まさか本当になにかあったのか」

 

「…………ああ、お帰り旦那君。ふふ……うん、ちゃんと、病院には行ってきたとも」

 

声をかけられて、そこでようやく私の存在に気づいたといった様子で、ルドルフはおもむろに顔をあげた。

泣き笑いのような、相反した奇妙な表情。解放されたぱかプチの胴体が無惨にひしゃげているあたり、かなりの時間そうしていたであろうことは想像に難くない。

 

首をもたげたことで弾みがついたのだろう。続いてのそのそと上半身をもたげ、足も床に下ろし、腰かける形でこちらに向き直ってくれる。

 

「今日の午後……つまり君と別れた後だが、いつもの病院に行くついでに、実家の方にも寄ってきたんだ」

 

「ああ、子供達の方も見てきてくれたのか。なにも変わりはなかったか」

 

「特になかったよ。テイオーまで一緒にいたのは意外だったが、ツヨシについててくれたのかな。とにかく、心配するようなことはなにもない」

 

まぁ、普通の家庭ならいざ知らず、天下のシンボリの総本山ともなれば、よっぽどのことがない限り任せておいても問題ないだろう。

一番下の子でももう小学校高学年なので、最低限のことは自分でもどうにかすることが出来るわけだから。とはいえあまり長い間ご厄介になるわけにもいかないので、明日あたりこちらに連れ帰るつもりだが。

 

「それで、実家でなにがあったのかな」

 

「うん……あっちでね。一番下の子が、瀬奈が……」

 

「アイツが?」

 

「……私のことが重いって」

 

「どっちの意味で」

 

「君ならよく分かるんじゃないかな!!」

 

「あぁ………」

 

ルドルフの勢いに圧されて思わず頷いた瞬間、凄まじい速度で飛来したぱかプチが顔面に叩きつけられる。

ああ、確かにこれは私が迂闊だったのだろうが。しかし、いくら布と綿で構成された塊とはいえ、ウマ娘の膂力でぶん投げられたそれは十二分に威力があった。

 

種族差による、私とルドルフの腕力並びに耐久力の違いを考慮すれば、これが彼女が私に振るえる暴力の限界値。

じんじんと痛みに震える顔面を押さえながらも、甘んじて受け入れる。そもそもこのウマ娘がその全力を以て投擲したならこんなものでは済まないし、これからそうならないとも限らないのだから。

 

身体能力だとか、実家の太さだとか、職場における地位だとか、それこそ収入だとか。

私達夫婦においては、基本的に妻の方が力がある。ルドルフが対等でいたがるおかげで、尻に敷かれるようなことはないにしても、やはりその差は自明だった。もっともそれは、かつて共にターフで戦っていた頃から変わらないのかもしれないが。

釣り合っていないなどとは、誰にも言わせるつもりはない。ただ、どうにも釈然としない部分があるのもまた事実である。

少なくとも世間一般的な感覚からして、中央トレーナーというのはそれなりの地位があるはずだが。それでも、かの皇帝の前では流石に霞んでしまうのだろう。

別に社会的ステータスが欲しかったわけではないとはいえ、少しだけ悔しい。

 

「あーあ……昔はあんなに、ママって呼びながらどこまでも後ろをついてきてくれたのに」

 

「テイオーと混同してないか?俺の記憶が確かなら、ツヨシと瀬奈はどちらもルナのことは母さんって呼んでた筈だぞ」

 

「二人きりの時はそう呼ばせていたんだ」

 

「……たぶん、そういうとこだと思うが。瀬奈が最近になって、君に冷たいのは」

 

「えぇ~!?」

 

いや、あくまで同じ男である私から見れば、別に冷たいなんていうものでもないか。

あの子だってもう少しすれば中学生なわけだし、両親……とりわけ母親との距離感にも変化が生じてくる時期だ。どちらかと言えば……いや、明らかにルドルフの方が距離感が近すぎる。依存とまでは言わないが、詰めすぎだ。

なまじ初子のテイオーが社交的で、人懐っこく距離を詰めてくる性格なぶん、育てる方としても感覚が狂ってしまった部分はあるかもしれない。ただ、それを差し引いたとしても、やはりルドルフはスキンシップ旺盛で構いたがりだと思う。

 

次女のツヨシはウマ娘にしてはあまり身体が強くなく、加減の不得意な本人の気質も相まって、幼い頃は病院に通い詰めな時期もあった。

その次に産まれたのが、よりにもよってウマ娘ですらないヒトの子供ときたのだから、過保護になりがちなのは母親の性なのかもしれない。

父親として、夫として。とりあえずは静観に徹しておこう。幸いにして、私達家族の関係は一貫して良バ場を維持している。

 

「男なんて皆そんなものさ。異性の親に反発したがるのは健全な成長の証左だ」

 

聞くところによれば、子供は異性の親に似るものだという。そのわりには、テイオーとツヨシはどちらも母親であるルドルフの特徴を色濃く受け継いでいるが、瀬奈は彼女達以上の生き写しだった。

生物学上のあれこれは置いておくとしても、単純に同族嫌悪のセンだってあるのではないだろうか。

 

「君の場合はどうだった?ルナ」

 

「両親に反発した記憶はそこまでないな。私が忘れているだけかもしれないが……父に対しては、むしろ甘えただったと記憶しているよ」

 

「まぁ、君に反抗期なんて言葉は似合わないかもな」

 

「だいたい君だって、テイオーにもツヨシにもいたく懐かれているじゃないか。まったく……私を差し置いてまで」

 

「自分の娘に嫉妬しないでくれないか」

 

年甲斐もなくぶらぶらと遊ばせていた足をようやく床に落ち着けて、大儀そうにソファから降り立つルドルフ。

春先とはいえ、時間が時間なのでカーテンを全開にしても部屋は薄暗い。ルドルフの姿は彼女自身の影に溶け込んで、ぼんやりと曖昧なシルエットのまま揺らめいている。

 

ああ、もう夜なのか。子供達が泊まりでいなくなると、どうしても時間の感覚がおかしくなる。

独り身の頃はあり得なかったが、この身体はもうとっくに家族に馴れてしまっていた。

 

扉の横のスイッチを手探りで切り替えれば、蛍光灯の無機質な明かりがリビングを隅々まで照らし出す。おかげでローテーブルの上に一枚、紙が畳んで置かれているのに気付いた。

 

 

それには見覚えがある。

トレセンと提携している府中の総合病院の診断書。仕事柄、頻繁に厄介になっているので見間違えることはない。

そんなものが降りるだけの理由があったのだろうか。薬の類が見当たらないあたり杞憂かも分からないが、とにかく確認するまで油断はならない。

 

それに手を伸ばしかけた瞬間、一足早くルドルフに取り上げられる。なんの悪戯だと顔を上げれば、彼女はすぐ目の前で大きく腕を広げていた。

 

「……ん」

 

なんて、短い催促まで付け加えて。

 

そこまで迫られれば、いくら私でも流石に意図は分かるもの。

朝と同じように、その両脇から腕を差し込んで、包み込むように優しく抱き締める。ちょうど顔の真正面にきた彼女の長い耳が、ぺしりと私の鼻頭を叩いた。

 

スーツ越しと言えども、柔らかなルドルフの肉体はこうして抱き締めているだけでも気持ちいい。

朝の失言にしても、なにも彼女の身体がだらしないというつもりはなくて、このぐらいの抱き心地の方がむしろ好ましく感じる程。それは別に私の特別変わった嗜好ではなく、世の男性の大半が賛同するのではないだろうか。

 

「………?」

 

しばらくその感触を堪能していたところ、ルドルフはおもむろに紙を挟んだ指を掲げる。

 

「なにかあったのか、と君は聞いたな」

 

「え?ああ、うん」

 

「まぁ、君の今朝の放言も、あながち的外れでは無かったのだろう」

 

語りながら、二つ折りに閉じていた指の片方をすっと下ろす。

重力で自然に開かれる紙。やはり私の推察は間違っていなかったようで、それは確かに診断書だった。

 

最上段の枠内には名前と、性別と種族に生年月日、それから受診した科の記載。

それは内科でも、精神科でもなく……産婦人科の四文字。

 

 

「私は、君が撒いた種だと思うけどな」

 

なんて、皮肉るようにルドルフは笑った。

 

 

 

 





第一章【END】
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