奥様はシンボリルドルフ   作:くまも

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パンドラの箱

 

蓋の下から顔を覗かせたのは、深緑を基調としたジャケットに白のスカーフとシャツ、それからミニスカート。

深紅のマントがよく映えていて、金の肩章と飾り紐があしらわれている。胸部に三つと、腹部に四つ。取り付けられた勲章は、合計すれば七つ。

それは母さんが、かつてターフを走っていた頃の勝負服だった。記録では何度も見たものだけど、こうして実物を前にするのは初めてだった。反応からして、テイオーやツヨシにとっても同じらしい。

 

なるほど、これだけ上質な桐の箱に保管して、頑丈に蓋を閉じておくのもさもありなん。

勝負服とは競技ウマ娘の魂同然、とかつて母が語っていた。なら、これはまさしく皇帝シンボリルドルフそのものなのだろう。

そんな大事なもののわりに、実家でも母の私室でもなく、こんな倉庫に放置してあったのがやや不可解ではあるが。

 

「あれ……でもそのわりには、少しこの箱大きすぎない?ねぇ、セナ」

 

「え?ああ、そう言われると確かに」

 

ただのトロフィーとはわけが違うのだから、梱包が大袈裟になるのも分かる。

だけどそれにしたって、一着の服を収納しておくには大きかった。長辺の長さなら、たぶん僕の腹のあたりまでくるのではないか。あくまで目算だけども。

加えて面積のみならず、高さも不相応にある気がする。もっと中身がすかすかでなければおかしい筈なのに。

 

「下ろす時もやっぱり重たかったですよ。中身が勝負服だけにしては、ですが」

 

「ならやっぱり、他にもなにかがあって……あっ。ほら二人とも。スカートの下から手袋とソックスが」

 

「いや、手袋とソックスだけじゃ変わらないでしょ。あれ?でも、その二つがあるってことは……」

 

突如、なにかに思い至った様子で、慎重に勝負服一式を捲り上げていくテイオー。

この中では唯一のトレセン在学者であり、しかもちょうど今月、自分の勝負服を手に入れたところ。そんな彼女だからこそ、気付ける観点もあるのだろう。

 

僕とツヨシは、黙って見守る。

ややあって、それは正体を現した。

 

「お、あったあった。やっぱりね」

 

「なにそれ。蹄鉄……じゃない、シューズ?」

 

「うん。普通、勝負服とシューズはセットなんだよ。両方一緒にデザインしないといけないから」

 

革で作られた、踵の高い一式の競技用シューズ。

ブーツを履く競技ウマ娘も多いが、母のこれはローファーに近い。しかしいくら小振りといっても、一足揃えばそれなりにかさ張ることには違いなかった。

 

「でも、なんで服の裏っかわなんだろうね。手袋とかソックスごと、上に並べて置いた方が見映えも良いのに」

 

「シューズの重さで皺になるのが嫌だったんじゃないの」

 

「なら、そもそもシューズだけ専用の箱にいれておけばいいのに。というか、普通そうするよね?」

 

「いや、僕に聞かれても知らないけど。そうだ、母さんに直接聞いてみれば」

 

「ま、まぁまぁ!そんなこと今は別にいいじゃん。それより……」

 

シューズを元に戻すのではなく床へと置き、さらにテイオーはジャケットまで取り出して大きく広げる。

こうして見ると、やはり貫禄があった。年季があるというか、積み重ねてきた尋常ならざる道程が、そのまま気迫として滲み出ているかのような。

母の勝負服の模造品については、街でも時たま見かけたことがある。仮装の範疇を出ない子供向けから、観賞用の極めて精緻なものまで。そのいずれにしても、この本物の前には押し並べて霞んでしまうだろう。

ファンからすれば、なにを質に入れてでも手を伸ばすであろう逸品。それを最低でも一年間こんな薄暗い倉庫の肥やしにしていたかと思うと、途端に罪悪感のようなものまで湧いてくる。

 

「着てよ。セナ」

 

「………えっ?」

 

「えっじゃなくてさ。ちょっとこれ、袖通してみてくれる?」

 

朗らかな笑顔のまま、語気を強めて迫るテイオー。一歩二歩とにじり寄り、壁際に押し込んで僕を逃がさない構えをとる。

 

「なんで?姉さんが着ればいいでしょ。同じウマ娘なんだから」

 

「えー……でもボクは背が足りないからなぁ」

 

「身長ならお互い殆ど変わらないじゃんか」

 

「ボクに緑色は似合わないし」

 

「……………」

 

毛色は同じなのだから、これと配色が合わないなんてことはあり得ない。

あり得ないのだが、どうやらその理屈を押し通すことに決めたらしく、業を煮やしたテイオーはとうとう自分の手で僕の服を脱がしにかかる。

 

いくら部屋の中でも、年の暮れに上半身を剥かれると流石に堪える。腕力差故にシャツを取り返すことも叶わず、大層屈辱感を噛みしめながらも従った。

 

「どう?」

 

「……寒い。見た目に反して」

 

ジャケットのボタンを全てきっちり閉じ終えても、露出の少ない外観にそぐわず暖かみは感じられない。

生地が薄っぺらいわけでも、ましてや粗末なわけでもなく、単純に通気性に重きが置かれているような。母さんはこんなので、雪のちらつく有マ記念を走っていたのか。

いや、レース用のユニフォームであるからには、このぐらいしないと排熱が追い付かないのかもしれない。それにウマ娘は元々ヒトより体温が高く、寒さに強いのだから。なんにせよ、着ていて楽しいものでもなさそうだ。

 

そう結論付けて、ウエストのボタンを外そうと指をかけた瞬間、手首をテイオーに掴まれて制止される。

 

「ちょっと。なに勝手に脱ごうとしてるの。"下"がまだでしょ?」

 

「……『袖を通せ』って言ったのはそっちでしょ。ズボンに袖はないけど」

 

「屁理屈言わないの。テイオー様の命令だもんね。そうでしょツヨシ?」

 

「は、はい!!」

 

一対一でも到底敵わない相手が、二人がかりで強要してくる。弱い者虐めのお手本のような構図。

 

これがズボンならまだマシだった。いや、なまじデザインが刺さるぶん、自分から進んで履いたかもしれない。

しかしこれはスカートで、それもかなり丈が短い。せめてここにあったのがシリウスのだったならどんなに良かったかと怨みつつも、渋々履き替えてみる。ソックスと、少し行儀が悪いがシューズも一緒に。

 

母の背丈は、高等部時点においても今現在と遜色なかったらしい。上と同様に下もサイズが大きくて、ベルトで留まりきらないスカートを必死に両手で固定する。丈の余った裾が、辛うじて僕の尊厳を守っていた。

 

「お~いいじゃん。似合ってる似合ってる。うんうん、ママそっくりだね」

 

こちらの気も知らず、暢気に手を叩いているテイオー。

せめて一言ぐらい言い返してやろうと口を開いた瞬間、僕と彼女の間を移動式の姿見が遮った。

部屋の隅からそれを引っ張ってきたツヨシに、不意打ちで鏡面と対面させられる。

 

ガラスの向こうには、前後でベルトを押さえ、不服そうにこちらを見据える僕自身の立ち姿。

 

「おぉ…………」

 

それを前にして、喉から出かかった文句を思わず飲み込んでしまった。

それは、映像の中でしか知らなかったかの皇帝と、本当に瓜二つだったから。

 

茶色と黒、そして額に流れた流星と、合わせて三色の毛色。透けるような肌の白が、ジャケットとマントの深緑と深紅とのコントラストで、より一層際立っている。全体として落ち着きながらも華やかな佇まいは、中性的な――実際男なのだけれども――容姿と相まって、凛とした力強さを体現していた。

 

母にそっくりというのは、これまでうんざりするほど受け取ってきた賛辞だ。

ヒトの親子でも、異性の親に似るなんて話はよく聞くものだが、僕達母息子の場合は特に顕著だったらしい。もっとも、個々のウマ娘ごとに違いが出てくる髪と瞳の色をそのまま受け継げば、それは似るに決まってるだろうなどと特に気にも留めていなかったのだが。

ただ、こうして同じ服を着るというだけで。自分とは全く住む世界の違うものだと思っていた『皇帝』に少しだけ近づけた気がして、それは意外なほど気分が良かった。

 

そうしてしばらくの間、鏡に映る自分の姿に浸っていたところ、カシャリと無機質なカメラの音で我に返る。

それに顔を向けると、テイオーが僕の横からスマホを構えていた。一発撮りもどうやら上手くいったようで、頷きながらこちらに歩み寄ってくる。

 

「はい、お疲れさま。もう脱いでもいいよ……というか脱いじゃって。そろそろママたちも終わる頃だから、このままだとバレちゃう」

 

「あ、うん……」

 

そうだ。すっかり、意識から飛んでいたが、そもそも迂闊に袖を通して良いものではないんだった。

G1で戦うウマ娘にのみ許される勝負服という衣装。ましてや無敗三冠ウマ娘のそれとなれば、一つの学術的価値すら持ち得るといっても過言ではない。そうでなくとも、勝手に人の服を着れば怒られて当然だった。

 

姉の言っていることは正しい。

だからそれに素直に従いながらも、丁寧に畳まれて箱の中に帰っていく勝負服を見ていると……やはり僕はどうしても、胸の内に込み上げる名残惜しさを拭え切れなかった。

 

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