「王女殿下、ご来客です」
「はい。すぐにお通しして頂けますか?」
「ただちに」
近衛兵たちに案内されてクレイモランの王女の居室に到着した俺とマルティナは、扉越しの少女の声を聞く。
近衛兵には粗相の無いようにとだけ軽く声掛けされ、その内の一人に扉を開けてもらう。
彼はそのまま部屋のそばで待機をするようだった。
王女の部屋に入室して最初に目に入ったのは、面を喰らうほどの本、本、本の山だった。
冒険物語を描いた本が散見されるが、ざっと見る限りはほとんどが算術、礼儀作法、呪文学、帝王学、エトセトラ……王族としての教養を培うであろう実用書が山と並んだその光景は、ドゥルダでの勉強漬けの日々に寝泊まりしていた自室を思い出すほどの量だ。
その勉強量とはつまり、脳の荒行と称して勉強に打ち込む修験者レベルと言って憚らない。
そして、積まれた本で足の踏み場のないようなその部屋の奥にある天蓋付きベッドの横に備え付けられた、主張しすぎない上品な装飾が施された勉強机の前にちょこんと座るようにしてその少女はいた。
クレイモラン王女、シャール。
肩に流れるよく手入れされた金髪を揺らしてこちらに振り向く彼女の利発さを備えた青い目は、彼女のお気に入りの丸眼鏡越しにこちらを見つめていた。
「はじめまして……お初にお目にかかります。クレイモランの王女に就かせて頂いております、シャールと申します」
完璧な作法で礼をして微笑むシャール。
歳は俺と二、三も違わないだろうに、聡明なクレイモラン王の娘としてふさわしい人物としてすでに成熟しつつあり、素直に尊敬できる女性だと思った。
「はじめまして、シャール殿下」
俺とマルティナも彼女にならって挨拶を返す。
王族の作法はロウたちに出会ってから本格的に習った付け焼き刃&魂は一般人の養殖王子ではあったが、ハッピーエンドのために行動する以上はこういった登城の機会が必ずやってくるだろうと努力を重ねたこともあり、結果としてはギリギリ王族の子どもとして及第点程度には収まっていると思われる。
「まぁ、これはご丁寧に」
そう言って、シャールは少し微笑ましげに俺とマルティナを見た。
話し相手となってほしいという王命でやって来たことを告げた俺たちは、このままいけばロウとクレイモラン王の密談が終わるまで彼女の話し相手となるわけだったのだが……その予定は、シャールの突飛でストレートな一言によって、この席の意味合いは一気に変容する。
「イレブンさん」
「はい、シャール殿下」
「ふふ、普段からお使いになる言葉遣いで構いませんよ。私のこともシャールとお呼びください」
「なら、自分のことを俺とだけ呼ばせていただきます。……それで、俺に何か?」
「ええ、その事についてなのですが……」
シャールは前置きしてからこほんと小さく咳払いをし、
「実はわたし、貴方が勇者であることを知っているのです。それに、ここに来ることも」
ぴしり、と一瞬にして空気が張り詰める。
何がどうとは一瞬でまとまらないが、まずい、という思考だけが先立った。
知られてはならない情報であることもそうだが、より重要で緊急性が高いのはいったい誰から漏れたか、という所だった。何か知らないかとダメ元でマルティナを見るが、彼女は心当たりがないと首を振る。
もちろん、俺が関わった上でとっさに浮かぶ人物の中にも、シャールにつながる人物はいそうにない。
張り詰めた空気にどうやらまずいことを言ったと察して目を見開いたシャールは、慌てて補足を続ける。
「実は、あなたを夢に見たことがあるんです。私はその日から……あなたが私の元にやって来るのを、一日千秋の思いで待っておりました」
「??????」
「し、シャール殿下……?」
そ、そういう新手の告白……?
そうではないだろうと心中の冷静な自分が諫言するも、思わず頬がカッと熱くなってしまう。
宇宙猫もかくやと言った疑問符を浮かべる俺と状況が飲み込めず顔が引きつるマルティナの様子にシャールは自分の言葉がどう受け取られたのかを察し、ボンっと音を立てて茹で上がった。
「……あの、しっかり説明はさせて頂きますので、今のはなしでお願いします……」
気品と王気がしおしおと萎んでいくシャールは王族然とした落ち着いた態度から一転、予想外の出来事には未だ弱い年相応の姿がその顔に覗いていたのだった。
◆
「預言者ですか……」
「はい」
シャールの発言の真意を聞いたマルティナが、シャールの説明の中に現れた人物の名前を繰り返す。
預言者。
夢の中に現れる伝説上の人物であり、その正体は魔王ウルノーガが闇に堕ちる際に不要だと訣別した魔法使いウラノスとしての善性の残滓だ。
定まった姿を持たず夢の中になら誰の意識の中にも入り込める彼は、原作においても物語上重要な場面に現れては様々な謎めいた助言を残して去っていく。
そんな彼の今回の出現先は、シャールの夢の中であるらしかった。
「それで、彼はどんな預言を?」
俺は素朴な疑問を聞く。預言者に出会った人間に話を聞くのなら、まずは預言の概要について聞かなければ始まらないと言っていい。
預言者については本来都市伝説のようなものであり、夢の中にしか現れない特性のせいで実在を疑われていたりもするのだが、俺は原作を通して実在を知っているため彼がシャールの元に現れたことに疑いを持つ流れは飛ばし、核心だけを突いていく。
シャールは疑問に応えるべく、夢の中での出来事でありながら明瞭に覚えていたのか理路整然と順序立てた説明が数分間に渡ってなされた。
彼女の語った内容を要約すると、
『ミルレアンの森に住む君の国の守り神である聖獣ムンババが邪悪に脅かされ、本来の邪悪に還ろうとしている。これを阻止せねば、じきにクレイモランに災厄として降りかかるだろう』
『解決のカギとなるのは君がこれから応対する七回目の来客に現れる、勇者たる少年の放つ浄化のいかずちだ。』
ということで、なんと預言者はこちらが必死に隠す勇者の正体に関するネタバレをあっさりシャールに開示していることが発覚した。
なんてことをしてくれてんだと思わなくもないが、彼もまた魔王と邪神の悪行を止めるために暗躍しているため、俺に対して不利益になり得ないと思い開示したのだろう。
……ほんとにそうだよね? 預言者たる彼が深い考えのもと動いていることを俺は祈った。
それに、聖獣ムンババ。
千年前の先代勇者ローシュの放った雷によって邪悪の神の配下としての姿が鳴りを潜めて穏やかになり、その後はクレイモランの守り神として崇められていた魔物だ。
そのムンババがいま、蠢動する邪神ニズゼルファの影響を受けて凶暴化しているというのが預言者の懸念することのようだった。
そして、預言者がシャールに託した預言にはもう少し続きがあった。
『カギはもう一つ、君自身の尽力が必要になる。……本来の力を振るうムンババは手強く、そのままでは誰も彼を止められない。そこで……このような装丁の本に封印された魔女の封印を解くといい』
『彼女はなんというか……たいへん気難しいのだが、彼女の助力を得られる可能性があるのはおそらく、君がその場に立ち会い、君が彼女に助力を願った時だけだろう』
と、そこまで語ったところでシャールは言葉を切り、俺たちにどう思うか問い、答えを待った。
預言者についての話をすべて聞き終えた所で、俺は魔女の正体に当たりを付けていた。
シケスビア雪原を抜けた豪雪地帯の中にそびえ立つ、神話の時代より前から存在する古代図書館。
そこに封印されている魔女といえば、この世に一人しかいないだろう。
それは、氷の魔女リーズレットに違いない。
その美貌にほだされた九十九人の男を次々と氷漬けにしたとされる神話の時代の魔女であり、原作では千年に渡る封印をデルカダールのホメロス将軍に解かれたのちにクレイモランを氷に閉じ込めたものの、主人公たちに打ち破られて力の大半を失ってからはその生来の面倒見のよさから先代王を亡くしたばかりのシャール女王のよき相談役となる女性だった。
「預言者の言葉をすべて信じたわけではありませんが……」
「信じるに足る証拠が……少なくとも、俺たちが来ることで揃い始めたということですね」
ほかにはマルティナとシャールだけの閉め切られた部屋で、俺は左の手袋を外す。
手の甲にアザとして浮かんだ勇者の紋章をシャールに見せると、「ローシュ戦記の伝承通りの……」と彼女は呟いて静かに頷き、瞳に決意を秘め、俺に言葉を掛ける。
「イレブンさま、マルティナさま、どうかわたしを古代図書館に連れて行ってくださいませんか。寒さを乗り越え勤勉に日々を生き抜く国民を、この国の宝を守るためのカギがもし、わたしにもあるのなら……わたしはこの国の王女として少しでも力になりたいのです」
国を守る。
口に出すことは容易いが、幼くして聡明なクレイモラン王家の片鱗を見せる彼女がその重みを知らず使った訳ではないことは俺たちの目にも明らかで、密談の合間の話し相手となる筈がとんだ一大事に発展したなと思いを馳せる。
「返事は殿下の父上である王のご判断を待ってからお答えします。ですが……」
俺とマルティナはシャールを見据え、彼女の覚悟を伴った言葉に、同じく覚悟を以て言葉を返した。
「もしその時が来れば、俺たちが命を賭けてお護り致します」
ソルティコでルビスから啓示された、邪モンスター化した魔物のお告げも同様にシケスビア雪原の奥に存在するミルレアンの森を示しており、それに預言者の導きが重なった。
この符合は、今回の件が単なる魔物騒ぎとは比較にならないほど逼迫した事態であることを暗に示していた。
原作にはない悲劇がこれから起きようとしているのに、これを止めないという選択肢は俺には無い。
悲劇を食い止めるためにシャールが必要なら、彼女を全力で守り抜く。そのために俺はここまで力を身に着けてきたのだから。
自然と拳を握り込むと、勇者の紋章が呼応するように淡く、淡く輝いていた。
……まるで紋章そのものが、俺の勇者たらんとする選択を喜んだように。
俺はできる限りの手を尽くすべく、シャールの部屋内にスペースを借りてふしぎな鍛冶セットとふくろを取り出し、ロウとクレイモラン王の許可を得るまでの時間を使い、いざという時のための準備を始めるのだった。