TS症候群という性転換の病気にかかってしまった私は人生に絶望していた。

これから先の人生を考えると憂鬱で仕方なく、私は心を閉ざしていた。

でも、何故かイケメンハイスペックな主人公くんがやたらと絡んでくるようになって。

しかも、私のことがす、すすすすす好き!?

いやいやいや、ありえないから!

私は男のことなんか好きにならないし、ときめいたりなんかしないんだからね!?

ほ、ほんとに……多分。


この物語はTSしてしまった美少女の俺が、イケメン主人公のあいつに如何に絆されて、この先の袋小路の運命を変えていくのかという話である。

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TSヒロインの俺はイケメン主人公の愛を受け止めたくない

 

 突然だが、「覆水盆に返らず」という言葉を知っているだろうか?

 これは「一度してしまったことは、二度と取り返しのつかない」という意味の古事成語である。

 

 復縁を迫る妻に対し、男が水の入った容器を傾けて地面に水をこぼし、「こぼれた水は元には戻せない」と言い放ったことが元となっているらしい。

 

 人生というものにおいて確かに取り返しのつかないことというものは沢山ある。

 一度きりの人生だからこそ、地面に染み込んだ水を掬い上げることは自力では不可能なのだ。

 

 勿論、自分にも覆水が盆に返らないことがある。数えきれないほど沢山あった。

 まあ、自業自得のものがほとんどであるが。

 

 しかし、一度だけ。

 私のせいではないこと。それでいて自分の人生に大きな影響を及ぼした覆水がある。

 

 誰のせいかと言えば、多分神様のせいなんだろう。

 

 それは10年以上前。

 幼稚園の卒業までそう遠くなかったあの日のこと。

 『俺』が『私』になった忘れられない日――

 

富幸(とみさち)君は残念ながらTS症候群です」

 

 目の前にいる白衣をきた医者が、眉間にしわを寄せながら、難しそうな顔をしてそう告げる。

 

 幼かった私はその言葉を言われた時、正直「何だそれ?」という感想しかなかった。

 しかし、後ろに座っていた父さんと母さんが息を呑んだことを察知して、これはもしかして只事じゃないんじゃないだろうか? と子供心にそう感じたことを覚えている。

 

 TS症候群。正式名称、トランスセクシャルシンドローム。

 簡単にいってしまえば、強制的に性転換してしまう病気のことである。

 1億人に1人が発症する奇病であり、日本ではこれまで数件の事例しか報告されていない。

 

 この病気にかかったものは、美女もしくは美男子になってしまう。

 その症状はみんな共通しており、例外はない。

 原因は未だに解明されておらず、特効薬やワクチンといったものも存在しない。

 つまり、元の状態に戻ることはほぼ不可能なのである。

 

 しかも、ただ性転換するわけではない。

 

「あのっ……! 富幸がTS症候群ってことは……寿命も……」

「……はい。おそらく長くはないかと」

 

 医者の言葉に父さんと母さんの表情が今にも泣き出しそうな顔に変わる。

 

 これは後で小学校に上がる前にネットで調べて知ったことだが、TS症候群にかかった人の全員が短命なのだ。

 平均寿命はおおよそ20歳前後。最長でも28歳。

 

 病院から帰る時の私たち家族の雰囲気はまるでお通夜のようで。

 今にも泣き出しそうな2人を見て、その時の私はとにかくオロオロすることしかできなかった。

 

 しかし、そんな状態になっても時の流れとは止まってくれるわけもなく。

 残酷にも次の日の朝はやってきて、私は幼稚園に行くことに。

 

 最初は無理して行かなくてもいいと両親からは言われていたのだが、私は男友達と早く遊びたくて仕方なかった。

 

 楽観的というか無知だったということもあり、「めんどくせーことになったなー」位にしか思ってなかったのである。

 正直、その内男の体に戻れるだろうとも思ってたし、ましてや今後の人生を女として生きていくことになるなんて思ってもいなかったのだ。

 

 父さんが幼稚園の先生に事情を説明すると、先生はやけに優しい目で私を見てきたことを覚えている。

 この頃、やんちゃだった私はよく先生に怒られていたので、その目の変わりように「気持ちわりー」と不気味に感じていた。

 

 しかし、変わったのはそれだけではない。

 クラスに入った時の子供たちの目も一気に変わった。

 

 教室に入った時の「誰だこいつ?」という目から、先生からの紹介の後で「マジかよ」という驚愕の目。

 そして、面白がるような目から嫌悪に満ちた目など、様々な視線が私を突き刺してくる。

 

 一瞬、怖気づきそうになるが、それでも私はいつものように遊んでいた男友達の輪に入って行こうとする。

 が、しかし――

 

「お前、女子だろ。あっちで遊べよ」

「……え?」

 

 それは純粋な拒絶。

 仲のいい友達からの冷たい言葉に思わず口がぽかんと空いてしまう。

 

「な、なんでそんなこというんだよ……? 俺たち友達だろ?」

 

 そのままさっさと外に遊びに行こうとする友達たちを焦って引き止める。

 

「何だよ。あっちで女子たちと遊んでろよ」

「は? な、何で俺が女子と遊ばないといけないんだよ」

「だって女になったんだろ? じゃあ、おままごととかお絵描きとかしてればいーじゃん」

「や、やだよ。俺そんな遊びしたくねーよ。サッカーとかしてーよ」

「女子は転んだらすぐ泣くし、下手くそだし、足手まといなんだよな。趣味も合わないし。だから一緒にいても楽しくないから、あっち行ってろよ」

「な、何でそんなこと言うんだよ……!」

「全部、お前が言ったことだけど」

「っ!」

 

 この時の私は女子に対し、差別的な意識を持っており、よく女子を馬鹿にしたりしていた。

 当然、遊びには加えることはせず、男たちだけで遊ぶように扇動していたのである。

 だから周りの友達も同じような思想になってしまったのだろう。そのツケが回ってきた感じだ。

 

 私はそれに対し、何も言い返すこともできず、引き止めることもできずポツンと立ち尽くしてしまう。

 

「ふん。いいザマね」

 

 すると、後ろから女子たちの声が聞こえてきた。

 

「言っておくけど、こっちにもあんたの居場所なんかないし、作ってやる気もないから。精々、1人で遊んでれば?」

「ほんと。今更あんたなんかを助けてなんかやらないんだから」

「先生には一緒に遊んであげてねって言われたけど、そんなのまっぴらごめんだからね」

 

 そういって女子たちは私たちから離れていってしまう。

 こうして俺は一気に孤立無援。一人ぼっちになってしまった。

 

 その日は帰って、布団にくるまり死ぬほど泣いた。

 

 これほど覆水盆なことがあるだろうか。

 

 自業自得ではあるが、これまで人徳を積んでこなかった自分を恥じた。

 女になった運命を憎んだ。いるかも分からない神を呪った。

 そして、その後ネットで寿命のことを知り、人生に絶望した。

 

 その後の顛末としては、幼稚園は先生との話し合いで卒業まで休むことに決定。

 両親は落ち込む私をみかねて、遠くの小学校へと進学することを提案してくれた。

 

 正直、もう学校に通うことすら嫌になっていたが、これ以上心配をかける訳にはいかないと思った私はその提案を受け入れる。

 

 こうして悪ガキだった俺は消え去り、悲劇のヒロインを気取る私だけが残ってしまった。

 

 はぁ……どうしてこうなったんだろう……。

 

 

   ※

 

 

 幼稚園を卒業して、半年が経った。

 

 無事小学生一年生になった私は、元気いっぱい教室で遊ぶ……訳もなく。

 ただただぼーっと窓の外を眺めているだけ。

 

 そう。絶賛私は人生絶望モードに入っていた。

 

 両親の辛い顔が見たくないから、学校には死んだように通っている。ただそれだけだ。

 

 誰も話しかけてくるような人もいない。

 自分から誰かと絡む気にもなれない。

 

 最初はTS症候群特有の美貌からか、話しかけてくる人も多かったが、私はそれらを全部適当にあしらった。

 そういった態度をとっていく内に、自然と私の周りから人は消えていった。

 

 人付き合いが面倒だとかそう言う訳ではない。 

 

 怖かったのだ。

 もし自分がTS症候群だとバレたら、どんな目で見られるんだろう。

 またあの男子たちのように仲間外れにされてしまうんじゃないか。

 嫌な顔をされてしまうんじゃないか、と。

 

 また女子の輪に加わる気にもなれなかった。

 これはきっと悪い夢で、自分は男なんだ。女子なんかになっているわけがない。

 きっと目が覚めたら、友達と一緒にまたサッカーができるんだ。そう信じている。

 

 だから女子のあのふにゃふにゃとした雰囲気に混ざりたくなかった。

 本当に自分が夢から醒めなくなってしまいそうで怖かったのである。

 

「わぁ! (めぐみ)くんまた100点取ったの!?」

「すごーい! やっぱり恵くんって天才ってやつね!」

 

 横から女子たちの甲高い黄色い声が聞こえてきた。

 うんざりしながら視線を人だかりに向けると、その中心には一際目立つ美男子が。

 

 彼の名前は光照(こうしょう)恵。

 クラスのプリンスだ。

 

 そのつややかなショート気味の黒髪。

 長いまつ毛に煌びやかな瞳。筋の通った綺麗な鼻梁。

 線の細い中性的な顔立ちだが、明らかに美形とわかるイケメンさだった。

 

 しかも頭もいい。スポーツもできる。優しくて、明るく人望もある。

 ただ女子の気持ちには何かと鈍感で。

 

 ……けっ! どこぞの漫画の主人公だよ。気色わりー。

 

 この時の私は正直、この男のことをイケすかない目で見ていた。

 その名前の通り恵まれた人生を送っており、これから先も送るであろうこいつに。

 おそらく嫉妬してたんだと思う。

 

 そのハイスペックさではなく、人生が楽しそうにしているところが。

 凄く……憎たらしくて、そして羨ましかったんだ。

 

 光照は頭をかきながら、照れたように笑う。

 

「天才なんて言い過ぎだよ。ただ運が良かっただけだし」

「そんなことないよー! 恵くんくらいだよ満点とるなんて!」

「そうそう! 今回のテスト結構難しかったのにすごいよ!」

 

 ここで小学一年生の問題で満点なんて普通じゃね? と思われるかもしれない。

 しかし、この小学校はちょっとした小中一貫の進学校らしく、出てくる問題の質がめちゃくちゃ難しいのだ。

 ゆえに中々満点を取れるのはいないらしい。

 

「いやー、それを言うならもっとすごい人がいるよ。僕なんか全然だよ」

「えー? 恵くんよりすごい人がいるの?」

「誰々ー?」

「富幸さんだよ」

 

 ……は? 俺?

 

 あいつの言葉に女子たちの視線が一斉に私に集まる。

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

 

「え。富幸ちゃんも100点なの?」

「うん。先生が100点はクラスに二人いるって言ってたでしょ? 僕、誰か気になって先生に聞いてみたんだ。そしたら富幸さんが100点取ったって」

「へ、へー。そうだったんだ」

「しかも、富幸さんは終了10分前に解き終わってたからね。僕なんかギリギリだったのに」

「マジ? 逆に怖い……」

 

 な、何で知ってるんだこいつ……。

 

 その時は私は得体の知れない恐怖感に襲われたのを覚えている。

 別に私が100点とっていることを知るのはわかる。しかし、何で自分の解き終わった時間まで知っているのか。

 普通あり得ないだろう。怖すぎる。 

 

 ちなみに彼の言っていることは事実だ。

 暗い表情の両親の顔を明るくしてあげられる手っ取り早い方法が、テストでいい点をとることで。

 特段他にやることもなかった私は勉強に邁進したと言うことなのである。

 またTS症候群の患者は総じて脳の発達が早いらしい。なので、これくらいの問題であれば、全然らくしょーなのだ。

 

 大量の視線に私は思わず耐えきれなくなり、またそっぽを向いて窓の外を眺めた。

 すると、つかつかとした床を鳴らす足音が聞こえてくる。

 しかも、その足音は明らかに私の方に近づいてきていた。

 

「やあ、富幸さん。今回は100点おめでとう」

 

 落ち着いた柔らかな声。

 光照の声だ。

 

「……どうも」

「難しかったけど、あんなに早く解き終わるなんて本当にすごいよ。結構勉強したの?」

「まあ……少しだけ」

 

 嘘である。

 めちゃくちゃ勉強してました。はい。

 

「えっ。少しだけ勉強しただけで100点取れたの? すごい。頭いいんだね! 僕なんて結構勉強したのに、これだからさー」

「は、はぁ……」

「ねぇねぇ、どんなふうに勉強してたの? もし良かったら教えてくれると嬉しいな」

「え、無理」

「あはは。そっかー、残念。あ、でももしよかったら一緒に勉強しない? 別に勉強を教えてくれってわけじゃなくてさ。単純に一緒に勉強するだけでいいからさ」

「え、えぇ……?」

 

 何だこいつ……。

 そっけなくしてるのに、何でこんなにしつこく絡んで来るんだ。

 

 ええい。面倒くさいからここはさっさと逃げてしまおう。

 三十六計逃げるに如かず、だ。

 

「ごめん。おr――私、用事あるから」

「え? ああ、そうなんだ。じゃあ、もし迷惑じゃなかったら、僕手伝うけど」

「いらない。迷惑だからついてこないで」

「あ、ああ。そっか。ごめん……」

 

 彼のしゅんとした顔に一瞬心に痛みが走るが、私は構わず席を立ち、教室を出て行く。

 遅れて女子たちの私を非難するような声が聞こえてきたような気がするが、どうでもいい。

 

 別に好感度とか気にしてない。どうせ死んだら全部無駄になるんだ。

 

 まあ、あいつもあれだけ冷たくすれば、きっともう絡んで来ることもないだろう。

 この時はそう思っていた……しかし。

 

 

 ――体育の授業。

 

「ねぇねぇ、富幸さん。良かったら僕と組まない?」

「嫌。他の人と組んで」

「そっかー。でも、僕もう誘いは全部断っちゃったんだよね」

「は、はぁ?」

「お願いっ! 僕と組んでくださいっ! 今回だけ!」

「あんた、この前も、その前も私と組んだじゃない! いい加減にしてよね!」

 

 

 ――給食の時間。

 

「……なんか私の量多くない?」

「そう? 気のせいだと思うけど」

「いーや、絶対多いわ。というかあんたの当番のメニューだけ、やけに他の人より多いのよ。毎回ね」

「あははは。まあ、サービスってことで」

「サービスじゃないわよ! あんた私が太ったら責任取れるの? 全く」

「そう言いながら、毎回完食してくれるよね」

「……うっさい」

 

 

 ――昼休み。

 

「……あんたさ。友達と一緒に遊ばないの?」

「? 遊んでるけど」

「はい? まずあんたとは私は友達じゃないが? それと私の顔を見て、ニヤニヤしているのが遊びなの? 馬鹿にしてるの?」

「いやいや、そういうことじゃないよ。富幸さんを見ているだけで僕は楽しいからさ」

「キモい。何? 私を口説いてるつもりなの?」

「そうだと言ったら?」

「やめといた方がいいわよ。こんな根暗地雷なんて」

「そうかな? 富幸さんって自分が思っている以上にいい人だと思うけどな」

「あんたに私の何がわかるのよ」

「え? 可愛いところとか」

「……死ね」

「ほら可愛い」

 

 

 ――放課後。

 

「富幸さーん。一緒に帰ろ?」

「……」

「あれ? 聞こえなかった? 富幸さーん!!」

「うっっっさい!! 耳元で叫ぶな!!」

「ああ、良かった。聞こえてたんだね。じゃあ、一緒に帰って遊ぼう?」

「嫌です! というかあんた帰り道反対でしょ!」

「えー……じゃあ、しょうがない。今夜もまた遊ぼうね」

「はあ? 何を遊ぶのよ。というか今夜『も』って何だ『も』って」

「オンラインゲームだけど」

「あれはあんたが勝手に私に付きまとってきただけでしょー! 遊んでないわい!」

「えー? でも、楽しかったよ? 追いかけっこ」

「あれ、そういうゲームじゃねーから!」

 

 

 

「疲れる……」

 

 ぐったりと放課後の教室の机で突っ伏している私。

 ここ連日のあいつの付きまといっぷりにストレスと疲労がやばかった。

 

 何なんだあいつ……。

 俺があれだけ冷たくしてるのに、全然めげない。

 それどころか嬉々として接してくる。どうすればいいんだ……。

 

「ちょっと富幸ちゃん?」

 

 私は頭を抱えていると、何人かの女子が私を取り囲んできた。

 女子たちは皆、険しい表情で私を睨んでくる。

 

 な、なんだなんだ? 俺が何かしたか?

 

「ど、どうしたの……?」

「どうしたの? じゃないわよ! あんたどういうつもり?」

「は、はい?」

「そうよそうよ。何であんたばっかり恵くんに話かけてもらえてるのよ!」

「しかも、めちゃくちゃ恵くんに冷たくして! 調子乗ってんじゃないわよ!」

 

 あー……これはいわゆる嫉妬ってやつか?

 俺は思わず顔しかめる。

 

 よくよく見ると、こいつら全員光照のことが好きな奴らだ。

 思わず私は心のなかでため息を吐く。

 

 全く。こんなくだらないことで必死になれるとかいいよな。

 人生に余裕がある証拠だ。

 恋色沙汰とか俺には一生無理だろうな。

 女子には興味がないし、男子を好きになることない。俺は同性愛者ではないからな。

 

 しかし、あいつのせいで面倒くさいことになったな。

 どうやってここを穏便に済ませるか……。

 

「んー? 君たち何してるんだ?」

 

 私が考えを巡らそうとしたその瞬間。

 ガラッと教室のドアが開き、そこにはここ数日嫌というほど見てきた美男子がいた。

 

「あ……め、恵くん! もう帰ったんじゃ」

「いやー、忘れ物しちゃってさ。うっかりうっかり」

「そ、そうなんだ。恵くんが忘れ物をしちゃったなんて珍しいね」

「ちなみに何を忘れちゃったの?」

「んー? これだよこれ」

 

 そういって光照は私たちに近づいてきたと思うと、私の腕を引っ張って無理やり立ち上がらせる。

 

 へ……? え、何この手は。

 忘れもの……? え、俺? ど、ドユコト?

 

 脳の情報処理が追いつかなくて、固まっていると光照が優しく微笑んでくる。

 

「さ、帰ろう。富幸さん」

「へ? あ、う、うん」

 

 ……もしかして助けてくれたのか?

 何にせよここから離れるチャンスだ。ラッキー。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 立ち去ろうとする私たちを女子の1人が引き止めてきた。

 まあ、タダで帰してくれるわけないよな。

 

「何? どうかした?」

「な、何でそいつのことそんなに構うのよ!? も、もしかしてそいつのこと……好きなの?」

 

 その瞬間、静寂が教室中を支配した。

 校庭から聞こえてくる子供たちがはしゃぐ音。カラスの鳴き声。時計の秒針。

 全ての小さな音が爆音かというくらいに私の鼓膜に突き刺さる。

 

「うん。君たちよりはね」

「え……」

 

 そしてその静寂を破ったのは――これまで聞いたことのない怒気を孕んだ光照の声だった。

 

「君たちみたいに1人の人間をよってたかって、感情的に貶す人たちに比べたら、富幸さんのことの方がよっぽど好きだよ」

「うっ……そ、それは」

「言っておくけど、この件は先生に報告しておくから。僕の目が黒いうちはもう彼女に手出しできると思わない方がいいよ」

「そ、そんなぁ……」

 

 絶望の表情へと変貌する女子たち。

 そんな彼女らに構うことなく、光照は私の腕を引っ張って教室を出ていく。

 

 力強いその手の力、温かさを感じながら引っ張られて私は……ほんのちょっと頼もしいなって思ってしまった。

 

 はっ……!? ち、違う違う! 何で俺が男のこいつなんかにときめいてるんだ!?

 いや、ときめいてなんかいない!! そうじゃなくて、単純に助けてもらえて少し見直しただけだ!

 そうに違いない!

 

「お、おいっ。は、離せって。もういいからっ」

「ん? ああ、ごめん。痛かった?」

 

 そう言ってやけに素直に離してくれる光照。

 

「い、いや、そうじゃないけど……。何というかちょっと気持ち悪かったから……」

「えっ……。私、気持ち悪かった……!?」

 

 光照は途端に悲しそうな顔に。

 珍しく素でショックを受けているようだ。

 

「ああっ! 違う違う! 別にあんたが気持ち悪いとかそういう話じゃないから! むしろどっちかというとかっこいい方に分類されると思うから!」

 

 私がそう言うと、彼はほっとした表情になり「良かった」とつぶやく。

 誤解は解けたようだ。良かった良かった。

 

「流石に助けた女子に気持ち悪いとか言われたら、立ち直れなかったよ」

「ごめん。そう言うことじゃないから。本当に助かったし、感謝してる。ありがと」

「うん。わかった。その言葉が聞けただけで嬉しいよ」

 

 お互いに照れたように微笑してしまう。

 そして、その笑いはすぐに収まり、沈黙が生まれた。

 

 こう言う時、いつもなら目の前いるウザいやつが喋ってくるはずなのに、なぜか優しい表情で私を見つめてくるだけで。

 何というかその表情を直視できなくて、私はそっぽを向きながら沈黙を破る言葉を探す。

 

「そ、そうだ。あのさずっと気になってたんだけどさ。何でおr――わ、私のことばっかり構ってくるの? あんた友達も多いだろうに」

「え? あれ、もしかして迷惑だった?」

「う、うーん。迷惑だった時もあるっちゃあるけど。でも、何の目的でこんなに私なんかを……」

 

 そう言葉を区切ると、光照は頭をかきながら照れたように喋り出した。

 

「いやさ。これって育て方というか何と言うか……パパによく言われてるんだよ。『名前みたいに周りを照らせるような光になれ』って。だから暗そうだった君を少しでも照らしてあげたくてさ」

「……ふーん。結構、おしゃれな理由ね。結構なこと」

「はは。別に自己満だけどね。人生どうせいつか死ぬなら、後悔しないように死にたいからさ」

 

 そう言って彼は遠い目をして、空を見つめる。

 彼の話を聞いて、俺は正直すごいとも感心したし、羨ましいなって感じた。

 だって、俺の名前は……そんな素晴らしいものじゃないから。

 

「いいなあ」

「ん? 何が?」

 

 思わずポロッと本音が溢れてしまった。

 やばっと思ったが、別に誤魔化すのも変だと思い、私は理由を話すことに。

 

「いや、私、自分の名前あんまり好きじゃないから……羨ましいなって」

「え? 富幸っていい名前じゃん。幸せに富んでるって意味でしょ?」

「違うの。これ実は音読みにすると『フコウ』って読めるでしょ? 全く真逆なんだよね」

 

 これ言った時、正直後悔した。

 こじつけかよとバカにされるかと思ったからである。

 

 しかし、光照はそれを馬鹿にすることはなく、あくまで真面目な顔をしていた。

 

「あのさ、もしかして富幸さんって不幸なの?」

「……まあ、そうかも」

 

 今のこの状況が少なくとも自分には幸せだとは思ってはいない。

 なので、そう返答すると、彼は少し考えるそぶりをした後、私のことをまっすぐに。そして、笑顔で見つめてきた。

 

「じゃあ、僕が幸せにするよ」

「……へ?」

 

 え。何それ。

 そんな臭いセリフ。そんなのまるで。

 プロポーズじゃないか。

 

「あのさ。さっき君に言った理由なんだけどさ。名前だけが理由じゃないんだよね」

「は、はぁ……」

「好きなんだよ。君が」

「〜っ!?」

 

 マジで告白だった。

 

 まさか。そんな。

 このイケメン主人公が俺のことがす、すすすす好きぃ!?

 嘘だろ。オーマイガー。ちょっと待ってくれ。落ち着かせてくれ。

 

 正直、薄々勘づいてはいたけど、気づかないふりをしていた。

 しかし、こうも真っ正面に言われてしまうと、衝撃度は凄まじかった。

 

「あのさ。もしダメじゃなかったら、僕と――」

「む、無理無理無理!! お、俺そういうの興味ないからっ!!」

 

 そう言って逃げるように……というか逃げた。

 めちゃくちゃ全速力で逃げた。

 

 嘘嘘嘘嘘っ!?

 な、なんで!? いつ惚れられたんだ!?

 

 や、やばいやばいやばい。

 何がやばいって自分が満更でもないって一瞬思ってしまったことがやばいっ!

 

 ダメだダメだダメだ!

 

 あいつはしつこくて、ウザくて、人が困ってるのにお構いなしで、すぐ人のことを振り回すし、でも賑やかで、飽きなくて、正直、あいつとやるオンラインゲームは楽しくて……って、待て待てまて!

 

 何で途中からあいつのこと褒めてるんだよ! おかしいだろ!

 くそっ! ありえない。俺はあいつのことを意識してるのか? ありえないだろ!

 

 そんなキモいこと無理だから。

 

 だから……顔がニヤケそうになるのはやめてくれっ!!!!! 

 

 

 

 

 そして、その日を境に彼からのアタックは更に増すことになった。

 

 

「富幸さん、一緒に勉強しよう?」

 

「富幸さん、一緒に帰ろう?」

 

「富幸さん、今度の日曜日一緒に遊ばない?」

 

「富幸さん、一緒に二人三脚のペアにならない?」

 

「好きだよ富幸さん」

 

「富幸さん」「富幸さん」「富幸さん」「富幸さん…………

 

 

 何度拒んでもこんな有様だ。

 日本語通じないのかこいつは。

 

 しかも、なぜか彼とは六年間同じクラスになってしまったため、逃げ場所がなかったせいで彼の重すぎる愛を一心に受け止めることになってしまった。

 

 いや……別に全く嬉しくないわけでもないし、嫌なわけじゃないけど、流石に疲れる……。胸焼けしてしまうよ。

 これには辟易としてしまった私は、ここでとある目標を立てた。

 

『卒業したら別の新学校に進んで、あいつと離れる!!』

 

 幸い中学受験には十分すぎるくらいの学力を会得していた私にとって、その目標は十分達成できるものだった。

 両親の了解はすでにとってあり、私はあいつに振り回されながら、日々猛勉強をしていた。

 

 またこの頃にはようやく女の所作も体に馴染んできて、いつの間にか一人称も完全に私になっていた。

 正直、もうこれが夢であることは諦めた。仕方がないので、女として生きることに踏ん切りがついた感じである。

 男だってバレないようにするためにも、所作は完璧にしておくにこしたことはないしね。

 

 まあ、後は如何に両親を悲しませないように、自分が苦しまないように死んでいくか。

 それを考えるのみである。

 

 さて、時は過ぎるのは早いもので、気がつけば中学受験の合格発表の日だ。

 

 私は母さんとともに合格者番号の乗った掲示板までいく。

 お願い……! 合格してますように……!

 

「! あ、あった! 番号あったよ母さん!」

「ほ、ほんと〜!? やったわね!!」

「うんっ! やった! やったー!」

「おめでとう富幸さん」

「うんっ! ありがとう光照――へぇっ!? な、ななな何であんたがここに!?」

 

 驚きのあまり思わずのけぞってしまった。

 嫌というほど見飽きたそのビジュアル。このやけにいい香り。

 光照のものだ。

 

 驚いていると、母さんが親しげに彼に話しかけ始める。

 

「あら〜、恵くん〜。こんにちは〜」

「はい。富幸さんのお母さんこんにちは」

「元気そうね〜。その様子だと、あなたも受かったのね〜」

「はは。そうですね。何とか」

「えっ!? えっ!? な、何で2人ともそんなに親しげなの!?」

「あ〜。実は半年くらい前に荷物を運ぶのを手伝ってもらったことがあるのよ〜。その時に色々お話ししたら、あんたの友達だっていうから〜。それからよく話すようになってね〜。あんたの進学先についても、教えちゃったのよ〜」

「えっ、何それ。聞いてないんだけど!?」

「だっていってないもの〜」

「僕が内緒にしてくれって言ったんだ。驚かせようと思ってね」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべる2人。

 嘘……、これまでの私の勉強の日々は……? な、何のためだったの?

 

「というわけで、これからもよろしくね? 富幸さん」

「…………はい」

 

 こうして私達は無事(?)中学生に進学したのだった。

 

 

  ※

 

 

「好きです! 俺と付き合ってください!」

 

 人気のない校舎裏。

 私はいつものように呼び出されて、喋ったこともない男子から告白を受けていた。

 

「ごめんなさい」

 

 それに対し、私は角が立たないように深々とお辞儀をしながら、丁重にお断りする。

 告白してきた名もよくわからぬ男子は一瞬泣きそうな顔になるが、取り乱したりせず、私に謝りを入れてその場を去っていった。

 

 はぁ……これで今月4回目、か。

 他人の好意を跳ね除けるっていうのは何度やっても慣れないわね……。

 

 中学生になってもうすぐ一年が経つ。

 ようやく学校生活に慣れ始めたところだ。

 

 私は相変わらず親しい友達を作ることはせず、孤高を気取っていた。(流石に前みたいに冷たい態度は取らなくなったが)

 光照? あいつはただのストーカーだから。

 

 すると、いつの間にか私は『氷結の姫君』として勝手に神格化されていた。

 どうやら私のTS症候群特有の美貌と、クールな雰囲気(別にそんなつもりはないのだが)が相まって、そう呼ばれているらしい。

 

 いわゆる学園に1人はいるアイドル枠だろう。さしずめラノベのヒロインって感じなんだろう。

 

 そしてヒロインというのは、他の男子達からモテモテなわけであり……私も例に漏れずそうなっているというわけだ。

 全く……誰が言い出したのか知らないが、勝手に私の知らないところで盛り上がるのはやめてほしい。

 

「やあ、お疲れだね」

 

 突然背後から聞こえてくるふんわりとした、それでいて太さのある幼馴染の声。

 あぁ、そういえばこいつ声がわりしたんだったな、なんて思いながら後ろを振り向くと、そこには私よりも10センチも身長が高くなった主人公(光照)がいた。

 

「やっぱモテる人って大変だね。これでもう31人目だろう?」

「よく人が告白された回数を覚えてるわね。ストーカーここに極まれりって感じかしら」

「まあね。君が告白される現場は全部監視してるから」

 

 はっはっはっ、と両手を腰にやって胸を張るこいつ。

 いや、ストーカーのこと否定しないんかい。

 つか、監視って言い方やめなさい。怖いから。

 

「全く。貴公子とあろう人が私なんかの追っかけやってていいのかしら? せっかくのモテ期を全部棒に振ることになるわよ?」

 

 貴公子とはこいつの学校でのあだ名だ。

 最近は何故かユーチューバーを始めたらしく、そこそこ人気がで始めたらしい。

 そのユーチューブチャンネル名が貴公子ジェットだと言うことらしく、そんなあだ名がついたのである。

 

 勿論、その美貌も相まって、学園ではかなりの有名人で人気者だ。

 しかし、告白された回数はそこまで多くないと聞く。

 その理由はもうわかっている。私の存在だ。

 

 こいつの猛烈な私へのアプローチは中学に上がっても変わることなく、むしろ勢いを増しているまでもある。

 そのせいで私が恋の相手となると、勝ち目がないと踏んだのか手を引く女子が多いらしい。知らないけど。

 

「別にまだモテ期は来てないから大丈夫だよ」

「へぇ? 言うわね?」

「うん。だって君からモテないと本当のモテ期とは言えないからね」

「あ、そーですか」

 

 このクサいセリフも相変わらずだ。

 うんざりを通り越して、もはや凄いとすら思う。

 羞恥心というものがないのかこいつは。

 

「それにしても君こそ毎回告白を断ってるけど、いいの? それこそモテ期が過ぎちゃうと思うんだけど」

「別に……恋愛とかよくわかんないし。それにあんたがいるのに、他の男にOKするわけないでしょ」

 

 ため息混じりにそう吐き捨てる。

 すると、光照は私の言葉を聞いてギョッとした表情で見つめてくる。

 

「え。それってもしかして僕のこと認めてくれてるってこと?」

「あ」

 

 私は思わず口で手を押さえる。

 まずった。これはちょっとした失言だった。

 こんなこと言ったら、間違いなくこいつは……。

 

「つ、ついにデレ期が来たんだね! 思わず口からこぼしちゃったって顔してるもんね! 冷たい態度をとっておきながら、本音は僕のこと好きだったんだね! よし、そうなったら付き合おう! そして、これから君のお義父さんとお義母さんに挨拶しに行こう! そうだ! 式も盛大にあげよう! ハネムーンはどこがいい? 僕はハワイとか定番のところでいいと思うんだけど――」

「ああああっ! うるさいっ! やっぱりあんたキモい! 離れろー!!」

 

 鼻息荒く迫ってくるこいつを手で押しのける。

 しかし、怖いわね……。いつの間にか式をあげて、ハネムーンまで行くことになってるし。

 こいつがイケメンじゃなかったら、半分わいせつ罪でしょこれ。

 

「全くつれないなぁ……。そんなところも好きなんだけどね」

「……あのさ。なんでそんなに私のことが好きなわけ? 私なんかのどこがいいの?」

「え。うーん、そうだなあ……。なんというか運命というか、一目惚れに近いものを感じたからかな」

「? 何それ? 顔がいいからってこと?」

「ああ。まあ、顔も可愛いよね」

「何その反応。一目惚れって容姿の美醜とか、好みのことじゃないの?」

「うーん、なんていうかな。君は僕と他人だとは思わなかったんだよ。なんというかビビッと来たっていうか。君も感じなかった?」

「全然」

 

 むしろ嫌悪感すらあったくらいだわ。

 私がにべもなくそういうと、「それは残念」と肩をすくめる光照。

 

「まあ、でもビビッと来た感じがなかったとしても、多分好意は持ってたかもしれないけどね。ほら、君って優しいし」

「優しい? 私が?」

「うん。例えば、君はこのこの学校を選んだ理由はなんだい?」

「あんたと離れるために遠くの学校にしただけだけど」

「あ、そうなのね……。ま、まあでもそれだけじゃないでしょ? あくまで遠くとは言っても県内。引っ越ししなくても通える範囲内での学校選びだ。本当に遠くに行きたいなら、君なら東京の進学校に通うことも可能だったはず。なのに、家庭の家計を考えてそうしなかった」

 

 図星である。

 何だこいつ。そんなの両親にも言ったことないのに。

 エスパーか何かなのか。

 

「他にも小学校の時だって、君は度々女子たちに絡まれていじめられていたじゃないか? でも、君がその人たちに仕返しをしようとか、恨んだりすることはなかったように見えた」

「いや、あんたのせいだし」

「それはごめんって。一応、自分で言うのも何だけど、助け舟は毎回出してたから許してくれると嬉しいな」

「……わかってるわよ」

 

 私が苦虫を噛み潰したようにそう言うと、光照は満足そうに頷く。

 

「あとは僕がしつこくアタックしてるけど、それを拒絶したり、邪険に扱ったことはないでしょ? 素っ気なく対応はされてるけど。そう言うところがなんだかんだ優しいなって」

「は、はぁ!? そ、それはあんたが拒否ってもどうせ諦めないからでしょ?」

「え? じゃあ、諦めるって言ったら、君は拒否るの?」

「〜っ! あ、ああいえばこういう……。と、というか、そんなに私のこと好きなくせに他の男子の邪魔とかしないのね。小学校の時の女子みたいに」

「あ、話題ずらしたね」

「うっさい!」

 

 顔が熱くなるのを感じる。

 全く……こいつと喋ると本当にペースを乱されて仕方ない。

 

 それにこいつの今の問いには答えたくはなかった。

 深く考えてしまうと、なんだか取り返しのつかないことになってしまいそうだったから。

 

「ま、別に他の男子の邪魔になんてしないよ。もし他の人に取られてしまったら、そこまでさ」

「ふぅん? つまりは私への思いはその程度だってこと?」

 

 肩をすくめてそう言う彼の姿に、なぜか少しイラッとしてしまい、ついそう口走ってしまう。

 ……何だこの典型的に面倒くさい女のセリフ。何で私は今ムカっとした気持ちになったんだ。

 

 すると、光照は手をぶんぶんと横に振って、否定の意を表する。

 

「違う違う! そうじゃなくて、君がいい加減な気持ちで付き合ったりしない人だってことを知ってるからだよ。誰かに取られるのは、死ぬほど悲しくて、悔しいけど……でも、君が前へ一歩進んでくれて、幸せに少しでも近づいてくれるなら。それでいいと思ってるんだ」

 

 光照は「だって僕は君の幸せを願ってるだけだからね」と照れたようにはにかむ。

 

「……ふーん」

 

 何というかこいつの私に対する気持ちっていうのは、あの時から変わっていないんだなって思った。

 

 本当に私を幸せにしたい。

 私の幸せを願っているから、時によっては自ら身を引くことも考えているなんて知りもしなかった。

 

 なるほど、ね。

 まあ、そこまで言ってくれるなら……私もちょっとくらい前へ進んでみようかな。

 

「そんなことよりさ。この前実は君が好きそうな劇の舞台のチケットが手に入ったんだよ。もしよかった――」

「いいわよ」

「あーっ、そうだよね。ダメだよn――え? 今なんて?」

「いいわよって言ったんだけど?」

「え、ええっ!? ど、どうして? 今まで一回も誘いに乗ってくれなかったのに……。もしかして熱でもある?」

「別に。ただのお礼よ」

「お礼? 僕なんかしたっけ」

「あんたがうちの両親と絡むようになってから、凄く明るくなったのよ。だから、その、まあ感謝の印として……ね?」

 

 そっぽを向きながら早口でそうまくし立てる私。

 うぅ……流石に苦しいかなこの言い訳はちょっと……。

 

 私は横目でチラッと彼の様子を窺ってみると、彼は拳を握り締めながらプルプルと震えていた。

 

「ぜ、是非行こう!! 今すぐにでも行こう! 毎秒デートしよう!!!!」

「きゃあ!? き、急に腕を掴まないでもらえる!? というか、今すぐは無理だから!! 離してー!!」

 

 ……やっぱり前に進まない方が良かったかも。

 

 

 

 ――デート当日。

 

 

「いやー、劇面白かったねー」

「……そ、そうね」

「あれ? 面白くなかった?」

「い、いや、だってあんたがずっと手を握ってくるから……全然、集中できなくて」

「ああ、そういうこと? でも、全然嫌そうな感じじゃなかったと思うけど」

「そ、それは劇の最中だったからっ。騒ぐわけにはいかないと思って……!」

「じゃあ、何でまだ繋いだままなの? もう振り解いてもいいと思うけど」

「っ!」

「あはは。やっぱ可愛いなあ、富幸さん」

「あんまりいじると帰るわよ?」

「ああああああ! ごめんなさいごめんなさい! 許してくださいっ!」

「そう思うなら、今度も面白いところに連れてってよね。そうしたら許してあげる」

「……え? またデートしてくれるの?」

「ん。楽しくないわけじゃなかったし……。あ、でも、もう手を繋ぐとかはなしだからね!」

「は、はいっ!」

 

 

 ――時はすぎて、夏祭り。

 

 

「綺麗ね……」

「そうだね」

「……あんたどこ見て言ってんのよ」

「え? 富幸さんだけど」

「あ、あのね! 私が言ってるのは花火のことよ!」

「え? ああ、そうなんだ」

「そうよ。本当あんたって私のことしか見てないわよね……全く」

「だってそんな綺麗な浴衣姿してるのが悪いでしょ!」

「逆ギレ!? き、綺麗だとか軽々しく言わないでよ! そういうのは然るべきに時まで取っておくものよ!」

「然るべきって?」

「え。そ、それはえっと……な、何想像させてんのよこの馬鹿っ!」

「ぶべらっ!? ぼ、暴力反対!」

「これは愛の鞭よ!」

「え? 愛?」

「……あ」

「ちょっ、逃げないで! そんなに急ぐと転んじゃうよー!?」

 

 

 ――文化祭。

 

 

「……」

「何をそんなにムスッとしてるの? 富幸さん」

「なんで……」

「?」

「なんで私とあんたがカップルコンテストのベストカップル賞を受賞してんのよぉおおおおおお!! おかしいでしょぉおおおお!?」

「そりゃ僕らのラブラブっぷりがみんなに伝わったんじゃない?」

「どこがラブラブよ! 喧嘩しかしてなかったでしょ!? コントだと思われて、みんなから笑われてたし!」

「あれ? そうだったっけ?」

「そうよ! ああ、もう恥ずかしい……。穴があったら入りたい」

「とか言いつつ、トロフィー貰う時満更じゃなさそうだったけどね」

「ぶっ殺すわよ」

「ごめんなさい。愛の鞭までで勘弁してください」

「それいつまで引っ張るつもりなのよ!?」

 

 

 ――クリスマス。

 

 

「雪ね……」

「うん、そうだね」

「まさかこんな日にあんたとこうして街中を歩くなんて思ってもいなかったわ……」

「そうだねー。まさかクリスマスを僕のために空けてくれてるなんてねー」

「あのね。何度も言うけど、私はいつでも予定はすっからかんだから。友達ゼロだし。勘違いしないでよね」

「えー。でも、空いてるからって僕と一緒にいてくれてるよね? やっぱり僕のこと」

「好き」

「へ?」

「って言うと思った? 冗談よ冗談」

「な、なーんだ。びっくりした」

「ふふっ、その間抜け面がいいクリスマスプレゼントだわ」

 

(やっば……冗談でも言うもんじゃなかったわ……。顔が熱くなってるのバレてないといいけど……)

 

 

 ――そして、卒業式。

 

 

「卒業おめでとう富幸さん」

「あんたもね」

「いやー、それにしてもお互い無事第一志望合格出来て良かったね」

「そうね。まあ、またあんたと同じ学校だけど」

「あはは、そうだね。でもなんで僕と同じ志望校にしようと思ったの? 今度は僕とは離れることだって出来ただろうに」

「どうせ離れようとしてもついてくるくせに何言ってんのよ」

「まあ、それはそうだけど……。でも、今回は君から僕と同じ高校に行くって言ってきたじゃないか。理由を聞いても教えてくれなかったし」

「そうね。そろそろ教えてもいいかしらね」

 

 私は周りに誰もいないことを確認し、大きく深呼吸する。

 

「あのね。前にさ、あんた私のこと優しいとか言ったじゃない?」

「うん。言ったね」

「あれさ。はっきり言って大不正解なのよね。私は独りよがりで自分勝手。他人の気持ちなんて踏み躙るし、見下すことだってある。だから、私はここであんたの気持ちを踏みにじるわ」

「? それってどういう――」

「私は光照恵のことが好き。あんたのそのウザいところが好き。気持ち悪いところが心地いい。飽きない。安心する。大好き」

「へぇっ!?」

「だからこそ私はこう宣言する。私はあなたとは付き合えません。ごめんなさい」

「ど、どういうこと?」

「この際だからあんたには言っておくわね。あんたTS症候群って知ってる?」

「……まあ、一応」

「そう。それなら話が早いわ。私、実はTS症候群なのよね」

 

 私の言葉に光照はわずかに驚く表情を見せるが、それもすぐ戻って真剣な顔に戻る。

 もう少し驚くかと思ったけど、意外ね……。

 

「だから私本当は男なのよね。戸籍上では。生物学的にはどうなのか知らないけど」

「なるほど……。だから男の僕とは付き合えないってこと?」

「ううん。そうじゃないわ。言ったでしょ? 私、あんたのことが好きだって。でもね。TS症候群って20歳くらいで死ぬことが決まってるの。そういう病気なの」

「……」

「だから……グスッ。あんたとは、つきあえないっていうか。付き合いたくない……。死にたくないって、どうしようもない絶望に、抗いたくなっちゃう。そんなの、私には、無理。出来ない」

「富幸さん……」

「ふふっ。ど、どう? 今世紀最悪の告白は? これまでの10年間、散々迷惑をかけられたお返しよ。グスッ、ざ、ざまあみろ」

 

 そう言って私は両手で顔を覆う。

 もう限界だった。これまで張り詰めていた感情が。理性が決壊してしまう。

 

 本当はこんなこと言いたくなかった。言うべきじゃなかった。

 本当は男であることがバレたら、こいつに嫌われてしまうかもしれない。関係性が変わってしまうかもしれない。

 すごい怖かった。

 

 でも、それ以上にこいつに隠し事をしたまま人生を終えていく覚悟が私にはなかった。

 

 しかし、言ったら言ったで、これまで現実逃避していたタイムリミットが迫っていることが実感してしまう。

 それを感じたら、どうしても嗚咽が止まらない。

 泣きたくなんてないのに。私は、私はっ……!

 

 その時。突然、優しい温かさといい香りが私を包み込む。

 慈しむように、それでいてしっかりと離さないという意思を込めて、私は抱きしめられていた。

 

「グスッ、な、何よ。暑苦しいわね。離してよ」

「嫌だ。離さない」

 

 ぎゅっと抱きしめる力を強める光照。

 

「ありがとう。好きって言ってくれて。TS症候群のこと教えてくれて。でも、ごめん。俺も隠してたことがあったんだ」

「……何?」

「実は君がTS症候群だってこと知っていた。あの小学一年生の時すでに」

「……え」

「実は先生から君がTS症候群だって言うことは聞いていてさ。だから正直、その話は今更なんだよね」

 

 光照はそう言って困ったように微笑する。

 

「じゃ、じゃあ、今まで男だって知ってたのに……? すぐ死ぬって知ってたのに、アプローチしてたの?」

「うん」

「な、なんで……。普通、こんな地雷物件相手にしないでしょ」

「だって好きなんだもん。理屈とかいる?」

「っ!」

 

 思わず脱力してしまいそうになる。

 こんな私を? TS症候群という存在を愛してくれるの?

 そんな……そんなことって……。これは夢? いや、現実だ。

 だってこんなに心を締め付けられるなんて。こんなに苦しいくらいにまでに「好き」で締め付けられるなんて。

 夢じゃ味わえない。味わえるはずがない。

 

「でも、私……あんたとは付き合いたくないよ。すぐ死んじゃうのに。嫌だよ」

「大丈夫。実はそれについても全く対策してないわけじゃない。これを見て」

「何これ……通帳? って、何この金額!? 0が何個あるのよこれ……」

「ざっと一億はある。僕がユーチューブで稼いだ金額全部だ」

「す、すごい。でも、なんでこんなにお金を貯めてるの?」

「実は日本ではあんまり知られてないことなんだけど、TS症候群の寿命を伸ばす手術が3年前にアメリカで確立されているんだ」

「え……そうなの?」

「ああ、性転換自体を治すことはできないけど、少なくとも生きる時間は確保できる。ただ、莫大な手術代が必要みたいで。それを稼ぐためにユーチューブを始めたんだよね」

 

 そうだったのか。

 私のために頑張ってくれてたなんて。

 そんなの。そんな重い愛。私なんかが受け止めてもいいのだろうか。

 

「わ、私なんかがあんたの努力の結晶を受け取ってもいいの? 私――いや、俺みたいな……こんなわけのわからないやつが」

「いいんだ。そんなわけのわからない君が好きなんだ。生きていて欲しいんだ」

 

 光照は「だから」と言って言葉を続ける。

 

「手術を受けて欲しい。そして、私と付き合って欲しい」

 

 真っ直ぐを私を見つめる彼の瞳は、今まで見てきた中で一番真剣で、優しくて、温かった。

 

「はい……。こんな俺だけど、よろしくお願いします」

 

 こうして私と恵は付き合うことになった。

 

 

  ※

 

 

 私は学校をしばらく休学して、アメリカで手術を受けることになった。

 人生初めての手術で怖かったが、恵が私を励ましてくれたおかげでなんとか手術を終えることができた。

 

 結果は大成功。

 少なくとも還暦まで生きれることは保証すると言われた。

 

 このことは日本では大きく報道されたらしく、割とニュースになったらしい。(顔、名前は公表されていないが)

 そして、手術後のリハビリも終えて、もうすぐで帰国すると言った時のことだった。

 

 恵が突然倒れてしまった。

 本当に、なんの予兆もなく。

 

 そのまま病院で診てもらった結果、衝撃の事実がわかることとなる。

 

「光照さんはTS症候群ですね。おそらく寿命が近いんでしょう」

「え……」

 

 目の前の医師が何を言っているのか最初はわからなかった。

 え? それってどういうこと?

 恵がTS症候群? もうすぐ寿命? そ、そんなこと聞いてない……。

 

 なんだか色々と他にも説明があった気がするが、その時の私は全く話を聞く余裕はなかった。

 

「はは。バレちゃったか。うまく隠しているつもりだったんだけどなぁ」

「なんでっ! なんでこれまで教えてくれなかったのっ! この馬鹿っ!」

「だって、そんなことしたら君は絶対手術を受けてくれなかったでしょ? あんたが受けなさいよって」

「当たり前でしょ!? あんたが死んだら……元も子もないじゃない……」

「ごめんよ。でも、俺にとって君が幸せになってくれることが一番だからさ。これだけは譲れなかったんだ」

「だからって……!」

「ゴホッゴホッ! ごめん、今日はもうしんどい。また話は明日でいいかな?」

「……うん」

 

 そう言って私は病室から出て行く。

 自分の病室へと戻る最中、私はさっきの恵の言葉を反芻していた。 

 

『俺にとって君が幸せになってくれることが一番だからさ。これだけは譲れなかったんだ』

 

 馬鹿。あんたがいなかったら、どこをどう幸せになれっていうのよ……。

 そこで私は何か抗う手段がないかネットで調べたりした。そして、とある一つの方法に行き着いた。

 

「これしかない……!」

 

 でも、これをしてしまうともう取り返しがつかない。

 私の恥部を世間に発信することになってしまう。

 でも……! それでも……!

 

「私の人生にあんたがいないと『富幸』にはならないんだからっ!」

 

 

  ※

 

 

 私は帰国と同時に新聞社にアポをとって、簡易的な記者会見を開くことにした。

 記者会見の内容はこう言ったものだ。

 

「私が今回ニュースになっているTS症候群患者です」

「今回、記者会見を開かせていただきましたのは、私の彼氏についてです」

「私の彼氏も実はTS症候群だったんです」

「なので、今回皆さんにお願いしたいことがあります。彼の手術代に募金をして欲しいんです」

「どうかお願いします。彼のことをこのまま死なせたくありません」

 

 そう。話題になっていることを利用して、手術代を集めてしまおうという算段だ。

 使える情報は全部使った。

 

 彼が人気ユーチューバーであることも公表したし、テレビ、ネット、SNSなどいろんな媒体を利用して宣伝をした。

 

 その効果は絶大であり、TS症候群のカップルということが大きくクローズアップされて、世間に大きな反響を呼んだ。

 

 そして、一億円という金額はあっという間に集まってしまったのであった。

 

 

  ※

 

 

「なんてことももう一年前かあ……。時の流れは早いなあ……」

「何じじ臭いこと言ってんのよ。ほら、次の収録が待ってるわよ! 早く準備しなさい!」

「うへ〜。もう少し休ませてくれよ〜」

 

 あの後、恵の手術は無事成功した。

 そしてリハビリを経て、帰国した私たちはもう一躍時の人になった。

 その影響でいまだにテレビ番組に呼ばれたり、取材の依頼がきたりする。

 忙しいが、とても充実した毎日だ。

 

 スタジオへと移動する車のなかで、ふと恵が声をかけてくる。

 

「あのさ」

「何?」

「昔、君が自分の名前を好きじゃないって話あったよね?」

「ああ、そんなのあったわね」

「あれさ。実は僕も同じだったんだ。実はああ見えて僕、結構自分の人生に悲観的なところがあってさ。すぐ死んじゃうのに、何が恵まれてるんだって思ったりしてたんだ」

「へぇ、そうだったんだ」

「うん。でも、今は自分の名前は好きかも。だって、今僕めちゃくちゃ幸せだもの」

 

 そう言って私にとびっきりの笑顔を見せる恵。

 だから私もそれに負けないくらいの笑顔で返す。

 

「私も。めっちゃ富幸」

「ははっ。そっか」

「ふふっ」

 

 そして私たちはお互いに笑い合いながら、お互いの幸せを確かめ合う。

 こうして私は幸に富んだ人生を。恵は恵まれた人生を送ることとなる。

 

 

 

 

 覆水盆に返らず。

 確かに私の人生はもう取り返しのつかないところまで来てしまった。

 

 しかし、地面にこぼれた水は決して掬いあげる必要はないんじゃないかと思う。

 

 雨ふって地固まる。

 この言葉のように私の盆からこぼれ落ちた男という覆水も、女という雨になって地が固まったのだ。



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